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eiji_tさんの記事が10件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[55379]2006年11月28日
eiji_t
[55329]2006年11月24日
eiji_t
[55323]2006年11月23日
eiji_t
[55303]2006年11月23日
eiji_t
[55296]2006年11月22日
eiji_t
[55259]2006年11月20日
eiji_t
[55227]2006年11月18日
eiji_t
[55172]2006年11月15日
eiji_t
[55149]2006年11月14日
eiji_t
[55114]2006年11月12日
eiji_t

[55379] 2006年 11月 28日(火)09:09:36【1】eiji_t さん
茨城県内、鉄道旅行
26日に<ときわ路パス>の最終日に合わせて茨城県内の鉄道に乗る旅をしてきました。
県内の4つの私鉄(関東鉄道常総線、鹿島鉄道、鹿島臨海鉄道、茨城交通湊線)とそれを繋ぐJR線(常磐線、水戸線)計294.2km、正規の運賃7280円のところ2000円、割引率72.5%。

鹿島鉄道は支援打切りが正式に決まったという報道を受けてか、鉄系と思われる人たちで込み合いました。団体の貸切車両が一両連結していました。複数のブログの連合オフ会だそうです。鉄系のオフ会のノリを見聞できました。MAXコーヒーの自販機を見つけて喜んで記念撮影をしたり…
沿線や途中駅でもカメラを構えている人たちがいました。丁度去年の日立電鉄線の廃線直前と同じような状況でしょうか。

やはり廃線が話題に上っている茨城交通湊線も、鉄系と思われる人々が鹿島鉄道ほどではありませんが乗っていました。面白いと思ったのが、終点阿字ヶ浦駅(無人駅)の自動券売機が新千円札や新五百円玉が使えなかったことです。「何年前に新札に切替わったんだよ!」と思わず突込みを入れてしまいましたが、涙ぐましい経費節減の努力に考えさせられました。

鉄道に乗ることを主目的にする旅は初めてでした。2週間前の路線バスの旅[55149]eiji_tよりも長時間の乗車にもかかわらず疲れは少なく、楽しい旅でした。来年も<ときわ路パス>が発売になれば、再度挑戦しようと思います。

*乗車距離数訂正
[55329] 2006年 11月 24日(金)09:01:22eiji_t さん
町村変遷、公文書レス
[55308] 88さん
限りなく「網羅的かつ正確な記述」をすることは、不可能でははないと思います。少なくとも、落書き帳メンバーに限ってもこんなに大勢こだわっている人がいるのですから、あきらめずに一歩ずつでも前進しましょう。
力強いお言葉に元気が出ます。

[55276] Issieさんさんの記事見落としていました。
1947年5月3日以前は町村の異動が内務省告示の対象とされなかったとは驚きです。
すると「主管中央官庁の担当課の編・監修になる」資料は何に基づいて著されたのでしょうか?告示はされなくても中央官庁に資料は集まっていたのでしょうか?

[51380] Hiro(&TOKO) さんの記事も見落としていました(この時期ロムさえしなかったので)。地元なのに知りませんでした。灯台下暗しですね。これは使えそう。

『幕末以降市町村名変遷系統図総覧』は初耳です。失礼ですが信頼できる文献でしょうか?OPECで検索したら地元の図書館には無くて、県立図書館に行かなければ利用できそうにありません。

「河原子町」の件については、「河原子町は存在しなかった」はありえないと思っています。角川版の説の「明治24年に河原子町に」は引っ掛かってます。根拠を角川書店に問い合わせたら返答をもらえるでしょうか?『角川日本地名大辞典』の内容の件で問い合わせをした人はいますか?メールではなくて手紙のほうが良い?

[55326]むっくんさん
明治以降の日本人は古いことを総て捨て去ろうとしている
江戸時代以前の歴史に関心がある人は多いと思います。明治以降の歴史遺産は公文書に限らず、建築遺産、産業遺産、戦争遺産など急速に無くなりつつあります。そもそも近代化遺産を歴史遺産と認識していない人が多い!

情報公開・個人情報保護制度が却って公文書を廃棄するきっかけになってしまっている自治体もあるそうです。保存期間を過ぎた文書を機械的に廃棄すれば、面倒な情報公開・個人情報保護にに気を使わないで済むから…
[55323] 2006年 11月 23日(木)22:29:16【1】eiji_t さん
RE:春野町平和
高知県吾川郡春野町平和について
[55313] 揖斐の山さん
高知県春野町は合併した場合「高知市春野町平和」となるようです。

さっそく有難うございます。リンク先見ました。

[55303]eiji_tで
旧平和村がそのまま春野町の地名になったような書き方になってしまいましたので、訂正しました。
1956年春野村に合併した時点で、平和の地名は消えたようです(旧平和村の大字がそのまま春野村の大字に)。1969年町制施行、大字名引き継ぐ。
ちなみに旧村名は「戦後の日本の進むべき方向の平和国家にちなみ命名」だそうです。(『角川日本地名大辞典』)

*1箇所訂正
[55303] 2006年 11月 23日(木)00:11:56【1】eiji_t さん
平和レス
[55295] 桜トンネルさん
ところで、愛知県にあった平和町(現・稲沢市)の町名の由来って何なんでしょうか??

[54432]eiji_tで平和通りについて考察しましたが、地名の平和についても調べました。
自治体名の平和村、平和町は4つありました(村→町も含む)。
・千葉県匝瑳郡平和村1889~1954 1954八日市場町/現・匝瑳市の一部
・愛知県中島郡平和村1906~1954 1954平和町に
・愛知県中島郡平和町1954~2005 現・愛知県稲沢市平和町
・高知県吾川郡平和村1954~1956 1956春野村に合併/1969~春野町の一部

愛知県に在った平和町は前身の平和村が合併で出来た1906年、その新村名で紛糾し、県知事が間に入って「平和にやるように」 と命名したそうです(角川版『地名大辞典』)。

千葉県の平和村は現在地名としては残っていませんが小学校、コミュニティセンター、保育所、、簡易郵便局などに平和の名が残っているようです。(現・匝瑳市 平木、東谷、上谷中、荻野、川向地区)

高知県の現・春野町平和は1978年平和台団地の造成に伴い設置。旧・平和村の一部ですが名前の由来は不明。
春野町が2008.1.1に高知市に編入予定ですが高知市に平和町という地名があるので春野町平和の地名はどうなるでしょうか?

番外:奈良県添上郡平和村ひらわむら1896~1953 1953生駒郡郡山町に編入/現・大和郡山市

*千葉県と高知県の平和村に関する記述訂正。
[55296] 2006年 11月 22日(水)22:18:46【1】eiji_t さん
市町村変遷、典拠レス
[55258] 紅葉橋律乃介さん
[55275]むっくんさん

町村の変遷を調べていて感じたことに近い記述を見つけたので長いですが引用します。
『市町村名変遷辞典;補訂版』東京堂出版、1993年の前書きにあたる「自治体名の100年<編纂にあたって>」
100年間のその沿革・経緯をたどるべきまともな資料すら存在しないというのが実情なのである。
諸官庁が関与した資料
(1)自治省行政局振興課編集『全国市町要覧63年版』第一法規出版、昭和63年
(2)自治省行政局振興課監修『新版全国市町村名変遷総覧』日本加除出版、昭和62年
(3)総理府統計局編集『国勢調査資料からみた市区町村の合併・協会変更一覧』財、日本統計協会、昭和49年
(1)(2)は他ならぬ主管中央官庁の担当課の編・監修になるものだが、(1)は現存する市町村中心の昭和24年10月以降の記事に限定されている。(2)は官報に告示された資料を県別・逐年にまとめたものだが、不思議なことに(1)と一致しない事項(内容、日付等)がかなり見られる。(3)も(1)(2)との間に相当の齟齬がある。
これらの食い違いの中には、明らかに転記ミス、校正ミスと思われるものもある。ところが、念のために各県が編集した『市町村合併誌』のたぐいと照合すると、まるで異なる事例が出てくる。さらに現地市役所・町村役場に問い合わせると、ここでも違った答えが出てくる……といった具合。たかだか近代100年の、しかも公的記録がこんな調子では……と、改めてわが国の行政の姿勢を問わざるをえない。
その他資料の中では角川版『日本地名大辞典』が近代100年の自治体名を通覧するのには最も好都合かもしれない。しかし、同辞典も各県別に記述方針に相当のバラツキがあるうえ、明らかな誤りも散見される。

もともと日本では公文書保存の重要性の認識が足りず、地方自治体に至っては、公文書館の存在すらない自治体が多数で、図書館や歴史館が兼任し、図書館司書とは違った専門家(アーキビスト)が足りないか全くいないそうです。調べたい公文書がもし残っていても、整理し見出しを付けすぐに閲覧できるようになっていなければ、ただの紙屑の束です。
参考:朝日新聞2003年12月18日「公文書保存制度改定へ 職員数足りず/質・量もばらつき」
  :読売新聞・夕刊2005年7月16日「「平成の大合併」余波 地方の公文書散逸の危機」

河原子町の場合、私は食い違いに気づいて最初に、一次資料を求め「日立市郷土博物館」に行きました。そこのS補佐によりますと二度の合併(昭和16年多賀町、昭和30年日立市)のどちらかの時期に散逸したか、大戦での空襲で消失してしまったそうです。散逸の時期すら判らないそうです。
その後の経緯は[55172]に書いたとおりです。

明治22年以後の市町村変遷の網羅的かつ正確な記述はもう絶望的でしょうか?
[55259] 2006年 11月 20日(月)21:11:30eiji_t さん
“犬民性”&“狂犬病”
36年振りに狂犬病で死亡(1970年ネパールで感染。日本国内での感染で狂犬病による最後の死者は、1957年。犬の発生はその2年後1959年が最後)とのニュースで、新聞の切抜きを調べていたら、こんなのが出てきました。
10月29日<天声人語>に、人口あたりのイヌの数が多い都道府県は「群馬、三重、山梨、岐阜…」少ないのは「東京、大阪、山形、福井、石川…」
そこで朝日新聞群馬版が理由を分析しているのを紹介しています。東京、大阪が少ないのは判りますが、結局よくわからず、「犬民性」というダジャレで締め括っています。
天声人語を転載したブログ20061029

現在でも狂犬病に感染し発症したら致死率100%だそうです。国内では何十年も前に撲滅した病気ですから、ピンと来ないかも知れませんが世界では年間55000人も死んでいます。もし、日本で狂犬病の動物(狂犬病という名前ですが全ての哺乳動物が感染するそうです)が発見されたら、B.S.E.や鶏インフルエンザ以上の大騒ぎに?
一番危険なのは、日本海の向こうの国からくる船が、頻繁に入ってくる港だそうです。日本海の向こう側は、狂犬病の発生地域ですから。人や荷物のチェックは厳しいが、乗っている犬の検疫はしていないのだそうです(小さな港には動物検疫官がいない!)。感染した犬がひょいっと船を下りて…

厚生労働省のサイトにこんな統計が
都道府県別の犬の登録頭数と予防注射頭数等
そこの注目すべき数字は
全国
年度登録頭数予防注射頭数注射率
平成115,645,4244,578,27781.1%
平成125,779,4624,606,52779.7%
平成135,939,5954,646,04678.2%
平成146,084,7314,681,52476.1%
平成156,262,5104,741,48875.7%
平成166,394,2264,801,70975.1%
平成176,670,3274,924,12973.8%
年々登録頭数は増えていますが注射率が下がっています。

都道府県別では注射率にそうとうのバラつきが
(平成17年度)
1位、長野県94.8% 2位、山形県92.3% 3位、新潟県89.4% 
  ……
45位、岡山県61.8 46位香川県59.7% %47位、沖縄県50.5%

長野と沖縄では実に44ポイントもの差があります。香川県と岡山県以外は7年間順位は変わりません。
これも「犬民性」でしょうか。関係者の温度差?
気になるのは、香川県です。平成16~17年1年間で登録頭数は24000頭も増え、たぶん群馬県を抜いて人口当たりの飼い犬の数日本一になったようです。ところが予防注射率は平成11年の80.7%(23位)から年々下がって平成17年は上にあるように59.7%、46位です。
[55227] 2006年 11月 18日(土)09:16:56eiji_t さん
烏川碧碧さん復帰記念、銀座ネタ
[55216]烏川碧碧さん
銀座コレクションの更新も滞っているところですが、年末年始にかけて何とかするつもりです。
まずは地元ネタ
「日立銀座通り」は「ひたち銀座もーる(モール)」(なぜかひらがな、カタカナ表記両方あり)になっています。
日立市の銀座通り
ところで烏川碧碧さん銀座コレクションの日立銀座のリンク、リンク切れになっています。

銀座の標高(海抜)
*朝日新聞アスパラクラブ>A.I.C>木曜>野々村邦夫「地図一途」>アーカイブ>
2006/9/28「低くて元気な砂町銀座」

>日本で一番標高が低い銀座
>砂町銀座 標高(海抜)約-3.8mいわゆるゼロメートル地帯

この記事を読んで、すぐ一番標高(海抜)の高い銀座は?
という疑問が沸きましたが、軽井沢銀座をすぐに思いつきました。
軽井沢銀座は坂になっていますが一番低いところ(旧軽ロータリー)でも960m以上あります。
旧軽ロータリー[36873]みやこ♂さん

番外:アルプス銀座が一番標高が高い。これは反則!?
[34043]みやこ♂[みやこ]さん
表銀座”が、燕岳~槍ヶ岳のコースで、“裏銀座”が烏帽子岳~槍ヶ岳のコースです。「人が多くて銀座みたいだ」が命名の由来のようです。
現在は若者の登山ブームが去り、シーズンでも静かだそうです。以前の新聞の季節ネタで毎年夏にはアルプス銀座が取り上げられていた記憶があります。現在でも名前は残っています。

(*朝日新聞アスパラクラブ、野々村邦夫さんについては[43643]hmtさん[43552] eiji_t 参照)
[55172] 2006年 11月 15日(水)19:27:48eiji_t さん
町制施行、3通りの説あり 河原子町
最近も町制施行時期に関して、大阪府三島郡味舌町が話題になりました。
[55106]白桃さん
[55110]88さん
[55113]たもっちさん
[55115]矢作川太郎さん

私が町制施行の時期に3通りの説がある町のあることに気づいたのは去年でした。
茨城県多賀郡河原子町(昭和14年他の2村と合併し、昭和30年まで多賀郡多賀町の大字。現在ほぼ日立市河原子町あたり(出入りあり))

(1)明治22年4月1日、市町村制施行により河原子村が単独で河原子町になる
・『茨城県町村沿革誌』細谷益見、明治30(1891)年、復刻版崙書房、昭和51(1976)年
・『市町村治績録』日本自治協会、昭和4(1929)年
・『茨城県市町村合併史』茨城県、昭和33(1958)年
・『茨城県市町村総覧1958年版』茨城県、昭和33(1958)年
・『全国市町村名変遷総覧』日本加除出版、1979年
・『茨城県史料 近代政治社会編4』茨城県、1990年
・『新修日立市史;下巻』日立市、1996年
郷土史資料のほとんどがこの説で、これによると近代(市町村制施行以後)の河原子村は存在しない事になります。

(2)明治22年4月1日、市町村制施行により河原子村が単独で河原子村となり、明治24年町制施行により河原子町になる
・『角川地名大辞典 8茨城県』角川書店、1991年
・『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1993年
・『消えた市町村名辞典』廣済堂、2000年
・ISSIEさん市町村の変遷多賀郡
・行政区画変遷一覧表茨城県多賀郡 自治体成立時
角川版では近代の河原子村が存在する事になり、1項を設けて説明しています。他の資料は角川版に倣ったと思われます。

(3)明治22年4月1日、市町村制施行により河原子村が単独で河原子村となり、昭和14年他2村と合併し多賀町となるまで続く
・『茨城県史 市町村編1』茨城県、1972年の「市町村分合表 日立市」
・『日本歴史地名大系 8茨城県の地名』平凡社、1982年
これでは河原子町が存在しなかった事になります。『茨城県史 市町村編1』は「表」の中のだけ表記で、他の県編纂の資料とも矛盾。単純な誤りか?平凡社版はこれに倣った?

どれが正しいのでしょうか?「誤りの連鎖」の可能性があり、多数決でというわけには…
原資料に当たるのが一番だと思われます。それが出来なければ限りなく原資料に近い資料に当たるのが次善の策だと思います。
その可能性が高いのが(1)の『茨城県資料 近代政治社会編4』です。「傍訓茨城縣官令全報;第53号」と「傍訓茨城縣官令全報;第54号」(共に明治22年)を写したものです。
これとて写し誤りの可能性が完全には否定できません。そこで明治時代の「県報」のマイクロフィルムを所蔵している茨城県立歴史館に出掛けてきました。
そこでマイクロフィルムを複写し製本した「傍訓茨城縣官令全報」を閲覧し必要部分をコピーする事ができました。

「傍訓茨城縣官令全報;第53号」の「茨城縣令甲第12号」に「左表の通り明治22年3月31日に施行す」とあり
「傍訓茨城縣官令全報;第54号」にある「左表」に「河原子町」とありました。

『茨城県史料 近代政治社会編4』に書いてある通りでした。
(1)の「明治22年4月1日、市町村制施行により河原子村が単独で河原子町になる」
を信じます。これで「県報」に誤りがあればお手上げです。

角川版も平凡社版も郷土の歴史地理の権威が監修に当たっています。それでも全部に目が行き届くとは限らないという、教訓を得ました。
[55149] 2006年 11月 14日(火)12:00:39【1】eiji_t さん
県内のバスが千円で2日間乗り放題
昨日11月13日は茨城県民の日でした。今日は埼玉県民の日ですね。
<『茨城県民の日』記念フリー乗車券>が発売されていました。1000円で12,13日の二日間有効、県内の12社の路線バスが自由に乗り降りできました。去年から実施で、全国的に見ても独特の試みだそうです。
私がこれを知ったのは2日前の事で、去年は知りませんでした。急遽乗車券を購入して、計画も余り立てられずミニ路線バスの旅をしてきました。

11月12日
日立駅―東河内(日立電鉄交通サービス)運賃往復1420円分
前から気になっていた日立市内の小さな水力発電所を見学してきました。
里川発電所、中里発電所
茨城県北には水力発電所が13箇所あって、ほとんどは小さな規模の発電所です。
東京電力
歴史の古い発電所も多く、6箇所が国の有形文化財に登録されています。乗換えを事前に調べられれば里川水系の他の発電所にも行けたでしょうに……来年への課題です。

11月13日
常陸多賀駅―常陸太田駅―水戸駅―県歴史博物館 運賃往復3420円分
(日立電鉄交通サービス、茨城交通、茨城オート)
日立、水戸間の直通の路線バスが何年も前に廃止しになった為に、JRでは30分位のところ、乗換えもふくめ2時間以上、運賃も2.6倍。こういう機会でなければ試みられないルートです。県歴史博物館は県民の日のため無料で見学できました。また明治期の市町村合併の疑問点を博物館にしかない資料で調べ物をしてきました。その結果は別に報告します。

路線バスの旅は、事前に調べていかなければ効率的に回れません。来年はしっかり計画を立てて行こうと思います。

鉄道も11月26日まで土・日・祝日に県内のJR線と、接続する私鉄が1日間2000円で自由に乗降りできる「ときわ路パス」を発売しています。これを利用して、廃止が計画されている鹿島鉄道や茨城交通湊線に乗りに行こうかなと思っています。
[55114] 2006年 11月 12日(日)18:13:27eiji_t さん
最後の有人灯台が…
最後の有人灯台であった長崎県・男女群島の女島(めしま)灯台が本日11月12日に自動化され無人化されます。
最後の有人灯台が自動化

このニュースを最初に知ったのは、1ヶ月ぐらい前の新聞だったと思います。灯台にまつわる個人的想い出が走馬灯のように自分の中で駆け巡りました。最初に灯台に登った当時のこと、その同じ灯台で叔父が…

「おいら岬の灯台守は…」の主題歌で知られる木下恵介監督の映画「喜びも悲しみも幾歳月」(1957年)を見たのはリアルタイムでは有りませんでしたが、印象に残っています。
「灯台守」という言葉は完全に死語になってしまうようです。


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