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がんす横丁ままさんの記事が5件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[68316]2009年1月13日
がんす横丁まま
[68263]2009年1月11日
がんす横丁まま
[68256]2009年1月11日
がんす横丁まま
[41225]2005年5月15日
がんす横丁まま
[41151]2005年5月14日
がんす横丁まま

[68316] 2009年 1月 13日(火)14:41:51がんす横丁まま さん
芙蓉峰・芙蓉談義のお礼
全国市十番勝負真っ最中に、豊後芙蓉 の質問をしたばかりに、思わぬ芙蓉談義に発展してしまい、ありがとうございました。楽しかったのですが、申し訳なさも感じてしまいました。それにしてもこのサイトのみなさまの、地名はもとより、博物への薀蓄ぶり、いつものことながら敬意を表します。

Issieさん、じゃごたろうさん、hmtさん、白桃さん、稲生さん、inakanomozartさん、ありがとうございました。蓮・芙蓉について牧野富太郎博士著『植物記』『続植物記』(初版 1943年・1944年)の中の文章を紹介してお礼に替えます。

『植物記』には、芙蓉について触れた文章は見当たりませんが、『原色牧野日本植物図鑑』(コンパクト版1~5)には、フヨウ、スイフヨウ、ブッソウゲ、ハイビスカス、アメリカフヨウ、ムクゲ、モミジアオイ、トロロアオイ、オクラまで、あおい科フヨウ属として載っています。前掲書ではアオイ(旧アフヒ)については記録がたくさんありますがフヨウには触れていません。ただハスについては、前掲書では、蓮の話・双頭蓮と蓮の曼荼羅 の項で次のように述べております。( 同書122頁 )

 ハスは又ハチスという。ハスはこのハチスの言葉が縮んだものである。而してハチスは元と上に記したる蓮房の形より来たものであります。蓮の字は元来はハスの花床(花托)の名であるが、今は通常其の全体の名に用いられている。
 芙蓉と云うはハスの一名であるが、今世人が芙蓉と呼ぶものは元来は木芙蓉なので、これはゼニアフヒ科中の一潅木の名であります。花が大きく且つ美麗であって、ハスの花の様だからこの植物を木芙蓉と呼んだもので、之れと混雑を避ける為にハスの事を水芙蓉とも草芙蓉とも言って、この両者を区別して居ります。
 ハスは日本でも古くから作って居りますが、無論原は他国から渡りしものであります。隣邦の支那にも往昔より栽培して居るが然し其の原産地は天竺即ち印度なので、支那も始めは固より同国より輸入したものでありましょう。尚ハスはペルシア・マレー群島並びに豪州にも分布して居ります。(以下略本文旧漢字・旧仮名遣い)

最近、この『植物記』は復刻刊行されたという記事を読みましたから、図書館でも手に入ると思います。蓮が「万葉集」にも詠まれているとのことでしたので調べてみました。

巻16 3826 蓮(はちす)葉は かくこそあるもの 意吉麻呂(おきまろ)が 家なるものは芋(うも)の葉にあらし 

(長忌寸意吉麻呂が歌八首)=ながいみきおきまろは人の名前。
 最後に大伴家持が詠める「万葉集」最後の歌を挙げて、今年の平安と繁栄をお祈りいたします。

巻20 4516 新しき年のはじめの初春の今日降る雪のいや重け(しけ)吉事(よごと)

 この歌は家持が因幡国守として赴任した翌年(759年天平宝字3年)の元旦詠とされています。
参考文献 前掲書のほか「平凡社大百科事典」「新校新版萬葉集」「註解萬葉集」
[68263] 2009年 1月 11日(日)09:59:20がんす横丁まま さん
豊後芙蓉
 Isseiさん、じゃごたろうさん、お返事ありがとうございます。
文章の前後は、天女が舞うが如くの豊後芙蓉、とありました。富士の美称に芙蓉峰という呼び名がありますこと、初めて知りました。正月にふさわしい美称でうれしいです。
 思えばこの欄に初めて投稿しましたのも富士の地名のお尋ねからでした。復活も富士からとはなんとうれしいご縁でしょう。由布岳ー豊後富士ー豊後芙蓉 納得しました。ありがとうございました。
 芙蓉といえば、昨夏は、酔芙蓉という花を咲かせて楽しみました。朝は真っ白に開き、昼になると薄いピンク、夕方には濃い紅色に変化する花でした。初めてでしたので、その容姿に酔いしれました。
一つ訂正があります。豊後温泉誌 発行年が明治四十一年でした。友人に温泉博士がいて、その影響で温泉史・温泉地名を紐解いています。またお尋ねします。どうぞよろしく。
[68256] 2009年 1月 11日(日)00:26:41がんす横丁まま さん
山の名称について
5年ぶりの書き込みです。訪問覗きはときどきさせていただいてました。このたび、古名の山の名前をどうしても教えていただきたくて再び訪問させていただきました。
大分県別府市の山の名前ですが、豊後温泉誌 明治38年刊 に豊後芙蓉と呼称する山名が出てきます。鶴見岳のことでしょうか?由布岳は豊後富士ですよね。これまで、山名で芙蓉という呼び名はあったのでしょうか。探しきれませんでしたので、お尋ねいたします。
[41225] 2005年 5月 15日(日)22:18:19がんす横丁まま さん
聞き捨てならない噂ですので・・
[41210]中島悟さん「ウワサの検証」
 2)広島市が周辺町村と合併を進めていたとき、広島市長の不用意な発言が府中町の関係者を激怒させてしまい、それ以降府中町は、広島市との合併を頑なに拒んでいるそうな。

 そんなウワサが、全国に知れ渡っているとは、広島市民としても、府中町民としても「恥」ですので、合併されない本当の理由を申し上げましょう。
 府中町が、合併されると、メリットがあるのは、広島市です。東洋工業、キリンビール(現在終業)と、府中町には、大企業本社があり、企業収益が、町財政を潤していますので、税金の高い広島市に合併しなくても、十分やっていける財政基盤があることが第一の理由でしょう。また、府中町は、広島市のベッドタウンとして、高級住宅街を形成しています。道路整備もすすみ、車で十分、バスでも二十分足らずで、広島市中心街に来る事ができます。文化意識、住民意識の高いことでも、選挙や住民投票などは、いつも八十%を越える投票率でわかります。広島市合併派も少なくないのですが、住民投票では、独立派が上回っているということです。町長が選ばれるときも、単独派町長が支持されています。広島市でせっせと働いて、住民税は、府中町に納める町民が多いということでしょう。
 歴史的にも、昔から国府があった土地として栄えてきた由緒ある土地柄と、水分峡(みくまりきょう)という、呉娑々宇山(ごさそうざん=広島市)のふもとに広がる景勝地も観光価値があり、広島市民は昔からキャンプ地、ハイキング地として楽しんできました。広島市民の感覚としては、行政区ではなくても、広島市民の憩いの場、と思っています。四方が広島市になってしまっても、府中町民は、なんの不自由もなく、相変わらず、安芸郡府中町でがんばっているのだと思います。体育館付設の文化センター(図書館付)が、建設される予定もあるようで、ますます元気なようです。広島市民税が、府中町民税より安くなったら、考えも変わられるのではないでしょうか。客観的に感じている広島市民の一感想です。
[41151] 2005年 5月 14日(土)02:27:33がんす横丁まま さん
またよなべ書き込みで・・
[41137]じゃごたろさん
ところでがんす横丁ままさんの「がんす」が気になります

「がんす」は、広島を代表する広島弁、ということになっていますが、どちらかというと老人ことば、です。広島市のことばあそびにこんな話が伝わっています。

「可部(かべ)の願専坊(がんせんぼう)にゃあ、聴聞(ちょうもん)が、がんすか、がんせんか、がんしゃあ、がんすように話ががんひょうが、がんせんけえ、がんせんので、がんひょうてえ。」
(可部(地名)の願専坊(お寺の名)では、聴聞(お説教)があるのか、ないのか、あれば、あるように話がありましょうが、ないから、ないのでしょうよ)「広島県の民話」
 
「がんす横丁」というのは、戦前の広島市旧市内界隈をエッセイに書いた薄田太郎氏の書名からいただいています。広島県を東西に二分して西部が安芸弁、東部が備後弁で、明らかな差異があります。「がんす」は、安芸弁で、備後弁では使われません。
 我が家は、旧市内で生まれ育った明治生まれの夫の亡母と、ほとんど広島市内で育った夫が使う安芸弁の範疇で、私も広島弁をマスターしています。広島市の八丁堀(街の真中)で生まれ育った夫の母は、はじめ「がんす」は、田舎(可部など北部)ことばだといっていたのに、いつのまにか、使っていました。「そうでがんすのう」(そうですねえ)「行くんでがんひょうてえ」(行くのでしょうよ)などと使います。
 東北の「おばんでがんす」は、やはり、(おばんでございます)と「おばんです」より丁寧な言い方ですよね。そしたら、広島の「がんす」と同じ使い方です。同じ東北でも、山形県米沢市では使っていないように思いますが。(私が聞かなかっただけ?)
 さて、私はまだ「老人」ではない!ので、使ったことがありません。そのうち、使えるようになるかなと期待しています。以上、「がんす」談義でした。


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