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落書き帳

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[73308]2009年12月15日
oki
[73316]2009年12月15日
白桃
[73320]2009年12月16日
oki
[73326]2009年12月16日
なると金時
[73331]2009年12月17日
白桃
[73342]2009年12月17日
伊豆之国
[73352]2009年12月18日
なると金時
[73357]2009年12月20日
千本桜
[73358]2009年12月20日
白桃
[73362]2009年12月20日
oki
[73363]2009年12月20日
白桃
[73365]2009年12月21日
suikotei

[73308] 2009年 12月 15日(火)08:27:39oki さん
簡単な地名の「読み」
次の地名は、平成の合併によって表記が変わっただけで、同じ場所を表しています。
両者の正確な読み方をひらがなでお答え下さい。

美馬郡脇町大字脇町
美馬市脇町大字脇町

ずっと読み方を間違っていました。同じ県内なのに。
[73316] 2009年 12月 15日(火)22:38:05白桃 さん
つくばね
朝の通勤電車(京葉線)では大体、海(東京湾)側を眺めているのですが、本日は、反対側を眺めておりました。筑波山がくっきりと見え、なにか得した気分。来年のオフ会がひょっとしたら・・・、という鬼が笑いそうな話は置いといて、

[73307]いっちゃん さん
小山市は、[73304]カテゴリーBにランクです。

[73308]oki さん
美馬郡脇町大字脇町→みまぐんわきまちおおあざわきまち
美馬市脇町大字脇町→みましわきまちおおあざわきまち

ではないのでしょうか。
脇町は行ったことが無いのですが、「ちょう」と呼ばれるところが多い中で、いつも「まち」と呼ばれていたのを覚えております。

[73312]hmt さん
高松市屋島東町  こちらも、源平合戦の舞台(屋島の戦い)ですね。
前にも書きましたが、こちらは「檀ノ浦」のようです。
[73320] 2009年 12月 16日(水)11:55:35oki さん
みまぐんわきちょうおおあざわきまち
[73316] 白桃 さん
美馬郡脇町大字脇町→みまぐんわきまちおおあざわきまち
美馬市脇町大字脇町→みましわきまちおおあざわきまち
ではないのでしょうか。
脇町は行ったことが無いのですが、「ちょう」と呼ばれるところが多い中で、いつも「まち」と呼ばれていたのを覚えております。

誰しもそう考えると思います。私もずっと「わきまち」だと思っていました。しかし、ある資料によると、美馬郡脇町は「わきちょう」だったようです。
資料というのは「美馬郡東部・北部合併協議会会議録」の第12回分(2004年1月8日)。合併新市の字名に関する協議が行なわれた中で、脇町の読み方に関するやり取りがあります。少し長いですが、そのまま引用します。
------------------------------------------------------
【宇山勝委員】(美馬町学識経験者)
美馬町の宇山です。脇町は「ワキマチ」と読むんですか。「美馬市脇町(ミマシワキチョウ)字脇町(ワキマチ)」とくるんではないんですか?美馬町(ミマチョウ)、穴吹町(アナブキチョウ)、木屋平(コヤダイラ)云々で脇町(ワキマチ)って今、脇町(ワキマチ)というのは大字になるんではないのですか。この徳島県は大体、町村名は「チョウ」で、まあ独立した町ではないけど。
【西正二会長】(木屋平村長)
「チョウ」だそうです。脇町(ワキチョウ)。
【宇山勝委員】
分かりました。
【事務局・西岡】
すいません失礼します。この調整方針を頂いたときに町の担当者の方とも協議いたしたわけでございますが、その時には、私が聞いておりましたのは合併後脇町の名前は「美馬市脇町(ミマシワキマチ)」でいくっていうことで一応確認はさせていただいたのですが。
【佐藤浄委員】(脇町長)
今まで公式の町名表明の時は「ワキチョウ」あるいは「脇町長(ワキチョウチョウ)」という表示をしとったんですが、住所表示の場合は今まで「ワキマチ」という住所表示をしとるようであります。今後、住所表示については「ワキマチ」で統一したいと思います。
------------------------------------------------------

当時の脇町長の発言などにより、「地方自治体としての脇町」の名称は「わきちょう」であったと思われます。したがって美馬郡脇町は「みまぐんわきちょう」。自治体の下の住所表示は「わきまち」なので、「大字脇町」は「おおあざわきまち」。
一方、美馬市に合併後は自治体としての脇町は存在しなくなるので、どのレベルでも住所表示であり、「美馬市脇町」は「みましわきまち」と言うことのようです。
ですので、問題の答えは次の通り。

美馬郡脇町大字脇町→みまぐんわきちょうおおあざわきまち
美馬市脇町大字脇町→みましわきまちおおあざわきまち

しかし実際のところは、ごく一部の行政関係者を除き、町民を含めて誰も「わきちょう」とは言ってなかったと思います(自ら解答を否定するようですが)。Wikipediaには「合併前は徳島県内の町で唯一「まち」という読み方であった」と明記されており、それが一般的な理解だったと考えられます(Wikipediaの信頼性はともかくとして)。当サイトの「データベース検索」の結果でも「わき・まち」になっていますし。
ネット上で調べると、「わきちょう」になっているサイトがいくつかあり、一つがIssie さんのここ。ふりがなとして「わきまち」、「わきちょう」が併記されていて、「わきちょう」には「国調:70,85」の注があるので、この年の国勢調査だけ「わきちょう」だったようです。

おそらく、町としては他の県内自治体に歩調を合わせて「わきちょう」の読みを採用したものの、固有地名が「わき」ではなく「わきまち」と認識されているため、誰からも「わきちょう」と読んでもらえず、実態としては自治体名も含めて「わきまち」と呼ばれていたのだと思われます。
したがって、白桃 さんのご解答は必ずしも間違いではない、とも言えます(どっちなんかはっきりせんかい)。お騒がせでした。
[73326] 2009年 12月 16日(水)20:12:17なると金時 さん
脇町
美馬郡の時はわき「ちょう」だったとは。
そういえば、脇町高校はわき「まち」こうこうでした。
脇町の脇町地区にある高校だから、脇高校ではなく、脇町高校なわけですね。
ところで、○○町(まち)と読むところでも、そこの町長は〇〇「町長(ちょうちょう)」なわけで、ややこしいなあ、もう。
[73331] 2009年 12月 17日(木)01:15:40白桃 さん
ワッキー
[73320] oki さん
白桃 さんのご解答は必ずしも間違いではない、とも言えます(どっちなんかはっきりせんかい)。お騒がせでした。
okiさん、「お気づかい」ご無用です。
白桃家の先代が、遺言で「脇町は、わきまち」って言ったもんですから、それに従っただけです。(死んだオヤジのせいにしてはいけませんね;笑)
徳島県は、高知県ほどではないいにろ、首邑の「一人勝ち県」だったと思います。しかしながら、徳島の次を名乗るとしたら、撫養(現:鳴門市)か脇町だったのです。「脇」じゃなくてあくまでも「脇町」なんです。この「町;まち」は自治体としての「町」ではなくて、脇町に対する尊称だったのではないかと思います。
なにをいわんとしているのか、自分でもわかりませんが、吉野川の北側に鉄道が走っていたら、(鍛冶屋原線は無視)、脇町は遅くとも昭和の合併時に市制施行をしていたのではないか、そのとき、「脇町市」になったか、「脇市」になったのかどうかは分かりませんが・・・
[73342] 2009年 12月 17日(木)23:12:27伊豆之国 さん
うだつが上がらぬ話ですが‥
[73308][73320]okiさん
[73316][73331]白桃さん
[73326]なると金時さん
脇町
の話で盛り上がっているようですが、その脇町は「うだつ」の町並みで有名(実を言うと私は行ったことがないのですが‥)。この「うだつ」の並ぶ町並みは、脇町の他にも、岐阜県美濃市(こちらは10年ほど前に‥)などいくつかあり、街道筋の問屋町として栄えていたところに多く見られるようです。「うだつ」とは
屋根の両端を一段高くして火災の類焼を防ぐために造られた防火壁
のことで、
美濃市にはこの「うだつ」が多く残っています。裕福な家しか「うだつ」を造ることができなかったため、庶民の願望から「うだつを上げる・うだつが上がらない」の言葉もできました
(美濃市HPより)
ということのようです。
ところで「脇町」に戻りますが、私が持っている観光ガイドブックや「町並み歩き」の本を見ると、ただ「脇」と紹介されているものが多かったようです(それ以前に、町並み歩きが話題にならなかった頃の古いガイドブックではほとんど無視の状態でしたが‥)。

「うだつ」で連想したのが、金沢市の「卯辰山」。金沢城から見て「卯」と「辰」の間の方角(東南東)にあるからそうなのだろう、とずっと思っていたのですが、実際の地図を見るとそうではなくて、むしろ東北東、「寅」の方角に近いようなのです。ひょっとしたら「うたつ山」と「うだつ」は関係があるかも、と思ったのですが、やはりこの地域の話はご当地のメンバーの方に任せるのが一番‥。
[73352] 2009年 12月 18日(金)23:26:35なると金時 さん
ふと思い出して
本棚をゴソゴソ。
司馬遼太郎の街道をゆく「阿波紀行」の中の章に、脇町をゆく、てのがありますが、「わきちょう」とフリガナがついていました。司馬さんがつけたかどうかはわかりませんが、参考まで。
[73357] 2009年 12月 20日(日)08:35:30【1】千本桜 さん
頑張れワッキー
[73331] 白桃 さん
自分でもわかりませんが、吉野川の北側に鉄道が走っていたら、(鍛冶屋原線は無視)、脇町は遅くとも昭和の合併時に市制施行をしていたのではないか、
美馬郡の人口分布変遷と徳島本線の関連性を調べるのも面白そうですね。そのためには、明治期からの人口推移が分かればベストでしょうが、あいにく古い年代の資料を持ち合わせていませんので、昭和45年以降の国勢調査人口だけを表にしてみました。(昭和50年以降は確定値ですが、昭和45年の数値は速報値かも知れません)
調査年脇町美馬町穴吹町貞光町半田町一宇村木屋平村
昭和45年19,06110,47211,6438,8129,4065,0923,622
昭和50年19,02610,08110,3858,1218,4573,7323,098
昭和55年19,19410,2309,8788,0137,9152,9292,340
昭和60年19,33110,1489,2607,5287,2832,5301,950
平成2年19,1329,9348,4916,8996,7712,1241,602
平成7年19,0649,4838,1506,5296,3411,7441,505
平成12年18,3769,3107,6325,9635,5901,5471,314
意外にも、鉄道が走っていない脇町・美馬町より、鉄道が走っている穴吹町・貞光町・半田町の人口減が激しいのですね。脇町に焦点を当ててみます。資料がないので推測で書きますが、間違っていたら教えてください。たぶん、脇町の人口ピークは昭和20年代後半で、2万5千人程度いたのではないでしょうか。その後、急激に減少したはずですが、昭和45年から平成7年までは横這いで持ちこたえています。徳島市のベッドタウンに成り得ない距離に位置し、しかも、鉄道が走っていない環境での人口横這いは敢闘賞ものでしょう。工場誘致の賜でしょうね。ところが、何が原因か分かりませんが、平成12年には少し目立つ人口減になっています。
美馬郡の機能的センターが脇町なら、サブセンターは貞光でしょうね。平成の合併で、美馬市(脇町・美馬町・穴吹町,木屋平村)とつるぎ町(貞光町・半田町・一宇村)に分かれて合併したのは、そのような力関係が影響したからでしょうか?。でも、そうだとすると、貞光グループと関係が深そうな美馬町が脇町グループに組込まれていたり、美馬市の市役所が脇町にあらず穴吹だったり、ちょっと理解しにくいところがありますね。
脇町は未訪ですが、貞光・穴吹は自転車で走りました。ウン十年前の8月20日(晴れ)、高知市から徳島市まで走行。大歩危・小歩危の風景と、池田の町の繁華街を見たいという思いが強かったですね。川島か鴨島あたりで薄暗くなり、徳島市に着いたときは夜だったような。その夜は徳島駅で寝ました。元来めんどくさがりで記録するのが苦手ですが、自転車旅行中は気になった場所だけ、短いメモを書き残していました。たとえば次のように。小野田=中心となる所がない。宇部=変な街。小郡=大河原より上。山口=静かだ。福山=情緒全くない街。笠岡=小さい。倉敷=大原美術館(100円)に入る。ゴッホの「アルプスへの道」とゴーガンの「タヒチにて」に感激す。岡山=整った街。宇野=バス待合所に寝る。坂出=商店街安っぽい。丸亀=葉書に丸亀城をスケッチ。等々です。宇部が変な街とか、笠岡が小さいとか、坂出の商店街が安っぽいとか、いろいろ書いてますが、それは、笠岡はもっと大きな街で、坂出の商店街はもっと立派だろうと想像していたからにほかなりません。なので関係者の皆さん、気にしないでください。

追記
なかなか古い記憶が抜けなくて徳島本線と書きましたが、民営化後の1988年にJR四国は徳島本線を徳島線に改称していたのでした。
[73358] 2009年 12月 20日(日)11:55:45白桃 さん
美馬をみて美馬しょう
[73357]千本桜さん
意外にも、鉄道が走っていない脇町・美馬町より、鉄道が走っている穴吹町・貞光町・半田町の人口減が激しいのですね。脇町に焦点を当ててみます。資料がないので推測で書きますが、間違っていたら教えてください。たぶん、脇町の人口ピークは昭和20年代後半で、2万5千人程度いたのではないでしょうか。
下表でもわかると思いますが、戦後の国勢調査人口の推移でも、脇町の人口減少率は、他の旧4町に比して低いです。ただ、脇町は本来の脇町以外に、江原、岩倉という小都邑と合併していることもあり、これだけでは脇町の停滞ぶりと徳島(本)線の関係を結論できません。
人口統計に興味のない方には大変申し訳ありませんが、項をあらためて、書きます。
ちなみに、合併前の江原、岩倉の人口が脇町と同等かそれ以上になっておりますが、面積が全く違うことを念のため書き添えておきます。

1947(s22)1950(s25)1955(s30)1960(s35)1965(s40)1970(s45)
脇町----8,225脇町----8,060脇町----7,754脇町---21,820脇町---20,051脇町---19,061
江原町--8,720江原町--8,848江原町--8,489脇町脇町脇町
岩倉村--8,096岩倉村--8,219岩倉町--7,580脇町脇町脇町
小計---25,041小計---25,127小計---23,823小計---21,820小計---20,051小計---19,061

郡里町--8,326郡里町--8,449郡里町--8,029美馬町-12,587美馬町-11,117美馬町-10,472
重清村--6,506重清村--6,611重清村--6,140美馬町美馬町美馬町
小計---14,832小計---15,060小計---14,169小計---12,587小計---11,117小計---10,472

半田町--8,383半田町--8,313半田町--8,016半田町-11,459半田町-10,114半田町--9,406
八千代村4,312八千代村4,525八千代村4,448半田町半田町半田町
小計---12,695小計---12,838小計---12,464小計---11,459小計---10,114小計----9,406

貞光町--7,009貞光町--6,711貞光町--6,779貞光町-10,747貞光町--9,938貞光町--8,812
端山村--4,960端山村--5,088端山村--4,991貞光町貞光町貞光町
小計---11,969小計---11,799小計---11,770小計---10,747小計----9,938小計----8,812

穴吹町--4,398穴吹町--4,420--穴吹町-16,460穴吹町-15,359穴吹町-13,575穴吹町-11,643
三島村--3,782三島村--3,605穴吹町穴吹町穴吹町穴吹町
口山村--5,001口山村--5,227穴吹町穴吹町穴吹町穴吹町
古宮村--3,790古宮村--3,985穴吹町穴吹町穴吹町穴吹町
小計---16,971小計---17,237--小計---16,460小計---15,359小計---13,575小計---11,643

美馬市の市役所が脇町にあらず穴吹だったり、ちょっと理解しにくいところがありますね。
エッ!穴吹に市役所があるのですか。知らなんだ。それは、東かがわ市役所が、三本松にあらず、白鳥にあることよりもオカシイ!!!(笑)
小野田=中心となる所がない。宇部=変な街。小郡=大河原より上。山口=静かだ。福山=情緒全くない街。笠岡=小さい。倉敷=大原美術館(100円)に入る。ゴッホの「アルプスへの道」とゴーガンの「タヒチにて」に感激す。岡山=整った街。宇野=バス待合所に寝る。坂出=商店街安っぽい。丸亀=葉書に丸亀城をスケッチ。
私は、街歩きをしても、写真も撮らず、スケッチもせず、ココロの中にメモをとるだけです。
例えば
鷹巣:こんなもんだろう
槻木:駅だけ立派!
山口:三本松とあんまり変わらない
笠岡:商店街が魚臭い(魚がキライなわけではありませんが・・・)
倉敷:市役所だけが目立つ
岡山:商店街は高松の圧勝!
宇野:なに、こんな短い駅前商店街・・・
坂出:この商店街のシャッターはいつ開くのだろう・・・
[73362] 2009年 12月 20日(日)18:15:01oki さん
脇町関連レス
少しサボった間に脇町関係の書き込みが沢山。申し訳ありませんが、まとめてレス。

[73358] 美馬をみて美馬しょう 白桃さん
[73357] 頑張れワッキー 千本桜さん
[73352] ふと思い出して なると金時さん
[73342] うだつが上がらぬ話ですが‥ 伊豆之国さん
[73331] ワッキー 白桃 さん
[73326] 脇町 なると金時さん

脇町の地名の由来は、脇町市街の北にあった脇城です。元々は西隣の岩倉村に岩倉城があり、戦国時代、その東脇に築かれた支城に脇の名が付けられました。城下の町場をつくったのは、織田信長登場以前に畿内を制覇した三好長慶のようです。
最初は、「脇」と「町」が一体であったわけではありませんが、江戸時代を通じて吉野川中流部北岸における商業の中心地として発展し、その間に「脇町」が固有地名として定着したと考えられます。
白桃さんの仰るとおり、
徳島県は、高知県ほどではないいにろ、首邑の「一人勝ち県」だった
ため、江戸時代の阿波国で「町」を名乗った地域は数少なく、脇町のほかは川島、富岡くらいです。ほかに、池田にも村の一部に町場がありました(白桃さんご指摘の撫養は、村や町の名称ではなく、現鳴門市中心部にあった製塩地帯の総称です)。
これらの地域は明治以降も地域の中心で、各種の公共機関が置かれましたが、なると金時さんが言われるように
脇町の脇町地区にある高校だから、脇高校ではなく、脇町高校なわけですね
ほかの町場にできた高校は池田高校、川島高校、富岡西・東高校という具合で、「町」がついているのは脇町だけです。裁判所、警察署などの名称も同様で、江戸時代に定着した「脇町」地名の一体性は現在も強固に残っています。この場合の読みは、言うまでもなく「わきまち」です。

それだけに、町長自らが「わきちょう」と称しているのにいささか驚いたわけなのですが、公的な資料も含めてほとんどが「わきまち」なので、自分でも本当かいな、と思っている部分はあります。しかも、すべてが「わきまち」ではなく、「わきちょう」とする資料もポツポツあるので、判断に迷います。真鶴町のように官報か何かで確認できれば良いのですが。

ところで、恥ずかしながら、私自身は脇町に行ったことはないのですね。
私の育った徳島の県南地域と、脇町など県西部との間には直接の連絡ルートがなく、鉄道はもちろん自動車で行くとしても、いったん徳島市を経由する必要があります。そのため、両者間の交流が薄いことが一つの要因。
もう一つは、伊豆之国 さんが書かれているように、現在の脇町は「うだつ」で有名ですが、私が県人であった頃は県内でも知る人が少ない状態であったこと。当時、県内の小学生は、脇町の東隣、阿波町にある「阿波の土柱」は必ず遠足で行きましたが、脇町まで足を伸すことは皆無でした。「うだつ」が有名になったのは、おそらくは1980年以降で、全国的な知名度を得たのは1988年に重要伝統的建造物群保存地区に選定されて以降だと思います。

[73357] 千本桜さん
たぶん、脇町の人口ピークは昭和20年代後半で、2万5千人程度いたのではないでしょうか。その後、急激に減少したはずですが、昭和45年から平成7年までは横這いで持ちこたえています。徳島市のベッドタウンに成り得ない距離に位置し、しかも、鉄道が走っていない環境での人口横這いは敢闘賞ものでしょう。工場誘致の賜でしょうね。ところが、何が原因か分かりませんが、平成12年には少し目立つ人口減になっています。
丁寧な考証、恐れ入ります。確かに、脇町の人口が横這いを維持し得たのは、工場誘致、具体的には松下寿電子工業(現パナソニック四国エレクトロニクス)の脇町工場を誘致できたからのようです。
1970年以降、脇町には多いときで2,000人以上の工場従業者が存在しました。その多くが松下寿や関連工場の従業者でしょう。就業者総数が8,000人程度の町ですから、波及効果を含めて工場の影響力はきわめて大きい。穴吹、貞光、美馬など周辺諸町の工場従業者は1,000人に届かない状態でしたから、その相違が人口増減の差に連動したと考えられます。
ただ、1990年以降、その工場従業者が急速に縮小をはじめ、2004年には935人まで減っています。原因は言うまでもなく、製造業の海外展開に伴う「空洞化」でしょう。平成12年の「少し目立つ人口減」はこれが主因と考えられます。今後も、国内製造業が雇用を増やす事態は予想しにくいですから、脇町地区も急激な人口減少に見舞われるかもしれません(とても悲しいことですが)。
[73363] 2009年 12月 20日(日)19:31:54白桃 さん
吉野川南北
徳島県を西から東に流れる大河、四国三郎をはさんで並ぶ小都邑の人口推移(市町村制度実施年~昭和の大合併前まで)を見てみました。
なお、1889年は法令全書、1898年は日本帝国人口統計、他は国勢調査人口です。
北側の諸邑は鍛冶屋原線の終点であった松島以外は鉄道が走っておりません。対して南側の諸邑は徳島(本)線が通っております。この徳島(本)線ですが、徳島から川島まで1899年に開通しており、川田~阿波池田間の延伸により全線開通したのは1914年ということです。

こう見ますと、(といっても細かすぎるので分かりにくいですが)予想通り南側の人口増加率が北側を上回っています。
1920年(対1889年比)で、北は0.88、南は0.96
1950年(対1889年比)で、北は1.16、南は1.35
これだけでもって、脇町はじめとする北側の人口停滞が鉄道が通らなかったことによる、と結論付けることは乱暴ですが、一つの要因になったと言えるのではないかと考えております。
注目の脇町ですが、吉野川中下流域における首邑の座は次第に鴨島に奪われていったようです。

北:
1889(M22)1898(M31)1920(T09)1935(S10)1950(S25)
松島村---4,908松島村---4,550松島村---3,695松島村---4,019松島町---5,463
一條村---5,748一條村---5,768一條村---5,089一條町---5,564一條町---7,562
土成村---5,971土成村---5,747土成村---5,315土成村---5,206土成村---6,488
八幡村---5,322八幡村---5,195八幡町---3,970八幡町---3,909八幡町---4,863
市香村---5,350市香村---5,319市場町---5,245市場町---5,851市場町---6,854
久勝村---5,213久勝村---5,009久勝村---4,517久勝村---4,881久勝村---5,970
林村-----5,448林村-----5,331林村-----4,486林町-----4,791林町-----6,030
江原村---7,203江原村---7,282江原村---6,629江原町---7,118江原町---8,848
脇町-----7,085脇町-----6,895脇町-----5,960脇町-----6,706脇町-----8,060
岩倉村---7,733岩倉村---7,373岩倉村---6,926岩倉村---6,755岩倉村---8,219
郡里村---7,088郡里村---6,519郡里村---6,534郡里村---6,510郡里町---8,449
三野村---6,580三野村---6,653三野村---6,160三野町---6,646三野町---8,315
南:
1889(M22)1898(M31)1920(T09)1935(S10)1950(S25)
石井村---4,858石井村---5,074石井町---4,693石井町---4,967石井町---6,530
鴨島村---3,369鴨島村---3,187鴨島町---3,881鴨島町---6,246鴨島町---7,509
桑川村---4,647桑川村---4,823川島町---4,183川島町---4,303川島町---5,718
山瀬村---5,304山瀬村---5,047山瀬村---4,558山瀬町---5,086山瀬町---6,617
川田村---6,129川田村---6,184川田村---6,131川田町---6,177川田町---8,408
穴吹村---3,045穴吹村---2,877穴吹村---2,861穴吹町---3,289穴吹町---4,420
貞光村---4,989貞光村---5,142貞光町---4,805貞光町---5,623貞光町---6,711
半田村---6,956半田村---6,758半田町---6,809半田町---6,722半田町---8,313
加茂村---4,191加茂村---4,292加茂村---3,808加茂村---4,073加茂村---5,219
井川村---4,500井川村---4,983辻町-----4,391辻町-----4,043辻町-----5,227
[73365] 2009年 12月 21日(月)00:51:37【1】suikotei さん
美馬市役所
美馬市の本庁舎が穴吹にある点について、ご案内の方もおられると思いますが、簡単に合併協議での経緯と現状を触れておきます。

合併協議では当然のごとく脇町・穴吹町が本庁舎をめぐって争いました。合併協議会に、合併時の本庁舎は最も新しく延床面積も広い穴吹町役場として分庁・総合支所方式を採用し、合併後4年以内に脇町内で新庁舎を着工(具体的な位置は美馬町の意向を尊重)する(合併期日は05年3月)という案が提案されます。いわば妥協の産物と言えそうです。しかしそれでも、脇町議の一部が穴吹町役場を本庁舎とすることに反対する要望書を出したり、穴吹町議会も新庁舎建設については意見集約ができていなかったりといった状況でした。
まず脇町議の一部の要望書は容れられず、合併時の本庁舎は穴吹町役場に決まるのですが、その後も穴吹町議会が新庁舎の着工時期を削除する要望書を出したり、脇町の住民が署名を集め脇町を本庁舎とすることを求めたりと混乱は継続しました。
最終的に原案通り(美馬町の意向を受け新庁舎の位置を脇町西部地区と明記する修正のみ実施)で合意し、脇町や美馬町にもかなりの部門を割く形の分庁方式でスタートします。
しかし07年4月に美馬市は旧穴吹町役場周辺の施設に、脇町や美馬町から本庁機能の大半を移転。07年9月に庁舎検討市民委員会は「新庁舎建設を急ぐべきでない」と報告し、新庁舎の先行きも怪しくなる一方、穴吹への集約は進んでいます。
私も市制施行後に旧脇町役場を外観だけではありますが見たのですが、古い建物だなあという印象は拭えませんでした(旧穴吹町役場は見ていませんので比較はできませんでしたが)。

追記:美馬市成立以降の流れは、あくまでも地方財政が厳しい中で行政の効率化や支出の見直しを検討した結果であり、脇町いじめとか、そういった意図ではないことを念のため申し添えます。


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