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落書き帳

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[72808] 2009年 11月 10日(火)11:48:19【2】伊豆之国 さん
East Station~第二十四回十番勝負「問八」徹底検証
[72787]で約束した通り、第二十一回・問三の「新+市名」駅([68384])と同様に「駅名」関係の問題であった、問八の共通項「東+市名」駅に関連したお話を書いてみたいと思います。
現在、市名の頭に「東」の付く駅は、元の市名とは直接無関係なものを除くと、全部で66駅ということになります。これらを「元の市名駅との関係」から見ると、次のように分類できると思われます。
(1)「○○」(市名)駅、「東○○」駅が共に市内にあるもの。下記を除いた59市となります。
(2)「○○」駅がその市内にないもの。これは、更に(a)市内に直接市名を表す駅がないもの‥舞鶴・大崎の2市、(b)市名を含む中心駅名があるもの‥小金井(武蔵小金井)・富岡(上州富岡)・向日(向日町)の3市、に分けられそうです。
(3)「○○市」駅になっているもの。寝屋川・山梨の2市です。

この中で、(2)で挙げた市のうち、舞鶴市については、かつては「舞鶴」駅があったのですが、昭和19年に現駅名の「西舞鶴」に改称され、それ以降「舞鶴」という駅名は存在していません(Wikipedia「西舞鶴駅」より)。現在では市の中心もかつての東舞鶴市に移り、東舞鶴駅が時刻表の代表駅となっているようです。一方、大崎市については特殊な事情がある例と言えましょう。大崎市には「東大崎」駅の他に「西大崎」駅がありますが、「大崎」という駅はなく、「東大崎」駅の開業は昭和30年、「西大崎」駅は平成9年に「上岩出山」から改称されたものですが、共に「大崎市」の発足より遥か前であり、駅名は古くからの地方名に由来すると思われます。そして両駅共に単線1本ホームの無人駅であり、「東大崎」駅も市の中心駅である「古川」駅から見ると西に位置します。「大崎」の「本家」はもちろん山手線の大崎駅ですが、「品川駅と北品川駅」の関係を思い起こしてしまいそうです。

かつて存在していましたが、改称や廃線で消えた「東」駅もあります。現在の和歌山駅は、昭和43年まで「東和歌山」といい、それまでの和歌山駅は「紀和」駅と改称されています。これについてのいきさつは、[4649]Issieさんの記事に詳しく述べられています。このほか、京王八王子駅も、昭和38年に現在地に移転・改称されるまでは「東八王子」と名乗っていました。廃線になったために消えた「東」駅には、東佐賀(旧国鉄佐賀線・昭和62年廃止)、東加茂(蒲原鉄道・昭和60年廃止)、東神戸(阪神国道線・昭和44年→[68422]拙稿、[68430]hmtさん)などがあります。
市名が消滅したために仲間から外れたものには、さいたま市となった東浦和・東大宮・東岩槻の各駅や、新潟市になった東新津駅といったところがあります。
「新」では例があった、直接市名に由来しながら別の市町村にある「東○○」駅、というのは現在は見当たらないようですが、過去には「東都城」という例がありました。元々は「三股」駅でしたが、昭和47年に「東都城」と改称され、61年に再び元の「三股」に戻されています。しかし、駅は当時から三股町にあり、そして現在も三股町です。都城市との合併話も、本サイト内の「合併情報」を見ても、どうやらないようです。これは、おそらく当時都城市への合併構想が進み、駅名を「先取り」して改称までしながら、結局直前で破談になった、といういきさつ絡みではないかと思うのですが、私には「未経県」の地なので詳しいことはわかりません‥。
「東」が地名の後ろに来る例は、一般の地名では普通に見られますが、市名の後ろに「東」、という駅名では「堺東」が唯一の例と思われます。この堺東駅は、東区にはなくて堺区にあり、乗客数も堺駅(こちらも堺区)を大きく上回り、1日の乗降客数は6万人近くに達し、実質的な堺市の中心駅と言えそうです。ちなみに、JR堺市駅も堺区ですが、利用客数は堺駅・堺東駅よりもずっと少なく、1万人余りとなっています。
「東+市名」の後ろに更に別の語が付く駅名もあります。名鉄築港線の「東名古屋港」駅がそれです。

次に、ちょっと前に話題になった、元の市名と無関係な「東○○」駅(&「東○○市」)について([72165][72167]稲生さん、[72166]なきらさん、[72168]hmtさん、[72169]Issieさん)。これについては、項を改めて書き込むことにします。
[72810] 2009年 11月 10日(火)22:40:53にまん さん
東駅といえば
[72808] 伊豆之国 さん
廃線になったために消えた「東」駅には、東佐賀(旧国鉄佐賀線・昭和62年廃止)、東加茂(蒲原鉄道・昭和60年廃止)、東神戸(阪神国道線・昭和44年→[68422]拙稿、[68430]hmtさん)などがあります。

個人的には、地元ということもあり、廃止後40年近くたっても「東駅」という通称地名として確固たる地位を残している「東下関」(長州鉄道→山陽電気軌道・昭和46年廃止)も挙げておきたいですね。
[72812] 2009年 11月 10日(火)23:52:59【4】Issie さん
今日は貴方の月給日 まずおー先(大崎)は買い物よ
小島貞二作詞,浜口庫之助作曲,小林旭・唄「恋の山手線」(←「やまのてせん」ではなく「やまてせん」であることに注意)から。

[72808] 伊豆之国 さん
「東大崎」駅の開業は昭和30年、「西大崎」駅は平成9年に「上岩出山」から改称されたものですが、共に「大崎市」の発足より遥か前であり、駅名は古くからの地方名に由来すると思われます。

直接には,該当駅の所在地が開業当時の古川市の「東大崎地区」に属するからだと思われます。もう少しさかのぼると,元の「玉造郡東大崎村」。
ただ,東大崎村 が 古川市 に編入されたのは1950(昭和25)年のことで,東大崎駅は「東大崎村」が“消滅”した後に開業したのですね。なお,東大崎駅の位置する大字名は「大崎」。近世村としては「大崎村」を称していたのでしょうか。
同様に,「西大崎駅」があるのも,旧玉造郡西大崎村であった区域。西大崎村が合併で 岩出山町 の一部になったのは1954(昭和29)年で,こちらの1960(昭和35)年の開業時点の名前「上岩出山」は所在地が岩出山町の一部だからでしょうが,この場合の「上」は川の上流・下流ではなく,“都”に近い方という意味みたいですね。2007(平成9)年の「西大崎」駅への改称は,前年の2006(平成8)年に岩出山町が合併で「大崎市」の一部になったことと関係があるのかもしれませんね。

両駅共に単線1本ホームの無人駅

東大崎駅の開業が1955年,西大崎駅(上岩出山駅)が1960年というわけで,“ジーゼルカー”が旅客列車の主役になってから“追加”された駅であるようですね。蒸気機関車が牽引する“汽車”が主役であった頃は無視して素通りしていた沿線の中小集落。汽車よりは加速性能が良く(しかし電車には大幅に劣る),1輌だけでも“列車”となり得るディーゼルカーの投入とともに,“省線”時代の昔に比べれば私鉄並みな「小量頻繁輸送」に少しだけ目覚めた国鉄が全国のローカル区間(幹線も含む)にディーゼルカーのための小駅(客車列車は“普通”でもしばしば通過する)を次々と設置した,そのような駅の1つなのでしょうね。

かつて存在していましたが、改称や廃線で消えた「東」駅もあります。

このような例を並べていけばキリがないけれど(もちろん,数に限りはありますが),私個人にとっては極めて身近な存在という極めて個人的な理由から,例を1つだけ。
かつて,上越(北)線に「東小千谷」駅がありました。
上越線は(宮内以北の信越本線も)信濃川を渡ることを徹底的に嫌い,したがって信濃川の右岸(東側)を通っています。ところが,会津藩の飛び地や同藩の幕府から預かり地のあった魚沼郡の中心地として栄えた小千谷(小千谷自体は幕府領)の市街地は信濃川の左岸(西側)にあります。
最初に小千谷に乗り入れたのは,信越線の来迎寺駅から信濃川左岸を南下してきた軽便鉄道の魚沼鉄道でした。1911(明治44)年のこと。小千谷市街地の北はずれ(信濃川左岸)に「小千谷駅」が設けられました。魚沼鉄道は1922(大正11)年に国有化されて 魚沼線 と呼ばれることになります。
そこへ信濃川右岸を通って上越北線が開業したのが1920(大正9)年。市街地の東の川向う(1929年に編入されるまで「ひ生村」(ひう:“ひ”は“くさかんむり”に稗)という別の村)にあるし,「小千谷駅」は既にあるから「東小千谷駅」となったわけ。
けれども,清水トンネルが開いて1931(昭和6)年に上越線が全通すると,さすがこちらの方がランクが高いということか,「小千谷駅」の名前を横取りしてしまいました。結果,1932(昭和7)年に魚沼線の「小千谷駅」が「西小千谷駅」に,上越線の「東小千谷駅」が「小千谷駅」になりました。そして1984年の魚沼線廃止で「西小千谷駅」はなくなってしまったのですね。

というわけで,小千谷市も「元は“東○○”駅のあった○○市」の1つなのですが,「東小千谷駅」と「小千谷市」が同時に存在したわけではないから,これは反則かな。
[72815] 2009年 11月 11日(水)09:27:11今川焼 さん
東広島駅
[72808]伊豆之国 さん
かつて存在していましたが、改称や廃線で消えた「東」駅もあります。
かつて広島市内にあった「東広島駅」もそうですね。場所は山陽本線の広島駅東側でwikipediaの記事によると1969年に開設された貨物駅。1995年に本線上に移転し、広島貨物ターミナルと改称しています。ちなみに東広島市にある新幹線の東広島駅が開業したのが1988年なので、7年間は2つの「東広島駅」が共存していたことになります。
貨物駅の方の東広島駅が移転した跡地にできたのが広島カープの新本拠地マツダスタジアム。その一帯の住所は「東駅町」となっています。地図
ところで、交通由来町名コレクションにも載っているこの「東駅町」ですが、その由来はこの「東広島駅」のような気もします。問題は東駅町という町名の誕生が1969年より前か後かということなんですが。
[72831] 2009年 11月 12日(木)23:38:46黒髪 さん
RE:東広島駅
[72815]今川焼 さん
問題は東駅町という町名の誕生が1969年より前か後かということなんですが。

東駅町誕生は昭和47年(1972年)11月1日のようです。残念ながら町名の由来はみつけられませんでした。
http://park1.wakwak.com/~vine/mati/minami/minami.html#m026
http://www.city.hiroshima.jp/www/contents/0000000000000/1110871016786/index.html
[72845] 2009年 11月 15日(日)14:00:58伊豆之国 さん
East Station~第二十四回十番勝負「問八」徹底検証(続編)
遅れてしまいましたが、[72808]で最後にちょっと触れた、「その市にない(市名と無関係の)東○○駅」についてお話しようと思います。現在、このような「東○○」駅は、次に挙げた各駅が該当すると見られます(貨物駅を除く)。これを、更に「東○○」駅と元の市名との関係についても分類してみたいと思います。

駅名所在地路線名備考(元になった駅名・地名、由来等)
東久留米東京都東久留米市西武池袋線駅名が市名に(東久留米市HP[72168]hmtさん)
東佐野大阪府泉佐野市JR阪和線泉佐野駅(南海電鉄本線、昭和23年まで「佐野駅」。地名も「佐野町」)
東新庄富山県富山市富山地方鉄道本線駅の所在地が「新庄町」(町の東というより南寄り?)
東高崎宮崎県都城市JR吉都線旧高崎町、高崎新田駅
東垂水兵庫県神戸市垂水区山陽電鉄垂水駅(JR山陽本線)<読み方違い>
東長崎東京都豊島区西武池袋線九州の長崎から見て東?→※1
東中野東京都中野区JR中央本線中野駅、中野区
東広島広島県東広島市JR山陽新幹線市名(「広島市の東」が市名に)→※2
東松江和歌山県和歌山市南海加太線和歌山市松江地区の東<山陰本線と同名別駅>
東松原東京都世田谷区京王井の頭線松原駅(東急世田谷線)→※3
東松山埼玉県東松山市東武東上線関東(東国)の松山→市名に([72168]hmtさん)
東村山東京都東村山市西武新宿線明治以来の村名(同上)
東八尾富山県富山市JR高山本線旧八尾町、越中八尾駅<読み方違い>

 ♯落ちがあったらご教示ください。

このうち、まず(※1)「東長崎」駅ですが、本サイトの記事検索にかけたところ、過去に出てきた2件はいずれも「本家」長崎市に合併された「東長崎町」に関する記事で、西武線の「東長崎駅」について書き込むのは意外にも今回が初めてになりそうです。この「東長崎」駅の所在地は豊島区長崎と南長崎の境ですが、駅の位置は長崎地区のむしろ西寄りであり、駅名はやはり
九州地方(西日本)と関東地方(東日本)との対比から生まれた「東」の概念を持ち込み
[72168]hmtさん)、これを駅名に採用した、というところではないでしょうか。
余談ですが、この豊島区長崎地区は町名変更が幾度か繰り返されており、かつて「長崎東町」という町名があり(最寄り駅は「椎名町」が近い)、この町に行こうとした人が知らずに「東長崎」駅で降りてしまう、ということが多かったそうです。

次に(※2)「東広島」駅ですが、こちらは事情が少々複雑です。新幹線の「東広島」駅の開業は昭和63年、「東広島市」の発足(市名誕生)は昭和49年ですから、駅名は「東広島市」の市名に由来すると考えてよかろうと思います。一方、かつて山陽本線の貨物駅に「東広島」という駅があり、
1969年に開設された貨物駅。1995年に本線上に移転し、広島貨物ターミナルと改称しています。ちなみに東広島市にある新幹線の東広島駅が開業したのが1988年なので、7年間は2つの「東広島駅」が共存していたことになります
[72815]今川焼さん)
という経緯があるとのことです。したがって、貨物駅のほうの「東広島」駅は、「その市名(広島市)に方角をつけた」駅。新幹線の「東広島駅」は、直接市名から取った駅、ということになるわけですが、「東広島市」の市名は「広島市の東」に位置することから来ていると思われますので(「東大阪市」などと同類)、新幹線の「東広島」駅のほうは、「直接その市(広島市)にはないが、間接的にはその市(広島市)とつながりがある」と見るのが妥当ではないかと思います。

それから(※3)「東松原」駅ですが、こちらも事情が複雑です。現在では、上記のように世田谷線「松原」駅との対比の形になっていますが、実はこの「松原」駅が元なのではありません。現在の「松原」駅は昭和24年に「六所神社前」「七軒町」の両駅を統合して「玉電松原」駅として開業したものであり、一方「東松原」駅は昭和8年の開業で、こちらのほうが先です。実は、京王線の「明大前」駅が昭和10年に現駅名に改称されるまで「松原」と名乗っていました。この「先代」松原駅と、「東松原」と同時にできた帝都電鉄(井の頭線)の「西松原」駅とが統合されて現在の「明大前」駅になり、「松原」が消えて「東松原」だけが残った状態がしばらく続いていたのでした。なお、大阪府松原市の中心駅は「河内松原」駅(近鉄南大阪線)です。

ついでに、現在は消えた「その市と無関係の東○○駅」には、「東飯田」(茨城県桜川市・筑波鉄道-昭和62年廃止)、「東川崎」(福岡県川崎町・旧国鉄上山田線-昭和63年廃止)といったところがあります。また、現役の駅で「かつてその市と無関係」だったというタイプの駅名には、「東甘木」(西鉄天神大牟田線・福岡県大牟田市、駅の所在地が「大牟田市甘木」。同一県の旧甘木市から見ると南西の方向)があります。
[72808]でも触れた「市名の後ろに東」というタイプの駅名では、現役では「堺東」だけのようですが、過去には「上田東」(長野県上田市・上田丸子電鉄<現・上田電鉄>丸子線、昭和44年廃止)という駅もありました。蛇足ですが、この丸子線で働いていた車両のうちの2両が、廃線後に「江ノ電」に移り、昭和61年に引退後、そのうちの1両が上田に来る前に走っていた山梨交通(昭和37年廃止→[66626])の終着駅があった、来年3月から「富士川町」になる増穂町の公園に「里帰り」保存されています。
[72847] 2009年 11月 15日(日)20:00:30伊豆之国 さん
East Station~第二十四回十番勝負「問八」徹底検証(続々編「しほがま」)
[72808][72845]と2回にわたって、先の十番勝負「問八」の共通項「東+市名」駅についてのお話しをしてきましたが、最後に、お題で「NG」の例とされ、十番勝負の感想文[72787]でも触れた「塩竈市」「塩釜駅」とその経緯について書き込むこととします。

「塩竈市」の市名については、「落書き帳」にもこれまで数多くの書き込みがありますが、要約すると
塩竈市役所内での表記統一は、1941年(市制施行の年)とのこと。従来の表記は、鹽竈・塩竈・鹽釜・塩釜。「塩」については常用漢字が、「竈」については地名の由来である「かまど」の字義に従った字が使われています。市民の過半数は、現在の市名で特に不便を感じない由。塩竈市HP
[70590]hmtさん)ということになるのでしょう。
さて、塩竈市内には「しおがま」の付く鉄道駅は現在4駅ありますが、全て「塩釜」の文字が使われています(過去にあった貨物駅「塩釜港」駅なども同様)。このうち、直接市名に由来する「塩釜」駅は、昭和31年に東北線のルート変更(元は戦時中に作られた貨物線。それまでの利府経由の線は、37年に岩切-利府間を残して廃線となった)に伴い開設された駅で、当初から「塩釜」の字体でした。そして、同時に陸前山王駅から分岐していた「塩竈線」の終点であった「塩竈」駅は「塩釜港」と改称、同時に旅客営業を廃止して貨物線「塩釜線」になり、またそれまでの「塩竈港」貨物駅が「塩釜埠頭」と「玉突き」式に改称されています。この貨物線は、その後も幾度かの変遷がありましたが、最終的に平成9年に全廃されています。一方、仙石線の「東塩釜」「本塩釜」「西塩釜」の各駅は、いずれも「宮城電鉄」という私鉄の駅として開業、当初はいずれも「釜」の字が使われ、昭和19年の国有化の際に市名と同じ「竈」の字体に改称。「塩釜」駅の誕生に遅れること7年、昭和38年に再びいずれも現在の「釜」に戻されるという経緯をたどっています。したがって、塩竈市は昭和19年から38年までの19年間は「東+市名」駅がある市であり、38年の再改称によって「該当しない市」になったことになり、また「塩釜駅」の開業から前記の仙石線各駅の改称までの7年間は「塩釜」駅と「○塩竈」駅とが共存していたことになるわけです。

「尾張」に、本題から外れますが、「塩竈市」以外にも「塩釜」の付く駅があります。名古屋市地下鉄鶴舞線の「塩釜口」駅。駅名は付近の地名から来ているようですが、この「塩釜」がかつて「塩竈・鹽竈」と書かれたことがあるかどうか、由来が気になります。
「竈」の字が今も現役で使われている駅もあります。「猫電車・タマデン」和歌山電鉄の「竈山」(かまやま)駅がそれです。近くの神社名に由来するようです。
[72855] 2009年 11月 16日(月)12:18:54むっくん さん
塩釜口駅
[72847]伊豆之国さん
名古屋市地下鉄鶴舞線の「塩釜口」駅。駅名は付近の地名から来ているようですが、この「塩釜」がかつて「塩竈・鹽竈」と書かれたことがあるかどうか、由来が気になります。
所在地の名古屋市天白区塩釜口一丁目から名付けられた塩釜口駅。
名古屋市HPの天白区の町名の由来では
●塩釜口一・二丁目(しおがまぐち)
塩釜神社への参詣口として塩釜口の呼称が定着していたことから名付けられました。
と付近の地名の由来が書かれています。

さて現在は安産祈願ということで名古屋市内では知られている塩竈神社ですが、その由来としては
東北鎮護・陸奥国一ノ宮として崇敬を集める、宮城県塩竈市の旧国幣中社「鹽竈神社」より弘化年間(1844~48)に愛知郡天白村豪農の山田善兵衛が御分霊を賜りましたのが始まりとされております。
とあり、海岸線よりかなり内陸部にあるこの地に鹽竈があったということではなさそうです。

#愛知郡「天白村」豪農の山田善兵衛とありますが、天白村の成立は明治39(1906年)5月10日。おそらく、正しくは八事村もしくは植田村なのでしょうが、名古屋市HPでも間違っているのでこれは仕方が無いのかな。。。


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