私は最近、「幕末以降市町村名変遷系統図総覧 改訂版(1,2)」(2000年9月、西川治監修、太田孝編著、東洋書林)をもとに、藩政村・城下町をExcelで整理しています。一方、明治末期の合併情報(今は1908年頃)を
市町村合併情報を入力・編集したり、市制町村制時の自治体名を整理したり・・飽きが来ないように同時並行でいろいろやっています。
さて、藩政村・城下町についてですが、例えば、私が既に手元に整理した数は、ほんの数県ですが以下のとおりです。まだチェックはしていないので少々の数字の異同はあるのでご勘弁を。
県名 | 藩政村・城下町数 | 現在の市町村数 |
徳島県 | 653 | 24 |
香川県 | 521 | 17 |
愛媛県 | 1,147 | 20 |
高知県 | 1,074 | 35 |
福岡県 | 2,317 | 68 |
全国では、明治11年5月の元老院会議における報告によれば、町村数は「約8万」とのこと(「地方自治百年史 第一巻」(平成4年3月30日発行、地方自治百年史編集委員会編集、地方自治法施行四十周年・自治制公布百年記念会発行、財団法人地方財務協会発売)。現在の約1,800の40倍。単純にいえば、現在の市町村は藩政村・城下町40町村が集まって成立している、というところでしょうか。
藩政村・城下町の概説を。
幕藩時代の町村は、一種の法人であり、村自体として財産を保有し、あるいは債務を負担することもありました。今日の地方公共団体のように、住民とは別個の法人格をなすものではなく、村民の総体でありました(「総有」)。村の役員は「村方三役」または「地方三役」と呼ばれ、その役割等は次のとおりです。
関東 | 関西 | 人数 | 役割 |
名主 | 庄屋 | 1人 | 村長。半官半民で、行政官の手先でも、村の理事者でもある。 |
組頭 | 年寄(または脇百姓) | 3~5人 | 名主(庄屋)の補助者、五人組の頭分かつ村民の代表 |
百姓代 | | 2~3人 | 純然たる村民の代表者、名主(庄屋)・組頭(年寄・脇百姓)に対する監督者 |
これらの名称は地方によって一様ではないようです。
また、城下町では「町」一つ一つが藩政村と同様に自治団体であり、例えば江戸、大阪、福岡といった都市が全体として自治体であったことはありません。
現在、「藩政村」「城下町」について、疑問な点がいくつかあります。
(文献は前述「幕末以降市町村名変遷系統図総覧 改訂版(1,2)」)
(1)「○○郡××村」ではなく、「○○郷××村」や「○○郷上分××村」となっているところがあります。これらは「郡」には属していなかったのでしょうか? また、この時代の「郡」や「郷」の位置づけは、どうなのでしょうか?
(2)城下町は、「郡」(あるいは「郷」)には属するのでしょうか? 例えば、福岡の城下町の一つである「天神町」の、「那珂郡馬出村」に対応する呼称は、何でしょうか。 単に何もつかずに「天神町」?「那珂郡天神町」?「福岡天神町」?「福岡城下天神町」?・・・
(3)福岡県(豊前)の小倉は、上記書では「企救郡小倉町」の表記しかありません。福岡には155の町が並んで表記されているのに・・・(久留米や柳川も町名が並んでいる)。小倉は例外でしょうか? それとも単なる表記誤り?
このあたりになると、「地理」より限りなく「歴史」に近くなってきますが、まだまだ私は不勉強なのでご教示いただければ幸いです。参考図書などもお示しいただければありがたいです。
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[55497] 紅葉橋律乃介 さん
もちろん市町村制以前に、北海道にも町村があったわけですが、明治以前の歴史が“ない”以上は、興味が湧かないのも無理がない…かも。
確かにおっしゃるとおり、他の地域とは北海道の歴史はかなり異なりますから、地元の方からするとやむを得ないところもあるでしょうね。明治以降の制度も北海道はかなり独特のものですしね。
ところで、「市町村合併情報」がどんどん遡っているようですが、全データを1ページに表示するのはそろそろ限界ではないでしょうか。
おっしゃるとおり、私の環境でもかなり苦しくなって来ております。まさしくちょうど今、グリグリさんが改善作業(step.1)を行っていただいている最中ですので、近々、改善版をupできると思います・・といっても、私はグリグリさんにおんぶにだっこなのですが。