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うるうさんの記事が5件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[51538]2006年5月29日
うるう
[51066]2006年4月30日
うるう
[50422]2006年4月4日
うるう
[49805]2006年3月12日
うるう
[45497]2005年10月8日
うるう

[51538] 2006年 5月 29日(月)04:17:48うるう さん
大字考
えーと僕も飯能してしまいましょうか。

とは言っても大字の話題が出てきたことで、過去の苦労がフラッシュバックして書き込みに至っただけですけど。
だから記事リンクは貼らないことにしましょう。


安易な大字の変更(統合、分割、境界・名称の変更)は反対です。

以前、むじながいりさんの「つかんぼやと」で秋田県の変遷地図を作らせていただきました。
そのとき旧市町村の形を知るために使用したのがマピオン地図でした。
マピオンだと一番大きい縮尺で大字レベルまでの境界が把握できるからです。

で、変遷地図を作るついでに、藩政村の地図も作れないかと思ってやってみたのです。
が、作成してて驚いたことがありました。旧市町村境を知りたくても知れないのです。
それも、藩政村の境界だけでなく市制・町村制が施行されたあとの境界ですらです。

ひとつ例を示しましょう。
鹿角市八幡平はかつて旧鹿角郡八幡平村の区域でした。
しかし、八幡平村が出来たのは昭和の大合併の昭和31年。
この村の略歴をたどると、
明治22年4月1日  長井田村、松谷村⇒曙村:宮麓村、長谷川村⇒宮川村
昭和31年6月15日 曙村、宮川村⇒八幡平村
昭和47年4月1日  八幡平村、ほか3町⇒鹿角市
さらに明治9年に13の村が上記の4つの村に再編されています。

現在この13の藩政村が全て鹿角市八幡平なのです。
もちろん明治22年~昭和31年から存在していた2村の境界を知るすべはありません。

昭和前期(この場合の昭和前期とは昭和の大合併前)の町村境ですら見出せないのです。
せめて鹿角市曙、もしくは鹿角市八幡平宮川のような住所にしてほしかった(・_・、)
県内で昭和前期の境界すら見いだせなくなってしまった事例はここの他と鹿角郡花輪町と柴平村に見られます。
鹿角市のばか~(大泣


また、平成の大合併も脅威でした。
平成17年3月22日に湯沢市となった旧・稲川町ではそれまでの藩政村で構成されていた大字が突如明治の大合併でできた4つの町村の大字(三梨・稲庭・川連・駒形)に変わってしまいました。また、旧・皆瀬村も2つの藩政村を引き継ぐ大字が、この日を境に大字皆瀬となってしまいました。    
それ以外にも、旧・大雄村も横手市なる際に大字大雄に一本化、旧・南外村も大仙市大字南外となり、それぞれの昭和前期の市町村境を大字の境界のみで知ることは現在不可能となってしまいました。
県内でのそれ以外の被害は確認していませんけど、全国でも同じような事態が起こっているのではないでしょうか。


で、どうあってほしいかというと、すでに何人かの人が書き込んでる通り、藩政村を大字として復活させてほしいということです。
このように
○○市大字××△△字□□246-8
のようにし、××に明治の大合併によって生まれた市町村名を、△△に藩政村を入れればだいぶ事はすっきりしてくるのになぁなんて思っております。
この形式、秋田市の昭和の大合併で編入した村々に適応されるフォーマットなんですけどね。


あと、個人的に嫌いなのが住居表示。
それまでの大字を地図上から抹消する悪い奴です、少なくとも私にとっては。地番整理だけで十分だと思うのは私だけなんでしょうか?秋田県の場合、字ごとに地番が振り分けられているので、それほど労力のいることではないように思うのですが。誰かこの辺りの詳しい方がいればご教示願います。

古の民たちが何百年も使い続けてきた地名をこの120年のうちに撹乱させすぎました。
昔を重んじて全て元の地名に戻せとまでは言いませんが、ある程度は元に戻しても差し支えはないのではないでしょうか。


全国各地の住所地名が歩んできた歴史は千差万別なので、例を挙げるとキリがないし、これという決め事をしても、例外がわんさか出てくると知りつつも書き込んでしまった次第です。




♯もともとは国勢調査の大字単位での人口変遷が知りたくて、県内の大字を虱潰しに調べていったら壷にハマっていたうるうでした。
[51066] 2006年 4月 30日(日)03:23:50うるう さん
かつて高校の裏山でもクマの目撃情報がありました。
[51059] 千本桜さん
一般的な常識として、カモシカが生息しているような所は山岳地帯や人の少ない山奥のド田舎でしょう。私の常識では、そうなります。

だとしたら秋田市でさえもド田舎に含まれますね。高校生だったときの通学途中、秋田大学付近でカモシカを見ましたもの。高校在学中、彼らとは数回は出くわしました。コンビニの前に数頭たむろしてたときにはさすがに怖かったです(笑
秋田駅から1キロほどしか離れていない場所ですら見られるのです。

ま、そういう所なのかな、秋田って…(少し自虐)
東北はどこもそういう所だと思ってましたが…。



大学に入っていろいろな地方の人と話す機会がありました。
都内の大学なので半分くらいが東京・神奈川・埼玉の人たちですが、北は稚内、南は鹿児島出身の人と話す機会がありました。もちろん東北各県の人も。やっぱり関西地方出身の人は方言をそのまま使いますね。逆に中国地方、九州地方出身の人たち(四国地方の人とは未だ出会えず)は「方言使って」と言わないと使ってくれません。
ちなみに私は、方言が使えないのです。18年間秋田に住んでいたのに。。。友達に「東北出身なのに訛ってないね」と言われ、嬉しいやら悲しいやら。
地理を極めんとする身として、大学というのは話のネタが豊富でたまりません(笑)。出身地の話を吹っかけると、ほぼ必ず「なんでそんなことまで知ってんの?」と聞かれます。
[50422] 2006年 4月 4日(火)21:11:00うるう さん
久之浜町、好間村
突然出てきたうるうです。東京もようやく慣れ始めてきました。

[50420]スナフキんさん

過去の国勢調査の資料(合併直前の昭和40年調査)を見たら、久之浜町、好間村となっていました。
国勢調査の報告書ですから一応公的資料でしょう。決定打ではないでしょうけど。

また、日本加除出版の発行した全国市町村名変遷総覧によりますと
石城郡好間村は昭和30年2月11日に箕輪村の一部を編入し、
双葉郡久之浜町は明治35年6月1日に町制施行したとの記述があります。

ということで久之浜町、好間村に一票。
[49805] 2006年 3月 12日(日)02:37:55うるう さん
お久しぶりです
皆様、お久しぶりです。うるうです。約半年ぶりの書き込みとなります。

やっと進路が決定しました。無事、春から大学生となります。

薬学など別の進路も考えていたのですが、結局地理の道を貫くことにしました(笑
この後4年間は“学問としての地理”を極めたいと思います。
国勢調査などの資料も簡単に手に入るといいなぁ・・・

経県値のほうは2次試験の前日に神奈川県に泊まり、4月からの住居は東京都になるので5点アップです。

まだまだ、片付けや引越しの準備等で忙しいので書き込みができるかどうかわかりませんが、落書き帳の皆々様、再びよろしくお願いします。


以上、近況報告でした(板汚しでスミマセン。。。
[45497] 2005年 10月 8日(土)07:16:39うるう さん
l
[45386] むじながいり さん
この市町村色、初めて作る前から市=黄、町=緑、村=水色というイメージがあったのですが、何でだろうかよくよく考えてみればここの市町村プロフィールのものでした。何気なく眺めているうちに刷り込まれていたようです。

私は市=赤、町=緑、村=青が思い浮かんでたんですけど、これってなんでかな・・・と考えてたら、小学校のときに見た県の地図か何かがこの配色だったような気がします。刷込みってすごいですね。。10年以上も前の配色が頭にまだ根付いてるんですから。


[45337] 右左府 さん
私の父は少し前まで東成瀬村は平鹿郡だと思っていたようです。

私の場合は逆に増田町が雄勝郡だと勘違いすることがしばしば。
旧・平鹿郡増田町と旧・雄勝郡西成瀬村が合併したせいなんでしょうね。昭和の大合併で郡境を越えて合併をしたのは県内じゃほぼ唯一(秋田市や大曲市などで厳密にはあるけれど)でしたから。

将来的に合併を迫られた場合、横手市と湯沢市のどちらにつく事になるのやら。

ちなみに平成12年の国勢調査による東成瀬村の従業・通学市区町村は
東成瀬村内1,013人
増田町270人
湯沢市176人
十文字町140人
でした。これ資料だけを見てすべてを言い尽くすことは出来ませんが、もし合併するとなれば湯沢市よりは増田町(現・横手市)への合併の可能性のほうが高いでしょうね。

【おまけ】
前回書き込み[45315]の「秋田県町村合併計画案」から調子にのって「昭和28年10月1日現在の秋田県の市町村図」も作ってみました。ちょっとサイズが大きいかもしれません。知り合いの人から譲り受けた昭和14年の秋田縣地圖とZ社の電子地図帳を使って作成してみましたが、まだまだ境界があいまいなところが多いのです(>_<)


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