市の変遷 がデビューした機会に、これと深い関係を持つ「区制度の変遷」に関する情報を整理しています。
明治初期、最初は戸籍編成のために設けられた「区」は、やがて土地人民に関する事件一切を取扱う行政機構になりました。
区に大小を付けるところも多く、明治5年大蔵省布達第164号で大区小区制が原則になりました
[58214]。
[37785]
【島崎藤村誕生の地は】正確に書けば「筑摩県第八大区五小区馬籠村」でしょうが、…
[62550] [62613]
明治初年の地図を眺めてみると、明治8年 「東京四大区小区分絵図」の11小区の西側(第八大区四小区)に「朱引外」の字
【漱石の】父・夏目小兵衛は明治5年には第四大区の御用掛(明治6年12月区長)になっています。
しかし、この大区小区は 「市の変遷」に登場する区とは あまりにもかけ離れた存在 であるので、当面無視し、「市」の直接の前身と考えられる郡区町村編制法の 36区から このシリーズを始めました
[74334]。
実は
[74334]で書き落していたのですが、明治11年の郡区町村編制法は、北海道では一足遅れて明治12年に施行され(おそらく明治12年7月23日 開拓使乙第4号布達
[62816] 未確認、北海道には 2区(札幌区・函館区)が誕生して、郡区町村編制法の区(A1)は合計38区になったはずです。
但し、京都府伏見区は明治14年早々に
廃止 。
1889年施行の市制によって、37区のうち 14区はそれぞれ単独で「市」になりました。、三大都市にあった 21区は特例法により“従来の区”として存続しましたが、市域内に移行したので「A2」として区別しました
[74335]。市制の対象外とされた北海道の札幌区・函館区だけが「A1」のまま。
1898年三市特例法廃止により三大都市の区は市制60条により市の中に設置された区になり(B1)、1900年の市制改正を受けて、1908年には「二十万市」である名古屋に4区が設置されました(B2)。
[74354]
このように、市制に基づく区の制度は 1889年に一応はできていたものの、実際に発足したのは 1898年でした。
そして、この間に地域を限定して別の種別の区が発足していました。
それは、明治29年(1896)4月1日に施行された勅令第19号
沖縄県区制 です(C1)。
第1条 此の勅令は沖縄県に於て区と為す地に行ふものとす
第96条 此の勅令を施行する場合に於て初めて区と為す地は那覇首里の各区域とす
この区のために 全部で98条という 膨大な条文が作られていますが、その内容を見ると、議決機関(区会)はあるものの、県知事の強い監督下に置かれ、自治機能は弱かったようです。同日施行の勅令14号【261コマ】にあるように、那覇区長は島尻郡長が、首里区長は中頭郡長がそれぞれ兼任しており、本当に郡とは別なの?という感じです。
ここで、郡の名が出てきましたが、島尻・中頭・国頭・宮古・八重山の5郡も、同日施行の勅令第13号【260コマ】によるもので、沖縄県では「区」はもちろん、「郡」も史上初登場でした
[64956]。
地域限定による新種の区は、北海道にもでき(C2)、上記郡区町村編制法の区(A1)と置き換わることになりました。
明治30年(1897)5月29日公布の
北海道区制(明治30年勅令第158号) がそれです。
この北海道区制も、府県に施行された市制に比べて自治が制限されていたようです。助役は
明治32年改正 で導入されたものの、参事会は設けられず。
施行日は、一旦
拓殖務省令 で同年10月1日と定られたものの延期され、明治32年勅令第378号による助役制導入などの修正を経て、明治32年(1899)10月1日に 施行されることになりました。
同年の内務省令第44号
[71731]では“ 議会を備えた自治制度への第一歩ということで準備期間が必要だったのでしょう。”と書きましたが、いろいろと複雑な事情があったものと推測します。ついでに言うと、北海道一級町村制も先の拓殖務省令の明治31年1月1日施行から 2年以上延期されています
[63738]。
このような波乱はありましたが、明治32年(1899)10月1日に実現した「北海道区制」は、自治体への第一歩でした。
最初の北海道区制施行地は
明治32年内務省令第46号 により、札幌区・函館区・小樽区が指定されました。
この勅令の公布から施行に至る2年間には、北海道特有の制度である
(3代目)「支庁」制度 ができ、すぐに(1897/11/5から)施行されています。
支庁制度施行時点の北海道では、郡区町村編制法による札幌区・函館区が存続しており、この2区は郡と同列に支庁の管轄区域に入りました。というか、函館支庁の管轄区域=函館区(A1)でした。
北海道区制で指定された明治32年(1899)10月1日の函館区(C2)は、従来の函館区(A1)に加えて亀田郡亀田村の内がその区域に加わったということだけでなく、区が支庁の管轄区域外になったという違いがあります。
本来のテーマの「区」から離れますが、
支庁制度改正勅令 が示すように、管轄区域の消滅により従来の函館支庁はなくなり、亀田支庁は支庁位置を七飯村から管轄区域外の函館区に移し、
(新)函館支庁に改称 しました。
地域限定の区は、その後も北海道(C2)では旭川(1914)、室蘭(1918)、釧路(1920)と増殖した後、1922年に6区がすべて市制の市になりました。
沖縄県の区(C1)は 明治41年改正
[64956]の前後共に 2区(那覇・首里)のままで、1921年に市制を迎えました。
沖縄県区制・北海道区制関連で、昔の記事を紹介。
市制施行日と市の誕生日は、
アーカイブズ第3号 のURLが示すように この落書き帳の古典的な話題です。
グリグリさんの
[40621]が決定版になり、その後
[43070]で市名誕生日が追加されています。
…ということで今更なのですが調べ直してみたら、落書き帳の草創期に M.K.さんの発言があり、那覇市が 41番目、札幌・函館・小樽3市が 52番目を獲得している
置市時期順 が提示されていました。
[140][154] M.K. さん
全国市長会館が発行する『日本都市年鑑』(中略)では、札幌市や那覇市について、「北海道区制」「沖縄区制」に基づいて区となった日を「置市」の日と扱っていたようですが……
手持ちのデータを若干修正したのですけれど、ついでにそれをウェブページにもしてみました。【URL修正↑】
[159] Issie さん
視点を変えればこういう配列も「あり」だと思いますよ。
それぞれの「市」にとってみれば,こちらの日付の方が重要かもしれませんね。