都道府県市区町村
落書き帳

����/����

… スポンサーリンク …



[72857] 2009年 11月 16日(月)15:58:38【3】むっくん さん
市区町村変遷情報(市制町村制施行時)・福岡県(その1)
>88さん
市区町村変遷情報(市制町村制施行時)福岡県に誤りと思えるところがありましたので報告します。

本論に入る前にこの文章で用いた文献の紹介です。

(1)福岡県令第42号(M22.3.13)
#『福岡県市町村合併史(編・発行:福岡県、1962)』27-28頁によります。28頁には市制施行により福岡市となった従来の福岡区の町村名、及び市制施行により久留米市となった従来の御井郡両替町外28町の町名を記載し、27頁には市制施行により福岡市及び久留米市となった従来の福岡区の町村名及び従来の御井郡両替町外28町の町名以外の区域を掲載しています。これは実質的に福岡県の市制施行地域の廃置分合を記した福岡県令第42号に相当していることより、本稿では福岡県令第42号として書き表します。
(2)福岡県令第43号(M22.3.13)(明治22年4月1日に行われた町村分合の根拠)
#福岡県市町村合併史(編・発行:福岡県、1962)30-39頁によります
(3)新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)
#市制町村制施行時の廃置分合そのまま。
(4)大日本市町村名鑑(編著:星野文三、出版:博聞社、M26.11.9)
#市制町村制施行時の廃置分合に、明治24年2月ごろまでの廃置分合も反映させたもの。
(5)大日本全国各府県市町村新旧対照一覧(編著・出版:中村芳松、M28.3.5)
#市制町村制施行時の廃置分合に、明治26年末ごろまでの廃置分合も反映させたもの。
(6)地方行政区画便覧(著・出版:内務省地理局、M20.10)
#明治19年1月現在の町村名を記載。
(7)内務省告示第34号(M23.10.6)
#明治22(1889)年末の「市町村現住人口」を表しており明治22年末の市町村名を記載。
(8)旧高旧領取調帳
#明治2年(1869)頃の村名を掲載しています([57484]okiさん)。歴史民俗博物館のデータベースの検索結果によります。
(9)福岡県統計書明治22年(著・出版:福岡県、M24)
#明治22年に福岡市及び久留米市となった町村名が記載されています。
(10)市制施行地郡区境界組替ヲ処分ス(PDF)(編:内閣、M22.6.)(公文類聚(太政官の公文書をまとめた公式文書)より)
(11)福岡県新町村名(編著:葉石次郎、出版:磊落堂、M22.11.)

(1)から(6)は総てにおいて参照し、(7)~(11)は適宜参照しました。
以下、本文中での参照資料としては各資料が一致しているものについては、原則として簡略化して(4)のみを記載しました。

それでは紹介です。


2 新設/市制 福岡市 福岡区, 福岡区 天神町, (略), 紺屋町, 西小性村, 林毛, (略), 鉄砲町, 東小性村, 薬院東川端, (略), 桝木屋町, 大円寺村, 東唐人町堀端, (略), 荒戸村, 「博多」中島町, 川端町, (略), 下西町, 古小路「町」, 上店屋町, (略), 小金町, 春吉村の一部, 犬飼村の一部, 堅粕村の一部, 鳥飼村の一部

2 新設/市制 福岡市 福岡区, 福岡区 天神町, (略), 紺屋町, 西小性「町」, 林毛, (略), 鉄砲町, 東小性「町」, 薬院東川端, (略), 桝木屋町, 大円寺「町」, 東唐人町堀端, (略), 荒戸村, 中島町, 川端町, (略), 下西町, 古小路, 上店屋町, (略), 小金町, 「那珂郡」 春吉村の一部, 犬飼村の一部, 堅粕村の一部, 「早良郡」 鳥飼村の一部
ではないでしょうか。
「村」ではなくて「町」、「町」ではなくて「村」である箇所は、新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12)、大日本市町村名鑑(編著:星野文三、出版:博聞社、M26.11.9)、大日本全国各府県市町村新旧対照一覧(編著・出版:中村芳松、M28.3.5)、「福岡県市町村合併史」(編・発行:福岡県、1962)27-28頁よりの福岡県令第42号、福岡県統計書明治22年(著・出版:福岡県、M24)に共通です。
「博多」については、新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12)、大日本市町村名鑑(編著:星野文三、出版:博聞社、M26.11.9)、大日本全国各府県市町村新旧対照一覧(編著・出版:中村芳松、M28.3.5)については「博多」中島町と記載されています。しかし当事者の福岡県が発行した「福岡県市町村合併史」(編・発行:福岡県、1962)27-28頁よりの福岡県令第42号、福岡県統計書明治22年(著・出版:福岡県、M24)には単に中島町とあります。
新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12)の福岡市及び久留米市の各町村名を見てみると、最初に「福岡」「久留米」と総称があります。そして「博多」中島町と書かれているところより後の町村名は総て福岡区の博多と呼ばれた各町村名であるようです。「福岡」「久留米」だけでなく「博多」もこれ以降が博多に所属する各町村であるとの符号であると判断すれば、「福岡県市町村合併史」(編・発行:福岡県、1962)27-28頁に記載の(実質的に)福岡県令第42号と整合することになります。福岡県新町村名(編著:葉石次郎、出版:磊落堂、M22.11.)を見ると、「福岡」天神丁,「博多」中島町と「福岡」「博多」の総称がついていますし。。。
私としては、当事者の福岡県が発行したものには中島町と書かれていることを以て、「博多」中島町ではなくて中島町であると考えますが、最終的な取り扱いについては88さんの判断に委ねます。


5 新設/村制 鞍手郡吉川村 鞍手郡 脇田村, 犬鳴村, 緑山畑村, 小伏村, 乙野村

5 新設/村制 鞍手郡吉川村 鞍手郡 脇田村, 犬鳴村, 「縁」山畑村, 小伏村, 乙野村
ではないでしょうか。
福岡県令第43号(福岡県市町村合併史(編・発行:福岡県、1962)31頁)、新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12)では「縁」山畑村とあります。
大日本市町村名鑑(編著:星野文三、出版:博聞社、M26.11.9)、大日本全国各府県市町村新旧対照一覧(編著・出版:中村芳松、M28.3.5)では文字が潰れていて「緑」山畑村であるか「縁」山畑村の判別が付きません。。
参考までに旧高旧領取調帳でも「縁」山畑村となっています。なお地方行政区画便覧(著・出版:内務省地理局、M20.10)より明治19年1月現在では緑山畑村となっていますが。
現在は福岡県宮若市縁山畑です。

15 新設/村制 鞍手郡西川村 鞍手郡 新北村, 八尋村, 長谷村, 室木村, 永谷村, 新延村

15 新設/村制 鞍手郡西川村 鞍手郡 新北村, 八尋村, 長谷村, 室木村, 永「ヶ」谷村, 新延村
ではないでしょうか。
参考:大日本市町村名鑑

30 新設/村制 遠賀郡上津役村 遠賀郡 小嶺村, 下上津役村, 上上津役村, 引野村, 市瀬村, 穴生村

30 新設/村制 遠賀郡上津役村 遠賀郡 小「峯」村, 下上津役村, 上上津役村, 引野村, 市瀬村, 穴生村
ではないでしょうか。
参考:大日本市町村名鑑

79 新設/町制 京都郡行橋町 京都郡 行事村, 「宮市村」, 「仲津郡」 大橋村

79 新設/町制 京都郡行橋町 京都郡 行事村, 「仲津郡」 「宮市村」, 大橋村
ではないでしょうか。
新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12)、大日本市町村名鑑(編著:星野文三、出版:博聞社、M26.11.9)、大日本全国各府県市町村新旧対照一覧(編著・出版:中村芳松、M28.3.5)では仲津郡 宮市村となっています。
しかし、福岡県令第43号(福岡県市町村合併史(編・発行:福岡県、1962)38頁)では仲津郡 宮市村はありますが、大橋村の記述が抜けています。ただし市制施行地郡区境界組替ヲ処分ス(PDF)(編:内閣、M22.6.)22コマや前述の書物と比較すると書き落としと考えた方がよさそうです。
また、新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12)では行橋「村」となっていますが、これは単なる誤記であると推測します。明治22(1889)年末の「市町村現住人口」を表した内務省告示第34号(M23.10.6)では、明治22年12月31日現在で行橋町となっていますし。。。
ちなみに地方行政区画便覧(著・出版:内務省地理局、M20.10)より明治19年1月現在でも仲津郡 宮市村, 大橋村となっています。

82 新設/村制 京都郡椿市村 京都郡 徳永村, 須磨園村, 常松村, 福丸村, 高来村, 入覚村, 下崎村, 長尾村, 企救郡 矢山村
は#71との関係上
82 新設/村制 京都郡椿市村 京都郡 徳永村, 須磨園村, 常松村, 福丸村, 高来村, 入覚村, 下崎村, 長尾村, 企救郡 矢山村「の一部」
とした方がよいのではないでしょうか。
参考:大日本市町村名鑑

88 新設/村制 御井郡金島村 御井郡 金島村, 八重亀村, 中川村, 守部村の一部, 富多村の一部
は#96との関係上
88 新設/村制 御井郡金島村 御井郡 金島村, 八重亀村, 中川村「の一部」, 守部村の一部, 富多村の一部
とした方がよいのではないでしょうか。
参考:大日本市町村名鑑

92 新設/村制 御井郡合川村 御井郡 合川村, 足穂村
は#89との関係上
92 新設/村制 御井郡合川村 御井郡 合川村「の一部」, 足穂村
とした方がよいのではないでしょうか。
参考:大日本市町村名鑑

96 新設/村制 御井郡大堰村 御井郡 菅野村, 西春村, 守部村の一部, 富多村の一部, 三川村, 「竹野郡」 「中川村の一部」, 八幡村の一部

96 新設/村制 御井郡大堰村 御井郡 菅野村, 西春村, 守部村の一部, 富多村の一部, 三川村, 「中川村の一部」, 「竹野郡」 八幡村の一部
ではないでしょうか。
参考:大日本市町村名鑑

97 新設/村制 御井郡大城村 御井郡 大城村, 乙吉村, 乙丸村, 赤司村, 「山須村」, 稲数村, 仁王丸村, 塚島村, 中島村, 千代島村

97 新設/村制 御井郡大城村 御井郡 大城村, 乙吉村, 乙丸村, 赤司村, 稲数村, 仁王丸村, 塚島村, 中島村, 千代島村
ではないでしょうか。
参考:大日本市町村名鑑

110 新設/村制 御原郡小郡村 御原郡 福童村, 寺福童村, 小郡町, 大板井村, 小板井村の一部, 大崎村, 稲吉村の一部, 御井郡 上西鰺坂村の一部
は#99及び#113との関係上
110 新設/村制 御原郡小郡村 御原郡 福童村「の一部」, 寺福童村, 小郡町, 大板井村「の一部」, 小板井村の一部, 大崎村, 稲吉村の一部, 御井郡 上西鰺坂村の一部
とした方がよいのではないでしょうか。
参考:大日本市町村名鑑

116 新設/村制 三池郡玉川村 三池郡 勝立村, 櫟野村, 教楽来村, 東米生村
119 新設/村制 三池郡三川村 三池郡 三里村, 川尻村
は#127との関係上
116 新設/村制 三池郡玉川村 三池郡 勝立村, 櫟野村, 教楽来村, 東米生村「の一部」
119 新設/村制 三池郡三川村 三池郡 三里村, 川尻村「の一部」
とした方がよいのではないでしょうか。
参考:大日本市町村名鑑

138 新設/村制 三潴郡青木村 三潴郡 青木島村, 江島村, 四郎丸村, 上青木村, 下青木村, 西青木村, 浮島村, 鐘ヶ江村の一部
は#134との関係上
138 新設/村制 三潴郡青木村 三潴郡 青木島村, 江島村, 四郎丸村, 上青木村, 下青木村「の一部」, 西青木村「の一部」, 浮島村, 鐘ヶ江村の一部
とした方がよいのではないでしょうか。
参考:大日本市町村名鑑

145 新設/村制 三潴郡鳥飼村 三潴郡 津福村, 津福今村, 「御井郡」 大石村, 白山村, 梅満村, 長門石村, 「白口村の一部」

145 新設/村制 三潴郡鳥飼村 三潴郡 津福村, 津福今村, 「白口村の一部」, 「御井郡」 大石村, 白山村, 梅満村, 長門石村
ではないでしょうか。
参考:大日本市町村名鑑

149 新設/村制 三潴郡木室村 三潴郡 中木室村, 下木佐木村, 牟田口村, 荻島村, 大橋村, 本木室村, 中八院村, 上白垣村の一部, 下白垣村, 下八院村

149 新設/村制 三潴郡木室村 三潴郡 中木室村, 下木佐木村, 「下」牟田口村, 荻島村, 大橋村, 本木室村, 中八院村, 上白垣村の一部, 下白垣村, 下八院村
ではないでしょうか。
参考:大日本市町村名鑑

次稿へ続く。
[73437] 2009年 12月 29日(火)22:15:4788 さん
市区町村変遷情報 小レス 市制町村制施行時(福岡県)について 1
[72857][72858] むっくん さん 市区町村変遷情報(市制町村制施行時)(福岡県)について
いつもご指摘、詳細な調査をありがとうございます。

■福岡市 となる旧町村名の一部について
(1) 福岡区 西小性村, 東小性村, 大円寺村, 古小路村 or 福岡区 西小性町, 東小性町, 大円寺町, 古小路町
(2) 福岡区 博多中島町 or 福岡区 中島町
(3) 福岡区 春吉村の一部, 犬飼村の一部, 堅粕村の一部, 鳥飼村の一部 or 那珂郡 春吉村の一部, 犬飼村の一部, 堅粕村の一部, 早良郡 鳥飼村の一部
「幕末以降総覧」・・・西小性村, 東小性村, 大円寺村, 「博多」中島町, 古小路「村」, (以下郡名の記載なし)春吉村の一部, 犬飼村の一部, 堅粕村の一部, 鳥飼村の一部
「辞典」・・・福岡区の一部(西町の一部を除く), 那珂郡 犬飼村の一部, 堅粕村の一部, 早良郡 鳥飼村の一部, 春吉村の一部
(1)については、ご紹介のM22.3.13付け福岡県令第42号及びその他の資料により、ご指摘のとおり、福岡区 西小性町, 東小性町, 大円寺町, 古小路町 と判断します。
(2)については、実質的には「博多中島町」であることは疑義はありませんが、ご紹介のように中島町以下の各町の総称である「博多」をたまたま最初に記載された中島町に冠しただけ(「博多○○町」は中島町以降の町も同様)、という解釈を私も同意します。よって、中島町 と、そのままとしました。
(3)については、ご紹介のM22.3.13付け福岡県令第42号及びその他の資料により、ご指摘のとおり、那珂郡 春吉村の一部, 犬飼村の一部, 堅粕村の一部, 早良郡 鳥飼村の一部 と判断します。
これらを踏まえ、修正しました

■鞍手郡 吉川村 となる旧町村名の一部について 鞍手郡 緑山畑村 or 鞍手郡 縁山畑村
「幕末以降総覧」・・・鞍手郡 緑山畑村 (ただし、フリガナは「ヘリヤマハタ」)
「辞典」・・・鞍手郡 縁山畑村
フリガナから見ても、また、ご紹介のように現在の宮若市縁山畑から見ても、「幕末以降総覧」の漢字の誤植のようです。ご紹介のM22.3.13付け福岡県令第42号及びその他の資料により、鞍手郡 縁山畑村 と修正しました

■鞍手郡 西川村 となる旧町村名の一部について 鞍手郡 永谷村 or 鞍手郡 永ヶ谷村
「幕末以降総覧」・・・鞍手郡 永谷村
「辞典」・・・鞍手郡 長谷村(長谷村が2村ある)
当該地は、現在の鞍手郡鞍手町永谷(nagatani)のようです。また、「ながたに」と読む際に、「永ヶ谷」の「ヶ」は重複して記載した誤りか、表記の揺れであろうと思われます。
「辞典」の「長谷村」は、単なる誤りか、あるいは同音異字による表記の揺れかもしれません。この場合、2つの「長谷村」があり、「ながたに村」(現鞍手郡鞍手町永谷(ながたに))と「はせ村」(現鞍手郡鞍手町長谷(はせ))が並存していた可能性もあります。
悩ましいのですが、 鞍手郡 永谷村 であったと判断し、そのままとしました

■遠賀郡 上津役村 となる旧町村名の一部について 遠賀郡 小嶺村 or 遠賀郡 小峯村
「幕末以降総覧」・・・遠賀郡 小嶺村
「辞典」・・・遠賀郡 小嶺村
「嶺」「峯」「峰」は、表記の揺れでしょう。現在の北九州市八幡西区小嶺,小嶺一丁目~三丁目,小嶺台一丁目~四丁目のようです。このため、遠賀郡 小嶺村 と判断し、そのままとしました

■京都郡行橋町 となる旧町村の所属郡について 京都郡 行事村, 宮市村, 仲津郡 大橋村 or 京都郡 行事村,仲津郡 宮市村, 大橋村
「幕末以降総覧」・・・京都郡 行事村, 宮市村, 仲津郡 大橋村
「辞典」・・・京都郡 行事村, 宮市村, 大橋村
現在の行橋市で、行事村:行事一丁目など、宮市村:西宮市一丁目など、大橋:大橋一丁目などとなりそうです(地図)。長峡川を挟んで、大橋・宮市が南側、行事が北側にあります。想像するに、この長峡川が京都郡と仲津郡の境でもあったと考えるのが自然ではないでしょうか。
新旧対照市町村一覧大日本市町村名鑑 大日本全国各府県市町村新旧対照一覧地方行政区画便覧のすべてが、このとおりの記載です。
よって、京都郡 行事村, 仲津郡 宮市村, 大橋村 と修正しました

■京都郡 椿市村 となる旧町村名の一部について 企救郡 矢山村 or 企救郡 矢山村の一部
「幕末以降総覧」・・・企救郡 矢山村
「辞典」・・・企救郡 矢山村の一部
ご指摘のように、企救郡 東谷村となる旧町村名の一部が 企救郡 矢山村の一部 であることは間違いがありません。
よって、京都郡 椿市村 となるとなる旧町村名の一部についても、企救郡 矢山村の一部 と修正しました

■御井郡 金島村 となる旧町村名の一部について 御井郡 中川村 or 御井郡 中川村の一部
「幕末以降総覧」・・・御井郡 中川村
「辞典」・・・御井郡 中川村の一部
御井郡 大堰村となる旧町村名の一部が 御井郡 中川村の一部 であることは間違いがありません。
よって、御井郡 金島村 となるとなる旧町村名の一部についても、御井郡 中川村の一部 と修正しました

■御井郡合川村 となる旧町村名の一部について 御井郡 合川村 or 御井郡 合川村の一部
「幕末以降総覧」・・・御井郡 合川村
「辞典」・・・御井郡 合川村の一部
御井郡 櫛原村となる旧町村名の一部が 御井郡 合川村の一部 であることは間違いがありません。よって、御井郡 合川村 となるとなる旧町村名の一部についても、御井郡 合川村の一部 と修正しました

■御井郡 大堰村 となる旧町村名の一部の所属郡について 竹野郡 中川村の一部 or 御井郡 中川村の一部
「幕末以降総覧」「辞典」・・・御井郡 中川村の一部
単なる入力ミスのようです。御井郡 中川村の一部 と修正しました

■御井郡 大城村 となる旧町村名の一部について 御井郡 山須村 あり or 御井郡 山須村 なし
「幕末以降総覧」・・・山須村 なし(M9に御井郡 赤司村 が 山須村 を編入)
「辞典」・・・山須村 なし
単なる入力ミスのようです。M9に御井郡 赤司村 が 山須村 を編入した件の反映を失念したものです。よって、修正しました

■御原郡 小郡村 となる旧町村名の一部について  御原郡 福童村, 大板井村 or 御原郡 福童村の一部, 大板井村の一部
「幕末以降総覧」・・・御原郡 福童村, 大板井村
「辞典」・・・御原郡 福童村の一部, 大板井村の一部
御井郡 味坂村となる旧町村名の一部が 御井郡 福童村の一部 であり、御井郡 立石村となる旧町村名の一部が 御井郡 大板井村の一部 であることは間違いがありません。よって、御原郡 小郡村 となるとなる旧町村名の一部についても、御原郡 福童村の一部, 大板井村の一部 と修正しました

■三池郡 玉川村 となる旧町村名の一部について  三池郡 東米生村 or 三池郡 東米生村の一部
「幕末以降総覧」・・・三池郡 東米生村
「辞典」・・・三池郡 東米生村の一部
三池郡 駛馬村となる旧町村名の一部が 三池郡 東米生村の一部 であることは間違いがありません。よって、三池郡 玉川村 となるとなる旧町村名の一部についても、三池郡 東米生村の一部 と修正しました

■三池郡 三川村 となる旧町村名の一部について 三池郡 川尻村 or 三池郡 川尻村の一部
「幕末以降総覧」・・・三池郡 川尻村
「辞典」・・・三池郡 川尻村
三池郡 駛馬村となる旧町村名の一部が 三池郡 川尻村の一部 であることは間違いがありません。よって、三池郡 三川村 となるとなる旧町村名の一部についても、三池郡 川尻村の一部 と修正しました

■三潴郡 青木村 となる旧町村名の一部について 三潴郡 下青木村, 西青木村, or 三潴郡 下青木村の一部, 西青木村の一部
「幕末以降総覧」・・・三潴郡 下青木村, 西青木村
「辞典」・・・三潴郡 下青木村の一部, 西青木村の一部
三潴郡 三又村となる旧町村名の一部が 三潴郡 下青木村の一部, 西青木村の一部 であることは間違いがありません。よって、三潴郡 青木村 となるとなる旧町村名の一部についても、三潴郡 下青木村の一部, 西青木村の一部 と修正しました

■三潴郡 鳥飼村 となる旧町村名の一部の所属郡について 御井郡 「白口村の一部」 or 三潴郡 白口村の一部
「幕末以降総覧」・・・三潴郡 津福村, 津福今村, 御井郡 大石村, 白山村, 梅満村, 長門石村, 白口村の一部
「辞典」・・・三潴郡 津福村, 津福今村, 大石村, 白山村, 梅満村, 長門石村, 白口村の一部 (すべて三潴郡)
新旧対照市町村一覧
三潴郡 津福村, 津福今村, 御井郡 大石村, 白山村, 梅満村, 長門石村, 白口村の一部
大日本市町村名鑑
三潴郡 津福村, 津福今村, 白口村の一部, 御井郡 大石村, 白山村の一部, 梅満村, 長門石村, 白口村の一部
大日本全国各府県市町村新旧対照一覧
三潴郡 津福村, 津福今, 白口村の一部, 御井郡 大石, 白山の一部, 梅満村, 長門石村, 白口村の一部
地方行政区画便覧
三潴郡 津福村, 津福今村, 白口村*, 御井郡 大石村, 白山村*, 梅満村, 長門石村(資料がM19のため、*は所属郡のみを確認)
文献によっては、白口村が三潴郡と御井郡の両郡にあるかのような記述になっていますが、御井郡白口村が存在した場合、三潴郡鳥飼村となった以外の白口村の残余が不明です。記載内容から考えると、御井郡白口村はそもそも存在せず、三潴郡白口村(字野田の一部)が誤って御井郡白口村の一部として記載されてしまった誤りであると考えます。
このため、三潴郡 鳥飼村 となるのは、三潴郡 津福村, 津福今村, 白口村の一部, 御井郡 大石村, 白山村, 梅満村, 長門石村 と判断し、修正しました

■三潴郡木室村 となる旧町村名の一部について 三潴郡 牟田口村 or 三潴郡 下牟田口村
「幕末以降総覧」「辞典」・・・三潴郡 下牟田口村
単なる入力ミスのようです。三潴郡 下牟田口村 と修正しました

続きます。
[73444] 2009年 12月 30日(水)00:31:41かぱぷう さん
88さんへ 微修正依頼
[73437]88さん
市区町村変遷情報 小レス 市制町村制施行時(福岡県)について 1

■福岡市 となる旧町村名の一部について
(1) 福岡区 西小性村, 東小性村, 大円寺村, 古小路村 or 福岡区 西小性町, 東小性町, 大円寺町, 古小路町
このうち西小性村・東小性村については西小姓村・東小姓村が正当ではないかと思います。
( 参考 復活通り名紹介のうち文頭の「鉄砲町通り」の次の記述を参照ください)
私が思っている中央区大名の小姓町とは違うところに西小性村・東小性村が存在していたとすれば「あな恥ずかしや」ですが(^^A
[73495] 2009年 12月 31日(木)21:44:2688 さん
市区町村変遷情報 小レス 市制町村制施行時(福岡県)について 1' 及び熊本県昭和の大合併について
[73444] かぱぷう さん
■M22.4.1付け市制町村制施行時 福岡市 となる旧町村名の一部について 福岡区 西小性町, 東小性町 or 福岡区 西小姓町, 東小姓町
「幕末以降総覧」・・・西小性村, 東小性村
新旧対照市町村一覧」・・・西小性町, 東小性町
大日本市町村名鑑」・・・西小姓町, 東小姓町
全国各府県市町村新旧対照一覧」・・・西小姓町, 東小姓町
地方行政区画便覧」・・・(福岡)西小性町, (福岡)東小性町
よく文字を読み取ってみると、上記のように、「性」「姓」両方ありました。

ご紹介いただいた参考ページの中の、大名紺屋町商店会の地図を拝見すると、現在の福岡市中央区大名一丁目のこのあたりから東西へ伸びる通りを、旧町名にならい、西小姓町通り・東小姓町通り と名づけたようですね。
「小姓」は「小性」と書かれることもあるようですが、やはり「姓」と書くほうが自然でしょう。現在の正式な町名ではありませんが、元の町名の復活ということですので、間違いはないでしょう。よって、西小姓町, 東小姓町 と修正しました
情報をいただきありがとうございました。

参考までに。現在、津山市小性町という町名があるようです。M22.6.1の市制町村制施行で西北条郡津山町となる以前には、津山藩の城下町にやはり「小性町」があったようです(参考:M22.4.29付け岡山県令第26号)。由来が、福岡市と同様の「小姓」かどうかはわかりませんが。

――――――――――――――――
[73489] YT さん
■S29.4.1付け八代市に編入される従前の村名の一部について  八代郡 八代把村 or 八代郡 八千把村
「総理府告示」・・S29.3.27付け総理府告示第260号「八千把村」
「総覧」・・・八代郡 八代把村
「幕末以降総覧」・・・八代郡 八千把村
「便覧」・・・八代郡 八千把村
「辞典」・・・八代郡 八千把村
一次資料として「総覧」を使用しているため、その誤字をそのまま編集してしまいました。また、M22.4.1付け市制町村制施行が、そもそも、八代郡 八千把村で編集していました。よって、八代郡 八千把村 と修正しました

■S30.3.1付け下益城郡 城南町 となる従前の町名の一部について 下益城郡 隅庄町 or 下益城郡 隈庄町
「総理府告示」・・S30.2.28付け総理府告示第266号「隈庄町」
「総覧」・・・下益城郡 隈庄町
「幕末以降総覧」・・・下益城郡 隈庄町
「便覧」・・・下益城郡 隈庄町
「辞典」・・・下益城郡 隈庄町
単なる入力ミスです。また、M22.4.1付け市制町村制施行が、そもそも、下益城郡 隈庄町で編集していました。よって、下益城郡 隈庄町 と修正しました

ご指摘をありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。
[73511] 2010年 1月 1日(金)08:00:57【2】Issie さん
La unuan matenon de 2010
Felichan novjaron! (謹賀新年)

20年ほど前に「小市民」という歌がはやったのですが,その歌詞のおしまいの方のとおり,つい紅白を見てしまいました。あー小市民…(なお,この歌を歌った2人(嘉門達夫・小倉久寛)は自分の歌では紅白に出ていないようです)。
いきものがかり が私には珍しい収穫。"Someday" というと 佐野元春 と反応してしまうんですよね。

[73495] 88 さん
「小姓」は「小性」と書かれることもあるようですが、やはり「姓」と書くほうが自然でしょう。

現代の一般用語としては「小姓」という表記が普通ですが,これは元々両方の表記があって,女へんの方(姓)が一方的に正当であるわけではないようです。書名を失念してしまって思い出せないのですが,歴史関係の本の中で筆者(専門家)が一貫して「小性」という表記を用いているものがありました。恐らくは意識的にそう表記したものと思われます。
たぶん大名家中(藩)の中には「小性」という表記を用いたところもあったと思われ,その場合,その城下町では「小性町」の方が元から“正し”かったのかもしれません。黒田家中(福岡藩)や越前松平家(津山藩)がこれにあたるかどうかは,わかりませんが。

[73471] 白桃 さん
最近、区名まで書かないといけない宛先が増え

そんなわけで,この春から我が家の住所にも“余分な要素”が加わるわけですが(津久井の方はプラマイゼロですけどね),郵便番号も変わることだし当分無視していましょうか。別に区名なんか書かなくても,“郵便番号が正しければ”届くのですから。
これから恐らく“うちの市”だけ増税ということになりかねないお話,やっぱり決して歓迎できません。なっちゃうものは,しかたありませんが。
[73615] 2010年 1月 3日(日)23:19:1188 さん
市区町村変遷情報 小レス 市制町村制施行時(福岡県)について 1''
明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

[73514] MI さん
■M22.4.1付けで発足する村名について 御井郡 櫛原村 or 御井郡 節原村

ご紹介の各資料を私も確認してみました。
御井郡 櫛原村「総覧」(「全訂 全国市町村名変遷総覧」(日本加除出版))
御井郡 節原村「幕末以降総覧」(「幕末以降市町村名変遷系統図総覧 改訂版2」(東洋書林))
「便覧」(「旧市町村名便覧 -明治22年から現在まで-」(日本加除出版))
「辞典」(「市町村名変遷辞典 三訂版」(東京堂出版))
福岡県改正町村名
福岡県新町村名
新旧対照市町村一覧
大日本市町村名鑑
大日本全国各府県市町村新旧対照一覧
ご指摘のように、「総覧」(「全訂 全国市町村名変遷総覧」(日本加除出版))だけが「櫛原村」、その他はすべて「節原村」でした。

以下は、関連する参考資料です。
・時代は下って、久留米市への編入直前の、T8.7.17内閣告示第11号道府県郡島嶼市区町村別現住人口表(T071231現在)p.35(19コマ目)では、三井郡 節原村 です。
・久留米市HP内の久留米市の概要 1-3 市域の変遷では、御井郡 節原村 となっています。
久留米市立小森野小学校の沿革では、「節原尋常小学校」をはじめとして「節原村」との記述があります。
「福岡県三井郡節原村是 復刻」という図書があるようです。

ちなみに、M22.3.31まで存在した御井郡 櫛原村 は、現在の久留米市櫛原町周辺となりそうです。

これらのことから、「櫛」と「節」の単なる誤りとは考えにくいことから、ご指摘のように 御井郡 節原村 と判断し、修正しました(M22.4.1付け市制町村制施行に伴う御井郡節原村発足T12.8.1付け久留米市に編入される三井郡節原村)。
この地域に対して「節原」という村名を付ける何らかの理由があったのだとは想像しますが、調べた限りでは「節原」の由来を探すことができませんでした。この由来がわかれば、「櫛原村」ではなく「節原村」であった、との判断の補強材料になるのですが。

なお、旧櫛原村のうち「南薫通及国道両側ヲ除ク」の件ですが、ご指摘のようにこの区域はM22.4.1付けで久留米市の一部となっています。このため、御井郡 節原村 となる対象部分も、「御井郡櫛原村の一部」と修正しました。ただし、御井郡 節原村 となった地域は櫛原村の本体であることが容易に推察されますので、表現については[73497]で述べたように今後さらに改善予定です。

ご指摘をありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。

――――――――――――――――
さて、再び、現福岡市の「小姓」「小性」について。
[73511] Issie さん
現代の一般用語としては「小姓」という表記が普通ですが,これは元々両方の表記があって,女へんの方(姓)が一方的に正当であるわけではないようです。書名を失念してしまって思い出せないのですが,歴史関係の本の中で筆者(専門家)が一貫して「小性」という表記を用いているものがありました。恐らくは意識的にそう表記したものと思われます。
たぶん大名家中(藩)の中には「小性」という表記を用いたところもあったと思われ,その場合,その城下町では「小性町」の方が元から“正し”かったのかもしれません。黒田家中(福岡藩)や越前松平家(津山藩)がこれにあたるかどうかは,わかりませんが。
[73495] 拙稿で「西小姓町」「東小姓町」としたのですが、上記で[73514] MI さん にご紹介いただいた「福岡県改正町村名」「福岡県新町村名」ともに、「性」となっております。ますます不安になってきたのですが、やはり、[73444] かぱぷう さん でご紹介いただいた、旧町名が通り名として復活!(ブログ)大名紺屋町商店会により、「姓」としておきます。
また、新たな、明確な根拠資料があれば、そのときに対応したいと思います。
[73622] 2010年 1月 4日(月)02:45:37【1】Issie さん
小姓/小性
[73615] 88 さん
現福岡市の「小姓」「小性」について

[73511] は,あの中で触れた“歴史関係の本”とは別に,福岡について「小性町」と表記したものを割と最近に見た記憶があったこともあって書いたものなのですが,思い出しました。
1956年の第24国会に“当時の「鳩山内閣」”が提出した「公職選挙法改正法案」の別表。世に「ハトマンダー」と揶揄された小選挙区案の区割表の中に「小性町」の表記があったのでした。ちょうど,国立国会図書館国会会議録検索システム から当該のページ(衆議院会議録追録:官報号外)の画像が検索できます。追録・附録・目次・索引の検索ページ を開いて,「追録」にチェックを入れ,「会議指定」の国会回次で「24回」を指定し,「衆議院」を選んで「検索」をクリックすると,4件がヒットします。「検索結果一覧表示」のボタンを押し,現れた4件のうちで「頁数が56頁」のものを選んで「頁選択」ボタンを押して現れるページ指定画面で 32~54ページ を指定して「表示」ボタンを押すと,問題の「別表」の画像が現れます。その中の 51~52ページにかけて掲載されている「福岡県第一区(案)」に列挙されている町名の中に「小性町」があるのです。
ただしこの別表,以前に紹介したように現行の「公職選挙法」 の別表の岡山市部分に誤字と思われるものがそのまま記載されているように,必ずしも当てにはなりません。実際,鳩山内閣案の区割表の52ページにある「福岡県第二区」の中に明らかに「日佐出張所管内」と記載している部分がありますが,これは「曰佐(おさ)」の間違いです。
…だから,これが「小性町」の根拠というには無理がありますね(あるいは,国のお役所(この場合は当時の自治庁)からして,この辺りは結構いい加減であるとも言えるかもしれません。良く言えば「大雑把」←全然良く言ってないか…)。

そこで,もう少しマトモなものはないかと,ネット上で古地図を探してみました。
すると,九州大学のデジタルアーカイブス に「福岡・博多の絵図」というページがありました。
この中に収録されている「文化9年写 福岡城下町・博多・近隣古図」を拡大してみると現在の大名町1丁目に当たる場所に「西小姓町」と,“女へん”で記載しているのが見えます。
 ※このページ内に記載されているように ZOOMA というソフトをインストールすると鮮明な画像のまま拡大することができます。このページの地図上にマウスポインタを置いてクリックすると,指示に従うことでソフト(IEのアドオン)がインストールされます。現れた地図画面の右側のスケールで拡大・縮小ができます。さらに地図上で右クリックをしながらマウスを移動させると,地図上の移動ができます。…なお,これは Windows の IE で閲覧している場合の話。ほかのブラウザや,MacOS などではダメかもしれません。悪しからず。

ところが,「安永6年 福岡御城下絵図」 を拡大してみると,こちらは“りっしんべん”で「西小性町」と書いてあるように見えます。「元禄12年 福岡御城下之絵図」では上下が逆になっているせいもあってあまりよく読みとれないのですが,“りっしんべん”であるようにも見えます。
もしかしたら,元々福岡城下町の中で既に「小姓/小性」の表記の揺れがあったのかも知れません。
九大アーカイブスの同じページの下の方には明治以降の福岡市街図も収録されているのですが,こちらは十分に拡大し切れず「こしょう町」がどちらで表記されているかは確認できません。そこで,私が所有している 塔文社 の「レトロマップシリーズ5」の 昭和23(1948)年 と 昭和36(1961)年 の福岡市街図 ではどちらも“女へん”で「小姓町」と表記しています。ただ,ほかの町名を見ると今一つ信用が置けない気もします。

というわけで,本当のところはどちらが「正しい」のかよくわからない,ということに…。近代の町名としては恐らく“公式表記”というものが決められていて,そこでは「小姓町」の表記が「正しそう」ですが,江戸時代までさかのぼると(あるいは明治初期でも)やっぱり「小姓町」“だけ”が「唯一正しい」とまでは言いきれないような気もします。どちらもOK,にしちゃってもいいような気が…。
[73680] 2010年 1月 5日(火)17:27:21【1】hmt さん
大名になった小姓
福岡市中央区大名一丁目に復活したという“西小姓町通り・東小姓町通り”。
これを題材にした 小姓/小性に関する話題 が賑わっています。

[73622] Issie さんによる古地図の紹介など、たいへん興味深い副産物のあったスレッドでしたが、本筋である「変遷情報における旧町の表記」という視点からすれば、最初に[72857] むっくん さんが引用した資料(4)の“西小性町, 東小性町”を採用した [73437] 88さん の修正で、何の問題もなかったのではないでしょうか。

[72857]によると、資料(1)すなわち明治22年福岡県令第42号(「福岡県市町村合併史」28頁)には“市制施行により福岡市となった従来の福岡区の町村名”が記載されているとのことで、(4)を含むいくつかの資料も、これと一致することが確認されています。
念のため 明治12年の 郡区町村一覧 も確認してみましたが、東小性町・西小性町であり、郡区町村編制法時代には、最初から一貫して「りっしんべん」の「性」が公式に使われていたことがわかります。

ところが、その後で [73444] かぱぷうさん から「おんなへん」が正当ではないかという意見が出され、変遷情報は「姓」に修正されました[73495]。その根拠として、「姓」と書くほうが自然であること、元の町名の復活の2点が挙げられています。

主君の側近で庶務・秘書などの役割を務めた若者を「こしょう」と呼ぶのは、貴人に付き従うという意味の言葉「扈従」からきた言葉とされます。常用漢字音訓表において、「従」は呉音の「じゅう」の次に漢音の「しょう」があります。

…というわけで、「小姓」も「小性」も、どっちみち当て字。
文字の使い方に寛容だった江戸時代の人は、あまり気にせずに使ったものと思われます。
だから文化9年(1812)の絵図では「おんなへん」、安永6年(1777)の絵図では「りっしんべん」[73622] というように、まちまち。

大名紺屋町商店会による“旧町名の復活”ですが、これがどの時代の復活なのか、わかりません。
最も可能性が大と思われるのは、現在の「大名一丁目」に統合される前に存在した福岡市の町名で、これは「女へん」らしい[73622]。江戸時代の旧町名の復活となると、「どちらでもOK」という感じ。
少なくとも、商店会が復活させた旧町名を「福岡の市制施行直前の町名」とする根拠にはなり得ないと思います。

タイトルについて。
[73495] 88 さん
ご紹介いただいた参考ページの中の、大名紺屋町商店会の地図【商店会マップ左端の国体道路は南】を拝見すると、現在の福岡市中央区大名一丁目のこのあたりから東西へ伸びる通りを、旧町名にならい、西小姓町通り・東小姓町通り と名づけたようですね。

九大アーカイブスの絵図を現代の地図と比べると、全く町割りが変わっていないことがわかります。
町名だけが、小姓/小性の混用(江戸時代)→小性(明治)→小姓(昭和)→大名(平成)と遷移した感じです。

大名になった小姓。地名だけなく、歴史上の有名人物も何人もいるのでしょうね。
最初はお茶の出し方で認められたという逸話のある石田三成。そして、館林時代からの秘書だった柳沢吉保。
「大名」ではないが、昨年ドラマに登場した直江山城守も同類か。
[73684] 2010年 1月 5日(火)18:42:36【1】むっくん さん
福岡区「東小性町」「西小性町」
明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。

[73615]88さん
明治前期における「東小性町」「西小性町」or「東小姓町」「西小姓町」についての情報提供です。

郡区町村編制法施行にあたり郡区分画を定めた福岡県甲第199号布達(M11.10.12)で福岡区に所属することになったのは「東小性町」「西小性町」と記載されています。

郡区町村一覧(編著:内務省地理局、M14.3.)でもM12.12.の時点で「東小性町」「西小性町」と記載されています。([73680]hmtさん)

地方行政区画便覧(編著:内務省地理局、M20.10.)でもM19.1.の時点で「東小性町」「西小性町」と記載されています。

福岡県統計書明治21年(著・出版:福岡県、M22)でも福岡市を構成する町は「東小性町」「西小性町」と記載されています。

以上明治前期の資料4点では「東小性町」「西小性町」でした。

#一応私も原稿を準備していたのですが、[73680]hmtさんによる詳細な分析記事の投稿がありましたので、情報提供のみとさせていただきました。
[73712] 2010年 1月 6日(水)17:56:19かぱぷう さん
小姓町
いろいろと物議を醸し出している福岡市中央区大名の某地点についてです。

さきほど筑紫野市民図書館に赴いて福岡地区の旧町名を扱った文献数点をななめ読みしてきました。チビ付きで行きましたので、閉架図書の開架請求をして資料を「熟読」する余裕なぞなく、あくまで一般の歴史好きな人を相手にしたような気軽に読める本の「ななめ読み」であります。

結果、全部が「小姓」でした。
ただし、いずれもその町名が消えた時点での名称をよりどころにしているようでして、むっくんさんや88さん、Issieさん、hmtさんが紹介されている明治前期の歴史資料が総じて「小性」と記しているところからかんがみてみれば…う~む。

[73680]hmtさん
九大アーカイブスの絵図を現代の地図と比べると、全く町割りが変わっていないことがわかります。
町名だけが、小姓/小性の混用(江戸時代)→小性(明治)→小姓(昭和)→大名(平成)と遷移した感じです。
hmtさんのおっしゃるような流れがもっともしっくりくるように思います。

箱崎の福岡県立図書館に足を運んでじっくり調べてみたいところですが、12月下旬より勤務先が天神に異動しており早朝から夕方までの勤務が主体となりましたので図書館開館の時間帯に足を運ぶ機会がなかなか見つかりません。仕事が休みの日に…いやぁ、厳しそうです(泣)
なにか面白い資料が見つかりましたら報告させていただきます。あまり中身のない書き込みですみませんです。


… スポンサーリンク …


都道府県市区町村
落書き帳

パソコン表示スマホ表示