都道府県市区町村
落書き帳

�{���߂�߂���L���W

… スポンサーリンク …



[58745] 2007年 5月 30日(水)19:08:2488 さん
府県制・郡制について
[58214] 拙稿 「『府藩県一般戸籍ノ法』、大区小区制などについて」、[58394]「郡区町村編制法について」、[58627]「市制・町村制について」の続きです。
参考文献は[58214]と同じです。

年月日事項摘要香川県の例
(28)M23(1890).5.17府県制・郡制公布
(29)M24(1891).4.1郡制施行(青森県など9県)最初の郡制
(30)M24(1891).7.1府県制施行(長野県)最初の府県制
(31)M32(1899).3.16(新)府県制・(新)郡制公布
(32)M32(1899).7.1(新)郡制施行(東京府など5府県)45府県中最後の郡制香川県郡制施行
(33)M32(1899).7.1(新)府県制施行(東京府など7府県)45府県中最後の府県制香川県府県制施行

山縣有朋内務大臣の地方自治制の構想では、市制・町村制の制定のあとは、郡制・府県制の制定を目指していました。そもそも、市制・町村制の検討過程でも、郡制・府県制は同時並行で検討されていました。
M21(1888).9.25には第一次案が閣議決定され、元老院において検討されましたが、次のような根本に関わる批判が続出しました。
廃案説
・郡及び府県は元来行政区画で自治体ではないので郡制や府県制は無用
・府県や郡に自治を与えれば、国政にも自治を要求する勢いを生み遂には国体を破るに至る
時期尚早論
・憲法をはじめ各種重要法律が次々と施行されるじきに郡制・府県制までも施行すると混雑をきたすから市制・町村制の施行を見てからでよい
・市制・町村制すら今日の民度に照らして尚早だと考えられるのに、さらに広汎複雑な郡や府県に自治を与えるのは尚早
結局、この第一次案は廃案となりました。
M23(1890).1.21には第二次案が閣議決定され、元老院において検討されました。この第二次案では、相当自治的な色彩が後退し、府県・郡の法人性や条例制定権などは全面的に削除され、府県会の権限についても明示的に限定して縮小されました。そして、一部修正の上正式決定し、M23(1890).5.17に公布されました。憲法発布(M22(1889).2.11)には遅れましたが、第一回帝国議会開会(M23(1890).11.29)の半年前、第一回総選挙(M23(1890).7.1)の一箇月半前で、モッセや山縣有朋が強く望んだ、国会開設以前の地方制度成立は、かろうじて間に合いました。

府県・郡は、府県会や郡会を有していることもあり、一応「自治体」とは言えます(府県知事・郡長が府県・郡の首長とされています)。しかし、本来府県・郡は国の行政区画であり、これを管轄する府県知事や郡長(幹部職員なども)は、国の官吏(国の行政のためにおかれた官吏)です。このため、執行機関に関する規定の一部は、府県制・郡制ではなく、「地方官官制」(M19勅令第54号)にあります。このため、市や町村と比べると、自治体とはいえ、その権限はかなり制限されていました。

府県制は郡制を実施した府県に施行するものとされていましたが、当時の郡は、規模・区域ともに不ぞろいで、この分合を行ってからでないと郡制が施行できないというところにありました。
当時の郡の総数は、M11年郡区町村編制法以来716郡でしたが、小さなものは一郡一村のもの(福岡県席田郡ほか)から、大きなものは一郡で人口20万人を有するもの(新潟県中頸城郡)まであって、著しく大小不同であり、また、区域の錯綜しているものも少なくありませんでした。政府は、当初は全国一斉に郡制を実施するつもりで、M23の第一回帝国議会に郡の廃置分合に関する法案を提出しました。しかし、そもそも前述のとおり府県制・郡制の成立までが難産であり、また、同国会には府県制・郡制の施行延期の法案まで提出され(衆議院では可決されたが貴族院で否決されて未成立)、こういった背景からもこの郡の廃置分合法案は廃案になりました。
結局政府は、取りあえず問題のない府県から郡制を施行し、その間に適切な廃置分合について調査することに方針を変更しました。その結果、郡制はM24.4.1から郡の配置分合を必要としない府県から順次施行され、M29の第九回帝国議会でようやく郡廃置法案が成立しました。このため、大半の府県で郡制が施行されたのはM29.4.1以降で、府県制の施行はそれよりもさらに遅れたところが多かったのです。
府県制・郡制は、M32.3.16に改正・公布されました。施行はいずれもM32.7.1です。上記の年表で、(新)府県制・(新)郡制とあるのは、このものです。つまり、東京府などの5府県では、(旧)郡制は施行されることはなく、また、東京府など7府県では(旧)府県制は施行されることはありませんでした。既に(旧)郡制・(旧)府県制が施行されていた府県では、M32(1899).7.1をもって(新)郡制・(新)府県制が施行されました。(改正内容は省略)

なお、沖縄県、北海道及び島嶼は、別の制度であるため、説明を省かせていただきました。三大都市(東京市、京都市及び大阪市)については、hmt さんによる六大都市等の制度についてをご参照ください。

――――――――――――――――――――――――――――――
これまで4回にわたり、明治初期の地方自治制度について投稿して来ました。これまでのものを総括して整理し、また、市区町村変遷情報への対応方法についての案を今後お示ししたいと考えています。
[59148] 2007年 6月 16日(土)08:40:28【1】88 さん
明治初期地方自治諸制度と、市区町村変遷情報での対応について
過去の一連の私の投稿「明治初期 地方自治制度の変遷について」を受けた、取りまとめ版です。

年月日制度府県区(*1)区(*2)町村
(江戸期)行政区画自治体
M元.閏4.21府藩県三治の制
M2.1.21他版籍奉還
M4.7.14廃藩置県行政区画
M5.2.1府藩県一般戸籍ノ法地理的名称行政区画
M11(1878).12.16郡区町村編制法行政区画自治体
M17(1884).12.25戸長役場拡大
M22(1889).4.1他市制・町村制自治体
M24(1891).4.1他府県制・郡制自治体自治体
T12(1923).4.1郡制廃止行政区画
T15(1926).7.1郡役所廃止地理的名称
S22(1947).5.3地方自治法
(*1)「府藩県一般戸籍ノ法」によるもの。区だけではなく、大区・小区を含む。
(*2)「郡区町村編制法」によるもの。「三府五港其人民輻湊ノ地」。なお、「区」の中に「町」「村」を含んでいた。

定義は、次のように考えています。
(A)自治体首長・議会が存在し、域内のことを自治的に決定する制度がある
(B)行政区画国の出先機関としての組織(現在では財務局や地方整備局を統合したものに相当)
(沖縄総合事務局のようなもの?)
(C)地理的名称(A)(B)に該当せず、ただ名称として呼称する
もちろん、いくつかの権能を兼ねていることも多いのですが、より権能の強い方で表記しました。(C)より(B)、(B)より(A)の方をもちろん優先しました。
なお、北海道・沖縄、島嶼、東京都制、三大都市等はここでは省略させていただきました。

上記の取りまとめは、私も少し自信がないところもあります。さらなるご教授をいただければ幸いです。そもそも、単純化は困難なのかもしれませんが。

さて、市区町村変遷情報で、どう取扱うか、です。
特に注目したいのは、「府藩県一般戸籍ノ法」(いわゆる「戸籍法」)の「区」(後に「大区」「小区」を含む。上記(*1))です。この「区」は自治体ではなく、あくまで「行政区画」です。この状態はM5年からM11年の短期間であり、また、江戸期以前からの長年に渡り使用されてきた「郡」は、この6年間ほどの間も現実には併用されていたようです(注)。また、[58214]拙稿 の年表中の(8)~(18)のように短期間に何度も区画・名称変更をしているようで、あまりにも複雑です。このため、市区町村変遷情報では、この「区」(大区、小区とも)は割愛させていただこうかと考えています。
現在の政令市の区は行政区画であり、郡は地理的名称なのですが、現在はこれらは位置づけも明確になされていますので(地方自治法なり条例なりで)、既に対象にしている、ということにしたいと考えています。
府県の変遷については、範囲が市町村と重なることもあり、取扱うとしても別メニューが適切だと考えます(やはり何らかの対応はしたいですが)。
―――――――――――――――――――――――――
(注)
「香川県史 第十一巻 資料編 近代・現代資料I」(昭和61年2月28日発行、編集・発行:香川県、四国新聞社)にある、「大区編成並びに区長任命の達」(明治7年2月13日名東県権令から各区戸長あて)によると、
今般讃岐国各郡並小豆嶋ヲ大区ト相定別紙ノ通区長申付候
(中略)
第十三大区大内郡区長並学区取締兼務
(後略)
[58214]拙稿の(13)と同日付け文書で、既に「区」が存在していましたが、新たに「大区」「小区」を定めたときのものです。

また、明治9年7月の「讃岐国公立小学校一覧」(前掲書)でも、
名称学科位置設立
東園小学讃岐国大内郡東山村明治7年
等と、やはり郡を使用しています。
[62245] 2007年 10月 26日(金)23:27:3988 さん
市区町村変遷情報 小レス
[62108] むっくん さん
ご指摘をありがとうございます。
まず最初に。市制町村制・明治の大合併の編集にあたっては、主として参考文献は市区町村変遷情報トップページにある「幕末以降市町村名変遷系統図総覧 改訂版1、改訂版2、別巻」(2000年9月、西川治:監修 太田孝:編著 東洋書林)を使用しています。また、他資料で必要に応じ補足しています。
では、(事情により)順序を入れ替えてコメントします。

(2)1505松山市のそれ以前の自治体の欄に中村の一部, 味酒村の一部, 立花村の一部, 持田村の一部と書かれていますが、これらに対応する箇所はいったいどこなのでしょうか。
#おそらく対応する箇所は1510においての中村、1512においての味酒村、1510においての立花村、1511においての持田村ではないかと推測しますが。
これは、前述の文献では主たるものと思われるところには単に「○○村」、一部と思われるところに「○○村の内」「○○村飛地」等と記載され、初期はそのまま転記しておりました。途中から流石に「これは他の変遷情報と整合性がない」と思い、主たるものと思われるところも「○○村の一部」と修正しました(ある方からメールでご連絡をいただき修正に役立ちました)。主として愛知県・岐阜県は修正済みです。一方、初期入力分の香川県・徳島県・愛媛県は、未修正です。追って修正します。
・・・・と書きながら、実は私自身まだ迷っています。3つほど対処方法案があります。
(1) 「藩政村の『一部』」は飛地等の小さなものであり、そもそも本市区町村変遷情報の対象として馴染むのか。明治以降でも、大字単位の境界変更は私も対応したいと思っているが、小字単位や数世帯単位の境界変更は瑣末なので省略すべきと思っている。その整合性から言っても、「藩政村の『一部』」は無視して簡略化した方がよいのではないか。
(2) 現在入力しているとおり、把握できているものは詳細に入力しておく。「大は小を兼ねる」。
(3) 個別情報の入力は現状のように詳細なものとするが、将来構想の表形式(試行品)では「藩政村の『一部』」の表現は割愛し、小異を捨て「わかりやすさ」を重視する。
私としては(3)かな、とも思っていますが、(1)も悩ましいです。皆様のご意見をいただければありがたいです。

(3)461名古屋市のそれ以前の自治体の欄に書かれているような書き方では
・ 県-区-町村([58394]88さん)
とは受け取られずに名古屋区に所属していた各町と同じレベルでの位置づけでの名古屋区(換言すれば県-区町村という位置づけ)が存在しているように読み取られかねないのではないでしょうか。
ご紹介していただいたように、名古屋市は従前の「名古屋区,本町,玉屋町,・・・・」の合併なのですが、「本町,玉屋町・・・・」は、独立した自治体として名古屋区と同列であると言える一方、名古屋区にも含まれる二重の性格を持っています。なお、「区」の区域は「郡」の対象外です(拙稿[58394])。
#個人的には名古屋区の後にある「,」を消去した方が誤解を生まないと思います。
コンマやスペースに関しては将来の市区町村変遷情報の拡張(データベース検索の機能等)として意味を持たせているので、これらの手法による調整は避けたいです。
このため、詳細欄で「変更対象自治体の本町, 玉屋町などの各町は、個々が独立した自治体であるとともに名古屋区にも含まれる。」と、追記しました。

(1)以下のところで郡を書き忘れられているのではないでしょうか。
岐阜市、渥美郡豊橋町などの、合併前の町村の属する郡についてのご指摘です。実は、この件も上記(2)と同じ方からもメールでご指摘をいただいておりました。
豊橋町(渥美郡)は単なる私の遺漏です。
倉吉町(久米郡)は、単なる遺漏でもありますが、不思議なことに今回気づきました。「幕末以降・・・」では、前述(3)の名古屋区と同様に、合併前に久米郡倉吉町が存在し(M11に倉吉町が神坂村・余戸谷村を合併した記述もあり)、一方、倉吉町の中に湊町、東町・・・の各町が含まれていたようにも取れる表現になっています。つまり、倉吉全体を示す自治体である「倉吉町」と、その倉吉町に属するものの自治体でもある「湊町」「東町」等の25町が並存しており、これらが合併して新「久米郡倉吉町」が発足した、と読めます。「町」も二段階あった、ということのようですが、事実関係はこれでよろしいのでしょうか?。ちなみに、国立国会図書館の近代デジタルライブラリー「地方行政区画便覧」(M20.10刊行、内容はM19.1現在)では、市制町村制施行前の総称する「倉吉町」は出て来ず、他の個々の25町だけです。もし従前も「倉吉町」があることが判明すれば、前述の名古屋市と同様の表現に追って修正します。もし詳しい情報があれば、資料を添えてお教えいただけるとありがたいです。
なお、鳥取市、徳島市、松山市、(1890年市制施行ですが)高松市などについては、「幕末以降・・・」に旧町村名の郡名の記載がありません。市制施行のものの旧郡名は、同書は全体に省略気味で不十分な表現になっています。本来は根拠資料である市制町村制施行の都道府県段階での告示を追うべきなのでしょうが(※)、とても簡単に調査できるものではありませんので、簡易な調査方法として郡名については前述の「地方行政区画便覧」などを参考にすべきかと思っています。
所属郡については周辺の町村の状況からご指摘のとおりだとは思いますが、特に鳥取市のように2郡に属するものなど、確認作業に手間取り、さらには情報源同士の矛盾が頻出しそうですので、暫くお待ちください。


香川県の場合、M23.2.15の市制町村制施行の正式な根拠はM22.12.28付け県令第84号となるようです。これについては県立図書館の県公報のマイクロフィルムにはありませんでした。現在のところ、「香川県史 第十一巻 資料編 近代・現代資料I」(昭和61年2月28日発行、編集・発行:香川県、四国新聞社)に記載があるものしか私は発見できていません。以下に参考までに抜粋します。
―――――――――――――――――――――――――
県令第八拾四号 十二月廿八日
来明治廿三年二月十五日ヨリ県下ニ市制町村制ヲ施行スルニ付町村ノ区域別冊ノ通分合改称ス
但合併ニ係ル旧町村名ハ大字トシ之ヲ存シ飛地ハ各其所在町村ノ地籍ニ編入ス
市名旧町村名
高松市内町 東濱町 新材木町 ・・(後略)
--
大内郡
新町村名旧町村名
相生村坂元村 黒羽村 南野村 馬宿村 川股村 吉田村
小海村据置
引田村
(後略)
--
(中略)
--
那珂郡
新町村名旧町村名
丸亀町御供所町 北平山町 ・・(中略)・・土居村・・(後略)
(以下略)
このように、(新)丸亀町は那珂郡ですが、土居村は鵜足郡です。旧町村の郡名が略されている例としてお示ししました。
[62287] 2007年 10月 28日(日)21:56:22【2】むっくん さん
鳥取市と倉吉町
[62245]88さん

市制町村制施行で鳥取市・倉吉町が成立した時の県告示は持ち合わせていませんが、鳥取県町村合併誌(1964、出版:鳥取県)に当該県告示が載っていましたので、以下に引用します。

―――――――――――――――――――――――――

鳥取県令第九拾四号

市制町村制施行ニ付市町村及町村組合区域名称並市役所町村役場位置別冊ノ通相定メ明治二十二年十月一日ヨリ施行ス
但合併ニ係ル旧町村名ハ大字トシテ之ヲ存ス
明治二十二年九月二十二日 鳥取県知事 武井守正

別冊 鳥取県市町村区域

市名区域(旧町村名)役場位置
鳥取市邑美郡西町
東町,西町,湯所町,栗谷町,江崎町,馬場町,上町,中町,御弓町,大榎町,庖丁人町,
掛出町,大工町頭,寺町,吉方町,元大工町,上魚町,片原一丁目,同二丁目,同三丁目,
豆腐町,鹿野町,下魚町,下横町,下台町,玄好町,材木町,鍛治町,若桜町,本町一丁目,
同二丁目,同三丁目,同四丁目,三軒屋,桶屋町,職人町,二階町一丁目,同二丁目,
同三丁目,同四丁目,茶町,新町,元魚町一丁目,同二丁目,同三丁目,魚町尻,
川端一丁目,同二丁目,同三丁目,同四丁目,四丁目尻,藪片原町,川外大工町,瓦町,
今町一丁目,同二丁目,梶川町,南本寺町,北本寺町,元鋳物師町,新鋳物師町,新品治町,
丹後片原町,薬師町,大森町,川下町,湯所村,東品治村,吉方村
法美郡
立川町一丁目,同二丁目,同三丁目,同四丁目,立川村

(中略)

郡名町村名区域(旧町村名)役場位置
久米郡倉吉町湊町,東町,葵町,仲ノ町,荒神町,堺町一丁目,同二丁目,研屋町,西町
新町一丁目,同二丁目,同三丁目,福吉町,魚町,東仲町,西仲町,西町,瀬崎町,
東岩倉町,西岩倉町,越中町,広瀬町,鍛冶町一丁目,鍛冶町二丁目,河原町,余戸谷町

(略)

―――――――――――――――――――――――――

と記されていました。

告示からは
倉吉全体を示す自治体である「倉吉町」と、その倉吉町に属するものの自治体でもある「湊町」「東町」等の25町が並存
ということはなく「湊町」「東町」等の25町のみ存在したことが推測できます。
鳥取県史近代第一巻総説篇(1969、編集・発行:鳥取県)においても「湊町」「東町」等の25町から倉吉町が成立したとの樹形図が記されています。
倉吉町が神坂村・余戸谷村を合併した
という記述との整合性については別稿で記すことにします。


なお、市区町村変遷情報の表記との間には

鳥取市市区町村変遷情報鳥取県町村合併誌地方行政区画便覧(p395)
江崎村江崎町江崎町
鍛冶町鍛治町鍛冶町
三軒屋町三軒屋三軒屋
品治村東品治村東品治村
稲吉村がある稲吉村がない

倉吉町市区町村変遷情報鳥取県町村合併誌地方行政区画便覧(p399)
魚町尻魚町魚町
鍛冶町一丁目鍛治町一丁目鍛冶町一丁目
鍛冶町二丁目同二丁目同二丁目

との差異があります。
[62370] 2007年 11月 3日(土)22:43:53【1】Issie さん
Re:都道府県
[62368] グリグリ さん
過去記事にあるのかも知れませんが(記憶にはありません)、

ずっと前にあったかもしれませんね。
「地方行政官庁」を並列する際の呼称,という意味でなら,
「府県制」が「道府県制」と改称され,それまで北海道(という名前の地方)における自治体の法人としての呼称であった「北海道地方費」がこの改正法律の附則によって「道」と呼ばれることになった1946年9月,あるいは「地方自治法」施行に際して「北海道庁官制」が廃止されて地方官庁としての「北海道庁」が地方自治体としての「北海道」にかわった1947年5月3日,といえるのかもしれません。

「都道府県」に至る流れをおさらいすると…

1)初めに「府藩県」という呼称が成立した。
・王政復古によって成立した明治新政府は,慶応4(明治元)年閏4月21日(太陽暦1868年6月11日)に 政体書 を発し,地方官庁として「府,藩,県」を置くこととした。府→藩→県 というのは,政体書の第12条「官職」に記載されている順番。
「府」と「県」は明治政府の直轄地に置かれる。当初,「府」は(江戸)町奉行や遠国奉行の支配地など各地に設置されたが,明治2年7月17日(太陽暦1869年8月18日)の布告により,京都・東京・大阪の3府に限定される。この措置から「府」が「県」よりも上位であることが推察される。
「藩」は,大名改め“諸侯”の支配地。明治2年6月17日の 版籍奉還 により,諸侯は天皇(政府)により任命される地方長官,すなわち「知藩事」とされ,「藩」が正式な地方行政官庁となる。
この地方制度を「府藩県三治制」と呼ぶ。

2)廃藩置県 (明治4年7月14日;太陽暦1871年8月29日)により「藩」が廃止。地方行政官庁として「府」「県」が残る。

3)1886年1月,北海道3県(札幌・函館・根室)が廃止されて,「北海道庁」が設置される。以後,地方官庁を並列する際には「庁府県」という呼称が用いられるようになる。

4)1943年7月に「東京都制」が施行されて「東京都」が設置,地方官庁の首位に置かれる。

5)1946年9月に「府県制」の改正に際して「北海道会法」と「北海道地方費法」が廃止されて「府県制」に統合される(同法は「道府県制」と改称)。
・なお,この府県制改正は,それまで“官選”であった知事・長官(東京都,北海道庁)を住民による直接選挙による“公選制”とすることが主たる目的であった。東京都と北海道の住民が1947年4月5日の「第1回統一地方選挙」で選んだのは「知事」ではなく「長官」である。

6)1947年5月3日,新憲法および地方自治法施行により,「道府県制」「東京都制」が廃止。「東京都」も「北海道(庁)」も各府県も等しく 地方自治法 による自治体(普通地方公共団体)となる。

「北海道開拓使」ないし「開拓使」が置かれていた時期には「使府県」という呼称が行われていたような気がしないのでもないのですが,確認していません。
また,地方官庁として並列する場合には「庁府県」ですが,「道府県」という呼称も「北海道庁」存在時にも行われていたかもしれません。これも未確認です。

当たり前のことですが,少なくとも「都道府県」の4つがそろう1943年7月1日以前ではないことだけは,確かですね。
順番は…,結局は“過去の歴史の蓄積”ということなのでしょうかね。「庁府県」なのは,どうも 北海道庁 が他の一般府県よりも上位に置かれていたせいであるようです。たとえば,俸給の面でも 北海道庁長官 の方が 府県知事 よりも高給でした。逆に言えば,「東京府知事」の地位はそれほど高くなかったのですね。
でも,東京都が設置されると,他の府県知事や北海道庁長官が「勅任官」(天皇の命令で任命する)とされたのに対して,「東京都長官」は 内閣総理大臣 などと同じ「親任官」(天皇が直接任命する)とワンランク上に位置づけられていました。
だから“長官”(知事を含む)のランクから言えば,都→道→府→県 という順番なのでしょうね。
(この部分,百瀬隆『事典 昭和戦前期の日本 制度と実態』1990年,吉川弘文館 を参照)
[62384] 2007年 11月 4日(日)17:34:28むっくん さん
小倉町
[55501][59280]88さん

福岡県市町村合併史(1962、編集・発行:福岡県)pp.30-39に明治22年4月1日に成立した小倉町の関係法令が載っていましたので紹介します。
(福岡県令)
県令第四十三号
本年四月一日ヨリ町村ノ区域名称及町村役場、別冊之通相定メ、内務大臣ノ指揮ニ依リ、明治二十一年法律第一号町村制ヲ施行ス
(中略)
企救郡
小倉町(小倉米町) 小倉町 長浜浦 平松浦
(略)
とのことでした。
とりあえずは、町村制施行時の合併前後については小倉町の議論の結論が出たようです。

町村制施行以前はokiさんが[58922]前半分で書かれていたことがおそらく真実ではないかと私は推察しています。

以上、御報告まで。
[62391] 2007年 11月 4日(日)23:10:2888 さん
鳥取市・久米郡倉吉町・企救郡小倉町の成立等について
[62287][62371][62384] むっくん さん
詳細な調査、投稿ありがとうございます。

(1)久米郡倉吉町について([62287][62371])
「倉吉町の中に東町等」(町が二段階ある)というのは、私も理解しにくいです。むっくんさんの
郡区町村編制法の下で行政機構は、府県―郡区―町村という三段階で例外なく成り立っていたと考えられる
に同感です。郡区町村編制法は、制度自体は成熟したものだと思われます。何らかの考え方で、「倉吉町が神坂村・余戸谷村を合併した」という件が整理できれば、「東町等の25町がM22.10.1に合併して久米郡倉吉町が発足」と考えることには私も異議ありません。
「地方行政区画便覧」の巻頭に「例言」があり、同書で「倉吉葵町」等と、「倉吉」を小さい文字で記載していることについての説明があります。(原文は旧字体)
数町村ニシテ一ノ総称ヲ冠スルモノ(神奈川県武蔵国南多摩郡八王子八幡町同横山町ノ類)ハ総称ヲ其町村名ノ傍ニ細記ス然レモ東京(十五区)京都(二区)及横浜、長崎(一区)ノ如キハ其総称ヲ略ス但神戸区(神戸兵庫ヲ含ム)福岡区(福岡博多ヲ含ム)ノ如キ一区分レテ二総称ヲ有スル者ハ特ニ之ヲ別記ス
「数町村にして」と明記しているように、倉吉各町はやはり、個々の25町と見るのが自然でしょう。むっくんさんの解釈
自治体数としては25であったが、実態は1つの町と人々には見られていた
にも、同感です。全国の城下町などの多くは、同じような実態でしょう。京都の上京区・下京区をあわせた「京都市」の類のものがなかったのもよく似た話でしょうか。むっくんさんの仮説はかなり的を得ていると思います。どうしても文献間の矛盾がある以上、仮設も苦しいのだとは思いますが、全国の他の町村でも同様な例が数多くあると推測され、今後の全国展開に向けてもとても参考になりました。ありがとうございました。

(2)企救郡小倉町について([62384])
福岡県についても、市制町村制の告示(県令)を発見していただき、ありがとうございます。これを見ると、
町村制施行以前はokiさんが[58922]前半分で書かれていたことがおそらく真実ではないかと私は推察しています。
に同感です。
つまり、okiさんのご紹介のように、M8(1875)年の地租改正の際に小倉の室町等25町は「小倉町」となり、M14(1871)の「郡区町村一覧」やM20(1877)の「地方行政区画便覧」では通称の室町等がそのまま記載されてしまったものの、市制町村制時の県令第四十三号では正しく「小倉町 長浜浦 平松浦」が合併して、市制町村制は「企救郡小倉町」となった、と判断します。
なお、「幕末以降・・・」では、M8の「小倉町」となった経緯の記載はないものの、M22の市制町村制は「小倉町 長浜浦 平松浦」の合併と県令どおりの記述となっています。

(3) (1)(2)の総括について
[62287][62384]では、原本ではないもののそれを転載した鳥取県令・福岡県令をご紹介いただいたので、何よりもこれが根拠だと思っています。文献作成時の転載ミスの可能性は皆無ではないのですが、鳥取市久米郡倉吉町ともに、ご紹介のとおりに修正しました(順序、町名とも)。小倉町はまだその入力に至っておりませんので、その際に対応します。
ほんとは「市制町村制の施行は県令によりその効力が生じる」旨の規定どこかにあれば間違いないのですが、「市制町村制」の本文にない以上、これ以上の調査は非常に困難なので諦めています。それにしても、遂に明治22年の県令をもとに議論できることは、とても満足しています。
今後も必要に応じ、「幕末以降・・・」を当面の資料としながら、随時「地方行政区画便覧」「郡区町村一覧」、究極は県令(告示等)を確認したいと思います。
それにしても、「鳥取県令第九拾四号」(明治二十二年九月二十二日)「(香川)県令第八拾四号」(明治二十二年十二月二十八日)、「(福岡)県令第四十三号」と、「県令」が続いています。ここでいう「県令」とは、県知事に相当する「県令」とは明らかに異なりますから、県の「指令(または命令)」という意味なのでしょうね。

(4)その他 郡名の遺漏修正について
[62108] むっくん さん でご指摘のあった、郡名の遺漏についても修正しました。上記の鳥取市久米郡倉吉町の他にも、岐阜市厚見郡西加納町厚見郡東加納町渥美郡豊橋町徳島市松山市越智郡今治町北宇和郡宇和島町北宇和郡吉田町高松市那珂郡丸亀町を修正(郡名を補記)しました。
[62504] 2007年 11月 13日(火)19:00:24【5】むっくん さん
市制町村制施行時の内務省告示と県令
[62391]88さん
「市制町村制の施行は県令によりその効力が生じる」旨の規定どこかにあれば間違いないのですが、「市制町村制」の本文にない以上、これ以上の調査は非常に困難なので諦めています。
私は拙稿[62395]で「県令」の法的位置づけを解明出来るのではないかと書いたように、まだ諦めたわけではありません。ということで、少し私も調べてみました。

まずは88さんと同様に法律にあたってみました。
現行の地方自治法では第7条第8項で告示によって効力が生じると書かれています。ところが市制(明治21年法律第1号)町村制(明治21年法律第1号)及び明治21年法律第1号が全面改正された市制(明治44年法律第68号)町村制(明治44年法律第69号)では、告示・県令についての言及は一切されていません。これは88さんが書かれている通りでした。
#本稿最終部に上記法律の廃置分合等に関連する部分を抜き出しておきましたので御参照ください。

次に、市制(明治21年法律第1号)と市制(明治44年法律第68号)、町村制(明治21年法律第1号)と町村制(明治44年法律第69号)では廃置分合等に伴う規定は実質変わっていないことに着目しました。88さんも御承知のことと思われますが、地方自治法施行以前の市制(明治44年法律第68号)による市制施行等に関しては内務省による告示がなされます。となれば、明治21年法律第1号による市制町村制の場合でも、市制を施行した地域においては内務省告示があるものと推測できます。

そこで法令全書を見てみますと、[第32冊]明治22年のp321p343p401p432に明治21年法律第1号による市制施行に伴う内務省告示が記載されていました。以下に紹介します。
#旧字体は新字体に改めました。

○内務省告示第一号
明治二十一年法律第一号市制第百二十六条ニ拠リ市制施行地左ノ通指定ス
明治二十二年二月二日 内務大臣伯爵 松方正義
市制施行地
東京府管下東京
京都府管下京都
大阪府管下大阪
神奈川県管下横浜
兵庫県管下神戸姫路
長崎県管下長崎
新潟県管下新潟
茨城県管下水戸
三重県管下
愛知県管下名古屋
静岡県管下静岡
宮城県管下仙台
岩手県管下盛岡
青森県管下弘前
山形県管下山形米沢
秋田県管下秋田
福井県管下福井
石川県管下金沢
富山県管下富山高岡
島根県管下松江
岡山県管下岡山
広島県管下広島
山口県管下赤間関
和歌山県管下和歌山
徳島県管下徳島
香川県管下高松
愛媛県管下松山
高知県管下高知
福岡県管下福岡久留米
熊本県管下熊本
鹿児島県管下鹿児島

○内務省告示第十号
明治二十一年法律第一号市制第百二十六条ニ拠リ佐賀県管下佐賀ヲ市制施行地ニ指定ス
明治二十二年三月十八日 内務大臣伯爵 松方正義

○内務省告示第十八号
明治二十一年法律第一号市制第百二十六条ニ拠リ岐阜県管下岐阜山梨県管下甲府ヲ市制施行地ニ指定ス
明治二十二年六月十日 内務大臣伯爵 松方正義

○内務省告示第二十四号
明治二十一年法律第一号市制第百二十六条ニ拠リ鳥取県管下鳥取ヲ市制施行地ニ指定ス
明治二十二年九月十一日 内務大臣伯爵 松方正義


これらの内務省告示を見つける手がかりとなったのが金沢市例規集市制の施行での
○市制の施行
明治22年2月2日内務省告示第1号で市制施行地を金沢に指定し、同年3月8日石川県知事は県令第23号により同年4月1日から市制を金沢に施行する。
との記載でした。おそらく鳥取市での内務省告示第二十四号(M22.9.11)(上述)と鳥取県令第九拾四号(M22.9.22)([62287]参照)でも同様の関係が成り立ったと思えます。

さて、市制町村制の施行に伴う流れは市制(明治21年法律第1号)町村制(明治21年法律第1号)の条文から、府県内における区町村の廃置分合の取りまとめ案の作成→府県が案を内務省に提出→内務大臣による府県宛の許可→市制町村制の施行ということであったものと考えられます。

そして法的根拠ですが、市制町村施行での根拠となるのはおそらく内務大臣による府県宛の許可で、市制施行地域の場合は内務省告示がこれにあたり、県令は単に県民に周知するという意味合いしか持たなかったものと私は推測しますがいかがでしょうか。

#拙稿[62395]のコメント文で
[62385]hmtさんが書かれている日本法令索引(明治前期編) や日本法令索引の何らかの文書に載っていないかな。
と書きましたが内務省告示が載っていました。

#なお、[62385]hmtさんによる詳しい法令全書の解説がなければ本稿は書けませんでした。御礼申し上げます。
#また、法令全書においては索引>詔書>皇室令>法律>予算>勅令>省令>訓令>達>告示>指令という順番なのではないでしょうか。本稿を書くに当たっては明治21年,22年,44年の一部箇所しか見ていないので、まだ見落としがある可能性もかなり高いですが、ご参考までに。

―――――――――――――――――――――――――
この議論に関連した法律の抄録です。
#旧字体は新字体に改めました。第○項を示すアラビア数字の一部はむっくんが追加したものです。

市制(明治21年4月25日法律第1号)
第一条 此法律ハ市街地ニシテ郡ノ区域ニ属セス別ニ市ト為スノ地ニ施行スルモノトス
第三条 凡市ハ従来ノ区域ヲ存シテ之ヲ変更セス但将来共変更ヲ要スルコトアルトキハ此法律ニ準拠ス可シ
第四条 市ノ境界ヲ変更シ又ハ町村ヲ市ニ合併シ及市ノ区域ヲ分割スルコトアルトキハ町村制第四条ヲ適用ス
第百二十六条 此法律ハ明治二十二年四月一日ヨリ地方ノ状況ヲ裁酌シ府県知事ノ具申ニ依リ内務大臣指定スル地ニ之ヲ施行ス
第百三十三条 内務大臣ハ此法律実行ノ責ニ任シ之カ為メ必要ナル命令及訓令ヲ発布ス可シ
町村制(明治21年4月25日法律第1号)
第一条 此法律ハ市制ヲ施行スル地ヲ除キ総テ町村ニ施行スルモノトス
第三条 凡町村ハ従来ノ区域ヲ存シテ之ヲ変更セス但将来共変更ヲ要スルコトアルトキハ此法律ニ準拠ス可シ
第四条 町村ノ廃置分合ヲ要スルトキハ関係アル市町村会及郡参事会ノ意見ヲ聞キ府県参事会之ヲ議決シ内務大臣ノ許可ヲ受ク可シ
2 (略)
3 (略)
4 (略)
第百三十七条 此法律ハ明治二十二年四月一日ヨリ地方ノ状況ヲ裁酌シ府県知事ノ具申ニ依リ内務大臣ノ指揮ヲ以テ之ヲ施行ス可シ
第百三十九条 内務大臣ハ此法律実行ノ責ニ任シ之カ為メ必要ナル命令及訓令ヲ発布ス可シ
市制町村制理由が参照として市制町村制の法律の後に記載されています。

市制(明治44年4月7日法律第68号)(明治21年法律第1号の全部改正)
第一条 市ハ従来ノ区域ニ依ル
第三条 市ノ廃置分合ヲ為サムトスルトキハ関係アル市町村会及府県参事会ノ意見ヲ徴シテ内務大臣之ヲ定ム
2 (略)
第四条 市ノ境界変更ヲ為サムトスルトキハ府県知事ハ関係アル市町村会ノ意見ヲ徴シ府県参事会ノ議決ヲ経内務大臣ノ許可ヲ得テ之ヲ定ム所属未定地ヲ市ノ区域ニ編入セムトスルトキ亦同シ
2 (略)
町村制(明治44年4月7日法律第69号)(明治21年法律第1号の全部改正)
第一条 町村ハ従来ノ区域ニ依ル
第三条 町村ノ廃置分合又ハ境界変更ヲ為サムトスルトキハ府県知事ハ関係アル市町村会ノ意見ヲ徴シ府県参事会ノ議決ヲ経内務大臣ノ許可ヲ得テ之ヲ定ム所属未定地ヲ町村ノ区域ニ編入セムトスルトキ亦同シ
2 (略)
3 第一項ノ場合ニ於テ市ノ廃置分合ヲ伴フトキハ市制第三条ノ規定ニ依ル
第五条 町村ノ名称ヲ変更シ又ハ村ヲ町ト為シ若ハ町ヲ村ト為サムトスルトキハ町村ハ内務大臣ノ許可ヲ受クヘシ
2 (略)

地方自治法(昭和22年4月17日法律第67号)
第七条  市町村の廃置分合又は市町村の境界変更は、関係市町村の申請に基き、都道府県知事が当該都道府県の議会の議決を経てこれを定め、直ちにその旨を総務大臣に届け出なければならない。
2  前項の規定により市の廃置分合をしようとするときは、都道府県知事は、あらかじめ総務大臣に協議し、その同意を得なければならない。
3  都道府県の境界にわたる市町村の設置を伴う市町村の廃置分合又は市町村の境界の変更は、関係のある普通地方公共団体の申請に基づき、総務大臣がこれを定める。
4  前項の規定により都道府県の境界にわたる市町村の設置の処分を行う場合においては、当該市町村の属すべき都道府県について、関係のある普通地方公共団体の申請に基づき、総務大臣が当該処分と併せてこれを定める。
7  第一項の規定による届出を受理したとき、又は第三項若しくは第四項の規定による処分をしたときは、総務大臣は、直ちにその旨を告示するとともに、これを国の関係行政機関の長に通知しなければならない。
8  第一項、第三項又は第四項の規定による処分は、前項の規定による告示によりその効力を生ずる。

―――――――――――――――――――――――――
(おまけ)
明治31年に市制施行した大津市の場合
#郡制の廃置分合における規定も記しました

○内務省告示第七十号
明治二十三年法律第三十六号郡制第二条ニ依リ明治三十一年十月一日ヨリ滋賀県滋賀郡大津町ヲ市ト為ス
明治三十一年七月二十七日 内務大臣伯爵 板垣退助
(法令全書[第64冊]明治31年p229より引用)

郡制(明治23年5月17日法律第36号)
第二条 郡内ノ町村ヲ変シテ市ト為シ若ハ市ヲ変シテ郡内ノ町村ト為スハ其市会町村会ノ申請ニ依リ内務大臣之ヲ定ム


大正13年に市制施行した別府市の場合

○市制施行ノ件
大正13年3月28日
内務告示第157号
明治44年法律第68号市制第3条及同年法律第69号町村制第3条ニ依リ大正13年4月1日ヨリ大分県速見郡別府町ヲ廃シ其区域ヲ以テ別府市ヲ置ク

大正13年4月1日
大分県令第12号
元別府町ニ属スル財産ハ全部之ヲ別府市ニ帰属セシム本令ハ公布ノ日ヨリ之ヲ施行ス
(別府市例規集市制施行ノ件より引用)

【1】明治31年に市制施行した大津市の内務省告示及び、その関連法律「郡制」をおまけとして追記。
【2】内務省告示中の旧字体を新字体に変更。リンクミスを訂正。
【3】内務省告示と県令の関係を全面修正。(12:05)
【4】【5】誤字訂正
[62660] 2007年 11月 25日(日)12:08:5988 さん
明治時代の市制施行の検証について
[62504] むっくん さん
遅くなりました。ある程度整理ができたので、第一弾として投稿します。(大正・昭和初期の内務省告示等が容易に確認できれば、第二弾として書きやすいのですが・・・・・。)

市制町村制の前に、まずは地方自治法での規定をおさらいしておきます。[55225] 拙稿でも述べたように、地方自治法では合併・改称などの根拠は、詳細は[55225]を見ていただくとして、・・・改称は条例、その他は総務省告示で効力が発生します。改称は総務省告示はなされますが、周知に過ぎません。編入等も都道府県告示等は現実にはありますが、直接の効果はありません。
例として、H16.10.16付けでの常陸大宮市の発足を紹介します(抜粋)。3本の総務省告示(平成16年7月9日付け総務省告示第524号~526号)があるのですが、これを見比べるとわかります。
○編入
・・・東茨城郡御前山村、那珂郡山方町、同郡美和村及び同郡緒川村を廃し、それらの区域を同郡大宮町に編入する旨、茨城県知事から『届出』があったので、同条第六項の規定に基づき、告示する。
 右の処分は、平成十六年十月十六日からその効力を生ずるものとする。
○改称
・・・第三条第三項の規定により、平成十六年十月十六日から茨城県那珂郡大宮町の名称を常陸大宮町に変更する旨、同条第六項の規定により、茨城県知事から『通知』があったので、同条第七項の規定に基づき、告示する。
○市制
・・・第八条第三項の規定により、那珂郡常陸大宮町を常陸大宮市とする旨、茨城県知事から『届出』があったので、同項の規定に基づき、告示する。
 右の処分は、平成十六年十月十六日からその効力を生ずるものとする。
『 』の記号は引用者が補記しました。このとおり知事から総務大臣へ行為の表現は、改称は「通知」(総務大臣が口を挟む余地がない)、編入及び市制は「届出」(最終権限は総務大臣にある)ことが伺えます。
ちなみに、改称の正式な根拠は、上記総務省告示ではなく、大宮町の名称変更に関する条例です。
大宮町の名称変更に関する条例
平成16年3月29日
条例第7号
本町の名称「大宮町」を「常陸大宮町」と変更する。
附 則
この条例は,地方自治法(昭和22年法律第67号)第7条第1項の規定により,那珂郡大宮町が同郡山方町,同郡美和村,同郡緒川村及び東茨城郡御前山村を編入する日から施行する。

―――――――――――――――――――――――――
(1)郡区町村編制法から市制町村制への切り替えで市制施行した40市
さて、前置きが長くなりました。市制町村制です。
まずはM21公布の市制町村制です。施行はM22.4.1以降各府県ごとに順次行われ、M23.2.15の香川県が45番目で最後でした(北海道及び沖縄県を除く、以下同様に45府県での議論とする)。郡区町村編制法からの切り替えである「市制町村制」の実施と、市制町村制実施後の町→市や村→町は、異なる考え方をした方がよさそうです。
まず、[58627] 拙稿を抜粋します。
年月日事項
M22(1889).4.1市制・町村制施行(35府県)26府県(31市(*1))、9県(市なし)
M22(1889).5.1市制・町村制施行(2府県)東京府(東京市)、宮崎県(市なし)
M22(1889).6.1市制・町村制施行(1県)岡山県(岡山市)
M22(1889).7.1市制・町村制施行(2県)山梨県(甲府市)、岐阜県(岐阜市)
M22(1889).10.1市制・町村制施行(3県)愛知県(名古屋市)、鳥取県(鳥取市)、徳島県(徳島市)
M22(1889).12.15市制・町村制施行(1県)愛媛県(松山市)
M23(1890).2.15市制・町村制施行(1県)香川県(高松市)
(*1)31市
京都市,大阪市,堺市,横浜市,神戸市,姫路市,長崎市,新潟市,水戸市,津市,静岡市,仙台市,盛岡市,弘前市,山形市,米沢市,秋田市,福井市,金沢市,富山市,高岡市,松江市,広島市,赤間関市,和歌山市,高知市,福岡市,久留米市,熊本市,鹿児島市,佐賀市

このように、M21.4.25法律第1号市制(旧字体は新字体に置き換え、項番号追加、以下同じ)の
第百二十六条 此法律ハ明治二十二年四月一日ヨリ地方ノ情況ヲ裁酌シ府県知事ノ具申ニ依リ内務大臣指定スル地ニ之ヲ施行ス
のように、繰り返しになりますが全国一斉ではなく、各府県ごとに順次、市になるところには市制、その他の町村には町村制を、従来の郡区町村編制法に代えて導入していきました。このため、M22.4.1からM23.2.15までの間は、郡区町村編制法による区町村と、市制町村制による市町村が(各府県内では統一されていますが)全国で見ると混在していました。
M22.2.2内務省告示第1号では、市制施行地として36市が指定されていますが([62504] むっくんさん参照)、実際の市制施行日は、上記のとおりM22.4.1が多いものの何回にも分かれて施行しています。また、[62504] むっくんさんでもご紹介のあった佐賀市,岐阜市,甲府市,鳥取市の4市は、前述の36市とあわせて、「(郡区町村編制法から)市制町村制の施行時に生まれた市(町村制による町村を経ていない)」(40市)です。
また、市制町村制施行日が各府県ごとに異なるため告示を簡便にしたのか、そもそも本当に内務省告示の段階では施行日が未定であったのかは不明ですが、内務省告示では市制施行地のみを指定し、市制施行日についてはその府県内の町村制施行日とあわせて府県令で明示する手続きを行っています。もっとも、内務省告示を工夫する手法もあったとは思いますが(例えば施行日だけを後から告示する等)、何故かこのような内務省告示と府県令の二本立てになっています。府県令の位置づけについて規定がないのはこれまでも述べてきたとおりです。
なお、M21.4.25法律第1号町村制でも、
第百三十七条 此法律ハ明治二十二年四月一日ヨリ地方ノ情況ヲ裁酌シ府県知事ノ具申ニ依リ内務大臣ノ指導ヲ以テ之ヲ施行ス可シ
となっています。

(2)郡制第2条による市制施行した6市、郡制未施行のため市制第126条による市制施行した5市
一方、[62504] むっくんさんでご紹介のあった大津市は、これら40市とは異なります。
大津市は郡区町村編制法からM22.4.1に町村制による滋賀郡大津町となりました。そして、上記の40市のような市制第126条ではなく、M23.5.17法律第36号郡制
第二条 郡内ノ町村ヲ変シテ市ト為シ若ハ市ヲ変シテ郡内ノ町村ト為スハ其市町村会ノ申請ニ依リ内務大臣之ヲ定ム
を根拠として、市制を施行しました。
明治期の市制施行は、前述の40市以降はM25.4.1の前橋市からM44.9.1の高田市まで、大津市を含めて24市あります。大津市のように郡制第2条を根拠としての市制施行は6市(長野市、奈良市、青森市、大津市、若松市(福島県)、門司市)しかなく、他の18市は当初市制施行の40市と同様、市制第126条を根拠とした市制施行でした。
郡制の施行日は、
第八十九条 此法律ハ町村ヲ施行シタル各府県ニ施行スルモノトス其施行ノ時期ハ府県知事ノ具申ニ依リ内務大臣之ヲ定ム
のとおり、これも市制町村制と同様に府県まちまちでした。郡制はM32.3.16法律第65号の(新)郡制で全面改正されるのですが、このときにまだ改正前の郡制を施行されていないところが5府県(東京府、神奈川県、京都府、広島県、香川県)あるほど、郡制施行は遅れました。この遅れの結果、5市(前橋市、宇都宮市、四日市市、尾道市、丸亀市)では(旧)郡制第2条の規定が使えず、やむを得ず市制第126条の規定を根拠として町村からの市制施行を実施するしかなかった、と推測します。この市制の第126条は、町村制第137条と対をなし、どう見ても郡区町村編制法からの切り替えを想定しているようにしか見えません。(旧)郡制を施行していない状況で、市制第126条を根拠としての市制施行は、「規定漏れによる苦し紛れ」としか思えない市制施行だと思います。もっとも、内務省からしてみれば、(旧)郡制の施行が遅れたのが想定外であったのでしょう。(旧)郡制の施行には従来の郡の再編が前提となっており、その郡の再編は法律を伴うのですが、[58745] 拙稿でも述べたように反対も多くなかなか法律が成立せず、再編が遅れた結果、郡制の施行も遅れたことが大きな要因であろうと推測します。

(3)(新)郡制施行後、市制第126条による市制施行した13市
(新)郡制の施行日は、
第百二十条 此ノ法律ハ明治二十三年法律第三十六号郡制ヲ施行シタル府県ニハ明治三十二年七月一日ヨリ之ヲ施行シ其ノ他ノ府県ニ関スル施行ノ時期ハ府県知事ノ具申ニ依リ内務大臣之ヲ定ム
で、(旧)郡制施行済みの府県はM32.7.1から、未実施のところは個々に決定、とありますが、実際には未実施の5府県も同じくM32.7.1から施行されました。この(新)郡制には、(旧)郡制の第2条のような規定が何故か存在しません。このため、(新)郡制施行後(明治末までではM33.7.1の小倉市以降の13市)はすべて市制第126条を根拠として市制施行されました。先ほどの郡制を施行していない町村からの市制施行18市と同様、根拠規定としては苦しいのを承知で市制施行を行ったのではないでしょうか。

M44.4.7法律第68号市制、M44.4.7法律第69号町村制により、従来の市制・町村制は全面改正されました。この(新)市制、(新)町村制は、M44.9.22勅令第238号により、M44.10.1から施行されました。
M44.4.7法律第68号市制((新)市制)
第三条 市ノ廃置分合ヲ為サムトスルトキハ関係アル市町村会及府県参事会ノ意見ヲ徴シテ内務大臣之ヲ定ム
M44.4.7法律第69号町村制((新)町村制)
第三条 町村ノ廃置分合又ハ境界変更ヲ為サムトスルトキハ府県知事ハ関係アル市町村会ノ意見ヲ徴シテ府県参事会ノ議決ヲ経内務大臣ノ許可ヲ得テ之ヲ定ム所属未定地ヲ町村ノ区域ニ編入セムトスルトキ亦同シ
3 第一項ノ場合ニ於テ市ノ廃置分合ヲ伴フトキハ市制第三条ノ規定ニ依ル
と、前述の規定漏れとも思える市制の手続きについて、(新)市制・(新)町村制の中できちんと規定を設けています。

この(新)市制、(新)町村制以降の市制については、大正・昭和初期の内務省告示等を確認できていませんので、後日とします。

※参考条文のまとめや64市の市制施行に関する資料は別稿とします。
拙稿「明治初期 地方自治制度の変遷について」もご参照ください。
[62661] 2007年 11月 25日(日)12:09:02【2】88 さん
明治時代の市制施行一覧について(根拠法抜粋付き)
[62660]拙稿で検証の対象とした、明治期に市制施行した64市の一覧を示します。
市制施行内務省告示その府県における
番号年月日市名年月日番号根拠法の表現郡制施行年月日
1M22.4.1京都市M22.2.2内務省告示第1号市制第126条(*1)
2M22.4.1大阪市M22.2.2内務省告示第1号市制第126条(*1)
3M22.4.1堺市M22.2.2内務省告示第1号市制第126条(*1)
4M22.4.1横浜市M22.2.2内務省告示第1号市制第126条(*1)
5M22.4.1神戸市M22.2.2内務省告示第1号市制第126条(*1)
6M22.4.1姫路市M22.2.2内務省告示第1号市制第126条(*1)
7M22.4.1長崎市M22.2.2内務省告示第1号市制第126条(*1)
8M22.4.1新潟市M22.2.2内務省告示第1号市制第126条(*1)
9M22.4.1水戸市M22.2.2内務省告示第1号市制第126条(*1)
10M22.4.1津市M22.2.2内務省告示第1号市制第126条(*1)
11M22.4.1静岡市M22.2.2内務省告示第1号市制第126条(*1)
12M22.4.1仙台市M22.2.2内務省告示第1号市制第126条(*1)
13M22.4.1盛岡市M22.2.2内務省告示第1号市制第126条(*1)
14M22.4.1弘前市M22.2.2内務省告示第1号市制第126条(*1)
15M22.4.1山形市M22.2.2内務省告示第1号市制第126条(*1)
16M22.4.1米沢市M22.2.2内務省告示第1号市制第126条(*1)
17M22.4.1秋田市M22.2.2内務省告示第1号市制第126条(*1)
18M22.4.1福井市M22.2.2内務省告示第1号市制第126条(*1)
19M22.4.1金沢市M22.2.2内務省告示第1号市制第126条(*1)
20M22.4.1富山市M22.2.2内務省告示第1号市制第126条(*1)
21M22.4.1高岡市M22.2.2内務省告示第1号市制第126条(*1)
22M22.4.1松江市M22.2.2内務省告示第1号市制第126条(*1)
23M22.4.1広島市M22.2.2内務省告示第1号市制第126条(*1)
24M22.4.1赤間関市M22.2.2内務省告示第1号市制第126条(*1)
25M22.4.1和歌山市M22.2.2内務省告示第1号市制第126条(*1)
26M22.4.1高知市M22.2.2内務省告示第1号市制第126条(*1)
27M22.4.1福岡市M22.2.2内務省告示第1号市制第126条(*1)
28M22.4.1久留米市M22.2.2内務省告示第1号市制第126条(*1)
29M22.4.1熊本市M22.2.2内務省告示第1号市制第126条(*1)
30M22.4.1鹿児島市M22.2.2内務省告示第1号市制第126条(*1)
31M22.4.1佐賀市M22.3.18内務省告示第10号市制第126条(*1)
32M22.5.1東京市M22.2.2内務省告示第1号市制第126条(*1)
33M22.6.1岡山市M22.2.2内務省告示第1号市制第126条(*1)
34M22.7.1岐阜市M22.6.10内務省告示第18号市制第126条(*1)
35M22.7.1甲府市M22.6.10内務省告示第18号市制第126条(*1)
36M22.10.1名古屋市M22.2.2内務省告示第1号市制第126条(*1)
37M22.10.1徳島市M22.2.2内務省告示第1号市制第126条(*1)
38M22.10.1鳥取市M22.9.11内務省告示第24号市制第126条(*1)
39M22.12.15松山市M22.2.2内務省告示第1号市制第126条(*1)
40M23.2.15高松市M22.2.2内務省告示第1号市制第126条(*1)
41M25.4.1前橋市M24.10.9内務省告示第49号市制第126条(*2)M29.7.15
42M29.4.1宇都宮市M29.3.2内務省告示第28号市制第126条(*2)M30.7.1
43M30.4.1長野市M30.3.8内務省告示第21号郡制第2条(*3)M24.4.1
44M30.8.1四日市市M30.7.6内務省告示第48号市制第126条(*2)M30.9.1
45M31.2.1奈良市M31.1.20内務省告示第3号郡制第2条(*3)M30.8.1
46M31.4.1尾道市M31.2.12内務省告示第11号市制第126条(*2)M32.7.1
47M31.4.1青森市M31.2.19内務省告示第13号郡制第2条(*3)M24.4.1
48M31.10.1大津市M31.7.27内務省告示第70号郡制第2条(*3)M31.4.1
49M32.4.1若松市(福島県)M31.9.24内務省告示第95号郡制第2条(*3)M30.10.1
50M32.4.1丸亀市M31.12.6内務省告示第124号市制第126条(*2)M32.7.1
51M32.4.1門司市M31.12.28内務省告示第135号郡制第2条(*3)M29.7.1(注)
(新)郡制施行M32.7.1
52M33.4.1小倉市M33.3.1内務省告示第15号市制第126条(*4)M29.7.1,M32.7.1(注)
53M33.4.1高崎市M33.3.1内務省告示第16号市制第126条(*4)M32.7.1
54M35.4.1佐世保市M35.3.19内務省告示第15号市制第126条(*4)M32.7.1
M35.6.1(下関市)(赤間関市から改称)
55M35.10.1呉市M35.9.1内務省告示第63号市制第126条(*4)M32.7.1
56M39.4.1長岡市M39.3.30内務省告示第32号市制第126条(*4)M32.7.1
57M39.8.1豊橋市M39.7.5内務省告示第64号市制第126条(*4)M32.7.1
58M39.9.1宇治山田市M39.7.5内務省告示第63号市制第126条(*4)M32.7.1
59M40.2.15横須賀市M40.1.29内務省告示第7号市制第126条(*4)M32.7.1
60M40.4.1福島市M40.3.8内務省告示第23号市制第126条(*4)M32.7.1
61M40.5.1松本市M40.4.16内務省告示第45号市制第126条(*4)M32.7.1
62M44.4.1大分市M43.8.2内務省告示第103号市制第126条(*4)M32.7.1
63M44.7.1浜松市M44.6.13内務省告示第46号市制第126条(*4)M32.7.1
64M44.9.1高田市M44.7.13内務省告示第49号市制第126条(*4)M32.7.1
(新)市制町村制施行M44.10.1

(*1)郡区町村編制法からその府県内が一斉に市制・町村制を実施するときに、市制第126条に基づき市制施行した。
内務省告示中に市制施行日はなく、別途各府県令でその府県での市制町村制の施行日を定めている。
(*2)郡区町村編制法からその府県内が一斉に市制町村制を実施するときには町村として町村制施行した。その後、市制第126条に基づき市制施行した。
郡制がその府県では施行されていなかったため、郡制第2条による市制施行を行うことができず、やむを得ず市制第126条により市制施行したものと思われる。
内務省告示中に市制施行日の規定がある。
(*3)郡区町村編制法からその府県内が一斉に市制・町村制を実施するときには町村として町村制施行した。その後、郡制第2条に基づき市制施行した。
郡制がその府県では施行されていたため、市制第126条ではなく、本来の趣旨どおり郡制第2条に基づき市制施行した。
内務省告示中に市制施行日の規定がある。
(*4)郡区町村編制法からその府県内が一斉に市制町村制を実施するときには町村として町村制施行した。その後、市制第126条に基づき市制施行した。
(新)郡制がすでに施行されていた((新)市制町村制は施行前)ため、やむを得ず市制第126条により市制施行したものと思われる。
内務省告示中に市制施行日の規定がある。
(注)福岡県は、M29.7.1に郡制を施行した。このため、51門司市は郡制第2条(*3)によりM32.4.1に市制施行した。
その後、福岡県はM32.7.1に(新)郡制により郡制を施行した。このため、52小倉市は市制第126条(*4)によりM33.4.1に市制施行した。

なお、本調査にあたっては、IssieさんのHPの市一覧表に大変お世話になりました。このHPで、日付と告示番号がわかっているので、内務省告示を探して確認することが容易でした。この場をお借りしてお礼申し上げます。
―――――――――――――――――――――――――
[62660]拙稿に関連した、各法律を抜粋します。
M21.4.25法律第1号市制
第四条 市ノ境界ヲ変更シ又ハ町村ヲ市ニ合併シ及市ノ区域ヲ分割スルコトアルトキハ町村制第四条ヲ適用ス
第百二十六条 此法律ハ明治二十二年四月一日ヨリ地方ノ情況ヲ裁酌シ府県知事ノ具申ニ依リ内務大臣指定スル地ニ之ヲ施行ス

M21.4.25法律第1号町村制
第四条 町村ノ廃置分合ヲ要スルトキハ関係アル市町村及郡参事会ノ意見ヲ聞キ府県参事会之ヲ議決シ内務大臣ノ許可ヲ受ク可シ
第百三十七条 此法律ハ明治二十二年四月一日ヨリ地方ノ情況ヲ裁酌シ府県知事ノ具申ニ依リ内務大臣ノ指導ヲ以テ之ヲ施行ス可シ

M23.5.17法律第36号郡制
第二条 郡内ノ町村ヲ変シテ市ト為シ若ハ市ヲ変シテ郡内ノ町村ト為スハ其市町村会ノ申請ニ依リ内務大臣之ヲ定ム
第八十九条 此法律ハ町村ヲ施行シタル各府県ニ施行スルモノトス其施行ノ時期ハ府県知事ノ具申ニ依リ内務大臣之ヲ定ム

M32.3.16法律第65号郡制
第百二十条 此ノ法律ハ明治二十三年法律第三十六号郡制ヲ施行シタル府県ニハ明治三十二年七月一日ヨリ之ヲ施行シ其ノ他ノ府県ニ関スル施行ノ時期ハ府県知事ノ具申ニ依リ内務大臣之ヲ定ム
注:(旧)郡制第2条に相当する規定はなし

M44.4.7法律第68号市制
第三条 市ノ廃置分合ヲ為サムトスルトキハ関係アル市町村会及府県参事会ノ意見ヲ徴シテ内務大臣之ヲ定ム

M44.4.7法律第69号町村制
第三条 町村ノ廃置分合又ハ境界変更ヲ為サムトスルトキハ府県知事ハ関係アル市町村会ノ意見ヲ徴シテ府県参事会ノ議決ヲ経内務大臣ノ許可ヲ得テ之ヲ定ム所属未定地ヲ町村ノ区域ニ編入セムトスルトキ亦同シ
3 第一項ノ場合ニ於テ市ノ廃置分合ヲ伴フトキハ市制第三条ノ規定ニ依ル
[62662] 2007年 11月 25日(日)12:09:1888 さん
明治時代の市制町村制、郡制、府県制の施行日について
[62660][62661]拙稿に関連して、(旧)市制町村制・(新)市制町村制、(旧)郡制・(新)郡制、郡再編、(旧)府県制・(新)府県制の施行日の一覧を示します。府県制等、まだあまり触れていない話題もありますが、今後触れる機会があるでしょう。
参考資料:「地方自治百年史 第一巻」(編集:地方自治百年史編集委員会、発行:地方自治法施行四十周年・自治制公布百年記念会、発売:財団法人地方財務協会)、及び近代デジタルライブラリー(国立国会図書館)から「法令全書」です。
(旧)市制町村制(新)市制町村制(旧)郡制(新)郡制郡再編(旧)府県制(新)府県制
番号府県名施行日施行日施行日施行日施行日施行日施行日
2青森県M22.4.1M44.10.1M24.4.1M32.7.1-M24.8.1M32.7.1
3岩手県M22.4.1M44.10.1M30.4.1M32.7.1M30.4.1M30.7.1M32.7.1
4宮城県M22.4.1M44.10.1M27.4.1M32.7.1-M27.7.1M32.7.1
5秋田県M22.4.1M44.10.1M24.4.1M32.7.1-M24.8.1M32.7.1
6山形県M22.4.1M44.10.1M24.4.1M32.7.1-M24.8.1M32.7.1
7福島県M22.4.1M44.10.1M30.10.1M32.7.1M29.4.1M31.2.1M32.7.1
8茨城県M22.4.1M44.10.1M29.7.1M32.7.1M29.4.1M29.10.1M32.7.1
9栃木県M22.4.1M44.10.1M30.7.1M32.7.1M29.4.1M30.10.1M32.7.1
10群馬県M22.4.1M44.10.1M29.7.15M32.7.1M29.4.1M30.4.1M32.7.1
11埼玉県M22.4.1M44.10.1M29.8.1M32.7.1M29.4.1M30.4.1M32.7.1
12千葉県M22.4.1M44.10.1M30.4.1M32.7.1M30.4.1M30.10.1M32.7.1
13東京府M22.5.1M44.10.1-M32.7.1M29.4.1-M32.7.1
14神奈川県M22.4.1M44.10.1-M32.7.1M29.4.1-M32.7.1
15新潟県M22.4.1M44.10.1M30.1.1M32.7.1M29.4.1M30.4.1M32.7.1
16富山県M22.4.1M44.10.1M29.6.1M32.7.1M29.4.1M29.7.1M32.7.1
17石川県M22.4.1M44.10.1M24.7.1M32.7.1-M24.10.1M32.7.1
18福井県M22.4.1M44.10.1M24.4.1M32.7.1-M24.8.1M32.7.1
19山梨県M22.7.1M44.10.1M24.8.1M32.7.1-M24.10.1M32.7.1
20長野県M22.4.1M44.10.1M24.4.1M32.7.1-M24.7.1M32.7.1
21岐阜県M22.7.1M44.10.1M30.8.1M32.7.1M30.4.1M30.10.1M32.7.1
22静岡県M22.4.1M44.10.1M29.9.1M32.7.1M29.4.1M30.4.1M32.7.1
23愛知県M22.10.1M44.10.1M24.4.1M32.7.1-M25.10.1M32.7.1
24三重県M22.4.1M44.10.1M30.9.1M32.7.1M29.4.1M31.4.1M32.7.1
25滋賀県M22.4.1M44.10.1M31.4.1M32.7.1M30.4.1M31.8.1M32.7.1
26京都府M22.4.1M44.10.1-M32.7.1--M32.7.1
27大阪府M22.4.1M44.10.1M31.6.1M32.7.1M29.4.1-M32.7.1
28兵庫県M22.4.1M44.10.1M29.7.1M32.7.1M29.4.1M29.10.1M32.7.1
29奈良県M22.4.1M44.10.1M30.8.1M32.7.1M30.4.1M31.3.1M32.7.1
30和歌山県M22.4.1M44.10.1M30.9.1M32.7.1M29.4.1M31.9.1M32.7.1
31鳥取県M22.10.1M44.10.1M29.9.1M32.7.1M29.4.1M30.4.1M32.7.1
32島根県M22.4.1M44.10.1M29.8.1M32.7.1M29.4.1M31.4.1M32.7.1
33岡山県M22.6.1M44.10.1M32.4.1M32.7.1M33.4.1-M32.7.1
34広島県M22.4.1M44.10.1-M32.7.1M31.10.1-M32.7.1
35山口県M22.4.1M44.10.1M29.9.1M32.7.1M29.4.1M30.4.1M32.7.1
36徳島県M22.10.1M44.10.1M24.4.1M32.7.1-M24.9.1M32.7.1
37香川県M23.2.15M44.10.1-M32.7.1M32.4.1-M32.7.1
38愛媛県M22.12.15M44.10.1M30.4.1M32.7.1M30.4.1M30.10.1M32.7.1
39高知県M22.4.1M44.10.1M24.4.1M32.7.1-M24.9.1M32.7.1
40福岡県M22.4.1M44.10.1M29.7.1M32.7.1M29.4.1M29.10.1M32.7.1
41佐賀県M22.4.1M44.10.1M30.6.1M32.7.1M29.4.1M30.9.1M32.7.1
42長崎県M22.4.1M44.10.1M30.4.1M32.7.1M29.4.1M30.9.1M32.7.1
43熊本県M22.4.1M44.10.1M29.6.1M32.7.1M29.4.1M29.9.1M32.7.1
44大分県M22.4.1M44.10.1M24.4.1M32.7.1-M24.8.1M32.7.1
45宮崎県M22.5.1M44.10.1M30.4.1M32.7.1M29.4.1M30.9.1M32.7.1
46鹿児島県M22.4.1M44.10.1M31.4.1M32.7.1M30.4.1M31.9.1M32.7.1
[62732] 2007年 12月 1日(土)00:31:55【1】むっくん さん
Re:明治時代の市制施行の検証について
[62660][62661][62662]88さん

まずは、地方自治法の再度の説明有難うございます。以前話題となったときは私には関係ないからと思って理解もせずに斜め読みしていましたが、今回しっかりと条文構造を理解することができました。
#地方自治法の規定を理解しなければならない日が私にも来るとは個人的には想定外でした。(88さん、申し訳ありません。)

それでは本題へ。

(1)郡区町村編制法から市制町村制への切り替えで市制施行した40市
市制町村制施行日が各府県ごとに異なるため告示を簡便にしたのか、そもそも本当に内務省告示の段階では施行日が未定であったのかは不明ですが、内務省告示では市制施行地のみを指定し、市制施行日についてはその府県内の町村制施行日とあわせて府県令で明示する手続きを行っています。
このことに関連してですが、市制町村制理由(法令全書[第28冊]p63(33コマ)の最終段落1行目)に
本制は町村の分合に就て詳細なる規則を設けず各地の状況を斟酌するの余地を存するなり。
との記載があります。告示に施行日を入れたにも関わらず各府県の事情で市制町村制施行が遅れる地域が出来ると、『日本国が近代国家として認められるようにする』という国家目標に大きな汚点を残すことになる、ということで「内務省告示には施行日を記さなかった」と私は推察します。もちろん、別の考えも成り立つでしょうが。

(2)郡制第2条による市制施行した6市、郡制未施行のため市制第126条による市制施行した5市
「郡制未施行のため市制第126条による市制施行した5市」については、私も「規定漏れによる苦し紛れ」であると考えます。

(3)(新)郡制施行後、市制第126条による市制施行した13市
市制施行を行う根拠規定として、“本来は郡区町村制からの切り替えでのみ使う予定であった”市制第126条を使わざるを得なかったというのは(2)の「郡制未施行のため市制第126条による市制施行した5市」と同様で私も「苦し紛れ」であると考えます。しかしここで、『国は本来は(新)郡制では郡制施行で(旧)郡制の第2条の規定を抹消することは考えていなかったのが、不本意ながら抹消しなければならなかったためにこのような苦し紛れが生じたのではないか』との仮説を私は提起します。その結果として、本来は市制施行への根拠規定を法律中に適切に設けることは、明治44年の市制町村制の改正まで待たなければならなかったのではないかと。
以下に私の仮説を3つの部分に分けて説明します。

(a)国が市町村に望むこと
国は町村が市となることにはどのように考えていたのでしょうか。
国としては、町が市となっても何の問題はありません。市制町村制理由(第一款市町村及其区域の第1~第2段落)(法令全書[第28冊]p63(33コマ))において
市町村の区域は一方に在ては国土分画の最下級にして即国の行政区画たり。一方に在ては独立したる自治体の彊土たり。其彊土は自治体が公法上の権利を執行し義務を践行するの区域なり。
故に市町村の区域は従来の成立を存して之を変更せざるを以て原則とす。然れども町村の力貧弱にして其負担に堪へず自を独立して其本分を尽すこと能はざるものあり。是其町村の不利たるのみならず国の公益に非ざるなり。是を以て有力の町村を達成し維持するは国の利害に関する所にして町村の廃置分合若くは区域の変更等に付き国の干渉を要すること明なり。
と町村の廃置分合の方針が書かれています。町村に対しては基本的には合併等をして財政基盤のしっかりとした自治体となることを求めていたと考えられます。

(b)郡と町村との関係
次に郡は郡傘下の町村とどのような関係にあったのでしょうか。
まずは郡は郡傘下の町村があって初めて成立します。
では、そうした郡が傘下の町村が廃置分合するにあたり、どのような方針を取るでしょうか。
おそらく郡傘下の町村が合併して新町村になることは許容できても、郡傘下から外れることにつながる市になることには反対するのが基本であったと考えられます。市制施行するような町村は、当然のことながら当該郡での有力町村であることが多く、そのような町村が市となると、郡の「存在意義の低下」と「財政基盤の低下」を招くからです。
[62504]で私が挙げた大津の場合においても、当時は「自治体ではなかった」滋賀郡は大津町が市制施行するのに強硬に反対しました。(市制町村制施行前にも滋賀郡は大津が市制ではなく町制を施行するように様々な細工をし、果てには財政的に有力ではない村(明治22年で大津町となったところの一部地区(*1)のみで成立)をも作ろうとしました。)
(*1)上大谷町,中大谷町,下大谷町,今一里町,元一里町,上火打町,下火打町,北追分町,南追分町,髭茶屋町,藤尾村(参考:[57414]

(c)郡が町村に対して取った行動に対しての国の対処方法
さてここからが私の仮説の主要部です。
郡は、弱小町村から有力な自治体である市が出来る動きに対して、そのような有力な市が出来ないようになるように働きかけ、挙句の果てには郡区町村制から市制町村制への移行時の大津での「財政的に有力ではない村までも作ろう」とするというようなことまで、市制町村制の本旨に反する行動を全国各地で起こしたのではないでしょうか。(このことに関しての裏づけは全くありません。)
これを見て、国は自己も利害関係に関わっている郡に、町村の市制施行への権限を全面的に与えていると取られかねない規定があるのはまずいと考えました。そこで国は、(旧)郡制(明治23年5月17日法律第36号)ではあった
第二条 郡内ノ町村ヲ変シテ市ト為シ若ハ市ヲ変シテ郡内ノ町村ト為スハ其市町村会ノ申請ニ依リ内務大臣之ヲ定ム
との規定を(新)郡制(明治32年3月16日法律第65号)では削除し、町村が市制施行することに対して郡が関与しにくくするという意味を込めて法律を改正しました。
まとめますと、町村から財政基盤の整った市が出来ることへの過程での最大の障害は郡の反対だったので、想定外の郡の抵抗を取り除くために国は(旧)郡制(明治23年5月17日法律第36号)第二条の規定を削除するという想定外の対処をせざるを得ませんでした。
仮説は以上です。いかがでしょうか。


郡制(明治23年5月17日法律第36号)で第90条に「明治十一年七月第十七号布告郡区町村編制法其他此法律ニ抵触スル成規ハ此法律施行ノ地ニ於テ其施行ノ時期ヨリ総テ之ヲ廃止ス」と郡区町村編制法の廃止規定があるのにもかかわらず、改正郡制(明治32年3月16日法律第65号)でも第128条に「明治十一年第十七号布告郡区町村編制法其ノ他此ノ法律ニ抵触スル法規ハ此ノ法律施行ノ地ニ於テハ其ノ効力ヲ失フ」との失効規定があるのはなぜなのか、ということを疑問に思っていました。(旧)郡制が適用されることなく(新)郡制が適用された府県が存在した、ということが[62662]の表より読み取れたことで、私の疑問は氷解しました。
[62809] 2007年 12月 12日(水)00:25:58【2】むっくん さん
市制町村制施行時の府令県令
[62794]88さん
前述の「香川県公布類纂」と同様なものは各府県とも刊行しているでしょうから、近代デジタルライブラリー(国立国会図書館)を探すと、各府県の「市制町村制」の告示も発見できるのではないのでしょうか。
分類(318.1及び318)で、市制町村制施行時の府令県令を一通り探してみました。とりあえず26府県の府令県令が見つかりましたので以下に紹介します。
#88さん御紹介の「香川県公布類纂」も入っています。
#群馬県の県令については自信がありません。前後に出された別の県令かもしれません。

番号書物名府令県令番号同公布日市制町村制実施日
4現行宮城県布令全書県令第10・11号M22.2.9M22.4.1
(編・著:佐武雄平、出版:河東田寛林(仙台)、明治24年)
6現行山形県県令類編[第1冊]上県令第14号M22.2.25M22.4.1
(著・出版:山形県、明治25年)
7福島県規則類纂[第1冊]上県令甲第23号M22.3.25M22.4.1
(著・出版:福島県、明治36年)
10現行群馬県令達大全県令第19号M22.3.4M22.4.1
(著:鎗居亀太郎、出版:鎗居亀太郎等(前橋)、明治34年)
11現行埼玉県類聚法規県令甲第8号M22.3.23M22.4.1
(編:河村善長、著:河村善長,内藤泰五、出版:博聞社、明治22年)
13現行東京府布令類纂府令第26号M22.4.11M22.5.1
(著・出版:東京府、明治31年)
15現行新潟県法規類纂[第1冊]上県令甲第22号M22.3.__M22.4.1
(編・著:早川教忠、出版:北洋館(新潟)、明治22年)
16富山県法規類聚[第1冊]第1編上巻県令第38・39号M22.3.19M22.4.1
(著・出版:富山県、明治39年)
17現行石川県令類纂明治11年12月17日-22年6月石川県第一部県令第23号M22.3.8M22.4.1
(著:石川県、明治23年)
18福井県現行諸令達[第1冊]第1冊県令第18・20号:M22.2.16M22.4.1
(著・出版:福井県、明治25年)
19現行改訂山梨県令達全書[第2冊]巻1県令第40号M22.6.26M22.7.1
(編:内藤伝右衛門、出版:温故堂(甲府)、明治25年)
20長野県現行令達類聚[第1冊]上県令第17号M22.3.19M22.4.1
(著・出版:長野県、明治26年)
21岐阜県令達全書[第4冊]明治21年-28年県令第40号M22.6.27M22.7.1
(編:梶原猪之松、出版:啓文社、明治30年)
22現行静岡県令達類纂県令第20号M22.2.27M22.4.1
(著・出版:静岡県,明治32年)
24三重県令達全書[第7冊]4編県令第15号M22.3.1M22.4.1
(編・著:片山克武、出版:啓文社(岐阜)、明治24年)
25現行滋賀県布令類纂[第10冊]第5編上巻県令第15号M22.2.19M22.4.1
(編・著:田中知邦、明治24年)
28兵庫県報類纂[第2冊]明治22年県令第25号M22.2.22M22.4.1
(編:今井馬吉,山下三郎、出版:神戸活版所、明治25年)
30和歌山県令達全書[第1冊]仁県令第15・17号M22.2.22M22.4.1
(編:岩谷民蔵、出版:三宅小次郎(和歌山)、明治23年)
32現行島根県令訓類纂[第1冊]上県令第19号M22.3.9M22.4.1
(編:高橋義比,渡辺善継、出版:積慶堂(松江)、明治23年)
33岡山県布達全要[第1冊]明治22年上県令第25号M22.4.19M22.6.1
(編:正岡通、明治23年)
34現行広島県法規類纂[第1冊]上県令甲第21号M22.3.10M22.4.1
(編:下江忠次郎、明治23年)
35現行山口県達類纂[第1冊]県令第13号M22.3.3M22.4.1
(著:馬場寿槌,緒方伊介、出版:馬場寿槌(山口町)、明治24年)
37香川県公布類纂県令第84号M22.12.28M23.2.15
(編:片岡鎮太郎、出版:公報館(高松)、明治23年)
42現行長崎県達類纂県令第21・22号M22.3.5M22.4.1
(著:長崎県、出版:長崎県内務部、明治24年)
44現行類集大分県官令全書[第3冊]第3帙明治21-25年県令甲第10号M22.3.2M22.4.1
(著:浜田至誠,馬淵辰正、出版:八風堂(大分町),明治26年)
45現行宮崎県令達彙纂明治43年1月末日現在県令第15号M22.3.29M22.5.1
(著・出版:宮崎県、明治43年)

以前の鳥取県([62287])福岡県([62384])と併せると市制町村制施行時における府令県令はこれで28府県の分が出揃ったことになります。北海道と沖縄県を除いてあと17府県ですね。とは言っても、後に町村制が施行される島嶼地域という例外はありますが。

(追記)
山梨県の県令の年度は現行改訂山梨県令達全書[第2冊]巻1によると明治21年となっていますが、これは誤植で正しくは明治22年と考えられることより(*1)改めました。もしも誤植で無いとすると、山梨県内での市制町村制施行日は明治21年7月1日となり、市制(明治21年法律第1号)第126条
此法律ハ明治二十二年四月一日ヨリ地方ノ状況ヲ裁酌シ府県知事ノ具申ニ依リ内務大臣指定スル地ニ之ヲ施行ス
町村制(明治21年4月25日法律第1号)第137条
此法律ハ明治二十二年四月一日ヨリ地方ノ状況ヲ裁酌シ府県知事ノ具申ニ依リ内務大臣ノ指揮ヲ以テ之ヲ施行ス可シ
という法律の文言(1)「此法律ハ明治二十二年四月一日ヨリ」(2)「内務大臣指定スル地」<内務省告示第一号(明治22年2月2日)>に反しますから。

(*1)市制町村制施行の県令(県令40号)と市役所町村役場位置を指定する県令(県令43号)と市町村財産に関する県令(県令44号)と市制町村制施行に際しての選挙の準備をする県令(県令34号)は市制町村制施行においては不可分のもの(明治21年6月13日に内務大臣から出された訓令第352号・町村郡市区画標準・訓令第355号・356号)とされていることより。


… スポンサーリンク …


都道府県市区町村
落書き帳

パソコン表示スマホ表示