オフ会帰路の hmtは、かすみさん・MasAkaさんと共に JOUTOUさん & グリグリさんに「会津田島駅」に送っていただきました。
DCで到着した油天神山さんを加えた4人が 乗り込んだ 10:20発の電車は、浅草直通
[79711]ではなく、新藤原止りでした。
しばらくは阿賀川水系の最上流部、戦後間もなく国鉄会津線として開通した区間を走ります。1990年になってから、東武鉄道・野岩鉄道と直通運転するために、電化工事が行なわれました。開業後の第三セクター鉄道では唯一の事例でしょうか。
「会津高原尾瀬口駅」で赤い車体の AIZUマウントエクスプレスと行き違い。スナフキんさんのクイズに出た名鉄北アルプス号の後継車ですね。この駅は 1953年に国鉄会津線「会津滝ノ原駅」として開業。
2006年、駅名に「尾瀬口」という言葉が加えられましたが、尾瀬とは数十kmも離れています。
せっかく名が出たので、この記事を書きながら、地図上だけでも尾瀬への道をたどってみました。
会津高原の西も
南会津町 ですが、2006年合併前の舘岩村・伊南村等は阿賀川水系の田島町と違い 只見川水系になります。
地図 の「沼田街道」という字が目についたので、たどってみました。越後街道と分岐する会津坂下町から 只見町へと只見川を遡り、只見から伊南川沿いに檜枝岐村へと進みます。その先は、尾瀬沼を境に群馬県に入り、片品村を南下して 沼田に至る街道とわかりました。
檜枝岐へは、オフ会直前に かすみさんが訪問 されたとのこと。バス時刻を調べたら、会津高原尾瀬口駅からの所要時間 1時間半以上。それでも1日に4便あることがわかり、この秘境も、これまで思ったより近く感じました。
# 落書き帳記事数は「檜枝岐」が35件、「桧枝岐」が12件。意外な人気にびっくり。私の記事は
[28571]。
空想の脇道から戻って、電車は いよいよ野岩(やがん)鉄道の区間に乗り入れます。
すぐに県境のトンネルで、福島県側(岩代国)の登り勾配から 栃木県側(下野国)の降り勾配になります。
このあたり、車窓の景色を MasAkaさん持参の野岩鉄道資料【注】と見比べながら進行。
【注】二次会(トンネルの長さ)で使われたもの。オフ会記録ページに掲載していただければ有難い。
駅前に謎の緊急用ヘリポートがあるだけで人の気配が全くないという
「男鹿高原駅」 の次は「上三依塩原温泉口駅」。
塩原温泉は三依山の向うの那珂川水系ですが、1988年に尾頭トンネル開通で結ばれました。
「上三依塩原温泉口駅」「中三依温泉駅」「湯西川温泉駅」と3駅連続の温泉駅とトンネルとが続きますが、ちょっとだけ五十里(いかり)湖の湖面を渡ります。
五十里ダムのある男鹿(おじか)川と、川治ダムのある鬼怒川とは、「川治湯元駅」付近で合流します。「川治温泉駅」を経由して、「龍王峡駅」に到着。1両目はトンネル内、2両目は明かり区間に停車。ここで皆さんと別れて、途中下車しました。
龍王峡 は、年代の異なる火山岩を鬼怒川が侵食してできた景観です。繰り返された侵蝕の中でも、第一次五十里湖の決壊で生じ、川治温泉発見につながった享保8年(1723)の洪水
[78104]は、今日でも語り伝えられています。
時間と体力があり、本格的に探勝すれば、いろいろと楽しむことができそうです。しかし、私の場合は 最も手近な 虹見の滝近くの虹見橋まで 降りる階段も 途中まで。滝や渓谷を見下ろせた地点で、最も安直に自己満足して、探勝を済ませてしまいました。
次の電車に乗り、新藤原で野岩鉄道の完乗を果しました。前方に増結された空車に席替え。
今回のオフ会旅行における鉄道路線のポイントになった野岩鉄道の沿革をまとめておきます。
『野岩鉄道の旅~おかげさまで開業25周年~』 によると、南会津と東京の間を結ぶ鉄道は「父祖三代の夢」でした。
明治24年7月福島県南会津郡長らによる会津~首都圏短絡路線の建設運動までさかのぼることができます。
構想としては、明治29年(1896)に仮免許を得た 「野岩羽」鉄道もあり、これは羽前国の米沢までを結ぶ路線でした(
参考)。
しかし、これは現在の路線誕生と直接の関係はなさそうです。
その後 明治43年(1910)に
軽便鉄道法 が制定されました。本来この法律は 私鉄簡易路線用の制度なのですが、政府はこれを拡大解釈し、国が鉄道敷設法
[61108]によらない小路線を作る根拠にしました。国有鉄道軽便線の数は、1918年に開業線・予定線合計 35線に達し、軽便鉄道法廃止後も実質的にこの制度を維持した結果、遂に 60線以上になったとのことです。
さすがに このやり方には 批判があったようで、大正11年(1922)になると鉄道敷設法が全部改正され、150もの路線が別表に記されました(更に追加あり)。
この別表中に、田島から野岩鉄道への区間【及び762mm軌間の軽便鉄道で開業済の鬼怒川線区間】が記されています。
33 栃木県今市より高徳を経て福島県田島に至る鉄道及高徳より分岐して矢板に至る鉄道
この別表には、会津若松-田島間が記されていません。
それは、既にこの区間が【拡大解釈した軽便鉄道法により】国鉄線として建設されるお墨付きを得ていたからです。会津若松-上三寄(現・芦ノ牧温泉)間は 1926~27年に、田島までは 1934年に開業しています。
現在の野岩鉄道は 1922年の改正鉄道敷設法に基く路線で、1966年に 日本鉄道建設公団が着工し、1969年に山王トンネルを開通させながらも、国鉄再建法により 1980年に工事凍結になってしまった「野岩線」が、第三セクター鉄道として復活し、1986年に電化線として開業したものでした。
明治24年から数えれば、まさに 95年後に現実になった「父祖三代の夢」でした。
新藤原から東武鉄道区間になります。鬼怒川線の「鬼怒川温泉駅」は「芦ノ牧温泉駅」から数えて8つ目の温泉駅
[73239]。
新高徳で鬼怒川と別れ、下今市の手前にあるのが「大谷向駅」。
今市宿の本体から見て大谷川の向う側にある地名だから「大谷向(だいやむこう)」です。そう言えば、昨年探訪した三県境の下流にも「向古河」という地名がありました
[76929]。「向島」の読みのいろいろ
[29974]もあるし、地名コレクションのタネになるか?
長い栃木県区間を走り抜け、
「鶴舞う形の群馬県」 の頭の先をかすめれば埼玉県。柳生駅付近では、昨年の三県境探訪で見た風景を少し離れて再見。“車窓必見スポット?”
[79541]と自分で書いておきながら 見落したのが、かつては茨城県だった伊賀袋。
本来は栗橋乗換でよかったのですが、切符を買ってしまったので引き続き春日部まで区間快速に乗車していたら、南栗橋駅で大勢乗車してきたのでビックリしました。
10両編成半蔵門線直通列車の始発駅ということで、利用客の多い駅になりつつあるのでしょう。
【追記】
[79720]によると、イベント帰りの臨時客とのことでした。
こんな具合に観察したり想像を巡らせたりしながら、ボックス席の帰路も、退屈せずに過ごせました。