篠山市については、最近も今川焼 さんの記事
[74392]「篠山市は平成の大合併第1号…かどうかはともかく」があります。
紹介された
篠山市誕生記録集 に集録された
合併の経過 によると、1996年の第3回多紀郡合併研究会で合併基本5項目が確認され、1997年設立された法定の合併協議会で新町名「篠山町」を確認し、1998年の自治大臣への届出に進んでいます。
その後に記されているのが、
1998年12月議員提案で市町村合併特別措置法改正提案。市制の人口要件を4万人に引き下げ…施行
[74392]今川焼 さんの記事にある次のくだりがこれです。
この“4万人特例”は地元が要望したものではなく、篠山市誕生前に突如施行されたもので
自治大臣への届出後の法律であるにも拘らず、この4万人特例は篠山にも適用されることになり、
1999年1月20日合併協議会だより は次のことを伝えています。
第144回臨時国会において法律改正が成立。市制施行の人口要件が「合併の場合に限り、4万人以上とする」というもので、「この法律の施行前に合併申請がなされており、まだ、合併新町が設置されていない場合においても適用できる」。この法律施行を受けて合併協議会開催。
協議第50号 新市の名称について
新市の名称は「篠山市」とすることで確認しました。これは既に「篠山町」として発足することが決まっていました。
各町臨時議会も市制施行を可決。
そして、市制施行に伴う手続きを記した後に、「新市と町の場合の主な相違点」を表で対比しています。
議会議員の定数(どちらも30人)、議会の招集告示・監査委員・選挙制度(少し違う)、住民税(同じ)
市の場合は福祉事務所設置が義務付けられているが、町の場合は任意。市の場合は福祉事務所の設置・生活保護に要する経費について地方交付税の基準財政需要額に算入される点が町の場合と相違する。
篠山町のままか、篠山市になるかの行政実体上の違いはこの程度です。
[74393] 播磨坂さん でも同様の指摘あり。
だが、「市になれる」という法律を作ってくれたのなら、新しい自治体の看板とか目印として「篠山市」を掲げるのも悪くない。
この機会に市になっておこうか。 …篠山としては、そんな感じだったのでしょうか。
こうして1999年4月1日に発足した「篠山市」。
その直後の同年7月16日に成立したのが、
[74407]に記した「合併特例債」制度を含む合併特例法の大改正でした。
今度の制度は既存の市には無関係と思いきや、意外にも既に発足している篠山市に適用されたのですね。
改正された合併特例法第十一条の二は既に記しました。そして、地方分権一括法の附則第157条第6項に
新合併特例法第十一条の二第一項及び第二項の規定は、平成十一年四月一日以後に行われた市町村の合併について適用する。
とあります。
この日付は、もちろん篠山市ができた日付です。つまり篠山市は4万人特例だけでなく、合併特例債の適用においても、後からできた法律を特別に適用されるという優遇措置を受けることになったのでした。
[74392] 今川焼 さんも既に記しています。
特にアメの効果を発揮したのが、合併特例債の創設などを定めた1999年の改正と人口要件の緩和を定めた1998年(4万人特例)と2000年(3万人特例)の改正だと思います。
合併特例債などを定めた改正法の公布は2000年の7月ですが、適用は4月1日市制施行の篠山市にまでさかのぼるとされ篠山市はその恩恵に浴しています。
どうも篠山市は合併を推進したい国によって都合良く“平成の大合併のモデルケース”に仕立てられた感があります。
全国で 3232 あった自治体の数を3つ減らしたというだけならば、篠山が平成の合併史に名を残すことはなかったでしょう。
しかし、既に届出の出ていた「篠山町」を 強引とも思われる手段で 1998年改正 人口特例 の適用対象にして、5万人未満の「篠山市」を実現させた「仕掛け人」が居ました。
この仕掛け人の仲間は、その上に、この篠山市を 1999年改正 特例地方債 の適用対象にまですれば、合併の「おいしいところ」を見せつける モデルケースに仕立てる ことができると考えたのでしょう。
このようにして、最初から選んだ道ではなかったのですが、篠山は「平成の大合併の目印」として利用されることになりました。
モデルケースに仕立てられた篠山の住民にとり、タナボタ的な2つの特例、つまり優遇措置によって市になり、合併特例債を利用したことが本当に幸せにつながったかどうかは、議論のあるところでしょう。
しかし、私としては上に引用した地方分権一括法附則第157条第6項の条文
平成十一年四月一日以後に行われた市町村の合併
を見ながら、「篠山市こそが平成の大合併第1号であった」という結論を導くのに躊躇しません。