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[75507] 2010年 7月 20日(火)00:08:34ニジェガロージェッツ さん
1945年5月の神戸市区再編について
[75506]グリグリ さん
神戸市兵庫区および長田区の設置日についてのご回答ありがとうございました。

現在は、変遷情報の兵庫県のページの「改称する」という記述を尊重しています。
確かに神戸市史においても,1945(昭和20)年5月1日に行われた8区を6区に再編成した件について神戸区と林田区については,それぞれ有名地名である生田区,長田区に改称したとの記述があります。どちらも生田神社,長田神社と,神社の名称という共通点があります。

ただ,1933(昭和8)年1月1日に湊西区を兵庫区に改称したときは,区域の変更を伴わない単純な改称でしたが,生田・長田両区の改称については,いずれも神戸・林田両区から管轄区域に変更があり,関連する旧区で言えば神戸区,湊東区,林田区が廃止されて,新たに生田区と長田区を設置したと述べた方が適切だと考察するところです。
同時に湊区も廃止されましたが,こちらは全区域が兵庫区に吸収されていることから合区による消滅と言えます。

さて,その変遷情報の兵庫県のページに,件の区再編成については,
区設置神戸市林田区を長田区に改称する
区設置神戸市湊区, 湊東区の一部を兵庫区に編入する
区設置神戸市湊東区の一部を神戸区に編入し、神戸区を生田区に改称する
とあるだけで,詳細欄にも同じことしか書かれていません。

もちろん,編集された88さんに於かれても,事情は十分承知の上で上記のように書かれたとは推測し,小生もそれを尊重します。ただ,この文面だけでは,
1)林田区から長田区へは,過去例の湊西区→兵庫区と同じ単純な改称
2)湊東区の一部が兵庫区に編入されたことは述べられているが,実際にはその3倍近くの面積を兵庫区に提供した林田区については完全に欠落している。

そこで,もし,私に同じ事を書かせていただければ,
区設置神戸市林田区より一部を兵庫,須磨区に移管し,須磨区の一部を林田区に編入し,林田区を長田区に改称する
区設置神戸市湊区全域,林田区の一部,湊東区の一部を兵庫区に編入する
区設置神戸市湊東区の一部を神戸区に編入し,神戸区を生田区に改称する
となります。

参考のため,区再編成の前後の面積・人口データを提供します。
1944(昭和19)年2月22日人口調査
面積km2人口
神戸市115.05918,032
灘区19.48152,713
葺合区7.56107,610
神戸区7.6867,731
湊東区2.0455,106
湊区6.9650,303
兵庫区4.00132,765
林田区10.60209,446
須磨区(本区)24.74108,846
須磨区(垂水)31.9933,512

1945(昭和20)年11月1日人口調査
面積km2人口
神戸市115.05378,592
灘区19.4870,636
葺合区7.5617,914
生田区8.9327,411
兵庫区13.9470,664
長田区10.05112,992
須磨区(本区)23.1044,873
須磨区(垂水)31.9934,102

人口については,空襲による市街の破壊の影響などで昭和20年11月データでは激減していますが,こちらは無視していただいて,面積について見ていくと,区再編成の様子が読めてきます。
面積のやり取りは以下のようになります。
但し,林田・長田区と須磨区の境界については双方でやり取りがあったので,林田区から須磨区に移管された面積についてはMapionの「キョリ側β」を利用して測ってみました

灘区→灘区19.48
葺合区→葺合区7.56
神戸区→生田区7.68
湊東区→生田区1.25
湊東区→兵庫区0.79
兵庫区→兵庫区4.00
湊区→兵庫区6.96
林田区→兵庫区2.19
林田区→長田区8.25
林田区→須磨区0.16
須磨区→長田区1.80
須磨区→須磨区22.94
垂水→垂水31.99
合計115.05
[74517] 2010年 4月 1日(木)17:33:37むっくん さん
市区町村変遷情報(近畿)
[74516]の続きです。

◎大阪府
1 1890.04.01 新設 志紀郡道明寺村 志紀郡 道明寺村, 沢田村

1 1890.03.31 新設 志紀郡道明寺村 志紀郡 道明寺村, 沢田村
ではないでしょうか。根拠は大阪府令第27号(M23.3.31)(PDF)1コマで、1890.3.31新設です。

4 1894.10.25 分立 住吉郡長居村 住吉郡 依羅村の一部

4 1894.10.29 分立 住吉郡長居村 住吉郡 依羅村の一部
ではないでしょうか。根拠は大阪府告示第219号(M27.10.29)(PDF)1コマで、1894.10.29分立です。
#1894.10.25は裁可日です。

5 1894.11.10 新設 大鳥郡上神谷村 大鳥郡 中上神村, 南上神村

5 1894.11.12 新設 大鳥郡上神谷村 大鳥郡 中上神村, 南上神村
ではないでしょうか。根拠は大阪府告示第225号(M27.11.12)(PDF)1コマで、1894.11.12新設です。
#1894.11.10は裁可日です。

15 1896.08.08 町制 南河内郡富田林町 南河内郡 富田林村

15 1896.08.10 町制 南河内郡富田林町 南河内郡 富田林村
ではないでしょうか。根拠は大阪府告示第222号(M29.8.10)(PDF)1コマで、1896.8.10町制です。
#1896.08.08は裁可日です。

21 1897.04.01 編入 西成郡津守村 西成郡 津守村, 川南村の一部

21 1897.04.01 改称 西成郡津守村 西成郡 川南村の一部
ではないでしょうか。根拠は大阪府告示第186号(M29.7.11)(PDF)3コマです。

23 1898.10.14 町制 三島郡茨木町 三島郡 茨木村
24 1898.10.14 町制 三島郡高槻町 三島郡 高槻村

23 1898.10.15 町制 三島郡茨木町 三島郡 茨木村
24 1898.10.15 町制 三島郡高槻町 三島郡 高槻村
ではないでしょうか。根拠は大阪府告示第198号(M31.10.15)(PDF)1コマで、1898.10.15町制です。
#1898.10.14は裁可日です。

25 1899.03.30 改称 南河内郡川西村 南河内郡 廿山村

25 1899.03.31 改称 南河内郡川西村 南河内郡 廿山村
ではないでしょうか。根拠は大阪府告示第69号(M32.3.31)(PDF)52コマで、1898.3.31改称です。
#1899.03.30は裁可日です(公報も1899.3.30付けですが、発行はその翌日の1898.3.31)。

43 1913.05.01 新設 中河内郡三本木村 南河内郡 太田村, 中河内郡 三本木村

43 1913.05.01 編入 中河内郡三本木村 南河内郡 太田村, 中河内郡 三本木村
ではないでしょうか。根拠は大阪府告示第105号(T2.4.21)(PDF)9コマで、1913.5.1編入です。

72 1925.04.01 編入 大阪市 大阪市, 西成郡 川北村, 千船町, 稗島町, 歌島村, 鷺洲町, 伝法町, 福村, 中津町, 豊崎町, 神津町, 西中島町, 北中島「町」, 新庄村, 豊里村, 大道村, 中島村, 今宮町, 玉出町, 粉浜村, 津守村, 東成郡 城北村, 榎本村, 清水村, 古市「町」, 榎並町, 鯰江町, 城東村, 神路村, 小路村, 鶴橋町, 中本町, 生野村, 北百済村, 平野郷町, 南百済村, 喜連村, 天王寺村, 住吉村, 田辺町, 長居村, 依羅村, 敷津村, 安立町, 墨江村

72 1925.04.01 編入 大阪市 大阪市, 西成郡 伝法町, 鷺洲町, 中津町, 豊崎町, 今宮町, 玉出町, 粉浜村, 津守村, 西中島町, 豊里村, 大道村, 新庄村, 中島村, 北中島「村」, 神津町, 歌島村, 千船町, 稗島町, 福村, 川北村, 東成郡 天王寺村, 生野村, 鶴橋町, 中本町, 神路村, 小路村, 城東村, 榎本村, 鯰江町, 榎並町, 城北村, 古市「村」, 清水村, 平野郷町, 喜連村, 北百済村, 南百済村, 田辺町, 依羅村, 長居村, 墨江村, 住吉村, 安立町, 敷津村
ではないでしょうか。根拠は大阪府告示第50号(T14.2.26)(PDF)1コマです。

68 1925.04.01 区設置 北区,西区から此花区が分区
69 1925.04.01 区設置 西区から港区が分区
70 1925.04.01 区設置 東区, 南区から天王寺区が分区
71 1925.04.01 区設置 南区から浪速区が分区

1925.03.31 境界変更 北区 北区, 西区の一部
1925.03.31 境界変更 西区 西区, 北区の一部
1925.03.31 境界変更 南区 南区, 東区の一部
1925.04.01 区設置  北区,西区から此花区が分区
1925.04.01 区設置  西区から港区が分区
1925.04.01 区設置  南区から天王寺区が分区
1925.04.01 区設置  南区から浪速区が分区
ではないでしょうか。根拠は大阪府告示第110号(T14.3.30)及び大阪府告示第111号(T14.3.31)(共に大阪府公報号外大正十四年三月三十日(PDF)1コマ)です。
#1925.03.31の境界変更は本来的には収録対象外であると思われますが、1925.04.01の区の再編と実質的に同一に扱われるべきものと思われますので記載しています。

97 1932.10.01 区設置 港区から大正区が分区
98 1932.10.01 区設置 東成区から旭区が分区

97 1932.10.01 区設置 港区を廃し新たに港区, 大正区 を設置
98 1932.10.01 区設置 東成区を廃し新たに東成区, 旭区 を設置
ではないでしょうか。根拠は大阪府告示第634号の2(S7.9.20)(PDF)1コマです。


145 1943.04.01 区設置 北区,旭区から都島区が分区
146 1943.04.01 区設置 西淀川区,此花区から福島区が分区
147 1943.04.01 区設置 東淀川区,西淀川区から大淀区が分区
148 1943.04.01 区設置 東成区から生野区が分区
149 1943.04.01 区設置 旭区から城東区が分区
150 1943.04.01 区設置 住吉区から阿倍野区,東住吉区が分区

1943.03.31 境界変更 北区   北区, 東淀川区の一部, 旭区の一部
1943.03.31 境界変更 此花区  此花区, 西淀川区の一部
1943.03.31 境界変更 東区   東区, 南区の一部, 東成区の一部, 旭区の一部
1943.03.31 境界変更 天王寺区 天王寺区, 東区の一部, 東成区の一部, 住吉区の一部
1943.03.31 境界変更 浪速区  浪速区, 西区の一部, 西成区の一部
1943.03.31 境界変更 西淀川区 西淀川区, 北区の一部, 此花区の一部
1943.03.31 境界変更 東淀川区 東淀川区, 北区の一部
1943.03.31 境界変更 東成区  東成区, 東区の一部
1943.04.01 区設置 北区, 此花区を廃し北区の一部, 此花区の一部を以て新たに北区 を設置
1943.04.01 区設置 北区を廃し北区の一部 を以て新たに都島区 を設置
1943.04.01 区設置 此花区, 北区を廃し此花区の一部, 北区の一部を以て新たに福島区 を設置
1943.04.01 区設置 此花区を廃し此花区の一部を以て新たに此花区 を設置
1943.04.01 区設置 西区, 港区を廃し西区, 港区の一部を以て新たに西区 を設置
1943.04.01 区設置 港区を廃し港区の一部を以て新たに港区 を設置
1943.04.01 区設置 天王寺区, 南区, 浪速区を廃し天王寺区の一部, 南区の一部, 浪速区の一部を以て新たに天王寺区 を設置
1943.04.01 区設置 南区, 天王寺区, 浪速区を廃し南区の一部, 天王寺区の一部, 浪速区の一部を以て新たに南区 を設置
1943.04.01 区設置 浪速区, 南区, 天王寺区を廃し浪速区の一部, 南区の一部, 天王寺区の一部を以て新たに南区 を設置
1943.04.01 区設置 東淀川区, 西淀川区を廃し東淀川区の一部, 西淀川区の一部を以て新たに大淀区 を設置
1943.04.01 区設置 西淀川区を廃し西淀川区の一部を以て新たに西淀川区 を設置
1943.04.01 区設置 東淀川区, 西淀川区を廃し東淀川区の一部, 西淀川区の一部を以て新たに東淀川区 を設置
1943.04.01 区設置 東成区, 旭区を廃し東成区の一部, 旭区の一部を以て新たに東成区 を設置
1943.04.01 区設置 東成区, 住吉区を廃し東成区の一部, 住吉区の一部を以て新たに生野区 を設置
1943.04.01 区設置 旭区を廃し旭区の一部を以て新たに旭区 を設置
1943.04.01 区設置 旭区, 東成区を廃し旭区の一部, 東成区の一部を以て新たに城東区 を設置
1943.04.01 区設置 住吉区, 東成区を廃し住吉区の一部, 東成区の一部を以て新たに阿倍野区 を設置
1943.04.01 区設置 住吉区, 西成区を廃し住吉区の一部, 西成区の一部を以て新たに住吉区 を設置
1943.04.01 区設置 住吉区, 東成区を廃し住吉区の一部, 東成区の一部を以て新たに東住吉区 を設置
1943.04.01 区設置 西成区, 住吉区を廃し西成区の一部, 住吉区の一部を以て新たに西成区 を設置
ではないでしょうか。根拠は大阪府告示第13号(S18.1.8)及び大阪府告示第14号(S18.1.8)(各々大阪府公報号外昭和十八年一月八日(PDF)の1コマ、2コマ)です。
#1943.03.31の境界変更は本来的には収録対象外であると思われますが、1943.04.01の区の再編と実質的に同一に扱われるべきものと思われますので記載しています。


◎和歌山県
1 1894.05.01 町制 那賀郡粉河町 那賀郡 粉河村
1894(M27).5.1町制ではなくて1894(M27).5.10町制ではないでしょうか。
橋本市史・近現代資料I(編:橋本市史編さん委員会、出版:橋本市、H13.3.31)231頁には
和歌山県告示第六十六号
明治廿三年法律第七十七号に依り、自今那賀郡粉河村を粉河町とし、伊都郡橋本村を橋本町とす
明治二十七年五月十日 和歌山県知事 沖 守固
とあります。

またこの和歌山県告示第66号(M27.5.10付)に基づき
1894.05.10 町制 伊都郡橋本町 伊都郡 橋本村
も追加することになります。

47 1942.03.20 新設/市制 田辺市 西牟婁郡 田辺町, 下芳養村
1942(S17).3.20新設/市制ではなくて1942(S17).5.20新設/市制ではないでしょうか。
田辺市例規集では
内務省告示第346号(S17.5.18)
市制第3条及町村制第3条に依り昭和17年5月20日より和歌山県西牟婁郡田辺町及下芳養村を廃し其の区域を以て田辺市を置く。
とあります。

次稿に続きます。
[74335] 2010年 3月 13日(土)19:57:34【1】hmt さん
同じ「区」の名で呼ばれても、中身は 区区(まちまち) (2)三大都市の「区」は市域内に移行
今回から、明治21年法律第1号「市制・町村制」 の時代の「区」です。

[62662]88さん の記事にあるように、上記の法律(旧・市制町村制)は 大部分の府県について 翌1889年に施行されました。
また、かなり多くの府県では 1891年から1898年にかけて 明治23年法律第36号「郡制」が逐次施行されました。

これにより、「郡区町村編制法」で設けられた「区」と「町村」の多くの地域は、新制度に取って変わられることになりました。
事実「郡制」施行の地では、これに抵触する郡区町村編制法を廃止するという規定もあります[62732]
しかし これは郡部の話で、大都市においては、郡区町村編制法で設けられた“従来の区”が、意外にしぶとく生き残っていたのでした。

それを端的に示しているのが、いわゆる三市特例法 こと 市制中東京市京都市大阪市ニ特例ヲ設クルノ件(明治22年法律第12号)です。
第1条 東京市京都市大阪市に於ては 市長及び助役を置かず 市長の職務は府知事之を行ひ 助役の職務は書記官之を行ふ
第4条 東京市京都市大阪市に於ては 従来の区を存し 毎区に区長1名及書記を置き 有給吏員と為し…

三大都市において行政機関として機能していたのは、有名無実の存在である(第1条)「市」ではなく、“従来の区”なのでした。

実は 前回の記事で紹介した 明治11年東京府布達第49号による 15区の名称区域 は、“明治30年12月現行”という「東京府布令類編纂」に掲載されたものであり、東京市発足後のこの時代でさえも、「15区」を説明するにあたり 明治11年の布達に 大きな修正をする必要がない と考えられていたことがわかります。

市制町村制の施行対象は、明治22年東京府令第26号【上記文書429コマ】では、
当府管下 東京 に市制を、荏原郡外5郡 町村 に町村制を施行す
と、一体的な市街地“東京”の領域が意識されており、“15区”とも“1400町”とも記されていません。
この市街地“東京”を領域として、地理的存在の「東京市」が誕生。但し、行政的には骨抜きの存在。

実際には、例えば「従来の芝区」だけでなく、荏原郡白金村の大部分も「新しい芝区」に編入されました。
[64891]は、市制施行の際に郡部から編入された区域を次の通り列挙しています。
荏原郡白金村(編入先:芝区)の他に、南豊島郡から下渋谷村(麻布区)・原宿村(麻布区と赤坂区)・千駄ヶ谷村(四谷区)・牛込早稲田村(牛込区)。北豊島郡からも小石川・雑司ヶ谷・巣鴨・高田の各村(小石川区)、東の方で下駒込・日暮里・谷中・千束その他の各村が本郷・下谷・浅草の3区に編入。
南葛飾郡に属していた須崎・押上・亀戸・大島などの村々は本所・深川の両区に編入。(以上 新旧対照市町村一覧 18~21コマ)

このように、三市特例法では“従来の区”としか書いてなかったものの、東京市発足の 1889.5.1 には、白金・原宿・早稲田などお馴染みの地域が、地理的存在ながら「東京市」の領域内になったのでした。1920年の内藤新宿町編入以上の大きな変化ですから、これを無視するわけにはゆきません。

「東京市の変遷」において、“区設置”となっている 1889.5.1の変更種別欄は、“区移行、編入等”とでも記したらどうでしょうか?
“区移行”の意味は、「区」は 行政的には東京府直轄体制 であることに変化はないものの、地理的には 市域内【東京市の領域内】に移行した という意味です。
“編入等”は、同時に 郡部町村の編入 などがあったことを示します。
[78433] 2011年 5月 25日(水)15:58:56hmt さん
「東京都制」による「東京市」の消滅
第三十一回全国の市十番勝負の問六に「複数市の合併」があり、それを調査する方法として、市町村雑学 東京市ってあったの? 消滅した市 のページが、[78411]グリグリさんから示されました。

十番勝負から離れますが、この機会に、雑学のタイトルにも使われた東京市の消滅について少々。

雑学の冒頭に記されているように、形式的には 明治22年(1889)5月1日に 15区で誕生した「東京市」は、隣接5郡の一括編入 による 35区への大拡張(1932年)などを経て、1943年7月1日の東京都制移行により消滅しました。

なお、いわゆる三市特例法が廃止されて、東京市が「自治体として実質的に発足した日」は、明治31年(1898)10月1日です。
東京市では、この10月1日を「自治記念日」[55178] の名で、「市の誕生日」として認識していました。
これを引き継いだ 現在の「都民の日」[33692]についても、同様の認識があります。

実は、市の変遷 に表示されている「東京市の誕生日」は、形式的な誕生日である1889年5月1日になっています。
「自治体としての東京市」の実質的な誕生日が1898年10月1日であることや、それより前の時代の 15区が東京市に従属するものでなかったという意見は、既に [74320]で記しました。しかし、市の変遷のページが 変遷情報と連動する仕組みになっているため、88さん担当の 変遷情報 に、特例法廃止による東京市(京都市・大阪市も)への制限撤廃が入力されない限り、グリグリさん としても 動けない[74330] ということのようです。
88さん、お手数ですがご検討のほどよろしくお願いいたします。

88さん。私からも、具体的に下記の案を提示します。ご検討願います。
(変更年月日)1898(M31)10.1 (変更種別)三市への制限撤廃 (自治体名)東京市
(変更内容)実質的な自治権獲得、従来の 15区も、実質的に府から市に移管

また、1889(M22)5.1 に入力されている(変更種別)区設置を、(変更種別)区移行、編入等
と変更する提案を、[74335]で行っています。併せてご検討願います。

要するに、郡区町村編制法による「従来の区」は、東京市が形式的に発足した1889年に「東京府15区」という身分を保ったまま「東京市」の領域内に「移行」した。(同時に、白金・原宿・早稲田などの地域を東京市内に編入。)
1898年からは、三市特例法廃止、市制改正(第3条、第72条)により、実質的には「東京市15区」になり、1911年の市制全改正により、形式的にも「東京市15区」になった。
以上のように理解しています。

消滅前のことが長くなってしまいましたが、東京市の消滅日は、昭和18年法律第89号 「東京都制」 の施行日です。

「東京都」は、東京府と東京市との「垂直合併」により作られた、極めて特殊な制度でした。
35区の範囲では、東京都は市町村の性格を持ち、三多摩と島では町村を包括する府県の役割を果たす。

もちろん、戦争遂行という特殊な状況の下に、帝都の一元的行政による効率化を図ったものですから、戦後の「自治・分権型」を基礎とする地方制度とは対極の位置にある、「官治・集権型」制度でした。
勅令指定都市の区【D1[74736]】が持っていた法人格は、東京市廃止後の35区に引き継がれたとはいうものの、東京都になった当初の35区【D4[74793]】は、条例制定権、課税権、起債の権限もなく、区の自治権は縮小されていました。

消滅した市の雑学・表の備考に、“特別区に行政移行”と記され、前書にもそのような記載があります。しかし、「特別区」は、戦後の新憲法下の「地方自治法」に基づく制度であり、これは間違いです。
「特別区E1[75012]」になるのは、敗戦直後の大都市改革[74795]により「市に準じる35区」(D5)になり、更に22区→23区への整理統合を経た後のことですから、消滅した市の雑学で、そこまで言及する必要はないでしょう。


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