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落書き帳

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[65413]2008年6月5日
EMM
[65418]2008年6月5日
hmt
[65455]2008年6月8日
伊豆之国
[65461]2008年6月8日
hmt
[65462]2008年6月8日
EMM
[65465]2008年6月9日
EMM
[65466]2008年6月9日
むっくん
[65471]2008年6月9日
hmt
[65474]2008年6月10日
EMM

[65413] 2008年 6月 5日(木)19:02:03EMM さん
フォネティックコード
[65409] みのるさん
ほかにも「アメリカ・ボストン・チャイナ・デンマーク・イングランド……」と、もっぱら地名を用いた置き換え方も存在するのはご存じでしょうか。主にJRやバス会社と連絡をとる際に使っていたので、おそらく国内の交通機関(と旅行会社)でだけ通用するのだと思います。使用機会はほぼ座席番号のやりとりに限られていたのでFからあとがなんだったか記憶があやふやですが、地理好きの人にとっては「エイブル・ベイカー……」や「アルファ・ブラボー……」よりも憶えやすいのではないかと思います。
調べたらF以降も出てきました。
こちらのページの解答No.2の下のものですね。
日本国内でのみ使用されるようです。
(他のサイトでは「旅行業界の国内業務で使用される」という表記も見受けましたが、「エイブル・ベイカー…」との兼ね合いはどうなってるんだろう?)
「多分Xは地名じゃないんじゃないか」と予想していたらその通りでしたが、あとヴィータの出所は何なんだろう?

そのほかにも、拙稿[65404]でリンクしたwikipedhiaの中に記載されているものの中の「国際式」と「EU式」も主に地名で成り立っていますが、やはりXは地名ではありませんし、そのほかにも地名ではないものが散見されるので、全アルファベットに地名を当てはめるのは困難だったと言うことなのでしょう。

あと、[65404]にもちょっと書きましたが、実体験上、こういった符丁って発する側と受ける側の両方が知っていて初めて成り立つものだと思ってます。
なので、自分の覚えやすいものではなく、自分の係わる業界で決まっているものを使って行かざるを得ないでしょう。
ちなみに、無線関係では「アルファ・ブラボー・チャーリー…」を使うよう総務省省令(無線局運用規則)で決められています。
だからこのNATO式を使わねばならないのですが、ちょっとだけ抜け道がありまして、前述の省令の関連条文(第十四条の2)をよく読むと、
海上移動業務及び航空移動業務以外の業務の無線電話通信においても、語辞を一字ずつ区切つて送信する場合は、なるべく前項の通話表を使用するものとする。
と言うことが書いてあるのです。
ここの部分に該当するアマチュア無線では、アルファベットについては実際には結構いろんな単語が飛び交っています。
とは言ってもNATO式とイギリス空軍式を併用しているというようなことではなく、基本はNATO式で、そこに「他の無線局が比較的使っているようなもの」を併用している、と言う感じでした。
(中には突拍子もないようなのを使っている人もおり、無線機の前で首を傾げることもたま~に有りました)

#無線をやっていた中では、和文の方は「朝日のア、いろはのイ、上野のウ…」でほぼ100%固定でした。

##日本の無線でNATO式フォネティックコードが使用されているのは、無線の世界的な総元締めであるITU(国際電気通信連合)がNATO式を採用しているから…と言うことだったりします。
NATO式はイギリス・フランス・ドイツなどの「発音体系の異なる言語を持つ国々」が共通して使えるよう頭をつきあわせて考えられたものだったため、1国で決めたものよりも全世界的な使用に適しているとITUが判断して採用したのではないか、と考えています。
[65418] 2008年 6月 5日(木)23:27:54hmt さん
朝日のア、いろはのイ、上野のウ…
[65413] EMM さん
総務省省令(無線局運用規則)
こんなものまで「総務省令」で定められているとは知りませんでした。

この規則が対象としているのは、一般人による無線通信ですが、戦後にこのような制度ができるよりも前に、電信文を電話によって送る目的で「朝日のア、いろはのイ、上野のウ…」が使われていました。

電話ネットワークは、戦前から全国各地に及んでおり、官公署や会社・商店などでは利用されていましたが、一般家庭への普及度は低く、何よりも市外回線の整備がまだまだの状態で、遠距離の通話はいつ繋がるかわからない状態でした。
このような時代に、簡単な内容を確実に伝える手段として大いに利用されたのが電報(公衆電信)でした。

「公衆電信」という名の通り、本来はは電信符号によって伝えるものであり、大都市間の通信では多重通信を利用した電信設備で大量処理されていたと思われますが、処理件数の少ない「田舎の郵便局」の関係する通信においては、電話回線を利用して電信文を送る作業が行なわれました。
その際に当時の逓信省が定めたコードが「朝日のア、いろはのイ、上野のウ…」でした。

現在のコード表を見ても、逓信省管轄であることを思わせる言葉が登場しています。
為替のカ・切手のキ・手紙のテ・はがきのハ・保険のホ・ラジオのラ

「無線のム」の領域になった現在のコードでは「ちどりのチ」になっていますが、郵便局時代は「貯金のチ」だったと記憶します。「年賀のネ」もあったかな?

[65415] Issie さん
「神がかりで正気を失った昭和初期」

郵便局時代は「英語のエ」でなく、局員が日常使う「鉛筆のエ」だったと記憶します。
「そろばんのソ」は現在も使われていますが、郵便局時代の「机のツ」「数字のス」は変りました。
「平和のヘ」も戦後だと思いますが、戦時中のコードは思い出せません。
「クラブのク」などという“敵性国語”を使うこともなく、「車のク」でしょう。

地名で採用されているのは,「大阪のオ」「東京のト」…
「さい(才)のオ」・「富山のト」だった? 地域による変種があるのかもしれません。
「をわりのヲ」は、「尾張」よりも「終り」と考えていました。
[65455] 2008年 6月 8日(日)20:10:11伊豆之国 さん
落書き帳デビュー一周年になりました。
[65447]Issieさん
渡辺さん
というわけで、早速前回の書き込み[65435]で予告した
「落書き帳メンバーの出身地・居住地に多い苗字」でも調べてみよう
と行ってみます。
「苗字」にかかわる話題は、アーカイブス「地名と姓名の遥かなる関係」を見ると、過去には記事番号1万番台のときに大いに盛り上がっていたようですが、今回はもっと現実的に、「メンバーの出身・居住市町村の苗字ランキング」を発表してみようと思います。
まず初めは、オーナー・グリグリさん&EMMさんの地元、金沢市です。
私が持っている「写録宝夢巣 Ver10」で調べた結果を1位から10位まで順に並べると
 中村・山本・吉田・田中・中川・山田・林・松本・清水・山崎
  ‥という風になりました。一見して西日本風です。
次に、「地理学の巨匠」と紹介されているIssieさん。現住所の相模原市では
 佐藤・鈴木・高橋・井上・小林・山口・渡辺・田中・伊藤・加藤
  こちらはやはり関東型に近いですが、「西」型の「井上」が4位に顔を出しているのがちょっと変わっているかもしれません。
ユーモアたっぷりの話題を提供してくれる、白桃さんの故郷・香川県東かがわ市は
 田中・橋本・池田・六車・三谷・木村・三好・松村・長町・山本
  ‥と、独特の苗字が顔を出し、ローカル色が豊かです。
そして、
これはこれは、楽しみに待ってます
([[65436])という日本人さんの地元・群馬県安中市は
 佐藤・上原・中島・須藤・萩原・高橋・小林・清水・田中・小板橋
  こちらも結構ローカル色が溢れていますね。

ところで、四国各県は、その四国は高知県出身の苗字研究家・森岡浩氏に言わせると「県の中でも統一性が取れておらず、市町村ごとに多い苗字がばらばら、という傾向がある」ようです。香川県で一番多い苗字は「大西」さんです。しかし、その「大西」は県内でも西に分布が大きく偏り、丸亀市・三豊市・琴平町などで最多姓になっていますが、県都・高松市では19位、東かがわ市では何と67位です。一方、東かがわ市で4位に入っている「六車」さんは、香川県東部独特の姓で、隣のさぬき市でも4位に入りますが、県西部ではほとんど見られません。
一方、群馬県安中市で10位の「小板橋」さんは、「平成の大合併」前のデータに基づいている「苗字館」と照らし合わせると、どうやら合併した旧松井田町の苗字のようです。

♯この苗字についての話題は、今後断続的に取り上げて行く予定にします‥

ところで、[65418]hmtさん
朝日のア、いろはのイ、上野のウ…
ですが、私が苗字に興味を持つきっかけになった、「お名前博士」こと佐久間英氏著「お名前風土記」(昭和46年初刊、49年第五版。多分古本屋で買った)という本の中に、この表が載っていました。それを見ると、
郵便局時代は「貯金のチ」
は、既に
「ちどりのチ」
になっており、また
「机のツ」「数字のス」
も「つるかめのツ」「すずめのス」で出ていました。
ただ「エ」だけは、この時点では
「鉛筆のエ」
であったようです。
一方、
[65415]Issieさん
「名古屋のナ」
「大阪のオ」「東京のト」「ニッポンのニ」「沼津のヌ」「富士山のフ」「三笠のミ」「大和のヤ」「吉野のヨ」「尾張のヲ」
などは、やはりその通りで載っていました。
[65461] 2008年 6月 8日(日)22:35:24hmt さん
「貯金のチ」と「ちどりのチ」
[65455] 伊豆之国 さん
祝・落書き帳デビュー一周年

相模原市の佐藤さんは、私の伯父さんにもいました。上溝の名士の一族で、いくつもの佐藤家を屋号で呼び分けていたようです。

佐久間英氏著「お名前風土記」は、既に「ちどりのチ」

昭和46年初刊というと、既にアマチュア無線が行なわれていた時代の本ですね。

正確に同時代ではありませんが、昭和後期のことを記した 日記(5月19日) に、次のような記事がありました。

「朝日のア、イロハのイ、上野のウ、鉛筆のエ、大阪のオ、為替のカ、切手のキ、クレヨンのク、子供のコ……、貯金のチ、机のツ、手紙のテ、東京のト、名古屋のナ、日本のニ、年賀のネ…、保険のホ、…終わりのヲ」
この日記の筆者は、特定郵便局長の息子で、“昭和三十年代、つまり僕が子供の頃”と書いています。

昭和の後期、同じ郵政省所管の中でも、電波行政と郵政とでは、それぞれの符丁に部分的な相違が存在した可能性も考えられます。
[65462] 2008年 6月 8日(日)23:41:32【4】EMM さん
謎の「貯金のチ」
[65461] hmtさん
昭和46年初刊というと、既にアマチュア無線が行なわれていた時代の本ですね。
アマチュア無線自体は、日本で開始されたのは大正末期だそうです。(当時は「私設無線電信無線電話実験局」)
その後太平洋戦争の勃発と共に禁止され、戦後数年経った1952年(昭和27年)に再開されています。

それよりも、[65413]でリンクした無線局運用規則が一番最初に定められたのは1950年(昭和25年)の話ですし、この規則はアマチュア無線の運用だけを規定しているわけでは無く、テレビやラジオなどの放送局を含む「免許が必要な無線局」全般の運用を規定しています。
(通話表の関係してくるのは無線電話通信ですが)
そして、電子政府の法令データ提供システムで検索をした中では、戦後制定された法律や省令などの中で和文通話表のたぐいが出てくるものはこの無線局運用規則しかないようです。
戦後の話である限り、法的根拠を持つ「和文通話表」は1種類しかない訳で、「ちどりのチ」には法的根拠があり、「貯金のチ」には法的根拠はない、と言うことになるようです。

ただし、電報や電話は元々有線で運用されていますし、無線局運用規則の適応範囲外でしょうからこれを守る必要はないと思います。
一方、「電報の文面を電話で送信する際にはこの様に伝えよ」と言った内容の法律や省令は今のところ見つけられていません。
可能性として「戦前から慣用的に使われていたものをそのまま使用していた」「郵便局員の中に、自己流で適当にアレンジして使っていた者がいた」のどちらかではないかと思うのですが、詳細は全く不明です。
何せ、郵便局側の「法的根拠」が見つかりませんし、和文通話表自体は戦前からあったようなのですがこれも成立に関する歴史が分かりません。
かなり謎が深そうです。

あと、試しに「"貯金のチ"」「"貯金のち"」「"ちょきんのち"」でネット検索してみたところ、通話表的な話題で引っかかってくるのは落書き帳のhmtさんの記事だけでした。
あとは「家計が厳しくて貯金の「ち」の字も無いや」みたいな記事が多数…。
(hmtさんが引用されている記事は検索サイトのボットのクロール前なのか、それともクロールされたデータが消えているのか???)
一方、郵便局で電報を頼んだら「ちどりのチ」と言っていた、みたいな記事もあるようです。
[65465] 2008年 6月 9日(月)02:07:29EMM さん
[65462] の追記
拙稿[65462]
和文通話表自体は戦前からあったようなのですがこれも成立に関する歴史が分かりません。
に関して、さらに色々調べているうちに、関連してきそうな戦前の法律があったことまではつかみました。
電信法(明治三十三年法律第五十九号)および無線電信法(大正四年法律第二十六号)で、前者は有線電気通信法及び公衆電気通信法施行法(昭和二十八年七月三十一日法律第九十八号)、後者は電波法(昭和二十五年五月二日法律第百三十一号)が施行されたことにより廃止されています。
廃止されているためか、法令データ提供システムでは条文が見られません。
これらの法律、ないしはそれに関する施行規則などに通話表の話が出てくれば、それが戦前の通話表の根拠となるのではないかと思います。
ちなみに、元々有線通信しか念頭に置いていなかった電信法に無線通信に関する条文が付け加えられ、後に無線通信の部分が無線電信法として独立した、と言う歴史があるようですので、可能性があるとすれば電信法、ないしは電信法に関する施行令などで和文通話表が規定されている可能性がありそうです。
でも、条文どこで見られるだろう?

#ふと思ったんですが、逓信総合博物館だと和文通話表のルーツに関する資料があったりしませんかね?
[65466] 2008年 6月 9日(月)05:47:43【1】むっくん さん
電信法
おはようございます。むっくんです。

[65465]EMM さん
明治時代の国の法令については法令全書で本文を見ることが出来ます。(近代デジタルライブラリーで明治時代の法令全書は公開されています。)
電信法(明治三十三年法律第五十九号)ですとこちらになりますが、残念ながら和文通話表についての規定はありませんでした。

#法令全書で法令を探す方法については、[62385][62517](hmtさん)にて解説がなされています。
[65471] 2008年 6月 9日(月)16:02:35hmt さん
テレガラム
[65465] EMM さん
電信法、ないしは電信法に関する施行令などで和文通話表が規定されている可能性

「朝日のア、いろはのイ…」によって電信文を伝えるのは、電話が開通していることが前提です。
それは電話が次第に津々浦々まで普及していった(大正から)昭和前期にかけての時代に、自然発生的に行なわれた伝え方であると推測します。

そして、最初はバラバラだった符丁が、ある時期に統一されたことが推測されるのですが、それは郵便局内部の「作業手順」の制定で済むことです。
逓信省令で公式化する必要はなかったものと思われます。
この点、電波管理の立場から免許した民間無線局に対して統一コードを強制する必要のあった「無線局運用規則」とは、事情が異なります。

明治33年の電信法に規定されていないことは、[65466] むっくんさん が確認されていますが、一応は可能性を求めて、日本法令索引により電信・電話などを検索してみました。やはり、それらしきものは見当たりませんでした。

和文通話表の本筋からは外れますが、日本法令索引を調べたついでに、明治33年の電信法より前の法令を調べました。
明治18年の 電信条例改定 から更に遡ると、明治7年太政官第98号布告の 日本帝国電信条例 になります。
第一条 此条例は日本帝国政府電信寮に於て所轄する処の電機上に施行するなり
第二条 此条例中に用ゆる電報(テレガラム)の語は百般の音信総て電機を以て伝送し又は伝送せんと欲するものを指て言ふなり

現在の技術を背景に、この定義を読むと、電話もインターネットもテレビ放送も、すべてこの条例で使われる「電報(テレガラム)」に該当するように思われます。
第三条では、国内電報事務は政府の専権であることを規定しています。

東京・横浜で電話サービスが始まったのは明治23年(1890)であり[55694] 、その10年後の 明治33年電信法 になると、「電話」という言葉が登場します。
第一条 電信及電話は政府之を管轄す

国内の電気通信事業は、電信条例時代の明治18年(1885)の内閣制度以来長らく逓信省の所管で、電報配達員も「〒」マーク(頭文字の図案化)の赤い自転車に乗っていました。戦時中の運輸通信省通信院→(内閣)逓信院を経て戦後に逓信省が復活。

昭和24年(1949)に郵政と分離して電気通信省設置。自転車の色は緑青色になり、マークも変りました。
昭和27年(1952)に電気通信省から日本電信電話公社へ移されましたが、昭和60年(1985)の民営化まで、国→公社による独占事業体制が続きました。
公社化の翌年、公衆電気通信法が施行されて明治33年(1900)の電信法が廃止されたことは [65465]EMMさん 既報。

最初の話題に戻って、戦前の郵便局で始まったと思われる「朝日のア、いろはのイ…」の資料探し。
「法的根拠」は絶望的で、「郵便局内部のマニュアル」も探し難い。
昔の電話帳には、電話による公衆電報依頼の案内として「朝日のア、いろはのイ…」の表が掲載されていたような記憶があります。
しかし、賞味期限切れの電話帳が保存される機会は、古い鉄道時刻表よりも更に少ないと思われ、逓信総合博物館[65465]に行っても閲覧することはできないのではないでしょうか。
[65474] 2008年 6月 10日(火)02:51:07【2】EMM さん
手こずりながらも調査続行予定
[65471] hmtさん
それは電話が次第に津々浦々まで普及していった(大正から)昭和前期にかけての時代に、自然発生的に行なわれた伝え方であると推測します。

そして、最初はバラバラだった符丁が、ある時期に統一されたことが推測されるのですが、それは郵便局内部の「作業手順」の制定で済むことです。
逓信省令で公式化する必要はなかったものと思われます。
これらに関しては、2つの観点から異議があります。
1つ目は、自然発生的な生じ方が全くないとは言いませんが、拙稿[65404]でも書いている通り、こういった符丁は双方が理解していないとかえって混乱を生じる危険性が大です。
(電話での実体験が何回かあります)
よって、「あちらとこちらで同じ符丁を使用」していないと話にならない訳で、バラバラのものをあちこちで使っていたとは考えにくいのです。
そのような符丁が使われ出してあまり間もない頃に、あるいは最初から全国統一されていたと考える方が自然です。
2つめは、郵便局の一番偉い人は誰?と言うことです。
郵便局長…ではなく、さらにその上。
ほんのちょっと前までは、郵便局の一番偉い人は「郵政大臣」でした。国の出先機関だったんですよね。戦前までさかのぼれば逓信大臣。
先日の「横書きの文書では,と。を使う」などもそうですが、役所ってのは「何でそんな細かいところまで」と思うようなところまで規則として明文化してあるものです。
郵便局も逓信省/郵政省の出先機関であった訳ですから(特定郵便局という、かなり特殊な形態の「出先」もありますが)、郵便局内部の作業手順を制定すると言うことはイコール逓信省/郵政省の出先機関の規則の制定な訳で、当然「省令」として出されなければならないはず。
(電信電話もかつては逓信省→電気通信省という「役所」の業務であり、その後も長らくは郵政省所管の国営事業であった訳ですから、やはり同じようなことになるでしょう。)
以上の2点から、電報の通信業務で使う通話表についての「明文化された規則」が残っていてしかるべきですし、それが逓信省(あるいは郵政省・電気通信省)の省令である可能性も高いと考えるのです。

とはいえ、それが文書となって出てくる年代は「ネット上での調査がしにくい」大正~昭和初期である可能性は高そうです。
実は近代デジタルライブラリーで電信や電報に関する明治時代の文献を片っ端から見てみたのですが、確かに出てくるのはモールス符号ばかり。(例:逓信法令提要(明治34年)
それ以降の資料だと国会図書館にでも行かないと調べるのは難しいか?と思っていたら、金沢市図書館に1936~37年に出された電信電話法令集があるようです。
この年代のものなら望みがありそうなので、今週末にでも見に行ってみようと思います。

ちなみに、拙稿[65404]でリンクしたwikipediaのNATOフォネティックの項を見ていくと、初めて作られたアルファベットのフォネティックコードのたぐいは1927年に国際電気通信連合(ITU…ただし年代からすると、厳密にはその前身の万国電信連合と思われる)が制定したもので、無線での音声通信の際に共通信号が必要となったことから作られた、とあります。
日本の電気通信のルールと言うのはある年代までは海外のものをそんぐりコピーしたものが多いので、和文通信表もITUのフォネティックコードに習って無線電話用として作られた可能性は大いにあると思っています。
「郵便局での電報の通信に、電信ではなく電話が使われるようになった」のがいつ頃なのか、と言うのも気になるところです。

#海外の通信法をコピーする際、本来のものは色々工夫されて使われていたのに、その点を全く考慮せずにただ当てはめてしまったもの、と言うものが色々あります。そのために使いにくくなったと言われているのが和文のモールス信号(英文は出現頻度が考慮されているが、和文は全く考慮無し)、使う意味が無くなってしまっているのが「本日は晴天なり」(マイクで拾いにくい音を含むのでマイクテストに使われていた「It's fine today.」をそのまま和訳しただけ)。

##和文通信表のルーツとして帝国陸軍or海軍というのも考えたのですが、そうだったとすると研究資料が色々出てきそうな気がしますから、ネット上にこうも戦前の資料がないと言うことは多分軍関係は違うだろうと思ってます。


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