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落書き帳

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[81855]2012年9月17日
グリグリ
[81857]2012年9月17日
Issie
[81859]2012年9月17日
グリグリ
[81861]2012年9月17日
hmt
[81863]2012年9月17日
88
[81880]2012年9月23日
hmt

[81855] 2012年 9月 17日(月)06:09:18【1】オーナー グリグリ
礪波市は存在したか?
瞬間の市の"市制施行日にのみ存在した市"の表形式を改め、都道府県、旧町名、市制施行日、瞬間市名、市名改称日、改称市名、の6欄にしました。これは"市制施行日に先行して町名を変更した市"の形式、都道府県、旧町名、町名改称日、改称町名、市制施行日、新市名、に合わせたものです。

ところで"市制施行日にのみ存在した市"もしくは"市制施行日に先行して町名を変更した市"の新たな疑惑(?)候補を見つけました。「砺波市」です。変遷情報では、1954年(昭和29年)4月1日に東礪波郡礪波町が市制施行し礪波町から砺波市になっています。旧字体から新字体への改称になりますが、「礪波市」と「砺波町」のどちらが中間に存在していた可能性が気になります。告示を追えば分るのでしょうが、どなたか調べてもらえませんか。

過去記事を確認してみましたが明確な答はないようです。むしろ、「礪波」から「砺波」への明確な字体変更が市制施行時に実施されたのかどうか、市制施行後ではないのか、という疑問が出てきました。88さんの記事も確認したのですが、礪波町→砺波市(市制/改称)の根拠が明確であれば教えていただけるとありがたいです。
[81857] 2012年 9月 17日(月)09:00:33【1】Issie さん
となみ
[81855] グリグリ さん
礪波市は存在したか?

「砺波市」の場合は,合併(部分編入)・改称・市制施行をそれぞれ別個に行った 千葉県津田沼町→習志野市 とは違って,礪波町ほか4村の合併と市制による「新自治体の設置」を一遍に行った例ですね。礪波町への編入があってからの市制,ではありません。この場合は,言ってみれば「ゼロからの出発」であって「従前の自治体の改変」ではないわけで,“いきなり新字体”というのは十分にあり得る話だろうと思います。
当用漢字表の告示(1946年)から8年,占領も終わって,たとえば「飛鳥」の読みが当用漢字から外れるから「北区」になったとか(1947年),長野県諏訪郡の 永明村 が「町」になるにあたって中心集落の名を採ろうとしたら「茅」という字が当用漢字にはないので「ちの町」になった(1948年)というような“極端”な運用はされなくなってきてはいるでしょうが,それでも“新字体への切り替え”は生真面目に“自動的”に行われている可能性が高いように思います。
※ちなみに,「茅」という字は現行の常用漢字表でも“表外字”ですから,理屈で言えば従前の「正字」にしたがって“くさかんむり”がつながっていてはまずいのでしょうが,茅野市も茅ヶ崎市も自身の公式ページでの表記では“くさかんむり”がつながっています。

長々,無駄なことを書きましたが,実は私の手元では上の「新字体へは自動的に切り替える」という原則に従って旧町を「砺波町」と整理してあって,この部分が確認できません。
告示,またはそれを掲載した官報の原文に当たれればいいのですが,私の環境ではそれがすぐにできるわけではないので,それが可能な方に期待して…

最初に書いた通り,当該の処理はその年(1954年=昭和29年)の「総理府告示第241号」(1954.3.27)によって,旧町村の廃止と新自治体の設置が同時に行われています。
[81859] 2012年 9月 17日(月)11:13:23オーナー グリグリ
礪波町から砺波市
[81857] Issieさん
礪波町ほか4村の合併と市制による「新自治体の設置」を一遍に行った例ですね。
ん? 富山県の変遷情報によれば、礪波町関連の変遷は次の通りです。

1952(S27).4.1新設東礪波郡 礪波町東礪波郡 中野村, 油田村, 庄下村, 五鹿屋村, 出町, 林村
1954(S29).1.15編入東礪波郡 礪波町東礪波郡 南般若村, 柳瀬村, 太田村, 東野尻村, 西礪波郡 高波村
1954(S29).3.1編入東礪波郡 礪波町東礪波郡 栴檀山村, 栴檀野村, 般若村, 東般若村
1954(S29).4.1市制/改称砺波市東礪波郡 礪波町

となっています。Issieさんが言われている4村とは1954(S29).3.1の編入の件でしょうか。
1954(S29).4.1に砺波市は礪波町から単独市制施行しています。
[81861] 2012年 9月 17日(月)12:01:42hmt さん
砺波市は、新字体により「となみ」の名を全国に発信したのではないか
[81855] グリグリ さん
1954年(昭和29年)4月1日に東礪波郡礪波町が市制施行し礪波町から砺波市になっています。

その 「礪波町」 という名の登場が意外に新しく、僅か2年前なのですね。もちろん、礪波郡は古代に遡ります。

1952年4月と言えば、既にサンフランシスコ平和条約が調印され、日本の独立が目前になったいた時期。
そして、当用漢字制定から既に7年目に入りで、人々は 3年前に制定された新字体の使用にも慣れてきた時代でした。

もちろん、礪波以外の用途が殆んどない「礪」という字が当用漢字表に入っている筈もなく、その新字体もありません。
使用する漢字を当用漢字に「制限する」という“極端”な運用はされなくなってきてはいる[81857]時代ですから、表外字であっても古来使われてきた「礪波」が、1952年の新設町名に そのまま使われたのは、もっともです。

しかし、北陸の地元はともかく、「となみ」という地名は 全国的には知られていませんでした。
私が 礪波 という名を知ったのは、礪波運輸(1962年からトナミ運輸)のトラックに書かれた文字からでしょう。

漢和辞典を見ると、「礪」という字の音は「レイ」であり、その意味は荒砥。
「と」という訓(読み)は、これから派生したものと思われます。

それにしても「礪波」は難しすぎる。そこで工夫されたのが「砺波」という表記なのではないでしょうか。
この字、机上にある漢和辞典になし。そんな字でも、なんとなく読めるのは 字体の似た「栃木」のお陰でしょう。
# 同じ旁を使った地名には長崎の近くの蛎浦(かきのうら)島がありますね。

図書館がお休みなので、大きな漢和辞典等で確認することができないのですが、この「砺」という字は「“となみ”の為に作られた新字体」なのではないだろうか?と疑っています。

1952年に「礪波町」という名で発足した自治体は、 1954年市制の機会を利用して、「砺波市」という “新字体への切り替え” を行い、「となみ」の名で全国に知らしめることを図ったのではないでしょうか。

…ということで、
官報に掲載された告示には、変遷情報 以上の内容はなく、礪波市は存在しなかったであろう というのが、私の推測です。
[81863] 2012年 9月 17日(月)21:08:0488 さん
市区町村変遷情報 暫定レス
申し訳ありません。
ちょっと投稿・調査の時間が不足しているので、最小限だけのレスを。

[81862] hmt さん
変更種別の件。
[70815] 拙稿で、「市制/改称」「改称/市制」などの「/」の意味、また、幾つかの記号を導入する案など、検討案をお示しし、[71000] グリグリ さんでもレスをいただいています。
例えば土佐市の例など、市制と改称が同時という意味をこめて「市制改称」と変更種別を試したことがあったのですが、市区町村変遷情報のプログラムの都合もあってか、エラーで弾かれたことがあります。変更種別そのものや、「/」にも意味を持つよう設計されているようです。
やはり、将来構想としては、同時か、順を追ってか、は区別したい、との希望を持っています。

[81849] グリグリ さん
土佐市の件。
私自身も気になっており、今年は高知へ行く機会をとらえて高知県立図書館か土佐市立市民図書館を訪問して「土佐市史」(編:土佐市史編集委員会、出版:土佐市、1978年12月)を閲覧しようと考えたのですが、図書館の開館時間中に調査時間(2時間は要するか)を確保する訪問ができず、いまだに実行できていません(既に今年10回は高知へ行っているにもかかわらず・・ほとんどは高知市が目的地)。申し訳ありません。今年中にまだ2回くらいは高知へ行きそうなので、なんとか、近々には、と思うのですが。
高岡町→土佐町か、または高岡市→土佐市の改称条例があるはずなので、それを探すのが主たる目的です。

[81855] [81859] グリグリ さん
[81857] Issie さん
[81861] hmt さん
砺波市の件。
実は4年ほど前に、いろいろ悩んだ挙句、「市制/改称」としました。正直、不十分な対応です。総理府告示は、もちろん、その市制前後を含めて確認したのですが、告示が矛盾した表記となっています。
その後、誰かからツッコミが入るだろうと思い(関連する10番勝負の出題もあった記憶あり)、そのままにし、今回まで失念していました。
詳細は追って。取り急ぎ、最小限、事実のみご報告。
官報情報検索サービスからです。
S27.4.1付け新設合併東礪波郡礪波町S27.5.13付け総理府告示第119号
(従前:東礪波郡礪波町)
S29.1.15付け編入合併東礪波郡礪波町S28.12.28付け総理府告示第279号
S29.3.1付け編入合併東礪波郡礪波町S27.2.27付け総理府告示第60号
S29.4.1付け市制砺波市S29.3.27付け総理府告示第241号
(従前:東礪波郡砺波町)
S30.1.10付け編入合併礪波市S29.12.27付け総理府告示第1152号

鹿児島県揖宿郡指宿町の例([81134])と同様、当初から「東礪波郡砺波町」とし、市制時は「砺波町→砺波市」との「市制」の変更種別にするべきか、とも今は思っていますが、また後日。

[74087]拙稿「旧字体・新字体の表記方法について (ex. 条 or 條)」において、私としては、ひととおり、旧字体・新字体に関しての方針を整理したつもりでした。ところが、[80268]中島悟さんのご指摘にも関連し、漢字制度の変遷を整理しなければ中途半端になる、[74087]では不十分であることが判明しました。誤り、というよりは、方針を追加する必要があると考えたものです。
で、漢字のデータを整理していたのですが、私の不注意でそのデータの一部を削除してしまったようで、復旧に時間がかかってしまっております。申し訳ありません。

――――――――――
グリグリさんへ業務連絡。
瞬間の市の説明文で、
南大阪市は1日だけ存在した市だったのです。
云々がありますが、以下の表現・考え方が正確かと思います。
1月15日の1日間が南大阪市で、1月16日付けで羽曳野市に改称したのであれば「1日存在した」です。今回の例は、「一瞬」であり、「0日」とも言えます(「0」と「-」の違い、という意味をこめて)。「1日」ではありません。もっとも「1日も存在しなかった」というと、また日本語表現が不自然になってしまいそうです。
例えば、宇島市は、4月10日~13日の4日間存在し、4月14日以降は豊前市、と数えます。それとの整合からも、南大阪市は1日ではなく、強いて言えば0日、無難に言えばやはり一瞬かと。

別件ですが、関連して。
消滅した市では、豊前市は4月13日から、となっています。4月14日が正解です。これは以前、私が市区町村変遷情報データを修正した件のあおりが残っているものと思われます。申し訳ありません。
[81880] 2012年 9月 23日(日)14:08:23hmt さん
疑惑の「砺波市」についての補足
市制施行と改称との前後関係に着目した雑学 瞬間の市 については、[81849]の後で、[81855] グリグリさんから「礪波市疑惑」が持ちだされました。

これについては[81857] Issieさんのレスがありましたが、合併や編入と市制/改称とが同日でないという指摘は、既に[81859] グリグリさんによりなされています。

私も既に[81861]により私見を記したのですが、その後で [81863]88さんにより、官報情報サービスによる総理府告示のご紹介がありました。
S29.4.1 市制 砺波市(従前:東礪波郡砺波町) S29.3.27付け総理府告示第241号

オヤオヤ。従前から砺波町とするこの告示を信じるならば、昭和29年に「改称はなかった」ことになるのですね。

そうだとすると、何時「砺波町」になったのか?
紹介されたリストによる情報からは、官報記載の総理府告示における新旧字体の使い方は不統一で信用できません。
ただ、「改称」を伝える告示が存在しないことから、町条例による「砺波町への改称」は行なわれなかったと推測できます。
つまり、昭和27年の新設合併時に 新自治体が選んだ町名が 東礪波郡「砺波町」 だったのではないでしょうか?

先に“新旧字体の使い方”と書いたのですが、実は 仮に「新字体」と呼んだ「砺」という字の性格が不明なのです。

[81861]では確認できなかった大きな漢和辞典を調べた結果。
大修館の大漢語林と講談社の新大字典は、いずれも「礪」の略字という説明のみ。三省堂の新明解現代漢和辞典も「礪」への案内見出しのみ。角川の大字源は掲載なし。
そして本命は諸橋大漢和です。膨大な数の漢字を収録するこの字典の第8巻には、石部5画だけで 65もの文字が並んでいるのですが、「砺」は掲載されていません。

結論として、この字は本来の「漢字」ではなく、日本で非公式に作られ 使われている 略字であると思われます。

仙台、横浜、金沢、広島などに使われている「新字体」は、当用漢字字体表(昭和24年内閣告示第1号)で定められた公式の字体ですが、「砺」は、このようなレッキとした「新字体」ではないのです。
でも、「礪」という字のパーツである「萬」の部分を「新字体」の「万」で置き換えれば、大幅な画数節約が実現します。

「區」の新字体は「区」。これをパーツに応用した略字を作り「森鴎外」と書いても、誰を指すのか十分にわかります。
昭和27年に富山県東礪波郡に新設した自治体が、自らを略字を使った「砺波町」で表記することにしたとしても、それは是認できる行為であると考えます。

[81861]では、1954年に 難しすぎる「礪波」を避けて「砺波」という表記で「となみ」の名を全国に発信したと推測しました。現在では、これは 1952年「砺波町」発足時からではないかと思っています。

でも、東礪波郡の表記を知っている総務省は、「教養が邪魔した」結果として略字でない「礪波町」で告示したのではないか。
そうであったとしても、この行為を「誤りである」として非難することもできないように思われます。
だって、国の役所としては、アングラの略字である「砺」を告示に使いたくないでしょうから。
表外字ではあっても正字である「礪」を使って告示。

昭和29年1月と3月の編入合併にも「礪」を使ったものの、町を市とする告示になると、「東礪波郡」を冠することもなくなるのだから、「砺波市」でいいかということになる。
以上、勝手な憶測でした。

おまけ 栃木県の「栃」という字
[81861]で、字体の似た「栃木」のお陰でなんとなく「砺波」を読めると書きましたが、「砺」の旁は「がんだれ」で、「栃」の旁とは僅かに違っていました。

とちぎの由来 の記載。
近世の地名では ほとんどが「杤」の字を使用していましたが、まれに「橡」や「栃」の字の使用もありました。
栃木県成立後の実際の使用例も、「栃」、「杤」、「橡」など不統一で、宇都宮県との統合後まで続きました。
明治12年4月県名文字を統一するため、「栃」の使用を県が正式決定し、その後数年を経て実際の使用表記も「栃」に統一されていきました。

内務省地理局が編纂した 郡区町村一覧 では、まだ「橡木県」となっています。この本の例言には明治13年12月とあるので、文字統一決定から2年近くになります。


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