都道府県市区町村 > 落書き帳 >このページの最後へ ▼

落書き帳記事集明治初期地方自治諸制度について


記事#記事日付
記事タイトル
発言者
[59148]2007年6月16日
明治初期地方自治諸制度と、市区町村変遷情報での対応について 88



[59148] 2007 年 6 月 16 日 (土) 08:40:28【1】 88 さん
 明治初期地方自治諸制度と、市区町村変遷情報での対応について

過去の一連の私の投稿「明治初期 地方自治制度の変遷について」を受けた、取りまとめ版です。

年月日制度府県区(*1)区(*2)町村
(江戸期)行政区画自治体
M元.閏4.21府藩県三治の制
M2.1.21他版籍奉還
M4.7.14廃藩置県行政区画
M5.2.1府藩県一般戸籍ノ法地理的名称行政区画
M11(1878).12.16郡区町村編制法行政区画自治体
M17(1884).12.25戸長役場拡大
M22(1889).4.1他市制・町村制自治体
M24(1891).4.1他府県制・郡制自治体自治体
T12(1923).4.1郡制廃止行政区画
T15(1926).7.1郡役所廃止地理的名称
S22(1947).5.3地方自治法
(*1)「府藩県一般戸籍ノ法」によるもの。区だけではなく、大区・小区を含む。
(*2)「郡区町村編制法」によるもの。「三府五港其人民輻湊ノ地」。なお、「区」の中に「町」「村」を含んでいた。

定義は、次のように考えています。
(A)自治体首長・議会が存在し、域内のことを自治的に決定する制度がある
(B)行政区画国の出先機関としての組織(現在では財務局や地方整備局を統合したものに相当)
(沖縄総合事務局のようなもの?)
(C)地理的名称(A)(B)に該当せず、ただ名称として呼称する
もちろん、いくつかの権能を兼ねていることも多いのですが、より権能の強い方で表記しました。(C)より(B)、(B)より(A)の方をもちろん優先しました。
なお、北海道・沖縄、島嶼、東京都制、三大都市等はここでは省略させていただきました。

上記の取りまとめは、私も少し自信がないところもあります。さらなるご教授をいただければ幸いです。そもそも、単純化は困難なのかもしれませんが。

さて、市区町村変遷情報で、どう取扱うか、です。
特に注目したいのは、「府藩県一般戸籍ノ法」(いわゆる「戸籍法」)の「区」(後に「大区」「小区」を含む。上記(*1))です。この「区」は自治体ではなく、あくまで「行政区画」です。この状態はM5年からM11年の短期間であり、また、江戸期以前からの長年に渡り使用されてきた「郡」は、この6年間ほどの間も現実には併用されていたようです(注)。また、[58214]拙稿 の年表中の(8)〜(18)のように短期間に何度も区画・名称変更をしているようで、あまりにも複雑です。このため、市区町村変遷情報では、この「区」(大区、小区とも)は割愛させていただこうかと考えています。
現在の政令市の区は行政区画であり、郡は地理的名称なのですが、現在はこれらは位置づけも明確になされていますので(地方自治法なり条例なりで)、既に対象にしている、ということにしたいと考えています。
府県の変遷については、範囲が市町村と重なることもあり、取扱うとしても別メニューが適切だと考えます(やはり何らかの対応はしたいですが)。
―――――――――――――――――――――――――
(注)
「香川県史 第十一巻 資料編 近代・現代資料I」(昭和61年2月28日発行、編集・発行:香川県、四国新聞社)にある、「大区編成並びに区長任命の達」(明治7年2月13日名東県権令から各区戸長あて)によると、
今般讃岐国各郡並小豆嶋ヲ大区ト相定別紙ノ通区長申付候
(中略)
第十三大区大内郡区長並学区取締兼務
(後略)
[58214]拙稿の(13)と同日付け文書で、既に「区」が存在していましたが、新たに「大区」「小区」を定めたときのものです。

また、明治9年7月の「讃岐国公立小学校一覧」(前掲書)でも、
名称学科位置設立
東園小学讃岐国大内郡東山村明治7年
等と、やはり郡を使用しています。



都道府県市区町村 > 落書き帳 >このページのトップへ ▲

検索結果参照用リンクを編集 Copyright(C) 2017 M.Higashide 検索条件を変更