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かぱぷうさんの記事が5件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[92216]2017年1月2日
かぱぷう
[92187]2017年1月1日
かぱぷう
[92087]2016年12月10日
かぱぷう
[91833]2016年10月24日
かぱぷう
[91493]2016年9月23日
かぱぷう

[92216] 2017年 1月 2日(月)20:44:22かぱぷう さん
第四十四回十番勝負 解答
問十:宗像市
[92187] 2017年 1月 1日(日)01:51:27かぱぷう さん
第四十四回十番勝負 解答
あけましておめでとうございます。
紅白を見ながら年越しそばをすすり、ゆく年くる年を見てしみじみし、そして今は軽く酒を飲みながらおせちをつまんで「年の初めはさだまさし」を見るという、ここ数年変わらない年始を迎えました。のんびりしてるようですが、仕事納めは大晦日、仕事初めは元日というのもここ二十年ほど変わりません。早く寝た方がいいのですが、こんな日は夜更かしが楽しいので仕方ありません。
本年もよろしくお願いします。

問五:みやま市
[92087] 2016年 12月 10日(土)23:55:00かぱぷう さん
前畑遺跡
前月末、筑紫野市が進めている「筑紫駅西口土地区画整理事業」にあたって発掘調査が行われている『前畑遺跡(筑紫野市大字筑紫・大字若江)』から、古代大宰府を防衛する意図をもったものとみられる7世紀に造られたと推定される土塁が発見されました。

先週末に現地説明会が開催されまして、時間を作って足を運んできました。
現地での調査員の説明で、地名(大字)の境界について興味深い話が聞けましたので紹介したいと思います。


…まずは前置きを。
そもそも前畑遺跡で発見された土塁には、どのような意義があるのでしょうか?
(日本史の記述です。長文ですので、興味が湧かない方は読み飛ばしてください。)

◇◇◇◇◇◇◇
ご存じの方も多いと思いますが、663年に朝鮮半島で倭国・百済連合軍と、唐・新羅連合軍との戦乱がありました。白村江の戦いです。
この戦いに倭国は敗退、唐や新羅が攻め込んでくることを想定しなければならない事態となりました。侵攻されれば最前線になるであろう北部九州に、古代大宰府の都を防御すべく大野城と基肄(キイ)城を築造。
そして、大宰府北方の地峡帯に二つの山城を結ぶかたちで土塁を築きました。太宰府市・大野城市・春日市にまたがり今も残る、国の特別史跡『水城』です。

以下は前畑遺跡の調査員の方のお話です。
ーーーーーーー
「土塁は大宰府北方(博多湾側)だけでなく、大宰府南方(有明海側)にも存在したのではないか」いう説を唱える考古学者もいます。さらには「中国を中心とした東アジア一帯にみられる『羅城』の形態が大宰府周辺に存在したのではないか」という意見を持った学者も。
※[羅城(ラジョウ):繋がっている山並みや河川といった自然地形を取り込みつつ、平野部や地峡帯に土塁を築き、街を取り囲むかたちで防御するもの。日本国内では発見されていない]
南方に土塁が存在したという説は、証拠となるものが発見されていなかったので、近年までは少数意見でした。ましてや羅城なんて何をいわんやという空気が大半を占めていたようです。
ところが、1999年に大野城跡の南東に位置する筑紫野市の宮地岳山麓にて阿志岐(アシキ)山城跡が発見されたのを期に潮目が変わります。
阿志岐山城の立地や機能については謎が多いのですが、大宰府の防御関連施設である可能性が高く、「南方に土塁等の施設があったことを示唆しているのでは」と考える人を全否定できなくなってきました。
ーーーーーーー
そこに、今回の発見です。
大宰府南方から土塁遺構とみられる築造物が出土した初のケースとなりました。
大宰府周辺で羅城の遺構が確認できた…とまでするのはまだ早計でしょうが、これまでの史実が覆ったのは間違いがない、希有の大発見です。

【参考】
・毎日新聞11/28付
大宰府南方に長大な土塁を発見 防衛施設か
・九州歴史資料館
発掘情報/大宰府史跡紹介
(水城跡・阿志岐山城跡を含む大宰府関連の史跡全般を紹介)
◇◇◇◇◇◇◇

前置きがすっかり長くなってしまいました(^_^;)

前畑遺跡は、筑紫野市大字筑紫と大字若江の二つの地名にまたがった地点にあります。“前畑”とは小字の名称で、今は用いられることはほとんどありません。
1899(明治22)年の市制町村制施行でこの辺りは近隣10村が合併して御笠郡筑紫村となりましたが、それ以前は大字筑紫は御笠郡 (旧)筑紫村 、大字若江は御笠郡若江村でした。
筑紫・若江を含む旧村名は筑紫村の大字に引き継がれ、1955(昭和30)年に合併で筑紫野町となり、1972(昭和47)年に市制施行を経た現在も、宅地開発等で住居表示がなされた地区が一部存在するものの旧10村の名称が全て大字地名として残っています。

調査員の方の話では、今回見つかった土塁の築かれた延長線は、大字筑紫と大字若江の境界線とピッタリ一致するというのです。つまり、(旧)筑紫村と若江村の村界ですね。
そして、この境界線部分はこの辺りの住民が里道(サトミチ/リドウ:舗装されて車は通れるような道ではない畦道のような土の道だけれども、歩行者が行き交うことができる)として、区画整理事業が始まる直前まで西鉄筑紫駅への近道として日常的に利用していたという情報ももたらされました。
土塁というのは、ただ高い堤を築いて敵から街を防御する役割だけではなく、防衛の際の兵士の通行路、物資や兵器、食糧の運搬路としての性格を持っていた、だから築堤の上は切り立った急峻な仕上げではなく道として利用できるよう平らに整えられていたという訳です。
実は私、この辺りの大字筑紫と大字若江の境界線が、尾根筋でも河川でもないところを緩やかな曲線を描くように引かれているのをずっと疑問に思っていたのですが、やっとすっきりしました。

見学した感想ですが、興奮し感動しました。これに尽きます。
土塁が羅城の遺構とする説が正しいとするならば、大字筑紫は(広域に見た)大宰府の内側、大字若江は外側ということになるんですね。わが家から程近い身近な所で湧いてきた壮大な話。
新聞報道などで遺跡の概要は掴んでいたつもりでしたが、実際に目の当たりにして、話を聞くと「なんて大変なものを見つけてくれたんだ…」と身震いしました。
さほど詳しい訳でもない、ただ単に考古学が好きなだけのオッサンですらこんな調子です。“歴史で飯を食ってる方々”は今どんな気持ちでいるか、私には想像できません。

北部九州古代史上、いや、東アジア古代史上において大きな意味を持つ今回の発見。
保存について教育委員会係員に聞いてみると、土地の使い道が決まっていて、区画整理終了後の地権もほぼ決まっているので何とも言えないとのこと。
なんとかして後世に遺したいと思いますが、道程は険しそうです。
[91833] 2016年 10月 24日(月)21:36:21【1】かぱぷう さん
9/18 オフ会欠席の無念を少しでも晴らすべく悪あがきをした午後のひととき
オフ会、出席します!」そう宣言したいのに、仕事の事情やお財布の事情等で馳せ参ずることができず、指をくわえながら皆さんの行状を眺めているのが毎年この時期の決まりごとのようになっていました。
さて今年、オーナー様はじめメンバーの皆様の熊本地震復興支援のお気持ちをいただき、オフ会が杖立開催に決まりました。…よし!今年は参加できるぞ!!

しかし、過去に私が参加した2007年の福岡・2009年の岡山・2013年の松江の折にはなかった障壁が立ちはだかるのでした。それは家庭の事情です。
子供が大きくなり、息子は地域の少年スポーツチームに身を置くようになりました。運動音痴を自負する私も“お父さんコーチ”なんて肩書きが付き、土日に休みが取りにくい仕事(飲食業従事)の私でもできる限り休みを確保し子供の練習やら試合やらに付き添っているのが最近の日常となっています。
今年のオフ会が9/18~19に決まり、チームの予定を確認すると通常練習日になっていました。これならオフ会を優先しても差し支えなかろうと安心していた数日後、「レクリエーションのお知らせ:9/18にバーベキュー大会を実施、バーベキュー終了後に宿泊キャンプを実施します」なんて案内が来たもんだから…こりゃ無理だわ(T_T)
だめもとで山の神に「オフ会行ってもいいかいな?」とお伺いをたてましたが、「仕事でレクリエーションに行けんならともかく、自分だけ旅行に行くけんクラブの方を欠席するとか息子に言いきると?」と、やや呆れ気味に返されました。そうですよね、私もそう思います。
分かっちゃいますが、ダメ父、気持ちの整理がつかずに数日経ってからメーリングリストに「やむなく不参加」を書き込んだのでありました。ただ、杖立方面は道路が完全復旧していない状況であり、なにかしら皆さんに交通状況をお伝えできればと思いメーリングリストはそのまま寄せていただいてました。

オフ会当日の私の予定は、早朝から12時まで久留米市の勤務先でシフトに入り、午後からのバーベキューに参加。引き続きのキャンプに顔を出して夜に帰宅。翌日は人手が足りなかったのでシフトインするようにしました。
台風13号の接近で開催が危ぶまれましたが開催されることとなったオフ会に対して、息子のスポーツチームのバーベキューは前日に中止が決まりました。「お!?これは少しでも杖立に顔を出せるっちゃないと?」と思いましたが、ぬか喜び。キャンプは実施されるとのこと。泊地はテントではなくバンガローなので何ら問題ないってです。ふぅ…
それでも、バーベキューがないってことは(ニヤリ


9/18、14:30頃。私はJR久留米駅のみどりの窓口にいました。久留米~日田の乗車券と特急ゆふいんの森5号の指定券を購入してホームへ。大雨で速度規制がかかっていましたが運休にはならず、20分程度遅れてゆふいんの森5号が久留米駅に到着。私に割り振られたのは2号車の座席でしたが、ここに座るつもりはありません。まずは最後尾の5号車まで行き、そこから先頭1号車へ向け車内を巡ります。1号車に、いましたいました!
車窓を眺める男性に「ここ、空いてますか?」。驚く男性、作戦成功(^^)V
メーリングリスト上に、スナフキんさんがゆふいんの森5号に乗車予定と書き込まれていたので、せめてお会いできたらと思っての日田行きでした。
車内改札に来た車掌さんの了解を得てお隣に座らせていただき、楽しい時間を過ごすことができました。スナフキんさん、せっかくの一人旅にお邪魔してしまいすみませんでした(^^;

スナフキんさんのレンタカーに乗車のYASUさんがお待ちの日田では、離合待ちの“ななつ星”のお迎えサプライズ。YASUさんとも少しお話することができました。
お二人を見送って、キャンプ参加のため一旦帰宅です。日田から杷木まで高速バス、杷木から朝倉街道まで一般路線バス、朝倉街道から自宅最寄り駅まで西鉄電車と乗り継いで夕刻に家に着きました。
「遅かったやん」「ん、思いのほか忙しくてね」「大変やったね」…かわいい奥様、ごめんなさい(笑)
妻にキャンプ場まで送ってもらい、お父さんコーチ達と合流。すでに始まっていたコーチミーティング(という名の飲み会)に加わり、杖立に思いを馳せながら痛飲するのでありました。


通常時なら、福岡から熊本・南小国町の黒川温泉までを結ぶ高速バスがあり、これに乗ると日田・杖立を経由するので、杖立まで乗り換えなしで行くことができます。また、日田からも杖立行きの一般路線バスが5本出ています。ところが、震災の影響で国道211号線が不通となり、黒川温泉行きの高速バスは迂回運行で杖立には寄らなくなり、日田~杖立線は運休となってしまいました。
8月下旬に国道211号線の不通区間が片側交互通行で通れるようになり、日田~杖立線は一日3本の暫定ダイヤで復旧。しかし黒川温泉行き高速バスは大型車のため国道211号線を通るには危険ということで杖立を経由しない迂回運行が続いていました。当日にこの高速バスでひぜんや入りを検討して断念された方、迂回運行やむなしで乗車された方、いらっしゃったようです。このたび、10/21から通常運行に戻り、福岡から杖立に乗り換えなしで行けるようになりましたことをお知らせいたします。暫定ダイヤの日田~杖立線も12月をめどに一日5本の通常ダイヤに戻るようです。
[91493] 2016年 9月 23日(金)20:08:46かぱぷう さん
mizutohさん よろしくお願いします
[91489]mizutohさん

当方、筑紫野市在住です。mizutohさんの書き込み内容や十番勝負の解答チョイスからみて、福岡県にゆかりがある方なんじゃないかな?と推測しておりましたが、メンバー紹介欄を見れば春日市居住とのこと。同じ筑紫地区居住者として、一言ご挨拶しなければ…と、いう訳で。
最近は十番勝負の解答以外はあまり書き込みができてませんで、おまけにmizutohさんからすれば倍以上離れた中年に足を突っ込む年齢のオッサンではありますが、どうぞよろしくお願いします。


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