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落書き帳

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[66746] 2008年 9月 14日(日)15:32:33オーナー グリグリ
大佐倉(おおざくら)
昨日、成田へ行く用事があり、京成本線に乗車していて気になったことです。京成本線の佐倉駅を出ると次は大佐倉駅です。この駅、京成電鉄の駅別乗降人員のページを見て分かるとおり、1日の乗降人員が唯一1000人未満(488人)という首都圏の中の秘境駅として有名(?)な駅です。実際、駅の周辺はローカル線の無人駅という風情です。もっとも、自動改札で駅員もいますし、ダイヤ編成の関係でしょうが、なんと特急や通勤特急も停車します(快特は通過)。私はこの駅を利用したことがありませんが、乗降する人を目撃したこともありません。

さて、話は秘境駅のことではありません。大佐倉(おおざくら)という地名です。佐倉市の大字として残っている地名です。駅名は「おおさくら」と濁りませんが、地名は濁ります。大佐倉に対して佐倉という大字や小字は今は存在しないようですが、過去に大佐倉に対する佐倉という本家本元の地名があっただろうと思います。ちなみに隣の酒々井町には本佐倉(もとさくら)と上本佐倉(かみもとさくら)の地名(大字)が残っています。

大佐倉の場合は、佐倉というオリジナルの地域に対して「大」を付けて違う地域を名乗ったと推測されるのですが、全国にある「大○○」という地名はどうなんだろうか、というのが気になったことです。

例えば、対馬市美津島町大船越と小船越は、間に大山や犬吠といった地域が挟まっており、ペア地名として当初から存在した地名で、船越という単独地名は無かったのではないかと推測されます。

大船渡市の大船渡の場合には、大船渡町のほかに、大船渡線の駅名にもなっている下船渡という小字があります。おそらく過去には船渡という単独地名もあったのではないかと推測されます。

現在は合併で西海市になっている旧大瀬戸町の場合は、昭和30年2月11日に西彼杵郡の瀬戸町、多以良村、雪浦村、松島村の1町3村が合併した際に公募により命名されています。三重県の旧大山田村(現伊賀市)も山田村からの流れのようです。

埼玉県の大利根町の場合は、昭和30年10月1日に北埼玉郡の東村、原道村、元和村、豊野村の4村が合併した際に大利根村を名乗り、その後町制に移行しています。

千葉県の大多喜町の場合は多喜という地名があったわけではなく、小学館の日本地名地図館によると滝(多喜)が多いという由来とのこと。

面白そうなので「大○○」の地名の成り立ちを分類してみました。

(1) ○○の元地名の発展型(大瀬戸町、大山田村)
(2) ○○の本家本元に対する分家型(大佐倉)
(3) 地形や人名由来で「大」という意味をもつ単独型(大利根町、大多喜町)
(4) 大小のペア型(大船越)

大船渡は(1)のように思えますが確証はありません。もっとも(1)(2)(3)(4)ときれいに分類できるかどうか甚だ怪しいですし、複合型もありそうです。

大河原町、大田原市、大山崎町、大牟田市などまだまだ多くの大○○という地名がありますが、由来を調べて分類してみるのも面白いかもしれません。
[66751] 2008年 9月 14日(日)20:22:03伊豆之国 さん
「久」しぶりに「伊豆」の話題です。
今日は中秋の名月。空模様が気がかりでしたが、幸いにも見ることができました‥。

[66746]オーナー グリグリさん
オリジナルの地域に対して「大」を付けて違う地域を名乗った
私のルーツの地、静岡県西伊豆町にもこのような地名がありました。「田子」と「大田子」です。現在はいずれも「田子」の大字で一括されていますが、海沿いのバス通り(旧道)のトンネルの辺りを境に、北側を「大田子」、南側を「井田子」と呼び習わしているようです。元々の中心は大田子のようで、戦国初期に紀伊・熊野からやってきたという近江発祥の山本氏が、この地に「小松城」を築き、城主となったという記録が残っています(永岡治氏著「伊豆水軍物語」より)。
蛇足ですが、同じ西伊豆町の堂ヶ島温泉に「小松ビューホテル」があります。前記の「小松城跡」と場所は全く異なりますが、「小松」の名称の由来については何らかの関係がありそうです。

ところで、十番勝負の後にもいろいろ出てきたクイズ、とりあえず頭の中だけでいろいろ考えてみたのですが‥。「クイズ」といえば、埼玉県越谷市やさいたま市岩槻区に「久伊豆神社」という神社があります。正しくは「ひさいず」と読むようですが、「クイズ」と読めるため、以前クイズ番組の必勝祈願に参拝する人が大挙押し寄せたことがあったそうです。
[66752] 2008年 9月 14日(日)21:31:03白桃 さん
大麒麟、大前田英五郎、大三沢
[66746]グリグリさん
三沢市の前身は大三沢町(もっとも市制日にいったん三沢町に改称)ですが、これはもともと三沢村が中核となっておりますので、グリグリさんによる分類(1)「 ○○の元地名の発展型」になると思います。また、現前橋市、旧宮城村、旧々大前田村(あの有名な侠客が出ている)も(1)になるのでしょうか・・・。
麒麟児の発展型が大麒麟・・・、これは関係ないですね。

 
[66758] 2008年 9月 15日(月)02:47:34【1】白桃 さん
今日も朝が早い???
[66746]グリグリさん
(4) 大小のペア型
本当の地名ではないのですが、徳島県三好市に名勝、大歩危・小歩危がありますね。駅名も阿波池田からいうと、小歩危駅・大歩危駅の順に連続しています。
また、どこにでもありそうなのが、大湊・小湊。それから大浜・小浜。オハマ・コハマ、オボン・コボン・・・
少し真面目に・・・
以前から地名として「大秦野」をどう扱うか話題になってました。

しかし、なんでこんな遅くまで起きているのか・・・
[66930] 2008年 10月 5日(日)09:35:42オーナー グリグリ
ご無沙汰しています
先月中旬に腰を痛めてしまい、しばらく養生していました。
いろいろふぉろ~しなければいけないことがあるのですが少しずつ。

[66928] 2008 年 10 月 5 日 (日) 08:09:06 Hiro_as_Filler さん
お手数ですが、もしメンバー紹介と公式ホームページ編集長用のアドレスからの転送が連動していないようでしたら、お手数ですが転送先の変更をよろしくお願いいたします。
了解しました。転送先を変更しておきました。
なお、皆さんがメンバー登録時に記入されるメールアドレスは個人情報保護の観点からサーバには一切保存しておりません。登録時に私宛に一度だけメールで送信されます(@を置き換えています)。10月1日以降から現在までの公式ホームページ編集長宛のメールは私からHiro_as_Fillerさんに転送しておきます。よろしくお願いいたします。

[66915] 2008 年 10 月 4 日 (土) 11:14:57 k-ace さん
市区町村雑学「江差町・枝幸町」ってどこにある?の「郡名との同音異字の自治体で同一都道府県内の例」の中に、鹿児島県の「指宿市・揖宿郡」が残っています(昨年12月の南九州市誕生で揖宿郡は消滅しているのですが)。「指宿市・揖宿郡」の削除、お願いします。
ご指摘ありがとうございます。さっそく修正いたしました。
雑学の修正漏れはまだあるかもしれません。お気づきの方はご指摘いただければ幸いです。


[66746]でネタ出しした「大の付く地名」の件、遅くなりましたが何人かの方にフォローしていただきました。[66752]で白桃さんが挙げられた三沢市の前身である大三沢町は典型的な「発展型」でしたね。大河原町はWikiによると「逢河原」からの変化とありますがどうなんでしょうね。

hmtさん、境界線シリーズを楽しく読ませていただいています。アーカイブズをリニューアルしてこれらの記事がもっと多くの方に読みやすく楽しめるようにしたいと思っています。いつまでとはお約束できないのが残念ですが、これは必ず実現します。今後ともよろしくお願いいたします。

その他、面積データの更新やアクセスランキングの復活などいろいろありますが、毎度の言い訳で申し訳ありませんが、気長にお待ちいただければ幸いです。すぐに対応できる件、対応しなければいけない件など、書き込み記事の見落としがありましたらご連絡ください。よろしくお願いいたします。

11月のオフ会を楽しみにしております。その際にもざっくばらんなご意見やご希望がいただけるものと期待しております。参加を迷っていらっしゃる方の積極的な決断をお待ちしております。
[78793] 2011年 7月 18日(月)17:12:22【1】hmt さん
秦野市の成り立ち ついでに 60年も使われた「大秦野駅」の謎
[78789]に続いて、行政区域変遷図[76001]の情報提供です。
秦野市>秦野市の紹介>プロフィールから「成立」を選ぶと、秦野市の成立年表 として変遷図があります。

これだけではあまりに素っ気ないので、秦野のことを少し書きます。

秦野に行ったのは60年も前ですが、完全に伏流して、川原石だけの姿をさらす、文字通りの「水無川」には驚きました。
現在は、家庭や工場からの排水が処理され、安定した流量を維持しているようですね。

昭和合併で秦野市が成立する前は、この川が秦野町と南秦野町との境界であったと思われます。従って、1927年4月に小田急が開通して、水無川の南岸に小田急の「大秦野駅」ができた当時の所在地は 南秦野村と思われます。
字名は知りませんが、「大秦野」という地名があったわけではないようす。

秦野盆地は 葉たばこの産地で、「刻みたばこ」原料としての生産が盛んでした。
秦野の「たばこ」を東海道線の二宮まで輸送することを主目的として 明治末期に開業した湘南馬車鉄道は、やがて蒸気動力の湘南軽便鉄道(1918年から 湘南軌道)になり、旅客輸送もしていました。

この 湘南軌道 のルートは、おおまかに言えば二宮から県道 71号を北上し、秦野市街地の東側で水無川を越えます。
1923年の関東大震災では、かなりの被害を受けたものの復旧し、専売局工場まで市内を延長しました。
2代目「秦野駅」の記念碑は、イオン入口の信号付近にあるというので、専売局跡地がスーパーになっているのでしょう。

そこに開通したのが、鬼怒川水力電気の利光鶴松が、全線複線の高速電車によって 東京と小田原との間を直結した 小田原急行鉄道[34571]です。
こちらは 762mm単線の「軌道」ではなく、堂々たる「鉄道」ですが、駅名ということになると、後発だけに 既存の駅に使われている地名も多く、気を使うことになります。

小田原線開業時の主要駅だけ見ても、下北沢(京王電気軌道に北沢>現在は上北沢)、稲田多摩川[13284](南武鉄道の登戸にひと足遅れ)、新原町田[4684][4804](横浜線に原町田)、相模厚木[12553](神中鉄道に厚木)、新松田(御殿場線に松田)と 軒並みです。相模大野は「駅」でなかったから大野信号所。

「大秦野駅」も、この仲間であることは確かですが、どうもすっきりしません。なぜ 南秦野駅(又は 新秦野駅、相模秦野駅)でなかったのでしょう。
1932年の「大東京」実現[74867]より 5年前ですが、言葉としては、周辺地域を含めて「大○○」と呼ぶことが流行し始めていたのかもしれません。

鉄道としての実力から言えば、勝負にならない湘南軌道は、1933年に 旅客営業を休止。貨物もこれに続きました。
こうして、同名回避の必要は なくなったのですが、「大秦野駅」の名は 1987年まで 60年間も使われ続けました。

1944年には 相模厚木駅を本厚木駅に改称しているのですから、遅くともこの時までには、大秦野駅を秦野駅に改めても よさそうに思われます。
地元には、周辺地域を含めた「大秦野」構想があり、この言葉が「気に入られる名前」だったのでしょうか。

鉄道と全く無関係の分野でも、1950年に 神奈川県立秦野高等女学校が、神奈川県立大秦野高等学校と改称しています。
こうなると、鉄道駅の同名回避問題を離れて、「大秦野」が独立の地名になったのか? という印象を受けます。


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