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落書き帳

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[59238]2007年6月18日
グリグリ
[78686]2011年7月2日
グリグリ
[78689]2011年7月2日
EMM
[78691]2011年7月3日
グリグリ
[78698]2011年7月3日
グリグリ
[78704]2011年7月3日
hmt
[78706]2011年7月4日
EMM
[78708]2011年7月4日
hmt
[78709]2011年7月4日
白桃
[78713]2011年7月5日
グリグリ
[78719]2011年7月6日
hmt
[78746]2011年7月10日
グリグリ

[59238] 2007年 6月 18日(月)22:44:06オーナー グリグリ
現代における国名の使われ方
[59199] 2007 年 6 月 17 日 (日) 16:46:53 hmt さん
日常の会話における「国名」の使用が稀になりつつある現代において、国名の保存に貢献?しているものの一つに、鉄道の駅名や線路名称があります。
(中略)
このように、「国名由来の造語」は行なわれていますが、国名自体が日常で使われなくなっている傾向は、紛れもありません。
とのことですが本当でしょうか。まだまだ旧国名は日常的に生きていると思います。

「加賀」「能登」「若狭」については地域を特定するために、日常的に現代も使われ続けているように思います。とくに石川県の場合、地元の会話においても加賀、能登は頻繁に使われます。出身地や居住地などを特定する場合に、石川県よりも加賀や能登の方が頻度高く使われる、もしくは意識して使うような気がします。若狭はさらにその傾向が強くないでしょうか。若狭以外の福井県の場合(つまり越前ですが)は、越前よりも福井県の方が使用頻度は高いと思うのですが、若狭の場合は圧倒的に若狭ではないかと推測します。

加賀と能登を比較した場合も、加賀よりも能登の方がこの傾向が強いでしょう。加賀は加賀市を特定する場合にはまず使いません。加賀市を特定する場合は加賀市ですが、日常的にはあまり使わないと思います(大聖寺、動橋など主要地域名を使う)。能登は半島名からの特定のように思われるかもしれませんが、地元の感覚では旧国名ですね。

さて、他の地域に目をやってみると、伊豆や志摩は能登や若狭と似た状況でしょうか。大隅と薩摩、尾張と三河、美濃と飛騨、周防と長門などはどうなんでしょうか。加賀と能登ほどの日常性はないのかなとも思いますが比較は難しいですね。佐渡や対馬などは旧国名というよりもむしろ島名に引っ張られているように思います。また、土佐、甲斐、近江など現在の県域と同じ場合は、県域を特定するという日常性はなくて、文化的伝統的に旧国名を意識して使う場合かなと考えます。

以上、故郷を離れて既に30年が過ぎているので、現在の状況はよく分かっていません。いかがでしょうか。
>EMMさんほか地元の皆さん
[78686] 2011年 7月 2日(土)20:09:05オーナー グリグリ
氷室の日
[78672] 2011 年 7 月 1 日 (金) 23:50:48 EMM さん
EMMが7月1日にこの出だし、と来れば…今日は金沢では毎年恒例の「氷室の日」([42735] ほか参照)。
そして昨日は茅の輪くぐり([70669]ほか参照)と氷室開き([70688]参照)なのですが…
金沢を離れてすでに40年近くになり、金沢時代の風習などの記憶がすっかりなくなってしまったのかもしれませんが、上記の風習についてはほとんど記憶がないというか私には馴染みがありません。氷室饅頭だけはなんとなく覚えているようないないようなという感じです。やっぱり私のルーツは金沢にはなく、加賀にあるようです。父親が加賀市、母親が小松市出身で親戚も加賀と小松。親戚のお呼ばれなどもすべて加賀仕込み。

「氷室の日」で検索したブログなどには「7月1日は金沢の風習で、氷室饅頭というのを食べます。おそらく、金沢市民の99㌫はこの日1個といわず何個も食べるでしょう。」なんて書いてあるのですが、私にはこの饅頭を心待ちにして食べたりとか、毎年必ず食べていたという記憶はまったくありません。お盆も金沢では新盆で7月ですが、我が家では旧盆の8月です。小松や加賀では旧盆が普通だったような。全国的な新盆と旧盆の分布はどうなんでしょうね。
[78689] 2011年 7月 2日(土)23:35:55EMM さん
「金沢の風習」
昨日書いた通りあばれ祭りの関係の話を…と考えていたところですが、先にこちらから。

[78686] オーナー グリグリ様

氷室の日や氷室饅頭の話については、私の過去の書き込みではあくまで「金沢の風習」の紹介として書いていたつもりです。
時々書いていますが、「その由来や意味合いを知らないまま他の地方の風習や行事を取り入れたりまねたりすること」は好ましくないと考えておりますので、グリグリさんのご両親やご親戚が小松・加賀の風習を堅持されているのであればそれはそれで良いのではないでしょうか。

でも、確かご両親は金沢にお住まいだったように記憶していますが、そうするとご両親は自らは買うことが無くても周りから饅頭を頂く機会はあるのかもしれません。
それと、氷室饅頭は酒饅頭だったり麦饅頭だったり店によって違いはありますが、たいていは圧倒的に日持ちがせず、賞味期限が製造当日かせいぜい翌日…と言う場合が非常に多いのです。
だからあまり遠方には送らない人が多いかも。
あと、氷室の日は心待ちにするような感覚の行事ではありませんね。
「ハレの行事」という感じでは無いような…「あ、そう言えば氷室じゃないか。饅頭買ってこな」とか「氷室饅頭もらったし食べるか」というような感じでしょうか。

#もしグリグリさんが金沢にお住まいであったならば、ご自身の家では小松や加賀の風習を堅持していたとしても、「職場で饅頭をもらう」「仕事の関係先で饅頭をもらう」「お子さんが学校で話を聞いてくる」等々で何となく意識はするようになっていた事でしょう。
そう言えば、私の上司、県外出身なんですけど氷室饅頭買ってます。
郷に入っては郷に従え、と言う事で…だからもし関西にいたとすれば氷室饅頭ではなくて水無月を食べてるでしょう。

##引用部分に書かれているもののうち、「茅の輪くぐり」は金沢だけの風習ではありません。
nmtマガジン「夏の行事1 氷室・夏越の大祓・祇園祭・博多祇園山笠を見ても分かりますが([70690]JOUTOUさんの記事)、関東でもやってるところはあるますよ。
一昨年、南流山プチオフ会参加の前に東京都内をうろうろしていた際に渋谷の金王八幡宮で茅の輪のあとを見かけてます。
ネット検索すると千葉県内でもやってる神社があるようですが、グリグリさんのご近所の神社で「夏越の大祓」をやってるところはありませんか?
[78691] 2011年 7月 3日(日)07:13:58オーナー グリグリ
輪くぐり
[78689] EMMさん
氷室の日や氷室饅頭の話については、私の過去の書き込みではあくまで「金沢の風習」の紹介として書いていたつもりです。
私の書き方が悪かったみたいですみません。[78686]で言いたかったことは、
やっぱり私のルーツは金沢にはなく、加賀にあるようです。
ということであり、私は金沢出身と言っておきながら、金沢の風習にはほとんど馴染んでいないんだなと言うことです。とくに食文化については、過去にも話題になった雑煮もそうですし、金沢名物と言われる蕪寿司、ゴリや胡桃の佃煮、ましてや治部煮などとんと縁がありませんでした(蕪寿司はたまーに正月に出てくることがあったと記憶しています)。一方で、加賀地方の食文化である柿の葉寿司には小さい頃から馴染んでいて自分の記憶として確立していますし、料理名があるのかないのか分りませんが、豚肉やタマネギを醤油で甘辛く炊いた出し汁を、冷やしてそうめんに掛けて食べるお盆の風習は金沢ではなく小松地方の食文化だと思います(違うかな?)。そう言えば、EMMさんは「オランダ煮」って分ります?

法要やお祝いや厄払いなどのお呼ばれの席での料理なんかにも金沢と小松・加賀ではかなり違うんじゃないかと思います。色がどぎつい魚などを模したかまぼこや、かまぼこの代わりに砂糖で固めたもの(何て呼ぶんだろう?)が必ずお膳にあったと思いますが、これは金沢でも共通なのかな。あと、びっくりするほど大きな酒饅頭が引き出物で付いてくるのは法要の時?それとも祝い膳?

ネット検索すると千葉県内でもやってる神社があるようですが、グリグリさんのご近所の神社で「夏越の大祓」をやってるところはありませんか?
あるかもしれませんが、そもそも夏に神社に行くという習慣がないのでよくわかりませんね。「輪くぐり」を生まれて初めて目撃し経験したのは、市原に住んでいた時に初詣で姉崎神社に行った時でした(リンク先を見ると茅の輪は一年中置いてあるようなので初詣の時ではなかったかも)。藁で作った大きな輪があったのですが、どうするのかよくわかりませんでした。くぐるんですね。しかも何回も。その後は千葉神社に初詣に行った時にもあったと思いますが、それ以上の記憶はありません。金沢に住んでいた時も初詣などかなり頻繁に行ってましたが、輪くぐりの記憶はありませんねぇ。Webで調べると尾山神社では輪くぐりが行われているようですね。昔からでしょうか。そうだとすると単に印象に残っていないだけかも。白山(しらやま)さん(白山比め神社)には頻繁に行きましたが、茅の輪はなかったと思うのですが。

千葉神社のこちらのページを見ると、「千葉天神・智の輪くぐり神事【毎年 3月25日~4月中旬】」とありますね。私が見たのはこちらも初詣ではなかったのかも。
[78698] 2011年 7月 3日(日)14:40:43【1】オーナー グリグリ
金沢文化と加賀・小松文化
[78697] EMMさん
あくまで地域の紹介をしていると言う事でご理解頂ければと考えます。
私の書き方がやっぱり悪いのか誤解させてしまい申し訳ありません。EMMさんの書き込みについては、最初から否定したりましてや批判しているつもりはまったくありません。EMMさんの書き込みは正しい事実として理解しています。

グリグリさんが昔住んでいたところや、佐倉市で今お住まいのところにも「地域の氏神様」はあるはずなのですが、そう言ったところの行事には参加されていらっしゃったorいらっしゃるでしょうか。
そうですね、まったくと言っていいほど参加したことはありません。もともと父は男四人兄弟の末っ子で、仕事の関係で加賀を離れ金沢に居を構え(いわゆる所帯出)、その後も富山や名古屋など転勤が多かった家庭です。仕事柄、田舎というよりは都会に近い暮らしだったので、町内会程度のお祭りや行事には参加していたと思いますが、地域にどっぷりではなかったです。
失礼な表現であるかもしれませんが、「グリグリさんは生まれた地、育った地、暮らしている地に根を深く張らない、あるいは張る機会が無いうちに引っ越している」のかなぁ…と感じてしまいました。
まさにご指摘の通りです。金沢を離れてからはほとんど都会暮らしですから、地域に根を張った催事は町内会の花植えやせいぜい運動会程度です。まして氏神様という存在そのものに馴染みがありません。

そう言う訳ですからお察しの通り、私が見過ごしたり触れる機会がなかったというだけなのかもしれませんね。でも、輪くぐりくらいは金沢時代に経験していてもおかしくないのにとは思いました。白山さんにもあるんですね。う~~ん、まったく記憶に蘇りません。

調べたらこういう記事(PDF)を見つけました。
「かしわそうめん」と言う名称がどこまで一般的なのか分かりませんが(そう言えばグリグリさんの家はかしわじゃなくて豚肉ですね)、小松の郷土料理であるのは間違いなさそうです。
PDFの写真は現代風な感じですね。母の実家(小松)でお盆になるといつも出てくるのは、たらいにそうめんがたっぷり浸っていて、大きな鍋に豚肉(少ない)とタマネギを薄味の醤油で煮て冷やしたものが用意されており、ガラスの器にそうめんをとって鍋の汁をたっぷり掛けて食べるものでした。夏の暑い日にあっさりとして涼感のある好きな料理でした。昼食か間食に食べていたように思います。
金沢でそうめんと何か煮るというと茄子ですね(参考)。
上記リンク先の写真は煮物然としたものが多いですが、EMM家のなすびそうめんは完全な汁物。
おっ、この写真の料理が我が家では「オランダ煮」と称していたものです。我が家でも完全な汁物でした。私は茄子が嫌いだったのでこの料理が嫌だったのですが、家を離れて後は、帰省の際に楽しみな料理になっています。
色がどぎつい魚などを模したかまぼこ
具体的な写真を見てみないと分かりませんが、金沢に住んでいてそう言う話を聞くとほぼ100%「ああ、富山の話ね」と想像するはずです(参考)。
あぁ、このかまぼこですね。そうか富山時代の記憶だったのかもしれません。父親が婚礼の折り詰めで持ち帰ってきていたのでしょう。
かまぼこの代わりに砂糖で固めたもの
固まってるのなら金華糖ですね。
これもこれですね。こちらは金沢時代の婚礼膳だったのでしょう。
びっくりするほど大きな酒饅頭
親戚の結婚式でもらった事があるのですが、誰の時だったかな????
そうですね、確か婚礼の引き出物のひとつだったような気がします。だいたい2個セットで1個の直径が16cmくらいじゃなかったかなぁ。すぐに固くなるので、食べきれない分は蒸し直して食べていました。

いろいろ記憶を蘇らせていただきありがとうございました。
[78704] 2011年 7月 3日(日)23:38:20hmt さん
「加賀」とはどこを指す地名か?
始めにお断りしておきますが、よそ者の感想です。

[78686] グリグリ さん
やっぱり私のルーツは金沢にはなく、加賀にあるようです。父親が加賀市、母親が小松市出身で親戚も加賀と小松。親戚のお呼ばれなどもすべて加賀仕込み。
[78691] グリグリ さん
金沢の風習にはほとんど馴染んでいない(中略)一方で、加賀地方の食文化である柿の葉寿司には小さい頃から馴染んでいて
[78698] グリグリ さん 金沢文化と加賀・小松文化
もともと父は男四人兄弟の末っ子で、仕事の関係で加賀を離れ金沢に居を構え

一連のお話により、比較的近い地域でも食文化に大きな違いがあることを知り、興味を覚えました。
それと共に、意表を突かれたのが、「加賀」という地名の用法です。

4年前になりますが、次の記事がありました。
[59238] グリグリ さん
「加賀」「能登」「若狭」については地域を特定するために、日常的に現代も使われ続けているように思います。とくに石川県の場合、地元の会話においても加賀、能登は頻繁に使われます。
加賀は加賀市を特定する場合にはまず使いません。加賀市を特定する場合は加賀市ですが、日常的にはあまり使わないと思います(大聖寺、動橋など主要地域名を使う)。

この記事の内容は、すんなりと受け入れることができたのですが、今回の記事を見て、少し混乱してきました。
金沢の食文化と対比される加賀の食文化。
“金沢って「加賀」ではなかったのか?”というのが、よそ者の偽らざる感想です。

[78686]の時は、加賀市・小松市の後で「加賀と小松」が出てきたので、例外的に省略して「加賀市」を「加賀」と表記したと思ったのですが、その後の記事にも繰り返し使われているので、もっと根が深いことを感じました。
特に[78698]は、加賀市発足よりも前のことではないかと思われるのに、“加賀を離れ”となっています。

歴史を振り返ると、越前国にあった「加賀郡」が、平安時代初期の 823年(弘仁14年)に、江沼郡と共に分立して「加賀国」になったのですね。加賀国成立直後に、加賀郡の浅野川以南には石川郡が分置され、北部だけになった加賀郡は、「かほくぐん」と通称されましたが、やがて河北郡という文字で正式名となっているので、文字上からは「加賀の北」という連想は生まれにくくなっています。

一方、加賀市はというと、1958年の市名誕生時、2005年の新設合併時いずれの領域も旧江沼郡域で、加賀国内ではあるが、加賀郡域であった歴史はありません。
昭和合併時にあえて「加賀市」という名を選んだ理由は知りませんが、その後 1970年にできた「加賀温泉駅」[73239]も含めて、この地域を指す「加賀」の用法が広がってきているのかもしれません。

石川県の地域区分 の 1/3では、県内を4地域に区分し、その中に「加賀南部」がありました。
やはり、単に「加賀」と言えば、石川中央地域を含む「加賀国」全体を意味していると受け止められるのですが。
[78706] 2011年 7月 4日(月)01:08:08EMM さん
レス2題
[78704] hmtさん
この記事の内容は、すんなりと受け入れることができたのですが、今回の記事を見て、少し混乱してきました。
金沢の食文化と対比される加賀の食文化。
“金沢って「加賀」ではなかったのか?”というのが、よそ者の偽らざる感想です。
これですが、もし私が書くとしたら、加賀市のことを指す場合は「加賀市」、小松市や加賀市をまとめて言うのであれば「南加賀」となります。
「加賀市」は「大聖寺」とする手も考えられますが、加賀市は大聖寺だけでなく動橋・山代・橋立などいろんなカラーの町が合併してできた市ですので、その内容が明確に大聖寺に関連する話だと言えない場合は「加賀市」を「大聖寺」には置き換えづらいところがあります。
「南加賀」は、かつては手取川から南はすべて江沼郡だったから江沼でも…と言いたいところなのですが、江沼郡・加賀郡の話は地元でもよほど歴史に詳しい人でないと知らないのが実情です。
江沼郡自体消滅してしまった事もあり、これを手取以南の総称とするのはかなり苦しい。
「小松加賀」と言った表現も目にしますが、県庁の出先機関や地区の広域事務組合などの名称で「南加賀」が使われているので、さしあたり使うとすれば「南加賀」が無難なのかな…と考えておる次第です。
正直なところ、「加賀」の用法は石川県内でもかなり入り乱れているのが実情です。
加賀国の範囲を指す場合、河北郡・かほく市以南を指す場合(現在「加賀地方」という場合に指し示しているのはほぼこの範囲。津幡町やかほく市にはかつて羽咋郡、則ち能登国だったところが含まれる)、加賀市を指す場合、加賀地方の金沢市以外を指す場合、加賀地方の金沢市より南を指す場合、手取川以南を指す場合、金沢市のみを指す場合。
情況や文脈でどれを指してるのか判断しなければならないので非常に悩ましいです。

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[78703] 伊豆之国さん
非常に細かい話で恐縮なのですが…
ネット上ではよく文末に(汗)とか(涙)とか付ける人が良くいる(私もよくやる)のですが、これはその文を書いている時の自分の心境や情況を表しているものです。
また大先輩に叱られてしまいました(怒)‥。
は多分「私に怒られた」と言う事で「(怒)」と付けたかなぁと思ったのですが、普通に読むと伊豆之国さんが怒っているものととられるので用法は注意した方がよいです。
それとも実際に怒っていらっしゃる?
やはりこれらの地域以外の人にとっては、普段馴染みのない食材なのでしょうか。
実は私も数年前に知ったのですが、佐渡島でも伝統的にフグの卵巣の粕漬けが食べられています。
ただし、佐渡で現在フグの卵巣の粕漬けを製造販売しているのは1社だけのようです(参考)。
[78708] 2011年 7月 4日(月)15:49:53hmt さん
南加賀・能登のあばれ祭り
[78706] EMM さん
もし私が書くとしたら、加賀市のことを指す場合は「加賀市」、小松市や加賀市をまとめて言うのであれば「南加賀」となります。
江沼郡自体消滅してしまった事もあり、これを手取以南の総称とするのはかなり苦しい。
正直なところ、「加賀」の用法は石川県内でもかなり入り乱れているのが実情です。

上記の説明は、よくわかります。
現在「加賀地方」といわれる「河北郡津幡町・かほく市以南」の一部には能登国羽咋郡であった地域が含まれ、正確には「加賀国」とは一致しないとのご指摘も、現実的な取り扱いとして理解できます。

よくわからないのが、
加賀地方の金沢市以外を指す場合

東京になぞらえれば、「23区と三多摩」という感覚で、「金沢と加賀」という対比があるのでしょうか?

[78705] EMM さん
宇出津のあばれ祭りについての考察、ありがとうございます。

今回の記事のきっかけは、“祭りの内容の違いから関連性はあまり高く無い”と言う旨の投稿への反論だったようです。
しかし、私の記事[75432]は、祇園社から荒ぶる疫病神である牛頭天王[70715]を勧請したことも 認めており、祇園祭と「あばれ祭り」との関連性を否定するつもりなど、全くなかったのです。

今回の記事を hmtマガジンに収録するにあたり、祇園祭関連ならば 夏の行事1 になりますが、昨年の記事が 既にキリコ(灯籠)関連で 夏の行事2 に収録されているので、そちらに追加しました。ご了承ください。
[78709] 2011年 7月 4日(月)20:47:51白桃 さん
本来は「♪金沢の女」とすべき
♪君と出会った香林坊の~で始まる歌謡曲「加賀の女」は金沢の街のことしか触れていないので「金沢の女」とすべきでしょう。「函館の女」「尾道の女」のように。
「加賀百万石」から「金沢」と「加賀」は一体化しているのでしょうか?
これと矛盾するようですが・・・

[78708]hmt さん
東京になぞらえれば、「23区と三多摩」という感覚で、「金沢と加賀」という対比があるのでしょうか?
確証もない横レスで大変申し訳ないのですが、これはあるのでは。
加賀の国の中でも金沢城下は、その歴史的背景や街の美しさから(変な意味ではなく)特別扱いされても当然では。
香川県の場合、高松は国の出先機関や大手企業の支店があったので、金沢ほどではないにしろ、「讃岐」の国の中では特別扱いされておりました。
[78713] 2011年 7月 5日(火)23:48:37オーナー グリグリ
加南地方
[78704] hmtさん
特に[78698]は、加賀市発足よりも前のことではないかと思われるのに、“加賀を離れ”となっています。
混乱させて申し訳ありません。hmtさんが引用されている[59238]での私の説明については、現時点でもまったく揺るぎないものです。[78698]で使った「加賀」はすべて「加賀市」の意味で使っています。文脈から明らかに分るだろうと言うことで加賀という表記を使いました。ただし、私自身は非常に気持ち悪いと思いながら使っています。

本当は、父方の実家のある加賀市の集落名を出せばよいのですが(大聖寺でも動橋でもない)、ちょっとプライベートに近づき過ぎると言うこともあり、適切な地名がなかったのが実態です。母方の実家の場合は集落名まで出さなくても小松という地名で拘りなく表せます。小松とのバランスで加賀を使った次第。子供の頃も、両親の実家を集落名で呼んでいましたが、母方の実家の場合は小松と呼ぶことも前後の状況によっては普通にありました。しかし、父方の実家は決して加賀とは呼びません。ただ、今回のような場合を想定すると、加賀を加賀市の意味で使う用法も少しずつ広がりつつあるのかなとも思いました。

[78706] EMMさん
小松市や加賀市をまとめて言うのであれば「南加賀」となります。
南加賀という用法は私にとっては目新しいです。むしろ、北陸鉄道の路線名にも使われていた加南地方の方が、一般的ではありませんが多少馴染みがあります。
[78719] 2011年 7月 6日(水)17:35:29hmt さん
適切な地名がなかった>了解
[78713] グリグリ さん
適切な地名がなかったのが実態です。
父方の実家は決して加賀とは呼びません。

自分のことを省みても、言いたい内容を表す適切な地名がなく、現在の行政地名で代用してしまうことがあります。
[78698]で使われた「加賀」が、加賀市発足よりも前のことに関するものであっても、「現在は加賀市域になっている ある場所」を意味しているであろうことは、私にも文脈から推察することができました。
“金沢って「加賀」ではなかったのか?”などと一応はすねてみましたが、基本的には了解です。

ただし、私自身は非常に気持ち悪いと思いながら使っています。

「南加賀」も「加南地方」も、あまり熟した地名ではないようなので、今回のケースについて言えば、[78706] EMM さん の発言にあるように、「加賀市」と書いたらよかったのではないでしょうか?
加賀市発足よりも前のことなのに「加賀市」と書くのも“気持ち悪い”かもしれません。
しかし、それこそ、文脈から「現在の加賀市域」とわかると思います。

いただいたレスに対する、私の感想 その1
“現時点でもまったく揺るぎない”[59238]での説明
加賀は加賀市を特定する場合にはまず使いません。
に則して、加賀市の「市」という字を 安易に省略してほしくなかった。

感想 その2
ただ、今回のような場合を想定すると、加賀を加賀市の意味で使う用法も少しずつ広がりつつあるのかなとも思いました。

これが事実とすると、言葉だけの「僭称地名」にとどまらず、現実に地名の混乱を招く傷口になります。
加賀市だけでなく、国名を名乗る他の市についても 起りそうな問題と思われます。
[78746] 2011年 7月 10日(日)10:37:42オーナー グリグリ
「市」を敢えて付けますか?
そろそろどうでもよいレベルの議論になってきていますが、もう一度だけ拘ってみます。

[78719] hmtさん
加賀市の「市」という字を 安易に省略してほしくなかった。
これは微妙です。
加賀市の意味ではあっても「加賀市」とは敢えて使いたくない場合もあります。

今回の場合は、母方の実家の「小松」に対して「加賀」を使っています。母方の実家を呼ぶ場合、父方の実家と同じく集落名を使うことが多かったのですが、単に「小松」と呼ぶ場合もありました。その場合、「小松市」とは決して呼びません。この小松は小松市を表しているのではなく、母方の実家を表しているからです。今回、父方の実家を敢えて加賀と呼称したのも、積極的に加賀市を表しているのではなく、あくまで実家の呼称として使いたかったからです。したがって、加賀市とは使いたくありません(使えません)。そう言う意味では、[78713]に書いた、
[78698]で使った「加賀」はすべて「加賀市」の意味で使っています。
という表現は不正確であったかもしれません。父方の実家を表すために現在の市名である「加賀」を便宜的に使った、とした方が正確だったように思います。


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