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hmtさんの記事が20件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[92811]2017年4月29日
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[92790]2017年4月14日
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[92786]2017年4月11日
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[92785]2017年4月11日
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[92783]2017年4月9日
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[92774]2017年4月4日
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[92772]2017年4月3日
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[92767]2017年3月31日
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[92766]2017年3月29日
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[92757]2017年3月27日
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[92754]2017年3月23日
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[92746]2017年3月19日
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[92745]2017年3月14日
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[92743]2017年3月12日
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[92742]2017年3月11日
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[92736]2017年3月7日
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[92734]2017年3月5日
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[92729]2017年2月28日
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[92728]2017年2月26日
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[92722]2017年2月24日
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[92811] 2017年 4月 29日(土)14:58:04hmt さん
栃木県下都賀郡桑絹村の 1960年村長選挙
[92809] 伊豆之国さん
[91787] 山野さん
立候補締め切りまでに届出を行なった人数267人、最終的な立候補者202人で、まともな得票を得たのは3人だけ。
190人は「0票」という村長選挙には驚きました。

部外者ながら、最初に気になったのが、現在の町村長選挙では 50万円となっている供託金です。
調べてみたら、1960年当時の制度では 供託金不要で、1962年に 2万円になったようです。
大量立候補という異常な行為の背景には、供託金没収がない当時の制度があったのでした。

それはさておき、昭和合併で桑村と絹村とから成立した「桑絹村」という自治体名には関心をそそられます。
現在の小山市の町名には「桑」も「絹」も存在しないが、「桑・絹地区」という呼び方は残っているようです。
小山西高校のページに掲載されたふるさとの地名

結城紬(ゆうきつむぎ)で知られる茨城県結城市と隣接したシルク産業で栄えた地域ですが、特に絹村は結城市の中心市街に近いことや結城市に問屋が密集している結城紬の生産地であることから、生活や産業において結城市との非常に強いつながりを持つ地域であったとされます。

昭和合併の際も、絹村としては結城市への越境編入を望んだが、栃木県に意向でとりあえず桑絹村を作り、その後で分村・越境合併という手筈を承諾。
ところが、栃木県が分村を認めなかったことから、対立→大量立候補事件へと進展したようです。

[91787]のリンク先 選挙ドットコムから事件の発端を引用します。
しかし、合併をしないと国や県からの補助金がなくなる事や栃木県がとりあえず桑村と合併し、その後に結城市合併派の地区だけで分村して新しい村を作り、この村が結城市と越境合併をするという形にすると発言したことで桑村との合併が決まり、1956年に両村は合併して桑絹村が誕生しました。しかし、栃木県が前言を撤回して分村を認めないとしたことで、結城市合併派地区は桑絹村との同化を拒否。村政と絶縁すると宣言し、村議が辞職したり、村の農協から脱退して預金を全額引き出したり、地区の消防団が他の地区の消火活動をしないと宣言したり、果ては納税拒否という事態にまで発展しました。

参考情報などを収録した寄稿者のブログも付けておきます。

「成立しなかった合併情報」の対象は2000年以降です。県境の事例は五霞町と幸手市などが収録されています。
今回の絹村と結城市との越境合併不成立事例は、昔のことであり、合併協議会レベルにもなっていないと思われるので、もちろん対象外です。

しかし、この事例は「県境の壁」を越えることの困難を示す貴重な事例の一つであるように思われます。
あえて落書き帳に記録しておきたいと思いました。
そう言えば、実現しなかった県境変更の事例は[79754]でも記載。1955年熱海市泉地区

参考までに、昭和合併時代に成立した越境合併は、廃置分合5件+境界変更3件=8件でした。県境の変更
[92790] 2017年 4月 14日(金)19:15:48【1】hmt さん
六郷の七辻
[92747] リトル さん 「七差路」72時間
[92789] Takashi さん

大田区のページに記されていた所在地は、次のようになっていました。
大田区南蒲田二丁目、東六郷一丁目、南六郷一丁目ほか

交差点なので町字名の境界になっているのはわかります。
しかし、「ほか」と書かれると、あと幾つの町名があるのか? と気になります。
mapionで確認した限りでは、省略されているのは東側の 萩中一丁目 だけのようでした。

気にし始めると、この七辻の由来や旧地名も気になります。
知の冒険・珍スポットにあった「七辻の由来」の説明板。
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大正六年から十年の歳月をかけて行なわれた耕地整理によって完成したもので、そのころは、荏原郡六郷村子之神と呼ばれ、【水田と果樹園が広がり】春には花見客でにぎわったという。
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なるほど、明治22年の町村制で成立した六郷村の耕地整理によって 七辻が作られ、昭和になると六郷町を経て1932年の 「大東京」合併[74867] で東京市に編入されて都市化が進行。戦後になると蒲田区から大田区へ。という概略の動きは理解できました。

上記ページに従って、便宜的に 東から来る比較的大きな道を1とし、左回りに7まで付番すると、2→5と4→7が一方通行です。現在の大田区町名は萩中一丁目(7-1-2)、南蒲田二丁目(2-3)、東六郷一丁目(3-4-5-6)、南六郷一丁目(6-7)。

少し広域を眺めると、七辻の南西側には京浜急行の雑色駅を中心として 南六郷・東六郷・仲六郷・西六郷という町名が現存しています。
【追記】
雑色(ぞうしき)という言葉は、公家官職一覧の中に、蔵人所(令外官)の中に記されています。本来は天皇家の家政における庶務を扱う役職のようですが、都を離れた関東の地名として使われているので、地方官に仕える職など、別の意味に転用された用法に由来するのでしょう。
この表には、もちろん サイトウさん[92775][92783]に関係する斎院司に属する官職も記されています。【追記終】

[35798]では、「六郷(ろくごう)村の由来には、合併した村域の八幡塚、高畑、古川、町屋、道塚、雑色の六郷を総称したとする説もある」と記しましたが、明治合併で六郷村になったのは5村であり、西六郷の北に位置する旧・道塚村だけは矢口村になりました。

いずれにせよ、六郷の名は「六郷川」により現代にも伝えられており、戦後は西六郷小学校に赴任した鎌田典三郎教諭が設立した西六郷少年少女合唱団でも知られるようになりました。

七辻があるのは六郷神社の北東の方角で、説明板にあった「子【北】之神」と少し違います。

以上、七辻が話題になった機会に、東京の「六郷」について記しましたが、検索の結果、全国にある地名であることを知りました。
[92786] 2017年 4月 11日(火)19:45:52hmt さん
サウスジョージア島(2)フォークランド紛争 と シャクルトンの南極探検
[92785]に続く話題は、生物の楽園から離れて、この島で 人間の引き起こした騒ぎを少々記します。

一つは 35年前のフォークランド紛争。
フォークランド諸島の領有権を主張するアルゼンチンが、1982年に起こした戦争です。
侵攻は、放置されていたサウスジョージア島の捕鯨工場解体を名目にアルゼンチン人が入国手続を無視して上陸し、居座ったと3月から開始。
その後、アルゼンチン軍はフォークランド諸島に上陸し、一旦は圧倒的な兵力で その全域を手に入れました。

しかし、イギリスが本腰を入れて反撃を始めると これが成功し、6月にはイギリスの勝利で戦闘終結。
アルゼンチンのガルチェリ大統領は敗北の責任を問われ、大統領及び陸軍総司令官を辞任し失脚しました。
イギリス側にも損害はありましたが、「鉄の女」と言われた マーガレット・サッチャー首相の人気は急上昇。
両国は外交関係を回復していますが、領有権の主張では互いに譲っていません。

もう一つは、約100年前のシャクルトンの南極探検です。

同じイギリスのスコット探検隊は、犬ぞりを利用した アムンゼン隊に遅れながらも、1912年1月に「南極点到達」。
しかし、その帰路は 悲劇的な遭難で終りました。

「南極大陸横断」を目指したシャクルトン探検隊は、初期目的の「大陸横断」を果たせず、エンデュアランス号を失うなど 多くの危機にも見舞われましたが、それを乗り越えて生還しました。

このシャクルトン隊生還劇で重要な役目を果たしたのが、当時のサウスジョージア島にあった捕鯨基地でした。
[92785]冒頭2番目の地図が使われている Wikipedia「帝国南極横断探検隊」に詳しい記述があるので、関心のある方はそちらをどうぞ。

ポイントだけ記すと、南極のウェッデル海探検中、1915年にエンデュアランス号を失い、イギリスに戻るべく苦闘中のシャクルトン。救命艇・ジェイムズ・ケアード号に6人だけが乗り込み、捕鯨船に出会える可能性のあるサウスジョージア島を目指して「吠える 50度」の海を1500kmの航海に乗り出したのが1916年でした。風をかなり避けられる南岸のキング・ハーコン湾に接岸し、氷河に覆われた山脈を横断して サウスジョージア島 北岸の捕鯨基地・ストロムネスに到達。
その後、南極半島先端近くのエレファント島に残してきた隊員22名の救出にも成功しました。

「生還の保証なし」という”求人広告”[74153] で有名な シャクルトンは、1922年に サウスジョージア島を訪れた際に急死し、南極の入口とも言えるこの地に葬られました。
[92785] 2017年 4月 11日(火)19:21:18hmt さん
サウスジョージア島(1)生物の楽園
国立公園・国定公園のシリーズが一段落しました。
直接の関係はないのですが、ここで海外の地理に目を向け、鳥などの生き物にも関係した記事を記します。
その対象が、タイトルに記した「サウスジョージア島」です。

サウスジョージア島? どこだ? 
「ジョージア」だけならば、落書き帳全記事を検索すると何件もあります。
ソ連時代からの「グルジア」を英語式に変更したコーカサスの国名。
缶コーヒー。そしてアメリカ合衆国のジョージア州。
その中に埋もれていましたが、ありました。[10526] 太白さんの「海外領土」。
英国領 South Georgia and the South Sandwich Islands 南ジョージア・南サンドイッチ諸島
南緯 54度30分 西経 37度00分 南アメリカ

日本とは地球の反対側にあって馴染みのない場所ですが、南米大陸の先端・フェゴ島から東に進むと、フォークランド諸島、サウスジョージア島、その先のサウスサンドイッチ諸島で南に向きを変え、西のサウスオークニー諸島を経て南極半島の先端につながるという弧状列島の一員です。

地図で見るように、2005年の落書き帳で話題になった ブーベ島や トリスタン・ダ・クーニャ島と同様の 南大西洋の島々に属する島です。
もう一つの地図は、Wikipediaの「帝国南極横断探検隊」で使われている地図です。
上方【南大西洋】に伸びている青線の先Grytviken【スゥエーデン語の油壺】という捕鯨基地が設けられていた島がサウスジョージア島です。
シャクルトン南極探検隊のことは[74153]で触れましたが、この捕鯨基地があったおかげで生還することができたのでした。

サウスジョージア島の面積は 3756km2もあり、択捉島よりも大きな島です。1775年キャプテン・クックにより発見され、20世紀にはノルウェーの会社などによる捕鯨基地が建設されたが、1966年以降は研究者以外の定住者はないようです。

この島の自然に関するタネ本は 半年ほど前のNewton(2016-9)に掲載された記事で、「生物の楽園」と言われるように、数十万羽のキングペンギンを始めとする動物たちが海岸を埋め尽くす姿は壮観です。
島の動物たちや南極海のクジラを頂点とする生態系を支えているのは ナンキョクオキアミという小さな甲殻類。

この島がある南緯55度付近。そこは「大陸が存在しない緯度」です。見た目には、偏西風で西から東へと流れる海流が、大陸とぶつからずに南極大陸の周りを一周できそうです。正確には、同じ海水のまま一周しているわけではなく、大西洋などとの入れ替えがあるようですが…
世界で最も荒れる海として、航海者たちが「吠える50度、怒れる60度」という言葉で恐れた海域でした。

その中でも極め付きの海域。それは南米南端と南極半島との間のドレーク海峡を駆け抜けた海流が、前記 弧状に並ぶ島々や海嶺【スコシア弧】に衝突するスコシア海です。Google Earth

サウスジョージア島は、緯度こそフォークランド諸島とあまり変わらないものの、その付近の海は冷たい南極表層水(1~2度)で覆われ、北からくる大西洋の水の海水温(夏ならばフェゴ島周辺で6~7度)とは大きく異なります。

両者の間に形成されるのが「南極前線」。南極前線の北のフォークランド諸島では牧草地が広がりますが、サウスジョージア島は氷河で覆われ、時には南極大陸からの氷山も流れ着く場所です。

このように陸上の気候条件は厳しい地ですが、サウスジョージア島の海では 豊富な栄養を含む深層海水が湧昇流として水面近くにもたらされます。ここは ナンキョクオキアミが最も高密度に群れる海域となり、この豊富な餌により育てられた動物群が繁栄することになりました。

人が生活するには厳しい南極気候の地でありながら、意外にも「生物の楽園」が形成された「奇跡の島」。
それは、このような仕組みによるもののようです。

キングペンギンなど各種ペンギンやミズナギドリ、ウミツバメなどの鳥類、ミナミゾウアザラシ、カニクイアザラシ、ナンキョクオットセイ、掃除屋のオオフルマカモメ、そして大型のヒゲクジラ類。

それだけでなく、人間によって持ち込まれた外来動物も増えてしまいました。侵入者の代表はネズミでした。
捕鯨業者が食料として持ち込んだレインディア(カリブー)も数千頭に増殖し、問題になっていたが、2015年に駆除成功と伝えられます。
[92783] 2017年 4月 9日(日)15:02:43hmt さん
Re:サイトウさん
[92775] 伊豆之国 さん
「サイトウ」と言う苗字には、最も代表的な書き方で見ると、「斎藤」と「斉藤」(旧字体ではそれぞれ「齋藤」「齊藤」)の2つにまず大きく分けられます。「斎」と「斉」は本来別の字なのですが、混用されることが多く…

旧字体の頭を略記した新字体は ともかくとして、「斎」【サイ】とは別字である「斉」【セイ】を使いながら、読みとしては「サイトウさん」である方が多い新潟県など、注意を要する苗字ですね。

今回の話題に関連して ふと思い出した人物が、子供の頃に五月人形で見た「斎藤別当実盛」です。
馬上姿の人形でしたが、手にしていたのがダイコン。何か逸話があるはずと探しましたが、発見できませんでした。

探しているうちに見たのが、「ニッポン旅マガジン」に収録されている 斎藤さんのルーツを探せ!というページです。
斎藤姓はその藤原利仁の子、斎宮頭叙用(さいぐうのかみのぶもち=藤原叙用)が斎藤と称したことから始った。
つまり斎藤は、伊勢神宮の役職「斎宮頭」+藤原氏の「藤」=斎藤で、藤原北家利仁流の斎藤氏の誕生となる。

芥川龍之介小説『芋粥』は、外国貿易を支配した藤原利仁の敦賀館を舞台とした話のようですが(今昔物語)、この家は越前を本拠として北陸に勢力を広げたとのこと。
[92775]でも引用されている ページ に掲載された県別の塗り分け図を見ると、伊勢付近と共に北陸の青色【斎藤】が目立ちます。そして信越の赤色【斉藤】を飛び越えて関東・東北へと青色【斎藤】が広がっています。

旅マガジンに戻ると、「関東の斎藤さんは熊谷がルーツ」と書いてあり、越前から武蔵国長井庄【熊谷市妻沼】に移住した斎藤実盛が登場します。

斎藤実盛は 熊谷の偉人とされているのですね。800年以上前の平安時代末期、源氏や平家などの武士が勢力を伸ばしつつあった時代です。誰が勝者となるか先が読めません。
藤原姓の実盛は 最初 源氏の配下でしたが、結局は平家に仕えることになり、武蔵国北部の幡羅郡長井庄を支配。1179年妻沼聖天山を開いた頃が絶頂期でしょう。

清盛の死後、落ち目になった平家を支える役目になり、富士川の戦いを前に 東国武士の勇猛さを平家軍に伝えました。これが逆効果で、「水鳥の羽音に驚き全軍敗走」の遠因になったとの説もあるようです。

1183年、倶利伽羅峠の戦いで木曽義仲軍に大敗し、追撃された平家軍が迎えた篠原の戦い(加賀市片山津温泉付近)。『平家物語』は 総崩れとなった平家軍の中で戦死した実盛の奮戦を伝えています。
勝者の木曽義仲が 老武者の首を洗ったところ 白髪が現れ、幼児の駒王丸時代に木曽に逃してくれた恩人の実盛であったことを確認し、涙しました。
この敗戦により、平家は都落ちすることになりました。

約500年後の元禄2年(1689)、篠原の古戦場を訪れた旅人の詠んだ一句
むさんやな 甲(かぶと)の下のきりぎりす    芭蕉

熊谷市の年表によると、鎌倉時代になってからの1193年、源頼朝が妻沼聖天を訪れた際に、実盛の子は別当寺の建立を願い出て許され、1197年に歓喜院を創設。

[92780] 伊豆之国 さん 横浜市神奈川区斎藤分町六角橋 の近くなのですね。

[92781] N さん はまれぽ
要旨:『横浜の町名』(1982横浜市民局刊, 1996改訂)によると、斎藤兼実という武士が仏門に入り、善龍寺を開く。境内には、縁起が書かれた石碑(1987)が建てられている。石碑によると、真言宗の古寺を1253(建長5)年に浄土真宗に改宗した人物こそが斎藤兼実(=真量法師)。斎藤式部入道?

これだけでは数十年という時間と、地理的ギャップがあり、系図で裏付けないことには、斎藤実盛と斎藤兼実との関係は不明のままです。
しかし「実」という字と、同じ武蔵国内という共通点があります。
もしかしたら、約800年前の「斎藤さん」は、つながるのかもしれない。そんなことを妄想しています。
[92774] 2017年 4月 4日(火)18:43:47【2】hmt さん
近畿と北陸との間の関所 愛発(あらち)の関
[92773]で紹介された鉄道駅名改称の要望。
難読でもあり、知る人の少ない歴史地名「愛発」を 駅名として復活するには 困難があることでしょう。
それはさておき、この機会に伊豆之国さんの[87452]などを収録した記事集を紹介しておきます。

畿内から北陸へ
【1】URLの誤記を修正
【2】タイトル修正
マガジンで使った古代国家時代の用語「畿内」でなく、近江を含む「近畿」を使うことに改めました。
その理由は、[87493]で説明。
[92772] 2017年 4月 3日(月)19:32:59hmt さん
国立公園(8)ラムサール条約関連
2週間前の[92746]と同じような文章で始めますが、4月2日のテレビで 熊本 御輿来(おこしき)海岸が紹介されていました。

私はこの珍しい地名を知りませんでしたが、宇土半島北岸に位置し、有明海の大潮(干潮)と日の入りとが重なる時に現れる神秘的な砂紋が 絶景として知られているようです。
ミサゴや、絶滅危惧種に指定されているクロツラヘラサギなど鳥類も登場していました。

しかし、現在のところ 特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約【ラムサール条約】や、国立公園・国定公園については、未指定と思われます。
熊本県の 三角大矢野海辺県立自然公園には指定されており、日本の渚百選、日本の夕日百選の選定地でもあります。

有明海をずっと北に進むと、シギ・チドリ類の飛来地である広大な 荒尾干潟があり、東よか干潟(佐賀市東与賀町)と肥前鹿島干潟とを加えた3つの干潟がラムサール条約湿地になっています。国立公園・国定公園にはなっていません。

ラムサール条約は 1971年に締結され、その正式名称が示す対象は 「水鳥を主役とする生態系である湿地」です。
日本の加入は 1980年で、「釧路湿原」が第1号指定地でした。
その後の動きを見ると、湿原だけでなく、干潟・藻場・サンゴ礁・浅海域【慶良間諸島】・地下水系【秋吉台】・人工遊水地【渡良瀬遊水地】なども対象に含む「水辺の生態系」の保全という観点に拡大されているようです。

串本沿岸海域。これも 湿地ではなく 「海」そのもの ですが、サンゴ礁北限から かなり北に外れた海域でありながら 高密度のサンゴ群落を形成しており、2005年にラムサール湿地?として登録されています。

上記 串本のページは、「ラムサール条約登録湿地関係市町村会議」のものです。
TOPページは、登録年順リストと配置図になっており、リンクによって 解説文に進むことができます。

例えば みやこ♂ さんが 湿原コレクション の中で提供している 落書き帳記事集の対象である 06_別寒辺牛湿原」については、解説文に「保護の制度:国指定鳥獣保護区特別保護地区」と記されています。

前記・串本のページでは「保護の制度:国立公園海中公園地区・普通地域」となっており、両者の違いから国立公園指定の有無を判断できます。
コウノトリの野生復帰で知られる 39_円山川下流域・周辺水田には、「国立公園特別地域、河川区域」とあり、「山陰海岸」から少し内陸に入った所にも、国立公園区域があることがわかります。

番号とラムサール条約登録年との関係
 1980年:01  1985年:02  1989年:03  1991年:04  1993年:05-09  
 1996年:10  1999年:11  2002年:12-13  2005年:14-33  
 2008年:34-37  2012年:38-46  2015年:47-50

落書き帳を KW=ラムサール条約 で検索すると、驚くほど多数の記事があります。言うまでもなく 十番勝負に4回も登場したからですが、度重なる追加指定や廃置分合の結果として、同じ問題でも その都度該当する市が変化する という妙味が 出題者のお気に召した結果なのでしょう。[68312] 問八 「まさかまたラムサール?」

2005年には一挙に 20件もの指定がありました。
1986年 阿蘇くじゅうNPへの改称[92754]より前の 1978年に NHK「みんなの歌」で放送された『坊がつる讃歌』。
山岳地域に形成された中間湿原としては、国内最大級の面積を有し、我が国を代表する湿地のタイプ
と記された 21_くじゅう坊ガツル・タデ原湿原も、2005年にラムサール湿原として登録されました。
湿原の植生を維持するために、春の野焼きが行なわれており、これは 45_渡良瀬遊水地なども同様です。

地名コレクション。『湿原』では地図リンク有効。『希少地名(一般)』の「坊がつる」は地図が出ません。

今回の記事は国立公園(および国定公園)のシリーズなので、次のリストを作りました。

国立公園・国定公園指定地内のラムサール条約湿地

No.自然公園名Ram条約湿地名所在地備考
90利尻礼文サロベツNP29サロベツ原野北海道J豊富町/幌延町
89網走QP31濤沸湖北海道K網走市/小清水町
87阿寒NP14阿寒湖北海道M釧路市
86釧路湿原NP01釧路湿原北海道M釧路市+3
84暑寒別天売焼尻QP32雨竜沼湿原北海道A雨竜町
80大沼QP42大沼北海道F七飯町
69佐渡弥彦米山QP10佐潟新潟市西区
67尾瀬NP28尾瀬群馬県片品村など
66日光NP27奥日光の湿原日光市戦場ヶ原など
63上信越高原NP48芳ヶ平湿地群日光市
54中部山岳NP43立山弥陀ヶ原・大日平富山県立山町
51越前加賀海岸QP08片野鴨池加賀市
51越前加賀海岸QP41中池見湿地敦賀市
48愛知高原QP44東海丘陵湧水湿地群豊田市矢並湿地など
40吉野熊野NP22串本沿岸海域和歌山県串本町
37若狭湾QP23三方五湖福井県若狭町/美浜町
33琵琶湖QP09琵琶湖大津市など
32山陰海岸NP39円山川下流域・周辺水田豊岡市
30瀬戸内海NP40宮島廿日市市厳島の南西部
26秋吉台QP15秋吉台地下水系山口県秋芳町/美東町
14阿蘇くじゅうNP21くじゅう坊ガツル・タデ原湿原竹田市/大分県九重町
7屋久島NP33屋久島永田浜鹿児島県屋久島町
2慶良間諸島NP20慶良間諸島海域沖縄県渡嘉敷村/座間味村
1西表石垣NP24名蔵アンパル石垣市アンパル(網張)
[92767] 2017年 3月 31日(金)17:43:39hmt さん
国立公園(7)国立公園・国定公園一覧表 4 新潟県・東北6県・北海道
「NP・QP一覧表」は第三回までで 那須岳-燧ヶ岳-妙高山を結ぶ線のあたりまで来ました。およそ北緯37度線の近く、国立公園名【数字は行番号】で言うと  66.1日光NP那須地区-67尾瀬NP-62妙高戸隠連山NPです。
第四回は およそ北緯37度に沿った県境線【新潟県と福島県との南限線】より北にある NP=国立公園 QP=国定公園 に進みます。

陸中海岸NPから拡張・改称した「三陸復興NP」については、既にこのシリーズの第1回[92742]で記しました。

[92757]では ちょっとだけ湿原に触れました。今回の一覧表には「釧路湿原NP」を始めとして湿原関連の NP・QPがあるので、ラムサール条約についてのコメントも考えました。

しかし、現存する数で 34の国立公園と 56の国定公園 合計90に 過去の名称を加えた一覧表の完成を優先させます。

広い北海道については、14総合振興局・振興局一覧の順に A~Nの文字を使い、その位置を示すことも試みました。
【道央】 A:空知 B:石狩 C:後志 D:胆振 E:日高 
【道南】 F:渡島 G:檜山 
【道北】 H:上川 I:留萌 J:宗谷 
【道東】 K:オホーツク L:十勝 M:釧路 N:根室

北海道支庁設置条例(1948年の旧条例)では 石狩 渡島 檜山 後志 空知 上川 留萌 宗谷 網走 胆振 日高 十勝 釧路 根室 という順でしたが、条例と行政組織規則の規定を併せた 現在の名称と所管区域 は 上記のように改められています。[71706]

National Park・Quesi-national Park 一覧表 4 新潟県・東北6県・北海道

No.名称---変遷, 注釈など日付面積ha都道府県
68QPQP越後三山只見QP八海山などと奥只見1973/5/1586129新潟 福島
69QP佐渡弥彦米山QP【米山】拡張改称1981年29464新潟
69.1QP佐渡弥彦QP→1981拡張改称1950/7/27
70NPNP磐梯朝日NP1950/9/5186389山形/福島/新潟
71QPQP蔵王QP1963/8/839635山形 宮城
72QPQP鳥海QP1963/7/2428955秋田 山形
73QPQP栗駒QP1968/7/2277122岩手 宮城 秋田 山形
74NP三陸復興NP【南三陸金華山】QPを編入2015/3/3128537宮城/岩手/青森
74.1三陸復興NP【種差海岸など】編入/改称2013/5/24
74.2QP南三陸金華山QP→2015編入1979/3/30
74.3NP陸中海岸NP1955/5/2
75QPQP早池峰QP1982/6/105463岩手
76QPQP男鹿QP1973/5/158156秋田
77NP十和田八幡平NP【八幡平】拡張改称1956/7/1085534青森/秋田/岩手
77.1NP十和田NP1936/2/1
78QPQP津軽QP1975/3/3125966青森
79QPQP下北半島QP1968/7/2218641青森
80QPQP大沼QP1958/7/19083北海道F
81QPQP日高山脈襟裳QP1981/10/1103447北海道EL
82QPQPニセコ積丹小樽海岸QP1963/7/2419009北海道C
83NPNP支笏洞爺NP1949/5/1699473北海道BCD
84QPQP暑寒別天売焼尻QP1990/8/143559北海道BI
85NPNP大雪山NP1934/12/4226764北海道HL
86NPNP釧路湿原NP1987/7/3128788北海道M
87NPNP阿寒NP1934/12/490481北海道MKL
88NPNP知床NP1964/6/138636北海道KN
89QPQP網走QP1958/7/137261北海道KN
90NP利尻礼文サロベツNP【サロベツ】QPの拡張改称1974/9/2024166北海道J
90.1QP利尻礼文QP→1974拡張改称NP1965/7/10
[92766] 2017年 3月 29日(水)18:14:48hmt さん
国立公園(6)東海自然歩道と沿道の国定公園など
[92760] k_ito さん
東海自然歩道との関連が気になりました。
沿道にあたる国定公園の指定もちょうどその頃です。関連させた事業なのでしょうか。

国定公園の調査中に見た資料の中にも「東海自然歩道」という言葉は度々出て来ました。
両者の関連は私も気になっており、これを機会に立ち入ってみました。

東海自然歩道を始めとする長距離自然歩道も環境省の管轄です。従って、国定公園などの自然公園と 全く無関係ということはないと思います。

最初の資料は、東海自然歩道連絡協会の 東海自然歩道MAP

コース両端が同日(1967/12/11)に指定された国定公園であり、その後3年間で沿線に6国定公園が指定され、東海自然歩道の整備期間(1970-1974年度)へと続いたことは、ご指摘の通りです。

そこで、このMAPに示された東海自然歩道の厳選コースを見ると、高尾の次は相模湖付近となっていました。
hmtの出身地から少し離れていますが、落書き帳ではお馴染みの「津久井」の一部です。

東海自然歩道の神奈川県内コース。簡略図を見ると、南側に丹沢大山国定公園が記されていますが、両者の関係は不詳です。大きな図にも、自然公園の境界線が描かれていません。

そこで、神奈川県内の自然公園を見ます。相模湖は「県立陣馬相模湖自然公園」(1983/12/16指定)となっており、国定公園の指定地域外であることが確認できました。

このことにより、西日本においては 東海自然歩道の整備に合わせて その沿道で複数の国定公園が誕生したのは事実としても、東海自然歩道の事業は「その沿道のすべてを国定公園化する」というほど「直接に関連させた事業」ではない ことがわかりました。では 国定公園の予備軍的なもの迄含めて、沿道を自然公園化する事業なのか? そのあたりは不詳です。

[92760]で作成していただいた表は、国定公園の指定日順になっています。
地理的感覚からすると、ルート順がわかりやすいと思われるので、東海自然歩道沿道の 11国定公園に富士箱根伊豆国立公園を加えた12自然公園について、東から西への順番に並べ直してみました。

それぞれの自然公園について、1箇所ずつですが、QP or NP 地域内の地名と、東海自然歩道コースガイドのイラストをリンクしておきます。
丹沢大山QPの例で説明すると、丹沢山塊の最高峰・蛭ヶ岳の北にある袖平山付近を通過するルートを示します。
地形図 では少し西に東海自然歩道という注記が見え、少し東の 1433mは 東海自然歩道全コースの最高地点です。

東海自然歩道沿道の NP・QP【東から西へ】 と 公園内コースの一部

58 明治の森高尾QP 高尾山 
57 丹沢大山QP 袖平山
55 富士箱根伊豆NP 青木ヶ原樹海
49 天龍奥三河QP 鳳来寺山
48 愛知高原QP 猿投山
46 飛騨木曽川QP 犬山
45 揖斐関ヶ原養老QP 養老
44 鈴鹿QP 湯の山
42 室生赤目青山QP 室生寺【注】
36 大和青垣QP 三輪山
33 琵琶湖QP 比叡山
34 明治の森箕面QP 箕面

【注】有名観光地・室生寺の名を使いましたが、イラストでは室生口大野の駅が示されているものの、お寺の本体が見つかりません。キャンプ場の下あたりに隠れているようです。
[92757] 2017年 3月 27日(月)17:20:27hmt さん
国立公園(5)国立公園・国定公園一覧表 3 中部と関東
「NP・QP一覧表」第三回は 中部から関東の各都県に進みます。NP=国立公園 QP=国定公園。
表の中には NP NP と並ばずに、中間に変遷情報が記載されている国立公園がいくつかあります。
その中でも歴史ある観光地・「富士箱根」と「日光」の名を冠した2つのNPについて 最初に記します。

富士山というと国立公園の中でも「日本一の山」だと思ってしまいます。
しかし国立公園制度ができ、戦前に 12国立公園が作られた際、富士箱根は 3回に分けて指定された中で ラストグループ【1936年組】でした。

1936/2/1 内務省告示32号で指定された地域は富士山地域と箱根地域でしたが、戦後の1955年に伊豆半島に拡張されて 「富士箱根伊豆国立公園」と改称。
更に1964年に 東京都所管の伊豆七島QPを併合したが、名称は変わらず。
4区域からなる富士箱根伊豆NPの基礎情報

単純な拡張と それに伴う改称という「富士箱根伊豆」に比べて、日光・尾瀬地区の変遷はもっと複雑な事情があるようです。

日光NP 最初の指定である1934/12/4 内務省告示569号に記された区域分図縦覧役場を見ると 次のようになっており、日光地域だけでなく その北西にある尾瀬地域も指定されていることが分かります。
栃木県上都賀郡今市町/日光町/塩谷郡栗山村、群馬県利根郡片品村、福島県南会津郡檜枝岐村、新潟県北魚沼郡湯ノ谷村。正しくは湯之谷村のようですが、この程度の表記違いは しばしば告示の中に現れるので、気にしないことにします。

戦後になると1950/9/22 厚生省告示253号で 日光地区の北北東にある那須甲子・塩原・鬼怒川の温泉郷が追加指定されました。

このように拡大された「日光」国立公園についての議論は昔からあったようです。[29045]によると
昭和初期の日本山岳会の会報を見ると,当時は「奥日光の尾瀬」という言葉が当たり前のように使われていた

みやこ♂さんと違い この地域には詳しくありませんが、[29045][51625]などの尾瀬関係 落書き帳過去記事集から、自然風景地の保護とその利用という「二兎を追う」自然公園法が、尾瀬の扱いで転機にさしかかってきたことを感じます。
「二兎を追う」国立公園制度の中でバランスを取ろうとした政策が、保護に重点を置く「尾瀬NP」を 利用に重点を置く「日光NP」から分立させる という「かなりびっくり」[51584]の処置になったのではないか。
私は 2007年の「尾瀬国立公園」誕生を このように理解しました。

尾瀬分立後の国立公園変遷履歴を全国的に追うと、屋久島NPの分立(2012)、慶良間諸島NPの分立(2014)、妙高戸隠連山NPの分立(2015)と続いており、前2者は保護を重視する世界遺産がらみです。

尾瀬の大きな特色に湿原があります。そこで連想するのが 1987年に誕生した釧路湿原NPです。
最近も[92746]で ちょっとだけ言及しましたが、1980年に日本最初のラムサール条約登録湿地になったことが評価されたものと言われています。
尾瀬分立をもたらした国立公園行政の転機は、このあたりに端を発していたのかもしれません。

尾瀬NPに戻ると、その一部は新潟県に及んでいます。妙高戸隠連山NPも同様に、中部・関東に関係深いNPです。
この2NPは 当然のように今回集計の分に入れてあります。
しかし新潟県単独の「佐渡弥彦」や東北と関係するNP・QPは次回送りとしました。ご承知ください。

National Park・Quesi-national Park 一覧表 3 中部と関東

No.名称--変遷, 注釈など日付面積ha都道府県
45QPQP揖斐関ケ原養老QP1970/12/2820219岐阜
46QPQP飛騨木曽川QP1964/3/318074岐阜 愛知
47QPQP三河湾QP1958/4/109457愛知
48QPQP愛知高原QP1970/12/2821740愛知
49QPQP天龍奥三河QP1969/1/1025720長野 静岡 愛知
50NPNP南アルプスNP1964/6/135752山梨/長野/静岡
51QPQP越前加賀海岸QP1968/5/19794石川 福井
52NP白山NP←白山QP1962/11/1249900石川/岐阜/福井/富山
52.1QP白山QP→1962NP1955/7/1
53QPQP能登半島QP1968/5/19672石川 富山
54NPNP中部山岳NP1934/12/4174323富山/長野/岐阜/新潟
55NP富士箱根伊豆NP【伊豆七島】QPを編入1964/7/7121695静岡/山梨/東京/神奈川
55.1伊豆七島QP→1964NPに編入1955/4/1
55.2富士箱根伊豆NP【伊豆半島】拡張改称1955/3/15
55.3NP富士箱根NP1936/2/1
56NPNP小笠原NP1972/10/166629東京
57QPQP丹沢大山QP1965/3/2527572神奈川
58QPQP明治の森高尾QP1967/12/11777東京
59NP秩父多摩甲斐NP改称2000/8/10126259山梨/東京/埼玉/長野
59.1NP秩父多摩NP1950/7/10
60QPQP八ヶ岳中信高原QP1964/6/139857長野 山梨
61QPQP妙義荒船佐久高原QP1969/4/1013123群馬 長野
62NPNP妙高戸隠連山NP←上信越高原NPから分立2015/3/2739772新潟/長野
63NP上信越高原NP分立により妙高戸隠削除2015/3/27148194長野/群馬/新潟
63.1上信越高原NP【妙高戸隠】拡張1956/7/10
63.2NP上信越高原NP1949/9/7
64QPQP南房総QP1958/8/15690千葉
65QP水郷筑波QP【筑波山・加波山】追加1969/2/134956茨城 千葉
65.1QP水郷QP→1969水郷筑波QP1959/3/3
66NP日光NP←分立により尾瀬を削除2007/8/30114908栃木/福島/群馬
66.1日光NP【那須甲子 塩原 鬼怒川】1950/9/22
66.2NP日光NP【最初は尾瀬と日光】1934/12/4
67NPNP尾瀬NP←日光NPから分立2007/8/3037200群馬/福島/新潟/栃木
[92754] 2017年 3月 23日(木)19:32:23hmt さん
国立公園(4)国立公園・国定公園一覧表 2 四国・中国と近畿
本題の前に、[92746]阿蘇くじゅうNP に関係する補足です。
大分県の「くじゅう」については、日田盆地に集まる3川の一つ・玖珠川が久住山麓から西流しており、かつては 筑後川の本流とされていたことに触れています[91405]
杖立川記事では、その上流は田の原川迄しか記しませんでしたが、そのの小田川も「くじゅう連山」へと遡っており、杖立も「くじゅう」に発する水系に属していたのでした。
「ひらがな表記」の理由は、玖珠郡九重町<飯田村と竹田市久住町<直入郡久住町とがあるためでしょう。

飯田村と久住町の名は、1934/12/4の内務省告示571号で確認でき、阿蘇国立公園は その発足時から 久住山や中岳【九州本土最高峰】などを含んでいたことがわかります。
にもかかわらず、1986年の改称で国立公園名に「くじゅう」が入るまで、実に 51年9月以上を要しました。
秩父多摩に「甲斐」が追加[92743]される迄の50年1月よりも長い前例があったのでした。

本題の「NP・QP一覧表」の第二回は「四国・中国と近畿」としました。
環境省・近畿地方環境事務所の管轄地域は 滋賀・京都・大阪・兵庫・奈良・和歌山の6府県ですが、この表では 便宜上 三重県を含めた7府県としました。

「NP・QP一覧表」中での大物は「瀬戸内海NP」です。
陸域面積672km2は大雪山NPに遠く及びませんが、海域8370km2を含めると最大面積の国立公園です。
「1934年 国立公園第1号」の一つですが、最初の指定地は 備讃瀬戸付近の3県内に限られていました。

地図*で見るように、拡張前の瀬戸内海国立公園の東端は 小豆島の寒霞渓や岡山県の牛窓でした。屋島 直島 下津井 塩飽等を経て 西端は香川県の三崎と広島県の阿伏兎崎との間に境界線が引かれているようです。
* 日本交通公社編:観光と国立公園 S24 三省堂 の挿入図

そして、戦後 1950/5/18の 第2次指定により 淡路島周辺から周防灘の姫島に至る 陸上主要部が追加されました。
瀬戸内海NPは大拡張の結果、現在と近い姿になりました。
参考までに、告示に記されている9県の中から 適当に拾った地名を例示しておきます。
和歌山 加太/ 洲本 福良/ 鳴門/ 室津 赤穂 家島/ 日生 玉野 児島 寄島/ 坂出 琴平 善通寺/ 尾道 三原 瀬戸田 忠海 安芸津 安浦 御手洗 倉橋島 広島 五日市 厳島/ 麻里布 久賀 屋代 室津 上関 光 下松 徳山 防府/ 今治 宮浦 関前/ 姫島
同日の別告示で、それまで阿蘇NPであった高崎山が瀬戸内海NPに編入されたようですが官報未確認。

第3次指定は 1956年です。陸域が六甲山系主要部や国東半島で拡張された他に、紀淡海峡・関門海峡などの海域が指定されました。

国立公園指定地は、六甲地域に見られる 1971年以降の区域縮小 による変化もありました。六甲地域管理計画書10/75。別荘や奥池分譲地など 常住人口の多い六甲地域の特異性があるようです。

瀬戸内海国立公園に関係する県は 11府県に及んでいます。表の中に書ききれないので、ここに別記します。
陸域面積の多い順に 香川/兵庫/広島/愛媛/山口/岡山/大分/徳島/和歌山/福岡の10県。そして海域のみの大阪府。

National Park・Quesi-national Park 一覧表 2 四国・中国と近畿

No.名称-変遷, 注釈など日付面積ha都道府県
21NP足摺宇和海NPNPに変更 改称1972/11/1011345高知/愛媛
21.1足摺QP【宇和海】追加→1972NP1964/3月
21.2QP足摺QP1955/4/1
22QPQP石鎚QP1955/11/110683愛媛 高知
23QPQP剣山QP1964/3/320961徳島 高知
24QPQP室戸阿南海岸QP1964/6/16230徳島 高知
25QPQP北長門海岸QP1955/11/112384山口
26QPQP秋吉台QP1955/11/14502山口
27QPQP西中国山地QP1969/1/1028553島根 広島 山口
28QPQP比婆道後帝釈QP1963/7/248416鳥取 島根 広島
29NP大山隠岐NP【隠岐 島根半島 三瓶蒜山】改称1963/4/1035353島根 広島 山口
29.1NP大山NP1936/2/1
30NP瀬戸内海NP六甲など一部を解除して縮小1971-19936724210県【本文】
30.1瀬戸内海NP【高崎山】を阿蘇NPから編入1956/5/1
30.2瀬戸内海NP【六甲・国東半島】紀淡海峡など1956/5/1
30.3瀬戸内海NP9県に及ぶ大規模追加【本文】1950/5/18
30.4NP瀬戸内海NP【備讃瀬戸】1934/3/16
31QPQP氷ノ山後山那岐山QP1969/4/1048803兵庫 岡山 鳥取
32NP山陰海岸NP←QP1963/7/158783兵庫/鳥取/京都
32.1QP山陰海岸QP→1963NP1955/6/20
33QPQP琵琶湖QP1950/7/2497601滋賀 京都
34QPQP明治の森箕面QP1967/12/11963大阪
35QPQP丹後天橋立大江山QP丹後半島は若狭湾QPから分割2007/8/319023京都
36QPQP大和青垣QP1970/12/285742奈良
37QPQP若狭湾QP1955/6/119197福井 京都
38QP金剛生駒紀泉QP【和泉山脈】拡張改称1996/10/223119大阪 奈良 和歌山
38.1QP金剛生駒QP1958/4/10
39QPQP高野竜神QP1967/3/2319198奈良 和歌山
40NP吉野熊野NP【鬼ヶ城以北】追加1975/12月61406奈良/三重/和歌山
40.1吉野熊野NP【錆浦】追加1970/7月
40.2吉野熊野NP【潮岬】追加1954/2月
40.3NP吉野熊野NP1936/2/1
41QPQP京都丹波高原QP2016/3/2568851京都
42QPQP室生赤目青山QP1970/12/2826308三重 奈良
43NPNP伊勢志摩NP1946/11/2055544三重
44QPQP鈴鹿QP1968/7/2229821三重 滋賀
[92746] 2017年 3月 19日(日)17:39:52【2】hmt さん
国立公園(3)国立公園・国定公園一覧表 1 南西諸島と九州
今朝のテレビで沖縄 慶良間の海が放送されていました。2014/3/5 国立公園指定。3月5日は 珊瑚(サンゴ)の日です。番組は 翌2015年制作で、その再放送でした。
新規の国立公園が指定されたのは 1987年の釧路湿原以来 27年ぶりのことでした。
その後、昨年の やんばる[90614]、今年の奄美群島[92739]と 立て続けに南西諸島で国立公園が誕生。

そこで[92742]で言及した一覧表を、南西諸島と九州から始めたいと思います。

どのような一覧表になるか、構想の固まらないうちに走り出したのですが、ここのサイトに出入りするうちに習性になった「変遷情報」への関心から、年代順という選択肢もありました。
しかし、メインとなる筋は やはり地域別で、拡張・改称・分立などを主とする変遷情報は、同一地域内で二次的な形で記載するのが適切でしょう。

環境省の 国立公園一覧を見ると、日本地図上の北から南へ国立公園33【奄美群島未収録】の番号が付けられています。地域別の配列は これを基礎にしたいと思いますが、琉球・奄美の話題から始まったことでもあり、南西→北東という逆順にします。

上記一覧からは地図によるリンクの他に、7地区【管轄地方環境事務所別】の国立公園にも移れます。
しかし、地図12番の上信越が地区順では中部になるなど、両者の順番は必ずしも一致していません。
実は [92742]で言及した一覧表作成の動機の一つに、この「国立公園一覧」から「一覧表」型式に行けないことがあったのですが、その後の調査で データ集の中に「国立公園の概要」という名の一覧表があることがわかりました。
pdf型式は H29/3/31現在で 34国立公園すべてが揃っていました。何故かword型式のデータは半年古く、33国立公園です。

順番という点で付言すると、12番目の上信越から分立した妙高戸隠連山は17番目に記されています。
やはり国立公園については、都道府県のような「正式の順番や番号」は存在しないようです。
南西から始めるのは 多くの日本地図帳が採用している順でもあり、必ずしも「逆順」とは言えないようです。

国立公園について、指定地域の拡張・それに伴うことが多い名称変更・分立などの変遷は、しばしば国定公園がらみの情報になります。
ということで、一覧表の対象には 国定公園も加える ことにしました。
国定公園を指定するのは環境省ですが、その管理は都道府県です。従って環境省のサイトには国定公園の情報が少ないように思われますが、先に挙げたデータ集には 国定公園の概要という一覧表もありました。
URLの中に「quasi」という単語が使われていますが、英語では「quasi national park」と言うのでした。

表の中など 文字数を節約する必要があるので、NP=国立公園 QP=国定公園という略記を多用します。
【1】[92749] みやこ♂ さん の助言に従い、略記を2文字に改めました。

上記「国定公園の概要」では、例えば蔵王QPの関係都道府県として「山形・宮城」と記されています。
都道府県を単純にコード順に並べたものでないことから、(面積順との記載はないが)重みを考慮した記載であると思われたので、今回の一覧表に採用しました。
なお、国立公園については都道府県別の面積データがあるので、三陸復興NP:宮城/岩手/青森 のように「/」で区切って最終的に宮城県が最大になっている現状[92742]を明示しました。

変遷情報の要になる国立公園の区域拡張に関しては、要領よくまとめた資料を発見することができずにいたのですが、自然公園の今後のあり方についての会議の参考資料の中から 適切な資料 を発見しました。これを利用します。

資料集めがらみで前置きが長くなりましたが、「NP・QP一覧表」の第一回として「南西諸島と九州」を示します。

表の説明
No.:南西から北東に進むための便宜的なもの。
現:NPは現存する国立公園、QPは現存する国定公園で、最新の変遷情報と日付、現在の面積、都道府県を記載
初:最初に国立公園又は国定公園として指定された情報と日付
【2】現在はNPである錦江湾(1955)、奄美群島(1974)の最初の QP指定も この欄に入力する。

変遷情報が少ない公園は、1行に「NP NP」or「QP QP」と並んで完結するが、変遷を記したNPでは、現在列のNPと初指定のNPとが別行になる。特に No.8 霧島の場合は 5行を使って編入や分立・改称を記載し、初指定もNPとQPの両方を示した。8.1行では、原生自然保全を目的とした指定地の一部削除も記載した。 
8~8.4行の日付で見るように、2012年の分立・改称から 1934年の初指定へと遡って変遷を記録する。

名称:国立公園はNP、国定公園はQPと略記。
変遷, 注釈など:【括弧内】は指定区域に入った地名など。
面積haと都道府県:現在のデータのみ。

No.名称---変遷, 注釈など日付面積ha都道府県
1NP西表石垣NP【石垣島】拡張改称2007/8/140653沖縄
1.1NP西表NP復帰時に移管1972/5/25
2NPNP慶良間諸島NP沖縄海岸QPの一部から分立2014/3/53520沖縄
3QPQP沖縄戦跡QP復帰時に移管1972/5/153127沖縄
4QP沖縄海岸QP2014慶良間NP分立2014/3/54872沖縄
4.1QP沖縄海岸QP【本島西海岸など】復帰移管1972/5/15
5NPNPやんばるNP(区域に沖縄海岸QPの一部)2016/9/1513622沖縄
6NP奄美群島NPQPから変更2017/3/742181鹿児島
6.1QP奄美群島QP→2017NP1974/2/15
7NPNP屋久島NP霧島屋久NPから分立2012/3/1624566鹿児島
8NP霧島錦江湾NP改称(屋久島N分立)2012/3/1636586鹿児島/宮崎
8.1霧島屋久NP屋久島一部削除(原生自然保全)1975/5月
8.2霧島屋久NP【屋久島と錦江湾QP】編入1964/3/16
8.3QP錦江湾QP→1964霧島NPに編入1955/9/1
8.4NP霧島NP1934/3/16
9QPQP甑島QP2015/3/165447鹿児島
10QPQP日南海岸QP1955/6/14542宮崎 鹿児島
11QPQP九州中央山地QP1982/5/1527096熊本 宮崎
12QPQP祖母傾QP(そぼかたむき)1965/3/2522000大分 宮崎
13QPQP日豊海岸QP1974/2/158518大分 宮崎
14NP阿蘇くじゅうNP改称1986/9/1072678熊本/長崎/鹿児島
14.1阿蘇NP【由布鶴見(高崎山)】拡張1953/9/1
14.2NP阿蘇NP【久住町等も最初から指定】1934/12/4
15NP雲仙天草NP天草五橋追加1967/12月28279熊本/長崎/鹿児島
15.1雲仙天草NP【天草】拡張改称1956/7/20
15.2NP雲仙NP1934/3/16
16NPNP西海NP1955/3/1624645長崎
17QPQP壱岐対馬QP1968/7/2211946長崎
18QPQP玄海QP1956/6/110152福岡 佐賀 長崎
19QPQP耶馬日田英彦山QP1950/7/2985024福岡 熊本 大分
20QPQP北九州QP【皿倉山, 平尾台】1972/10/168107福岡
[92745] 2017年 3月 14日(火)16:32:28【1】hmt さん
洛北の「大原村」 琵琶湖との分水嶺は 府県境からずれて大字境界
[92744] ペーロケさん
逆に、琵琶湖集水域が全て滋賀県とも限らないのですよね。このあたりは京都府ですが、琵琶湖集水域でもあります。

地形図 を見ると、京都府左京区の久多川は東の滋賀県に入って安曇(あど)川に合流し、比良山地の西にある朽木谷を北流し、高島市の大きな三角州から琵琶湖に注いでいます。

変遷情報 を見ると1949年(昭和24)に 愛宕郡八瀬村・大原村・鞍馬村など8村が京都市に編入されています。この内の7村は左京区であり、その末尾に久多村が見えます。

地形図をスクロールすると、約10km南に大原百井町があります。
ここも京都市ですが、百井川も久多川と同様に安曇川に合流します。
そして前記7村の内 「明治22年 大原村」の前身には 百井村の名がありました。

大原と言えば洛北の有名地ですが、その付近を流れる高野川の水系は鴨川>桂川を経て淀川に合流します。
「明治22年 大原村」の中で、分水嶺(百井峠)の北にあった一部【旧・百井村】だけの降水が 琵琶湖へと注いでいたようです。

大原地区にある分水嶺の両側の百井川と高野川。最終的には 共に淀川水系ですが、前者は安曇川>琵琶湖>宇治川経由、後者は鴨川>桂川経由であり、合流するのはずっと先です。分水嶺の地位は、京都府と滋賀県との境界と一致しないだけでなく、京都府愛宕郡大原村内の「大字境界」というレベルにまで下っていました。

裏付ける史実を調べたわけでもなく、単なる推測ですが、[92744]で示された関西の特徴
歴史が古いためか、為政者の経済力やら地位などで、「峠の向こうも領有」なんて事が多かった名残で、都道府県境が分水嶺と一致しない所が多いのかなと推察します。
これを示す実例かもしれないと思われたので、参考までにフォローしてみました。

【1】修正と共にタイトル変更
[92743] 2017年 3月 12日(日)18:10:35hmt さん
国立公園(2)国立公園の名称変更
[92742] で言及した一覧表の作成に着手しました。最初に気になったのが 国立公園名の変更 です。

国立公園の最初に改称例は 1955/3/15で、富士箱根国立公園の伊豆半島地域への拡張による「富士箱根伊豆国立公園」への変更でした。
国立公園の場合は この方式が前例として定着してしまったのですが、さすがに三連称名はいかにも長すぎ、しばらくの後続改称は二連称名でした。
1956/7/10 十和田八幡平国立公園、1956/7/20 雲仙天草国立公園、1963/4/10 大山隠岐国立公園、一つ飛んで 1986/9/10 阿蘇くじゅう国立公園、2007/8/1 西表石垣国立公園、そして 2013/5/24 三陸復興国立公園。

1964/3/16に 霧島国立公園が 屋久島地域と錦江湾国定公園とを編入しましたが、新名称は「霧島屋久国立公園」で、鹿児島県の地名三連称となる「霧島屋久錦江湾国立公園」は実現しませんでした。
錦江湾は島津家久の歌に由来する鹿児島湾の別名で、「鹿児島県民のほとんどは、錦江湾と呼んでいる。」そうです(Wikipedia)。

この愛着ある「錦江湾」が、思わぬ展開で復活したのは、48年後でした。
世界自然遺産に登録(1993)された屋久島が 独立した国立公園として分離することになり、いわば「名称の空席」ができたのです。このようにして 2012/3/16に三度目の名称である「霧島錦江湾国立公園」が実現し、同時に錦江湾北部・姶良カルデラ関係の国立公園拡張も行なわれました。

ついでに記すと、3月16日というのは 国立公園指定記念日です。遡れば 1934/3/16に瀬戸内海・雲仙・霧島の3ヶ所が最初に国立公園として指定された日だったのでした。[34551]地球人さん

ここまでは、国立公園の指定地域変更と名称とを合致させようとする動きとして理解することができます。
でも、[92742]で記したように、国立公園地域の一部が陸前に及んでも「陸中海岸」で済ませている例もありました。

名称が地域の全体をカバーしていない代表例は「秩父多摩国立公園」でした。
首都圏に近い関東山地にあるこの国立公園は、火山国の日本では珍しい 水成岩の岩塊 を主としており、埼玉県の「秩父」・東京都の「多摩」という地名により代表されていました。

国立公園面積の37%を占める山梨県(東京都28%,埼玉県27%,長野県8%)からは 1987年頃から働きかけがあったようですが、2000/8/10 三連称の「秩父多摩甲斐国立公園」への改称が実現しました。
東京湾に注ぐ秩父と多摩だけでなく、駿河湾に注ぐ川を持つ甲斐が、山地トリオの一角に加えられたのでした。
[92742] 2017年 3月 11日(土)14:57:16【1】hmt さん
国立公園(1)三陸復興国立公園
[92739] k-ace さん 奄美群島国立公園
[92740] Takashi さん
日本で5番目の 世界自然遺産登録(2018年夏) を目指す「奄美大島、徳之島、沖縄島北部及び西表島」の推薦書は、2017/2/1に 日本政府からユネスコに提出、受理されました。朝日デジタル
今回の「奄美群島国立公園」誕生は、「やんばる国立公園」[90614]に続いて、この世界自然遺産登録を見据えたものなのでしょう。

但し、国立公園と世界遺産とは目的が違うため、両者が相容れない事例もあります。
[79238] hmt
1972年に小笠原国立公園が指定された時には、南硫黄島も入っていましたが、1975年に国立公園区域から除外。
なぜ? それは、自然公園法に基づく国立公園が「自然環境の保護」と同時に「利用増進を図ること」を目的としているからです。南硫黄島の「手つかずの自然」を保護するには、これでは不十分。

なお やんばる国立公園 は、ピーくん さんの記事の3ヶ月後、2016/9/15に指定されました。
ヤンバルクイナやヤンバルテナガコガネで知られるヤンバルには 「山原」という字が使われており、沖縄本島北部、山が連なり森が広がる地域です。

それはさておき、今日は 大地震と津波のあった 2011/3/11 から6年を経過した記念日です。

国立公園と言えば、リアス式海岸で知られた 陸中海岸国立公園 があった…
と考えているうちに、「三陸復興国立公園」という名に変っていることに気がつきました。

落書き帳過去記事にも登場していない。これはまずい。…というわけで、少し書きます。
環境省の 国立公園一覧 の東北地区を開くと、次の記述。

戦後の1955年に指定された「陸中海岸国立公園」が、大地震津波の2年後 2013年に区域を拡張して「三陸復興国立公園」に改名。陸域面積 28537haで、青森・岩手・宮城の3県にまたがる。

なるほど、区域が拡張されて「陸中海岸」という名が不適当になったわけか。
Wikipediaにも同様の記載があるが、「面積は12,212 ha」とあり、大幅に違う。

そこで環境省のページに戻って、概要・計画書を見ると、陸域公園面積(ha)は 宮城県 14882、岩手県 11232、青森県 2423 合計 28537ha。

計画変更などの経緯という項目があり、昭和30年の公園指定から平成27年までの要点がわかりました。
昭和39年:陸中国南端の釜石市大根崎から南の宮城県気仙沼市(陸前国)まで公園区域が拡張されているが、まだ陸奥国に及んでいないので「三陸」を使わずに済ませていたようです。
平成25年:青森県蕪島など(陸奥国)の拡張あり、公園名称変更。

そして、面積への影響が大きかったのは平成27年の拡張でした。
平成27年:宮城県内牡鹿半島など区域拡張。これは南三陸金華山国定公園(139km2)を編入したもので、これにより三陸復興国立公園の面積は大きく広がり、宮城県区域が最大になりました。
Wikipediaに記されていたのは2012年(陸中海岸時代)の面積のまま未修正だったのでした。

国立公園の区域拡張による名称変更はずっと前からあります。
みやこ♂さんの記事がある 尾瀬のような国立公園分割事例 も見逃すことができません。

この記事は、とりあえず 三陸復興国立公園 についてのみ記しましたが、記事検索してみると、霧島錦江湾国立公園など近年名称変更された国立公園も登場していません。
今回の記事で概ね理解できた調査手法を用いて、全国の国立公園について、簡単な変遷履歴を含めた一覧表を作っておきたいと思っています。

ずっと昔のことになりますが、[23882] グリグリさん に記されている構想にも沿ったものであろうと思います。
こちらも構想がありまして、どちらかというと「都道府県プロフィール」のメニューにしようかと思っていました。日本三景、日本三名園、国立公園、国定公園、世界遺産、島、湖沼、など基本情報に加え、百名山、滝百選、など。えい、時間よ止まれ!

【1】シリーズ化に伴い、タイトル変更
[92736] 2017年 3月 7日(火)15:45:59hmt さん
高島市今津町天増川(あますがわ)
[92735] スナフキん さん
滋賀県全域が淀川水系とは限らない

このことは私も初めて知りました。具体的な地名を知るために平凡社の地図帳を開いて確認。
今津から小浜に通じる国道303号が県境を越える手前付近に「天増川」という集落が記されていました。

地理院地図をスクロールして 少し北(上流)に移動すると、河川名の「天増川」も確認できました。
南から合流する寒風川の谷と合わせて南北に長い谷ですが、滋賀県内で合流する3本の川【東の水坂峠からの流れもある】の何れが「北川」の本流であるかは判断できませんでした。

高島市で「北川」と言えば、琵琶湖に注ぐ安曇川(あどがわ)水系の川もあります。例えば 北川ダム
滋賀県内では、この北川の方が知られているのではないか? などと余計なことを考えてしまいました。

滋賀県の大部分は 琵琶湖→淀川水系。
しかし 北西部の北川水系だけでなく、東には木曽川水系もある とのこと[5119]
伊吹山南麓の米原市藤川付近で降った雨は、藤古川>牧田川>揖斐川を経て伊勢湾に注ぐようです。
[92734] 2017年 3月 5日(日)22:29:59hmt さん
都道府県の歌 市区町村の歌
先日、都道府県市区町村の歌に関するテレビ番組を見ました。
それによると、各地の自治体が制定している歌は 400を超えるとのことです。

話の発端は 和歌山県民歌の歌詞で、『和歌山は常春の国』『南国』『黒潮』と紀南のイメージが強い。これでは、橋本や高野山など冬が寒い紀北を連想しにくいという批判が県議会であったそうです。和歌山放送

県歌・県民歌はどの程度に存在するのか? 番組によると、47都道府県中の 42 が公式に制定しているとか。
でも、自分の居住地や出身地の県歌を知っていますか?
落書き帳メンバーの反応を見ても、あまり定着していないという印象です。[50696]の末尾[68694][68724][89539]
「なぜか千葉県民歌は知っています。」という方も。[68727]

そんな中で、学校教育などを通じて 全県民?の愛唱歌として定着しているように思われるのが、長野県歌「信濃の国」です。
この歌は もともと長野師範学校の校歌だったそうです[2751]。落書き帳にも度々登場しています。

信濃国=信州は 律令時代から存在した旧国の名称ですが、明治前期に作られた新しい地方制度では、これを一体とする行政区画になっていませんでした。1871年の3府72県時代には、信濃国北部は長野県でしたが、信濃国南部は飛騨国と共に「筑摩県」【県庁所在地:松本】を構成していました

現在では 「長野県」の ほぼ同義語のように使われている一体感のある地域「信濃の国」。この関係が生まれたのは、1876年(明治9年)8月に行なわれた 県の廃合・管轄替です。
この時に筑摩県は廃止になり、飛騨国は岐阜県へ、そして信濃国の南部は長野県と合併になりました。

松本が県庁を失った きっかけは、1876年6月の火災による筑摩県庁舎焼失と考えられています。
その結果の統合で成立した長野県ですが、70余年後の戦後間もない 1948年(昭和23年)1月、県庁別館が焼失。

これを機会に、松本側のかねての主張である 分県論が活発になり、定例県議会は大混乱になりました。
両派の攻防はあったものの、上程された分県意見書案は法定得票数に達せずということで決着。

県議会の記録の他に、当時駆け出しだったという県政記者の記録をリンクしておきます。
そのタイトルは 「分県」を救った『信濃の国』とされています。

上記採決で分県阻止派の巧妙な作戦が成功した後のこと
「信濃の国は、十州に、境連ぬる国にして・・」と『信濃の国』の歌の大合唱がまきおこった。議場の傍聴席にも伝播して「信濃の国」が議場にこだました。(中略)感激のシーンに、県議会はまた一つになった。

「県歌が長野県を分県の危機から救った」というよりも、[89539]で紹介されているように、「県歌で有耶無耶にした様な話」なのですが、互いに力を尽くした攻防の後、県歌の大合唱で仲直りできた…という感激の一幕だったようです。

所さんの番組では具体的な紹介がなかったものの、秋田県民歌も大作のようで、戦前から「三大県民歌」の1曲と称されていたようです。参考

市町村の歌も多数あるようです。

過去記事を検索して拾ったもの。
森鴎外作詞という 横浜市歌
英タイトル・英歌詞入りとはユニークな座間市[59067]
[35055]、習志野・相模原[50696][68730]、金沢[68720]、町田[68731]、茨城県13市[77019]など 。
私も今はなき「東京市歌」の冒頭を[74320]のタイトルに使ったことがあります。

所さんの番組を締めくくったのは、長~~~~い超大作。
全部演奏したら40分という 叙事詩・交響組曲「伊万里讃歌」でした。
伊万里合唱団>伊万里の歌の3番目に、縄文時代から現代まで8章からなる壮大な叙事詩の一部が紹介されていました。
[92729] 2017年 2月 28日(火)22:54:49hmt さん
勾金(まがりかね)
現在の地名で言えば葛飾区高砂・新宿・金町あたりにあった旧村名の「曲金」(まがりかね)。
落書き帳では静岡市駿河区に現存する同名の町があるなど話題になりました。
この地名が気になってフォローした[92728]の続編として、同音異字の「勾金」にも言及します。

[92726] 伊豆之国 さん
福岡県香春町には平成筑豊鉄道に同音の「勾金」という駅があります。
これらの地名と、葛飾の「曲金」との間には、何か由来に共通項でもあるのでしょうか?

葛飾の「曲金」については[92728]で道路説の資料を紹介しましたが、川の曲流説もあるようです。

静岡の「曲金」は、現存町名だけに材料が多数あると予想したのですが、思うように見つかりません。
とりあえず一つだけですが、「直角に曲がった金尺のように水田が区割りされていることから」という説を紹介したサイトを挙げておきます。

豊橋市に「曲尺手町」という町があります。呉服町の近くでもあり、矩尺を使う職人町由来でしょうか。

さて、[92726]で紹介されたように 1956年の昭和合併で消滅した旧・勾金村【福岡県田川郡】。
市区町村変遷情報には明治合併前の4村名が記されていますが、現在の大字と対比すると、「鐘山」は「鏡山」の誤記と思われます。

それはさておき、
その鏡山にあるのが 勾金陵墓参考地です。河内王墓とも呼ばれています。

地名・勾金 に関する Yahoo!知恵袋の記載。
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勾金(まがりかね)とは曲尺(矩尺)のことで、通称「指し金」と言われる大工道具のことと推測できます。古代、寺社などの木造建築は元より、町作り、都作りの基本は正しい目盛りで測量することで、曲尺は長さを計るだけでなく垂直や水平を計ることが出来る最も簡略な器具でしたので、国作りには不可欠な至宝扱いされるほど大切な物です。宇佐神宮大宮司の所領であったほど大切な土地であったという事実は、おそらく、宇佐神宮造営の際に用いた曲尺をこの地に奉祀したのではないかと思います。
荒俣宏氏の『新帝都物語維新国生み篇』を読まれると、古代から大陸や日本に於いて、測量の基本となる尺(ものさし)が国家にとって如何に重要なものであったかが理解できますよ。
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この「勾金」という地名も「L字型の金属製定規」由来とする点は共通しています。
しかし、道路・川・水田などの曲がり方を直角定規に見立てたものではなく、宝物扱いされた曲尺(さしがね)そのものに由来するようです。

「測定の基本として重んじられた物差し」と言えば、近代では「メートル原器」[45385]です。
古代でこれに相当する道具を示したものとして、大阪の四天王寺・番匠堂に祀られた「曲尺太子像」を挙げることができます。
仏教伝来と共に日本に伝えれた宮大工の技術。聖徳太子はその大切な道具である「曲尺」も発明し、大工の始祖として崇められています。

大阪仕事文化研究会
Y!知恵袋_聖徳太子信仰と曲尺
研究授業・矩
[92728] 2017年 2月 26日(日)22:32:28【2】hmt さん
曲金
[92727] ぺとぺと さん
「まがりかね」自体に何か意味があるのではないか

この言葉から真っ先に思いつく意味は、大工や建具職人が使う L字型の金属製定規 です。
呼び方は「さしがね」や「かねじゃく」が一般的でしょうが、「まがりかね」「かねざし」「まがりざし」「まがりじゃく」も使います。
漢字も「曲尺」、「指矩」、「差金」、「指金」、「矩尺」などいろいろ。

[92726] 伊豆之国 さん
「葛飾の曲金村」については、水戸街道が鉤の手状に曲げられていたことに端を発するという由来が記されていました。金町の由来

【追記】「葛飾の曲金村」の修正履歴
一度は[92726]に合わせて「下総国葛飾郡曲金村」に修正【1】。
ところが、この地が下総国だった「昔」は おそらく中世以前のことで、「直角に曲げられていた水戸街道」と時代が合わないこと気が付く。
わざわざ武蔵国に再修正することもないので、【2】で元の表記に戻す。
[92722] 2017年 2月 24日(金)13:18:27hmt さん
愛媛県以外の用例
[92720] ペーロケさん
今までの人生の中で、「媛」の字を愛媛以外の用法で見たことがありません。

落書き帳アーカイブズに 愛ヒメと書く訳 ―地名は当用漢字を超える―という記事集が作られています。

落書き帳では、その後も 地名に使われる漢字についての議論があります。
例えば [65937]宝塚市の「丶のある塚」 など。

[92721] Takashi さん
才媛という単語がこの字を用いております。

この落書き帳で、私が記憶する用例は「才媛」の他に「弟橘媛」がありました。
参考までに列挙しておきます。愛媛でない「媛」


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