市制施行と改称との前後関係に着目した雑学
瞬間の市 については、
[81849]の後で、
[81855] グリグリさんから「礪波市疑惑」が持ちだされました。
これについては
[81857] Issieさんのレスがありましたが、合併や編入と市制/改称とが同日でないという指摘は、既に
[81859] グリグリさんによりなされています。
私も既に
[81861]により私見を記したのですが、その後で
[81863]88さんにより、官報情報サービスによる総理府告示のご紹介がありました。
S29.4.1 市制 砺波市(従前:東礪波郡砺波町) S29.3.27付け総理府告示第241号
オヤオヤ。従前から砺波町とするこの告示を信じるならば、昭和29年に「改称はなかった」ことになるのですね。
そうだとすると、何時「砺波町」になったのか?
紹介されたリストによる情報からは、官報記載の総理府告示における新旧字体の使い方は不統一で信用できません。
ただ、「改称」を伝える告示が存在しないことから、町条例による「砺波町への改称」は行なわれなかったと推測できます。
つまり、昭和27年の新設合併時に 新自治体が選んだ町名が 東礪波郡「砺波町」 だったのではないでしょうか?
先に“新旧字体の使い方”と書いたのですが、実は 仮に「新字体」と呼んだ「砺」という字の性格が不明なのです。
[81861]では確認できなかった大きな漢和辞典を調べた結果。
大修館の大漢語林と講談社の新大字典は、いずれも「礪」の略字という説明のみ。三省堂の新明解現代漢和辞典も「礪」への案内見出しのみ。角川の大字源は掲載なし。
そして本命は諸橋大漢和です。膨大な数の漢字を収録するこの字典の第8巻には、石部5画だけで 65もの文字が並んでいるのですが、「砺」は掲載されていません。
結論として、この字は本来の「漢字」ではなく、日本で非公式に作られ 使われている 略字であると思われます。
仙台、横浜、金沢、広島などに使われている「新字体」は、当用漢字字体表(昭和24年内閣告示第1号)で定められた公式の字体ですが、「砺」は、このようなレッキとした「新字体」ではないのです。
でも、「礪」という字のパーツである「萬」の部分を「新字体」の「万」で置き換えれば、大幅な画数節約が実現します。
「區」の新字体は「区」。これをパーツに応用した略字を作り「森鴎外」と書いても、誰を指すのか十分にわかります。
昭和27年に富山県東礪波郡に新設した自治体が、自らを略字を使った「砺波町」で表記することにしたとしても、それは是認できる行為であると考えます。
[81861]では、1954年に 難しすぎる「礪波」を避けて「砺波」という表記で「となみ」の名を全国に発信したと推測しました。現在では、これは 1952年「砺波町」発足時からではないかと思っています。
でも、東礪波郡の表記を知っている総務省は、「教養が邪魔した」結果として略字でない「礪波町」で告示したのではないか。
そうであったとしても、この行為を「誤りである」として非難することもできないように思われます。
だって、国の役所としては、アングラの略字である「砺」を告示に使いたくないでしょうから。
表外字ではあっても正字である「礪」を使って告示。
昭和29年1月と3月の編入合併にも「礪」を使ったものの、町を市とする告示になると、「東礪波郡」を冠することもなくなるのだから、「砺波市」でいいかということになる。
以上、勝手な憶測でした。
おまけ 栃木県の「栃」という字
[81861]で、字体の似た「栃木」のお陰でなんとなく「砺波」を読めると書きましたが、「砺」の旁は「がんだれ」で、「栃」の旁とは僅かに違っていました。
とちぎの由来 の記載。
近世の地名では ほとんどが「杤」の字を使用していましたが、まれに「橡」や「栃」の字の使用もありました。
栃木県成立後の実際の使用例も、「栃」、「杤」、「橡」など不統一で、宇都宮県との統合後まで続きました。
明治12年4月県名文字を統一するため、「栃」の使用を県が正式決定し、その後数年を経て実際の使用表記も「栃」に統一されていきました。
内務省地理局が編纂した
郡区町村一覧 では、まだ「橡木県」となっています。この本の例言には明治13年12月とあるので、文字統一決定から2年近くになります。