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落書き帳記事集勅令市(勅令指定都市)、省令市(省令指定都市)について

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記事タイトル
発言者
[53890]2006年9月10日
「六大都市制度」の生い立ち(1)六大都市前史 hmt
[53893]2006年9月10日
「六大都市制度」の生い立ち(2)「勅令指定都市」・「省令指定都市」・「法定六大都市」 hmt
[56763]2007年2月10日
勅令指定都市 Issie


[53890] 2006 年 9 月 10 日 (日) 17:21:16 hmt さん
 「六大都市制度」の生い立ち(1)六大都市前史

[53841]hmtの追加・補足です。

明治になって生まれた特別の都市群というと、先ず三府(東京、京都、大阪)と五港(横浜、 神戸、長崎、函館、新潟)ですが、この8都市のうち5つは、後の六大都市と重複しています。

「御一新」を果たした明治初期の政府は、中央集権体制を基本とする試行錯誤の中で、一度は江戸時代からの郡や町村を否定し、戸籍編成単位の「大区・小区制」なども採用してみましたが、結局、末端行政単位としては従来の郡や町村を復活・継承することになり、明治11年(1878)に「郡区町村編制法」 が布告されました。

しかし、この時に新しい都市制度も芽生えました。郡区町村編制法の第4条には、“三府五港其他人口輻湊ノ地ハ別ニ一区トナシ…”とあり、現在の「市」の前身とも言える「区」ができました。

[7772]Issie さんに示されているように、“其ノ広濶ナル者ハ区分シテ数区トナス”に該当する東京には15区、京都には2区、大阪には4区が設けられましたが、これらの独立した「区」を包括する広域都市団体は設けられていません。
なお、明治時代の京都は、事実上一つの都市だったと思いますが、「上京」「下京」は中世以来の地域区分で,応仁の乱以降,織田・豊臣政権下で都市整備が行われるまでの間は京都は「上京」「下京」の2つの都市に完全に分離していたとのことです[3520]Issie さん。

異なる制度下に置かれていた北海道の函館を除く五港にも、横浜区[10991]、神戸区、長崎区、新潟区が生まれました。
「其他人口輻湊ノ地」は、さすがに城下町(名古屋・金沢・仙台・岡山・広島・福岡・熊本)が目立つものの、堺区(当時は堺県に所在)や赤間関区(山口県)も含まれていました。
後に六大都市の一角を占める名古屋は、この段階では、まだ「其他…」扱いです。

さて、明治21年(1888)になると「市制町村制」がされ、翌年4月1日には大部分の府県で施行されて、横浜市や神戸市が生まれます。一部の県では施行が遅れた[7772]ために、名古屋市の誕生はは10月1日です。

しかし、「市制町村制」施行直前の明治22年3月23日に、いわゆる「三市特例法」(市制中東京市京都市大阪市ニ特例ヲ設クルノ件)が制定されます。これは、三市には市長を置かず、府知事が職務を行ない、事務も府庁の官吏が行なうというもので、事実上三市を骨抜きにするものでした。

このような措置に対しては三市から撤廃運動が起こり、明治24年の第1回帝国議会から毎回のように議員立法の特例廃止法案が提出されましたが、衆議院で可決・貴族院で否決又は審議未了を繰り返し、ようやく明治31年になって成立しました。
東京市・京都市・大阪市は、このような歴史を経て、ようやく事実上の誕生を迎えたわけです。
東京の「都民の日」10月1日は、この自治体としての「東京市」誕生の日に因んでいます。[33692]hmt

この「三市特例法廃止」によって、一応は一般の市と同じレベルの自治を獲得したようですが、この際に「市制」の第2条に「東京市、京都市、大阪市ニ於テハ従来ノ区ヲ存ス」云々という規定が追加され、3市の内部に特例として設けられていた区が存置されました。[10997] 三鈴 さん
郡区町村編制法時代と異なり、「区」を包括する広域都市団体の「市」ができたとは言え、元々独立した行政単位であった「区」と、事実上の市制が施行された「市」との間には、その権限をめぐって微妙な関係があった由です。[7772] Issie さん

「六大都市」への道は、まだ遠いようです。

[53893] 2006 年 9 月 10 日 (日) 17:44:08【1】 hmt さん
 「六大都市制度」の生い立ち(2)「勅令指定都市」・「省令指定都市」・「法定六大都市」

郡区町村編制法による区の設置(1878)、市制町村制による横浜・神戸・名古屋3市の誕生(1889)、三市特例法によって骨抜きにされた時代を経て、ようやく自治体として誕生した東京・京都・大阪の3市(1898)。
後者には古い制度の名残の「区」がありますが、前者には「区」が存在せず、金沢・仙台・広島…と続く約40市の中で特に抜き出た存在には至っておりません。

明治21年の「市制町村制」という法律は、明治44年(1911)に全文改正されて、「市制」と「町村制」との別々の法律になりました。([51056]の末尾)
新しい「市制」の第6条では、
勅令ヲ以テ指定スル市ノ区ハ之ヲ法人トス其ノ財産及営造物ニ関スル事務…ヲ処理ス
と定められ、市との関係が問題になっていた([7772] Issieさん)区の権限が限定されました。
こうして、東京・京都・大阪という3つの「勅令指定都市」と、その内部の「区」との関係が確立し、現在の「政令指定都市」制度の起源となりました。[53841] hmt

同じ明治44年の「市制」では、
内務大臣ハ(中略)区長ヲ有給吏員ト為スヘキ市ヲ指定スル
ことも定められました。
この規定に基づいて同年の内務省令第14号の指定を受けた名古屋市には新たに行政区が設けられ、昭和2年(1927)指定の横浜市、昭和6年(1931)指定の神戸市と続き、「区」が設置されました。[10997] 三鈴 さん

このようにして、「区」を持つ六大都市が出揃ったわけですが、東京・京都・大阪は「勅令指定都市」、名古屋・横浜・神戸は「省令指定都市」という制度上の相違があったのですね。

根拠法令は異なっていても、六大都市の「区」は、ほぼ同じように機能していたように思われます。
それというのも、1931年に「区」が出揃う前から、これら6市は「大都市」の扱いを受けていたからです。

「区」の有無や「六大都市」という呼び名はともかくとして、これらの6市を「大都市」として扱った最初の事例は、大正7年(1918)であると思われます。

この年に、都市計画法の前身とも言える「東京市区改正条例」(それ自体は市制町村制と同じ明治21年に制定)が、京都・大阪・神戸・名古屋・横浜に準用されました。
翌大正8年(1919)に制定された「都市計画法」も、これら6市のみに適用されました。
同年制定の「道路法」でも、六大市の市長は府県知事に代り市内の国道の管理者になっています。

そして大正11年(1922)、「六大都市行政監督ニ関スル法律」[53841] hmtが制定されます。
市ノ公共事務及法律ノ定ムル所ニ依リ市又ハ市長ニ属スル国ノ事務ニ関シ府県知事ノ許可又ハ認可ヲ要スル事件ニ付テハ東京市、京都市、大阪市、横浜市、神戸市及名古屋市ニ限リ勅令ノ定ムル所ニ依リ其ノ許可又ハ認可ヲ受ケシメザルコトヲ得

この法律によって、「法定六大都市」が誕生して、昭和18年(1943)の「東京都制」まで続くことになります。

「東京都制」によって、法律の名は「五大都市行政監督ニ関スル法律」に変わりましたが、この頃に国民学校に通っていたhmtは、ずっと「六大都市」で学習していたような気がします。
昭和13年検定の中学校地図帳に使われていた「七大都市」[53814] という名も聞いた記憶はないし…
昭和25年文部省検定済「中学校社会科地図帳」[25914] も「六大都市」。

戦後の日本国憲法の下、1947(昭和22)年の地方自治法で、都道府県から独立した存在となる「特別市」([369] Issieさん)の制度ができました。
しかし、「特別市を指定する法律」制定のために、日本国憲法で保証された住民投票の範囲をめぐって5大市と府県とは対立し、結局は特別市の指定は困難な状況となった中、1956(昭和31)年に、妥協の産物([370] Issieさん)である「政令指定都市」制度に取って代わられることになりました。

制度が「政令指定都市」になっても、東京を含めた数が6のうちは、「六大都市」と呼んでいたと思いますが、1963年以降だんだん数が増えてくると、「○大都市」という呼び名([53489]hiroroじゃけぇ さん)は、次第にすたれてきたようです。

[56763] 2007 年 2 月 10 日 (土) 10:58:28【2】 Issie さん
 勅令指定都市

昨日,仕事の関係でちょと必要があって,戦後,“公選制”の教育委員会制度について定めていた 「教育委員会法」(昭和23年法律第170号;1948年7月15日公布・施行,1956年10月1日廃止) を眺めていたら,末尾の 附則 にこんな条文がありました。

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第70条 大阪市、京都市、名古屋市、神戸市及び横浜市(五大市という。以下同じ。)並びに既に教育委員会を設置しているその他の市以外の市は昭和25年12月1日又は昭和27年11月1日に、町村(既に教育委員会を設置している町村を除く。)は昭和27年11月1日に、それぞれ教育委員会を設置しなければならない。
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このサイトに掲載されているのは,20回ほどの改正を経て,1956年の全面改正で「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」(昭和31年法律第162号;略称:地方教育行政法 または 地教行法)に引き継がれる直前の,いわば“最終形態”なのですが,ここでの関心の対象となるのは「5大市」という表現ですね。

(※なお,この 「旧)教育委員会法」 から 「地教行法」 への切り替えで,教育委員会の委員は従来の公選制から現行の任命制に変更され,教育委員会の組織や教育行政のシステムも大幅に変えられました。なので,この法律は当時 「新教育委員会法」 とも呼ばれましたが,この法律も,もうすぐ変えられちゃうんでしょうかね。)

きっとね,ここは本当は当時の 地方自治法 に規定のあった「特別市」と書きたかったんじゃないか,と思うのでした。
当時の 地方自治法 には,こんな条文がありました。

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第3編 特別地方公共団体及び地方公共団体に関する特例
第1章 特別地方公共団体
第1節 特別市

第265条 特別市は、都道府県の区域外とする。
 特別市は、人口五十万以上の市につき、法律でこれを指定する。その指定を廃止する場合も、また、同樣とする。
 (第3項以下省略)
--------------------------------------------------------------------------------------

当時,「特別市」と指定されるべく想定されたのは恐らく前記「5大市」なのでしょう。
けれども,まさにこの条文の 第1項 の規定が仇となって多くの反対を呼び,1つも指定されることなく,1956年にこの節(第264条〜第280条)が丸ごと削除されて(昭和31年法律第147号による),かわってこの第3編の“直前”に現行の 第12章(大都市に関する特例) が挿入されて,「指定都市」(政令市,政令指定都市)なる,ある意味,“中途半端”な制度が導入され,この年7月31日の 政令第254号 によって件の 5大市 が指定されて,同年9月1日に「初めての政令指定都市」が誕生したのでした。
この「第3編の“直前”」というのがミソで,指定市は「特別地方公共団体」ではなく「普通地方公共団体」であって,あくまでも「普通の市」が“特に指定”されてより広範な権限を持つ,という位置づけなのですね。「中途半端」たる所以です。

よく見ると,教育委員会法 の改正と,地方自治法 の改正は同時期ですね。お互い,無関係ではないのですが,もし,この後も 教育委員会法 が存続していたら,冒頭に述べた「5大市」の部分は「指定市」と改正されていたことでしょう(…と思ってよく読んだら,制度移行に関する1回限りの時限規定でしたね。改正の必要はないか)。なお,現行の 地教行法 では,「指定市」という語が使用されています。

つまり,現行のような「政令指定都市」制度もなく,当時規定されていた「特別市」に指定された市が1つもない段階では,それにふさわしい市を「5大市」と呼ぶしかなかったのでしょうね。

さて,それでは,1947年5月3日以降の 現行憲法・地方自治法体制 以前の 旧憲法(明治憲法)体制下 での「5大市」,さらに 1932年に“消滅”した 東京市 も加えた「6大市」はどういう位置づけであったか調べてみると(←これは,以前に別ネタを調べた副産物なのですが),
現行地方自治法の施行まで有効であった「(改正)市制」(明治44年法律第68号)にこんな規定がありました。

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第6条 勅令ヲ以テ指定スル市ノ区ハ之ヲ法人トス(以下略)
第80条 第6条ノ市ノ区ニ区長一人ヲ置キ市有給吏員トシ市長之ヲ任免ス
第82条 第6条ノ市ヲ除キ其ノ他ノ市ハ処務便宜ノ為区ヲ画シ区長及其ノ代理者一人ヲ置クコトヲ得
 前項ノ区長及其ノ代理者ハ名誉職トス市会ニ於テ市公民中選挙権ヲ有スル者ヨリ之ヲ選挙ス
 内務大臣ハ前項ノ規定ニ拘ラス区長ヲ有給吏員ト為スヘキ市ヲ指定スルコトヲ得
(以下略)
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で,これを受けた 明治44年勅令第239号「市制第6条ノ市ノ指定ニ関スル件」(1911年9月21日)で 東京市・京都市・大阪市 の3市が指定され(施行は同年10月1日),明治44年内務省令第14号(1911年9月22日)で 市制第82条第3項 に該当する市として 名古屋市 が指定されています(施行は同じく同年10月1日)。
後者については,昭和2年内務省令第32号(1927年6月22日,同年10月1日施行)で 横浜市 が,昭和6年内務省令第14号(1931年7月1日,同年9月1日施行)で 神戸市 が追加指定されています。
なお,明治44年勅令第244号「市制第6条ノ市ノ区ニ関スル件」(1911年9月23日) では,該当市の 区 を“自治体”とし,その自治制に関する規定が定められていました。

つまり,今風の言い方をすれば,“自治体としての区”を持つ「勅令指定都市」と,有給吏員としての区長が配置され,だからそのための“市の下部行政機関としての区”を持つ「省令指定都市」とがあって,前者に 東京・京都・大阪 の3市が,後者に 名古屋・横浜・神戸 の3市があった,ということになるのでしょうね。


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