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千本桜さんの記事が1件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[90542]2016年5月27日
千本桜

[90542] 2016年 5月 27日(金)09:55:10千本桜 さん
奥会津と北魚沼の旅
[90525] オーナー グリグリさん
回答いただきましてありがとうございました。A~Jすべて正解です。
 A(会津坂下インターチェンジ)で高速を下り、B(福島県)C(柳津町)の円蔵寺にお参りしました。この円蔵寺、一般的には「柳津虚空蔵尊」の名で知られています。
 そこからD(金山町)のE(沼沢湖)に向かいました。この沼沢湖、以前は「沼沢沼」と呼ばれていましたが、今では「沼沢湖」の呼称が浸透しているようです。二十数年前の曇天の日に訪れた時は、少しおどろおどろしい風景に見えましたが、今回は晴渡った青空の下、透明感のある風景が広がっていました。
 F(只見川)の上流にあるG(奥只見ダム)へ車で行くには、H(新潟県)I(魚沼市)から進入します。今回の旅行で、じいさんたち(平均年齢70歳超)が一番喜んでくれたのは、奥只見ダムへ向かうシルーバーラインです。外の風景が見える訳でもないのに、果てしなく続く長大なトンネルに大興奮。このトンネル自体が観光スポットなのでしょう。
 魚沼市の旧J(小出町)は、私の勝手な都市規模ランキングによると、お隣の小千谷よりワンランク下のはず。それなのに中心商店街がずいぶん立派に見えました。アーケード商店街だけで比較すると、小千谷と同等またはそれ以上に見えました。
 宿泊は湯之谷温泉郷の大湯温泉。一見して温泉街も個々の旅館もぼろぼろに寂れていました。宮城県の人で、この大湯温泉に宿泊経験のある人は極めて少ないと思います。私も初めてでした。こんなぼろぼろの温泉街でも、何か心にグッと来るものがあるはずと思い、朝食前の早朝散歩に出かけました。ありましたね~。じんと染みる昭和レトロの景観が。特に、すずらん通り商店街。商売をやめたのに、看板だけが残るスナック、居酒屋。建物が取り壊された更地からは草の匂いがしてきます。昔は人ごみで賑わったであろう草の匂いのする商店街を歩きながら、大湯温泉に来て良かったと、ひとりしみじみ思うのであった。

[90526] 白桃さん
それにしてもJの街並みは画像で見ただけですが、とても立派ですネ。
市街地の広がりの規模はそれほどでもないのに、小出の街並みは立派に見えました。今までに白桃さんをおつれした(連れ回した)、飯坂、保原、梁川、桑折、藤田、角田、白石、大河原、船岡、槻木、村田、岩沼、登米、佐沼、若柳、築館、高畠、赤湯、宮内、小松の街並みと比較しても、小出のアーケード商店街は光っています。でも、白石は奥の深い町だから、裏道に入ると小出にはない厚みを感じるし、大河原と佐沼は中心街がぼろぼろでも、郊外に形成された商業ゾーンの迫力で小出をノックアウトするでしょう。小出がアーケードを取り外したら、どんな町に見えるのでしょう。

[90527] 伊豆之国さん
「無料」で覗けるこの川に沿って走っているJR線、結局復旧できぬまま(一部)過去帳入りして行く運命になるのでしょうか?
無料で見られる川は「只見川」だと、ご推察いただけて嬉しいです(笑)!
旅行に参加した、じいさん全員、JR只見線の一部運休中を知りませんでした。でも、途中でひとりが異変に気がつきました。ここ、汽車が走っていないんじゃないか? 線路に草が生えてるぞ。すると別のじいさんが、さっき通った駅(会津川口駅のこと)は汽車が走っている雰囲気だったな、と言いました。いや、走ってない、走ってる、走ってない、走ってると、まるでコスモスの花びらをちぎって花占いする状態。結局、走っているのか走っていないのか分からずじまいでした。

[90530] k-aceさん
I市は市街地にJ町だけでなくK村のところがあります。市役所からそれほど離れていない井口新田はJ町ではなくK村という。
K村は湯之谷村ですね。小出の市街地には東から西へ向かって進入しました。そのとき、井口新田を通過したのですが、突然、アーケード商店街が出現してびっくりしました。今は魚沼市ですが、もとの湯之谷村の区域にもアーケード商店街があったのですね。

そういえば大河原商業高校は大河原町の飛び地なんでしょうか? 高校の住所は「宮城県柴田郡大河原町大谷字西原前154-6」で、Mapionでは校舎部分だけ大河原町で、校庭部分含め柴田町に囲まれているように見えますが。
これは、地元でもよく話題になります。でも、大河原商業高校の敷地に関する変遷を体系的にまとめた記述が見当たらないのですよ。敷地の拡張変遷を表した地図があれば最高なのですが、それを求めるのは無理でしょう。そこで、千本桜が勝手に推測します。判断材料は次の4つです。
1、昭和30年代の航空写真
2、ある文献の記述の記憶
3、大河原町史
4、ゼンリン住宅地図
昭和30年代の航空写真を見ると、わずかの宅地が点在する中、農地に囲まれて高校の敷地がポツンとあります。敷地は今より少し狭いが、ほとんど柴田町の領域。でも少しだけ(1割にも満たないかな?)大河原町の領域にかかっている。それがここです。ここを仮に地点Aとします。
ある文献に、船岡海軍火薬廠跡地は柴田町、角田市にほかに、少し大河原町にも食込んでいると書いてあったのを思い出す。その場所がどこか不明であったが、いま思うに、地点Aではないかと推測する。
大河原町史によると「自前の校舎を持たない町立大河原高等女学校が、旧海軍火薬廠の宿舎を買収して、ここに移った」とある。大河原町が柴田町の領域を買収しないだろうから、大河原町域にあった旧海軍火薬廠の宿舎を買収したのだろう。海軍火薬廠と大河原町。2つのキーワードから推測できるのは地点Aである。当時は校舎があれば校庭など要らなかったのかな? とすれば狭い敷地でもOKだったはず。町立大河原高等女学校は後に県大河原高校の時代を経て、現在の県大河原商業高校となる。柴田町に属する学校敷地は、後に拡張されたのではないかと考えられる。
ゼンリン住宅地図からは「大河原町大谷字西原前154-6」の番地を見いだせないが、周囲の地番を追いかけながら推測すると、地点Aが西原前154-6に当たるのではないか。
以上のことから、大河原商業高校は大河原町の飛び地ではなく、柴田・大河原両町に跨がり、全ての校舎とほとんどの敷地が柴田町大字船岡字荻野に属するが、住所は学校発祥の地である大河原町大谷字西原前154-6のままである。以上、個人的推測ですが、たぶん間違っていないでしょう。


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