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落書き帳

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[974]2002年2月26日
まにあめ
[34118]2004年10月12日
らるふ
[47308]2005年12月10日
星野彼方
[47313]2005年12月11日
hmt
[47315]2005年12月11日
逆太郎
[47319]2005年12月11日
hmt
[47320]2005年12月11日
88
[47321]2005年12月11日
今川焼
[47334]2005年12月12日
hmt
[47335]2005年12月12日
matsu
[47413]2005年12月15日
hmt
[47415]2005年12月15日
matsu

[974] 2002年 2月 26日(火)16:14:04まにあめ さん
>973
>信濃川の大河津分水が該当しそうですが、他にどんな所が有るでしょう?
大阪では江戸中期(1704年)に行なわれた大和川の付け替えが有名でしょうね。
大和盆地~大阪平野東部を経由して大阪城付近で淀川(現在の大川)に合流
していたのを、大阪平野を一直線に堺へ流れるように付け替えました。

これにより、大坂の町の洪水はなくなり、旧河川であった河内は新田開発が
盛んになりました。一方、新たな河口ができた堺には大量の土砂が流れ込み、
それまでの港湾都市としての機能を失っていくことになります。
[34118] 2004年 10月 12日(火)19:43:14らるふ さん
大和川の付け替え300周年
明日2004年10月13日で、大和川の付け替えから丁度300年になります。
参照 柏原市の大和川300年大和川付替え300周年記念事業実行委員会国土交通省 大和川河川事務所

柏原市の大和川300年を見ると
元禄17年(1704)2月27日 工事開始。 ~中略~ 10月13日 工事完成(新川切り通し)。
と記載されています。
またそのページには、大和川付替えのころの全国の災害発生状況として、
宝永元年(1704)、浅間山噴火。諸国で洪水。
という記述があり、何だか妙に気になります。
[47308] 2005年 12月 10日(土)21:34:06星野彼方 さん
いろいろレス
最近仕事が忙しく、書き込めるのは週末ぐらい。まだ、週末休めるだけ「まし」だと思うことにします。

[47282] まがみ さん
もしわたし一人で行っていたらほんとに同じ行程になっていたかも。5泊寝台車って「まりも」、「オホーツク」、「利尻」、「はまなす」、あと一泊は「北斗星」?。

[47276] デスクトップ鉄 さん
姫新線が播磨~備前になっていますが、播磨~美作です。

とくに、大阪市内の摂津・和泉、摂津・河内
わたしも厳密にどこだかは知りませんが、摂津、和泉、河内の国境は堺市内で交わります。その場所はずばり三国ヶ丘。

[47297] 白桃 さん
わたしが競馬を始めた頃には「境港特別」というレースはありませんでした。阪神競馬場はよく通いましたら間違いないと思います。このレースは、米子市にWINSが出来た年に「米子ステークス」、「皆生特別」と同時に誕生したと記憶しています。不確かな記憶なので間違えていたらごめんなさい。
[47313] 2005年 12月 11日(日)11:25:47hmt さん
三国の「堺」
[47308] 星野彼方 さん
わたしも厳密にどこだかは知りませんが、摂津、和泉、河内の国境は堺市内で交わります。その場所はずばり三国ヶ丘。

「堺」という地名自体が、摂・河・泉 3国の境であることを示しています。

堺東駅から堺市駅方面へ坂道を登ったところにある 方違神社 の「栞」には、
当神社奉斎地は、昔百舌鳥耳原又は石津原と称し、摂津住吉郡・河内丹治比郡・和泉大鳥郡の三国の境界なる故に、三国丘と称し、この三国の堺で何処の国にも属さない、又方位の無い清地である…
とあり、境内には「三国丘」の石碑が建てられています。

古い時代の言い伝えによると、「何処の国にも属さず、方位さえもない」土地ですから、「境界をピンポイントで特定する」という現代の考え方を適用すること自体が間違いなのかもしれません。

参考までに、「堺市制百年史」では阪和線堺市駅付近を3国の境としていますが、「三国ヶ丘」は次の駅です。
また、現在の摂津・和泉国境は、近世以降に流路が変えられた大和川になっており、3国の境界は大阪市(摂津・河内)・堺市(和泉)・松原市(河内)の 境界 になっています。昔の「三国丘」は、地図の南西方向です。

[31408] 新京阪人さんによると、摂泉国境が大和川に変更されたのは“明治維新直後”とあります。近世までは、方違神社(堺市駅付近)から北西側、つまり堺市街の北半分は摂津国だったのでしょうか。
[47315] 2005年 12月 11日(日)12:40:44逆太郎 さん
大阪府内の国界
[47312] デスクトップ鉄さん
摂津と河内の国界をまたぐ鉄道として、もう一つ大阪高速鉄道(大阪モノレール)があります。
吹田市と大阪市平野区を南北に結ぶJR城東貨物線・大阪市平野区と住吉区を結ぶJR阪和貨物線(いずれも正式名称ではなく、後者は休止中)もありますが、ここまで入れればキリがないかも。ただ、城東貨物線については現在「大阪外環状線」として旅客路線化の工事が進められていますが、いろいろと事情があって遅れているようですね。

[47313] hmt さん
確かに、大阪府内の摂津・河内・和泉の国界については歴史的な変遷が激しくわかりにくいですね。現在の関西人の感覚としては
 摂津=大阪市+淀川以北
 和泉=堺市以南
 河内=上記以外
なのですが、実際の国界はこれとは一致していません。このあたりでは大和川と自治体界が一致していませんし・・・ 
また、「三国ヶ丘」という地名も駅名とは異なり堺東駅と堺市駅との間にあります。大阪府立三国丘高校の最寄り駅は三国ヶ丘駅ではなく堺東駅で、大阪府立堺東高校の最寄り駅は堺東駅ではなく泉北高速線泉ヶ丘駅です。
http://www.osaka-c.ed.jp/sakaihigashi/map/
[47319] 2005年 12月 11日(日)18:19:01hmt さん
「堺町」のある都市
「堺」ついでに、もう一つ。
ウィキペディアによると、堺商人が全国で活躍した証しとして、旧城下町から発展した都市には「堺町」もしくは「栄町」という地名が今も残っているそうです。

それによると、
「堺町」もしくは「堺丁」がある都市は、岸和田市、大和郡山市、和歌山市、姫路市、津山市、倉吉市、広島市、高知市、北九州市(旧小倉市)
# 「堺丁」は、「和歌山市新堺丁」だけでしょうか。

「栄町」もしくは「栄」がある都市は、会津若松市、甲府市、金沢市、福井市、静岡市、浜松市、名古屋市、岐阜市、彦根市、岡山市、鹿児島市

堺と無関係の瑞祥地名「栄町」が存在する都市は他にもあるでしょうが、上記の都市はいずれも堺が「黄金の日々」をすごした頃の城下町であり、堺商人に由来するのでしょう。
文字が変っているので、「金沢市栄町」はグリグリさんのクイズの趣旨(完全一致)から対象外ですが、町名の由来を考慮すると、地名にはこのような「字面の変化」も存在するという事例を示してくれます。
そういえば、倉吉市堺町「さかえまち」のように、「読みの変化」もありました。

「堺筋」がある都市は大阪市、富田林市
これは町名ではなく、道路の名前です。富田林市の堺筋も地図で見るとバス停です。

金沢市の町名になっている市名([46919]オーナーグリグリさん)から、「A市の町名になっているB市」の話題が生れました。

A市をキーにする場合は、 字面の一致だけなら、A市の町名一覧の中から拾い出すだけの力仕事になりますが、なぜA市に「B町」があるのか?という由来を考察する[46992]となると、また違うレベルの仕事になります。

上記「堺」の場合のように、B市と同名の「B町」をキーにすると、拾い出すこと自体がたいへんなので、横着者は他のサイトのデータを借用しました。
それでも、[46954]EMMさんのように“A市「金沢町」探し”を試みた方もあります。
[47320] 2005年 12月 11日(日)19:20:5188 さん
摂津、河内、和泉
[47308] 星野彼方 さん
摂津、和泉、河内の国境は堺市内で交わります。その場所はずばり三国ヶ丘。
[47313] hmt さん
方違神社

大阪で4年を過ごし、しかも、方違神社の前は何度も通り(訪問はしなかった)、三国ヶ丘駅乗換えも何度もした私ですが、この件はまったく知りませんでした。ほぼ、摂津・和泉の境に住んでいたんですが・・。私も感覚的には、
[47315]逆太郎 さん
現在の関西人の感覚としては
 摂津=大阪市+淀川以北
 和泉=堺市以南
 河内=上記以外
のとおりだったもので・・。摂津・和泉の境は大和川、と思い込んでいた私です。

国境は昔からおおむね河川の流れのとおり、と仮定すると、大和川が今の方違神社付近を通っていて、その頃に国境が定められ、その後、河川の氾濫等で流れが変わり(大和川もかつては暴れ川で有名だった記憶が・・特に大和の国の歴史にそういう記述があったように記憶しています・・詳しい方、フォローをお願いします)、丘になった後も国境は変わらず、「三国ヶ丘」と言う地名になった、ということなのでしょうか?(明治期の国境変更は別として) すみません、想像で書いていますので、ご存知の方、お教えいただければ幸いです。
[47321] 2005年 12月 11日(日)23:22:05今川焼 さん
大和川の付け替え
[47320] 88 さん
大和川が今の方違神社付近を通っていて、その頃に国境が定められ、その後、河川の氾濫等で流れが変わり丘になった後も国境は変わらず、「三国ヶ丘」と言う地名になった、ということなのでしょうか?
もともと大和川は、大和盆地から大阪平野に出たあと今の柏原市付近から北へ流れ、大阪城の北あたりで淀川に合流していました。しかし、土地の低い河内地方を流れるためたびたび洪水が発生していました。そのため江戸時代に現在のように堺付近へショートカットする人工の流路が開削されたものです。ですから、摂津・和泉のもともとの国境と大和川の流路は関係ないですね。淀川・大和川流域の古地理の中の「大阪平野の変遷(アニメーション)」がわかりやすいです。また、[34118] らるふさん のリンク先や、[974] まにあめさん の記事もご参照ください。
大和川もかつては暴れ川で有名だった記憶が・・特に大和の国の歴史にそういう記述があったように記憶しています
生駒山地と金剛山地の間の狭窄部を流れていますから、大和盆地でもたびたび洪水があったと思います。大昔のことはわかりませんが、近年では昭和57年8月の台風による大雨で大和川が増水、その余波で国鉄王寺駅構内が水没し大量の電車が使えなくなったということがありました。(そのときは首都圏から廃車予定の電車を運んできて急場をしのいだと記憶しています)
[47334] 2005年 12月 12日(月)20:54:49hmt さん
Re:栄町?
[47322] EMM さん
「金沢市栄町」はて?金沢にそんな町あったっけ?と思って調べたら確かに旧町名としては存在しました。
明治4年に下堤町横町と深見小路の2町が合併してできた比較的新しい町名でした。
…由来は金沢市のものも含め瑞祥的なもののようです。

なるほど、横着して自分で調べずに他のサイトから借用したデータは、たちまち馬脚を現しましたね。
[47323] 作々さん によると、鹿児島市栄町も整理されたとのことだし、ウィキペディアの記事は「現存町名」にこだわらず、「城下町」にある「それらしき町」を拾ったものということなのでしょう。必ずしも「堺商人」由来の裏付けがない瑞祥地名も含めて。

一方、[47326] futsunoおじさんの新潟市栄町は、城下町でないことからウィキペディアには挙げられていなかったが、日本海有数の商業港ということで、(憶測の域を出ないものの)堺商人の進出拠点に由来する町名の可能性があるのかもしれません。
[47335] 2005年 12月 12日(月)21:59:47matsu さん
Re2:栄町?
[47334] hmt さん
新潟港の歴史は意外と古く平安中期の「延喜式」にも越後国の公港として信濃川河口の「蒲原津(かんばらのつ)」が記載されているようですが、現在に続く新潟の基礎は寛文12年(1672年)に河村瑞賢が西廻り航路を整備してからの発展によるものと思われます。その後天保14年(1843年)には初代新潟奉行が就任しましたのでこの頃には町としては随分大きくなっていたのでしょう。
対して堺ですが、慶長20年(1615年)の大坂夏の陣にて豊臣方により焼き討ちをかけられ壊滅し、戦後の復興においても往時の繁栄は戻らなかったようです。
ここからは私の推測ですので、間違っているかもしれませんが、このタイムラグ(50年以上あり)を考えると、堺商人の進出拠点としては、新潟はあたらないような気も致します。堺衆の影響力が多少なりともあると思われるのは、やはり大坂夏の陣(冬の陣の時点でもかなり大坂合戦の影響で力を落としたと思われますが)以前のことになるのではないかと。とすればその頃までに何かしら港としての整備等がなされた町でないと関係がある可能性がかなり低い気が致します。
以上は思いついたことをつらつら書き連ねただけですので、詳しくご存知の方おられましたらご教示ください。

「栄町」ネタに反応するmatsuでした。(笑

ではまた。
[47413] 2005年 12月 15日(木)18:49:41hmt さん
川と港町の物語(2)18世紀の大和川の付け替えにより土砂に埋もれた堺港
[47404]を分割しました。大筋はもとの記事の後半です。

[47404]で、17世紀に新潟の繁栄の時代が訪れたことを記しました。これは、基本的には[47335] matsu さんの考えと同じです。
では、堺商人はその時代にどのような状況だったか?

堺は、1569年に織田信長に屈服して自由都市の地位を失った後も南蛮貿易を含む商業港として繁栄していましたが、1615年に大坂夏の陣の前哨戦で豊臣方の大野治房らに放火されて焦土になりました。
思い返せば、応仁の乱の時代に瀬戸内海航路と兵庫港の危険を避けた遣明船の入港(1469)が、堺の外国貿易進出という飛躍の第一歩でした。戦乱からチャンスをつかんだ堺は、戦乱で滅びたのか?

そうではありませんでした。
幕府は戦火を蒙った堺の町を、新たな町割りで復興させています。「元和の町割」と呼ばれる3間道路(大道は4.5間)の計画都市がこれです。「往古堺ノ町並只今ノ様ニ筋通リ不申」と伝えられるように、慶長地震の頃の町は、倒壊家屋で通行ができないような狭い道幅でした。
前記1617年の新潟の町割も、堺に倣ったものと思われます。
一時的に拠点を失った堺商人の一部が新潟にやってきて、町作りに協力した可能性もあります。

それはともかく、河村瑞賢の西廻り航路で繁栄を見せた酒田が、「西の堺、東の酒田」といわれた と記されているように、江戸時代前期はまだまだ中国からの輸入生糸販売の独占権(糸割符仲間)などにより、堺が繁栄を取り戻していた時代でした。

寛永の鎖国政策で外国貿易が途絶えたのは確かに打撃であり、元禄以降は大阪の進出で経済の中心としての地位が奪われてゆきます。
そして、「堺」の繁栄を決定的に奪ったものは、18世紀になってから実施された大和川の付け替えによって運ばれた土砂の堆積でした。

大和川は河内国を北流して、合流先の淀川と共に大阪平野を作った河川ですから、関東平野における利根川・荒川と同じように水利の恵みを与える一方で、水害の危険を伴なっていました。
歴史の古い土地だけに、古代から洪水の記録があるようですが、江戸時代になってからも、元和から元禄に至る数十年間に十数回に及ぶ大水害がありました。

17世紀後半になると、水害を受ける河内の村々は、大和川が大阪平野に出る柏原から、これを直接西に導いて、住吉・堺方面へ流す付け替え案の陳情を幕府に対して繰り返しました。新川筋予定地の村々は、当然反対。昔の流路図と促進・反対両派の嘆願書
その間にも、延宝2年(1674)寅年“未曾有”の広域大洪水がありましたが、河村瑞賢の意見を用いて、付け替えはせずに、淀川河口の改修と浚渫で対応することになりました。

しかし、このような治水工事をしても洪水の被害は収まらず、元禄16年に至って幕府は方針を変更、大和川付替えを正式に決定しました。
工事は、翌元禄17年(1704)2月27日に、川下(海側)から着工されました。昨年が300周年にあたるため、記念事業が行なわれました。[34118]らるふ さんの記事参照。
最近も[47321]今川焼さんの記事があります。

この工事によって、たしかに水害問題は解決し、河内平野には新田が開けました。
しかし、大和川の新たな流路は大量の土砂を堺の海に運び込み、江戸時代を通じて何回も改築工事が行なわれましたが、堺の港は土砂に埋没して機能を失いました。
河内の新田地図と土砂堆積前後の堺を比較した地図

というわけで、堺の衰亡を決定的にした大和川付替え工事開始(1704年)よりも30年以上も前に、西廻り航路が整備(1672)されています。
この期間は、堺商人が新潟に進出拠点を作る可能性は十分にあったと思います。

「新潟市栄町」[47326] が「堺」に由来するということを直接示しているわけではなく、あくまでも状況証拠にすぎませんが。
[47415] 2005年 12月 15日(木)20:31:33matsu さん
天然の良港とはまさに自然の賜物
[47404] [47413] hmt さん
ありがとうございます。とても参考になりました。
私は、てっきり大坂合戦の後は、堺はすっかり衰退し商都としては大坂が繁栄したものだとばかり思っておりましたので意外でした。とはいえ、戦乱で大変な目にあったのは大坂自体もそうですものね、すぐに大坂が繁栄すると考えるより、(堺衆がいる=経済的バックボーンがある)堺の復興があって後と考えたほうがそもそも自然だったかもしれません。
それよりも土砂の堆積により堺が衰退したというのは、まさに時代ですね。現在のような護岸工事など考えようも無く、自然の地形に頼った港を利用していた時代ですので、たとえ「天然の良港」であっても、自然現象(この場合は大和川の付け替えは人工的に行なったので一概にはいえませんが)などの影響で、良港でなくなると言うことであり、すなわち町としての盛衰に直結するのですね。(現在の港が自然の地形に頼っていないというわけではありません、また、堺が天然の良港であったのかそうでもなかったのかを断定するものでもありません、念のため)
このような状況であれば私が[47335] でいった、
このタイムラグ(50年以上あり)
はなくなりますので、堺商人の新潟進出も可能性は十分考えられますね。
また、この頃は各地で大規模な河川工事などの土木工事が幕府の命により行なわれていたようですが、他にも堺のような影響が出たところはあるのでしょうか?それにより繁栄するようになった町、衰退した町などもありそうですね。

ではまた。


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