明治15年(1882)の第一統計年鑑には「面積国別」はあっても、府県別面積がなかったのですが、その翌年の「第二統計年鑑」になると、「府県及開拓使 郡区町村(数) 並 面積」(明治14年12月調)が掲載されています(
[66996] YTさん)。
東京府から沖縄県までの3府38県に続いて開拓使札幌本庁・函館支庁・根室支庁まで総計 37区 796郡 11870町 58260村で、総面積 24794.51方里。
この総面積は、当然のことながら
[66996]掲載と同じ形式の「周囲及面積」の表の総計面積と一致します。
[66998] YT さんで
それにしても属島の数が[66993]と[66996]でなんでこんなに違うんでしょう?
と指摘された件に関連し、この第二統計年鑑の「周囲及面積」表を見ると、属島の数を含めて大正元年年鑑
[66993]の値とほぼ一致しています(千島・小笠原と北海道属島の面積は
[66996]の値)。
ついでに、大正時代の統計年鑑の府県別面積に使われた府県の順番を記しておきます。
大正元年(1912)と2年に使われた順番は、5区 + 沖縄県・北海道。
本州中区(東京 神奈川 埼玉 千葉 茨城 栃木 群馬 長野 山梨 静岡 愛知 三重 岐阜 滋賀 福井 石川 富山)
本州北区(新潟 福島 宮城 山形 秋田 岩手 青森)
本州西区(京都 大阪 奈良 和歌山 兵庫 岡山 広島 山口 島根 鳥取)
四国区(徳島 香川 愛媛 高知)
九州区(長崎 佐賀 福岡 熊本 大分 宮崎 鹿児島)
沖縄県 北海道
大正3年から、第1回国勢調査が行なわれた大正9年(1920)までの統計年鑑では、北海道 + 9区 + 沖縄県という北から南への区分による配列が使われました。
北海道
東北区(青森 岩手 秋田 山形 宮城 福島)
関東区(茨城 栃木 群馬 埼玉 千葉 東京 神奈川)
北陸区(新潟 富山 石川 福井)
東山区(長野 岐阜 滋賀)
東海区(山梨 静岡 愛知 三重)
近畿区(京都 兵庫 大阪 奈良 和歌山)
中国区(鳥取 島根 岡山 広島 山口)
四国区(徳島 香川 愛媛 高知)
九州区(大分 福岡 佐賀 長崎 熊本 宮崎 鹿児島)
沖縄県
現在の都道府県コード順に近いものになっていますが、東山区・東海区は現在の配列と異なります。
近畿区では、大阪府と兵庫県とが逆転。兵庫県の方が大阪府よりも北にあるから?
九州区は、四国区に最も近い大分県から始まっており、これも現在と相違。
[34038] Issie さん
現在「公共団体コード」で行われている都道府県の配列は,少なくとも1920年の第1回国勢調査以来,その報告書で用いられているものです。
国勢調査報告書を機会に、上記の区分を「8地方区分」ごとに修正して、現在の順番になったのでしょうか。
なお、統計年鑑における面積データの配列は、大正10年(1921)刊行のものから面積順に変っています。
それはさておき
第32~第35統計年鑑(大正2~5年)には「郡面積」の表があります。
当然、「市面積」も欲しいところですが、
市は本調査以後其の境域に変更あるのみならず其の後新設の市も亦少なからずして共に前述の事情に依り其の面積を知り難きにより市の面積は総て之を省略せり
と、お手上げ気味です(大正5年統計年鑑)。
それでも、陸地測量部は 5万分1地形図に基づいて測定したデータを、「昭和10年全国市町村別面積調」として発表。
これが、“20世紀前半以前における唯一の市町村面積に関する資料”とのことです(統計局HPの
資料解説 による)。