[79711] hmt
(会津オフ会2011の席における)近況報告で、「hmtは 80歳になってもオフ会に元気で出席したい」 という短期目標を宣言。
この約束を果たす時が来ました。
第8回会津オフ会 の時は、往路は長距離路線バス、帰路は 田島まで JOUTOU車便乗→野岩鉄道・東武のルート。
第9回岐阜オフ会の足は新幹線主体になりますが、往路は大垣に立ち寄り、帰路は“EMMのやぼう”に同行。
2台のクルマに分乗した6人が国営木曽三川公園のセンターから「油島千本松原」 を目指しました。
しかし、足の弱い hmtは 松原の途中で落伍。岐阜県最南端に行き着くことができませんでした。
さて、今年の松江は 少し遠いことでもあり、身体的負担が軽いと思われる空路を選択。
オフ会の翌日にも出雲で1泊することにして、2泊3日の旅程
[84019] を計画。
11月23日は天候に恵まれ、空からの眺めも堪能することができました。
津久井湖・宮ヶ瀬湖・相模湖の姿から、hmtの出身地の位置を確認することもできました。
山中湖を経て、世界遺産に登録された富士山の姿も美しく見えました。
空の旅をするときに感じていたのは、海岸線・湖岸線や川など水系はよく認識できるのに、立体感の失われた山岳の姿はもう一つということでした。
しかし、今回の旅では 適度の雪化粧した赤石山脈などの 立体的な造形に魅了されました。
着陸態勢に入ってから、米子空港のすぐ近くを通り過ぎ、中海・宍道湖を空から眺めながら 出雲空港到着。
手荷物で少し待たされ、多客のこととて 連絡バスは補助席になりました。
このバスに乗り込む際にデスクトップ鉄さんと顔を合わせたらしいが、面識がなかったので気づかず。
松江しんじ湖温泉駅前で下車したら白桃さんと顔を合わせました。
これも羽田から一緒だったはずですが、ここまで気づかず。目的地の「すいてんかく」に同行。
一次会の席で、グリグリさんから 80歳記念の
「お誕生日新聞」 を いただきました。
二次会の回覧で披露したように 1933年の誕生日
[43700]、落書き帳デビュー
[19388]の日付、今年80歳の誕生日 この3つの日付が指定され、それぞれの先頭面と最終面とが収録されていました。
1933年の東京日日新聞【注】の先頭面は、頁番号がなく A と記載された専用広告面(出版物等)であることに驚いた方もいると思います。
【注】東京日日新聞
明治5年創刊の東京最初の日刊紙だが、明治44年に大阪毎日新聞に買収された。東京日日新聞と大阪毎日新聞との題字が「毎日新聞」に統合されたのは、戦時中の1943年。
せっかくなので、1933年の新聞の最終面(11頁)に記されたニュースを紹介します。
前日亡くなった関東軍司令官武藤信義元帥と、後任の菱刈隆大将とが主役でした。
hmtの「t」は本名からですが、この人物に由来する命名とか。
「都道府県市区町村」と関係がある当時の地方行政制度に言及しておくと、この2人は、「関東長官」を兼任していました。
「関東長官」と言っても、日本の地方行政制度の中で占める地位がわかる人はいないでしょうね。
遼東半島先端の租借地「関東州」
[38110][35703]の民政を司る「関東庁」の長官です。
「関東地方」とは無関係です。(笑)