[65471] hmtさん
それは電話が次第に津々浦々まで普及していった(大正から)昭和前期にかけての時代に、自然発生的に行なわれた伝え方であると推測します。
そして、最初はバラバラだった符丁が、ある時期に統一されたことが推測されるのですが、それは郵便局内部の「作業手順」の制定で済むことです。
逓信省令で公式化する必要はなかったものと思われます。
これらに関しては、2つの観点から異議があります。
1つ目は、自然発生的な生じ方が全くないとは言いませんが、拙稿
[65404]でも書いている通り、こういった符丁は双方が理解していないとかえって混乱を生じる危険性が大です。
(電話での実体験が何回かあります)
よって、「あちらとこちらで同じ符丁を使用」していないと話にならない訳で、バラバラのものをあちこちで使っていたとは考えにくいのです。
そのような符丁が使われ出してあまり間もない頃に、あるいは最初から全国統一されていたと考える方が自然です。
2つめは、郵便局の一番偉い人は誰?と言うことです。
郵便局長…ではなく、さらにその上。
ほんのちょっと前までは、郵便局の一番偉い人は「郵政大臣」でした。国の出先機関だったんですよね。戦前までさかのぼれば逓信大臣。
先日の「横書きの文書では,と。を使う」などもそうですが、役所ってのは「何でそんな細かいところまで」と思うようなところまで規則として明文化してあるものです。
郵便局も逓信省/郵政省の出先機関であった訳ですから(特定郵便局という、かなり特殊な形態の「出先」もありますが)、郵便局内部の作業手順を制定すると言うことはイコール逓信省/郵政省の出先機関の規則の制定な訳で、当然「省令」として出されなければならないはず。
(電信電話もかつては逓信省→電気通信省という「役所」の業務であり、その後も長らくは郵政省所管の国営事業であった訳ですから、やはり同じようなことになるでしょう。)
以上の2点から、電報の通信業務で使う通話表についての「明文化された規則」が残っていてしかるべきですし、それが逓信省(あるいは郵政省・電気通信省)の省令である可能性も高いと考えるのです。
とはいえ、それが文書となって出てくる年代は「ネット上での調査がしにくい」大正~昭和初期である可能性は高そうです。
実は近代デジタルライブラリーで電信や電報に関する明治時代の文献を片っ端から見てみたのですが、確かに出てくるのはモールス符号ばかり。(例:
逓信法令提要(明治34年))
それ以降の資料だと国会図書館にでも行かないと調べるのは難しいか?と思っていたら、金沢市図書館に1936~37年に出された電信電話法令集があるようです。
この年代のものなら望みがありそうなので、今週末にでも見に行ってみようと思います。
ちなみに、拙稿
[65404]でリンクしたwikipediaのNATOフォネティックの項を見ていくと、初めて作られたアルファベットのフォネティックコードのたぐいは1927年に国際電気通信連合(ITU…ただし年代からすると、厳密にはその前身の万国電信連合と思われる)が制定したもので、無線での音声通信の際に共通信号が必要となったことから作られた、とあります。
日本の電気通信のルールと言うのはある年代までは海外のものをそんぐりコピーしたものが多いので、和文通信表もITUのフォネティックコードに習って無線電話用として作られた可能性は大いにあると思っています。
「郵便局での電報の通信に、電信ではなく電話が使われるようになった」のがいつ頃なのか、と言うのも気になるところです。
#海外の通信法をコピーする際、本来のものは色々工夫されて使われていたのに、その点を全く考慮せずにただ当てはめてしまったもの、と言うものが色々あります。そのために使いにくくなったと言われているのが和文のモールス信号(英文は出現頻度が考慮されているが、和文は全く考慮無し)、使う意味が無くなってしまっているのが「本日は晴天なり」(マイクで拾いにくい音を含むのでマイクテストに使われていた「It's fine today.」をそのまま和訳しただけ)。
##和文通信表のルーツとして帝国陸軍or海軍というのも考えたのですが、そうだったとすると研究資料が色々出てきそうな気がしますから、ネット上にこうも戦前の資料がないと言うことは多分軍関係は違うだろうと思ってます。