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伊豆之国さんの記事が1件見つかりました

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[92849]2017年5月9日
伊豆之国

[92849] 2017年 5月 9日(火)23:58:00【1】伊豆之国 さん
春から夏への北信濃路~花と歌に誘われて~
去る4日から一泊二日で信州への旅をしてきました。今日はその道中記を。

まず横浜線で八王子に出て、またまた「あずさ2号」、いや8時31分発の「スーパーあずさ5号」([92085])で終点・松本まで乗り通し。塩山駅を過ぎた頃から左手の車窓に、やや霞んではいたもののまだ白雪を被った富士山の姿が綺麗に見え、去年の今頃の道中で湖畔の町を歩いた([90510])その諏訪湖を左手に見ながら下諏訪を過ぎると、湖越しに山並みの切れ間から再び富士山の姿が遠くに小さく見えて…。
松本城は過去に3度見てきているので今回はパスして、「街角資料館」をいくつか見ることに。最初に見たのは最初に見たのは「時計博物館」。去年の道中で、諏訪にある同じようなのを時間に追われて駆け足になってしまったので([90510])、今度のは少し小ぢんまりとしたものではあったものの、じっくり見て回ることに。「おじいさんの時計」と説明が書かれていた柱時計を見て思わずあの童謡を思い出し、蓄音機も展示されていてレコードをかける実演も行われていました。次に見たのは「はかり資料館」。蔵作りの商家が立ち並ぶ風情ある町並みの中にある、かつて計量道具を売る商店だった建物を改装して資料館としたもので、館内には曲尺([92728],[92729] hmtさん)や、桝、天秤なども展示され、上皿天秤に大小のおもりを載せて「釣り合い」で重さを量るコーナーでは、小学校時代の実験を思い出して…。
立ち食い蕎麦で空腹を満たし、最後は川沿いにある「日本ラジオ博物館」へ。大袈裟な名前の割には小さな古い街中の店と言った感じの建物でしたが、中には草創期の鉱石ラジオから、昭和の戦前からの真空管式ラジオ、そしてトランジスタラジオと、ラジオの進化の歴史のほか、ラジオと関係深いテレビを初め、昭和の家電製品も所狭しと展示されていて、私が子供の頃に親しんできたスタイルの機器もいくつか見られて、懐かしい気分に…。
松本からは特急「しなの」で。姨捨付近からの絶景に見とれながら、3時少し前に長野駅に到着。さすがに善光寺参りは外せません。迂回運行していたバス(理由はあとでわかったので後ほど書きます)で最寄の「大門」前で下車して参道へ。とにかくこの日は真夏が来たような暑さ、ビルにあった気温表示を見ると27度。上着が要らないどころか長袖では暑過ぎて袖をめくって日陰になる西側を歩くことに。宿坊が立ち並ぶ道筋で、右手を見ると「兄部坊(このこんぼう)」の表札が目に入り、以前にその読み方が話題になったのを思い出して…。
善光寺では、山門が公開されていて、入場券を買って上に登り、参道と門前町の賑わいが一望だったのですが、どうも何だか見たことがあるような感じが…。実はこの道中に旅立った前日に鎌倉を訪れており、「材木座にある『光明寺』の山門が特別公開されている」という情報を得ていたので、江ノ電沿線の混雑を避けてぶらり歩いて、その光明寺の山門の中を見てきていて、しかもどちらも同じように仏像が何体も安置されていた光景を見ていたからだったのでした…。

お参りの帰りは、長野駅まで下り坂が続く参道をぶらり。車道は歩行者天国となって、花のアートが作られて展示された「花回廊」の催しで賑わっていました。それから長野電鉄で終点・湯田中駅へ。夕方の時間帯、なぜか信州中野止まりだった特急電車は、「成田エクスプレス」で使われていた車両。JR時代は全く縁がなかったので、今回が「初乗り」。かつては地方私鉄としては先進的な通勤電車を新造するなど意欲的だったこの私鉄も、長野五輪以降の「負の遺産」を引きずり、閑散支線は廃止([77584] Issieさん、[77586] スナフキんさん)、今走っている車両も、オリジナルのが消えて通勤車両は元日比谷線のに代わって元東急のステンレス車が主力となり、特急は「NEX」に元小田急ロマンスカーと、首都圏から来た電車の寄せ集め。駅の施設も見た目にも老朽化・手入れの悪さが目立ち、地下区間のホームも薄暗い印象で、地方私鉄の置かれた環境の厳しさを身にしみて感じてきたのでした。
新しくなった千曲川の鉄橋を渡ると、のどかな田園風景が。沿線に広がる果樹園には盛りを過ぎた白い林檎の花と、花盛りの濃いピンクの杏の花。まだわずかに残っている桜の花と、まだまだ見頃が終わっていない八重桜、北信濃の里は春爛漫…。
特急の終点・信州中野で、冷房改造されてまだ残っていた元日比谷線の車両だった鈍行に乗り換え、過去2度訪れたときと変わらぬたたずまいの駅舎が残っていた湯田中駅で降りて、送迎バスで10数分の、志賀高原とは逆方向の高原地帯にあるホテルが今宵の宿。連休に入った初日にネットで空きがあることを見つけて、奇跡的?に取れたのですが、「夜景がすばらしい」というネット情報にたがわず、日が暮れると眼下には町の灯りが広がり、夜空を見上げると、満天の星空に半月が浮かんで…。
翌朝はまず湯田中駅に戻って温泉街を少しぶらぶら歩いた後、信州中野駅で降り、大正・昭和の「日本の歌」の世界に偉大な足跡を残した、作曲家中山晋平と文学者高野辰之の2人の記念館を回ることに。交通が不便で、しかもそれぞれだいぶ離れた場所にあるのでタクシーで、まず中山晋平記念館から。歌謡曲のイメージが強い晋平ですが、「シャボン玉」「背比べ」「しょうじょう寺の狸ばやし」などの童謡や、各地の「新民謡」の作曲も多く手がけており、幅広い作曲活動をしていたことを改めて認識したのでした。それから千曲川を渡って反対側の旧豊田村にある高野辰之記念館へ。辰之が学んだ小学校の跡地に建つ素朴な建物で、2階の窓からは代表作「故郷」に歌われる「かの山」も見えて…。懐かしい歌に感慨に浸っているうちに、タクシーを替佐駅で降りたのですが、でも、この2つの記念館、結構な距離があり、しかもどちらも館内での紹介ビデオを見たりしてじっくり時間をかけて回ったことから、同じ中野市内から一歩も出ていないにもかかわらず、タクシー代は5桁の大台に乗ってしまいました…。替佐駅は、辰之が故郷を後にした駅。小ぢんまりとした駅舎で、無人になっていると思いきや、切符を売る駅員の姿が。発車メロディーは、これも辰之の代表作「朧月夜」…。
替佐から飯山に出て、まずバスで「菜の花まつり」の会場へ。それから市街に戻って寺町散策。列車本数の少ない飯山線の制約と、季節はずれの暑さによる疲労感もあり、全部はとても回りきれないので、線路の西側の山裾のこの辺りを中心にいくつかをお参り。飯山市は仏壇作りでも有名らしく、「雁木」のある沿道には仏壇屋さんが立ち並んでいました。線路際に展示されたSL「C56型」を見て、飯山駅に戻ったのですが、北陸新幹線の開業で駅が移転し、中心街から遠くなったようで、元の駅前通りと思われる桜並木の通りは閑散とし、ホームに鐘突き堂があった元の駅は消え、場違いな印象の新幹線の駅舎が周りの雰囲気から浮き上がったように見えて、これでは県内で最も人口が少ない飯山市の将来がますます不安になっていくようにも思えたのでした。
飯山からは再び飯山線で、千曲川の流れに見とれながら、鉄道沿線では積雪日本一の看板が建つ森宮野原駅を過ぎて県境を越えて越後路へ。沿線の民家を見ると、比較的新しいものは1階部分がコンクリート造の倉庫や作業場になっていて、2階以上が住居になっている造りのものが多く見られ、豪雪を考慮した頑丈な造りが、中越地震での被害を少なくしたと言われているようでした。十日町で「ほくほく線」に乗り換えて越後湯沢で小休止。売店でいろいろみやげ物を探し、結局「南魚沼コシヒカリ」5合をGetしたのですが、新幹線のホームに駅弁がなく、結局買えないうちに発車時刻に。しかも列車が車内販売ができない2階建ての「MAX」。「東京駅で…」と思っているうちに、「車内に売店が…」とアナウンスがあり、見ると駅弁がまだかろうじて残っていた…。最後は慌てましたが、今回の道中、天候にも恵まれて、無事に帰還できたのでした。


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