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北の住人さんの記事が10件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[67461]2008年12月1日
北の住人
[67187]2008年11月3日
北の住人
[64929]2008年4月30日
北の住人
[64885]2008年4月26日
北の住人
[64724]2008年4月15日
北の住人
[64681]2008年4月13日
北の住人
[63684]2008年2月9日
北の住人
[63401]2008年1月14日
北の住人
[63261]2008年1月7日
北の住人
[62911]2007年12月22日
北の住人

[67461] 2008年 12月 1日(月)05:01:03北の住人 さん
地名の字音
Issieさんの記事[67440]で相模、相楽の漢字に遭遇し、たまたま見ていた本にこれらの文字があったので筆をとった次第です。

今年は、源氏物語を記念して古典が流行っているようで、祝日を設けてはどうかという、うれしい話もあるようです。もっとも、文化の日も近く、そうはうまくいかないでしょう。源氏物語や古事記など日本古典研究で有名な人に、本居宣長という昔の学者さんがいるそうですが、この人の著書の一つに『地名字音転用例』があります。これは寛政12年(1800年)に刊行され、通常の音と異なる音の漢字で構成された約160の地名を集め、分類したものです。復刻版の解題には、本居宣長は漢字の末尾音「-n -m -ng」について正しく認識していなかったが、この字音転用研究は誰も思いつくことがなかったため、後の学者を大いに刺戟した、というようなことが書かれています。

この本で、相模の「相」は『ウ ノ韻ヲ カ ノ行リノ音ニ転ジ用ヒタル例』と分類し、「さがむ 相模 佐加三」『相ハ サウ ノ音ナルヲ、韻ノ ウ ヲ転ジテ、サガ ニ用イタリ  此ノ国名ハ、モト サガム ナリシヲ和名抄ニ佐加三ト注シタルハ、後ノ唱ヘナリ、古事記ニ相武ト書キ、歌ニモ佐賀牟トアリ、模ノ字モ、モ ノ音ナレバ、ム ニ近クシテ、ミ ニハ遠シ』としています。「相」の字の例は「さがらか 相楽 佐加良加」もあり、他に「ウ」音の転用例として「香」「宕」「当」などの漢字があげられています。
相模の「模」は『マ ノ行リノ音同ジ行リ通用セル例』とし、『模(モ)ヲ ム ニ用イタリ』で、同様の例は「務」「目」です。
伊達の「達」は『入声 ツ ノ韻ヲ同ジ行リノ音ニ通用シタル例』で、「いだて 伊達」『神名帳ニ、出雲ナドニ、伊太*(イダテ)ト云社号多シ』としています(「*」の字は「低」の旁ノ部分です)。この例の字として「設」「秩」「葛」などがあります。 

さて、地名は文化だとしたら、いにしえに行われた地名の命名方法もまた文化であり、「今後、地名は好字の漢字2字を使用する。字音の転用も可」とするのはどうでしょう。「中区」であれば「娜賀区」、「緑区」は「美嫩区」とか。ちなみに、札幌の「札」には悪い意味もあるので「幸」にしてはどうか、という案もその昔あったそうです。(つい最近、札幌の幌が常用漢字でないことを知り、漢和辞典に、はまっています。)
[67187] 2008年 11月 3日(月)21:15:05北の住人 さん
菓子と地名にまつわるエトセトラ
ひと月ばかり前ですが、北海道一級・二級町村制に関するむっくんさんの記事[67022]に「五勝手」という江差町の旧地名がありました。それを読んで浮かんだというか、よだれが出かかったのが「五勝手屋羊羹」。
なんで「ようかん」は「羊羹」なのか辞書で調べたところ、歴史的に変遷のある伝統的な食べ物だったのが分かった訳ですが、この五勝手屋の羊羹、北海道人なら一度は食しているのではないかと思います。食べ方に面白さがありこんなのです。誰かがみやげ物として買ってきて、子供のころ何度か食べました。最近は久しく食べていませんが、懐かしい味というか、仕組みです。食べる時の作業と端っこの硬くて砂糖の乗ってる部分が子供にとって最高だったわけです。(北海道銘菓「三方六」もそうですが、菓子は端っこが良い、と思っています。)

羊羹で食べる時の作業といえば「まりも羊羹」。こちらは全国的に有名なのではないでしょうか。直径3、4センチほどの球状なゴムの中にマリモ色の羊羹が入っていて、楊枝などでプチッと刺しパクッと食べるあれです。なかには、桃色などの羊羹もあるようですが。

吉備の国では黍団子(吉備団子)ですが、北海道で「きびだんご」といえばこのだんごです。これは口の中でクチャクチャと長い間かけて味わうのですが、昨年、本場の吉備団子を初めて食しその柔らかさに驚きました。

さて、「文藝春秋SPECIAL」季刊秋号に、今尾恵介氏の「古語・方言を映す地名」という文が掲載されています。分量は2ページなので例は少ないですが、次のような地名が書かれています。得に鹿屋周辺地名と中国地方峠名の例がいくつかでており、身近な方は一読してみてはいかがでしょうか。
 ・鹿児島県の旧版地形図「鹿屋」の地名(旧称でカサンバイ、トイノス、ツツモチボイ他)
 ・福井県越前町の地名(大玉-いかだま)
 ・滋賀県長浜市の地名(口分田町-くもでちょう、相撲町-すまいちょう)
 ・沖縄の方言地名
 ・中国地方の方言峠名(峠-タオ・タワ・トウ、乢-タワ)

この季刊秋号には、「がんばれ!日本語」と題し丸谷才一氏と井上ひさし氏の対談がでており、文化の破壊(日本語の破壊)として地名改称(例として平仮名市名や「緑区」「中央」「西東京市」)について、ほんの少しですが、触れています。
[64929] 2008年 4月 30日(水)23:40:55北の住人 さん
困ったです
明日のためにちょっと調べたいことがあったので、ウォッちずを見たんですが、困ったことにwatchできないのです。新システムへの移行作業中だからだと思いますが、移行後、私の環境で閲覧不能にならないことを祈っています。
[64885] 2008年 4月 26日(土)06:52:54北の住人 さん
〆を七五三る
[64747] EMM さん
提案しながらなんですが、記号地名コレクションに絡めた「〆」は、数が少ないので、コレクション案からは外すのが良いのではないかと思っています。余談ですが「しめ・・」と読む地名、「〆」の他に「メ切」「七五三」「点野」「注連野」なんていうのがありました。

で、また余談ですが、北牟婁郡紀北町海山区上里に「田賀」という地名があるようで、読みが「しめたが」。
ウオッちずの地名検索では「田賀」でないとヒットしませんが、図上では「〆田賀」。他の地図では田賀だったり、〆田賀になっていたりと、不思議な地名です。タガを締めるの洒落ではないと思いますが。

さらに余談。牟婁という地名、東西南北の牟婁郡がありますが、和歌山県と三重県にまたがり、なんでだろうと考えてました。もとは紀伊の国に属していたんですね。「紀伊」というのを、私は、紀の国と伊勢の合名だと勘違いしていたです。
[64724] 2008年 4月 15日(火)02:36:13北の住人 さん
記号を使った地名
[64716] EMM さん
私も「〆」以外にいろいろ試したんですが、繰返し記号以外では、長音記号「ー」しかありませんでした。「ー」は、ほとんどカタカナ地名でしたが、平仮名地名では、「外来語由来町名」コレクションにある「あるかぽーと」の他、「新篠津村ふらわー」なんていうのもありました。この他、地名コレクションにも含まれている「ヶ(ケ)」が記号になるとしたら、こちらは、相当な数がありそうです。
記号ではありませんが、「〆」ではなく「メ」を「しめ」と読ませるのがありました。

余談ですが、辞書によると、広義の「記号」には文字、数字なども含まれるとのこと。とすると、全ての地名が「記号を使った地名」となることに。

これも余談。「いばらき~のコシヒカリ」、と「ぎ」ではなく「き」を強調するCMがありました。私の記憶が正しければ、落書き帳の過去記事にその話題があります。
[64681] 2008年 4月 13日(日)17:34:52北の住人 さん
雑文
地理と全然関係ないですが、[64626] MasAkaさんの「煮詰まる」についての記事を読んでの感想です。この言葉、私も辞書にない意味で使うことが多いですね。自分で使っていながら言うのもなんですが、誤用でしょうね。そのうち、誤用の慣用として認められるかもしれませんが。これと似たような状態(切羽詰った状態、にっちもさっちも行かなくなった状態、問題が同時に大量に発生しお手上げの状態)になったとき、上司への言い訳として、「てんぱる(てんぱってます)」という言い方もします。これも本来の意味から離れた使い方だと思いますが、私の周辺ではそれなりに聞きます。
「少ない(少い)」「ひらがな(ひらかな)」は、教科書上ではなく日常の使用では、どちらでも許容範囲かなと思います。(単に私が無頓着なのかもしれませんが、両方とも気になりません。)

ところで、地名コレクション編集長のEMMさんへ、新コレクションの提案です。「々」コレクションというのがありますが、「記号を使った地名」コレクションはどうでしょうか。例えば「〆」が使われている地名がいくつかありました。(本来なら、いいだしっぺが行うのが、とある業界のしきたりではあるのですが、私のネット環境では何年かかるか分からないので、提案のみとさせて頂きました。)
[63684] 2008年 2月 9日(土)16:43:17【2】北の住人 さん
元紋別の元
[63643] ぺとぺと さん
[63649] 星野彼方 さん
紋別市の地名「元紋別」は駅名由来のようですが、その駅名は地名「元紋別」が由来かもしれません。

明治24年発行「北海道蝦夷語地名解」(永田方正著)によると、紋別郡海岸部の地名に「モペッ」があり「今人元紋別ト呼ブ藻別村ノ元名」と書かれています。この「藻別村」は「藻鼈村」のことで、藻鼈川河口付近は、俗称かもしれませんが「元紋別」と呼ばれていたようです。

一方、「元紋別駅」は大正10年に藻鼈川の右岸、「紋別町大字藻鼈村」の地に開駅しました(平成元年廃止)。駅名は、明治期から使われていた「元紋別」を採用したのではないかと考えられます。
字名としての「元紋別」がいつから存在したのか分かりませんが、昭和26年「北海道市町村行政区画便覧」には、「紋別町大字藻鼈村」の字名に「元紋別」が記載されています。その後、昭和34年に「紋別市大字紋別村」「紋別市大字藻鼈村」のそれぞれ一部が「紋別市元紋別」になったわけです。
[63401] 2008年 1月 14日(月)20:47:09【1】北の住人 さん
道国府県郡区の分合廃置と廃使置県
道府県の順序に関して[62911]の「官等表」に続き、こんな文書を見つけました。おそらく公文書だと思いますが、実物(引用元は「公文録 太政官」)は確認していません。北海道の「廃使置県(この語句は開拓使に対する太政官の令達に使われています)」に関して、札幌市史に書かれていた記述で、下の文は明治11年7月の政府の元老院に対する指令です。
市史では、「廃使置県」は明治15年2月8日の太政大臣・内務卿連署により行われ、元老院の議定に付さなかったのは急を要するので例外としたのではないか、となっています。ちなみに、これ以前にも北海道には、「廃藩置県」による「県」は存在していました。

「上奏ノ議道国府県郡区ノ分合廃置及名称ノ変更ハ、其院ノ議定ニ付セラルヘキ事」
[63261] 2008年 1月 7日(月)20:00:58【1】北の住人 さん
県境
記事検索で見当らなかったので初出だと思いますが、今日、本屋で「県境の謎」とかいう本に出会いました。カバーには「四国には愛媛と高知しかなかった」なんていう文句が書いてあります。目次を見たところ、廃藩置県から県境未定地の話題まで新旧いろいろ、手ごろな値段なので買ってもよし、図書館で借りてもよしの本だと思います
[62911] 2007年 12月 22日(土)20:27:55【2】北の住人 さん
「道府県」という呼称の順序
[62849] オーナー グリグリさん
明治の北海道(開拓使時代)についての本を読んでいたら、ある表に出会いました。各所の役職を抜き出すと次のようになります。

官等表(明治5年「法令全書」より抜粋)
一等二等三等四等五等
兵部省大輔少輔大丞少丞
陸軍大将中将少将大佐
開拓使長官次官判官権判官
知事権知事参事
権令
(三等以上は勅任、四等から七等は奏任)

各長の順は、開拓使長官>府知事>県令となり、開拓使を「道」とみなすと、「道府県」の順となります。

なお、開拓使長官は大臣級で、内閣(当時もそう呼んだ?)の一員に並ぶ階級にあたるという文章を読んだ記憶もあります。
時代は下り明治17年のことですが、県から○○さんに送られた感謝状(ある本に掲載の写真)に、こんなのがありました。

札幌県石狩国札幌区白石村 ○○○○
・・・・・・・・奇特ニ候事
明治十七年三月十日
札幌県令従五位勲四等 調所広丈


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