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[83999] 2013年 8月 25日(日)18:12:17【1】YT さん
北海道市町村沿革台帳について
私的に色々忙しくて久々の投稿となります。

[81134] むっくん さん
M31.7.31現在の連合戸長役場であるならば北海道庁現行布令便覧(明治三十一年)(上巻)(編・発行:北海道庁、M32.2.10)に載っています。

『北海道庁現行布令便覧』等の情報ありがとうございます。

あれから色々調べたところ、戸長役場の変遷に関して平凡社の『日本歴史地名大系』に、「市町村沿革台帳」なる資料が引用されていることを見出しました。この文献の正体が分からず仕舞いでしたが、最近になって『新北海道史年表』(1989年)(内容は『新北海道史 第9巻 史料3』(1980年)の年表を一部修正して再録したもの)の「政治」の項目に、ある程度戸長役場時代の町村の変遷について載っており、そこで引用文献として「580 北海道市町村沿革台帳 (道地方課蔵)」が挙げられておりました。

「北海道市町村沿革台帳」は出版物ではなく、北海道庁の内部資料だということがわかりましたが、調べたところ、北海道史編集資料として北海道立公文館に以下の資料が収容されているようです。

請求記号請求記号(マイクロ資料)資料名
A7-1/4417F-1/1571北海道市町村沿革台帳 其の一 自明治二年七月 至大正四年三月
A7-1/4418F-1/1572北海道市町村沿革台帳 其の二 自大正四年四月 至昭和二年十二月
A7-1/4419F-1/1573北海道市町村沿革台帳 其の三 自昭和二年十二月 至昭和七年十二月
A7-1/4420F-1/1574北海道市町村沿革台帳 其の四 自昭和八年一月 至昭和十八年二月
A11-1/12928F-1/1575北海道市町村沿革台帳 其の五 自昭和十八年三月 至昭和三十年三月
A11-1/12929F-1/1576北海道市町村沿革台帳 其の六 自昭和三十年四月 至昭和三十三年十二月
A11-1/12924F-1/1577北海道市町村沿革台帳 7 自昭和三十四年一月 至昭和三十八年十二月
A11-1/12925F-1/1578北海道市町村沿革台帳 8 自昭和三十九年一月 至昭和四十一年六月
A11-1/12926F-1/1579北海道市町村沿革台帳 9 自昭和41・7・20 至昭和45・7・31
A11-1/12927F-1/1580北海道市町村沿革台帳 10 自昭和四十五年八月 至昭和四十七年十二月

残念ながら館外貸出は行っていないようなので、現地に足を運ばないと内容を確認できません。

『新北海道史年表』の方に転載されている内容を、以前むっくんさんが[79348][79349]でまとめられた「北海道での廃置分合(明治22年~市制町村制施行直前)」と比較すると・・・残念ながら情報に抜けが相当数あり、『新北海道史年表』だけでは完璧に戸長役場の設置等の情報を抑えられません。一方でむっくんさんがまとめられた表について、日付について一部情報を追加できそうです。

変更年月日変更種別郡区名自治体名告示・施行の別
1311893(M26).12.16新設札幌郡広島村告示
1471898(M31).9.6新設上川郡東旭川村告示

北海道庁布告全書』の明治26年版が近代デジタルライブラリーで閲覧できないため、明治26年の廃置分合の日付まで決められなかったようですが、『新北海道史年表』は『北海道市町村沿革台帳』の引用として上の日付を挙げています。なお、#126~#130は情報が抜けています。

まだ明治36年以降に関しては、[79349]の表では占冠村の設立の情報が抜けてます。
変更年月日変更種別郡区名自治体名区制町村制施行前の町村名等告示・施行の別
01905(M38).5.31分立勇払郡占冠村勇払郡 辺富内村 (一部)告示
1741908(M41).3.28分立空知郡南富良野村空知郡 下富良野村(一部)告示
1908(M41).4.1開庁
1751914(T3).3.25分立雨竜郡上北竜村雨竜郡 北竜村(一部)告示
1914(T3).4.1開庁
1761915(T4).2.7分立有珠郡徳舜瞥村有珠郡 壮瞥村(一部)告示
177空知郡山部村空知郡 下富良野村(一部)
1781916(T5).3.26分立中川郡常盤村中川郡 中川村(一部)告示
1916(T5).4.1施行
1791918(T7).4.3分立雨竜郡幌加内村雨竜郡 上北竜村(一部)告示

ほとんどの町村の設置は告示の日付のみですが、明治40年頃からは告示日のほかに開庁・施行の日付が区別されて載っています。

というわけで、北海道の戸長役場についてはある程度まとまった情報を『新北海道史年表』から得ることができましたが、より包括的な情報については「北海道市町村沿革台帳」や、その内容をより正確に掲載している文献を当たる必要がありそうです。

【誤字修正】
[84004] 2013年 8月 26日(月)04:01:54紅葉橋律乃介 さん
北海道市町村沿革台帳
[83999] YT さん
北海道立公文館

「北海道立文書館」はよく行くので、「公文館」とはどこだろうと思いましたが、どうやらリンク先も「文書館」のようですね。札幌観光の経験があれば、入ったことはなくても、建物をご覧になった方はかなりいらっしゃるでしょう。

『新北海道史年表』で戸長役場を調べてみようと思ったことはありますが、仰る通り全部載っているわけではないようで、途中で止めてしまいました。

「北海道市町村沿革台帳」については、検索した覚えはありますが、実際に読むところまではいっていません。すぐ出向ける立場にいるわけですから、まずはどのような書かれ方をしているのか、近く確認してみようと思います。
[84058] 2013年 9月 7日(土)02:58:31紅葉橋律乃介 さん
「北海道市町村沿革台帳」というもの
[83999] YT さん
[84004] 紅葉橋律乃介

北海道立文書館へ出向き、少し閲覧してみました。
「北海道市町村沿革台帳」というものの、中身は町村(名)の設置や戸長の配置・戸長役場の改廃の告示を手書きで抜き出したものでした。とは言え、公報等の現物から拾い集めるのは容易ではありませんから、最初から集められているなら、この1冊(実際に作られているのは10巻まで)を読むことにより、道内の市町村の変遷が分かる…はずです。

原本(カメラ撮影可、ゼロックス複写不可)、マイクロ資料(マイクロリーダープリンター複写可)とのことでしたが、ページ数が多いので、複写して家に持ち帰るかどうかは悩ましいところ。『新北海道史年表』で事前に抜き出しておいて、それをこの「台帳」と照らし合わせる方が効率的?

実際に読んでみると、「村名(町名)新設」「戸長の配置」「戸長役場の設置」などの記載があります。戸長の配置と戸長「役場」の設置は違うものなのでしょうか。その辺りはよく読んでみないと事情が分かりません。明治10年代は、「村名」を新設しているので、名もない土地が多かったのでしょう。

単純に「戸長役場の変遷が分かれば」と考えていましたが、当時の制度を勉強した方が良さそうです…。
[84060] 2013年 9月 7日(土)14:59:49YT さん
『北海道・沖縄県その他島嶼における特別町村制及びその先行形態の自治体制度史の研究』
[84004][84058] 紅葉橋律乃介さん

「北海道立文書館」はよく行くので、「公文館」とはどこだろうと思いましたが、どうやらリンク先も「文書館」のようですね。

所蔵館の呼称を間違えて申し訳ありません。

また調査ありがとうございます。

『新北海道史年表』で事前に抜き出しておいて、それをこの「台帳」と照らし合わせる方が効率的?

この件に関してですが、北の住人さん([42811])、88さん([73500])などが触れられている『北海道町村制度史の研究』(北海道大学図書刊行会,1985年)をまとめられた鈴江英一氏が、以前科研費を貰った際に提出した報告書、『北海道・沖縄県その他島嶼における特別町村制及びその先行形態の自治体制度史の研究』というものが存在することが分かりました。

北海道・沖縄などの町村制は、全国の市制町村制(1888年)とは、異なる特別町村制が施行された。沖縄県区制・北海道区制・北海道一級町村制・同二級町村制・沖縄県及島嶼町村制がこれである。これらの町村制は施行区域・施行時期を異にするが、いずれも辺境にあって中央政府の支配力が強力に貫徹した地域である。これまで北海道・沖縄県等両制は、それぞれ別個に発想されたものと考えられてきたが、本研究またこれに先立つ研究によって、政策的連関、制度的類似性が明らかとなった。とくに政策の前提となる制度制定者の基底的認識については、本土の市制町村制が土地所有に依拠した農村の地域支配・社会統合機能に立脚すべく構築されたのに対し、これらの地域では農業の比重がいまだ少なく土地所有に基盤を置いた地方名望家層を得難い、とするものであったことを論究することができた。

また、基礎的調査として、基礎的自治体行政の枠組みを明らかにするため、北海道を中心とした近代初頭の役場文書引継目録の収集を行った。この地域は、北海道のほか、岐阜県、山梨県、京都府、福井県などに及んでいる。さらに制度制定過程の年表作成資料の作成、基礎的自治体制度研究の関係著作・論文目録(全国・北海道)を作成した。これらの基礎資料の収集によって、具体的な自治体を対象とする研究について、今後の展望を得ることができた。

科研費を貰った場合、貰った科研費の種類に応じて研究者は研究成果報告書を作成し、提出する義務があります。ここ数年の間に色々報告書の形態も変わったのですが、昔は、例えば所蔵する研究機関の図書館、および国立国会図書館に収蔵するため、最低2部の冊子を作成する義務がありました。実は先週の段階でこの研究成果報告書の存在に気付き、最寄りの図書館を通じて借用手続きを済ませておりますが、まだ現物が届いておりません。鈴江英一氏は、元北海道教育大学教授で、北海道立文書館係長を務めたこともあるようです。単に元文献の提示で終わっている可能性もありますが、上記科研費報告書内で初期の戸長役場の変遷について表をまとめてくれているのではないかと期待しています。

戸長の配置と戸長「役場」の設置は違うものなのでしょうか。

自分も詳しくは知りませんが、戸長役場自体は結構移動しているようですので、その辺に関する違いが法令に表れているのではないでしょうか?またちょっと気になったのは、例えば『北海道庁現行布令便覧 明治31年編 上巻』によると、小樽は支庁直轄となっており、量徳町にあった小樽支庁役場が戸長役場の業務を兼ねていました。この場合連合戸長役場の管轄名として「量徳町外三十八箇町村連合」を採用するのは正しいのでしょうか?そして明治32年(1899年)10月1日には小樽区が成立しますが、高島郡高島村・祝津村は管轄外となり、『新北海道史年表』(1989年)によると明治33年(1900年)6月13日に高島郡祝津村に祝津村外一箇村戸長役場が設置されたとあります。ということは…すでに小樽区が設立された1899年10月1日から1900年6月13日までの約8ヵ月間、高島郡高島村・祝津村の戸長役場業務は小樽区量徳町の支庁役場が行っていたことになりますが、この間についても高島郡高島村・祝津村については、「祝津村外一箇村連合」の管轄だったとしてよいのでしょうか?

などと、新たな疑問が色々湧いているところです。
[84066] 2013年 9月 8日(日)17:06:13紅葉橋律乃介 さん
戸長は「こちょう」と読むのか
[84060]YTさん

鈴江英一氏で検索すると、確かに北海道の町村制に関する著作が多いようです。いくつか見たことあるような書名も見受けられますが、じっくり読んだことはありません。その中に、道外の制度との違いなどのヒントがありそうですね。

量徳町にあった小樽支庁役場が戸長役場の業務を兼ねていました。この場合連合戸長役場の管轄名として「量徳町外三十八箇町村連合」を採用するのは正しいのでしょうか?そして明治32年(1899年)10月1日には小樽区が成立しますが、高島郡高島村・祝津村は管轄外となり、『新北海道史年表』(1989年)によると明治33年(1900年)6月13日に高島郡祝津村に祝津村外一箇村戸長役場が設置されたとあります。ということは…すでに小樽区が設立された1899年10月1日から1900年6月13日までの約8ヵ月間、高島郡高島村・祝津村の戸長役場業務は小樽区量徳町の支庁役場が行っていたことになりますが、この間についても高島郡高島村・祝津村については、「祝津村外一箇村連合」の管轄だったとしてよいのでしょうか?

これを機会に『新北海道年表』を入手しようと思いましたが、書店では在庫切れ。図書館で借りてきました。まずは関係項目を抜き出してみようと思います。

上記管轄区域の変遷については、告示自体に載っていると思われます。町村の新設は新設で、それに伴う戸長役場の異動は、また別の告示となります。町村制施行の場合も別に告示があったようですが、いずれにせよ、『年表』を見ただけでは高島村や祝津村がどうなったかは分からないので、告示を詳細に検討する必要がありそうです。

役場の名称についても告示ごとに記載がありました。書き方は「A村外二箇村戸長役場 役場の位置:A村 管下村名:B村C村」の場合と、「A村B村C村戸長役場 役場の位置…」という場合があります。兼轄が多い時代と、少なくなった時代の差かも知れませんが、兼轄の場合はすべて「外○箇村」表記と思っていましたから、意外でした。


「戸長」の謎。役場の長なのか、当該地域の責任者という意味なのか。
明治15年に「字幌向太、字幌内太」に戸長が1名配置されます。16年に入って両地に「幌向村、幌内村」の村名が新設され、戸長配置の告示が修正(コピーでは薄い字でしたが、たぶん原本は朱線・朱字で訂正されているはず)され、「字」が消されて「村」が書き加えられています。
村の設置よりも戸長の配置が早いというのも、何だか不思議な気がしますね。

 ※戸長の配置については『年表』には記載がありません。


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