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Issie

[68822] 2009年 3月 14日(土)07:53:27【1】桜通り十文字 さん
名古屋は通過都市?
本日のダイヤ改正。たまたま今日仙台に行く用事?があり時刻を見つけるのが大変だったわけですが、このダイヤ改正で(先ほどニュースで見るまで忘れていたわけですが)富士・はやぶさが無くなって人口約220万人の名古屋に止まる夜行列車がなくなってしまったのは個人的に残念です。けれども、これも時代の流れと言うことで仕方がないこと・・・。なのかもしれませんね。


12月の0系引退のときのように誰か見届けた方はいらっしゃいましたか?
[68823] 2009年 3月 14日(土)09:00:01Issie さん
[68822] 桜通り十文字 さん
12月の0系引退のときのように誰か見届けた方はいらっしゃいましたか?

昨夕の6時半頃,横浜駅の5・6番線ホーム戸塚寄りにいました。ちょうど帰宅時間にぴったりと合ったので。眺めていただけだけど(いわゆる“撮り鉄”ではないので)。
実はこういう場面に居合わせるのは初めてなのだけど,まあ…,ねぇ…。あまり,性に合わないや。

「はやぶさ」には15年前,鹿児島へ旅行に行った時に東京駅から乗り込みました。でも,西鹿児島まで乗ったのかどうか,記憶が曖昧。博多辺りで特急に乗り換えたような気もするのだけどね。
「さくら」には13年前に佐世保から東京まで乗りました。「富士」は,なし。ほかには,客車時代の「瀬戸」と「出雲」に乗車体験あり。
まさか,20年もたたないうちに東海道・山陽筋の客車寝台特急が全廃されるとは思わなかったけど,(前にも書きましたが)晩年の様子から見ると止むを得ないことではあるでしょう。

全然関係ないけれど,昨夜はPCに取り付けたブルーレイディスクの接続確認のために,1985年に公開された「銀河鉄道の夜」のアニメーションDVDを視ていました。
「夜汽車」って好きなんですけどねぇ。夜行列車も,客車列車も,絶滅寸前ですが。

今のうちに,未乗の「北斗星」に乗っておきますか…。
[68824] 2009年 3月 14日(土)14:56:18N-H さん
Re:隼
[68822] 桜通り十文字 さん
12月の0系引退のときのように誰か見届けた方はいらっしゃいましたか?

[68823] Issie さん
昨夕の6時半頃,横浜駅の5・6番線ホーム戸塚寄りにいました。ちょうど帰宅時間にぴったりと合ったので。眺めていただけだけど(いわゆる“撮り鉄”ではないので)。

おや、これはニアミスしていますね。私も横浜駅におりました。
仕事を終えて新橋から東海道線下りに乗車したのが17時50分過ぎごろで、その時点では何も考えていなかったのですが、聴いていたラジオが「まもなく東京駅を最後のブルートレインが発車します」などと言っていたので、自分が乗っている電車の2本後が「富士・はやぶさ」なのだとわかりました。
そこでいつものように横浜駅で下車すると、おお、すごい人だ。
実のところ、私の自宅の窓の下を東海道線が走っており、実際「銀河」の最終列車は自宅の窓から眺めて感慨に浸っておりました。

ちなみに、富士、はやぶさ、さくら、あさかぜ、銀河、出雲、瀬戸いずれも乗車体験ありです。
[68828] 2009年 3月 14日(土)22:12:18伊豆之国 さん
Re2:夜汽車は夢の彼方へ‥
[68822]桜通り十文字さん
富士・はやぶさが無くなって人口約220万人の名古屋に止まる夜行列車がなくなってしまった
[68823]Issieさん
東海道・山陽筋の客車寝台特急が全廃されるとは思わなかった
[68824]N-Hさん
東京駅を最後のブルートレインが発車

‥いやぁ、ついに「その日」が来てしまったのですね‥。
どちらかというと「乗り鉄」派の私も、さすがにいわゆる「ブルートレイン」の寝台車に乗ったのは2度だけ。「出雲」(鳥取?→東京)と「ゆうづる」(青森→上野)、どちらも帰りのみ、それも30年も前のこと。「二段ベッドの相部屋」の車両でもビジネスホテルよりも高い料金を払わされ、乗り心地も決して良いとは言えない寝台列車には、やっぱり「二の足」‥。これでは[62928][66939] に書いたような「末期症状」になるのは無理もない‥。
寝台ではないのですが、私が初めて北海道に行ったときのこと。その頃はまだまだ夜行列車も元気な頃で、当時多数運行されていた「はくつる」「ゆうづる」といった特急は全て売り切れ、ようやく取れたのが「十和田」という急行列車の座席券。グリーン車に乗れただけまだましだったのですが、やはりなかなか寝付けず、ようやく眠りにつけたと思ったら、朝が早い夏とはいえ、まだ夜明け前の「相馬」辺り(当時は常磐線経由のほうが多かった)で早くも目覚め。そこから青森までの道中が恐ろしく長く感じたこと。青函連絡船の中でぐっすり眠ってしまい、函館に着いて北海道の大地に足を踏み入れたときにはもはや‥。ちなみに帰りは千歳から飛行機で帰っています。それから十数年の時を経て、青函連絡船には廃止になる前年にもう一度乗り、このときはしっかり竜飛岬や下北半島の遠景を目に焼き付けてきたのでした。‥そして、「上野発の夜行列車」も、残すはあとわずか。「北斗星」には、いまだに乗ったことがありません‥。

「夜汽車」って好きなんですけどねぇ。夜行列車も,客車列車も,絶滅寸前
そういえば、電車やディーゼル車ではなくて、機関車が客車を引っ張る「客車列車」も、いまや風前の灯。JRの、通勤通学客などを乗せる定期運転の列車では筑豊線にあった「Red Train」がおそらく最後、残っているのは「SLやまぐち号」などの、季節運転の観光客相手のイベント列車のみ。それも客車はレトロ風に仕上げられてはいるものの、車体自身は比較的新しいもの。床や内装が板張りの、本物の「レトロ客車」は、大井川鉄道のSL列車や津軽鉄道の「ストーブ列車」にしか残っていないのでしょう。

「夜汽車」で私が思い出すのは、少年の頃に聴いたこのフォークの名曲。
  ♭花嫁は 夜汽車に乗って 嫁いで行くの‥
歌詞は今となってはうろ覚えですが、メロディーのほうはしっかり脳裏に‥。

♯今日のNHKの特集番組は、「寝台特急・ラストラン」-「はやぶさ・富士」の密着取材です‥。
[68829] 2009年 3月 15日(日)02:24:47【1】かぱぷう さん
はやぶさはお星様になったんよ
もうすぐ3歳になる愚息に↑なんてことを吹き込んでしまったかぱぷうです。ご無沙汰しております。

[68822] 桜通り十文字 さん
12月の0系引退のときのように誰か見届けた方はいらっしゃいましたか?
博多駅で、上り最終列車を見届けました。

私がこれまで一番世話になった寝台列車(いわゆるブルトレ)は、昨春廃止された「あかつき」です。あかつきの最終を見送ったときは不覚にも込み上げてくるものが治まらずに流れてしまいました。
しかしあかつきも「寝台」の世話になったことは一度もなく、幾度か乗車した全てがレガートシートと呼ばれていた「指定席」の利用でした。あかつきはおろか、九州~東京・関西方面の夜行で寝台を利用した経験はただの一度もありません。[68828]にて伊豆之国さんが述べられていたことと重なりますが、寝台料金が設備に対して高すぎることが理由です。

そんなだから、はやぶさのお別れは自分の中では淡白に済むだろうと思っていましたが、いざ発車という時にED76形機関車が「ピィィ~~~~~~~~~~ッ」といつもよりかなり長めの汽笛を鳴らしたのを聴いた瞬間に少々水分が溜まりました。

(今回に限らず)夜行列車の削減に対しては、JRに対して主張したいことは多々ありますが、それは置いといて。
お疲れさまでした&ありがとう。ゆっくり羽根を休めてネンネしてね。
[68833] 2009年 3月 15日(日)16:05:39hmt さん
東京駅発ブルートレインの思い出
[68824] N-H さん
聴いていたラジオが「まもなく東京駅を最後のブルートレインが発車します」などと言っていた

東京駅発のブルートレイン(特に多かったのは「あさかぜ」)は、会社の出張で幾度となく利用しましたが、数少ない家族での利用が、思いがけない長時間乗車になってしまった思い出を記しておきます。

1969年(昭和44年)のある日、私の一家4人は、当時住んでいた 広島湾を見下ろす家[33529] に帰るべく、東京駅から「あさかぜ1号」に乗りました。
ご存知の方もあると思いますが、この列車はA寝台車5両を連ねた 20系 豪華編成で、乳幼児連れの私たちも、2人用のコンパートメントを確保していました。

ところが、熱海で長時間停車。丹那トンネル内で先行列車のトラブルがあったとか。
ようやく動き始めたら逆行。前年に電化したばかりの御殿場線を迂回して運行されることを知り、安心して就寝。

翌朝目がさめたら、瀬戸内海と様子が違います。まだ静岡県でした。
食堂車も営業休止。都ホテルで、朝食の食材は、京都で積み込むことになっていたのでしょうか。
乳児のためにミルク用のお湯だけもらいました。朝食は名古屋で弁当を調達。
思いがけず長時間になった汽車旅。子供たちは騒ぎまわりますが、ここで「個室」であることが威力を発揮。他の乗客に迷惑をかけずに済みました。

広島まで行ったら、ここで運転打ち切り。博多まで運転したら、上り列車に使う車両がなくなります。
九州行きの客は「はと」への乗換えを案内され、山陽線内の客へは下関行きの臨時便を出すとのこと。
やってきた列車は、なんと古~い 80系電車。チョークで「特急」と書いてあったのはお笑い。

岩国駅で遅延による払い戻しを受けたのは当然ですが、少し前に実施されたモノクラス制度のために、払い戻しの対象になる「特急料金」の額は、以前の「一等」時代よりも減っていました。
少し損をした気もしますが、今にして思えば貴重な経験でした。
[68836] 2009年 3月 15日(日)20:55:55【1】YASU さん
実は私も。
[68822] 桜通り十文字 さん
12月の0系引退のときのように誰か見届けた方はいらっしゃいましたか?
0系の時は姫路駅で見送りましたが、「富士・はやぶさ」も見送りました。
私は混雑している最終日に見送ることはほとんどしないのですが、両者とも非常に馴染み深いので、つい行ってしまいました。

まず13日、下り列車を地元浜松駅で見送りました。ホームの端や機関車付近には近づけないのでホームの中央に居たのですが、鉄ちゃんだけでなく家族連れや年配のご夫婦などもいらして、鉄道ファン以外にも関心を引く事象だったんですね。2~300人はいたように思います。
翌14日は東京で上り列車を出迎えました。東京では別の目的があったため到着時刻には間に合わないと思っていたのですが、88分遅れてきたので出迎えることができました。

東京発のブルートレインは、仕事帰りにも利用できる20時から23時位に浜松駅を出発していたので、「富士」2回、「あさかぜ」4回、「はやぶさ」3回、「さくら」3回、「出雲」1回と少なくはない回数を利用していました。
ただ年月が経つにつれ、食堂車がなくなり、ロビーカーがなくなり、乗車日の2~3日前でも個室が取れるようになり、と衰退していく様子は素人目にも明らかでした。2007年のオフ会で福岡へと「はやぶさ」に乗車した時も、個室はほぼ満室でしたが普通のB寝台は空気を運んでいるような状態でした。ただ九州新幹線開業まではなんとか生き長らえ、慶事と引きかえに引退かと思っていたのですがねえ。

[68829] かぱぷう さん
かなり長めの汽笛を鳴らしたのを聴いた瞬間に少々水分が溜まりました。
私もです。
東京駅に到着した客車が車庫へ回送されて行く時のことです。
これが嫌で、今までローカル線の廃止や列車の廃止に立ち会わないようにしていました。
0系新幹線の時は、後輩に道を譲っての発展的な廃止なんで大丈夫でしたが。
[68837] 2009年 3月 15日(日)22:36:10にまん さん
ブルーとレイン
私も上京以降(ちなみに平成)は、結構利用していたので、それなりに感慨深いですが、あの値段と設備を考えると仕方ないのかなとも思います。

私が利用していたのは、下関に帰省するのに、嫌いな飛行機を選択肢からはずしたら、6時間半新幹線に座るか、14時間寝台車で寝ていくかの選択となって、やっぱり後者のほうが楽だという結論だったからなのですが、飛行機好きの妻との結婚後はごくノーマルに飛行機で帰省しています。
私が乗っていたのは、あさかぜ(開放B)と富士(ソロ)が多かったのですが、盆や年末年始といった時期でも、キャンセル待ちをしていれば一人なら切符が取れないということはありませんでしたから、その程度の利用状況だったのでしょう。

上りの列車から眺める、朝日に照らされた富士山なんかは、とても印象的で大好きだったんですけどね。。。

p.s.
一発変換してくれなかった(タイトル参照)ことも、結構ショックでした。
[68839] 2009年 3月 16日(月)02:24:39【2】EMM さん
私とブルートレインとの「出会い」と「初体験」と「現在」と
ブルートレインなる列車が存在する事を私が知ったのは、今から30年ほど前にTBS系のテレビ局で放送された「富士」の特集番組を見た時でした。
確か、日曜日の夜8時前後に放送された番組で、富士が東京駅を発車してから西鹿児島駅に到着するまでの車内の様子や沿線の風景をまとめたものだったと記憶しています。
(調べたら、「日曜特バン!」と言う番組だったようです。こちらのサイトで同じ番組と思われる記載があります)
当時小学校の低学年だった私には、テレビに映し出されたブルートレインの姿は非常に魅力的に映りました。
で、当然思った訳です。「いいなぁ。いつか乗ってみたいなぁ。」
しかし、その頃の私の身の回りの状況では鉄道を利用する機会は滅多にありませんでした。
何せ、両親の里はいずれも市内、主要な親戚も多くが石川県内在住、両親は自営業のため休みが限られ、たまの遠出はまず間違いなく自家用車。
初めて一人で鉄道に乗って遠くに行ったのは大学受験のため急行能登の寝台で東京に行った時でした。
大学は県外でしたので鉄道を利用する機会はてきめんに増えた訳ですが、財布事情の良い訳で無い学生の身分では寝台特急は高すぎて利用できませんでした。
結局、学生時代の主要な移動手段は時期と向かう方向(基本的に金沢-新潟、金沢-東京、新潟ー東京のいずれか)によって「学割で特急or夜行急行」「青春18きっぷで鈍行or快速」「高速バス」から選択、となる訳です。
結局、学生時代に乗車した夜行列車は能登、きたぐに、ムーンライト、大垣夜行、松本夜行。
(臨時の急行加賀もあったかも。あれ、就職してからだったかな…)
特に、当時金沢-東京間をJRで移動する場合、(青春18きっぷの利用やややこしい乗り継ぎを除くと)特急+上越新幹線、特急+東海道新幹線、特急白山、寝台特急北陸、急行能登の五択だった訳ですが、この中では東京ミニ周遊券+学割で恐ろしく安価で利用できた急行能登が学生時代は唯一の選択肢でした。
(むろん、日程によっては高速バスも利用しましたが)
就職してからは学割の恩恵には預かれなくなりましたが、それでも金沢-東京間をJRで移動する時は安価な能登を利用し続けていました。
ところが、転機が訪れます。
1997年に東京ミニ周遊券が廃止されて能登のお得感が低下し、更にその数年後(具体的な時期を忘れた)に北陸-首都圏間の特急+上越新幹線用の往復フリー切符や回数券が特急北陸のB寝台でも利用できるようになったんですね。
で、たしか2000年か2001年ぐらいだったと思いますが、フリー区間が利用したかった事もあって首都圏往復フリー切符で初めて北陸のB寝台を利用しました。
テレビで「寝台特急富士」の雄姿を目にしてから実に20年以上経過してのブルートレイン初体験(?)となりました。
能登から北陸に変えても行程的には大差無い訳ですが、やはり横になって寝られると言うのは到着後の体調面で非常にプラスだった訳で(それまでも能登や高速バスで平気で寝ていますから、揺れがあろうと平気で寝られました。むしろ、空調の温度設定の方が寝付けるか否かに大きな影響があります)、それ以降は能登よりも北陸の方に乗車する事が多くなりました。
ただ、最近は日程的な都合で「片道北陸、片道上越新幹線」というパターンが増えていますが。
でも、能登に全く乗らなくなった訳でもありません。
北陸からの首都圏往復フリー切符、首都圏からの北陸往復フリー切符ともに盆暮れゴールデンウイークでも使えるためか、この時期の北陸のB寝台は速攻で売り切れてしまう事があります。
その際、どうしても夜行で移動したい時には能登の指定席、それもダメなら能登の自由席を利用する事になるためです。
(能登の場合、指定席が埋まっていても金沢からなら自由席はたいてい座れる)

北陸以外のブルートレインで乗る機会があったのは日本海。
二戸に出張に行く機会があった時に「新幹線で行くのと金額的に大差なかった」「朝早起きするのがつらい」と言う事で乗車しています。([35740]で触れてますね)
ただ、金沢から日本海に乗車する場合、利用できるトクトクきっぷが無いため、単純に乗ろうとすると「やっぱり高くつく」。
先日の湯瀬オフ会の際にも日本海を利用しようかと考えたのですが、先の出張の時と違い日程に余裕がありましたから「より安い移動手段」にしてしまいましたし。
今後も、よほど条件が合わなければ日本海に乗る機会は無いような気がします。
一方で、東京には年数回は行きますし、料金的にもお得に利用できますし、北陸は今後も利用する機会は多いと思います。
2014年に予定されている北陸新幹線の金沢延伸後、寝台特急北陸が(急行能登も)どうなるかは分かりません。
それと、車両が年々お歳を召していっているのも目で見て分かるので、むしろそっちの方が怖いような気もします。
いずれにしても、金沢に住んでいるとブルートレインを利用する機会はまだ十分あるので、その機会は大切にしたいものです。
でもやっぱり、「最初に出会った」富士にも乗車してみたかったなぁ。


#書いているうちに、やっぱりというかとりとめのない文章になってしまいました。
他にも触れたかった事があったような気がしますが…まぁいいや。
[68840] 2009年 3月 16日(月)11:14:28桜通り十文字 さん
熊本・大分行きただいま発車いたします
なんか変な気がしますが、気にしないようお願いいたします。
私が夜行列車なるものに乗ったのは、1歳ぐらいのとき、カシオペアに乗った時のことでした。ですが、これは記憶にありません。記憶の中では北斗星に家族で苫小牧~宇都宮間を乗車したときが一番最初でした。でも結局今まで乗ったブルートレインは銀河と北陸、それもそれぞれ一回だけ・・・

本当に寂しい限りです。
[68841] 2009年 3月 16日(月)12:38:37みかちゅう さん
夜行列車・東京近郊区間の拡大
移動手段としてはどう考えても割高な寝台列車。出張なら前日にビジネスホテルに泊まるのと値段的にはそんなに変わりません。特定シーズン以外はあまり利用されていなかったのも当然といえるでしょう。JR側も利用率アップの営業努力もせず、漫然と運行を続けていたというのも事実だとは思いますが。

ちなみに私はブルートレインの利用経験はありません。寝台車はサンライズ瀬戸の利用が3回ぐらいです。1回目は運行開始1週間ぐらいのとき、横浜駅で早朝に出した予約で2人用の個室の切符が取れたので親子で利用。2回目は私1人で個室だったはず、3回目は家族で指定席扱いの簡易寝台(?)です。

座席夜行は「ながら」「えちご」「信州」は経験あり。といっても全車指定席になってからですが。臨時の大垣夜行は品川駅で1時間ぐらい前から新聞紙を敷いて陣取るという経験が1回あるだけです。
高速バスがけっこう盛況の今、東京~大阪あたりなら安価な夜行列車を走らせてもいいと思うのですが…「高速バス並みの運賃で」という条件ではやはり無理なのでしょうか。


ついでに鉄ネタでもう1話。
運賃が最短距離で計算できる(その代わり途中下車はできない)「東京近郊区間」が14日のダイヤ改正で拡大されました。具体的には以下の通り。
・信越線(高崎~横川)
・上越線(渋川~水上)
・烏山線
・常磐線(高萩~いわき)
・成田線(成田~松岸)
・鹿島線
・総武線(成東~銚子)
・外房線(大原~安房鴨川)
・内房線(君津~安房鴨川)
・久留里線
今まで放置されてきた千葉県内の拡大が目立ちます。1都6県のJRで今回の拡大でも対象から洩れているのは以下の通り。
・上越線(水上以北)
・東北線(黒磯以北)
・水郡線(全線)
・御殿場線(全線)
前者2つは一気に利用が減る区間なので境界駅としては妥当なところ。御殿場線はJR東海なので調整が面倒というところがあるのでしょうか。水郡線は黒磯~郡山~水戸のループを作りたくないからでしょうか。
東京近郊区間といえば、130円切符で一筆書き旅行。今回の拡大では成田~松岸~成東と大原~安房鴨川~君津の2か所で大回りルートが形成されます。最長ルートはどうなるのでしょうか? もう1つ近いうちに130円旅行で影響しそうなのが、横須賀線の武蔵小杉駅開業です。横須賀線と南武線の交差が認められなくなるため記録は短縮されるかもしれません。いずれにしろ最長ルートが実行可能なのは正月の終夜運転のときだけなのですが。
[68842] 2009年 3月 16日(月)13:12:01淡水魚 さん
富士
[68836] YASU さん ほか皆様
計画していたわけではありませんが偶然に見送ることができました。ちょうどその日静岡で飲み会がありまして、20時過ぎにおひらきになり、下りホームに出たところ、なんかフラッシュたいてるし三脚が並んでる…そうか!今日最終便だ!鉄の人たちが電光掲示板に輝く寝台特急名を撮影していたのでした。披露宴または謝恩会帰りと思われるヒラヒラワンピースのお嬢さんたちまでケータイを向けてました。
そして本日。某医師会便りの表紙が「富士」のおしりで、中ほどに2月17日はやぶさ乗車記。A寝台ソロの室内や、下関での機関車交換シーンの写真が載っていました。
[68843] 2009年 3月 16日(月)15:27:04蒼の狼 さん
瀬戸
こんにちは。

僕も書きたいと思います。


僕のブルートレイン経験は1度だけです。
とはいってもブルートレインとそうでないものの違いがまだよく分からないんですが。


確か6歳ぐらいの時に親戚のいる千葉までいくのに「瀬戸」に乗りました。
そのときはディズニーランドにいけるという楽しみいっぱいで乗った記憶はあります。

それからまもなく「瀬戸」が「サンライズ瀬戸」に変わり、
いつの間にかブルートレインなるものが消えてしまうことになるとは…。

確かに同じ夜行ならばバスで移動しますが。
こうやって時代は流れていくものでしょうか。
[68844] 2009年 3月 16日(月)20:45:46なると金時 さん
消える命 咲く命
落書き帳に来る人は、世間一般よりは旅行好きな人が多いはずで、それでも寝台特急の経験がお寒い限り、てのが現状を表してますよね。
かくいう私も、一度しか乗ったことありません。2001年9月21日(金)、日本海に乗って木古内まで行き、江差線を乗りつぶしたときでした。乗り合わせた爺さんは江差追分全国大会に行くと言ってたっけ。江差に着いた後は、徒歩で中歌町というバス停まで歩いて、バスで八雲駅に抜けたのでした。

ところで、「ブルートレインひとり旅」って映画を皆さんご存知でしょうか。小学生の時、尼崎市労働会館だかなんだかまでわざわざ見に行ったんですが、今ネットで調べると、なんか教育映画みたいな感じの作品だったようです。内容はもうほとんど覚えていませんが、♪ブルートレイン ブルートレイン ありがとう~ という歌が流れてた、と思います。

一方で、20日にはいよいよ阪神と近鉄が繋がるわけで、新たに生まれるものもあり…
[68853] 2009年 3月 17日(火)22:29:06星野彼方 さん
ブルートレインの話
意外に皆さん、ブルートレインに乗っていないのですねぇ。私が今までに乗ったブルートレインは臨時列車込みで、銀河、あかつき、彗星、なは、さくら、日本海、北陸、あけぼの、トワイライトエクスプレス、越前、加賀。ブルートレインではありませんが急行以上の夜行列車は、能登、きたぐに、ドリームにちりん、だいせん、ちくま。ベテランの皆さんには及ぶべくもありませんが、これでもよく乗っているほうになるのですね。

とにかく、仕事帰りに出発して、翌朝、目的地近くまで移動できていることが大きな利点なので、使い勝手はいいと思うのですが、やっぱり料金がネックかな。カプセルホテル並みの設備で6300円は確かに高いと思う。もちろんこれにさらに運賃と特急もしくは急行料金がかかるわけで、それなら高速バス、になるのも仕方ないとは思う。実は私も夜行高速バスも、よく使うし。
[68854] 2009年 3月 17日(火)22:29:57小松原ラガー さん
ブルートレインの思い出
小松原ラガーです。

ブルートレインの話題、というか思い出といったほうがよいのでしょうか、いくつか出ておりますが、私も多少なりとも思い出があります。

関西出身の私ですが、中学・高校と親元はなれて九州で暮らしていたため、実家との往復には鉄道(国鉄)もしくは飛行機が半々という状態でした。年に10回ほど移動する機会があり、6年間とすると単純計算で60回。その半分が鉄道としても鹿児島と尼崎の間を30回ほど鉄道で移動したことになります。初めて寝台特急に乗ったのが西鹿児島->大阪の、多分「明星」だったと思います。3段式の寝台で下段のみ少し広かったのですが、朝になると寝台をたたみに来たのには少々ビックリしました。当時は「明星」だけで一日に何本か走っており、それに加えて「なは」が走っていました。同じように大阪方面に帰省する友人たちと「何時の明星?」などという会話があったのですが、今から考えると信じられないような話です。確か「明星」が電車寝台だったのに対して「なは」だけが客車寝台だったような気がしますが、希望の列車の切符を取るのも難しいことがあったような・・・。やはり今となっては昔話ですね。^^;下松辺りのコンビナートの夜景がきれいで、3段式の寝台では上段だと窓が小さくてよく見えず、3段式の時には極力下段を利用したものでした。

ただ、やはり時間がかかるのは否めず、飛行機のスカイメイトを利用すると当時は半額だったので、コスト的にもそれほど変わらず、一時期はもっぱら飛行機という時期もありました。が、航空運賃の値上げとスカイメイトの割引が35%に縮小された(これっていきなり一気に倍近い値段になり、すごい値上げでした。)ことで、その後は鉄道利用が多くなりました。ただ、その頃既に明星の本数も縮小傾向で、苦学生だったこともあり、西鹿児島発門司港行きの「かいもん」や「日南」の利用(日南は宮崎までは各駅停車でしたが)が圧倒的に多くなりました。友人たちとみんなで示し合わせて一両ほとんど貸切り状態にして、酒盛り、なんてことありました。お金に余裕がある時は、博多や小倉から先は新幹線だったりしましたが、鈍行でひたすら尼崎まで、ということも多々ありました。

ブルートレインではありませんが、あと、乗車した夜行列車としては「だいせん(米子-大阪)」、大垣鈍行、「越前(高崎-富山)」、「八甲田(青森-上野)」と北海道内の夜行急行(札幌-函館、釧路、網走、稚内の各地を結ぶものそれぞれ)くらいでしょうか。そういえば「銀河」ですら乗ったことが無い。あらら・・・。そういえば、「ムーンライト高知」とやらも一度あったかも。あ、更に新宮-天王寺や新宿-上諏訪(列車は松本行き?)の各駅停車もあったかも。いかん、まだまだ思い出していないやつがあるかも。でも、こうやって見ると、いわゆる「ブルートレイン」というものそのものには(種類的には)ほとんど乗車していないことが判明しました。もっと乗っておけば良かった。あ~あ、もったいない。

#ま、大阪-鹿児島と言えばこれからは「さくら」の時代のなるのかもしれませんが・・・。

[68844] なると金時 さん
小学生の時、尼崎市労働会館だかなんだかまでわざわざ見に行ったんですが、

うわっ、懐かしい。めちゃローカルな話題で申し訳ありませんが、この労働会館、子供のころ、ピアノの発表会でよく行きました。ピアノそのものがちんたらちんたらやっていたので、発表会となると、いやでいやで・・・。私にとっては、あまりいい思い出の無い場所です。
ただ、私達は「福祉会館」と呼んでいましたが。って、さっき、調べてみると正式には「労働福祉会館」というのですね。恥ずかしながら、初めて知りました。お粗末。
[68858] 2009年 3月 17日(火)23:18:28【1】いっちゃん さん
JR
反応の無かったクイズは「他都府県に出ずにJRの環状乗車ができる都道府県」だったのですが、それはさておきブルートレインの話題に乗っかります。

[68853]星野彼方さん
意外に皆さん、ブルートレインに乗っていないのですねぇ。(中略)これでもよく乗っているほうになるのですね。
そうなんですよ。意外に少なかったので自分の経験を書き込むと何だが自慢しているようで(いや、自慢はしたいんですが)躊躇していました。私の場合「路線を乗り潰す」よりは「列車に乗る」ことが好きで、特に金欠の学生時代でも「寝台」利用には金を惜しまなかったこともあり結構乗っていたりするんです。
乗車経験のあるブルートレインは・・・
「はやぶさ」「富士」「みずほ」「あさかぜ」「瀬戸(サンライズじゃないですよ)」「出雲(サンライズじゃないってば)」「銀河」「明星」「なは」「あかつき」「北陸」「あけぼの」「北斗星」で、いわゆる「寝台」を利用したのは「金星」「だいせん」「かいもん」「はまなす」です。かなり前に触れたことがありましたが「はやぶさ」「富士」は東京~西鹿児島間を完乗しています。「さくら」「彗星」は乗っておきたかったですね。

学生時代のヨーロッパ旅行も夜行列車(もちろん寝台かクシェット)を駆使してグルグルと巡ったほどの「寝台車」好きだったりします。
[68862] 2009年 3月 18日(水)13:49:39【1】N-H さん
寝台車利用記録
かなり前に、[18104]にて一度私の寝台車利用記録をまとめましたが、いっちゃんさんの書き込みもありましたので、あらためて書き出してみます。

・客車寝台特急(いわゆるブルートレイン):ゆうづる[15524]、はくつる、あさかぜ、さくら[37861]、富士、はやぶさ、瀬戸、北斗星[18104]、北陸
・電車寝台特急:ゆうづる、彗星、サンライズ瀬戸[33353]、サンライズ出雲[67356][67416]
・客車急行:狩勝、大雪、銀河
・電車急行:きたぐに[24972]
・客車鈍行:山陰

ゆうづるが2回出てくるのは、客車列車と電車の2種別とも乗車経験があるためです。
唯一の鈍行寝台利用記録は「山陰」ですが、その他「はやたま」にも座席利用では乗車経験があります。
最近はあまり利用することもなくなってしまいましたが、その中で比較的最近の利用のうち、サンライズ2回ときたぐに、いずれもトラブルに巻き込まれて大幅に遅れてしまいました。
かつても銀河を利用して出張先の京都から戻ろうとしたら台風のため運休で、あわてて予定を繰り上げて新幹線で帰宅したこともあり、こんなところにも夜行列車のもろさが現れてしまってますね。

※「みちのく」と誤記されていたものを「はくつる」に訂正
[68880] 2009年 3月 19日(木)17:32:28JOUTOU さん
青い列車&全国地方公共団体コード
みなさんこんにちは。落書き帳を常時楽しく見学させてもらっているJOUTOUです。

完全に終息ぎみの話題ですが、実はわたしも中学生ぐらいまでは結構鉄好きだったので、いつかはブルートレインに乗ってもみたいと思っておりました。が、高校の修学旅行で初めてAIR-LINEなるものを体験してからは、その所要時間の短さに魅せられてしまい、次第に鉄から離れてしまいました。

と、いうことで時間優先主義のJOUTOUは、ブルートレインに乗車する機会がないまま、今日に至ってしまいました。

[68826]hmtさん
特筆すべき点は「コードの構造」とその桁数です。
全国地方公共団体コードは、5桁のアラビア整数に、1桁の検査数字(□の枠の中に入れて記載)を加え、6桁とする
となっており、自治行政で使われるコードは、6桁が正式のようです。
実は、わたしがこのサイトに足を踏み入れたキッカケでもあります。当時給与担当をやっていまして、各市区町村に帳票を送付する際に6桁コードを理解していた方が便利だったからです。

ちなみにあまり役立つ情報ではないかも知れませんが、1桁の検査数字の求め方は、5桁の市区町村コード、00001から1増えるごとに「9,7,5,3,1,0,8,6,4,2,1」の順(以下循環)に数字を当てはめていきます。つまり6桁になると000019、000027といった具合。だから大河原町なら043214、金沢市なら172014、東かがわ市なら372072となるのです。
[68883] 2009年 3月 19日(木)19:12:40k-ace さん
長浜市など
こんばんは、k-aceです。

長浜市他6町で合併関連議案が可決([68856]熊虎さん)されたことで、来年には琵琶湖に面する自治体から町が消え、すべて市になるんですね。それと湖北町、高月町の準飛び地も消滅ということになります。

話題のブルートレインですが、いまだ乗ったことないんです…。夜行も「ムーンライトながら」と「ムーンライトえちご」のみですし…。

いよいよ明日開業の阪神なんば線。ただそれに伴うダイヤ改正で本線の岩屋駅と大石駅では普通しか停まらなくなるという事態も…。

[68871]山野さん
個人的には応募した「甲南町」になってほしいのですが、さてどうなることやら。
[68886] 2009年 3月 19日(木)21:11:16【2】Issie さん
聞け万国の労働者
今,たまたまテレビでNHKをつけたら,流れてきたのは彦根東高校の応援歌。選抜高校野球がらみのミニコーナーですが,聞いたことのあるメロディは「メーデー歌」ですね。元唄は旧制一高寮歌の「アムール河の流血や」,陸軍では「歩兵の本領」(万朶の桜か襟の色)。さすがは古い学校だけのことはある。

[68880] JOUTOU さん
完全に終息ぎみの話題

そうですね。なので,簡単に。
私の乗車経験が少ないのは,要するに「寝台車」または「寝台特急」に乗ること自体が目的でなければ選択肢にはならなかったからです。あるいは,ほかに使える列車がない場合。
学生時代,私は「能登」(信越線まわり)や「ちくま」を愛用していました。どちらも寝台車がついていましたが,当時はそれを利用することなど思いもよらないことでした。座席指定券でさえ,買うという発想がない。急行券だけ買って自由席に乗るのが当然。…そんなパターンが就職後もずっと続いていました。東海道筋は「銀河」ではなくて「人民列車」(大垣行夜行普通列車)。
ちなみに私の寝台車デビューは,「ソ連」のシベリア鉄道接続線の ナホトカ→ハバロフスク急行。国内では,お仕事(北海道修学旅行の引率復路)で利用した「ゆうづる」(電車寝台特急)。もう,10年ほど寝台列車には乗っていないな。

別件。
これはずっと以前に議論はされていると思うし,私自身もやっていることですが,
私は,ニュースサイトの記事へリンクを張ることについて,どうだろうか…,と思っています。
後々まで大事にとっておいてくれるところもあるようですが,やがては“流れて”読めなくなってしまうことが多いのではないか。
だから,その記事へリンクを張るだけで済ませてしまうのではなくて,せめてその記事の中身も説明してほしいな…,と。
(ニュースサイトって意外に“重い”ことがままあるんですよね。)
[68887] 2009年 3月 19日(木)21:18:25KK さん
青い列車といえば
青い列車といえば、思い出すのはアガサ・クリスティの「青列車殺人事件」。昔読んだきりなのでストーリーはよく覚えていませんが、フランスの「ブルートレイン」を舞台にしたミステリーだったと思います。日本のブルートレインも、このフランスの列車に由来するという話をどこかで聞いたような・・・。
夜行列車の雰囲気は大好きで、学生のころはよく利用していました。最後に利用したのは、3年前、出張で京都へ「銀河」で行ったときでしたが、利用者はそこそこ(それでも半分程度でしたが)いたものの、車両の塗装がはげていたり、寝台のシーツがすり切れていたりと、寿命が近づいているのは明らかでした。夜行列車が廃止されるのも時代の流れでやむを得ないと頭ではわかっているのですが、やはり廃止のニュースを見ると悲しくなってしまうんですよね。今残っている夜行列車には、末永くがんばってほしいものです。
[68889] 2009年 3月 20日(金)01:55:48geo さん
来年の正月には・・・
 こんばんは。2ヶ月ぶりの書き込みとなります。
 先週の火曜に3年間通った公立高校を無事卒業し,ここのところは4月からの大学生活に向けての準備と並行して,普通免許取得に向け自動車教習所に通う日々です。


 さて・・・
 先日,湖北地区1市6町の議会で合併関連議案が可決され,合併がほぼ確定となりました。
 来年の正月,田舎へ帰るときには,もうそこは「伊香郡木之本町」ではなく,「長浜市」になっている・・・。そう思うとなんだか寂しい気持ちになります・・・。

 ・・・そういえば,1市6町の合併協定調印式についての新聞記事で,
合併が実現すると人口は約12万5000人となり、草津市を抜き県内2位となる。
とあったのですが,新しい長浜市はすでに草津市に人口を抜かれているのでは・・・?と思い,草津市のホームページを見ると,2月28日現在の人口は119,639人。あれ?滋賀県の調査では2月1日現在で125,372人となっているのに・・・(ちなみに新しい長浜市に人口は124,452人)。なんでしょうこの大きな差は。。。
 余談ですが,国勢調査初期の1920年と1925年,滋賀県内で最も多くの人口を抱えていたのは新しい長浜市で,さらに1925年の調査では県内で唯一10万人の大台を突破していたとか。ちょっと意外。   

[68884] maki さん
そういえば、新しい長浜市が誕生しても、面積は高島市に届かないんだとか。
 琵琶湖の境界が確定するまでは,新しい長浜市のほうが高島市より面積が大きかったそうです。つまりは高島市は琵琶湖の取り分が大きいということ。県内他市と比べても高島市の人口密度はずば抜けて低く,県内13市で唯一100人/㎞2を割っています。



[68836] YASU さん 他
ブルートレイン
 最近初めてブルートレインに乗りました。というのも,3月1日から5日間,「北海道&東日本パス」というきっぷを使って友人と北海道へ行っていまして,その時利用したのが青森と札幌を結ぶ「急行はまなす」。きっぷの制約上,寝台は使えず自由席への乗車でしたが・・・。電車に比べて音が静かだなぁという印象を受けました。
[68891] 2009年 3月 20日(金)02:55:16YT さん
クリスティーといえば
[68887] KKさん

クリスティーの『青列車殺人事件』は、クリスティーの最初の短編集である『ポワロ登場』の「プリマス急行」を長編用に書き換えたものです。でもクリスティーの列車ものといえば、『オリエント急行殺人事件』ですね。あと探偵がミス・マープルですが、『パディントン発4時50分』なんかも鉄道の追い抜きというネタが使われています。鉄道は登場しないですが『ABC殺人事件』は時刻表が道具として使われています。このほか、鉄道の最終便が出た時刻とかいったネタが地味に色々な作品で登場します。

こうやってみると、クリスティーはかなり鉄道旅に慣れていたのでしょう。

自分は小学生の頃に一回だけ国鉄時代の「北陸」に乗ったことがあります。今は亡き碓氷峠経由で冨山まで乗りましたが、興奮して中々寝付けなかったような覚えがあります。もっとも高崎駅以降の記憶がないことからすると、あっさり寝たんですね。

ただ正直仕事で寝台列車を使う気にはなれないです。
[68892] 2009年 3月 20日(金)07:29:44リトル さん
「富士・はやぶさ」これも、さよなら運転…?
▲翌日の見送り…
[68822]桜通り十文字さん
誰か見届けた方はいらっしゃいましたか?

下り最終列車(3/13)の出発は職場のラジオで現場実況を聴いていました。
最終日は、駅でのパニックが嫌なので「何度も乗った列車」「家の近くの路線」等以外は滅多に見送りに行きません。沿線で見送る事はありますが…。
(今回も京都駅で「爆破予告」がありましたね。)

ただ、世間が盛り上がった営業運転最終日の翌日(3/15)。客車の返却回送というのがありまして、最終列車に使用した客車を九州に持って行きました。
営業運転ではないので、ヘッドマークは付かないのですが、日頃は深夜通過で見られないブルトレ編成を日曜日の昼下がりに見られると言う事もあり、私にとってはこちらが真のさよなら運転でした。
撮影しつつ、見送りましたが、営業運転の最終日のように「ありがとう!」と絶叫する人もいず、撮影地の20人ほどのファンによる、至って静かな見送りでした。

※今回、九州方面に向かったのは、3/20・21にJR九州管内の団体貸切ツアーとして、門司港~長崎で「さくら」「あかつき」をリバイバル運転する様ですので、それに使う為でしょうね。

▲ブルトレ乗車歴…
・高校時代は「周遊券」、学生~大人になっても「青春18切符」ばかりの貧乏人なので、ブルトレは高嶺の花…撮るけど乗れないだろうな…、と思っていました。
まさか弘前の人と結婚し、頻繁に「日本海」に乗る事になろうとは…。
・夜行列車でも、安価な急行はよく乗ったものです…「ちくま」「利尻」「大雪」「まりも」「八甲田」「越前」「きたぐに」「ML高知」大垣夜行…。
・学生時代の卒業旅行でヨーロッパに行った際も、[68858]いっちゃんさんの言われた様に夜行列車を多用しましたが、それは時間と宿泊代を浮かすためでした。
しかし、今思い返すと贅沢な旅行だったのかも知れません。

▲夜行列車の今後は…
私は、新幹線の移動で1日潰すより、寝ている間に目的地に着くので好きですが、乗客減に歯止めが掛からないようですね。以前、私が乗った「日本海」でも、金曜日なのに一両に乗客が一人と言う事もありました…。
これからは、格安の「長距離バス」「帰省時の臨時夜行列車」等と、高級なリゾート列車の2極化して行くのでしょうか?

※それにしても、皆さんの年季の入り方はすごいですね。
hmtさんの「はと」「80系電車」って…。

もうすぐ京都も桜の季節です。
リトル
[68896] 2009年 3月 20日(金)10:14:57【1】Issie さん
急行「北陸1号」
[68891] YT さん
国鉄時代の「北陸」

実は,私の“夜行列車デビュー”は「北陸」号でした。
小学校に上がる前の万博(…と,修飾語なしで呼ぶ場合は,当然,大阪のそれです。私は行っていませんが)の前の年。
当時(ヨンサン・トオ改正によるダイヤ),「北陸」号は急行で,福井発着の季節列車と金沢発着の定期寝台列車の2往復があって,私が乗ったのは季節列車の上野行き「1号」で,金沢から。もちろん,旧型客車の座席車です。…でも,列車の中のことはほとんどおぼえていません。おぼえているのは,列車を待っている金沢駅のホームの隣の番線にコンテナ車(コキ?)をつないだ貨物列車が停まっていて,コンテナに「戸口から戸口まで」というキャッチフレーズが書いてあったこと。

この時の金沢行き(正確には能登行き)は,私にとって夜行列車だけでなく,新幹線,蒸気機関車牽引列車,ジーゼルカーのそれぞれについても“デビュー”の旅行でした。新幹線は,米原乗り換えなので,残念ながら「ひかり」ではなく「こだま」でしたが。
蒸気機関車(“SLブーム”前夜で,「SL」という言葉はまだそれほど一般的ではなかったのではないかと思います)牽引列車は,金沢から乗った七尾線,夕方の客車列車。ジーゼルカーは,羽咋から乗った北鉄能登線。海沿いを走って,「滝」という駅のあたりで日が沈みました。復路の 能登中島→金沢 も,やっぱりジーゼルカー。こちらも夕方で,津幡に着く前に日が暮れていました。で,金沢から「北陸1号」,と…。

ところで,私が乗った時もそうでしたし,その後,特急になってからもそうですが,「北陸」って,“上越線まわり”(長岡経由)ではなかったかしら。

なお,この話は別件でつづく,…かもしれません。


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