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千本桜さんの記事が50件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[90542]2016年5月27日
千本桜
[90524]2016年5月21日
千本桜
[90177]2016年4月7日
千本桜
[90174]2016年4月4日
千本桜
[90006]2016年2月23日
千本桜
[89244]2015年12月3日
千本桜
[89233]2015年12月1日
千本桜
[89201]2015年11月27日
千本桜
[89152]2015年11月24日
千本桜
[88725]2015年8月30日
千本桜
[88704]2015年8月25日
千本桜
[88698]2015年8月21日
千本桜
[88665]2015年8月18日
千本桜
[87966]2015年6月27日
千本桜
[87877]2015年5月31日
千本桜
[87630]2015年4月30日
千本桜
[86601]2014年11月4日
千本桜
[85809]2014年7月12日
千本桜
[85629]2014年5月19日
千本桜
[85562]2014年5月5日
千本桜
[85283]2014年4月17日
千本桜
[84571]2013年12月24日
千本桜
[84158]2013年9月29日
千本桜
[83660]2013年7月3日
千本桜
[83623]2013年6月20日
千本桜
[83605]2013年6月16日
千本桜
[83596]2013年6月11日
千本桜
[83278]2013年4月29日
千本桜
[83236]2013年4月28日
千本桜
[83165]2013年4月26日
千本桜
[83138]2013年4月19日
千本桜
[83136]2013年4月19日
千本桜
[83053]2013年3月31日
千本桜
[82958]2013年3月2日
千本桜
[82909]2013年2月19日
千本桜
[82899]2013年2月16日
千本桜
[82898]2013年2月16日
千本桜
[82530]2013年1月5日
千本桜
[82529]2013年1月5日
千本桜
[82422]2013年1月2日
千本桜
[82420]2013年1月2日
千本桜
[82291]2012年12月5日
千本桜
[81889]2012年9月27日
千本桜
[81887]2012年9月26日
千本桜
[81882]2012年9月24日
千本桜
[81874]2012年9月22日
千本桜
[81841]2012年9月15日
千本桜
[81835]2012年9月12日
千本桜
[81441]2012年8月14日
千本桜
[81281]2012年8月9日
千本桜

[90542] 2016年 5月 27日(金)09:55:10千本桜 さん
奥会津と北魚沼の旅
[90525] オーナー グリグリさん
回答いただきましてありがとうございました。A~Jすべて正解です。
 A(会津坂下インターチェンジ)で高速を下り、B(福島県)C(柳津町)の円蔵寺にお参りしました。この円蔵寺、一般的には「柳津虚空蔵尊」の名で知られています。
 そこからD(金山町)のE(沼沢湖)に向かいました。この沼沢湖、以前は「沼沢沼」と呼ばれていましたが、今では「沼沢湖」の呼称が浸透しているようです。二十数年前の曇天の日に訪れた時は、少しおどろおどろしい風景に見えましたが、今回は晴渡った青空の下、透明感のある風景が広がっていました。
 F(只見川)の上流にあるG(奥只見ダム)へ車で行くには、H(新潟県)I(魚沼市)から進入します。今回の旅行で、じいさんたち(平均年齢70歳超)が一番喜んでくれたのは、奥只見ダムへ向かうシルーバーラインです。外の風景が見える訳でもないのに、果てしなく続く長大なトンネルに大興奮。このトンネル自体が観光スポットなのでしょう。
 魚沼市の旧J(小出町)は、私の勝手な都市規模ランキングによると、お隣の小千谷よりワンランク下のはず。それなのに中心商店街がずいぶん立派に見えました。アーケード商店街だけで比較すると、小千谷と同等またはそれ以上に見えました。
 宿泊は湯之谷温泉郷の大湯温泉。一見して温泉街も個々の旅館もぼろぼろに寂れていました。宮城県の人で、この大湯温泉に宿泊経験のある人は極めて少ないと思います。私も初めてでした。こんなぼろぼろの温泉街でも、何か心にグッと来るものがあるはずと思い、朝食前の早朝散歩に出かけました。ありましたね~。じんと染みる昭和レトロの景観が。特に、すずらん通り商店街。商売をやめたのに、看板だけが残るスナック、居酒屋。建物が取り壊された更地からは草の匂いがしてきます。昔は人ごみで賑わったであろう草の匂いのする商店街を歩きながら、大湯温泉に来て良かったと、ひとりしみじみ思うのであった。

[90526] 白桃さん
それにしてもJの街並みは画像で見ただけですが、とても立派ですネ。
市街地の広がりの規模はそれほどでもないのに、小出の街並みは立派に見えました。今までに白桃さんをおつれした(連れ回した)、飯坂、保原、梁川、桑折、藤田、角田、白石、大河原、船岡、槻木、村田、岩沼、登米、佐沼、若柳、築館、高畠、赤湯、宮内、小松の街並みと比較しても、小出のアーケード商店街は光っています。でも、白石は奥の深い町だから、裏道に入ると小出にはない厚みを感じるし、大河原と佐沼は中心街がぼろぼろでも、郊外に形成された商業ゾーンの迫力で小出をノックアウトするでしょう。小出がアーケードを取り外したら、どんな町に見えるのでしょう。

[90527] 伊豆之国さん
「無料」で覗けるこの川に沿って走っているJR線、結局復旧できぬまま(一部)過去帳入りして行く運命になるのでしょうか?
無料で見られる川は「只見川」だと、ご推察いただけて嬉しいです(笑)!
旅行に参加した、じいさん全員、JR只見線の一部運休中を知りませんでした。でも、途中でひとりが異変に気がつきました。ここ、汽車が走っていないんじゃないか? 線路に草が生えてるぞ。すると別のじいさんが、さっき通った駅(会津川口駅のこと)は汽車が走っている雰囲気だったな、と言いました。いや、走ってない、走ってる、走ってない、走ってると、まるでコスモスの花びらをちぎって花占いする状態。結局、走っているのか走っていないのか分からずじまいでした。

[90530] k-aceさん
I市は市街地にJ町だけでなくK村のところがあります。市役所からそれほど離れていない井口新田はJ町ではなくK村という。
K村は湯之谷村ですね。小出の市街地には東から西へ向かって進入しました。そのとき、井口新田を通過したのですが、突然、アーケード商店街が出現してびっくりしました。今は魚沼市ですが、もとの湯之谷村の区域にもアーケード商店街があったのですね。

そういえば大河原商業高校は大河原町の飛び地なんでしょうか? 高校の住所は「宮城県柴田郡大河原町大谷字西原前154-6」で、Mapionでは校舎部分だけ大河原町で、校庭部分含め柴田町に囲まれているように見えますが。
これは、地元でもよく話題になります。でも、大河原商業高校の敷地に関する変遷を体系的にまとめた記述が見当たらないのですよ。敷地の拡張変遷を表した地図があれば最高なのですが、それを求めるのは無理でしょう。そこで、千本桜が勝手に推測します。判断材料は次の4つです。
1、昭和30年代の航空写真
2、ある文献の記述の記憶
3、大河原町史
4、ゼンリン住宅地図
昭和30年代の航空写真を見ると、わずかの宅地が点在する中、農地に囲まれて高校の敷地がポツンとあります。敷地は今より少し狭いが、ほとんど柴田町の領域。でも少しだけ(1割にも満たないかな?)大河原町の領域にかかっている。それがここです。ここを仮に地点Aとします。
ある文献に、船岡海軍火薬廠跡地は柴田町、角田市にほかに、少し大河原町にも食込んでいると書いてあったのを思い出す。その場所がどこか不明であったが、いま思うに、地点Aではないかと推測する。
大河原町史によると「自前の校舎を持たない町立大河原高等女学校が、旧海軍火薬廠の宿舎を買収して、ここに移った」とある。大河原町が柴田町の領域を買収しないだろうから、大河原町域にあった旧海軍火薬廠の宿舎を買収したのだろう。海軍火薬廠と大河原町。2つのキーワードから推測できるのは地点Aである。当時は校舎があれば校庭など要らなかったのかな? とすれば狭い敷地でもOKだったはず。町立大河原高等女学校は後に県大河原高校の時代を経て、現在の県大河原商業高校となる。柴田町に属する学校敷地は、後に拡張されたのではないかと考えられる。
ゼンリン住宅地図からは「大河原町大谷字西原前154-6」の番地を見いだせないが、周囲の地番を追いかけながら推測すると、地点Aが西原前154-6に当たるのではないか。
以上のことから、大河原商業高校は大河原町の飛び地ではなく、柴田・大河原両町に跨がり、全ての校舎とほとんどの敷地が柴田町大字船岡字荻野に属するが、住所は学校発祥の地である大河原町大谷字西原前154-6のままである。以上、個人的推測ですが、たぶん間違っていないでしょう。
[90524] 2016年 5月 21日(土)02:42:50【2】千本桜 さん
ここはどこでしょう
 男(じいさん)7名で1泊2日の旅をしてきました。宮城県大河原町から150kmほど離れたAインターチェンジで高速道を下りる。そこから3桁国道を6km走行してB県C町のとあるお寺に到着。お寺の門前には温泉旅館が数軒あって、ちょっとした観光地。でも、千本桜以外の6名には初めての訪問地というから、その程度の観光地である。
 次に向かったのはD町のE湖。D町は隣県にも同名の町があり、E湖は火山でできたカルデラ湖。決してメジャーな観光地ではないが、5月の青空の下、静寂な美を放つ湖に、じいさん7名は「ほぉ・・・」とため息をつくのであった。
 湖を後に山を下って谷へ下りる。この谷を流れるのは水量豊富なF川で大蛇のように蛇行する。ちなみに、この川を見るのは無料です(笑)。じいさん7名の目的地は、この川の上流にある巨大なGダムなのだが、谷が険しくて道がない。山を越えH県のI市に入り、そこから進入するしかない。
 H県I市は平成の大合併でできた新しい市である。I市の中心は旧J町。「J町の町の中を走ってくれますか」と催促して、車を中心街に進入させる。千本桜以外のおじさん6名は町並みなどに興味はない。しかも、J町など名前すら聞いたことがない。山の中の小さな町だと思っているのだ。
 「それでは本町通り商店街に入ります。ここがJ町の中心街です。立派なアーケード商店街でしょう」と話しながら進むうちに、おじさんたちに変化が出はじめた。「なんだここは、大河原よりでかいぞ!」そんな声を聞きながら、千本桜はにんまり。
 「はい、次。その信号を右折して」と横町商店街へ誘導。「ありゃ、ここも立派なアーケードだなや~」と驚きの声。四日町交差点で「そこを右折して!」と指示を出し、さらに次の交差点でも「右折して!」と指示を飛ばしながら浦町商店街へ進入。またまた出現したアーケード商店街に「おぉぉ」と、おじさんたちのボルテージが上がっていく。
 「次は市役所前の通りを横切るから左を見て」と南本町商店街へ目を向けさせる。そこにも立派なアーケード商店街があることを確認したおじさんたちはハイテンション。「仙台みたいだ!」と言うおじさんもいたりして。いくら何でも、それはオーバーと釘を刺しながら、次のような質問をしてみた。
 大河原みたいに迫力満点のロードサイド商店街を形成しても、中心街をみすぼらしいまま置き去りにした町と、J町のように、ロードサイド商店街は少し物足りないかもしれないが、中心街が立派に見える町。どっちが良いと思う? ひとりのおじさんが即座に、J町が良いと返答してくれました。
 ちなみに、人口集中地区人口は大河原が約15,000人、J町はその3分の1で約5,000人。しかも、広域行政センターとしての役割は大河原の方がずっと大きい。それなのに、この中心街の賑わいの逆転劇。宮城県の都市の中心街って、仙台以外は全般的にみすぼらしく見えてしまうようです。

A~Jに該当する町名・川名などを答えてください。

書き込み訂正機能を用いて「次は市役所前の通りを横切るから右を見て」を「次は市役所前の通りを横切るから左を見て」に訂正。さらに、文章を少し書き加えました。
[90177] 2016年 4月 7日(木)06:18:42千本桜 さん
超特急さくら」停車駅誘致合戦 大河原駅vs船岡駅
[90176] 伊豆之国さん
今年の桜前線はまさに「超特急」ですね…。
一目千本桜は大河原町と柴田町に跨がって連なる桜並木ですが、
それぞれの町がそれぞれに桜まつりを開催しています。
おおがわら桜まつりは4月7日(木)~4月21日(木)
しばた桜まつりは4月2日(土)から4月24日(日)
樹によって個体差はありますが本日、おおがわら桜まつり会場の桜は満開になったようです。
一般の花見客は大河原か柴田かなど意識しないでお花見を楽しんでいますが、
地元民となると気になることが多々あります。
一目千本桜は大河原のものと思い込んできた「のほほん大河原町」。
そうはさせじと観光戦略を練ってきた「バリバリ柴田町」。
昨年までは大河原町の花見客数が柴田町を上回っていましたが、今年は逆転されそうな予感がします。
なにかにつけて実力が拮抗している両町ですが、ここにきて柴田町の戦略勝ちが表面化してきました。
桜まつりとは直接関係はありませんが、明治20年に開業した古参・大河原駅の乗客数が、
2014年度をもって、昭和4年開業の新参・船岡駅(柴田町)に抜かれてしまいました。
マイクロマガジン社発行の「これでいいのか宮城県」で、
「人よりこけしの方が多い?白石は仙南の中心都市から脱落!?」
「ゆっくりと廃れて行く仙南の秘境(?)角田)」と揶揄される2つの市を尻目に、
大河原町と柴田町は仙南の中心都市に向かってシーソーゲームをしてきましたが、
どうも、このところ大河原町に弱体化のかげりがみられます。
どうぞ皆様、この「のほほん大河原町」に活を入れるために、お花見にきてください。
一目千本桜ライブカメラ
[90174] 2016年 4月 4日(月)21:21:49千本桜 さん
これでいいのか足利市!
先日、とあるサークルから届いた研修旅行先一覧に、なんと「群馬県足利市」と書いてある。
このサークルには、いわゆる有識者と呼ばれる人が何人もいるのだが、地理には興味がないらしい。
「茨城県北茨木市」などと踏み外し、「栃木県草加・春日部・那須・黒羽・白河」へと突っ走るのである。
「栃木県草加・・・」って、なんじゃい。どうやら、県と市町村の関係など、どうでもいいようである。
[90006] 2016年 2月 23日(火)06:18:14千本桜 さん
国勢調査速報
[90005] 白桃さん
それにしても、国が公表する前に33道府県で速報が発表されている状況を、そしてまた、岐阜県、愛媛県、福岡県では一部の市町だけで公表されている状況をどう考えてよいのでしょうか。
どう考えて良いのか分かりませんが、こんなに速く情報が飛び交うと「知ることの感動」が薄れてしまいますね。昔は国勢調査の市町村別人口が新聞に掲載されるのを待ちこがれ、食い入るように読んだものですが、今はパソコンの画面で読み流しているだけ。さっぱり頭に残りません。
ところで、速報値の発表がこんな状況なら、確定値の発表も各県・各市町村ばらばらなのでしょうか。人から聞いた話ですが、4月(当然、今年の)には0町の確定値が分かるのだそうです。本当に、こんなに速く分かるものなのでしょうか。
[89244] 2015年 12月 3日(木)22:11:03千本桜 さん
「ここはどこ?」
「ここはどこ?」
1多々羅大橋
2山中湖
3美瑛町(いろずーさん、k-aceさん、ぺとぺとさん、今川焼さんの回答と白桃さんの人口ヒントから判断し、富良野市から鞍替えします。)
4浜名湖
5佐世保市
6伊方町
7南国市
8砺波市
9南牧村(今川焼さんの回答と白桃さんの人口ヒントから判断し、防府市から鞍替えします。)
10霞ヶ浦
11掛川市(Nさん、ぺとぺとさんの回答と白桃さんの人口ヒントから判断。)
12小淵沢IC(今川焼さんの回答と白桃さんの人口ヒントから判断。)
13精進湖
14長浜市(今川焼さんの回答と白桃さんの人口ヒントから判断。私にとってこれが一番の難問でした。)
15古宇利島(k-aceさん、ぺとぺとさんの回答と白桃さんの人口ヒントから判断。)
16調布市
17神戸市
18高山市
19舞子海上プロムナード(白桃さんの人口ヒントから判断し、渦の道から鞍替えします。)
20片品村
21南紀白浜空港
22屈斜路湖
23広島市(今川焼さんの回答と白桃さんの人口ヒントから判断し、富山市から鞍替えします。堀ではなく川なのね。広島を富山と間違えるなんて、この問題が一番に悔しい。)
24佐倉市
[89233] 2015年 12月 1日(火)21:05:23千本桜 さん
「ここはどこ?」へ挑戦
[89221] オーナー グリグリさん
オフ会二次会で実施したクイズ企画「ここはどこ?」をオフ会記録ページに公開しました。
この種のクイズは好きですが、今回のは難しいですね。

簡単に解けたもの。
4浜名湖、5佐世保市、7南国市、10霞ヶ浦、13精進湖、17神戸市、19渦の道、20片品村、21南紀白浜空港

少し迷ったもの。
3富良野市(美瑛か富良野か迷った)
6伊方町(直感で原発だと分かったが場所が特定できず。何となく『伊方 原発』で検索したら一発でヒット)
8砺波市(直感で砺波平野だと分かったが自治体特定できず。集落名『西中』で砺波市と特定できた)
16調布市(市街地の中に飛行場があるので)
18高山市(御岳か乗鞍か迷った)
22屈斜路湖(三方五湖かと勘違いしたが、中島があるので屈斜路湖)

かなり迷ったが、たぶん正解と思われるもの。
1多々羅大橋(しまなみ海道の橋をシラミつぶしに検索した結果、多々羅大橋と判明)
2山中湖(直感で白樺湖かと思ったが船が異なるようだ。山中湖だとすると、背後の冠雪した山並みは何)
24佐倉市(砺波市、小矢部市に惑わされた)

不正解かもしれないが。
9防府市(自信なし。しかしパラボラアンテナがこんなにあるのは防府しか考えつかない)
23富山市(中心街の総曲輪あたりから日本海方面を見ているように思えるのだが、自信なし)

これから晩ご飯です。時間切れお手上げ、難しい。
11、12、14、15
[89201] 2015年 11月 27日(金)06:34:33千本桜 さん
南砺市、砺波市、大館能代空港
[89155] 白桃さん
南砺市の市役所は福野にありますが、位置的に言っても偏りすぎてませんか?
相馬藩は伊達藩の侵入を防ぐために、あえて北辺の中村(相馬市)に城を築いたそうです。
そのような地政学をあてはめると、南砺波市が福野に市役所を置くのも納得できそうです。
福光に市役所を置けば、福野、井波などは出町(砺波市)に侵略されそうな感じがします。
あくまでも想像ですが、底辺には福光の衰退と出町の発展が作用しているような気がします。

[89169] 白桃さん
今回のオフ会が開催された富山県にある10の市の中で、南砺市と砺波市には無いものがあります。
人口集中地区ですよね。以前から砺波市の市街地(人が住んでいる住宅地)の小ささが気になっていました。
でも、土地区画整理も積極的に行われているようで、新市街地(ただし、住宅地というより業務地区)の
拡大が進行しているのではないでしょうか。出町(砺波市)はどんな町なのでしょう。見てみたい。

[89194] MasAka さん
飛行機に乗れる道の駅はもう1ヶ所、大館市にあるようです。
「道の駅」大館能代空港の所在地は北秋田市ですね。
[89152] 2015年 11月 24日(火)23:45:26千本桜 さん
福光
[89149] 白桃さん
城端、福光、福野、井波を周れたのが何よりでした。
個性豊かな町を見学されて良かったですね。
福光は「痩せても枯れても武士は武士」と、自己主張しているように見えませんでしたか。
宮城県の佐沼や大河原は市街地が拡大して、都市として一回り大きくなりました。
でも、都市機能は新市街へ移転して、旧来からの中心街は色あせてしまいました。
それに対し、福光は市街地が拡大しません。都市としては痩せて行く一方でしょう。
でも、新市街地がないから、都市機能は旧来の市街地内にとどまっているはずです。
旧来からの中心街を比較すると、佐沼や大河原より福光の方が商業都市の面影を残していると
推察するのですが、いかがでしたか。たぶん、福光は「腐っても鯛」かも。ちがいますか?
[88725] 2015年 8月 30日(日)08:37:38千本桜 さん
もろもろ
気分はすでに秋なのに、昨日は「村の鎮守」の夏祭りでした。延喜式神社の「大社」が、現代においてどれほどの価値?があるのか分かりませんが、この神社は全国に285座ある延喜式内大社の1つです。
[88708] hmt さん
「刷り込み」は、簡単には修正されません。
同感です。いまだに上越市より高田・直江津の方が分かりやすいです。奥州市に至っては水沢・江刺でないと困ったりして。さらに、私の場合、江刺よりも岩谷堂の方に親しみを感じるのは、行政体よりも都市集落に興味があるからだと思います。

[88705] 白桃さん
ブタ&ペスト、セントポール&ミネアポリス、伊田&後藤寺は世界三大拮抗複眼都市ですね。
最近は耳にしませんが武漢三鎮というのもありましたね。武昌、漢陽、漢口。この地名は、幼少のころ、中国好きの父親から叩き込まれて刷り込まれています。後藤寺と伊田は昭和40~50年代の5万分の1地形図によって刷り込まれました。当時は地形図から判断して、少し後藤寺の方が大きな町だと思っていましたが、どうも簡単には言い切れないようです。

[88714] かぱぷうさん
「どちらかに軍配をあげなさい」となったら…明るい伊田にします。
いろいろ調べてみると、私もそんな気がしてきました。平成27年分の田川税務署管内最高路線価は、中心街を離れた国道201号サンリブ田川店前で、1平方メートルあたり34,000円。伊田中心街の最高額は33,000円。後藤寺中心街の最高額は28,000円。それに、田川都市計画を見ると、伊田駅周辺が中心拠点、後藤寺駅周辺が副拠点になっているんですね。複眼都市でも、結局はどちらかに絞られていくのでしょうか。

[88722] ぺとぺとさん
商業地域および近隣商業地域
たぶん全国的傾向でしょうが、用途地域の中の商業地域から商業施設が逃げ出していますね。私などは、商業地域内で買物をすることは滅多にありません。せいぜい飲食店を利用くらいです。大河原町や柴田町では近隣商業地域や準工業地域が商業活動の場になっています。角田市ではなぜか第1種・2種住居地域に郊外型店舗が並んで、市内随一の商業地になっています。用途地域の商業地域から商店がなくなり、アパートや一般住宅になっていくのを見ていると、用途地域とは何ぞや?と感じます。
[88704] 2015年 8月 25日(火)05:25:48千本桜 さん
伊田と後藤寺
[88701] 白桃さん
1943年に伊田と後藤寺の2町が合併して成立した田川が、戸畑に代わってランクインします。
複眼都市「田川」の伊田君と後藤寺君。過去における両者の人口推移を教えてください。
♪「筑豊一代」渋くていい歌です。

[88702] かぱぷうさん
田川市の栄光がこれほどとは!
飯塚、直方、田川を見ないまま一生を終わりそうで、こころ残りです。
ところで、田川の後藤寺と伊田を「まち歩き」したなら、
どちらの方に都市としての中心性を感じるものなのでしょうか。
[88698] 2015年 8月 21日(金)06:35:27千本桜 さん
御礼
甲子園が終わって、一気に秋へ突入しました。毎年、この時期が一番さびしい。
昨夜は、橋の上から灯籠流しを見ておりました。

[88670] hmtさん
二百以降は(お)で、二百(ふたお )みお よお いお むお ななお やお ここのお ・・となる。
百を「お」と読むのは大和言葉だったのですね。
二百(ふたお)、七百(ななお)、九百(ここのお)については初めて知りました。
御陰様で、一つ知識が増えました。ありがとうございます。
[88665] 2015年 8月 18日(火)05:32:35千本桜 さん
百千家満&地方銀行
[88659] hmtさん
「ちやま」に「千家満」を宛てたのはよいとして、「お」を「百」に変えたのは荒療治。
確かに「百千家満」は難読ですね。私も読めませんでした。
しかし、「お」に「百」の字をあてるのは、それほど無理ではないと思います。
三百(みお)、四百(よお)、五百(いお)、六百(むお)、八百(やお)がありますからね。
八百屋はポピュラーで、地名好きには八百津もポピュラー。
でも、二百、七百、九百については、「お」と読むかどうか不明です。
そこのところをhmtさんに調べていただいて、解説していただけるとありがたいです。
時間に余裕があるときで結構ですので、よろしくお願いいたします。

[88660] 桜通り十文字さん
銀行の支店。私も興味深く拝見致しました。
なんの検証もしていなのですが、なんでこの都市に支店が?と感じたものを書きます。
秋田銀行の旭川支店・いわき支店、横浜銀行の桐生支店、スルガ銀行の仙台支店、阿波銀行の横浜支店。
また、それとは逆に、北海道銀行が深川市に支店を置いていないのは、なんでかな?と思いました。
[87966] 2015年 6月 27日(土)21:45:54千本桜 さん
県別トップ3
[87958] 白桃 さん
ここまでも 人口減るか 秋の暮れ
天才です。地理と文学の融合が素晴らしい!

[87959] N さん
自分でもトップ5を自信もって言えるのは三重県と鳥取県ぐらいです…(汗
鳥取県のトップ5を言えるのは素晴らしい!…(汗

[87965] 鳴子こけし さん
トップ2であれば、例えば岩手県(盛岡・一関)
岩手県のトップ2は意外に難しいような気がします。
いまどき盛岡・釜石と答える人は絶滅危惧種でしょうが、
あんがい盛岡・北上も多そうですし、盛岡・奥州や盛岡・花巻も食込んで来そうな感じ。

“新潟・長岡・直江津”の答えも出てくるかも?
新潟・長岡・高田の方が出てきそう。直江津よりも高田が出てくるのは老齢だからかな。
[87877] 2015年 5月 31日(日)08:37:19千本桜 さん
新聞広告に記載された地名で遊ぶ
地名の羅列を見るのは楽しい。
あれこれ想像力を掻き立ててくれるからである。
今朝の新聞に、似たような内容の広告が3本掲載されていました。

その1本目。
「使っていない農機具お売りください!!宮城県全域どこでも無料で出張査定!!」
と呼びかけて、仙台・石巻・塩釜・気仙沼・白石・名取・角田・多賀城・岩沼・登米・
栗原・東松島・大崎・大河原・亘理の順に13市2町の名を記載している。
宮城県全域どこでも無料なら、特定の市町村名を記載する必要はないだろうに、
あえて特定の市町名を掲載するクライアントの気持ちが分からない。
仙台から大崎までの13市をコード順に並べているようだが、
なぜ大河原・亘理の2町まで列記したのか、その心理が分からない。
使っていない農機具なら、大河原町より加美町・美里町などに多く転がっている筈だが、
クライアントおよび広告代理店には、そのような地理的発想はないのだろうか?

その2本目。
「あなたの農機具買取ります!!宮城県内どこでも無料でお伺いします!」
と言いながら、仙台・気仙沼・石巻・登米・栗原・角田・塩釜・大崎・名取・白石の順に
10市の名を記載している。
宮城県内どこでも対象地域なら、特定の市町村名を記載する必要はないだろうに、
あえて10市を掲げるクライアントの気持ちが分からない。
東松島・多賀城・岩沼の3市を無視しているのも変だが、並べ方がもっと変である。
県北の栗原から一気に県南の角田に飛んで、県央の塩釜に向い、県北の大崎へ進む。
地理的センスを感じさせない並べ方だと思いませんか?

その3本目。
「トラクター・田植機・コンバイン等、農機具現金買取。宮城県内出張査定無料」
としながら、仙台・石巻・大崎・登米・角田・白石の順に6市の名を列記している。
宮城県内どこでも無料出張するなら、あえて6市の名だけを掲載する必要はない筈である。
さらに突っ込めば、なぜこの6市を選定したのか見当がつかない。
白石よりも栗原あたりに買取対象の農機具が眠っていそうな気がするのだが、
クライアントおよび広告代理店の気持ちが分からない。

広告は単に「お飾り」として地名を羅列しているのだろうか?
[87630] 2015年 4月 30日(木)23:07:36千本桜 さん
われわれは栗原と角田
宮城県関連の書き込みです。
栗原市の4月1日推計人口が7万人割れして69,992人に、角田市も3万人割れして29,975人に。
どちらも7万人、3万人には二度と戻って来ないだろ、♪そんな気がする夕日の波止場~
なぜか及川三千代さんの昭和歌謡が身にしむ夜です。

[87613] 山野 さん
「市」になるにしても、まずは前提条件である国勢調査で、最低でも5万人無いと駄目ですね。
調査はそれからでも遅くは無いと思うが、ちと節操じゃありませんか。
「節操」は「尚早」の誤りかと思いますが、決して時期尚早ではないと思います。
富谷町は2016年4月の市制施行を目指しています。
2015年10月1日に実施される国勢調査の人口速報は2016年2月頃に発表される筈ですが、
その結果を待って動き出すのでは遅すぎます。

「人口水増し」
富谷町は計画人口11,000人の新富谷ガーデンシティをはじめ、大規模住宅団地が多数造成され、
確実に人口が増えています。水増ししなくても5万人を突破すると思います。
ちなみに、旧来の中心市街地は奥州街道の宿場町で、とても鄙びています。
[86601] 2014年 11月 4日(火)06:25:44千本桜 さん
佐久にて
[86596] 伊豆之国 さん
軽井沢・佐久と小諸の比較にも興味を惹かれます

名目は「研修旅行」、でも実態は「宴会旅行」が相次ぎ、体力と経済が破綻しかけているこのごろです。
草津・軽井沢方面には先月、二度行きました。
主催者は異なりますが、二度とも同じ観光ドライブインで同じ内容の昼食を頂き、
泊まる旅館も同じなら、通された部屋の階数も同じという味気ないものでした。
これだけなら我慢できるのですが、ストレスがたまるのは、団体旅行ゆえに自由行動がとれないこと。
佐久IC近くの大型観光ドライブインで昼食。同行者たちはその後、楽しそうにお買い物。
でも、私は買物に興味なく、そこから1500m離れた佐久平駅周辺の変貌ぶりを見たいのである。
一つの自治体(佐久市)の中で展開する岩村田vs中込vs野沢vs臼田の地区間競争を見たいのである。
でも、それができない。
思い余って、ドライブインの店員さんに直撃インタビューしました。
私:ここは岩村田ですよね。岩村田は中込に負けたと思っているんでしょうか?
店員:でも、今では勝ったと思っています。
たったこれだけの会話でしたが、もやもやが晴れて胸がすーっとしました。
こんな質問をする観光客は少ないと思うけれど、即座に返答できた店員さんって、地域好き・地理好きなのかな。

ガイドさんの珍答
小諸市内で鉄道の線路を見た同行者が「これは何線」とたずねたところ、ガイドさんは「小諸線」と答えました。
[85809] 2014年 7月 12日(土)18:25:55千本桜 さん
安足
[85805] じゃごたろ さん

栃木県には足利市と栃木市を管轄区区域とする「安足土木事務所」というのがあります。
安足土木事務所の管轄区域は足利市と佐野市です。

「足」は足利市のことですが
足利市ではなく足利郡の「足」と解釈するのが自然ではないでしょうか。

「安」はなんだろうと思ったのですがどうやら「安蘇郡」の「安」のようです。なんでここで古い「郡名」が名称に採用されたのだろうか、と疑問に思いました。
岩手県の胆沢郡と江刺郡を指して胆江と呼ぶように、安蘇郡と足利郡を併せて安足と呼ぶ習慣があるからだと思います。安蘇郡も足利郡も消滅したのに、地域名としての安足はまだ生きているのでしょう。
ところで先月、胆江地域を旅してきました。前沢(奥州市前沢区)で前沢牛のステーキを食べながら、思うのは水沢(奥州市水沢区)のこと。かつては一関・北上・花巻を凌ぐ商業吸引力を持っていた水沢ですが、徐々に力が弱まってきているように感じます。
[85629] 2014年 5月 19日(月)19:30:50千本桜 さん
祝!50万人超え
河北新報の記事によると、一目千本桜で知られる大河原・柴田両町の合計花見客数は今春、初の大台50万人超えを達成したそうです。内訳は大河原町が26万3千人、柴田町が24万8千人でほぼ互角。商圏拡大をめぐり抜きつ抜かれつのシーソーゲームをしているうちに、近隣の白石・角田両市を凌ぐ商業ゾーンに発展した2つの町は、花見客獲得においても激しいデッドヒートを展開中です。大方の町民はこのような状況に無関心ですが、敏感に反応してしまう人たちもいます。2町に跨がり8.5kmも連なる一目千本桜を、大河原町の物だ!、柴田町の物だ!と熱くなるのは悪いことではないと思います。要はアイディアを出し、ぶつかりながら全体が伸びて行ければ良いのです。現在、東北地方の花見客数は、1位が青森県弘前公園、2位が秋田県角館の桧木内川堤&武家屋敷、3位を岩手県北上の展勝地と一目千本桜(船岡城址公園を含む)が競っているようです。弘前、角館、北上の花見はゴールデンウィークの観光客を呼び込めますが、そうではない一目千本桜、なかなか健闘していると思います。
昭和の合併も平成の合併も不発に終わって市になれなかった大河原と柴田(船岡)。小規模ながら常に都市間競争に晒されているようで胸がきりきりしますが、合併したとしても同一自治体内での地域間競争に晒されるのでしょうね。根本的には盆地地形のせいではないでしょうか。大河原盆地と船岡盆地の盆地間競争に思えて仕方ありません。大河原・柴田両町とも日本創成会議とやらの「消滅の可能性が高い自治体」ではないし、合併しなかったから何か支障をきたしているという話も聞かないし、平成の大合併って何だったのでしょう。
[85562] 2014年 5月 5日(月)06:33:08【1】千本桜 さん
伊達郡の都市間競争
明治22年4月、町村制施行と同時に福島県伊達郡には4つの町が誕生しました。川俣町、梁川町、保原町、桑折町です。当時、東北地方の郡で町が4つも誕生したのは伊達郡だけだったようです。地理的に離れている川俣町は別として、梁川、保原、桑折の3町が自らの盛衰をかけて熱き都市間競争を展開するのは必然の状態でしょう。語り継がれているできごととして、伊達橋騒動(伊達橋騒動2)伊達郡役所移転問題があります。明治16年、郡役所は保原から桑折に移されましたが、保原はその悔しさを100年たっても忘れない。郡役所移転から105年後の昭和63年、阿武隈急行線保原駅が開業。保原駅舎は桑折の旧伊達郡役所を模して造られました。その姿は、保原こそが伊達郡の中心、伊達郡役所が置かれるにふさわしい町であると無言で訴えているようです。
以前にも伊達郡役所に関して書き込みしたのを思い出したので調べてみました。ありました。10年以上も前のことですが、私の書き込み[23206]「桑折駅」に対する、こおりさんの書き込み[23235]「伊達郡役所」です。

数字で見る伊達郡4町の盛衰
(平成18年に伊達市が誕生し、梁川・保原両町は消滅しましたが、現在も存続していると仮定して書きます。)

「DID人口推移」
DID人口昭和35年昭和45年昭和55年平成2年平成12年平成22年
川俣町7,4727,0666,6585,1474,2413,293
梁川町5,5547,1676,8696,5515,9125,554
保原町5,6607,7889,15410,44510,643
桑折町5,2004,4543,6924,6785,120

「行政人口推移」
行政人口昭和35年昭和45年昭和55年平成2年平成12年平成22年
川俣町25,98322,74721,09920,00117,75115,569
梁川町24,68823,65322,92122,21721,38518,749
保原町21,33922,13323,85925,08124,89123,654
桑折町15,81414,72314,90114,69213,70012,853

第1回DID人口調査が行われたのは昭和35年。当時は保原町・桑折町がDID未形成で、DID人口・行政人口ともに川俣町が1位だったのですね。ここに掲載した数字から判断すると、昭和45年においても保原より梁川・川俣が優位に見えますが、都市としての実態は違うような気がします。だって、40年前のことだけどヤクルト配達のおばちゃん(保原町出身)が、伊達郡の中心は保原!と断言してましたから。梁川より保原の方が大きい!と自信たっぷりに話してくれたヤクルトおばちゃんの言葉に嘘はないと思いたい。
それにしても、梁川って不思議な町ですね。伊達政宗の御先祖様の本拠地という過去はあるものの、近代史において伊達郡の中心・伊達郡の拠点という経歴はないはず。それなのに、あの奥行きと風格のある町並みはどこから来るのだろう。

書き込み訂正機能を用い(伊達橋騒動2)のリンクを変更しました
[85283] 2014年 4月 17日(木)06:20:50千本桜 さん
桜前線は東北地方を北進中です。宮城県南部の桜名所・一目千本桜は12日に満開となり、好天に恵まれた13日の日曜日は過去最高の人出を記録したようです。昨日は桜吹雪がはらはらと舞って松阪慶子様状態から岩下志麻様状態に突入。岩下志麻様を「まだまだ見れる!」と感じるか否かは人によって異なると思いますが、彼女と一目千本桜の名誉のために、「まだ見れる!」としておきます。でも、今度の日曜日あたりは若尾文子様に変身しそうな状況です。
いま、アトリエのブラインドを上げたら今朝も快晴。目の前の桜、「まだ見れる!」です。

[85281] 白桃さん
海に面している自治体すべてが「市」ではない都道府県がひとつだけあります。
それはどこでっしゃろ?
クゥーッ! 区や市いけれど難しすぎてわからない。(笑)
[84571] 2013年 12月 24日(火)03:52:56千本桜 さん
三本松市街、屋島市街
[84567] 白桃さん
DID人口に三本松に隣接する旧)誉水村の一部が含まれている可能性、また、旧)三本松町の中に在りながらDIDに含まれていない人口の可能性があります。
地図から判断すると、1970年国勢調査における大内町DIDは、旧三本松町と旧誉水村の横内・中筋地区に跨がっています。しかし、大内町DIDに占める横内・中筋地区の面積は僅かであり、全体の10%に満たないと推察します。大部分が三本松の領域で占められていますから、大内町DIDは三本松市街地のことと受け止めても良いと思います。大内市街地という言い方は馴染みません。

ところで、1970年国勢調査の高松市II DIDについてお尋ねします。「高松市II 」の場所を分かりやすくするために固有地名を用いた名称を付したいと思います。次のうち、どれが適切でしょうか。

1・高松市II は屋島と高松町に跨がる市街地です。しかし、高松町にJR屋島駅が所在するため、高松町を屋島の一部だと思っている人も多く、居住地を尋ねられると「屋島です」と答える高松町住民も多いかと推察します。従って高松市II は「屋島」と表わすのが簡単明瞭で良いと思う。

2・高松市II における屋島と高松町の面積比率は、大雑把にざっと見て、屋島が60%~65%を占め、高松町が35%~40%を占めているように見えます。高松町の面積比率を考慮し、「屋島・高松町」と連記するのが良いと思う。

3・1970年当時を思えば、世間では新地名の高松町より旧地名の古高松が汎用していた可能性があるので、「屋島・古高松」と連記するのが良いと思う。
[84158] 2013年 9月 29日(日)01:11:36千本桜 さん
四文字地名「犬卒都婆」
四文字地名で好きなのは、[84124]でグリグリさんが書いておられる津軽の五所川原(ごしょがわら)です。どこか野暮ったくて力強い語感が好きです。かつて五所川原には百貨店が3つもあり、小規模な市街地なのに濃密な商都の雰囲気がありました。小さな体で王者・弘前に立ち向かっていた頃の五所川原は魅力的でした。

四文字地名と言えば、宮城県白石市白川の犬卒都婆も妖し気で魅力的です。公的な読みは「いぬそとば」ですが、地元民は「いのそとわ」と呼び合っています。なぜ、「いぬ」が「いの」と発音され、「ば」が「わ」と発音されるのか、幼少の頃より今日まで謎のままです。

「白石市の文化財」という図書は、犬卆都婆碑について次のように記しています。まず、碑の場所を「白石市白川犬卆都婆岩の上」と記しています。このように、「大字」や「字」という接頭辞を付さない住所表記を見るたびに、「白川犬卆都婆岩の上」が9文字で1つの地名であり、切り離せない地名だと思う人がいるのではないか。切り離すにしても、どこで区切れば良いのか分からないのではないかと心配になるのです。

ちなみに、「白川犬卆都婆岩の上」は3つの階層から成り立っています。
「白川」は明治22年に犬卆(卒)都婆村ほか4村が合併してできた自治体で、明治22年~昭和29年は刈田郡白川村、昭和29年~現在は白石市白川です。
「犬卒都婆」は江戸期からの村で、明治22年までは刈田郡犬卒都婆村、明治22年~昭和29年は刈田郡白川村大字犬卒都婆、昭和29年~現在は白石市白川犬卒都婆です。
「岩の上」は犬卒都婆の小字で、明治22年までは刈田郡犬卒都婆村字岩の上、明治22年~昭和29年は刈田郡白川村大字犬卒都婆字岩の上、昭和29年~現在は白石市白川犬卒都婆字岩ノ上です。
なお、白川地内にはJR東北線の北白川駅がありますが、同じ東北線の白河駅との混同を避けるため、北白川駅としたそうです。

落書き帳には、地名由来や地名伝説に興味を持たれている方も多いと思いますので、「白石市の文化財」という図書に記してある「犬卆都婆碑」を、そのまま引用します。
大型の碑で文字は判読できなくなっているが、小野篁(おののたかむら)が大いのししを退治した時、協力した盤司三郎の愛犬を供養した卆都婆石という。堂山の虚空蔵様にちなむ伝説の碑。
一説には阿部則任の供養碑とも、また犬とめおとになった者の供養碑とも伝えられる。地名の犬卆都婆はこの碑から起こったという。
※阿部則任の「部」は誤植で、阿倍則任が正しいでしょう。

もっと犬卒都婆について知りたい方のために。
千葉県にお住まいの方が、「猫の神様を求めて」と言うブログで、「犬卒塔婆」とは?。本当に「犬」で、本当に「卒塔婆」か?。旧「犬卒都婆村」についての覚書。もう一つの徳本寺の犬供養など、かなり詳しく書いておられますので、どうぞ。

追伸
なぜ、「いぬ」が「いの」と発音され、「ば」が「わ」と発音されるのか、幼少の頃より今日まで謎のままです。
と、書きましたが、偶然にも今、ウィキペディアで卒都婆小町(そとばこまち)と言う能楽があることを知りました。観世流では「そとわこまち」と言うそうです。「婆」を「わ」と読むのですね。犬卒都婆と言う地名の公式読みは「いぬそとば」なのに、なぜか地元の人は「いのそとわ」と呼びます。その謎解きの糸口になりそうですが、私には理論的に整理できません。どなたか、なぜ「いぬ」が「いの」と発音され、「ば」が「わ」と発音されるのか、教えて頂けませんでしょうか。
[83660] 2013年 7月 3日(水)06:49:23千本桜 さん
地域経済
[83619] にまんさん
富谷町の市制施行に向けての動きやトヨタ自動車東日本の工場進出で、何かと話題が多いのが宮城県黒川郡。黒川郡の人口は9万人ですが、鉄道駅がなくバスへの依存度が高い地域でした。それに加え、トヨタ自動車東日本(株)の稼働で地域経済が活発化して交流人口が増えているようです。そのような背景があって、黒川郡の中心地・大和町吉岡にバスターミナルができたようです。

地域経済の活発度は、有効求人倍率からも推察できそうです。宮城県内に10箇所ある職業安定所の中で、最も有効求人倍率が高いのは黒川郡を管轄するハローワーク大和。それに対し、県南部の景気はパッとしません。県南部は大河原と白石にハローワークがありますが、どちらも有効求人倍率は低率で、県内の最下位争いをしています。

2013年の有効求人倍率
1月2月3月4月5月
ハローワーク大和1.701.761.741.711.58
ハローワーク大河原0.650.710.750.600.67
ハローワーク白石0.640.730.790.630.64

昨日、国税庁より平成25年分の路線価が発表されました。最高路線価と上昇率の都市間比較をしてみます。なぜか特例市の伊勢崎市より評価額が高い高知県いの町。なぜか、いの町より評価額が低い伊勢崎市。地域経済が低迷する宮城県南部の白石市、大河原町、柴田町、角田市。地域経済が活発化する宮城県中部の大和町。以上7市町の比較です。宮城県内の都市間比較をしている分には、なるほどなるほどと納得できるのですが、四国や関東の都市が加わると、路線価って何じゃいという感じになりますね。

1平方メートルあたりの最高路線価(当該自治体における最高評価額)の推移と、23年~25年の上昇率
23年分24年分25年分上昇率
高知県 いの町87,00078,00072,000-17.24
群馬県 伊勢崎市61,00058,00055,000-9.84
宮城県南部 白石市42,00040,00037,000-11.90
宮城県南部 大河原町38,00036,00035,000-7.89
宮城県南部 柴田町33,00032,00031,000-6.06
宮城県南部 角田市27,00025,00024,000-11.11
宮城県中部 大和町27,00027,00028,0003.70
[83623] 2013年 6月 20日(木)23:34:42千本桜 さん
もう一度「字」の省略について
[83606] ぺとぺと さん
ところで上述の住所録上、大河原営業所の住所は「柴田郡大河原町?町」と字表記なし、角田営業所の住所は「角田市角田字?町」と字表記ありとなっていましたが、千本桜流でいうとこれらはアリでしょうか。

私の場合、「字」と言う字句を省いて大河原町町と書いたことがなく、必ず「字」を付して大河原町字町と書きます。角田市の場合も「字」を省かずに角田市角田字町と書きます。全国的に見れば町と言う小字名は珍しいようですが、宮城県では田尻字町、富谷字町など、あちこちに点在します。岩手県一関市にも千厩字町、藤沢字町、花泉字町などがあります。しかし、大河原町の字町は他と異なる点があります。他は、大字の中に小字がありますが、大河原町字町は大字がなくて自治体名の直ぐ下に町と言う名の小字があります。「字」という字句を省くと、自治体名に付く「町」と小字名の「町」がくっついて、大河原町町になります。感覚的な事でしょうが、馴染めない表記です。

大河原町字町と同じケースが、かつて徳島県にもありました。貞光町字町です。「字」という字句を省くと貞光町町になります。貞光町は平成の合併で、つるぎ町になり、現在は貞光を大字として扱い、つるぎ町貞光字町と表記するようになっています。しかし、マピオンは字町の「字」を省いて、つるぎ町貞光町と記載しています。平成の合併前に存在した自治体の貞光町と混同して紛らわしいですね。

仙南広域行政圏に属する市町の「大字」と「字」の扱い方を見てみます。仙南圏は2市7町ですが、丸森町については確信が持てない点があるので除外し、2市6町を対象とします。この地域には「字」という字句を付す区域と、付さない区域があります。「字」を付さない区域は、白石市と柴田町の住居表示実施区域および柴田町の町名地番整理区域です。白石市大手町柴田町北船岡二丁目などが住居表示実施区域で、柴田町西船迫二丁目などが住居表示を実施したかのように見える町名地番整理区域です。柴田町の場合、既成市街地には住居表示を実施し、農地などを土地区画整理して生まれた新市街地には町名地番整理を施しているように見受けました。今回のテーマは「大字」と「字」の扱い方ですから、「字」を必要としない住居表示実施区域と町名地番整理区域は除外して前に進みます。

仙南2市6町の住所のうち、「字」を表記するものは下記の4種類に分類できます。

旧村名接頭辞大字名接頭辞小字名行政上の正式表記マピオンの表記
類型1越河----白石市越河平字入白石市越河平入
類型2----大字円田曲木畑蔵王町大字円田字曲木畑蔵王町円田曲木畑
類型3--------草刈谷地角田市岡字草刈谷地角田市岡草刈谷地
類型4------------宮前七ヶ宿町字宮前七ヶ宿町宮前

【類型1】「旧村+大字+小字」の住所ですが、大字には接頭辞「大字」を付さず、小字には接頭辞「字」を付します。昭和の合併で消滅した旧村名を継承しているのが特徴で、2市6町では白石市特有の形式です。表記例は白石市越河平字入、白石市白川犬卒都婆字小松方尻です。マピオンのように「字」抜きで「越河平入」と書くと、4文字で1つの地名に見えますが、話言葉では3つに区切って「越河の平の入」となります。「白川犬卒都婆小松方尻」などは、区切る場所を間違えると意味が通じなくなります。なので、住民は滅多なことで接頭辞の「字」を省かないと思います。
ちなみに、類型1の住民から届いた年賀はがきは1通だけですが、行政上の正式表記で書いてあり、接頭辞の「字」も書いてありました。

【類型2】「大字+小字」の住所で、接頭辞「大字」「字」ともに付します。蔵王町、村田町、柴田町、川崎町で見られる形式です。表記例は蔵王町大字円田字曲木畑、村田町大字村田字町、柴田町大字船岡字七作、川崎町大字前川字中町です。昭和の合併以前は、大概の自治体がこの形式で住所を表記していました。しかし、昭和の合併を境にこの形式は減ってきました。原因は、(1)昭和の合併時に角田市と大河原町が、大字名に接頭語の「大字」を付さなかった。(2)昭和の合併時に白石市と大河原町が、自治体名と同名の大字(大字白石本郷と大字大河原)を廃止した。(3)後に七ヶ宿町が大字を全廃した。(4)昭和50年代以降、柴田町と白石市で住居表示の実施が進んだ。(5)柴田町が町名地番整理区域に「字」を付さない住所形式を採択した。以上の原因で、類型2に該当する区域は狭まっています。
ちなみに、類型2の住民から届いた年賀はがきは9通。内訳は、接頭辞「大字」「字」を省かず行政上の正式表記で書いたものが6通。接頭辞「大字」「字」ともに省いたものが2通。そして、大字を省いて小字だけ書いたもの1通でした。「村田町大字村田字町」の大字村田を省いて「村田町字町」と書く人がいますね。看板などでも見かけます。この書き方だと、江戸期の村田本郷(本郷は村の意)が単独で現行村田町になったみたいで、歴史に反します。突き詰めて考えれば、他の大字に対して失礼な書き方だと思います。

【類型3】「大字+小字」の住所ですが、大字には接頭辞「大字」を付さず、小字には接頭辞「字」を付します。角田市、蔵王町、大河原町で見られる形式です。表記例は角田市岡字草刈谷地、蔵王町遠刈田温泉字本町、大河原町大谷字末広です。自治体名に係る接尾辞の「市」や「町」が区切りとなるので、「大字」という字句が無くても良い訳です。類型3は昭和の合併時に発生した形式ですが、当時から接頭辞の「大字」を不要とする考えがあったようです。でも、小字に係る「字」という字句まで省略する考えは薄かったと思います。
ちなみに、類型3の住民から届いた年賀はがきは29通。内訳は、接頭辞の「字」を省かずに行政上の正式表記で書いたものが23通。接頭辞の「字」を省いたものが2通。大字名を省いて小字を正式に書いたものが2通。そして、大字名と接頭辞の「字」を省略したものが2通でした。「大河原町大谷字○○」の大字名「大谷」と、小字の接頭辞「字」を省いて「大河原町○○」と書く人がいますね。しかも、郵便物が届くのだから、住所などこれで良いのだと確信しているようです。町内の特定の大字だけを省略すると、次にどのような地域変化が起きるのか。住所行政に携わる人には心して欲しいものです。

【類型4】大字なしで接頭辞「字」を付した「小字」だけの住所です。白石市、大河原町、七ヶ宿町で見られる形式でしたが、近年、川崎町にも同類が発生しています。表記例は白石市字延命寺北、大河原町字町、七ヶ宿町字宮前、川崎町字青根温泉です。これらは、大字を廃止して小字を剥き出しにした結果生じた住所形式です。昔からの小字は、面積が狭く人口も少ないのが一般的です。ですから、大字に比べて知名度が落ちます。七ヶ宿町役場の前で「七ヶ宿町宮前はどこですか」と尋ねても、返答できる町民は滅多にいないでしょう。類型4は、自治体名に係る「市」や「町」という字句が区切りの役目を果たすので、小字名に係る「字」という字句を省いても意味が通じます。白石市字延命寺北に住む知人からの郵便物には、「字」の字句を省いて白石市延命寺北と書いてあるのが常でした。
ちなみに、類型4の住民から届いた年賀はがきは23通。接頭辞の「字」を省かずに行政上の正式表記で書いたものが16通。接頭辞の「字」を省いたものが7通でした。
[83605] 2013年 6月 16日(日)07:20:04千本桜 さん
大野と大◯
[83604] 白桃さん

大野と言えば広い平地の農村部を連想しますが、異色なのは金沢市の大野と常滑市の大野。どちらも由緒ありそうな古い港町。金沢市の大野は江戸時代からの町場ですが、常滑市の大野も1889年に町制施行した古参町。常滑村が常滑町になるより先に、大野村が大野町になっているのですね。それなのに、常滑の勢力に呑み込まれてしまった大野って何なの。さらに、名鉄常滑線の大野町駅も新舞子駅との駅間競争に破れ、♪「哀れを誘う病葉や」と言った状態にあるのではないでしょうか。

現在も町を継続しているところは一つだけ
この町に今年、バスターミナルが完成しました。バス離れが進んでいる地域に住んでいると、何で今ごろバスターミナルが必要なの?と思いますが、それにはそれなりの理由があるのですね。その理由とは何でしょう。
[83596] 2013年 6月 11日(火)12:38:43千本桜 さん
マピオン、マップファンなどのネット住所検索は、申し合わせたように「大字」「字」という字句を省いて住所を表示しています。どうしてなのでしょう。(有り得ないと思いますが)国の総務省あたりが、「大字」「字」を省くように推奨しているのでしょうか。

例えば、マピオンで検索すると宮城県柴田郡の村田町大字関場字雉子尾は「大字」「字」が省かれ、村田町関場雉子尾と表示されます。そして、下記のような注意書きがあります。
※「宮城県柴田郡村田町関場雉子尾」は上記以外で以下のように記載されることもあります。
1. 宮城県柴田郡村田町関場雉子尾
2. 宮城県村田町関場雉子尾
郡名を記載することもあれば、しないこともあるという注意書きです。でも、あまりにも当たり前の事なので、この注意書きは必要ないと思います。それより、「マピオンは都合により大字および字という字句を省略していますが、本来は大字関場字雉子尾と表記します。」と注意書きして欲しかった。「大字」という字句を省略して関場字雉子尾と書くことはあっても、「字」という字句まで省略して関場雉子尾と書くことは非常に少ないのが現状だからです。でも、これからの時代、ネットで住所検索をした人は、関場と雉子尾が階層の異なる別個の地名であることを知らずに、5文字で1つの地名であるかのごとく関場雉子尾と書くのでしょうね。「字」という字句があることで地名の階層を判読できたのに、それが読めなくなるのは残念です。

東北地方や愛知県、京都府、徳島県に多い住所形式で、地番を小字ごとに起番し、住所を自治体名+大字名+小字名で表記する地域の話です。例えば、福島県伊達郡の桑折町大字伊達崎字下西は、「大字」の2文字を省いて桑折町伊達崎字下西と書くことがあっても、「字」という文字まで省いて桑折町伊達崎下西と書くことは滅多にないはずです。これが一般的な住民感覚だと思います。「大字」という字句は時として省略されるのに、「字」という字句が滅多に省略されないのはなぜでしょう。

個人的な考えですが、「町」「大字」「字」という字句は、地名の階層を区切る句読点のようなものだと思います。「町」「大字」「字」を「、」に置き換えると、桑折町大字伊達崎字下西は「桑折、、伊達崎、下西」になります。桑折と伊達崎の間に読点が2つ連続しますが、1つ有れば用が足りるので、片方の読点は無くても良いことになります。つまり、桑折町大字伊達崎は「町」と「大字」が連続しているので、「大字」という字句が無くても地名の階層が読み取れる訳です。しかし、伊達崎と下西の間には「、」が1つしかありません。この「、」を省略すると伊達崎下西になります。これでは階層の異なる別個の地名であることが読み取れません。読み取ろうとしても伊達と崎下西なのか、伊達崎と下西なのか判断できません。だから「字」は省略しない方が良いと思います。

次にマピオンで宮城県柴田郡大河原町の金ヶ瀬字神山を見てみます。やはり、「字」という字句は省かれて金ヶ瀬神山と表示されました。「字」を付して金ヶ瀬字神山と書く人と、「字」を付さずに金ケ瀬神山と書く人では、どちらが多いのだろう。そこで、住民5人に聞きました。何人に聞いても答は同じと思い、5人で打ち切りました。「あなたは住所を書く時、「字」を付して金ヶ瀬字○○と書きますか、それとも「字」を書かずに金ヶ瀬○○と書きますか。」と質問したところ、全員が「字」を付して金ヶ瀬字○○と書くと答えてきました。マピオンと住民では、表記が異なります。マピオンやマップファンが「字」の字句を省略するのは、何らかの理由があってのことでしょう。しかし、地番が小字起番で、住所を自治体名+大字名+小字名+番地で表記する地域の「字」まで省略するのは、機械的で画一的すぎると思います。

ちなみに愛知県犬山市の場合、次の3つの内、一般的に用いられるのは、どれですか。「大字羽黒字堂ケ洞」「羽黒字堂ケ洞」「羽黒堂ケ洞」。
[83278] 2013年 4月 29日(月)19:44:47千本桜 さん
十番勝負入門コース
問C:八戸市
[83236] 2013年 4月 28日(日)23:10:13千本桜 さん
十番勝負入門コース
問A:大阪市
問B;奈良市
問C;えびの市
問D;草加市
問E:釧路市
問F:北見市
問G:士別市
問H:北見市
問J:大分市
問K:湯沢市
[83165] 2013年 4月 26日(金)05:37:58千本桜 さん
白石商圏が消滅
[55468] 千本桜
それまで後背人口2~4万レベルで成立していた志津川、若柳、栗駒、涌谷、小牛田などは買回商圏を消失しています。冷たい言い方かもしれませんが、次に来るのは後背人口5万レベルの白石、角田、亘理の買回商圏消失ではないかと考えます。

上記は2006年に書いた記事ですが、案の定、2009年の消費購買動向調査報告書で角田、亘理の商圏消滅が判明しています。そして、ついに2013年消費購買動向調査報告書で白石商圏も消滅したことが明らかとなりました。当地域を代表する都市が、商業面で他の市町に依存する都市に落ちて行くのは寂しい。この調査報告書が初めて刊行されたのは1978年のことです。あれから35年が経った今日、宮城県南部では岩沼、柴田、亘理、角田、白石の各商圏が消滅し、大河原商圏と名取商圏に集約されました。次ぎに起きるのは、名取商圏の拡大による大河原商圏の弱体化でしょう。地域は変動するから面白い。
[83138] 2013年 4月 19日(金)00:59:59千本桜 さん
大字や字の字句の省略
[83016] グリグリさん
どちらかというと上記の大字や字を省略したバージョンに統一したいなと考えます。

とある公的機関に勤務する方から名刺を頂きました。その方の勤務先の住所は大河原町金ヶ瀬字町◯◯番地と書くのが正式であり、普通の人はそのように書きます。ところが、名刺には「字(あざ)」と「番地」の字句を省略して、大河原町金ヶ瀬町◯◯と書いてありました。「番地」と言う字句を省略するのは慣れっこですから気にしませんが、「字」と言う字句まで省略してあることに違和感を覚えました。

私の住んでいる地方には「町」と言う名の字(あざ)が多数あります。宿駅だったエリアが字町として伝承されているのではないかと考えます。角田市、村田町、大河原町の字町を例に、私の考えを述べたいと思います。
角田市角田字町◯◯番地
村田町大字村田字町◯◯番地
大河原町字町◯◯番地
以上が現在の正しい表記です。本来なら角田市大字角田字町になるはずですが、昭和の合併時に「大字」の2文字を外しました。現在、角田市は23の大字で成り立っていますが、全ての大字から「大字」の2文字を外しています。そこには平等と均衡が感じられます。また、大河原町も大河原町大字大河原字町になるはずですが、「大字」の字句だけでなく「大字大河原」そのものを昭和の合併時に廃止しました。7つある大字のうち大字大河原だけを廃止し、他の大字を存続させているのですから不平等、不均衡です。大河原町には「町」と言う名の小字が2つあって、金ヶ瀬地区の「町」はちゃんと大字名を付して金ヶ瀬字町◯◯番地と書きなさい。でも、大河原地区の字町は大字名を書かずに字町◯◯番地だけで良いですよ、簡単で便利でしょう。と、言う訳です。近世村の大河原村が単独で現在の大河原町になったのならそれでも良いのですが、他の村々と合併して成り立っているのに、それはあまりに身勝手と言うものです。かわいそうに現在、大河原町の人は大河原町の中に大河原と言う特定の区域があること(あったこと)を知りません。知らないと言うことは恐ろしいことで、大字大河原の存在や大字界に無頓着な人は、他の大字に属する土地を指して、そこも(大字)大河原にしてしまおうと言うのです。住所行政に携わる人までその調子だと、地域の歴史破壊になります。これ以上書くと涙が出て来るので止めます。

話が脇道に逸れましたが、グリグリさんが言われるように大字や字を省略すると、角田市、村田町、大河原町の字町はどうなるのかを下に書きます。
角田市角田字町◯◯番地→角田市角田町◯◯番地
村田町大字村田字町◯◯番地→村田町村田町◯◯番地
大河原町字町◯◯番地→大河原町町◯◯番地
「村田町村田町」と同じものが2回続くのは感覚的に変だと思いませんか。「大河原町町」はもっと変ですよね。でも、これは感覚的なものだから慣れれば苦にならないかも知れません。しかし、このようなことを実行すると、次に何が起きるのか。それを考えると恐くなります。村田町村田町◯◯番地なんて面倒だから村田町◯◯番地と書こう。大河原町町◯◯番地なんて変だから大河原町◯◯番地と書こう。そう言う人たちが出現して来るでしょう。同じ自治体に住みながら、自治体名+大字名+小字名+番地を書かなければならない人がいる一方で、自治体+番地で通用する人がいる。これは不均衡で不平等です。それだけでなく、地域の歴史破壊に繋がります。だから私は、大字や字の字句を安易に省略するのは避けたいと思います。
[83136] 2013年 4月 19日(金)00:19:45千本桜 さん
津軽の旅
[83132] 白桃さん
まわったのが、深浦、鰺ヶ沢、小泊、十三、五所川原・・・アレレ、少し違ったかな???

それは「よされ節コース」の正しい順路です。津軽海峡には行きませんでしたか。オプションで「あいや節コース」に乗ると、「津軽海峡 雪が舞う あいや あああ あー」となります。土の臭いがぷんぷんする津軽の旅を楽しまれた御様子で何よりです。
[83053] 2013年 3月 31日(日)11:38:48千本桜 さん
花見山
名残雪でしょうか、少し肌寒くて綿アメみたいな雪が舞っています。この十日間に葬式と法事が4回も相次いで、喪服が普段着になってしまいそう。我家の人口もピーク時の20年前に比べて66.667%減少し、老?夫婦2人暮らしになりました。そういう個人的な事情には関わらず、春は毎年確実にやって来るもので、白石川の土手の一目千本桜にも「お花見ぼんぼり」が設置され、桜まつりの準備が着々と進んでいます。

おととい、福島に行ったついでに花見山に寄ってみました。ロウバイは終わりかけて、ハクバイとレンギョウが満開でした。案内係のオジさんに見頃はいつですかと尋ねましたら、「4月10日ごろです。きょうは700人きました。」と言っていました。花見山は入園無料で、何時でも、どこからでも入り込めるのに、700人って、どうやって数えたのだろう。個人的な評価ですが、南東北地方の三大桜名所は、白石川堤の一目千本桜、三春の滝桜、そして福島の花見山だと思います。福島の現状を思うと気持ちが沈んでしまうのですが、花見山は梅、桃、桜、そのほか色々な花が咲き乱れる桃源郷です。どうか、皆さんも花見山を見物しに行って、福島を元気づけてやって下さい。
[82958] 2013年 3月 2日(土)12:04:56千本桜 さん
Re:“母都市-衛星市”が成立しなかった組み合わせ
[82937]で白桃さんが挙げた“母都市-衛星市”が成立しなかった組み合わせ、興味深く読ませて頂いています。特に関心があるのは東根vs村山です。東根と村山を母都市と衛星都市に見立てるのは無理がありますが、それを承知で当てはめるなら、50年60年前は村山が母都市で東根が衛星都市でしたね。それが今では、東根が母都市で村山が衛星都市かと思えるまでに立場が逆転してしまいました。まだ、都市施設が郊外に転出しないで市街地の中に集積していた時代を懐かしみ、下に昭和のデータを掲出します。

昭和45年国勢調査と昭和47年事業所統計調査報告をリンクしたもので、人口集中地区を地域単位とした産業別従業者数の統計です。かつて北村山郡に属していた村山市(楯岡)、東根市(東根、神町)、尾花沢市(尾花沢)の市街地の戦いに、何故か大内町(三本松)と大河原町(大河原)の市街地までが参戦した6つのDIDによる都市間競争です。いずれの市街地も、市にしては田舎的で、町にしては少し都会的なところがマニアの心をくすぐります。なお、下の表組では“電気・ガス・水道・熱供給業”と書くのは長過ぎるので、省略して“電気ガス”にしました。

合計鉱業建設製造卸小売金融保険不動産運輸通信電気ガスサービス公務
楯岡3,98203397401,051287938616720434
東根1,26001962294647164242480
神町3,85201001075991244814942572,464
尾花沢3,014033576197617231671551471
三本松4,27101341,7839482833140841519124
大河原4,007322136441,427251945610782183
鉱業から公務までの合計、つまり非農林水産業の事業所従業者数が最も多いのは三本松で4,271人。三本松をトップに押し上げているのは製造業のようです。2位は大河原で4,007人。大河原を2位に押し上げているのは卸売小売業です。町が1位2位を占めて市が後塵を拝するあたりが市制町村制の嫌らしさであります。

町の後塵を拝する楯岡、東根、神町、尾花沢の面々のうち、従業者合計1,260人の東根は数値が低すぎて都市失格でしょう。当時は東根が村山市楯岡の都市勢力下にあったわけで、それが今では逆転し、村山市が東根市の商圏下に従属しているのですから大きな地域変化です。楯岡が北村山地方随一の商都で賑わった昔を思えば、今は寂れた楯岡に“なかにし礼”の♪石狩挽歌がオーバーラップしてきます。

同じく東根市の神町も都市失格でしょう。従業者合計3,852人は楯岡に肉薄した数値ですが、その64%を公務(具体的には自衛隊駐屯地従業者)が占めているのが難点です。建設業、製造業などの第二次産業や自衛隊駐屯地の集積は、都市の中心性を太らせる肥になるかもしれませんが、中心性そのものの“現れ”ではないと思うのです。上記の表の中で中心性が感じられる数値は、金融保険業の楯岡287人、三本松283人、大河原251人。卸売小売業の大河原1,427人。運輸通信業の大河原456人、三本松408人、楯岡386人。サービス業の大河原782人、楯岡720人などです。

何だか結論に至ることができず、書き込みに時間が掛かりすぎています。もう時間がありません。何を言いたかったかというと、早い話が、昼間人口が夜間人口を上回っていても、中枢機能の集積に厚みがなくて中心性の弱い都市は、ちょっと物足りない。それを言いたかっただけなんです。
[82909] 2013年 2月 19日(火)22:49:31千本桜 さん
Re:地理の入試問題・補足
[82901] みかちゅう さん
「この地図が2万5000分の1の地図であるとわかる理由を説明せよ」という問題が定番です。簡単だとは思いますが、こちらもぜひ挑戦を。

等高線間隔が10mで、しかも50mラインの等高線が計曲線として描かれているから2.5万分の1地形図である。ツーカーの仲なら、これで通じ合えるはずですが、入試の解答となると不十分なんでしょうね。等高線を10m間隔で描くことや、50mラインを計曲線で表すことが2.5万分の1地形図特有のものであることを立証しなければならない。この設問は2.5万分の1地形図と5万分の1地形図の比較を求めているのでしょうね。つまり、5万分の1地形図の等高線間隔は20mであり、50mラインの等高線は補助曲線として描かれることがあっても、主曲線や計曲線として描かれることはありえない。したがって、この地図は5万分の1地形図ではなく、2.5万分の1地形図である。こんなふうに解答すれば良いのでしょうか。

ところで、2.5万分の1地形図を縮小編集して5万分の1地形図を作ると、寸法は縦横2分の1、面積は4分の1になります。4分の1の広さの中に2.5万分の1地形図と同量の情報は描けませんから、情報の取捨選択が行われます。河川や島などは、小さな物でもなるべく省略せずに5万分の1地形図に描き移しますが、等高線は1本おきに間引かれて本数が半分になります。独立建物は大幅に間引かれて3分の1程度に激減します。

ここから先は架空の話です。受験生の智津男君は集落の戸数を調べるのが大好きで、調査結果を地形図に書き入れては各地の集落のあれこれを想像していました。そんなことを重ねているうちに、戸数100戸程度の集落なら、2.5万分の1地形図では独立建物が90個ほど描かれ、5万分の1地形図では30個ほどに減少することを、誰に教わるわけでもなく感覚的につかめるようになっていました。

そんな智津男君に渡された入試問題は、「この地図が2万5千分の1の地図であるとわかる理由を説明せよ」というもので、地形図の一部分が掲載されていました。集落おたくの智津男君は、自然地形よりも先に山の麓の小さな塊村に着眼しました。その塊村状の集落は六本木と注記してあります。智津男君は集落おたくですから、六本木の戸数が50戸であることは以前から知っていました。掲載してある地形図で独立建物を数えると、六本木集落には44個の独立建物が描画してありました。そこで智津男君は次ぎのように解答しました。
「六本木集落の戸数は50戸である。50戸程度の集落の場合、2.5万分の1地形図に描画される独立建物は45個前後であり、5万分の1地形図では15個前後になるのが一般的である。問題の地図で六本木集落の独立建物の数を確認したところ44個であった。したがって、この地図は5万分の1地形図ではなく、2.5万分の1地形図だと判断しました。」
智津男君のこの解答は、どんな採点を受けるのでしょうか。
[82899] 2013年 2月 16日(土)11:55:24千本桜 さん
Re:香川県内の従業地・通学地に関する“人口収支”
[82895] 白桃 さん

坂出~宇多津~丸亀~多度津を見ていると、ドルトムント~エッセン~デュイスブルクを連想します。それはさておき、昼夜間人口比率では坂出の強さと丸亀の弱さが気になります。もし、産業を1次、2次、3次に分類し、3次産業における坂出と丸亀の昼夜間人口比率を算出したら、どんな結果になるのでしょうか。
[82898] 2013年 2月 16日(土)11:00:44千本桜 さん
Re:地理の入試問題から
[82892] みかちゅう さん
この地図を見て、「東側に書かれている水面は湖である」と分かる理由を説明しなさい。

にまんさんの回答は大人の含みがあってお洒落ですね。標高数値に着眼されているのでしょうが、私も同じ考えです。高校生にとっては難問だと思いますが、正解率が何パーセントになるのか気になります。
[82530] 2013年 1月 5日(土)14:21:43千本桜 さん
十番勝負
問E:神戸市
[82529] 2013年 1月 5日(土)11:55:43千本桜 さん
十番勝負
十番勝負への参加は久しぶりなので、一般コースは出題傾向など勝手が分からなくなっています。入門コースに参加しても良いのでしょうか。もし、だめな場合は削除して下さい。

問A:防府市
問B:陸前高田市
問C:大田原市
問D:二戸市
問F:四万十市
問G:南砺市
問H:札幌市
問J:陸前高田市
問K:陸前高田市
[82422] 2013年 1月 2日(水)17:45:53千本桜 さん
テキトーですが遊びながら商圏調査
毎年のことですが、元日の新聞には初売りの折込みチラシが大量に入って来ます。今年は71枚入ってきました。内訳は洋服の○山など衣料品店の広告チラシが11枚、ケー○ーD2などホームセンターが8枚、カ○チ薬品などドラッグストアが6枚、ド○モなど携帯電話関連が6枚、タ○ホームなど住宅関連が6枚、ほかに食品スーパー5枚、自動車販売店5枚、家電販売店4枚、メガネ店4枚などが主なところです。

このうち、家電販売店はY電機とKデンキが一騎討ちの様相を呈しています。双方とも四六全版に相当する大きな広告チラシを折込んで、常に戦っている感じ。見ていてウンザリです。でも、Y電機もKデンキも仙南地域内に店舗があるから、まだ良しとします(どちらも大河原町に所在)。

問題は住宅関連です。6枚のチラシのうち仙南地域に店舗があるのは1枚だけで、残りの5枚は地域外の名取市に店舗を構えています。ホームセンターについても同じ状況です。商圏人口1万人程度の町にも出店するホームセンターコ○リが、小型な店舗を白石市、角田市、川崎町、村田町、柴田町、蔵王町、丸森町、亘理町、山元町に出店。さらに、3万~5万人の商圏人口を見込むホームセンターが大河原町、白石市、柴田町、角田市に大型店を出店。最大規模は大河原町のケー○ーD2で約5,000m2です。ところが平成20年、大河原町のケー○ーD2より4倍も大きなホームセンターが名取市に2店オープン。店舗面積約20,000m2のスーパー○バホームと約24,000m2のム○シです。この2店が名取市に店舗を構えて仙南地域に広告チラシ攻勢を仕掛けてきます。

もっと凄いのは店舗面積約55,000m2の巨大SCイオンモール名取エアリです。私の友人(すでにオジイちゃん)は孫を連れてイオンモール名取エアリに行くのが楽しみなんだって。それなのに私は、仙南地域にのしかかってくる名取の影に怯えてはらはらしています。損な性分。

大河原町民の購買力を狙っているのは、どの市町に所在する店なのか。元日の折込みチラシ71枚について、店舗の所在地別に分類してみました。ただし、仙台市以北は無視して県南部の市町のみです。例えば、Y電機は大河原町にのみ出店していますから大河原町に1点。ユニ○ロは大河原町と名取市に出店していますから大河原町に1点、名取市に1点。墓石の紫○堂は柴田町と亘理町に店がありますから柴田町に1点、亘理町に1点。このようにして採点した結果、大河原町40点、名取市34点、白石市18点、柴田町15点、角田市15点、岩沼市11点(以下省略)となりました。やはり名取市が多いですね。

でもユニ○ロのように大河原町と名取市に店がある場合、大河原町民の購買力を狙っているのはユニクロ大河原店のはずで、ユニクロイオンモール名取店ではありませんから名取市を消さなければなりません。このように大河原町に出店し、更にほかの市町にも出店している店については、ほかの市町を消して行きます。

その結果、大河原町に店を構えて大河原町を狙っている店は40店。名取市に店を構えて大河原町を狙っている店は15店。柴田町に店を構えて大河原町を狙っている店は10店。白石市に店を構えて大河原町を狙っている店は8店。角田市に店を構えて大河原町を狙っている店は6店になりました(以下省略)。やはり名取市の商勢力が大河原町にのしかかっているようです。と言うより、仙南地域=大河原商圏全域に名取商圏が覆い被さっている状況です。

こんなテキトーな調査などしなくても「県の消費購買動向調査報告書を見れば解決することだろう」などと、堅いこと言いっこなしよ、お客さん。テキトーでも自分の手を費やしたものは結構な意義があるんだから。
[82420] 2013年 1月 2日(水)08:01:25千本桜 さん
新年おめでとうございます
[82418] グリグリさん
昨年私が撮影した写真集も掲載しておりますのでご覧いただければ幸いです。
拝見いたしました。どれも素晴らしくて美しい! 特に(紅葉風景シリーズ)浅間山の写真が印象的でした。
(花と昆虫シリーズ)ハイビスカスの次ぎの花
これは何の花でしょうね?
シクンシ(使君子)の花だと思います。
[82291] 2012年 12月 5日(水)20:16:14千本桜 さん
宮城県南部のイメージは豪雪地帯なんでしょうか
ネットで仙南地域のことをあれこれ調べていたら、下記の記述が目に入って仰天!
県南部の大河原、白石市周辺は、福島県との県境で山が多く、積雪量も多く厳しい寒さのため、豪雪地帯に指定されています。
これは地域の捉え方が大雑把過ぎると思う。白石市の山間部は豪雪地帯かも知れませんが、大河原町、柴田町、角田市などは雪が少ない地域です。私はクリスマスまでには冬タイヤにはきかえようと思っていますが、いまだに普通タイヤなんです。

さらに、記事は次のように進みます。
県北部の栗原、大崎、登米、古川地域は、日本海側の気候となり豪雪地帯です。
気候に関しては無知ですが、登米市あたりが日本海側の気候で豪雪地帯とは初耳です。結局、この記事は地域の捉え方が大雑把過ぎるんですね。

ちなみに、全国積雪寒冷地帯振興協議会による「豪雪地帯及び特別豪雪地帯指定図」では、このような区分になっています。
[81889] 2012年 9月 27日(木)18:38:58千本桜 さん
浜千軒
[81888] 來々軒さんへ
浜千軒(鹿島市)追加注文です
[81887] 2012年 9月 26日(水)06:42:31【1】千本桜 さん
榊町と霧多布
[81883] YT さん
仮に「浜中」という町場が存在したのなら、それは榊町のことということになります。

やはり榊町の可能性が高いですね。霧多布が榊町に取って代わるのは、もう少し後になってからなのでしょう。小学校の設置も榊町の方が先のようです。ところが、来年3月に榊町小学校は霧多布小学校に統合されるようです。発生して膨らんで、萎んでいつかは消えて行く集落の一生。じんと来ます。榊町と霧多布の関係を見ていたら、そんな感情が湧いてきました。

記事番号「81883」へのレスであることを書き忘れたので、訂正機能を使い追加書き込みしました。
[81882] 2012年 9月 24日(月)00:27:11千本桜 さん
北海道釧路の浜中とは
[81876] YTさん
YTさんが書き出して下さいました『日本帝国文部省年報』による明治10年~18年の都邑人口の中で、下から2番目の浜中についてお尋ねします。浜中の人口は明治15年1,227人、明治16年891人とあります。しかし、浜中といっても範囲が広く、しかも浜中と言う名の特定の集落(町場)は無かったと思うのです。現在では浜中と言えば浜中駅前の集落を思い起こしますが、当時はそこに町場らしき集落はなかったはず。すると、浜中とはどこなのか。おそらく、榊町霧多布を指していると思うのですが確たる証拠はありません。あの当時、あのあたりでは霧多布が最も町場らしい集落ではなかったかと想像するのですが・・・。
[81874] 2012年 9月 22日(土)08:01:37千本桜 さん
揺れ動く圏域
宮城県は7つの圏域に区分されます。昭和30年10月1日国勢調査人口と平成24年8月1日推計人口を基に、圏域の人口変動を見てみます。
圏域名昭和30年人口平成24年人口増加数増加率
宮城県全体1,727,0652,324,312597,24734.6
仙南圏202,592181,079-21,513-10.6
仙台圏669,4221,498,111828,689123.8
大崎圏250,980209,151-41,829-16.7
栗原圏136,19573,021-63,174-46.4
登米圏128,75383,081-45,672-35.5
石巻圏232,403197,003-35,400-15.2
気仙沼・本吉圏106,72082,866-23,854-22.4
こうしてみると、人口増加は仙台圏の一人勝ちで、仙台一極集中は明らか。昭和30年には全ての圏域が人口10万人を超えていましたが、現在は県北の3圏(栗原、登米および気仙沼・本吉)が10万人に満たない圏域になっています。小さい圏域は、大きい圏域への吸収統合にさらされます。現在、国が見直しを進めている2次医療圏にしても同じです。栗原医療圏は大崎医療圏へ統合。登米医療圏は、統合先を石巻医療圏にするか大崎医療圏にするかで検討の結果、石巻医療圏への統合が決まったようです。これは視点を変えれば、登米圏を引き込んで第2県都の座につきたい石巻と古川(現・大崎市)の都市間競争と言えなくもない。一方、県南部の仙南医療圏は代表都市・白石と中心都市・大河原が張り合って、それぞれに医療圏の核となる病院を置いています。でも、どちらも中途半端な規模に思えます。次に統合にさらされるのは仙南医療圏でしょう。ちなみに、見直し対象となる2次医療圏は、人口が20万人未満。他圏域からの入院患者の流入率が20%未満。他圏域への入院患者の流出率が20%以上の3基準全てに該当することだそうです。
[81841] 2012年 9月 15日(土)08:35:38千本桜 さん
裁判所、法務局、税務署あるのに、ホテルがない都市
[81838] 白桃さん
7.大河原から仙台
まだヒゲが生えていない頃、新しい靴下を履いて気を引き締め、気合いを入れて花の仙台へ“おでかけ”した記憶はありますが、どんなものを着ていたか憶えていません。

13.京都から博多?
京都の女性は、ぽっくり下駄を履いて“おでかけ”しそうなイメージですが、男を追って博多まで“おでかけ”するには、ぽっくりは非機能的です。どんな服装で京都から博多?まで“おでかけ”したかを知るのは阿久悠のみ。もう、阿久悠さんもこの世にいないけど。

話は変わります。裁判所、法務局、税務署がすべて立地しているのに、ホテルが1軒もない市町は全国にいくつあるでしょう。こんな風変りな町は大河原だけだと思います。それで事あるごとに、ホテルがないのは変ですよと訴えかけてきたのですが、興味のない人には何で変なのか分からないのですね。とある町会議員さんは、近くに遠刈田温泉があるからそれでいいじゃない、と言うのです。うんにゃー、そういう問題ではないだろう。あっしは都市戦略、都市政策として、変だ、危ない、と言っているのに、そのたびに歯ぎしりしっぱなしで、もう歯がボロボロなんです。ところが、そんなノホホン大河原にやっと待望のホテルができることになり、工事が始まりました。ホテルといってもビジネスホテルですが、それなりの規模のホテルのようです。これで当分の間は歯ぎしりしなくて済みそうです。ホテルがオープンしたら、自転車で5分の距離だけど泊りに行こう~。
[81835] 2012年 9月 12日(水)20:56:50千本桜 さん
村名と町場名の混用
江戸期、平村の中に金ヶ瀬と言う名の宿場町がありました。明治22年の町村制では、公称村名の平を抑えて通称町場名の金ヶ瀬が新村名に採択されました。この時、新村名を平とするか金ヶ瀬とするかで迷いはなかったか。記録がないので今となっては推測するのみですが、大きな迷いもなく金ヶ瀬村に決定したのではないかと思います。江戸期の頃より平と金ヶ瀬は混用されていたようですが、明治の頃には平より金ヶ瀬の呼称が多用されていたのではないかと勝手に推測をしています。さらに勝手な推測をすると、税を取り立てる官は地籍が大切だから公称村名の平を用い、世間的に通用すれば良しとする民は通りの良い町場名の金ヶ瀬を好んだのではないだろうか。そんなこんなを考えながら何年月日が経っただろう。

先日、旧家の奥様に誘われて蔵の中へ。蔵の中には江戸、明治、大正の文書、書類が保管してあるのですが、その中に明治12年の小学校卒業証書を見つけました。明治12年ですから平村の時代です。なのに、平小学校ではなく金ヶ瀬小学校と書いてあります。ああそれなのに、平小学校と彫られた学校印が押してあります。これはいったい金ヶ瀬小学校なのか平小学校なのか。こんな小さな卒業証書の中に、平と金ヶ瀬の混用の跡を発見した思いです。

町村制に移行する際、村名を捨てて町場名を新町村名にした例を何度か取り上げてきました。では、村名と町場名が同名の場合はどうなのか。例えば、明治22年、大河原村ほか3ヶ村が合併し、最大の村である大河原村の名を採択して大河原町になったと言うのが一般論です。でも、本当に大河原村の名を採択したのだろうか。もしかして、大河原村の中に形成された「大河原と言う名の町場」の名を採択したとは考えられないだろうか。こんなことを考えるのは野暮かな。でも、気になる。そんなこんなを考えながら歳をとっていくのだろう。
[81441] 2012年 8月 14日(火)21:21:59千本桜 さん
Re:旧矢吹町と広戸村の境界について
[81419] KTさん
現在の矢吹町東の内は、旧矢吹町と広戸村にまたがっていることが分かります。
調べていただいてありがとうございます。早速、KTさんが提示された境界線を繋いでみました。自然な流れの境界線で納得いたしました。東の内の西半分が旧矢吹町ということは、旧矢吹町大字大和久(江戸期~明治22年の大和久村)の一部だったのでしょうね。

5万分の1地形図「須賀川」(明治41年測図)
その地形図に注記(表記)してある集落名についてお尋ねします。矢吹町に合併した広戸村の区域は現在、境町、本郷町、南町、東の内、田内、子ハ清水の6つに区分されています。しかし、昔の5万分の1地形図は集落注記の数が今より少なかったですから、その区域内に注記された集落名はせいぜい2個程度かなと推測します。もし、私が明治41年に生きていたら、そして5万分の1地形図に注記する集落名を選択する立場の人間だったなら、現在の本郷町の家屋密集地を指して「柿之内」と注記し、田内の家屋密集地を指して「田内」と注記する。この2つで集落注記はOKかなと思いました。境町、本郷町、南町、東の内、子ハ清水は注記されていないと踏みましたが、実際のところ、5万分の1地形図「須賀川」(明治41年測図)ではどのようになっていますか。
[81281] 2012年 8月 9日(木)01:38:36千本桜 さん
鮫と湊
[81279] KTさん

江戸期には鮫が賑わい、その賑わいは明治中頃になって湊に移ったのだと思っていました。しかし、自信が無くなってきたので角川地名辞典に目を通してみました。どうやら私は覚え違いしていたようです。江戸期の内に鮫と湊の重要性は逆転していたようです。
角川地名辞典には次のように書いてあります。
天保年間になると湊へ廻船が入港するようになり、次第に八戸湊の中心は鮫湊から湊へと移っていく。
すると、八戸の外港としては鮫よりも湊の方がふさわしいのでしょうね。でも、鮫湊や湊を総称して八戸湊と呼んでいたそうで、そうなると八戸の外港は八戸?


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