都道府県市区町村
白桃研究所長による人口テーマ専門誌

国勢調査におけるブロック別トップ10の推移(都市順位を時系列でみる)

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記事数=49件/更新日:2016年4月8日

6年後の2020年には二度目の東京オリンピックが開催されますが、この年には第21回目の国勢調査も行われます。21回目の年というよりは「国勢調査誕生百年」の年と言った方が良いでしょう。
オリンピック(夏)も待ち遠しいものですが、♪四年たったらまた逢いましょっと、の通り四年のインターバルですが、国勢調査はそれよりか1年長いのです。人口オタクの白桃にとって国勢調査によって出された人口は、バイブル、仏典のように大切なもの、黄門様にとっての印籠など比べ物になりません。
そんな近寄りがたい国勢調査をテーマに取り上げること自体畏れ多いことですが、このマガジンのメインとしてド〜ンと据えないわけには参りません。
そのトップバッターとして選んだのがこの特集。都市の人口が増えた、減った、そんな表層的なことばかりを観察しても意味がない、ましてや、その順位付けはナンセンスも甚だしいのです。が、♪分かっちゃいるけどヤメられない。
では、そろそろ始めましょう。
この特集では、序として全国版(KSCS47)を話題にすることになりますが、メインは「ブロック別トップ10」でございます。白桃は以下の通り14の「ブロック」を設定いたしましたが、ブロック名及びその区割りは正直言って、適当、御都合主義、中途半端、我田引水・・・でございます。

北国 :北海道、青森県、秋田県
東北 :岩手県、宮城県、山形県、福島県(会津地区を除く)
北関東:茨城県、栃木県、群馬県
南関東:埼玉県、千葉県
京浜 :東京都、神奈川県
北陸 :福島県(会津地区)、新潟県、富山県、石川県、福井県、岐阜県(飛騨地区)
中央 :山梨県、長野県、静岡県
中京 :岐阜県(美濃地区)、愛知県、三重県
近畿 :滋賀県、京都府、兵庫県(丹波、但馬地区)、奈良県、和歌山県
阪神 :大阪府、兵庫県(摂津地区、明石市)
東中四:兵庫県(明石市を除く播磨、淡路地区)、鳥取県、岡山県、徳島県、香川県、高知県
西中四:島根県、広島県、山口県、愛媛県
西海 :福岡県、佐賀県、長崎県
南海 :熊本県、大分県、宮崎県、鹿児島県、沖縄県

そして、ブロック毎にトップ10を時系列で見るにあたり、ひとりよがりな感覚でもって次の6期に分けております。
第1期:1920〜1935年(大正/昭和戦前)
第2期:1935〜1950年(戦中・戦後復興期)
第3期:1950〜1960年(「昭和の大合併」期)
第4期:1960〜1975年(高度経済成長期)
第5期:1975〜2000年(ポスト高度経済成長期)
第6期:2000〜2010年(「平成の大合併」期)

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[86449]2014年10月11日
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[90179]2016年4月8日
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[86449] 2014年 10月 11日(土)07:48:47白桃 さん
KSCS47の都市
「国勢調査におけるブロック別人口トップ10の推移」([86442])の作業をしておりましたら、やっぱり気になるのがその全国版。全国版ともなると、上位10ではハードルが高すぎるので、47都道府県からトップ47(これをKSCS47とします。)を見ることにしました。
過去19回の国勢調査(KokuSeiChouSa)に一度でも登場するのが延べ91都市ありますが、都道府県庁所在地に関して見ると、
19回すべてに顔を出しているのが、
札幌、仙台、東京、横浜、新潟、金沢、岐阜、静岡、名古屋、京都、大阪、神戸、岡山、広島、福岡、長崎、熊本、鹿児島、以上、まずは順当な18都市。
その次に登場回数が多いのが
松山(18回登場)で、以下、和歌山(17回)、宇都宮(16回)、千葉(14回)、富山(12回)、浦和→さいたま・大分(10回)、高松・高知(8回)、徳島(6回)、青森・前橋(5回)、秋田・甲府・那覇(4回)、長野(3回)、福井・奈良(1回)
と続きます。
一度も顔を出していないのが、
盛岡、山形、福島、水戸、津、大津、鳥取、松江、山口、佐賀、宮崎の11市です。
では、都道府県庁所在地以外での皆勤賞は
北九州(八幡市時代から)、堺、浜松、横須賀の4市です。
町村でありながら顔を出しているのが、
東京の西巣鴨町、渋谷町、平塚村→荏原町、滝野川町、王子町、中野町、吾嬬町、南千住町と、大阪の豊崎町、今宮町です。
47という数ですが、なんと第1回国勢調査(1920年)において5万人以上の市区町村(※札幌区、那覇区など)の数と一致するのです。では、最新の第19回国勢調査(2010年)で第47位はと言うと柏市の404,012人で、ボーダーラインは8倍に上がっております。(40万に達していながら涙を呑んだ?のは宮崎市だけです。)
調子に乗って、問題を出しましょう。
以下、5組の市は一方がKSCS47で、もう一方はKSCS47ではありません。
夕張・・・飯塚
日立・・・宇部
平塚・・・藤沢
長岡・・・高岡
豊橋・・・岡崎
(これは、平成27年の白桃市町村人口研究所入所問題でもあります。)
[86453] 2014年 10月 12日(日)09:29:00【1】白桃 さん
KSCS47に入れなかった都市
[86452] ぺとぺと さん
11日(土)22:22:55
偶然でしょうが、この投稿時間ってお見事ですね。
それにしても三本松は残念な逆転負けでしたね。
夏の坂出商、秋の英明、わが母校に勝った高校が優勝しているのですが、今の香川県の高校野球レベルは全国最下位ではないでしょうか。
と、終わったことは諦めて、
平塚・・・藤沢
なんと残酷な問題を。
まず、KSCS47の市ですが、
夕張は第1回(そのときは夕張町でしたが)に45位でした。言わずもがな、現役のKSCS47都市では一番人口が少ない。石炭で栄えた町では他に、大牟田が入っています。
宇部は第5回45位、6回46位、7回41位と戦中~戦後にかけての“躍進”が目立ちます。地方の工業に特化した都市としては、他に室蘭が入っています。
藤沢は16回45位、17回44位、18回45位、19回45位と順調ですし、2015年(20回)には40位まで順位を上げる可能性ありです。大都市圏内の衛星都市的存在としてKSCS47に入るのは、川口、船橋、市川、豊中、松戸、旧)大宮、吹田、枚方、高槻、町田、柏で、さいたまは旧)浦和、東大阪は旧)布施の頃からKSCS47に登場します。ま、こういった中で一番古いのは西宮でしょうか?尼崎は衛星都市?
「生まれながらの市」高岡は6回37位、7回39位と2度登場しますが、このときは新湊を併合していた時期であります。府県庁以外の「生まれながらの市」では堺、姫路はもちろん、下関、久留米も入っていますが、弘前、米沢は入っていません。
豊橋は第10回まで連続で入っています。愛知県内では豊田もKSCS47都市ですが、岡崎、一宮は惜しくも入っていないのです。
他では、横須賀、呉、佐世保といった軍港として栄えた都市、昔ながらの?小樽と函館、地域の中心都市的存在の旭川、郡山、いわき、といったところがKSCS47都市であります。 北九州市を構成する旧5市では、八幡の他に、小倉と門司もKSCS47に含まれています。
問題にしたKSCS47に入らなかった市については下の表に示しておりますが、若干補足致しますと、
日立は1940年頃に相対的人口ピークを迎えていますが、長岡同様空襲の被害で人口が減少しております。平塚は藤沢より市制施行が早かったのですが・・・。飯塚はKSCS47に遠く及びませんが、合併により同県内のKSCS47都市である大牟田より人口が多くなっています。
---47位都市その人口-日立-平塚-長岡-岡崎-飯塚-
11920年今宮町50,08025,26312,96041,62738,52728,876
21925年中野町60,96223,68121,75853,15644,55632,757
31930年吾嬬町80,98527,81133,49857,86665,50740,009
41935年長野市77,32534,53638,34862,15277,19539,629
51940年川口市97,11582,88543,14866,98784,07346,685
61947年旭川市107,50850,15945,50754,95885,36147,321
71950年四日市市123,87056,06652,38166,81896,03053,653
81955年旭川市164,971131,01167,022130,785155,90261,650
91960年四日市市195,974161,226108,279148,254166,09560,431
101965年浦和市221,337179,703134,931154,752194,40982,033
111970年吹田市259,619193,210163,671162,262210,51575,643
121975年函館市307,453202,383195,635171,742234,51075,417
131980年高槻市340,720204,596214,293180,259262,37280,288
141985年吹田市348,948206,074229,990183,756284,99681,868
151990年いわき市355,812202,141245,950185,938306,82283,131
161995年いわき市360,598199,244253,822190,470322,62183,411
172000年奈良市366,185193,353254,633193,414336,58380,651
182005年柏市380,963199,218258,958236,344354,70479,365
192010年柏市404,012193,129260,780282,674372,357131,492
[86466] 2014年 10月 18日(土)11:49:46白桃 さん
恋する都道府県市区町村クッキー~~KSCS47オン・ステージ
AKB48の人数が48人ではないように、[86449]で書いたKSCS47は過去19回の国勢調査で一度でも47位以内に入った都市ですから、全部で91を数えます。各回の順位を数値化してランキングにしてみたら、以下の通りになりました。と、それだけではツマンナイので、「2014女の子の名前ランキング」を添えました。
順位名前順位度--備考・・・順位名前順位度--備考
1東京はな1.11--16期連続でセンター48長野まひろ53.47
2大阪かんな2.26--2,3回選挙ではセンター49豊中ゆら53.79
3名古屋ひまり3.6850相模原みこと53.89
4横浜いちか3.7951倉敷すみれ55.26
5京都あかり5.0552徳島さき55.84
6神戸さら5.7953青森ふうか56.05
7福岡ゆい8.7954前橋えま56.84
8札幌にこ8.8955大牟田えな57.11
9広島あおい10.1656那覇みなみ57.28
10仙台めい11.8957松戸みはる57.53
11北九州ほのか13.47--旧姓「八幡」58福山あいり58.05
12熊本ひなた16.1659大宮あいら58.11--引退
13川崎ここな16.9560秋田みく58.53
14堺ゆずき17.4261小倉れい61.11--引退
15鹿児島りこ20.0062四日市りの61.37
16長崎さな20.5363奈良せな61.63
17静岡みゆ20.5864甲府はるひ61.95
18新潟ひより21.8965久留米はるな62.42
19岡山のあ22.00--白桃が一押し66藤沢あみ62.68
20浜松こはる22.8967門司さえ62.89--引退
21金沢るな23.5368吹田りな63.58
22横須賀そら26.6869福井みつき63.95
23尼崎かのん28.7970いわきゆうな64.00平家の子孫
24姫路りお30.3271郡山くるみ64.79
25岐阜ののか31.3272枚方かりん65.47
26和歌山はる32.2173宇部ゆめ65.79
27千葉みお32.6874松本かほ66.53
28松山みおり34.3775高槻あかね67.63
29宇都宮さくら38.2676室蘭ここ68.32
30東大阪ゆきな38.26--旧姓「布施」77高岡ななみ69.00
31函館ことは38.7478町田らら69.79
32西宮はるか39.9579豊田さやか70.58--新メンバー
33豊橋いろは43.5880夕張かな73.74--現在療養中
34佐世保ゆな45.4781柏なな74.37--新メンバー
35下関ひな45.7982西巣鴨みさき77.26--引退
36呉りん46.0083渋谷あやか77.32--引退
37旭川ゆき46.2184荏原るか79.26--引退
38富山みう46.3785滝野川このは80.53--引退
39川口ひかり46.6386王子ゆず82.95--引退
40船橋しずく47.8987中野あいな84.32--引退
41さいたまりあ48.11--旧姓「浦和」88吾嬬えれな85.58--引退
42八王子かれん48.1189南千住りんか86.16--引退
43高松ゆあ49.2190豊崎あい90.21--引退
44高知あこ49.9591今宮かえで91.53--引退
45大分しおり50.26
46小樽あさひ52.84
47市川みおり53.32
なお、現在準メンバーとして宮崎さんが待機しておりますが、芸名を美子にするかどうか検討中であります。
[86474] 2014年 10月 21日(火)13:49:58白桃 さん
過去の国勢調査を6つに区切る(1)
過去19回行われた国勢調査の確定人口を、各都市の人口推移や順位変遷に焦点をあててみると、何となくではありますが、以下の通り、6つの時期に区分することが自然で、全体の“流れ”を把握するのに効果的な手段になるように感じます。

第1期.1920年(第1回)~1935年(第4回)・・・大正/昭和戦前
幕藩体制時からの地域の中心都市、明治以降の国策によって重要視された都市など、総じて各都市が順調に人口を伸ばしています。つまり、地域の中心に人口は集中しているのですが、人口移動もその大半が比較的狭い地域内にとどまっている状態で、各地域内の都市人口順位に大きな変動は見られません。
この時期で特記すべき事項としては、1925年に周辺町村と大規模な合併をした大阪市が第2回(1925)と第3回(1930)調査において、関東大震災に遭った東京市を抜いて人口首位の座についたこと、その東京も1932年に近隣82町村を併合したことにより再びトップに返り咲き、「首都」の地位を磐石のものとしたことが挙げられます。また、行政中心都市として後発であった千葉、宮崎、山口、浦和もこの時期に市制施行しております。

第2期.1935年(第4回)~1950年(第7回)・・・戦中/戦後復興期
それまで順調な増加をみせていた人口ですが、1940年(第5回)に行われた国勢調査ではかなりの都市で減少を示しております。(県単位でみると18県が減少。特に北陸、中国、南九州の諸県で減少が目立つ。)これは言うまでも無く戦争が大きく影響しているのですが、徴兵だけでなく、家族ぐるみで「外地」への移動があったことも忘れてはなりません。
戦後初めて行われた1947年の臨時国勢調査では、原爆が投下された広島、長崎をはじめ空襲被害に遭った多くの都市で大幅な人口減少が見られます。逆に人口増を示しているのは地方の中小都市で、これは、少しでも食糧難から逃れるために、「外地」からの引揚者が農村部に集中した結果だと考えられます(都市部から疎開していた者がまだ“居残っていた”という可能性もあったのでは?)。
この時期は、戦争によって諸都市の人口が大きく変動した時期ではありますが、各ブロック内での人口順位はそれほど激しくはありません。ただ、東京と大阪の二大都市圏において、市制施行した立川、武蔵野、豊中、布施、人口の急増を示した相模原町、三鷹町など、新興都市が台頭し、「衛星都市」の勃興期でもあります。

~つづく~
[86477] 2014年 10月 22日(水)07:11:57白桃 さん
過去の国勢調査を6つに区切る(2)
[86474]のつづきです。

第3期.1950年(第7回)~1960年(第9回)・・・「昭和の大合併」期
いわゆる「昭和の大合併」によって数多くの市が誕生しましたが、同時に「昭和の大合併」以前に市となっていた自治体の8割以上がこの時期に合併を行っております。この割合は優に「平成の大合併」時を上回っているのです。
後日投稿予定の「ブロック別人口トップ10」で詳細を述べることになると思いますが、大規模な合併を行った市の人口は当然ながら飛躍的に増え、その代表格である氷見市は、ほぼ郡まるごとの合併により、「北陸ブロック」のトップ10に顔を出してきます。このような大規模な合併は「単なる人口の水増しである。」と言う批判はさておくとして、特に地方においては各都市が競い合うように合併した結果、“合併したもの勝ち”の市が人口規模順位の上位になってきます。一方、「合併しなかったもの負け」でこの時期に「ブロック別トップ10」から消え去った都市として塩竈市、鎌倉市があります。
以上のように、大規模な合併により、しかも合併の時期が1955年(第8回)調査時をまたがっているために、この時期はかなり激しい人口順位の変動がみられます。また、夕張市、荒尾市はこの時期に“ブロック別トップ10”から外れることになりますが、石炭で繁栄した都市の凋落が始まった時代でもあります。

第4期.1960年(第9回)~1975年(第12回)・・・高度経済成長期
この時期をひとことで言うなら、大都市圏での人口集中と地方での人口流出が激しかった時代であります。
ブロック別人口順位をみると、人口流出の激しかった地方ではさほどの変動はみられませんが、人口集積が進んだ大都市圏では、相模原市や松戸市のような“勝ち組の中の勝ち組”がグイッ・グイッと順位を上げ、柏市、町田市、春日井市、宇治市などが“トップ10”に顔を出してきます。一方、人口競争に乗り遅れた熊谷、銚子、小田原、伊勢、福知山、明石といった古参の市が消え去っていきます。
新たに“トップ10”入りした都市の中で注目したいのが「北関東ブロック」の小山市と「中京ブロック」の豊田市です。両市ともこの時期に“季節はずれ”の合併を行っておりますが、合併の恩恵だけではなく自らの“成長分”の方が大きく、それにより都市圏を形成するまでに至ったと見ています。
この時期で付け加えるなら、1963年に製鉄工業の八幡市が小倉、門司、若松、戸畑と合併、新たな“百万都市”北九州市が誕生した一方で、“鉄のマチ”を代表する室蘭と釜石の衰退が始まったことです。
[86479] 2014年 10月 23日(木)18:28:27白桃 さん
過去の国勢調査を6つに区切る(3)
[86477]のつづきです。

第5期.1975年(第12回)~2000年(第17回)・・・ポスト高度経済成長期
高度経済成長の終焉とともに我が国の人口の伸びも鈍化してきました。それまで増加傾向にあった北海道をはじめ18の県でこの時期にピークを迎えています。県庁所在地でも前橋、福井、甲府、岐阜、静岡、京都、和歌山、徳島、佐賀、長崎が事実上のピークから減少になりました。(その後、「平成の合併」で見かけでは伸びている都市もある。)
この時期の特徴として前半、1985年頃までは地方への“人口還流”が見られ、高度成長期に人口を減少させた地方中小都市の中にも増加に転じたところが多数あります。しかし、それも長くは続かず、それまで人口増加が続いていた都市も含め、地方都市の多くはこの時期の後半には減少傾向になっております。一方、大都市圏ですが、象徴的なのは東京都で、1980年(第13回)と1995年(第16回)には前回調査の人口を下回る結果となりました。特別区に限れば、1965年頃を境に減少傾向にあった人口が、1995年調査ではついに800万人を切ってしまいました。特別区の人口が減少した大きな要因は地価の高騰にあったと考えられ、人口の移動先は主に埼玉、千葉、神奈川、茨城県南部といったところで、こういった地域には坂戸、浦安、綾瀬、牛久など新しい市が誕生しました。この時期に誕生した市はそれほど多くなく、首都圏以外でも札幌、名古屋、京都、大阪、広島、福岡と、大都市近郊に限られています。
この時期は「ブロック別トップ10」をみても激しい変動はありませんが、苫小牧市、泉市、草津市、生駒市、春日市等とともに、東西の学園都市であるつくば市と東広島市がトップ10入りを果たしています。一方で、小樽市、桐生市といった一時はブロック内で高位にあった市が姿を消しています。
この時期の出来事で忘れてならないのは1995年に起こった阪神・淡路大震災で、神戸市、西宮市、芦屋市などが1995年(第16回)調査時点で大幅な人口減少となりましたが、2000年(第17回)には震災前を上回るという驚異的な復興を遂げています。

第6期.2000年(第17回)~2010年(第19回)・・・「平成の大合併」期
県より面積が広い市が生まれ、「町」の数より「市」の数が多くなったこの時期ですから、まったく「都市」とは思えぬところが「市」を名乗るようになったのも致しかたありません。この時期に町村のみの合併によって誕生した市の中で「ブロック別トップ10」に顔を出したところはさすがにありませんが、新たにトップ10入りを果たした市の中には奥州市、大崎市、白山市、東近江市、霧島市といった大規模合併によって名前を変えた市が多いことに気がつきます。
我が国の人口がピークとなるこの時期には、東京への一極集中が再燃しそれが加速化しています。これと大いに関係するのですが、いっときは激しい人口増をみせた首都圏の衛星都市の中には、居住人口が都心部へ逆流した結果、人口が頭打ちから減少傾向になった都市も見られるようになりました。一方地方においては、実質的な人口増を示す都市は数えるほどしかなくなり、合併によって見かけの上では人口増となった都市の中には、合併前よりも減少率が高くなったところも多く見られます。ますます地域格差が拡がりをみせた時代だと言えるでしょう。

(終)
[86486] 2014年 10月 24日(金)17:01:11白桃 さん
国勢調査における「北国ブロック」人口トップ10の推移(その1)
[86442]で予告しましたが、過去19回の国勢調査で報告された人口を白桃の独断と偏見によって区分した14のブロック毎にその人口トップ10都市の推移をみていきます。その第1弾は「北国ブロック」でエリアは北海道、青森県、秋田県です。
(第1期)大正/昭和戦前
順位---1920年---1925年---1930年---1935年
1位函館区144,749函館市163,972函館市197,252函館市207,480
2位小樽区108,113札幌市145,065札幌市168,576札幌市196,541
3位札幌区102,580小樽市134,469小樽市144,887小樽市153,587
4位旭川区61,319旭川市72,341旭川市82,514青森市93,414
5位室蘭区56,082青森市58,794青森市77,103旭川市91,021
6位夕張町51,064室蘭市50,040室蘭市55,855室蘭市65,095
7位青森市48,941夕張町48,697八戸市52,907八戸市62,210
8位釧路区39,392秋田市43,887夕張町51,967秋田市60,646
9位秋田市36,281釧路市42,332釧路市51,586釧路市56,170
10位弘前市32,767弘前市36,293秋田市51,070弘前市46,014
このブロックは全期間を通じて人口順位の変動が最も少ないのですが、この第1期にもそれが端的にあらわれています。
1920年では6位まで北海道勢が占めますが、とりわけ函館、小樽、札幌の3都市は他都市を圧倒しております。1920年全国ランキングでも函館9位、小樽13位、札幌15位ですから、当時の3都市の繁華、繁栄振りが想像できます。
余りにも変化に乏しいので書くに事欠くのですが、1929年に小中野町、湊町、鮫村と合併し市となった八戸が1930年に7位に飛び込んできます。

(第2期)戦中/戦後復興期
順位---1935年---1940年---1947年---1950年
1位函館市207,480札幌市206,103札幌市259,602札幌市313,850
2位札幌市196,541函館市203,862函館市211,441函館市228,994
3位小樽市153,587小樽市164,282小樽市164,934小樽市178,330
4位青森市93,414室蘭市107,628秋田市116,300秋田市126,074
5位旭川市91,021青森市99,065旭川市107,508旭川市123,238
6位室蘭市65,095旭川市87,514室蘭市96,722室蘭市110,443
7位八戸市62,210八戸市73,494八戸市91,405青森市106,417
8位秋田市60,646夕張町64,998青森市90,828八戸市104,335
9位釧路市56,170釧路市63,180夕張市82,123夕張市99,530
10位弘前市46,014秋田市61,791美唄町72,222釧路市93,357
1940年には、前回より人口を減らした函館に代わって札幌がトップに立ちます。♪恋の町サッポロはその後、♪函館の女、♪小樽のひとよ、を徐々に引き離していくのです。(失礼、脱線。)それでも小樽は3位の座を守り続けます。
1947年に秋田が4位に跳ね上がりますが、これは1941年に土崎港町など3町1村を編入したことによるものです。
その1947年ですが、八戸が県庁所在地である青森より上位になっているのが注目されます。また、町時代の美唄が10位に顔を出します。同じ「炭鉱の町」である夕張と違って美唄のトップ10入りはこのとき1回だけですが、美唄出身の歌手・牧村三枝子の♪みちづれ、で夕張もトップ10からやがて消え去る運命になるのですが、その話は次回。

脱線ばかりしています。反省
[86487] 2014年 10月 25日(土)05:49:25白桃 さん
国勢調査における「北国ブロック」人口トップ10の推移(その2)
(第3期)「昭和の大合併」期
順位-----1950年-----1955年-----1960年
1位札幌市313,850札幌市426,620札幌市523,839
2位函館市228,994函館市242,582函館市243,012
3位小樽市178,330秋田市190,202秋田市203,661
4位秋田市126,074小樽市188,448青森市202,211
5位旭川市123,238青森市183,747小樽市198,511
6位室蘭市110,443旭川市164,971旭川市188,309
7位青森市106,417八戸市141,771八戸市174,348
8位八戸市104,335弘前市138,953弘前市152,132
9位夕張市99,530室蘭市123,533釧路市150,624
10位釧路市93,357釧路市119,536室蘭市145,679
このブロックは、「昭和の大合併」期にもさほどの順位変動がみられません。それは、函館、室蘭、釧路、夕張は周辺との合併がなく、札幌、小樽、旭川も小規模な合併に終わったからです。このような北海道の諸都市に対し、周辺部を激しく編入した秋田、青森は小樽を抜き去り、石炭産業が衰退の一途をたどる夕張に代わって弘前が“復活”(合併による人口増)します。
いずれにしろ新たにトップ10入りした都市がみられないという穏やかな推移を示すのですが、強いてあげれば、小樽と“鉄の街”室蘭の人口が伸び悩んで順位をさげていることです。

(第4期)高度経済成長期
順位---1960年---1965年---1970年---1975年
1位札幌市523,839札幌市794,908札幌市1,010,123札幌市1,240,613
2位函館市243,012旭川市245,246旭川市288,492旭川市320,526
3位秋田市203,661函館市243,418函館市241,663函館市307,453
4位青森市202,211青森市224,433青森市240,063青森市264,222
5位小樽市198,511秋田市216,607秋田市235,873秋田市261,246
6位旭川市188,309小樽市196,771八戸市208,801八戸市224,366
7位八戸市174,348八戸市189,387釧路市191,948釧路市206,840
8位弘前市152,132釧路市174,105小樽市191,856小樽市184,406
9位釧路市150,624室蘭市161,252室蘭市162,059弘前市164,911
10位室蘭市145,679弘前市151,624弘前市157,603室蘭市158,715
「昭和の大合併」期にはそれほど合併が進まなかった北海道ですが、この時期に結構大きな合併がありました。
旭川は、永山、東旭川、神楽、東鷹栖の4町を順次編入し、1965年には北海道第2の都市になります。遅れをとった?函館も、1973年に唯一国勢調査に名を残さない市、亀田を編入するのですが、ブロック2位の座を奪還するまでには至りませんでした。
この期の出来事で忘れてはならないのが1972年に開催された札幌オリンピックです。札幌は当時、北日本で最大の「町」であった豊平(1960年77,312人)と手稲町を編入し、五輪を前にした1970年には百万人を突破し、五輪直後の1972年4月には政令指定都市となります。
この期にも新たにトップ10入りした都市は見られず、札幌がどんどん大きくなっていっただけ、という感もなきにしもあらずですが、小樽、室蘭が斜陽化していったのと対照的に水産業・工業が好調であった釧路と新産業都市に指定された八戸が着実に人口を増加させていったことに敢闘賞をあげましょう。 と最後は脱線。 今朝はここまで
[86492] 2014年 10月 26日(日)09:16:12白桃 さん
国勢調査における「北国ブロック」人口トップ10の推移(その3)
(第5期)ポスト高度経済成長期
-1975-1980-1985-1990-1995-2000
1札幌1,240,613札幌1,401,757札幌1,542,979札幌1,671,742札幌1,757,025札幌1,822,368
2旭川320,526旭川352,619旭川363,631旭川359,071旭川360,568旭川359,536
3函館307,453函館320,154函館319,194函館307,249秋田311,948秋田317,625
4青森264,222青森287,594秋田296,400秋田302,362函館298,881青森297,859
5秋田261,246秋田284,863青森294,045青森287,808青森294,167函館287,637
6八戸224,366八戸238,179八戸241,430八戸241,057八戸242,654八戸241,920
7釧路206,840釧路214,694釧路214,541釧路205,639釧路199,323釧路191,739
8小樽184,406小樽180,728弘前176,082弘前174,704弘前177,972弘前177,086
9弘前164,911弘前175,330小樽172,486帯広167,384帯広171,715帯広173,030
10室蘭158,715帯広153,861帯広162,932小樽163,211苫小牧169,328苫小牧172,086
全国的に見ると都市の人口は安定、順位変動も一番少ないという期ですが、皮肉なことにこの期に新顔の二都市が登場します。1980年には錆びた鉄・室蘭に代わって、十勝の空気を独占的に吸い込んで着実に人口が増加した帯広、1995年には「たが」が緩んだ小樽に代わって、道内最大の港湾都市となる苫小牧、であります。
また、1980年をピークに人口を減少させた函館は、1995年に秋田に、2000年には青森に抜かれ5位となってしまいます。函館と青森が文字通り青函の順位になったわけですが、青森も決して順調に増加したわけではありません。この二都市の人口推移に1988年に開通した青函トンネルが影響したかどうか、今は静観しときます。
この期には、弘前の他に、順位変動こそ無かったものの旭川、八戸、釧路も元気が無くなってきます。

(第6期)「平成の大合併」期
順位-----2000年-----2005年-----2010年
1位札幌市1,822,368札幌市1,880,863札幌市1,913,545
2位旭川市359,536旭川市355,004旭川市347,095
3位秋田市317,625秋田市333,109秋田市323,600
4位青森市297,859青森市311,508青森市299,520
5位函館市287,637函館市294,264函館市279,127
6位八戸市241,920八戸市244,700八戸市237,615
7位釧路市191,739釧路市181,516弘前市183,473
8位弘前市177,086弘前市173,221釧路市181,169
9位帯広市173,030苫小牧市172,758苫小牧市173,320
10位苫小牧市172,086帯広市170,580帯広市168,057
「平成の大合併」期と言っても、このブロックでは秋田県の横手、大曲、本荘あたりがハデな合併をしたもののトップ10入りするまでには至らず、新顔の登場はありません。また、札幌、旭川、苫小牧、帯広は合併せず、釧路-2町、青森-1町、弘前-1町1村、八戸-1村、秋田-2町、とごくごく慎ましやかなもので、函館にしたって3町1村の編入ですから、メンタマが飛び出るほどの合併ではありません。これを反映して6位までは順位変動無し、7位/8位、そして9位/10位がチョロっと入れ替わるだけという誠におだやかなものです。
2010年に7位となった弘前ですが、合併しても人口を減少させた釧路のいわば“オウンゴール”によるもので、実質的には人口が減少しています。
札幌は別格として、わずかではありますが唯一“自力で人口を増やした”苫小牧に、殊勲賞ならぬ深紅の優勝旗が2004年、2005年の二度にわたりもたらされました。津軽の海を越えさせたのは、マー君の力によるところが「将に大」ですが、その昔、2羽のこまどりが津軽の海を三味線抱えて飛んできたことを忘れてはなりません。あ~大脱線!
[86557] 2014年 10月 29日(水)09:47:20【1】白桃 さん
国勢調査における「東北ブロック」人口トップ10の推移(その1)
第2弾は「東北ブロック」でそのエリアは岩手県、宮城県、山形県と会津地域を除く福島県です。なぜ、会津を外したか、その理由は特にありません。(汗)
(第1期)大正/昭和戦前
順位---1920年---1925年---1930年---1935年
1位仙台市118,984仙台市142,894仙台市190,180仙台市219,547
2位山形市48,339山形市55,994山形市63,423山形市69,931
3位米沢市43,007盛岡市50,030盛岡市62,249盛岡市69,130
4位盛岡市42,403米沢市44,602郡山市51,367郡山市54,709
5位福島市35,762郡山市42,984福島市45,692米沢市50,448
6位鶴岡町28,220福島市41,379米沢市44,731福島市48,484
7位郡山町26,218鶴岡市31,830鶴岡市34,316鶴岡市37,224
8位酒田町22,174石巻町25,594石巻町30,743釜石町36,230
9位石巻町22,067酒田町25,019釜石町30,601石巻市33,530
10位釜石町20,663内郷村23,705酒田町30,280酒田市31,866
このブロックは最初から最後まで仙台がダントツのトップを続けることになるのですが、1920年(第1回)でも2位山形の倍以上の人口となっております。その山形ですが、この期に2位を持続するというのも意外といえば意外です。3位米沢、4位盛岡と地味で渋~い「生まれながらの市」が続きますが、国勢調査以前には山形より人口が多かった米沢は人口が停滞し、1930年(第3回)では後発の郡山、福島より下の6位となってしまいます。
鶴岡、酒田、石巻といったそれなりに歴史のある都市がランキング下位に名を連ねていますが、我が国における近代製鉄業発祥都市である釜石と常磐炭田の内郷(当時は村)が顔をのぞかせているのが注目に値します。

(第2期)戦中/戦後復興期
順位---1935年---1940年---1947年---1950年
1位仙台市219,547仙台市223,630仙台市293,816仙台市341,685
2位山形市69,931盛岡市79,478盛岡市107,096盛岡市117,578
3位盛岡市69,130山形市69,184山形市98,632山形市104,891
4位郡山市54,709郡山市57,402福島市86,763福島市93,435
5位米沢市50,448米沢市48,816郡山市64,741郡山市70,866
6位福島市48,484福島市48,287米沢市55,344米沢市55,008
7位鶴岡市37,224釜石市42,167酒田市49,526酒田市54,291
8位釜石町36,230石巻市36,442石巻市46,745石巻市52,351
9位石巻市33,530鶴岡市35,986鶴岡市42,792塩竈市45,820
10位酒田市31,866塩竈町35,890塩竈市42,428鶴岡市44,018
この期になると、仙台はもちろん、盛岡、山形の県庁所在地が終始上位を形成し、福島も戦後になって他県庁所在都市に負けてなるかと4位に上昇します。もっともそれは、1947年に瀬上町など近隣町村を合併し、なんとか郡山を押さえたというものですが・・・。
この期で、特徴的なことは艦砲射撃によって市街地が壊滅的な打撃を受けた釜石がランク外となり、対照的に日本一その漢字を書くのが難しい?塩竈が台頭したことです。当時の塩竈の繁栄については、仙台の衛星都市というより海陸の結節点となって地場に流通産業の発展をみたものと言うのが適切でしょう。あ~、塩竈の酒、浦霞が飲みたくなりました。
[86560] 2014年 10月 30日(木)10:03:07白桃 さん
 国勢調査における「東北ブロック」人口トップ10の推移(その2)
(第3期)「昭和の大合併」期
順位-----1950年-----1955年-----1960年
1位仙台市341,685仙台市375,844仙台市425,272
2位盛岡市117,578山形市160,245山形市188,597
3位山形市104,891盛岡市142,875盛岡市157,441
4位福島市93,435福島市127,259福島市138,961
5位郡山市70,866酒田市96,735郡山市102,636
6位米沢市55,008米沢市95,714酒田市97,671
7位酒田市54,291郡山市91,119米沢市96,991
8位石巻市52,351鶴岡市85,041釜石市87,511
9位塩竈市45,820釜石市81,006石巻市83,947
10位鶴岡市44,018平市70,808鶴岡市83,149
1955年(第8回)に塩竈が消え去り、石巻もいったんランク外に落ち、代わりに釜石が返り咲き、新たに平がランクインするのですが、この順位変動をもたらした主要因は合併の有無、その規模の差であります。ただ、釜石の場合は、市街が連なっていた甲子村など4村との合併もさることながら、製鉄業がピークに達していた時期であり、人口の実質増加があったことも見逃せません。
仙台の増加がそれほどでもないのは、この期の合併は1956年の1村編入のみであったからです。

(第4期)高度経済成長期
順位---1960年---1965年---1970年---1975年
1位仙台市425,272仙台市480,925仙台市545,065仙台市615,473
2位山形市188,597郡山市223,183いわき市327,164いわき市330,213
3位盛岡市157,441山形市193,737郡山市241,673郡山市264,628
4位福島市138,961盛岡市176,967福島市227,451福島市246,531
5位郡山市102,636福島市173,678山形市204,127山形市219,773
6位酒田市97,671酒田市95,982盛岡市196,036盛岡市216,223
7位米沢市96,991鶴岡市95,615石巻市106,681石巻市115,085
8位釜石市87,511米沢市94,435酒田市96,072酒田市97,723
9位石巻市83,947石巻市89,284鶴岡市95,136鶴岡市95,932
10位鶴岡市83,149釜石市82,104米沢市92,764米沢市91,974
この期の順位変動で注目されるのは、何と言ってもいわきと郡山が山形、盛岡、福島の3県都を飛び越して上位に進出したことです。1964年に磐城・郡山地域が「新産都」に指定され、まず郡山が1965年に5町5村と新設合併後さらに2村を編入、かたや磐城地域では平、磐城、勿来、常磐、内郷の5市、四倉など4町、好間など5村による広域合併が行われました。
いわき、郡山のハデな合併の影に隠れてしまいますが、福島はこの期に飯坂町など3町1村を編入、鶴岡は1963年に大山町と、石巻は1967年に稲井と合併したことにより順位を上げています。
「東北ブロック」では、この期に前期をも凌ぐ合併競争が行われた一方で、製鉄業の縮小が始まった釜石がランク外に去り、米沢が徐々に沈んでいきます。
[86564] 2014年 10月 31日(金)10:10:25【2】白桃 さん
 国勢調査における「東北ブロック」人口トップ10の推移(その3)
(第5期)ポスト高度経済成長期
-1975年-1980年- 1985年-1990年-1995年-2000年
1仙台615,473仙台664,868仙台700,254仙台918,398仙台971,297仙台1,008,130
2いわき330,213いわき342,074いわき350,569いわき355,812いわき360,598いわき360,138
3郡山264,628郡山286,451郡山301,673郡山314,642郡山326,833郡山334,824
4福島246,531福島262,837福島270,762福島277,528盛岡286,478福島291,121
5山形219,773山形237,041山形245,158山形249,487福島285,754盛岡288,843
6盛岡216,223盛岡229,114盛岡235,469盛岡235,434山形254,488山形255,369
7石巻115,085石巻120,699124,216石巻121,976石巻121,208石巻119,818
8酒田97,723酒田102,600石巻122,674酒田100,811酒田101,230酒田101,311
9鶴岡95,932鶴岡99,751酒田101,392鶴岡99,889鶴岡100,538鶴岡100,628
10米沢91,97498,016鶴岡100,200米沢94,760米沢95,592米沢95,396
この期に関して言えば、他ブロックでも順位変動が少ない安定期ではありますが、当ブロック」においてもトップ3に変化はありません。
とは言いながら、仙台の衛星都市として人口急増をみた泉が1985年(第14回)には7位まで進出していることが注目されます。その泉と宮城、秋保の2町を編入した仙台が1990年(第15回)には90万人を超え、2000年(第17回)には遂に「百万都市」の仲間入りをします。
1995年(第16回)に4位に順位を上げた盛岡、これは都南村を編入によるものですが、郡山、福島など東北本線沿い都市が順調な増加を示しているのとは対照的に、特にこの期の終盤には山形県4市の人口の停滞が目立ちます。

(第6期)「平成の大合併」期
順位----- 2000年-----2005年-----2010年
1位仙台市1,008,130仙台市1,025,098仙台市1,045,986
2位いわき市360,138いわき市354,492いわき市342,249
3位郡山市334,824郡山市338,834郡山市338,712
4位福島市291,121福島市290,869盛岡市298,348
5位盛岡市288,843盛岡市287,192福島市292,590
6位山形市255,369山形市256,012山形市254,244
7位石巻市119,818石巻市167,324石巻市160,826
8位酒田市101,311鶴岡市142,384鶴岡市136,623
9位鶴岡市100,628一関市125,818大崎市135,147
10位米沢市95,396酒田市98,278 奥州市124,746
「平成の大合併」期とは言え、トップ3はこの期に合併は無く、盛岡-1村、福島-1町という誠にささやかな?編入に終わったことにより、上位の順位変動は殆どありません。
これに対して下位ではかなりの変化がありました。順位変動はなかったものの石巻は6町との新設合併により大幅な人口増となり、4町1村との新設合併を行った鶴岡は2005年(第18回)に8位に順位を上げました。
そして、4町2村との新設合併を行った一関、2市2町1村の合併で誕生した奥州、1市6町の合併で誕生した大崎、が新たにランクインした結果、“合併負け”した酒田と合併しなかった米沢の2市がランク外に弾き飛ばされました。
(陰口)米沢や酒田は、一関、水沢、古川よりずっと「格上」だと思うのですが・・・
[86603] 2014年 11月 4日(火)09:42:23白桃 さん
国勢調査における「北関東ブロック」人口トップ10の推移(その1)
シリーズ第3弾は「北関東ブロック」でエリアは茨城、栃木、群馬の3県です。白桃のブロック区分けの中には、まったく「まとまり」も「つながり」もない地域を無理やりくっつけただけ、というようなブロックもあるのですが、本地域は、一見「まとまり」も「つながり」もあるようで実はそれほどでもない、という微妙なブロックです。しいて共通するところを挙げるとすれば、徐々に東京の支配を受けるようになったとは言え、その大半が東京に飲み込まれた埼玉、千葉とはだいぶ違うかな、という点です。
(第1期)大正/昭和戦前
順位---1920年---1925年---1930年---1935年
1位宇都宮市63,771宇都宮市76,138前橋市84,925前橋市87,181
2位前橋市62,325前橋市73,688宇都宮市81,388宇都宮市87,129
3位水戸市39,363水戸市46,527高崎市59,928桐生市76,145
4位桐生町37,674高崎市45,698桐生市52,906高崎市64,283
5位高崎市36,792桐生市42,553水戸市50,648水戸市63,816
6位足利町33,637足利市39,401足利市43,898足利市48,875
7位足尾町32,804栃木町27,370栃木町29,684日立町34,536
8位日立村25,263日立町23,681日立町27,811栃木町31,335
9位栃木町24,570足尾町22,547足尾町23,803足尾町25,484
10位鹿沼町18,097鹿沼町20,452伊勢崎町21,996伊勢崎町23,588
第1期に登場する顔ぶれを見ると、1930年(第3回)に10位の鹿沼と伊勢崎が入れ替わった以外は4回連続登場都市が9都市あり、当期は「安定期」と言えるかもしれませんが、4回連続6位の足利を除き、チョコマカではありますが目まぐるしい順位変動が見られます。
“国勢調査以前”から突出した都市が見られない地域でしたが、第1期においても、宇都宮と前橋の人口が拮抗しております。その後に続くのも、水戸、高崎、桐生といった具合で、ちょっと目がまわりそう。
当期の特徴としては、桐生、足利、伊勢崎の絹織物産業都市と足尾、日立の鉱業都市が堂々の?ランクインしていることです。

(第2期)戦中/戦後復興期
順位---1935年---1940年---1947年---1950年
1位前橋市87,181宇都宮市87,868宇都宮市97,075宇都宮市107,210
2位宇都宮市87,129前橋市86,997桐生市91,482前橋市97,394
3位桐生市76,145桐生市86,086前橋市90,432桐生市95,533
4位高崎市64,283日立市82,885高崎市88,483高崎市92,964
5位水戸市63,816高崎市71,002水戸市61,416水戸市67,163
6位足利市48,875水戸市66,293佐野市55,302土浦市62,246
7位日立町34,536足利市48,310土浦市53,298日立市56,066
8位栃木町31,335太田町42,206足利市51,309佐野市55,180
9位足尾町25,484伊勢崎市40,004日立市50,159足利市52,810
10位伊勢崎町23,588栃木市31,195太田町49,943太田市49,556
第2期に入ると、1940年(第5回)に足尾が姿を消し、軍需の追い風を受けた太田が近隣の村との合併もあって8位にランクインします。また、1939年に助川町と合併し市制施行した日立が第5回に4位となったことが注目されます。
第5回以降、宇都宮がトップを走ることになるのですが、この期には4位あたりまでの都市との差はほんの僅かです。1947年(第6回)には「織都」桐生が県都前橋を押さえ2位になりますが、桐生の絹織物産業の全盛期は1935年頃と言われているようです。戦後の復興途上で他都市の人口が伸び悩む中での“棚ぼた”の感があります。
第6回には佐野と土浦が新たにランクインしますが、土浦は真鍋町と、佐野は犬伏町、堀米町他3村との合併に起因するものです。(共に人口の実質増も認められますが、合併の恩恵?は佐野の方が大)
[86622] 2014年 11月 6日(木)10:58:36【2】白桃 さん
国勢調査における「北関東ブロック」人口トップ10の推移(その2)
(第3期)「昭和の大合併」期
順位-----1950年-----1955年-----1960年
1位宇都宮市107,210宇都宮市227,153宇都宮市239,007
2位前橋市97,394前橋市171,265前橋市181,937
3位桐生市95,533日立市131,011日立市161,226
4位高崎市92,964高崎市125,195高崎市142,152
5位水戸市67,163桐生市116,935水戸市139,389
6位土浦市62,246水戸市110,436桐生市123,010
7位日立市56,066足利市102,078足利市110,972
8位佐野市55,180伊勢崎市85,380伊勢崎市84,250
9位足利市52,810鹿沼市80,771鹿沼市77,927
10位太田市49,556土浦市72,023栃木市73,436
この期の順位変動は合併の“程度の差”によるところが大です。すなわち、1950年(第7回)において町でありながら約3万7千人を数えた多賀町他2町4村を編入した日立が倍以上の人口増となり、1955年(第8回)には3位に躍進します。また同年には1町6村を編入し人口倍増をみた足利が7位に上昇します。
この期に合併があったものの、その規模が小さかったために佐野、太田、土浦が姿を消し、代わりに比較的規模の大きい合併があった伊勢崎、鹿沼、栃木が地味ながら復活を遂げます。
首位とは言え、前橋、桐生、高崎と大した人口差がなかった宇都宮ですが、1町9村の編入により人口を倍増させ、他都市との差を徐々に拡げていきます。

(第4期)高度経済成長期
順位---1960年---1965年---1970年---1975年
1位宇都宮市239,007宇都宮市265,696宇都宮市301,231宇都宮市344,420
2位前橋市181,937前橋市198,745前橋市233,632前橋市250,241
3位日立市161,226日立市179,703日立市193,210高崎市211,348
4位高崎市142,152高崎市173,887高崎市193,072日立市202,383
5位水戸市139,389水戸市154,983水戸市173,789水戸市197,953
6位桐生市123,010足利市150,259足利市156,004足利市162,359
7位足利市110,972桐生市127,880桐生市133,141桐生市134,239
8位伊勢崎市84,250小山市90,632小山市105,346小山市120,264
9位鹿沼市77,927太田市87,898太田市98,257太田市110,723
10位栃木市73,436伊勢崎市86,861伊勢崎市91,277土浦市104,028
この期になると、ブロック南部が徐々に首都圏に組み込まれていきます。
上位都市には殆ど順位変動がなかったものの、1965年(第10回)には新たに小山がランクイン、太田が再ランクインします。両都市の躍進は、“時期はずれ”の合併によるところもありますが、太田の場合は高度経済成長をバックにした自動車産業の活況に伴う実質人口増、小山の場合は交通の要衝という利点を活かした工業団地の造成等による人口集積に起因するところがあります。特に小山の場合にとってこの期は、栃木県南の拠点都市となる萌芽期であったと言えるでしょう。
両都市の陰に隠れて古参の鹿沼、栃木が姿を消し、1975年(第12回)には伊勢崎もいったんランク外に去ります。伊勢崎の代わりに復活した土浦の躍進は、首都圏に組み込まれて宅地化が進むとともに、圏内の拠点都市として、都市機能(特に商業機能)の充実がもたらしたことによるものです。
[86632] 2014年 11月 7日(金)09:53:59白桃 さん
国勢調査における「北関東ブロック」人口トップ10の推移(その3)
(第5期)ポスト高度経済成長期
-1975年-1980年-1985年-1990年-1995年-2000年
1宇都宮344,420宇都宮377,746宇都宮405,375宇都宮426,795宇都宮435,357宇都宮443,808
2前橋250,241前橋265,169前橋277,319前橋286,261前橋284,788前橋284,155
3高崎211,348高崎221,429高崎231,766高崎236,461水戸246,347水戸246,739
4日立202,383水戸215,566水戸228,985水戸234,968高崎238,133高崎239,904
5水戸197,953日立204,596日立206,074日立202,141日立199,244日立193,353
6足利162,359足利165,756足利167,656足利167,686足利165,828つくば165,978
7桐生134,239桐生132,889小山134,242つくば143,396つくば156,012足利163,140
8小山120,264小山127,226太田133,670小山142,262小山150,115小山155,198
9太田110,723太田123,115桐生131,267太田139,801ひたちなか146,750ひたちなか151,673
10土浦104,028土浦112,517土浦120,175土浦127,471太田143,057太田147,906
この期は他ブロックにおいては総じて「安定期」となるのですが、北関東では大きな動きがあります。すなわち、1987年に1村3町(普通なら3町1村と書くべきなのでしょうが、4万人超の桜村に敬意)の合併(翌年、筑波町を編入)で出現した「研究学園都市」つくば市と1994年に勝田・那珂湊2市の合併によって成立したひたちなか市がランクインするのです。特につくばは、我が国の都市に対する既成概念を打ち破る?ほどの計画的、というか人工的、かつ特異な性格を持つ都市として、その後も成長を続けることになります。
新進気鋭2市のランクインによって、名門、桐生と土浦がランク外となるのですが、桐生は1975年(第12回)に人口ピークを迎えており、ランク落ちも致し方ないところでしょう。土浦の場合、人口自体は増加していたのですが、隣に出来た市のアオリを食ったという感じです。(土浦のランク落ちは、直接の原因はひたちなかの合併ですが、土浦のつくばを見る目は尋常ではない?)
この期に下降線をたどっていくのが日立と足利で、前橋も伸びが止まります。一方、じわじわっと順位を上げるのが水戸で、1980年(第13回)には“宿敵”日立を押さえ4位に、常澄村編入後の1995年には高崎を抜き3位となり、県都の面目躍如という感じでしょうか?

(第6期)「平成の大合併」期
順位-----2000年-----2005年-----2010年
1位宇都宮市443,808宇都宮市457,673宇都宮市511,739
2位前橋市284,155前橋市318,584高崎市371,302
3位水戸市246,739水戸市262,603前橋市340,291
4位高崎市239,904高崎市245,100水戸市268,750
5位日立市193,353太田市213,299太田市216,465
6位つくば市165,978伊勢崎市202,447つくば市214,590
7位足利市163,140つくば市200,528伊勢崎市207,221
8位小山市155,198日立市199,218日立市193,129
9位ひたちなか市151,673 小山市160,150小山市164,454
10位太田市147,906足利市159,756ひたちなか市157,060
この期のトピックをあげるとすれば、2町1村との合併があった伊勢崎が再ランクインし、3町との合併があった太田が5位に上昇したことでしょうか。伊勢崎と太田は合併後も人口を伸ばしており今後も注目していきたい都市です。
伊勢崎の再ランクインにより、合併しなかったひたちなかが一旦ランク外となりますが、2010年(第19回)には斜陽足利に代わって再ランクインします。旧勝田市域の人口増が、旧那珂湊の人口減をカバーした、というところです。
主だったところで合併しなかったのは小山ぐらい、という合併ばやりの北関東ですが、中でも熾烈だったのが、前橋と高崎の合併競争。結局、数と勢いで軍配は高崎にあがり、宇都宮には遠く及ばないもののブロック2位の座につくのです。
[86645] 2014年 11月 9日(日)11:20:12白桃 さん
国勢調査における「南関東ブロック」人口トップ10の推移(その1)
シリーズ第4弾は「南関東ブロック」で、埼玉と千葉がその範囲です。当初、「埼葉(さいよう)」という名称にしていましたが、私以外、まったく使用していないようなので、「南関東」をさいよう致しました。ですが、この「南関東」という言葉、「北関東」に比べて使用頻度が少ないようです。また、使用された場合のエリアは通常、東京都、神奈川県も含まれるのですが、京浜地帯とも北関東とも違う、四国出身の白桃にとっては“東京の先”という共通項でもってひとまとめにしてしまえ、という意識がありました。よって、名称には特にこだわっておりません。
この両県、近年こそ(一部の人間によって)少々品のよくない言葉でそしりあうライバル関係にあるようですが、東京の傘下に入る前は、お互いに殆ど意識もしなかった間柄でしょう。でも、武蔵野線に乗っていると、流山が埼玉で、三郷が千葉でも宜しいのでは、という奇妙な一体感?が湧き出る不思議なエリアです。(普段にも増して前段が長くなった。)
(第1期)大正/昭和戦前
順位---1920年---1925年---1930年---1935年
1位千葉町33,179千葉市41,806千葉市49,088千葉市57,446
2位川越町24,675川越市31,905川越市34,205川口市53,716
3位熊谷町22,282熊谷町27,022熊谷町33,766銚子市48,352
4位大宮町19,057大宮町25,109大宮町29,324市川市46,711
5位本銚子町16,917船橋町19,262浦和町25,328浦和市44,328
6位佐原町15,299本銚子町19,133船橋町22,612熊谷市37,649
7位船橋町14,677浦和町18,253川口町22,226川越市35,192
8位川口町14,351川口町17,973市川町20,846大宮町33,852
9位本庄町13,807本庄町17,254本銚子町20,728船橋町26,452
10位深谷町12,259市川町16,527秩父町19,295館山北条町20,547
1920年(第1回)を見てお分かりのように、オール「町」。今でこそ政令指定都市の千葉ですが、“かなり人口の多い町”程度だったのです。浦和に至っては、登場するのが1925年(第2回)からです。それもそのはず、国勢調査以前の人口、ここではあまり触れたくはないのですが、町村制施行時、埼玉三羽烏その1.浦和→三本松よりやや多め、その2.川口→同等クラス、その3.大宮→三本松以下、でしたから。
本題に戻りますが、この期には意外とも感じる市が登場、消えていきます。後に「急行停車駅」として有名になった深谷、本庄は中山道の宿場町であった面影が残っていたでしょうし、利根川の舟運の中継地として栄えていた佐原、地域の中心として今より数段独立色の強かった秩父、ま、この期は中小都市ばかりのエリアでしたから、トップ10に入っていてもおかしくはありませんね。
地味ながら合併が大きく順位変動に関係していることも見逃せません。川口は近隣3村との合併で市制施行、1935年(第4回)には2位となり、本銚子は銚子町、西銚子町他と合併で銚子市となり同4回には3位に、第2回から登場の市川も八幡町、中山町他と合併により市制施行、4位に上昇します。館山と北条が合併して成立し第4回に顔を出す館山北条町を含め、中心となる旧町がいまだに特定できない合併が重なったのは偶然でしょうか。(あるいは、当時すでに町並みに連たん性があったのでしょうか?)
いずれにしろ、後進都市が合併によって順位を上げたことにより、先進の川越、熊谷がランクを落としていきます。

(第2期)戦中/戦後復興期
順位---1935年---1940年---1947年---1950年
1位千葉市57,446川口市97,115千葉市122,006千葉市133,844
2位川口市53,716千葉市92,061川口市116,007川口市124,783
3位銚子市48,352銚子市61,198浦和市106,176浦和市115,019
4位市川市46,711浦和市59,671市川市92,719市川市102,506
5位浦和市44,328市川市58,060大宮市91,378大宮市100,093
6位熊谷市37,649船橋市50,907船橋市78,996船橋市83,348
7位川越市35,192熊谷市39,412銚子市69,543銚子市73,512
8位大宮町33,852大宮町39,291熊谷市63,267熊谷市65,487
9位船橋町26,452川越市38,407松戸市54,513川越市52,820
10位館山北条町20,547館山市28,591川越市50,294松戸市52,531
前期に引き続きコマメな合併があるのですが、順位に影響したものとしては川口が鳩ヶ谷町等と行った「戦時合併」で、これにより1940年(第5回)には、検見川町、蘇我町他と合併して人口を増加させた千葉をも抜いてトップに立ちます。
館山北条は1939年に那古、船形と合併して館山市になるのですが、1947年(第6回)にはランク外となってしまいます。これに取って代わってランクインしたのが松戸です。松戸の進出は合併によるものと言うよりは、戦後間もないこの時期にすでに東京の膨張が始まったことにより衛星都市に変貌したと見るべきでしょう。
[86655] 2014年 11月 10日(月)12:49:37白桃 さん
 国勢調査における「南関東ブロック」人口トップ10の推移(その2)
(第3期)「昭和の大合併」期
順位-----1950年-----1955年-----1960年
1位千葉市133,844千葉市197,962千葉市241,615
2位川口市124,783大宮市144,540川口市170,066
3位浦和市115,019浦和市143,044大宮市169,996
4位市川市102,506川口市130,599浦和市168,757
5位大宮市100,093市川市129,700市川市157,301
6位船橋市83,348船橋市114,921船橋市135,038
7位銚子市73,512川越市104,612川越市107,523
8位熊谷市65,487熊谷市94,252熊谷市98,168
9位川越市52,820銚子市88,157銚子市91,470
10位松戸市52,531松戸市68,363松戸市86,372
この期はランク上位の都市にさほど派手な合併も無く、各都市が順調に人口増加を示したため、極端な順位変動も見られず、ランク外に去った都市もありません。
とは言いながら、近隣6村編入の大宮が1955年(第8回)には2位になったことが注目されます。もっともこれは、川口から鳩ヶ谷が分立したことが大きく影響しています。
また、埼玉県で最も古い市である川越は、9村編入により辛うじて10万都市の仲間入りを果たし、なんとか面目を保ちました。
首位の千葉は、この期に幕張町他を編入していますが、実質的人口増加も伴って徐々に他都市との差を拡げていきます。
(脱線)1955年に川越に編入された南古谷に、酔っ払って車内に忘れた数珠と老眼鏡を取りに行きましたが、新浦安からは遠かった。南関東も広いな・・・

(第4期)高度経済成長期
順位---1960年---1965年---1970年---1975年
1位千葉市241,615千葉市332,188千葉市482,133千葉市659,356
2位川口市170,066川口市249,112船橋市325,426船橋市423,101
3位大宮市169,996船橋市223,989川口市305,886川口市345,538
4位浦和市168,757浦和市221,337浦和市269,397松戸市344,558
5位市川市157,301大宮市215,646大宮市268,777浦和市331,145
6位船橋市135,038市川市207,988市川市261,055大宮市327,698
7位川越市107,523松戸市160,001松戸市253,591市川市319,291
8位熊谷市98,168川越市127,155川越市171,038川越市225,465
9位銚子市91,470熊谷市109,575市原市156,016柏市203,065
10位松戸市86,372柏市109,237柏市150,635所沢市196,870
「高度経済成長期」という言葉がぴったり当てはまるのは、まさに、このブロックです。上位都市でこの期に目立った合併が行われたのは2町編入の千葉ぐらい(その他では川口と浦和が美園村を分け合った)で、殆ど人口の実質増。凄まじい人口増はヘビー級ボクサーがノーガードで打ち合っているような感じがします。
その中でも伸びたのが、船橋と松戸。どちらかというと市川より目立たない存在であった船橋は、眠れる獅子が目が覚めた如く、10万単位の増加を続けて1970年(第11回)には2位にまで上昇します。また、それまでは格下と思われていた松戸もイケイケ!キヨシの勢いで、1975年(第12回)には4位に。これにより、しばらく続いた「南関東六大都市」時代が「千葉市&南関東新六大都市」時代に入ったわけです。(もちろん、白桃の造語です。)
この期に暗転したのが熊谷と銚子。以来、熊谷市民はアツクなり、銚子市民はお銚子の中に醤油を入れるようになったとか?????
この期に新しくランクインした柏は、首都圏の「優等衛星都市」として以後、順調な道を歩みます。大胆な合併により熊谷に代わってランクインした市原は、工業都市としての側面が強いのですが、それゆえ拠点都市として脱皮すること難しいのか、人口も思ったほど伸びず、ランクインするのは第11回のみとなります。市原に代わって登場するのが、単なる衛星都市にとどまることなく首都圏内の中核都市として頭角を現した所沢です。
[86662] 2014年 11月 11日(火)15:31:44白桃 さん
国勢調査における「南関東ブロック」人口トップ10の推移(その3)
(第5期)ポスト高度経済成長期
-1975年-1980年-1985年-1990年-1995年-2000年
1千葉659,356千葉746,430千葉788,930千葉829,455千葉856,878千葉887,164
2船橋423,101船橋479,439船橋506,966船橋533,270船橋540,817船橋550,074
3川口345,538松戸400,863松戸427,473松戸456,210松戸461,503浦和484,845
4松戸344,558川口379,360川口403,015川口438,680浦和453,300松戸464,841
5浦和331,145市川364,244市川397,822市川436,596川口448,854川口460,027
6大宮327,698浦和358,185浦和377,235浦和418,271市川440,555大宮456,271
7市川319,291大宮354,084大宮373,022大宮403,776大宮433,755市川448,642
8川越225,465川越259,314川越285,437305,058川越323,353川越330,766
9203,065239,198所沢275,168川越304,854所沢320,406所沢330,100
10所沢196,870所沢236,476273,128所沢303,040317,750327,851
この期は、新たにランクインした都市もなく、激しい順位変動もない絵に描いたような安定期ではありますが、がっぷり四つに組んだハイレベルな都市間競争が繰り広げられています。
さすがに各都市とも前期ほどの過激な人口増は見られませんが、1992年に政令指定都市となった千葉とともに順調な増加を見せたのは船橋で、1985年(第14回)には50万人を超え、2位の座を堅持していきます。
川口、松戸、浦和、大宮、市川といった第3グループの中で、船橋以上の伸びを示したのが県庁所在都市としての自覚が芽生えた???浦和です。1995年(第16回)には少々バテ気味の市川と、目の上のタンコブ川口を抜き去り4位に浮上します。あまり大きな声では言えないのですが、実に、ここでやっと国勢調査史上初めて埼玉県ナンバーワンの人口になるのです。行政庁所在地というのは結構“いい脚を長く使える”もので、2000年(第17回)には失速した松戸を押さえ3位まで上昇します。
ランク下位の川越、柏、所沢の3都市も玄人受けする巴戦を演じるのですが、私は“新進気鋭”2都市に負けてなるものかと頑張っている川越に惹かれるのです。

(第6期)「平成の大合併」期
順位-----2000年-----2005年-----2010年
1位千葉市887,164さいたま市1,176,314さいたま市1,222,434
2位船橋市550,074千葉市924,319千葉市961,749
3位浦和市484,845船橋市569,835船橋市609,040
4位松戸市464,841川口市480,079川口市500,598
5位川口市460,027松戸市472,579松戸市484,457
6位大宮市456,271市川市466,608市川市473,919
7位市川市448,642柏市380,963柏市404,012
8位川越市330,766所沢市336,100川越市342,670
9位所沢市330,100川越市333,795所沢市341,924
10位柏市327,851越谷市315,792越谷市326,313
この期についてのコメントは簡単で楽です。
2001年5月1日さいたま市が誕生。今世紀末まで86年も残っていますが、多分、21世紀最大の合併になるのでは、と思います。
さいたま市の誕生によって、千葉市長が苦虫を噛み潰したような顔になったのかどうか、それは知りませんが、ランク上位は、さいたま、千葉、船橋の順に落ち着きました。さいたま市誕生に刺激を受けたわけではないのでしょうが、川口は松戸・市川の千葉勢に水をあけ始めました。
下位では沼南町を編入した柏が巴戦から抜け出しましたが、川越と所沢の好勝負は相変わらずです。(所沢の寄りをこらえて、川越が寄り返した。)
さいたまの誕生により、欠員1が生じましたが、そこに入ってきたのは“未完の大器”越谷で、一時は越谷をリードしていた草加は“じっと我慢の子”でいます。
[86664] 2014年 11月 12日(水)18:21:57【1】白桃 さん
国勢調査における「京浜ブロック」人口トップ10の推移(その1)
シリーズ第5弾(だいぶ疲れてきました)は、「京浜ブロック」でエリアは東京都と神奈川県です。しかし、この「京浜」というブロック名、適切じゃないですよね。「京浜」といえば、東京から横浜にかけての一帯、で少し拡げてもせいぜい横須賀、三浦半島までって、これは「京浜急行」のシマ。八王子や小田原はどう考えても「京浜」じゃないですよね。旧国名だと武蔵の南部と相模になるので、「武相」の方が良い気もするのですが、武相高校も最近甲子園に出てこないし、困ったな。「東横」よりはマシでしょう、で決行。
(第1期)大正/昭和戦前
順位---1920年---1925年---1930年---1935年
1東京市2,173,201東京市1,995,567東京市2,070,913東京市5,875,667
2横浜市422,938横浜市405,888横浜市620,306横浜市704,290
3横須賀市89,879渋谷町99,022荏原町132,108横須賀市182,871
4渋谷町80,799西巣鴨町98,950西巣鴨町115,654川崎市154,748
5西巣鴨町51,478横須賀市96,351横須賀市110,301八王子市59,494
6南千住町50,713滝野川町82,252川崎市104,351平塚市38,348
7日暮里町41,551平塚村72,256渋谷町102,056藤沢町30,184
8品川町41,059中野町60,962滝野川町100,746鎌倉町29,412
9滝野川町40,689王子町60,086王子町89,009小田原町27,743
10淀橋町40,453吾嬬町59,921中野町87,263武蔵野町25,221
1920年(第1回)を見ますと、現在は消滅して無くなった「町」が7つ入っていますが、いずれも旧東京市に隣接しています。(是非、つかんぼやとパラパラ地図東京都1920年10月をご覧ください。このうち、渋谷、西巣鴨、滝野川の3町は東京市に編入される直前の1930年(第3回)までトップ10に残ります。因みに、第1回4位の渋谷町の人口は、当時の静岡市(74,093人)より多いのですから、途轍もないスーパービッグタウン?だったのでしょう。
このエリアは、1923年に起こった関東大震災によって甚大な被害を受け、東京と横浜は人口を減少させます。人口を大きく減らし、全国2位に落ちた東京ですが、その社会減となった人口の移動先の殆どは郊外部でした。1925年(第2回)には、南千住、日暮里、品川、淀橋に代わり、平塚村と中野、王子、吾嬬の3町がランクインしますが、先の4町に比べ都心からやや離れた位置にあったことからも、震災を契機に「大東京」が外延的に人口を増加させていったことが伺えます。特に爆発的な人口増となった平塚村は、村として、国勢調査史上最多人口を記録します。
1930年(第3回)になると、東京市郊外の人口増加は加速していきます。町制施行で平塚村から名を変えた荏原町は、町として、国勢調査史上最多人口を記録し、西巣鴨、渋谷、滝野川も10万人を超えてしまうのです。一方、吾嬬に代わりトップ10入りを果たした川崎ですが、やっとこさ、という感じがします。
1932年に近郊82町村を編入した東京市の人口は1935年(第4回)には600万に近づき、横浜、横須賀、川崎も順調に人口を伸ばしていきます。東京近郊の町々が消滅したことにより、八王子、平塚の2市と藤沢、鎌倉、小田原、武蔵野の4町がランクインしますが、武蔵野については、東京で最古の衛星都市と見るべきか、それとも東京に合併されそこなった郊外地域というべきなのか・・・

(第2期)戦中/戦後復興期
順位---1935年---1940年---1947年---1950年
1東京市5,875,667東京市6,778,804東京4,177,548東京5,385,071
2横浜市704,290横浜市968,091横浜市814,379横浜市951,189
3横須賀市182,871川崎市300,777横須賀市261,805川崎市319,226
4川崎市154,748横須賀市193,358川崎市252,923横須賀市250,533
5八王子市59,494八王子市62,279藤沢市78,759鎌倉市85,391
6平塚市38,348平塚市43,148相模原町73,217藤沢市84,581
7藤沢町30,184武蔵野町41,767八王子市72,947八王子市82,539
8鎌倉町29,412鎌倉市40,151小田原市68,911小田原市75,334
9小田原町27,743藤沢市36,769武蔵野町63,479武蔵野市73,149
10武蔵野町25,221立川町33,849鎌倉市55,168相模原町68,898
1940年(第5回)に横浜は大幅に人口を増加させておりますが、戸塚町など多数の町村を編入したことも無視できません。川崎もまた人口を倍増させ横須賀を抜き3位に上昇していますが、これも高津町など2町6村を合併したことが影響しています。また、下位を見ますと小田原に代わり立川が新たにランクインしています。
1947年(第6回)では戦災に遭った東京(1943年に都となる)は260万人という大幅減少となり、横浜、川崎も程度の差こそありますが激減となりました。一方、大幅に人口を増加させたのが横須賀ですが、これは1943年に浦賀、逗子など4町2村を編入した“戦時合併“によるもので、復興途上の大都市を尻目に全国9位の人口となりました。他では片瀬町などを編入した藤沢が5位にまで上昇、第5回直後に足柄町(1940年人口16,807)などを編入した小田原が再ランクインしました。また、1941年に「軍都計画」の一環として大同合併により誕生した相模原が、町ながら6位に飛び込んできたことを忘れてはなりません。
1950年(第7回)になると、上位都市の人口は回復をみせましたが、東京、横浜は戦前の段階には達していません。また、逗子が抜けた横須賀、座間が抜けた相模原が人口を減少させています。この回に新たにランクインした都市はありませんが、急行瀬戸も停まった大船を編入した鎌倉が5位に浮上しました。
[86684] 2014年 11月 17日(月)19:02:21白桃 さん
国勢調査における「京浜ブロック」人口トップ10の推移(その2)
(第3期)「昭和の大合併」期
順位-----1950年-----1955年-----1960年
1東京5,385,071東京6,969,104東京8,310,027
2横浜市951,189横浜市1,143,687横浜市1,375,710
3川崎市319,226川崎市445,520川崎市632,975
4横須賀市250,533横須賀市279,132横須賀市287,309
5鎌倉市85,391八王子市133,447八王子市158,443
6藤沢市84,581小田原市113,099小田原市124,813
7八王子市82,539藤沢市109,101藤沢市124,601
8小田原市75,334武蔵野市94,948武蔵野市120,337
9武蔵野市73,149鎌倉市91,328平塚市108,279
10相模原町68,898相模原市83,841相模原市101,655
「昭和の大合併」期ではありますが、このブロックでは大幅な順位変動はありません。それは、1950年(第7回)時のトップ10の中で合併が行われたのが藤沢、八王子、小田原の3都市にとどまったことにも起因しています。合併によって順位を上げた八王子と小田原以外に、武蔵野、相模原もそれなりに人口を伸ばしてはいるのですが、東京、横浜、川崎の激増ぶりと比べるとカワイイものです。
人口の伸びが鈍化したのが横須賀と鎌倉です。もともと5位以下との差が大きかった横須賀は4位を持続するのですが、鎌倉は1960年(第9回)にはランク外に去っていきます。代わりに、近隣の町村と合併した平塚が再ランクインします。

(第4期)高度経済成長期
順位---1960年---1965年---1970年---1975年
1東京 8,310,027東京8,893,094東京8,840,942東京8,646,520
2横浜市1,375,710横浜市1,788,915横浜市2,238,264横浜市2,621,771
3川崎市632,975川崎市854,866川崎市973,486川崎市1,014,951
4横須賀市287,309横須賀市317,411横須賀市347,576横須賀市389,557
5八王子市158,443八王子市207,753相模原市278,326相模原市377,398
6小田原市124,813藤沢市175,183八王子市253,527八王子市322,580
7藤沢市124,601相模原市163,381藤沢市228,978藤沢市265,975
8武蔵野市120,337小田原市143,377町田市202,801町田市255,305
9平塚市108,279三鷹市135,873平塚市163,671平塚市195,635
10相模原市101,655平塚市134,931府中市163,173府中市182,474
この期に上位4都市の順位こそ変動はありませんが、各都市の人口推移に注目すべき点があります。東京(特別区)の人口は夏季オリンピックが開催された直後の1965年(第10回)に、いったんピークを迎えます。これはもちろん、東京自体が衰退期に入ったということではなく、人口が郊外に拡散、言い換えれば首都圏が拡大したに過ぎません。
その拡散していく人口の大きな受け皿となったのが横浜と川崎で、横浜は1970年(第11回)には200万を超え、名古屋を抜いて全国第3位に上昇、川崎も1975年(第12回)に「100万都市」の仲間入りをします。(もっとも、この頃の川崎は人口が伸び悩んでいます。)
横須賀は前期よりは順調に人口推移を示し、なんとか4位を死守するのですが、これを急追したのが相模原で、5位にまで順位を上げます。
ランキング下位に目をやりますと、武蔵野が消え、その代わりにランクインした三鷹も、府中に取って代わられる。首都圏が拡大していく様子が良くわかります。
この期に相模原とともに目をみはる躍進をしたのが、1970年(第11回)にいきなり20万都市となって8位に飛び込んできた町田です。皮肉なことに町田、相模原という小田急沿線の新興都市の急成長によって、終着、小田原の提灯の灯が消えていくのです。
[86694] 2014年 11月 19日(水)00:23:11白桃 さん
国勢調査における「京浜ブロック」人口トップ10の推移(その3)
(第5期)ポスト高度経済成長期
-1975年-1980年-1985年-1990年-1995年-2000年
1東京8,646,520東京8,351,893東京8,354,615東京8,163,573東京7,967,614東京8,134,688
2横浜2,621,771横浜2,773,674横浜2,992,926横浜3,220,331横浜3,307,136横浜3,426,651
3川崎1,014,951川崎1,040,802川崎1,088,624川崎1,173,603川崎1,202,820川崎1,249,905
4横須賀389,557相模原439,300相模原482,778相模原531,542相模原570,597相模原605,561
5相模原377,398横須賀421,107横須賀427,116八王子466,347八王子503,363八王子536,046
6八王子322,580八王子387,178八王子426,654横須賀433,358横須賀432,193横須賀428,645
7藤沢265,975藤沢300,248藤沢328,387藤沢350,330藤沢368,651藤沢379,185
8町田255,305町田295,405町田321,188町田349,050町田360,525町田377,494
9平塚195,635平塚214,293平塚229,990平塚245,950平塚253,822平塚254,633
10府中182,474府中192,198府中201,972府中209,396府中216,211府中226,769
順位変動について言えば、上位3都市と下位4都市の順位は変わらず、人口増加率が相対的に高かった相模原と八王子が、停滞から減少傾向になった横須賀を抜いただけで起伏に乏しい期であった、と言えばそれまでですが、東京の人口推移に着目する必要があります。
東京の人口は引き続き減少をみせていますが、この期の前半に関して言えば、東京からいなくなった人口は、1980年(第13回)には大阪を抜いて全国2位となった横浜をはじめとする首都圏だけではなく、その一部は地方に還流しております。それは、東京への一極集中を何とか是正しようという国の施策もある程度功を奏したかもしれませんが、都心の地価の高騰が主因だったと考えられます。バブル景気絶頂期を迎えた1990年頃に地価の高騰はピークに達しますが、この頃になると多くの地方都市で再び人口減少をみせ始めることから、地方への人口還流が止まり、首都圏内でも都心から比較的に離れた都市(当ブロックでは相模原、八王子など)に人口が流れたと見ています。
バブル崩壊後の1995年(第16回)に東京は800万を割り込みますが、それに同調するかのように伸びが再度鈍化した横浜、川崎とは対照的に、相模原、八王子の順調な増加が印象的です。こうみると、案外起伏があった期かもしれません。

(第6期)「平成の大合併」期
順位-----2000年-----2005年-----2010年
1東京8,134,688東京8,489,653東京8,945,695
2横浜市3,426,651横浜市3,579,628横浜市3,688,773
3川崎市1,249,905川崎市1,327,011川崎市1,425,512
4相模原市605,561相模原市628,698相模原市717,544
5八王子市536,046八王子市560,012八王子市580,053
6横須賀市428,645横須賀市426,178町田市426,987
7藤沢市379,185町田市405,534横須賀市418,325
8町田市377,494藤沢市396,014藤沢市409,657
9平塚市254,633平塚市258,958平塚市260,780
10府中市226,769府中市245,623府中市255,506
「平成の大合併」期といっても、このブロック内では相模原の合併、トップ10には顔を出さない西東京市が誕生しただけという有様で、合併は殆ど関係ないですね。
長らく減少をみせていた東京の人口が回復どころか増加を始め、2010年(第19回)には国勢調査史上最高人口を記録しました。そして、横浜、川崎も順調に増加。こうなると他都市には付け入る隙もありません。東京→横浜→川崎の3連単は1.1倍???
と、何のことやらわかりませんが、町田が2つ順位を上げ、横須賀が7位にまで落ち、平塚の伸びが止まった、ぐらいのコメントしか残せません。
[86708] 2014年 11月 22日(土)10:28:20白桃 さん
国勢調査における「北陸ブロック」人口トップ10の推移(その1)
シリーズ第6弾は「北陸ブロック」で、エリアは新潟、富山、石川、福井の四県に、福島県会津地方と岐阜県飛騨地方を加えております。このククリをもって、「北陸」と称することに異議のある方は大勢いらっしゃると思いますので、簡単に言い訳を。
(会津)若松市、高山市の人口推移をみていると、それぞれが所属する県にある他の主要都市(郡山市・福島市、岐阜市・大垣市)の推移とは異なっている、つまり、決して飛躍的に伸びることは無く、むしろ北陸の諸都市の人口推移に近いからです。(ま、そんなことを言い出したら、熊谷や秩父の人口推移は、川口とまるっきり違いますが、正直言いますと、北陸が手薄という事情もありましたから。)
(第1期)大正/昭和戦前
順位---1920年---1925年---1930年---1935年
1金沢市129,265金沢市147,420金沢市157,311金沢市163,733
2新潟市92,130新潟市108,941新潟市125,108新潟市134,992
3富山市61,812富山市67,490富山市75,099富山市83,324
4福井市56,639福井市59,943福井市64,199福井市75,273
5長岡市41,627長岡市53,156長岡市57,866長岡市62,152
6若松市37,549高岡市42,660高岡市51,760高岡市57,249
7高岡市36,648若松市41,952若松市43,731若松市46,199
8高田市28,388高田市30,897三条町31,256三条市34,649
9三条町20,424三条町27,860高田市30,934高田市31,284
10敦賀町20,189敦賀町21,295柏崎町24,101敦賀町26,831
この期の人口推移を大雑把に言うと、北陸四県の県庁所在地四横綱が順序良く?並び、その後に長岡、高岡、若松の三大関が続いて、そして、残り3つの椅子を高田、三条、敦賀、柏崎といった三役クラスで争うという構図です。
もう少し詳しく見ていきますと、四横綱のうち、東の正横綱が金沢で、1925年(第2回)には全国順位で10位に入っており、まだまだ“加賀百万石”のご威光は残っていたようです。西の正横綱である新潟も順調に増えてはいるのですが、金沢との差はなかなか詰まりません。張出横綱の二都市のうち福井について言いますと、今でこそ、人口の少ない県庁所在地の一つになっておりますが、1920年(第1回)には47道府県庁所在都市のうち、ちょうど真ん中の24位ですから、当時としては結構立派な都市であったことを物語っています。
それにしても渋~いのが若松で、同じ「明治生まれの市」ではありますが後輩の長岡に徐々に差を拡げられていきます。その若松に競り勝ったのが「生まれながらの市」高岡でありますが、実はこの期に4村を編入しており、若松以上に渋いと言えるかもしれません。
ランキング下位では「明治生まれの市」高田の低迷が目に付きます。1930年(第3回)には町である三条に抜かれてしまいます。敦賀がランクインしているのを意外に思われる方がいるかもしれませんが、日本海側の有数の港町、いやそれ以上に当時は数少ない「国際都市」として当然だったといえるでしょう。

(第2期)戦中/戦後復興期
順位---1935年---1940年---1947年---1950年
1金沢市163,733金沢市186,297金沢市231,441金沢市252,017
2新潟市134,992新潟市150,903新潟市204,477新潟市220,901
3富山市83,324富山市127,859富山市137,818富山市154,484
4福井市75,273福井市94,595高岡市133,858高岡市142,041
5長岡市62,152長岡市66,987福井市77,320福井市100,691
6高岡市57,249高岡市59,434小松市61,898長岡市66,818
7若松市46,199若松市48,091若松市59,024小松市63,201
8三条市34,649三条市36,541長岡市54,958若松市60,034
9高田市31,284敦賀市31,346三条市45,238三条市46,646
10敦賀町26,831高山市31,296高山市41,877高山市42,823
この期も金沢、新潟、富山のトップ3は変わりませんが、その他では結構な順位変動がありました。
1940年(第5回)には、人口停滞の高田に代わって、大名田町と合併し市となった高山が10位にランクインします。
大きく変化したのが1947年(第6回)で、「戦時合併」で伏木町、新湊町などを併合し人口が倍増した高岡が福井を抜いて4位に上昇します。富山、福井、長岡の戦争被害は甚大で、福井は大きく人口を減らし、長岡に至っては8位にまで順位を落としています。この回いきなり6位になった小松ですが、これは1940年12月に2町6村という大規模合併で市制施行したことによります。
1950年(第7回)については、ほぼ戦争前の人口に回復した長岡が順位を上げたことが注目されますが、1948年に起こった福井大地震で多数の死者を出したにもかかわらず、10万人に達した福井を忘れてはなりません。
[86722] 2014年 11月 24日(月)09:46:44白桃 さん
国勢調査における「北陸ブロック」人口トップ10の推移(その2)
(第3期)「昭和の大合併」期
順位-----1950年-----1955年-----1960年
1金沢市252,017金沢市277,283新潟市314,528
2新潟市220,901新潟市261,758金沢市298,972
3富山市154,484富山市170,495富山市207,266
4高岡市142,041高岡市131,531福井市149,823
5福井市100,691長岡市130,785長岡市148,254
6長岡市66,818福井市125,304高岡市135,190
7小松市63,201会津若松市97,885会津若松市99,546
8若松市60,034小松市72,378小松市89,085
9三条市46,646高田市71,432柏崎市74,139
10高山市42,823氷見市68,611新発田市73,886
この期でまず触れないといけないのは、首位が交代したことでしょう。だいぶ話がそれますが、「金沢は誰からも好かれるクラスの人気者、それに対して新潟は男っぽいけれどちょっと少しとっつきにくいとこがある。」という印象を持っているのは私だけでしょうか?ま、とにかくトップが交代したのですが、結論から言って、金沢が廃れてきたというわけではありません。1955年(第8回)には人口の差が詰まっていますが、これは編入した村の数では金沢が新潟を上回っているものの、編入人口では1万3千人ほど下回っていたからです。そして、ついに1960年(第9回)には内野町他3村を編入した新潟に追い抜かれたわけです。ただ、当時の両都市周辺部の都市化の進展度については、若干ではありますが新潟が金沢を上回っていたようです。
その他の順位変動については「合併の規模の差」に尽きるのですが、それが最も顕著になる第8回を見ますと、1町12.5村(0.5は一部編入)編入で人口倍増により5位に上昇した長岡、8村編入のついで?に名を変えた会津若松が目に付きます。それ以上に注目されるのは、1町17村という“郡ごと合併”によって出来た氷見市の登場です。
ランキング下位では、合併の規模が小さかった三条、高山が消え、それに代わって再ランクインした高田と上記の氷見も第9回には柏崎、新発田に取って代わられます。このような目まぐるしい交代で表面には出ませんが、下位に顔を出す都市の中には実質的には人口減少となっている市があります。「昭和の合併代表選手」氷見なんかは合併後遺症としか言いようがありません。
第9回に合併を行ったにもかかわらず高岡の人口が減少していますが、これは新湊の離脱があったからです。

(第4期)高度経済成長期
順位---1960年---1965年---1970年---1975年
1新潟市314,528新潟市356,302新潟市383,919新潟市423,188
2金沢市298,972金沢市335,828金沢市361,379金沢市395,263
3富山市207,266富山市239,810富山市269,276富山市290,143
4福井市149,823福井市169,636福井市200,509福井市231,364
5長岡市148,254長岡市154,752長岡市162,262長岡市171,742
6高岡市135,190高岡市139,502高岡市159,664高岡市169,621
7会津若松市99,546会津若松市102,239会津若松市104,065上越市123,418
8小松市89,085小松市91,163小松市95,684会津若松市108,650
9柏崎市74,139三条市74,080三条市77,814小松市100,273
10新発田市73,886新発田市73,992高田市75,053三条市81,806
高度経済成長期とは言ってもソレにはあんまり縁のないこのブロック、もし、高田と直江津が合併していなかったならば、記載すべきことが無かったかもしれません。上越市の誕生は、市同士の合併ということで当時全国的にも注目されましたが、10万都市の仲間入りとは言え順位的には高岡に及ばず7位というおしとやかさ。
この期、下位においてちょこちょこ順位変動が見られますが、それは「昭和の合併」以前に市制施行した三条、柏崎、新発田(私はこの3市を「新潟三羽烏」と呼んでいます。)のせめぎあいです。この3市の中で強いてあげれば三条が地味ながら安定した人口推移をみせています。一方、浮き沈みが目立つのが柏崎です。
上位6都市まで順位変動はありませんが、この期にも富山が呉羽町・水橋町、金沢が森本町、高岡が中田町・戸出町といった小規模な合併が行われています。中でも福井は2村の他に川西、森田、足羽といった3町をコマメに編入して他の3市に必死で付いていこうという感じが印象的です。
[86725] 2014年 11月 25日(火)09:42:22白桃 さん
国勢調査における「北陸ブロック」人口トップ10の推移(その3)
(第5期)ポスト高度経済成長期
-1975-1980-1985-1990-1995-2000
1新潟423,188新潟457,785新潟475,630新潟486,097新潟494,769新潟501,431
2金沢395,263金沢417,684金沢430,481金沢442,868金沢453,975金沢456,438
3富山290,143富山305,055富山314,111富山321,254富山325,375富山325,700
4福井231,364福井240,962福井250,261福井252,743福井255,604福井252,274
5長岡171,742長岡180,259長岡183,756長岡185,938長岡190,470長岡193,414
6高岡169,621高岡175,055高岡175,780高岡175,466高岡173,607高岡172,184
7上越123,418上越127,842上越130,659上越130,116上越132,205上越134,751
8会津若松108,650会津若松114,528会津若松118,140会津若松119,080会津若松119,640会津若松118,118
9小松100,273小松104,329小松106,041小松106,075小松107,965小松108,622
10三条81,806三条85,275三条86,325柏崎88,309柏崎91,229柏崎88,418
ご覧の通り「動かざること山の如し」で、9位まで全く変動がありません。
唯一の順位変動は、三条に代わって柏崎が復活したことですが、これには少し触れる必要があります。1990年(第15回)の三条の人口は85,823人で前回から減少しているのに対して、前回86,020人であった柏崎は増加をしております。柏崎がなぜ増加したかというと、隣の柿崎町との境界変更もあるのですが、“原発の立地”によるものです。原発の立地と書きましたが、正確には原発建設工事による一時的な増加で、工事がすべて完了した1995年(第16回)をピークに減少していくのです。原発立地による人口増は、ダム建設による人口増に似ているのかな?
この期の終わりには、高岡、福井、会津若松が減少しておりますが、50万人に届いた新潟を含め各都市の人口が頭打ちになっているのが判ります。

(第6期)「平成の大合併」期
順位-----2000年----- 2005年-----2010年
1新潟市501,431新潟市785,134新潟市811,901
2金沢市456,438金沢市454,607金沢市462,361
3富山市325,700富山市421,239富山市421,953
4福井市252,274福井市252,220長岡市282,674
5長岡市193,414長岡市236,344福井市266,796
6高岡市172,184上越市208,082上越市203,899
7上越市134,751高岡市167,685高岡市176,061
8会津若松市118,118会津若松市122,248会津若松市126,220
9小松市108,622白山市109,450白山市110,459
10柏崎市88,418小松市109,084小松市108,433
この期にトップ10に顔を出す都市の中で合併を行わなかったのは金沢と小松だけという、まさに“合併の嵐”が吹き荒れたこのブロックですが、その合併の規模も並大抵のものではありません。
新潟は、新津、白根、豊栄の3市他6町5村の編入により人口が80万人を超え、政令市の仲間入り。万年3位の富山は4町2村との合併で金沢を脅かすまでに。長岡は1市7町2村の編入で、再び福井を抜いて4位に。上越は6町7村を編入により待望?の20万人都市になり高岡より高くなる。とどめは、1市2町5村の新設合併によって生まれた白山が、企業城下町小松を攻め落として?しまいました。
と、派手な事柄を並べましたが、新潟、長岡、福井、上越、高岡、会津若松、小松の人口は、実質的には減少していることを見逃すわけにはいきません。
[86734] 2014年 11月 28日(金)07:59:07白桃 さん
国勢調査における「西中四ブロック」人口トップ10の推移(その1)
シリーズ第7弾はちょっとワープして「西中四」へ。このエリアは島根県、広島県、山口県、愛媛県という一見、奇妙なくくりとなっておりますが、後に出てくる「中央ブロック」や「東中四ブロック」よりは、ずっと纏まりも繋がりもあります(あるつもりです。)。
つまり、広島市の影響がかなり色濃い、言い換えればカープファンが厚そうな地域です。
(第1期)大正/昭和戦前
順位---1920年---1925年---1930年---1935年
1広島市160,510広島市195,731広島市270,417広島市310,118
2呉市 130,362呉市138,863呉市190,282呉市231,333
3下関市72,300下関市92,317下関市98,543下関市132,737
4松山市51,250松山市58,292松山市82,477松山市81,940
5宇部村38,063宇部市48,750宇部市61,172宇部市76,642
6松江市37,527松江市41,396松江市44,502福山市58,186
7今治市30,296宇和島市38,534宇和島市44,276松江市52,033
8福山市29,768今治市37,713今治市43,735今治市51,602
9尾道市26,466福山市34,048福山市38,214宇和島市51,280
10山口町25,297萩町33,225山口市32,385山口市34,803
一瞥してお分かりになると思いますが、このブロックのこの期、広島と呉が他を圧する人口となっております。それもそのはず、1935年(第4回)で言いますと、広島は「六大都市」に次いで全国7位、「東洋一の軍港」呉は全国9位なのです。
この期、上位5都市の順位に変動はありませんが、それぞれが周辺部を合併をしております。特に目立つのは、広島が1929年に己斐町など3町4村、呉が1928年に阿賀町など3町、下関が1933年に彦島町(当時の人口は2万人超)を編入したことで人口を急増させています。1920年(第1回)に村でありながら5位に入っている宇部は、1921年に市に昇格、以後順調に人口を増加させておりますが、その一方で松山が第4回に減少しているのが気になっております。
第1回に9位に入っている「明治生まれの市」尾道と“県庁町”山口は1925年(第2回)には姿を消し、その代わりに入ったのが宇和島(1921年に八幡村と合併、市制施行)と萩です。萩のランクインは近隣3村との合併によるものですが、ご維新以降、時間が止まったような萩がトップ10に顔を出すのはこれっきり。1930年(第3回)には山口の復活を許します。萩と山口、これも何かの因縁でしょうか?
その他の順位変動として、福山が第4回に6位にまで上昇していますが、これは周辺10村を編入した結果で、実質的な人口増はさほどでもありません。

(第2期)戦中/戦後復興期
順位---1935年---1940年---1947年---1950年
1広島市310,118広島市343,968広島市224,100広島市285,712
2呉市231,333呉市238,195呉市185,740下関市193,572
3下関市132,737下関市196,022下関市176,666呉市187,775
4松山市81,940松山市117,534松山市147,967松山市163,859
5宇部市76,642宇部市100,680宇部市108,728宇部市128,569
6福山市58,186防府市58,890山口市97,975山口市77,759
7松江市52,033福山市56,653徳山市79,001松江市74,018
8今治市51,602今治市55,557防府市67,182防府市71,065
9宇和島市51,280松江市55,506松江市62,136福山市67,063
10山口市34,803宇和島市52,101尾道市59,891徳山市62,903
激動するこの期を順に見ていきますと、1940年(第5回)に山口に代わってランクインするのが中関町他と合併し市制施行した防府ですが、この時期に山口県下では徳山、岩国、下松が市制施行した他、小野田、光の新興工業都市が勃興するなど、“多核の山口県”が鮮明に成ってきます。第5回では下関が長府町など3町5村を、松山が三津浜町など1町6村を編入したことにより大幅に人口を増やしております。また、西日本有数の工業都市として不動の地位を固めた宇部が大きく人口を伸ばし、10万都市となっているのも見逃せません。
1947年(第6回)について、これは言うまでもありませんが、原爆が投下された広島は10万以上の人口減少となりました。また、広村、仁方町を編入し戦争末期には30万人以上(YTさんから頂いたデータによると1944年2月の人口調査では339,000人となっております。またWikiでは、1943年に40万に達した、とあります。)であった呉も軍港が空襲に遭うなど、大幅に人口を減らしています。第6回に福山、今治、宇和島がランク外に去り、代わりに山口と尾道が復活、そして徳山が新たに顔をだします。♪おのみちはいつか来た道、でさて置くとして、山口の復活は小郡町、阿知須町等2町7村と、徳山のランクインは3町4村との新設合併がもたらしたもので、人口の実質的増加ではありません。
1950年(第7回)になって、広島の人口がだいぶ回復はしますが、それでも戦前の段階には達しません。呉の回復は広島以上に遅く、2位の座を下関に明け渡すことになります。福山が復活するのですが、この頃はランク外に去った尾道や三原とあまり差のない人口規模です。戦時合併で人口を増やした山口と徳山ですが、山口は阿知須・小郡、徳山は富田・福川の分立によって(当然ながら)人口を減少させました。
[86740] 2014年 12月 1日(月)10:33:15白桃 さん
国勢調査における「西中四ブロック」人口トップ10の推移(その2)
(第3期)「昭和の大合併」期
順位-----1950年----- 1955年-----1960年
1広島市285,712広島市357,287広島市431,336
2下関市193,572下関市230,503下関市246,941
3呉市187,775松山市213,457松山市238,604
4松山市163,859呉市199,304呉市210,032
5宇部市128,569宇部市160,020宇部市166,632
6山口市77,759新居浜市107,234福山市140,603
7松江市74,018松江市97,857新居浜市125,688
8防府市71,065防府市96,821松江市106,476
9福山市67,063今治市96,654岩国市100,346
10徳山市62,903岩国市 90,607 今治市100,082
この期にトップ10に顔を出す都市の中で合併をしなかったところはありませんが、合併の規模と時期によってかなりの順位変動がありました。
1955年(第8回)には、6村を編入した松山が(その時点までには合併の無かった)呉を抜き3位に上昇します。また、第8回までには合併の無かった山口、福山、1村のみの編入に終わった徳山に代わって新たにランクインするのが新居浜と岩国であり、そして今治が復活します。新居浜も岩国も戦前に市制施行をした瀬戸内を代表する工業都市で、もっと早くランクインしていなかったのかと意外な気もするのですが、新居浜が2町6村、岩国が7村の編入というかなり大規模な合併によってやっとこさのランクインというのが事実です。今治の復活も2町4村編入の賜物?です。
1960年(第9回)には、第8回以降に合併の無かった防府に代わって、鞆町など2町8村を編入した福山が6位にランクインします。
この期に3村の編入という案外小規模な合併に終わった広島ですが、第8回には戦前の人口を超え、以後他都市を大きく引き離していくのに対して、呉が停滞(第9回は実質的には人口減)していきます。多核の山口県においては、合併に起因する順位変動が見られますが、特に山口、防府、徳山、岩国の四都市のつばぜり合いがこの後も続いていくのです。

(第4期)高度経済成長期
順位---1960年---1965年---1970年---1975年
1広島市431,336広島市504,245広島市541,998広島市852,611
2下関市246,941松山市282,651松山市322,902松山市367,323
3松山市238,604下関市254,376下関市258,425福山市329,714
4呉市210,032呉市225,013福山市255,086下関市266,593
5宇部市166,632福山市170,158呉市235,193呉市242,655
6福山市140,603宇部市158,986宇部市152,935宇部市161,969
7新居浜市125,688新居浜市125,155新居浜市126,033新居浜市131,712
8松江市106,476松江市110,534松江市118,005松江市127,440
9岩国市100,346岩国市105,931今治市111,125今治市119,726
10今治市100,082今治市104,470岩国市106,116岩国市111,069
結論から言ってこの期は新たにランクインする都市も復活する都市もありませんが、広島、松山、福山の3都市が順調に人口を伸ばしていったのに対して、その他の都市の人口が伸び悩み、都市間の格差が生じていくのが特徴的です。
広島は、順調に人口を増加させ1965年(第10回)に50万人に達し、1970年(第11回)~1975年(第12回)には12町1村を編入という爆発もあって、札幌、仙台、福岡とともに「高次の中枢管理機能をもつ都市」と呼ばれ、中国四国ナンバーワンの地位をゆるぎないものにしていきます。
松山は、2村の編入もあって第10回には下関を抜き去り第2位に進出するのですが、着実な人口の実質増により、四国の残り3県庁所在都市との差も拡げていくのです。
この期に最も飛躍したのは福山でしょう。第10回には深安町の編入により宇部を抜いて5位に、第11回には松永市との合併により呉を抜き4位に、第12回には芦田、駅家、加茂の3町を編入することにより下関を抜き去り3位にまで上昇します。福山の順位が上昇したのは合併に起因するのですが、この間の実質的な人口増が著しかったのは事実で、それを誘引したのが1965年の日本鋼管福山製鉄所の立地です。
以上3都市はこの期に、実質的人口増もあり、合併もあり、なのですが、残りの7都市については合併が皆無でしたので順位の上昇が殆どなかったのは当然と言えますが、宇部に至っては2度にわたり人口を減少させています。比較的に堅実だった松江以外は第2次産業にかなり特化した6都市ですが、高度経済成長の波に乗れなかった、と言えるでしょう。
[86776] 2014年 12月 9日(火)11:39:19白桃 さん
国勢調査における「西中四ブロック」人口トップ10の推移(その3)
(第5期)ポスト高度経済成長期
-1975年-1980年-1985年-1990年-1995年-2000年
1広島852,611広島899,399広島1,044,118広島1,085,705広島1,108,888広島1,126,239
2松山367,323松山401,703松山426,658松山443,322松山460,968松山473,379
3福山329,714福山346,030福山360,261福山365,612福山374,517福山378,789
4下関266,593下関268,957下関269,169下関262,635下関259,795下関252,389
5242,655234,549226,488216,723209,485203,159
6宇部161,969宇部168,958宇部174,855宇部175,053宇部175,116宇部174,416
7新居浜131,712松江135,568松江140,005松江142,956松江147,416松江152,616
8松江127,440新居浜132,339新居浜132,184山口129,461山口135,579山口140,447
9今治119,726今治123,234今治125,115新居浜129,149新居浜127,917新居浜125,537
10岩国111,069山口114,744山口124,213今治123,114今治120,214東広島123,423
ご覧の通り、この期は上位6都市までは順位変動がありませんが、その6都市も順調に人口を伸ばした広島・松山・福山と減少傾向となった下関・呉・宇部に二分化されます。
1980年に政令市となった広島はその後、当時人口最多の「町」であった五日市を編入したことによって1985年(第14回)にはついに百万を突破します。
人口減少期に入った3都市の中で、5回連続減少と最も低落具合が激しかったのが呉でした。かつては全国トップ10にあった大「都市の呉」も「年の暮れ」になってしまったのでしょう。
ランク下位を見てみますと、1980年(第13回)には松江が新居浜を抜いて7位に上がり、岩国に代わって山口が再ランクインします。この両県庁所在都市は、この期全体を通して地味ながら人口増加を示します。全国的に見ても、“腐っても鯛”というか、地方行政の中心になっている都市が“地力”を見せるのが「ポスト高度経済成長期」の特徴でもあります。
私が当ブロックのこの期で一番注目したいのが、2000年(第17回)にランクインした東広島です。「東」のつくばと並ぶ研究学園都市である東広島の市制施行は1974年ですが、広島の衛星都市としての側面よりは、まさに賀茂のテクノポリスとしての色合いが強く、その後も独自の成長を遂げていったものと思われます。

(第6期)「平成の大合併」期
順位-----2000年----- 2005年-----2010年
1広島市1,126,239広島市1,154,391広島市1,173,843
2松山市473,379松山市 514,937松山市517,231
3福山市378,789福山市418,509福山市461,357
4下関市252,389下関市290,693下関市280,947
5呉市203,159呉市251,003呉市239,973
6宇部市174,416松江市196,603山口市196,628
7松江市152,616山口市191,677松江市194,258
8山口市140,447東広島市184,430東広島市190,135
9新居浜市125,537宇部市178,955宇部市173,772
10東広島市123,423今治市173,983今治市166,532
この期に顔を出す都市はすべて「平成の合併」をしておりますが、その“程度の差”によってランク下位で順位変動がみられます。
2005年(第18回)では、1村しか編入しなかった新居浜に代わって、9町2村と合併を行った今治が再ランクイン。また、1町しか編入しなかった宇部を、6町1村と合併の松江、4町と合併の山口、5町を編入した東広島の3都市が抜き去ります。この3都市も、3度にわたり計8町を編入した呉にはさすがに届きません。
2010年(第19回)にはさらに「もう1丁(町)」と頑張った?山口が松江を抜いて6位にまで上昇します。
合併によって、宇部と新居浜以外の都市において第19回が第17回の人口を上回ることになるのですが、実質的な人口増を示すのは、広島、松山、福山、東広島の4都市だけです。このうち、広島以外は伸びも頭打ち状態になっており、合併自体が「身体の成長を期待して大きめの衣装を用意したものの少し度を越したモノ」であったようです。
[86784] 2014年 12月 11日(木)18:46:27【1】白桃 さん
国勢調査における「中央ブロック」人口トップ10の推移(その1)
シリーズ第8弾は「中央」ブロックで、山梨県、長野県、静岡県が範囲となっています。そもそも、この3県を「中央」というありきたりの名称で括るのもおかしいですね。山梨は神奈川とくっつけて「西関東」、長野は新潟などとくっつけて「信越北陸」、静岡は愛知などとくっつけて「東海」にすべきだったかもしれませんが、もうやっちまたものは仕方がありません。ほんの少し言い訳をしますと、この3県それぞれが中途半端に個性的で、他県と一緒にするにはもったいない気がして、ならいっそのこと、ニュートラルな3県をまとめてしまえば面白いかなと思ったのでした。
(第1期)大正/昭和戦前
順位---1920年---1925年---1930年---1935年
1静岡市74,093浜松市92,152静岡市136,481静岡市200,737
2浜松市64,749静岡市84,772浜松市109,478浜松市133,338
3甲府市56,207甲府市68,275甲府市79,447甲府市82,664
4松本市49,999長野市66,555長野市73,912長野市77,325
5平野村44,278松本市63,427松本市72,141松本市73,353
6長野市37,308平野村49,014清水市55,665清水市61,123
7上田市26,271清水市46,339平野村53,874沼津市49,824
8沼津町20,993沼津市38,042沼津市44,027平野村41,333
9島田町18,531上田市32,589上田市35,138上田市35,380
10大宮町17,713大宮町20,909大宮町24,072三島町28,143
1920年(第1回)を見て感じるのですが、今でこそ県庁所在地の最少人口を争っている甲府が結構な人口であったことです。また、長野は、松本だけでなく平野村(現:岡谷)よりも少ない県下3番目だったこと。そして島田が入っているのはブンブンだな。
1925年(第2回)には首位が浜松に交代しました。これは天神町村を編入したことだけでなく、工作機械などの工業の隆盛に伴って人口の実質増があったものと推測されます。吉田町他3村を編入し人口を大幅に増やした長野が6位から4位に上昇、そして、1924年に市制施行した清水が7位にランクインしますが、この清水、旧清水町以外に入江、江尻、辻と四つの町が合体した複合都市なのです。
1930年(第3回)には3村を編入した静岡が再びトップに立ちます。編入された3村ですが、そんじょそこらの村ではなく、3村合わせて3万6千人を超えていたのですから、一つの市と合併したようなものです。
静岡はさらに6村を編入し、1935年(第4回)20万人に達します。また、この回には大宮(現:富士宮)に代わって三島が10位に滑り込みます。

(第2期)戦中/戦後復興期
順位---1935年---1940年---1947年---1950年
1静岡市200,737静岡市212,198静岡市205,737静岡市238,629
2浜松市133,338浜松市166,346浜松市125,767浜松市152,028
3甲府市82,664甲府市102,419甲府市104,993甲府市121,645
4長野市77,325長野市76,861長野市94,993沼津市101,976
5松本市73,353松本市72,795沼津市92,838長野市101,426
6清水市61,123清水市68,617松本市84,258清水市88,472
7沼津市49,824沼津市53,165清水市80,515松本市86,005
8平野村41,333岡谷市40,033三島市46,180三島市47,333
9上田市35,380上田市35,069上田市41,773上田市42,778
10三島町28,143飯田市28,494富士宮市40,904富士宮市42,750
1940年(第5回)になると、三島に代わり飯田(飯田、上飯田の2町が新設合併)が10位に顔を出します。一方、名前も姿も変えた蚕都、岡谷をはじめ、長野、松本、上田といった長野県勢が揃って人口を減少させているのが気になります。
1947年(第6回)ですが、軍需産業が盛んであったためか空襲被害が甚大であった浜松が人口を激減させます。この回に沼津が大きく人口を増やし、三島、富士宮が復活しますが、これは戦時中の合併が大きく影響しています。この回で姿を消した岡谷、あヽ野麦峠の時代は終焉したのです。
1950年(第7回)は前回と比べ、順位変動も小幅ですが、沼津と長野、清水と松本、上田と富士宮の3組の人口が拮抗しているのが面白いと言えば面白いです。
[86791] 2014年 12月 15日(月)08:50:24白桃 さん
国勢調査における「中央ブロック」人口トップ10の推移(その2)
(第3期)「昭和の大合併」期
順位-----1950年-----1955年-----1960年
1静岡市238,629静岡市295,172浜松市333,009
2浜松市152,028浜松市268,792静岡市328,819
3甲府市121,645甲府市154,494甲府市160,963
4沼津市101,976長野市152,547長野市160,522
5長野市101,426松本市145,228松本市148,710
6清水市88,472沼津市129,287清水市142,983
7松本市86,005清水市126,586沼津市142,609
8三島市47,333吉原市73,473吉原市80,944
9上田市42,778焼津市67,229富士宮市76,645
10富士宮市42,750藤枝市61,466焼津市72,118
1955年(第8回)においては、上位3都市には順位変動がなかったものの、4位以降では合併の程度の差によってかなりの順位変動と入れ替わりがありました。
この期に登場する都市すべて合併が行われたのですが、特に第8回までの5年間には猛烈な合併が行われました。一番ハデだったのは1町12村を編入した浜松で、戦前の人口レベルを軽く通り越し、静岡に肉薄してきます。13村編入の松本は5位まで上昇、10村編入の長野は、同じく10村の編入の甲府に迫ります。
相対的に地味な合併を行った清水(3村編入)と沼津(4村編入)は順位を落とし、三島(1村編入)、上田(2村編入)、及び富士根村1村との新設合併に終わった富士宮([13449]を参照あれ)がランク外に去ります。
新たにランクインしたのが、4村との新設合併後1村を編入した吉原、単独市制後に1町4村を編入した焼津、青島町ほか4村との合併で市制施行後に1村編入した藤枝の3都市です。この3都市ですが、合併に伴う人口増もさることながら、都市として着実に成長していったことは確かです。
1960年(第9回)になると一旦合併が落ち着きますが、それでも3村(事実上4村)を編入した浜松が静岡を抜きトップに立ちます。また、4村を編入した富士宮が、藤枝に代わって再ランクインします。

(第4期)高度経済成長期
順位---1960年---1965年---1970年---1975年
1浜松市333,009浜松市392,632浜松市432,221浜松市468,884
2静岡市328,819静岡市367,705静岡市416,378静岡市446,952
3甲府市160,963清水市218,559長野市285,355長野市306,637
4長野市160,522長野市172,836清水市234,966清水市243,049
5松本市148,710甲府市172,457沼津市189,038沼津市199,325
6清水市142,983沼津市159,880甲府市182,669富士市199,195
7沼津市142,609松本市154,131富士市180,639甲府市193,879
8吉原市80,944 吉原市90,224松本市162,931松本市185,595
9富士宮市76,645富士宮市80,693上田市93,198上田市105,151
10焼津市72,118飯田市79,145富士宮市88,880富士宮市100,577
この期を概観すると、各都市が順調に人口を伸ばしたものの伸長度に差があったことに加え、中には他市をも含む大型合併が行われたことによりかなりの順位変動がありました。
1965年(第10回)には、袖師、興津の2町ほか3村を編入した清水が20万都市となり一挙に3位にまで上昇します。また、4村編入の飯田が焼津に代わって久方ぶりのランクイン。
1970年(第11回)には、篠ノ井市、松代町など1市3町3村と合併した長野が清水を抜いて3位に上がります。また、吉原市・富士市・鷹岡町の合併によって誕生した(新)富士市が7位となります。そして、長野、富士ほど目立ちはしないのですが、原町を編入した沼津が一つ順位を上げ、塩田町を編入した上田が六文銭の旗風の下にしぶとく再ランクイン。代わりに落っこちたのが、ソレデイイダか。
1975年(第12回)はそれほどの順位変動はありませんが、製紙工業が安定成長期にあった富士が甲府を抜いて6位に上昇します。抜かれた甲府ですが、人口自体は増えているのですがジワジワと順位を下げていきます。これは松本にも言えることで、この頃は静岡勢に比べて劣勢に立たされています。
[86803] 2014年 12月 19日(金)09:41:04白桃 さん
国勢調査における「中央ブロック」人口トップ10の推移(その3)
(第5期)ポスト高度経済成長期
-1975年-1980年-1985年-1990年-1995年-2000年
1浜松 468,884浜松490,824浜松514,118 浜松534,620浜松561,606浜松582,095
2静岡446,952静岡458,341静岡468,362静岡472,196静岡474,092静岡469,695
3長野306,637長野324,360長野336,973長野347,026長野358,516長野360,112
4清水243,049清水241,576清水242,166清水241,523清水240,174清水236,818
5沼津 199,325富士205,751富士214,448富士222,490富士229,187富士234,187
6富士199,195沼津203,695沼津210,490沼津211,732沼津212,241松本208,970
7甲府193,879甲府199,262甲府202,405松本200,715松本205,523沼津207,558
8松本185,595松本192,085松本197,340甲府200,626甲府201,124 甲府196,154
9上田 105,151上田111,540上田116,178藤枝119,815藤枝124,822藤枝128,494
10富士宮100,577富士宮108,208富士宮112,642上田119,435上田123,284上田125,368
この期にトップ10に顔を出す都市の中で合併のあったのは、1991年に可美村を編入した浜松のみですから、順位変動も小幅なものに終わっています。
1990年(第15回)に富士宮に代わって藤枝が再ランクインしますが、これは当時の藤枝の人口の伸びがこのブロックにおいて出色であったことを物語っています。
この期に人口減少を示すのは、静岡、清水、沼津、甲府の4都市ですが、他都市の伸びもそれほどのものではありません。沼津と甲府は順位を落としましたが、主要産業が斜陽化したことでいち早く人口減少を示し始めた清水はなんとか4位をキープします。これも、ちびまる子ちゃんとエスパルスの加護があったからでしょうか?
人口減少とは言え、静岡はさすがに2位を守るのですが、60万に近づいた浜松には完全に水をあけられます。

(第6期)「平成の大合併」期
順位-----2000年-----2005年-----2010年
1浜松市582,095浜松市804,032浜松市800,866
2静岡市469,695静岡市700,886静岡市716,197
3長野市360,112長野市378,512長野市381,511
4清水市236,818富士市236,474富士市254,027
5富士市234,187松本市227,627松本市243,037
6松本市208,970沼津市208,005沼津市202,304
7沼津市207,558甲府市194,244甲府市198,992
8甲府市196,154磐田市170,899磐田市168,625
9藤枝市128,494藤枝市129,248上田市159,597
10上田市125,368上田市123,680焼津市143,249
この期にはトップ10すべての都市が合併を行いますが、その中でも際立っているのが政令指定都市となった静岡と浜松です。2003年に静岡と清水が合併し、ほんの一瞬ブロックのトップに立つのですが、2市8町1村を編入した浜松に差し返されます。
2005年(第18回)では、清水が抜けた後に3町1村を編入した(ジュビロ)磐田が入るのですが、初めてのトップ10入りは意外な気もしないでもありません。
2010年(第19回)には、藤枝の代わりに焼津が再ランクインしますが、この交代は合併相手の町の人口差によるものです。
この期は各都市それぞれ合併があった割には順位変動はそれほどでもなく、都市の浮沈が表面に出ませんが、実質人口増があったのは富士、藤枝、焼津の3都市だけで、それもほんの微々たるものです。ずっと人口増を続けてきた浜松の人口減少の原因は、もともと激減していた地域までも合併したことに加え、経済不況に伴う外国人労働者の流出によるものと考えています。
[86832] 2014年 12月 25日(木)10:22:04白桃 さん
国勢調査における「中京ブロック」人口トップ10の推移(その1)
今回は「中京ブロック」ということで、範囲は飛騨地方を除く岐阜県と愛知県及び三重県となっています。「東海」としなかったのは静岡県を入れていないからです。中京高校がある岐阜県はともかく、三重県までも「中京」とするのはどうだろう?という気持ちもありますが、この3県を「中京3県」という括り方もあるようなので踏み切りました。
(第1期)大正/昭和戦前
順位---1920年---1925年---1930年---1935年
1名古屋市429,997名古屋市768,558名古屋市907,404名古屋市1,082,816
2豊橋市65,163 豊橋市82,371豊橋市98,555豊橋市140,735
3岐阜市62,713 岐阜市81,902岐阜市90,112岐阜市128,721
4津市47,741 津市52,536岡崎市65,507岡崎市77,195
5宇治山田市39,270宇治山田市44,803津市56,089津市65,971
6岡崎市38,527岡崎市44,556四日市市51,810四日市市58,471
7四日市市35,165四日市市40,393宇治山田市51,080一宮市53,376
8愛知町30,810一宮市34,746一宮市42,229宇治山田市52,494
9大垣市28,334大垣市33,639大垣市38,508大垣市49,273
10一宮町27,263瀬戸町31,279瀬戸市37,309瀬戸市47,553
1920年(第1回)を見ただけで、“鷹ひとつ見つけてうれし伊良湖崎”という気分になります。四日市が津や宇治山田より下位にあることもそうですが、何と言っても豊橋が岐阜を押さえて堂々の2位にいることです。
1925年(第2回)では、愛知町など5町11村を編入した名古屋の大幅増が目立ちます。(全国ランクで見ても、名古屋は5位から3位に上がります。)その他、市制施行した一宮が大垣を抜き、愛知町の後釜に瀬戸町が入ってきます。
1930年(第3回)になると、小規模ながら近隣の村を編入した岡崎と四日市がそれぞれ順位を上げています。
順位変動に関しては停滞気味の宇治山田を一宮が抜いただけの1935年(第4回)ですが、上位3都市に注目ください。名古屋が100万都市になり、1町3村編入の豊橋と6村編入の岐阜が10万を突破します。この期を通じて2位を維持する豊橋ですが、1932年に編入したエリアの人口が約4万人でありますから、実質増はさほどでもなかったのです。

(第2期)戦中/戦後復興期
順位---1935年---1940年---1947年---1950年
1名古屋市1,082,816名古屋市1,328,084名古屋市853,085名古屋市1,030,635
2豊橋市140,735岐阜市172,340岐阜市166,995岐阜市211,845
3岐阜市128,721豊橋市142,716豊橋市129,355豊橋市145,855
4岡崎市77,195岡崎市84,073四日市市112,433四日市市123,870
5津市65,971一宮市70,792岡崎市85,361岡崎市96,030
6四日市市58,471津市68,625津市68,662津市76,077
7一宮市53,376四日市市63,732鈴鹿市67,643大垣市74,811
8宇治山田市52,494大垣市56,117宇治山田市65,970一宮市71,431
9大垣市49,273宇治山田市52,555大垣市63,830宇治山田市69,489
10瀬戸市47,553半田市49,153一宮市62,460鈴鹿市68,755
1940年(第5回)、ついに岐阜が豊橋を抜いて2位に上がりますが、これはかつて城下町兼宿場町であった加納町ほか5村を編入したことによるものです。また、♪瀬戸は日暮れて~、半田・亀崎・成岩の人口も拮抗する3町合併で誕生した半田市に取って代わられます。また、2村を編入した一宮が5位に上昇した他、名前に似合わずコマメに周辺を編入していく大垣が宇治山田を抜き8位になります。
1947年(第6回)には戦争被害が大きかった名古屋が人口を激減させ、岐阜、豊橋もこれに追随し、一宮に至っては5位から10位へと大幅なランクダウン。一方、富田、富洲原の2町と5村を編入した四日市が4位に上昇、2町2村編入の宇治山田も8位に上がります。そして2町12村という大合併で誕生した鈴鹿市が7位に飛び込んできます。このような三重県勢の奮闘?は戦時中の国策に応じた合併によるものでありますが、四日市と鈴鹿はこの後も工業都市として成長していくことになります。
1950年(第7回)には、名古屋が百万都市に返り咲きますが、まだ戦前のレベルには到達しません。相変わらずコマメな合併を続ける大垣と比較的に復興が順調であった一宮が順位を上げます。また、8村を編入し20万人を突破した岐阜ですが、この頃「ハルピン街」として有名な問屋街を中心にアパレル産業が勃興し、人口の実質増もみられることから、岐阜の絶頂期の始まりと見てよいでしょう。
[87084] 2015年 1月 11日(日)11:01:16【1】白桃 さん
国勢調査における「中京ブロック」人口トップ10の推移(その2)
十番勝負の最中ではありますが、自分自身が忘れてしまいそうなので乱入することをお許しください。

(第3期)「昭和の大合併」期
順位----- 1950-----1955-----1960
1名古屋市1,030,635名古屋市1,336,780名古屋市1,591,935
2岐阜市211,845岐阜市259,047岐阜市304,492
3豊橋市145,855豊橋市202,985豊橋市215,515
4四日市市123,870四日市市170,602四日市市195,974
5岡崎市96,030一宮市157,025一宮市182,984
6津市76,077岡崎市155,902岡崎市166,095
7大垣市74,811津市106,754津市110,900
8一宮市71,431伊勢市97,223大垣市102,478
9宇治山田市69,489大垣市94,128伊勢市99,026
10鈴鹿市68,755松阪市93,573松阪市98,441
この期には、トップ10に顔を出す都市それぞれが合併を行っておりますから、思ったほどの順位変動はありません。とは言いつつ、1955年(第8回)には4町3村プラスアルファを編入した一宮が人口を倍増させ、5位に躍り出ます。また、鈴鹿に代わって、1町12村プラスアルファ編入によりベテラン新人?松阪が遅まきながら“登板”します。ついでながら、周辺の村を編入した宇治山田が伊勢に改称するのもこの回です。
さて、名古屋は2町4村の編入によって第8回にやっと戦前のレベルに戻るのですが、このとき編入した天白村は、約20年後に天白区となるのです。さらに余談ですが、少し遅れて編入された富田町ですが、私はてっきりココに(織田信長と斉藤道三が会見をした)富田聖(正)徳寺があったと勘違いしてました。なお、富田町は帰還兵・横井庄一さんの出身地とのこと。むろん、名古屋に編入された当時は、グアム島に住民票があった?のですが。(笑)

(第4期)高度経済成長期
順位---1960---1965---1970---1975
1名古屋市1,591,935名古屋市1,935,430名古屋市2,036,053名古屋市2,079,740
2岐阜市304,492岐阜市358,190岐阜市385,727岐阜市408,707
3豊橋市215,515豊橋市238,672豊橋市258,547豊橋市284,585
4四日市市195,974四日市市218,981四日市市229,234豊田市248,774
5一宮市182,984一宮市203,743一宮市219,274四日市市247,001
6岡崎市166,095岡崎市194,409岡崎市210,515一宮市238,463
7津市110,900春日井市117,384豊田市197,193岡崎市234,510
8大垣市102,478津市117,214春日井市161,835春日井市213,857
9伊勢市99,026 大垣市113,671大垣市134,942鈴鹿市141,829
10松阪市98,441豊田市107,455津市125,203大垣市140,424
1965年(第10回)には名古屋が守山市など1市3町を合併し200万人に迫るのですが、それより何より大きな変化は、伊勢、松阪の三重県勢に代わり、春日井、豊田が登場することです。春日井はいきなり7位に入るのですが、これは合併による人口増ではなく、名古屋の衛星都市として純粋に人口を増加させていったものです。もっとも、有名な高蔵寺ニュータウンの入居が始まるのはこれより後になるのですが。
春日井以上に注目されるのが何と言っても高度経済成長期の申し子、豊田です。上郷、高岡の2町を編入し、第10回に10位に入るのですが、その後さらに、猿投、松平2町を編入することで1970年(第11回)には7位に、さらに1975年(第12回)には合併なしで4位に進出します。もちろん、合併による人口増もありますが、この時期に全国で最も飛躍した都市の代表格であることは間違いないでしょう。なお、第12回には津に代わって、順調に人口増を続ける鈴鹿が復活します。
[87217] 2015年 1月 27日(火)08:51:40【3】白桃 さん
国勢調査における「中京ブロック」人口トップ10の推移(その3)
(第5期)ポスト高度経済成長期
-1975 -1980-1985-1990-1995- 2000
1名古屋2,079,740名古屋2,087,902名古屋2,116,381名古屋2,154,793名古屋2,152,184名古屋2,171,557
2岐阜408,707岐阜410,357岐阜411,743岐阜410,324岐阜407,134岐阜402,751
3豊橋284,585豊橋304,273豊橋322,142豊橋337,982豊橋352,982豊橋364,856
4豊田248,774豊田281,608豊田308,111豊田332,336豊田341,079豊田351,101
5四日市247,001岡崎262,372岡崎284,996岡崎306,822岡崎322,621岡崎336,583
6一宮238,463四日市255,442四日市263,001四日市274,180四日市285,779四日市291,105
7岡崎234,510一宮253,139一宮257,388春日井266,599春日井277,589春日井287,623
8春日井213,857春日井244,119春日井256,990一宮262,434一宮267,362一宮273,711
9鈴鹿141,829鈴鹿156,250鈴鹿164,936鈴鹿174,105鈴鹿179,800鈴鹿186,151
10大垣140,424144,991150,690157,177163,156163,246
この期はトップ10に顔を出す都市において合併が全く無かったので、他ブロックと同様(いや、それ以上かも)目立った順位変動がありません。それでも、順調に人口を伸ばした都市と停滞から減少に向かった都市の間に明暗がありました。
1980年(第13回)には、好調岡崎が四日市、一宮をかわし2ゴール。岡崎は豊田と並んでこの期に最も人口を伸ばした都市です。また、第1回からしぶとくトップ10内を死守していた大垣に代わって“腐っても県庁”の津が復活します。「奥の細道」終焉の地である大垣がランク外に去ったことで、岐阜県勢は岐阜のみになります。
まったく順位変動が無かった1985年(第14回)を飛ばしまして、1990年(第15回)になると岐阜が減少し、以後、岐阜は“柳ヶ瀬ブルースモード”?に入ります。一方、子は春日井?が一宮を抜き、大人になります。
以後、順位変動は全く見られませんが、1995年(第16回)に名古屋の人口が僅かながら減少を示しているのが注目されます。

(第6期)「平成の大合併」期
----- 2000年-----2005年-----2010年
1名古屋市2,171,557名古屋市2,215,062名古屋市2,263,894
2岐阜市402,751豊田市412,141豊田市421,487
3豊橋市364,856岐阜市399,931岐阜市413,136
4豊田市351,101豊橋市372,479一宮市378,566
5岡崎市336,583一宮市371,687豊橋市376,665
6四日市市291,105岡崎市354,704岡崎市372,357
7春日井市287,623四日市市303,845四日市市307,766
8一宮市273,711春日井市295,802春日井市305,569
9鈴鹿市186,151鈴鹿市193,114津市285,746
10津市163,246安城市170,250鈴鹿市199,293
合併へ、合併へと草木もなびくこの期ですが、名古屋、豊橋、春日井、鈴鹿、そして2005年(第18回)に津を堂々と寄り切ってトップ10入りを果たした安城の5都市が合併をしていません。この中で、人口が停滞をみせ始めた豊橋が2ランクダウンしますが、その他4都市は順調に人口を伸ばします。中でも白桃がお気に入りなのは安城ですが、この安城、室町時代より西三河の要衝として名の知れた都市にもかかわらず、意外なことに、町制施行は20世紀になってからです。余談ですが、韓国京畿道の安城市の人口も、「日本のデンマーク」安城と同じぐらいとか。(念のため、デンマークにはアン城というお城はありません。)
合併をした都市の中で、岐阜、岡崎、四日市の3都市は1町編入と大人しい微細なもの。微細でないのが、1市1町ながら尾西市を取り込んだ一宮で、第18回には8位から5位にランクアップ。そして、2010年(第19回)には、衰えをみせた豊橋までも抜き去り4位になります。そして、4町2村編入の豊田は岐阜までも抜き去り、なんと、2位に進出。極め付きは、久居市など1市6町2村となりふり構わない新設合併の津で、またまたトップ10内に返り咲くのです。
[87327] 2015年 2月 22日(日)10:30:29白桃 さん
国勢調査における「近畿ブロック」人口トップ10の推移(その1)
少しばかり間があきましたが、このシリーズはまだまだ続きます。
今回は「近畿ブロック」で、エリアは滋賀県、京都府、兵庫県のうち丹波・但馬地域、奈良県、和歌山県になりますが、最初にお断りしておかなければならないことがあります。それは当初、このブロック名を全く適切ではない「畿内」としていたことです。(畿内は、旧国名で言うと、山城、大和、河内、和泉、摂津になります。)
このブロックを関東地方で例えるならば、北関東及と南関東ブロックを併せた地域にあたると考えておりますが、都市人口の増加の度合いは比べようもなく、少人口の都市がひょこひょこ顔をのぞかせるのが特徴で、それが私としては面白いのであります。
(第1期)大正/昭和戦前
順位---1920年---1925年---1930年---1935年
1京都市591,323京都市679,963京都市765,142京都市1,080,593
2和歌山市83,500和歌山市95,622和歌山市117,444和歌山市179,732
3奈良市40,301奈良市48,879奈良市52,784大津市71,063
4大津市31,453大津市33,779大津市34,379奈良市55,968
5伏見町26,879伏見町30,544伏見市31,541新宮市32,055
6新宮町23,964新宮町24,398深草町26,657海南市29,917
7中舞鶴町19,518田辺町21,714新宮町25,179田辺町26,888
8福知山町18,759深草町21,205田辺町23,916丹波市町23,915
9彦根町17,668彦根町20,294彦根町22,159彦根町23,366
10新舞鶴町15,504福知山町20,191福知山町22,086福知山町22,895
1920年(第1回)のトップ10を見ますと、少し意外な気がします。まず、余部町が名を変えた中舞鶴と新舞鶴が顔を出しているが、舞鶴(田辺というか西舞鶴というか)の名が見当たらない。そして、大津に都市機能の一部を奪われたとは言え、まだまだ存在感を示す彦根や丹波の中心である福知山をさし置いて、新宮が堂々の6位に入っていることです。
1925年(第2回)になると、中と新の2舞鶴がランク外に去り、2村を組み入れた田辺が弁慶バリに乱入、京都の近郊にあって人口を伸ばした深草ともどもランクインします。
1930年(第3回)は酒どころ伏見が市制施行、深草が順位を上げた程度で特に目立った動きがないのですが、1935(第4回)には大きな変動があります。
言うまでもなく京都はこのブロック不動の首位なんですが、この期に伏見など1市3町23村を編入し、百万人を突破します。また、不動の2位和歌山は、和歌浦など1町6村編入によって大幅な人口増を示します。大津にいたっては、膳所、石山との新設合併で人口を倍増させ、奈良を抜き3位に上昇します。
ランキング下位にあっても変動があります。京都に併合された伏見と深草が抜けたこともありますが、三輪崎との合併によって市制施行した新宮が5位に上昇し、3町1村合併の新生市、海南が6位に飛び込んできます(この結果、和歌山勢4都市がトップ10に入ることになります。)。さらに、丹波でも市でもないのに丹波市が8位に進入してくるのですが、この丹波市(後の天理市)の人口変動の激しさが今もって良く判らないのであります。

(第2期)戦中/戦後復興期
順位---1935年---1940年---1947年---1950年
1京都市1,080,593京都市1,089,726京都市999,660京都市1,101,854
2和歌山市179,732和歌山市195,203和歌山市171,800和歌山市191,337
3大津市71,063大津市67,532舞鶴市92,139舞鶴市91,914
4奈良市55,968奈良市57,273奈良市82,399大津市85,251
5新宮市32,055東舞鶴市49,810大津市81,426奈良市77,866
6海南市29,917彦根市36,143彦根市46,049彦根市49,207
7田辺町26,888新宮市32,403長浜市45,991長浜市46,722
8丹波市町23,915福知山市31,848福知山市38,325福知山市45,085
9彦根町23,366舞鶴市29,903田辺市36,472田辺市37,602
10福知山町22,895海南市29,091海南市33,692海南市35,140
1940年(第5回)になると、トップ10内の都市が全部市になります。すなわち、新・中2舞鶴ほか3村が合併して出来た東舞鶴市が5位、5村と合併で市となった彦根が6位、3村と合併後に市となった福知山が8位、5村と合併後に市となった舞鶴が9位となり漸くのランクイン。一方、丹波市と田辺がランク外となり、人口停滞の新宮と海南は順位を落とします。
戦後となる1947年(第6回)もかなりの変動があります。まず、東舞鶴と舞鶴が戦前に合併して成立した舞鶴市(“舞鶴”は実にややこしや)が、奈良、大津の2県都を押さえてナント3位になるのです。(このとき、“岸壁の母”は果たして舞鶴市の人口に算入されていたのか???)そして、停滞著しい新宮に代わって戦前に6村合併で市となった長浜がランクインし、やはり戦前に市制施行した田辺が再ランクイン。順位変動ではありませんが、戦争による被害が殆ど無かったと言われる京都が人口を減少させているのも注目されます。
1950年(第7回)は、京都に人口が戻り、福知山が3村編入で見かけの人口を増やした以外には、順位変動も大津と奈良が入れ替わっただけという動きの少ない調査年でした。
[87426] 2015年 3月 28日(土)01:00:09白桃 さん
国勢調査における「近畿ブロック」人口トップ10の推移(その2)
(第3期)「昭和の大合併」期
順位-----1950-----1955-----1960
1京都市1,101,854京都市1,204,084京都市1,284,818
2和歌山市191,337和歌山市220,021和歌山市285,155
3舞鶴市91,914奈良市115,674奈良市134,577
4大津市85,251大津市107,498大津市113,547
5奈良市77,866舞鶴市92,839舞鶴市99,615
6彦根市49,207福知山市62,606福知山市61,490
7長浜市46,722海南市53,228彦根市60,864
8福知山市45,085天理市53,131海南市52,532
9田辺市37,602綾部市52,310綾部市51,258
10海南市35,140彦根市51,613天理市50,438
1955年(第8回)には、3町6村と合併した奈良と5村を編入した大津がまがりなりにも10万人を突破し、なんとか県庁所在地としての面目を保ちます。一方、合併の無かった舞鶴は3位から5位に転落しますが、それでも6位以下とはだいぶ水をあけています。下位を見ますと、やはり合併の規模によってランクが上下します。すなわち、8村編入の福知山、5村編入の海南がランクを上げ、1村しか編入しなかった彦根がランクを落とします。また、全く合併の無かった長浜と編入した5村がいずれも人口の少ないところだった田辺がランク外に去り、2町3村との合併で市制施行した丹波市改め天理が再ランクインし、5村編入のグンゼ・綾部が新たにランクインします。興味深いのは、この両市、宗教都市でもあることです。
1960年(第9回)には2町10村編入の和歌山が大きく人口を伸ばした他、1町2村編入の彦根がランクを6位まで上げます。もっとも、この頃の彦根は実質的には人口減少期にありました。

(第4期)高度経済成長期
順位---1960---1965---1970---1975
1京都市1,284,818京都市1,365,007京都市1,419,165京都市1,461,059
2和歌山市285,155和歌山市328,657和歌山市365,267和歌山市389,717
3奈良市134,577奈良市160,641奈良市208,266奈良市257,538
4大津市113,547大津市121,041大津市171,777大津市191,481
5舞鶴市99,615舞鶴市96,641宇治市103,497宇治市133,405
6福知山市61,490宇治市68,934舞鶴市95,895舞鶴市97,780
7彦根市60,864彦根市62,740彦根市78,753橿原市95,701
8海南市52,532田辺市62,276橿原市75,508彦根市85,066
9綾部市51,258福知山市58,223田辺市63,368大和郡山市71,001
10天理市50,438橿原市57,065大和郡山市57,456田辺市66,999
この期に入ると、特にランキング下位において新・旧都市の入れ替わりが目立ってきます。
まず1965年(第10回)には、海南、綾部、天理に代わって宇治、田辺、橿原がランクイン。牟婁町を編入して再ランクインした田辺はともかく、著しい人口増加によってランクインした宇治と橿原は注目に値します。人口増の要因が京都や大阪のベッドタウンとしての性格にあるということは勿論ですが、ともに由緒ある歴史を持つ交通の要衝の地であることが、他の住宅都市に先んじて人口集積をもたらしたといえるのではないでしょうか。宇治は1970年(第11回)には10万に達し、舞鶴を抜き京都府第2の人口になります。八木、畝傍、今井の3町他の合併によって成立した橿原は、都市としての歴史は浅いのですが、大阪との交通の利便性を活かし順調に人口を増加させ、1975年(第12回)には7位にまで上昇します。
他では、第11回に福知山に代わって大和郡山がランクインします。金魚の町・郡山も後輩の橿原に負けじと結構人口を伸ばします。1967年に瀬田と堅田を組み込んだ大津も人口を増やすのですが、この時期は大津よりも奈良の人口増が目立っています。
[87836] 2015年 5月 20日(水)07:49:18白桃 さん
国勢調査における「近畿ブロック」人口トップ10の推移(その3)
(第5期)ポスト高度経済成長期
1975-1980-1985-1990-1995-2000
1京都1,461,059京都1,473,065京都1,479,218京都1,461,103京都1,463,822京都1,467,785
2和歌山389,717和歌山400,802和歌山401,352和歌山396,553和歌山393,885和歌山386,551
3奈良257,538奈良297,953奈良327,702奈良349,349奈良359,218奈良366,185
4大津191,481大津215,321大津234,551大津260,018大津276,332大津288,240
5宇治133,405宇治152,692宇治165,411宇治177,010宇治184,830宇治189,112
6舞鶴97,780橿原107,316橿原112,888橿原115,554橿原121,988橿原125,005
7橿原95,701舞鶴97,578舞鶴98,775生駒99,604生駒106,726草津115,455
8彦根85,066彦根89,701彦根94,204彦根99,519彦根103,508生駒112,830
9郡山71,001郡山81,266郡山89,624舞鶴96,333草津101,828彦根107,860
10田辺66,999草津77,012草津87,542草津94,767郡山95,165亀岡94,555
※郡山は大和郡山市
他のブロックにおいてはこの期に入れ替わりや順位変動があまり見られないのですが、人口が頭打ち→減少をみせた古参の市と大阪・京都の衛星都市として人口が急増した市の入れ替わりが見られるのがこのブロックの特徴です。
まず、1980年(第13回)に田辺に替わって草津が登場します。「草津」といえば、東海道・中山道が合流する宿場町としてその名が知られているのですが、(特に関東地方においては)草津温泉しか思い浮かべない方がいるのは、草津市に大変失礼に当たると思うのですが・・・。
1985年(第14回)には京都、和歌山が実質上の人口ピークを迎えます。特に和歌山は以後、坂道を転げ落ちるように人口が減少していきます。御三家のご威光もこれまでか!
1990年(第15回)になると、大和郡山に替わって、同県の生駒が7位に飛び込んできます。同県と書きましたが、新興住宅都市である生駒市に住んでいる方は果たして奈良県人というのを意識しているのでしょうか?
1995年(第16回)に、いよいよ舞鶴が姿を消します。替わって復活した大和郡山ですが、2000年(第17回)になると亀岡に取って代わられます。亀岡も大和郡山同様全くの新興住宅都市ではなく、その人口の伸び方も、実にシブ~イ、ま、カメよりは早くともウサギとまではいかないのです。

(第6期)「平成の大合併」期
----- 2000年-----2005年-----2010年
1京都市1,467,785京都市1,474,811京都市1,474,015
2和歌山市386,551和歌山市375,591和歌山市370,364
3奈良市366,185奈良市370,102奈良市366,591
4大津市288,240大津市301,672大津市337,634
5宇治市189,112宇治市189,591宇治市189,609
6橿原市125,005橿原市124,728草津市130,874
7草津市115,455草津市121,159橿原市125,605
8生駒市112,830生駒市113,686長浜市124,131
9彦根市107,860彦根市109,779生駒市118,113
10亀岡市94,555亀岡市93,996東近江市115,479
このブロックでは上位都市に派手な合併はなく、極端な順位変動も見られません。
2005年(第18回)は第17回と全く同じ並びになりますが、ついに奈良市も人口ピークを迎えます。この頃から奈良県全体が人口減少期にはいるのですが、対照的なのは滋賀県で、2010年(第19回)にはトップ10になんと4市が顔を出します。中でも注目されるのが草津で、先行住宅都市橿原をも抜き去り、第6位まで進出します。草津の人口増の要因は、(♪クサツ?良いト~コ・・・ではない)生活環境的に住み良い街という衛星都市としての人気によるものですが、その波及効果として、県都大津の都市機能の一部を肩代わりするまでとなり、もはや単なる衛星都市とは言えなくなっております。
第19回に彦根と亀岡に替わってランクインしたのは合併で水ぶくれした長浜と東近江なのですが、東近江が彦根を押さえて入ったというのが、なにか“収まりが悪い”と感じております。
[87901] 2015年 6月 8日(月)10:29:19【1】白桃 さん
国勢調査における「阪神ブロック」人口トップ10の推移(その1)
今回は、人口密度で“東”の「京浜ブロック」に匹敵する「阪神ブロック」ですが、そのエリアは旧国名で言うと、摂津、河内、和泉になぜか明石がプラスされています。その訳は、明石はてっきり摂津だと思っていたからです。ま、加古川はまだしも、明石は完全に阪神じゃないですか!、と苦しい言い訳。
全く関係ないことですが、阪急グループの旅行会社に在籍していた西鉄ライオンズファンの者にとって、阪神と一緒になったことが不思議というか、なんというか・・・
(第1期)大正/昭和戦前
順位---1920年---1925年---1930年---1935年
1大阪市1,252,983大阪市2,114,804大阪市2,453,573大阪市2,989,874
2神戸市608,644神戸市644,212神戸市787,616神戸市912,179
3堺市84,999堺市105,009堺市120,348堺市141,286
4豊崎町56,110尼崎市44,241尼崎市50,064西宮市89,909
5今宮町50,080西灘村40,997小田村40,290尼崎市71,072
6鷺洲町40,904明石市37,244西宮市39,360小田村54,484
7尼崎市38,461西宮市34,427明石市38,958布施町48,696
8天王寺村34,383岸和田市32,050岸和田市35,102明石市42,644
9明石市33,107小田村30,760精道村28,404岸和田市39,097
10鶴橋町32,864精道村19,101吹田町24,314貝塚町37,345
このブロック、言わずもがな、1位大阪、2位神戸はず~~と変わらないのです。順位が変わったら“阪神ブロック”の名称を変えなくてはいけませんもんね。1920年(第1回)の神戸の人口は大阪の半分以下となっていますが、その神戸、当時全国3位の人口であったことも一部の関係者の間では常識となっております。
1925年(第2回)には第1回にトップ10に入っていた豊崎町、今宮町、鷺洲町、天王寺村、鶴橋町など17町27村を編入した大阪が、関東大震災に遭った東京を抜き全国1位の座につきます。この回に新たにトップ10入りをしたのが西灘村、西宮市、岸和田市、小田村、精道村ですが、市制施行した岸和田、西宮はともかく、兵庫3村のトップ10入りは意外と言えば意外です。
1930年(第3回)には神戸に吸収された西灘村に代わって吹田町がランクイン。そう言えば、まだ朝ごはんを食べてない。オナカがスイタ。
1935年(第4回)になると、今津町などを編入した西宮が4位に上昇。新たにランクインしたのが、大阪東隣の布施町と貝塚町。このブロックにおいてトップ10入りした都市の中で一番意外だったのが貝塚なのですが、この頃、大日本紡績貝塚工場(後に、“東洋の魔女”で超有名になるニチボー貝塚)が操業を開始、周辺の村を合併しています。なお、ランク外に去ったとは言え、精道や吹田も人口を増やしており、特に精道は阪神間にあるという利便性を活かし、全国随一の高級住宅地芦屋となっていくのです。

(第2期)戦中/戦後復興期
順位---1935年---1940年---1947年---1950年
1大阪市2,989,874大阪市3,252,340大阪市1,559,310大阪市1,956,136
2神戸市912,179神戸市967,234神戸市607,079神戸市765,435
3堺市141,286堺市182,147尼崎市233,183尼崎市279,264
4西宮市89,909尼崎市181,011堺市194,048堺市213,688
5尼崎市71,072布施市134,724布施市133,934布施市150,129
6小田村54,484西宮市103,774西宮市108,893西宮市126,783
7布施町48,696吹田市65,812岸和田市88,654岸和田市98,821
8明石市42,644明石市47,751豊中市76,314豊中市86,203
9岸和田市39,097岸和田市46,486吹田市72,197吹田市78,415
10貝塚町37,345豊中市45,013明石市57,390八尾市66,698
1940年(第5回)に大阪は300万人を超え、“キャリアハイ”となります。この回に小田村と新設合併した尼崎と周辺町村と合併し市制施行の布施が人口を大幅に伸ばし順位を上げます。小田村と貝塚に代わってランクインしたのが吹田(市となって復活)と豊中です。私が注目するのは豊中で、豊島郡の中央に位置するからという安直な名称でもわかるように、町場とはとてもいえない(強いて挙げれば岡町は町場だった?)地域ですが、このような地が比較的早くから都市化され、我が国における「衛星都市」の魁となったのは、阪急電鉄の沿線開発が功を奏した結果だと考えます。
戦後となった1947年(第6回)に大阪は戦災により人口が半減。神戸も大幅に減少させます。この期に人口を増やした尼崎、岸和田なども合併によるものです。1942年に岸和田は春木町他と新設合併しましたが、「泉州春木港」という鳥羽一郎の歌はごく一部の方に知られています。歌碑もあるのですね。
1950年(第7回)は、第6回の順位と殆ど同じなのですが、ずっとランクインしていた明石に代わり、河内音頭に乗って八尾が登場します。
[87938] 2015年 6月 20日(土)08:16:55白桃 さん
国勢調査における「阪神ブロック」人口トップ10の推移(その2)
“疑惑”に満ちた「阪神ブロック」ですが、強行突破で続けます。
(第3期)「昭和の大合併」期
順位-----1950年-----1955年-----1960年
1大阪市1,956,136大阪市2,547,316大阪市3,011,563
2神戸市765,435神戸市979,305神戸市1,113,977
3尼崎市279,264尼崎市335,513尼崎市405,955
4堺市213,688堺市251,793堺市339,863
5布施市150,129西宮市210,179西宮市262,608
6西宮市126,783布施市176,052布施市212,754
7岸和田市98,821豊中市127,678豊中市199,065
8豊中市86,203明石市120,200明石市129,780
9吹田市78,415岸和田市107,640八尾市122,832
10八尾市66,698八尾市95,825岸和田市120,265
「昭和の大合併」期と言っても、当ブロックでは驚くほどの順位変動はありません。それでも、1955年(第8回)には、人口3万人超の鳴尾村他2村を編入し20万都市となった西宮がひとつ順位をあげます。(余談ですが、合併当時に甲子園、阪急西宮の2大球場を有していた西宮ですが、鳴尾球場はとっくに無くなっています。)また、庄内町を編入した豊中も順位を上げ、大久保、二見2町と魚住村を編入し人口が倍増した明石が復活します。このあおりを食らって、合併の無かった岸和田がランクを落とし、ごく小規模な合併(新田村の一部)に終わった吹田がランク外に去ります。
1960年(第9回)になると、志紀町を編入した八尾が岸和田を抜いた以外は順位の変動がありません。この回には大阪が300万人の大台に復帰、神戸が待望?の百万都市になる等、各都市が大幅に人口を増加させます。この人口増について言うと、合併がもたらしたものはほんの一部であり、「京浜」に唯一対抗しうる勢力として「阪神」の諸都市がまだしっかりとした時代であったと言えるでしょう。

(第4期)高度経済成長期
順位---1960年---1965年---1970年---1975年
1大阪市3,011,563大阪市3,156,222大阪市2,980,487大阪市2,778,987
2神戸市1,113,977神戸市1,216,666神戸市1,288,937神戸市1,360,605
3尼崎市405,955尼崎市500,990堺市594,367堺市750,688
4堺市339,863堺市466,412尼崎市553,696尼崎市545,783
5西宮市262,608西宮市 336,873東大阪市500,173東大阪市524,750
6布施市212,754豊中市291,936西宮市377,043西宮市400,622
7豊中市199,065布施市271,704豊中市368,498豊中市398,384
8明石市129,780吹田市196,779吹田市259,619高槻市330,570
9八尾市122,832八尾市170,248高槻市231,129吹田市300,956
10岸和田市120,265明石市159,299八尾市227,778枚方市297,618
1965年(第10回)には、人口10万増の豊中が布施を追い抜き、我が国最初の大規模ニュータウンである千里ニュータウンの入居が開始した吹田も大幅に人口を増やしトップ10に復活します。これによって第2回以降トップ10入りのダンジリ岸和田が押し出されます。また、尼崎が50万人を突破したのもこの回です。
1970年(第11回)になると、大阪の人口が300万人を割り込みますが、これは近郊都市への人口分散が進行したことによるものです。1970年と言えば“世界の国からこんにちは”の大阪万博の年でありますが、「阪神ブロック」の絶頂期であったとも言えるでしょう。この回には、泉北ニュータウンの入居が開始となり人口を伸ばした堺が尼崎までも抜き去り、遅れてきた大物都市、高槻が明石に代わってランクインします。また、なんと言っても布施が河内、枚岡と合併したことによって、東大阪が誕生したことを忘れてはなりません。
1975年(第12回)になり、その勢いに翳りを見せ始めるのが、我が国有数の工業都市でもある尼崎です。対照的に人口を大幅に増加させたのが高槻と、八尾に代わってランクインした枚方です。枚方のランクインで「大阪BT四天王」(私の造語で、豊中、吹田、高槻、枚方の四大衛星都市のこと)が出揃ったことになりますが、これにより現在の「阪神ブロック」の都市の“顔”が固まったと言えます。(事実、現在まで当ブロックでは新たにトップ10入りする都市がありません。)
[88087] 2015年 7月 14日(火)08:06:46白桃 さん
国勢調査における「阪神ブロック」人口トップ10の推移(その3)
(第5期)ポスト高度経済成長期
-1975-1980-1985-1990-1995-2000
1大阪2,778,987大阪2,648,180大阪2,636,249大阪2,623,801大阪2,602,421大阪2,598,774
2神戸1,360,605神戸1,367,390神戸1,410,834神戸1,477,410神戸1,423,792神戸1,493,398
3750,688810,106818,271807,765802,993792,018
4尼崎545,783尼崎523,650東大阪522,805東大阪518,319東大阪517,232東大阪515,094
5東大阪524,750東大阪521,558尼崎509,115尼崎498,999尼崎488,586尼崎466,187
6西宮400,622西宮410,329西宮421,267西宮426,909枚方400,144西宮438,105
7豊中398,384豊中403,174豊中413,213豊中409,837豊中398,908枚方402,563
8高槻330,570枚方353,358枚方382,257枚方390,788西宮390,389豊中391,726
9吹田300,956高槻340,720吹田348,948高槻359,867高槻362,270高槻357,438
10枚方297,618吹田332,418高槻348,784吹田345,206吹田342,760吹田347,929
この期は他ブロックでも変動が少ないのですが、当ブロックにおいては多少の順位変動はあるもののトップ10の都市に入れ替わりが全く無い状態です。
そんな静かな動きの中で、1980年(第13回)に枚方が2ランクアップ。他都市がこの期に(一時的なものを含めて)人口減少を示す中で、枚方だけが順調に人口を伸ばします。
1985年(第14回)には凋落著しい尼崎に代わって東大阪が4位の座につきますが、その東大阪とともに、堺、豊中、吹田がこの回にいったん人口ピークを迎え、以後、停滞傾向に入ります。
1990年(第15回)には永遠のライバル?吹田と高槻の順位が入れ替わり、尼崎はついに50万人を割り込んでしまいます。
1995年(第16回)は、何と言ってもその年1月に起こった阪神・淡路大震災の影響が大きく、神戸が5万人以上の減少となり、西宮も8位まで順位を落とします。一方でこの回に高槻が人口ピークを迎えます。
阪神・淡路大震災によって大きく人口を減少させた神戸と西宮も、2000年(第17回)には震災前の人口を上回る復興をみせます。また、この回のトピックとして大阪の人口が下げ止まりになったことが挙げられます。

(第6期)「平成の大合併」期
順位-----2000年-----2005年-----2010年
1大阪市2,598,774大阪市2,628,811大阪市2,665,314
2神戸市1,493,398神戸市1,525,393神戸市1,544,200
3堺市792,018堺市830,966堺市841,966
4東大阪市515,094東大阪市513,821東大阪市509,533
5尼崎市466,187西宮市465,337西宮市482,640
6西宮市438,105尼崎市462,647尼崎市453,748
7枚方市402,563枚方市404,044枚方市407,978
8豊中市391,726豊中市386,623豊中市389,341
9高槻市357,438吹田市353,885高槻市357,359
10吹田市347,929高槻市351,826吹田市355,798
「大合併」期と言っても合併があったのは堺のみで、総体的には前期を引きづった状況と言えるでしょう。
2005年(第18回)に神戸が150万人を突破しましたが、西宮以外は停滞乃至は頭打ち状態で、順位変動も西宮が尼崎を抜いたこと、吹田・高槻のせめぎあいが続くこと、ぐらいでなんともコメントしにくい期でございます。
[88701] 2015年 8月 23日(日)08:59:43白桃 さん
国勢調査における「西海ブロック」人口トップ10の推移(その1)
奇しくもこのシリーズ、「西海」で再開することになりました。と相変わらずの駄洒落を飛ばしていますが、「さいかい」と聞くと、「再会」の松尾和子や香川県の市人口「最下位」の東かがわを思い浮かべます。
ブロック名とした「西海」が果たして適切であったかどうかわかりませんが、このブロックは福岡県、佐賀県、長崎県の3県をエリアとします。この3県の共通項っていったら、「昔、炭田が多かった。」と答えられる方はシニア・ジェオグラファーですね。「市盗り」ファンにとっては、3県都プラス北九州市を押さえているかぱぷうさんの「おウチ」って感じでしょうか。
(第1期)大正/昭和戦前
順位---1920年---1925年---1930年---1935年
1長崎市176,534長崎市189,071福岡市228,289福岡市291,158
2八幡市100,235福岡市146,005長崎市204,626長崎市211,702
3福岡市95,381八幡市118,376八幡市168,217八幡市208,629
4佐世保市87,022佐世保市95,385佐世保市133,174佐世保市173,283
5門司市72,111門司市95,087門司市108,130門司市121,611
6大牟田市64,317久留米市72,221大牟田市97,298小倉市110,372
7若松市49,336大牟田市68,256小倉市88,049大牟田市104,992
8久留米市43,629小倉市51,663久留米市83,009久留米市91,920
9穂波村37,235若松市49,930若松市57,320若松市73,345
10小倉市33,954佐賀市42,160戸畑市51,674戸畑市67,800
1920年(第1回)を見て唖然とされる方がいるかもわかりません。長崎が一位なんです。それもそのはず、第1回国勢調査時に「六大都市」に次ぐ7位の人口を有していたんですから。無法松が生まれた?小倉を押さえて9位にランクする穂波村は後の穂波町(現:飯塚市)ですが、この頃、筑豊炭田で最も人口が多い都市?でありました。
1925年(第2回)になりますと、西新、住吉の2町を編入した福岡が2位に上がる他、国分町他1村を編入した久留米、板櫃町の大部分を編入した小倉が順位を上げます。そして、辛うじて佐賀がランクインします。
1930年(第3回)には2町3村編入の福岡が長崎に代わって首位に立ちます。その他、黒崎町を編入した八幡をはじめ、人口の多い町村との合併により佐世保、大牟田、小倉が人口を大きく増加させます。せっかくランクインした佐賀ですが、戸畑にとばされたことにより、ここに北九州五大関の揃い踏みが始まります。
1935年(第4回)には大牟田と小倉の順位が入れ替わった以外に順位変動もありませんが、北九州五市の人口増が目につきます。福岡も人口を増加させ長崎との差を拡げますが、これは姪浜町他2村を編入したことも一因であるのに対し、北九州五市の増加分は殆ど純増であります。

(第2期)戦中/戦後復興期
順位---1935年---1940年---1947年---1950年
1福岡市291,158福岡市306,763福岡市328,548福岡市392,649
2長崎市211,702八幡市261,309長崎市198,642長崎市241,805
3八幡市208,629長崎市252,630佐世保市175,233八幡市210,051
4佐世保市173,283佐世保市205,989小倉市168,119小倉市199,397
5門司市121,611小倉市173,639八幡市167,829佐世保市194,453
6小倉市110,372門司市138,997大牟田市166,438大牟田市191,978
7大牟田市104,992大牟田市124,266門司市109,567門司市124,399
8久留米市91,920久留米市89,490久留米市90,999久留米市100,997
9若松市73,345若松市88,901若松市78,694若松市89,574
10戸畑市67,800戸畑市84,260田川市75,899田川市88,418
戦時色が強まった1940年(第5回)には八幡、長崎、佐世保、小倉の人口増が目立ちます。この期に4市それぞれ合併しているのですが、「合併分以上の増加」は国策に起因しているのかもしれません。順位変動を見ると、八幡が長崎を抜いて2位に上がり、小倉がモジモジとしていた?門司を抜き5位に上昇します。
1947年(第6回)は戦災等によって大きく人口を減らした都市が目に付きます。原爆が投下された長崎は勿論ですが、佐世保、八幡、門司はこの期に合併を行っているにも拘らず大きく減少しています。特に八幡は10万人近い減少を記録して小倉より下位となります。また、1943年に伊田と後藤寺の2町が合併して成立した田川が、戸畑に代わってランクインします。
1950年(第7回)になると、長崎と八幡は戦前の水準にまでは届きませんが、それでも20万人台にまで回復し、小倉、佐世保、大牟田が19万人台でひしめき合う状況となります。
[88737] 2015年 9月 1日(火)00:03:08かぱぷう さん
北九州・五市合併の功罪
拙稿[88714]
白桃さんの北九州市の人口推移の話にも反応したくて文章作成にかかりましたが、長くなりそうだったので項を改めます。
と、したためたものの時間が取れずに今になってしまいました(^^;


[88703]白桃さん
人口面で見る限り、小倉の一人勝ちで、門司以上に割りを食っているのが戸畑です。北九州市が成立して52年、都市機能の分化が進んだ今、旧市間の対立というものは無いのでしょうが、もし、もし、たら、れば、五市が合併していなければ、これほど人口の差は生じなかったでしょうね。
うーん、一概にそうとは言い切れないかもしれません。
北九州市は、発足からしばらくは絶対的な中心地区をどことは打ち出さずに旧五市それぞれに中心性を持たせる「多核都市」政策を進めました。それがどう作用したのか。五市合併は良かったのか否か。各区の事情に触れながら考えてみます。

◇戸畑区・八幡東区
北九州市は工業都市と言われますが、中でも戸畑と八幡(東区)は八幡製鐵の企業城下町で「鉄の街」の様相を呈していました。その八幡製鐵は高度経済成長にあわせて堺・君津にも製鉄所を設け、さらに富士製鐵と合併して新日本製鐵(新日鉄)となり、会社における八幡製鐵所のウエイトは相対的に低くなっていきます。さらにエネルギー革命によって地理的優位もなくなり、設備の老朽化も手伝って昭和四十年代前半のピーク時には八幡地区に6基・戸畑地区に4基あった高炉も1978(昭和53)年に戸畑地区に集約され、その戸畑地区の高炉も1988(昭和63)年には1基体制に縮小されました。
この頃の北九州市を表すのキーワードとして盛んに使われたのが「鉄冷え」という言葉です。鉄冷えの影響をモロに受けた戸畑区・八幡東区の人口減少と街の地盤沈下は五市合併ではなく新日鉄が大きく絡んでいると言えるのではないでしょうか。

ここで、戸畑区について擁護させてください。戸畑区の人口は現在5万8千人と大きく減らしましが、それでも面積が16.61km2と狭いので3537人/km2の人口密度を有します。そして、その狭い区面積の半分近くは製鉄所の敷地が占めているのでその分を除くと7000人/km2近い人口密度を有することとなるのです。ピーク時の北九州市発足の頃には11万人弱の人口であったといいますから、この頃の実質的な人口密度は…
かつてが尋常でなかっただけで今が健全な姿なんです、なんて言ったら負け惜しみなのでしょうか(^^;

◇八幡西区
同じ八幡でも西区は少し事情が違います。
八幡市に編入されるまで黒崎町だった地域は、洞海湾に面した海沿いに工場集積があります。これらは三菱化学・安川電機・黒崎播磨に代表される非製鉄系の工場で、そのため鉄冷えの影響は限定的でした。宿場町に端を発した黒崎は商業集積もあり、次第に北九州市の副都心としての立場を確立します。しかし平成になってからの三菱化学の縮小などで街に勢いがなくなり、特に2000年のそごうの閉店以降は急激にさびれてしまいました。
それでも八幡西区の人口が微減で留まっているのはベッドタウンとして区の南部が開けてきたのが比較的近年であることと、学園都市という顔もある折尾がまだ踏みとどまっているからと考えます。

◇門司区・若松区
八幡・戸畑が北九州市発足後人口を減らしたキーワードは工業としたが、門司・若松は「港」でしょうか。
まず門司。門司と聞けば「貿易港としてかつて栄えた」「(その遺産を活かした)門司港レトロ」など、港町の風情を思い浮かべる人が多いかと思います。確かに門司はかつて港湾都市として隆盛しました。区東部、いわゆる門司港地区の門司町は五市の中でトップを切って市制施行、門司市は上水道の整備も北九州市域で最初でした。大正~昭和初期には先進的なオフィスビルが立ち並び活況を呈していましたが、昭和17年に関門鉄道トンネル開通したことと、終戦と同時に貿易港としての立ち位置を追われたことで、門司の港町としての繁栄は終わります。代わって戦後は西部の「大里(だいり)」地区が台頭。大里は小倉のベッドタウンとして、また、門司機関区を有した鉄道のまちとして開けてきます。人口も増加傾向にありましたが、機関区は国鉄の合理化とともに縮小し、現在は住宅開発されたのが早かった分だけ高齢化も早く進行し人口流出が進んでいます。

次に若松です。若松は石炭の積出港として栄えます。が、エネルギー革命で筑豊の炭坑が次々に閉山すると若松もエネルギーがなくなってしまいます。ただ、北九州市発足前年の1962(昭和37)年に若戸大橋が開通し、五市のなかで陸の孤島にならずに済んだことは幸いしました。

◇小倉北区・南区
一人勝ちの小倉ですが、もしかすると五市合併がなければ小倉はもっと伸びていたのではないかという気がします。
城下町小倉は明治維新以降は商都として発展、戦前は小倉造兵廠や師団が置かれて軍都の一面も持ちます。戦後も商業集積が進み、北九州地域の中心都市としての機能していきます。一方で住友金属小倉製鉄所や東陶機器をはじめ工業集積もあり都市としてのバランスも取れていました。このまま行くと北九州地域のなかで小倉一極集中になっていくのではないか…というところで五市合併の機運高まり北九州市発足となるのです。
新幹線の駅ができても、小倉は思ったほどの伸長はありませんでした。市制施行25年後の1988(昭和63)年に、多核都市政策を見直して小倉を都心・黒崎を副都心と明確に位置付けた政策「北九州市ルネッサンス構想」が発表されましたが、当時の北九州市は産業構造の転換に乗り遅れて体力を失っており、加えて福岡市が九州の中心としてめきめき力を付けている時期で、小倉にとっては「時すでに遅し」でした。

◇総括
北九州市のこととなると熱くなってしまい、さしたるデータもなく主観的なことを長々と書き連ねてしまいましたが、私のなかでは「五市合併はした方がしないより少しはマシだった」という結論に行き着きます。
合併以前の問題として門司・八幡・若松・戸畑の四市は斜陽が必至の情勢でした。小倉には気の毒ですが、五市合併後に北九州市がしばらくは多核都市路線を取ったことで極端な置いてきぼりを食らった市が出なかったことは幸いだったといえるかもしれません。

最後に、(以前に拙稿[46217]で記したことがあるのですが)西日本シティ銀行の『ふるさと歴史シリーズ』を紹介させていただきます。
「博多に強くなろう」と「北九州に強くなろう」の二つのシリーズがあり、各テーマゆかりの人と銀行幹部とで対談を行い、小冊子にして配布しているものです。1999(平成11)年に発行された、「北九州に強くなろう」No.12・五市合併が合併の経緯やエピソードを面白くまとめてありますので、古いもので恐縮ですが興味がある方はぜひご一読ください。
[88798] 2015年 9月 15日(火)14:18:09白桃 さん
国勢調査における「西海ブロック」人口トップ10の推移(その2)
(第3期)「昭和の大合併」期
順位-----1950年-----1955年-----1960年
1福岡市392,649福岡市544,312福岡市647,122
2長崎市241,805長崎市303,724長崎市344,153
3八幡市210,051八幡市286,241八幡市332,163
4小倉市199,397佐世保市258,221小倉市286,474
5佐世保市194,453小倉市242,240佐世保市262,484
6大牟田市191,978大牟田市201,737大牟田市205,766
7門司市124,399門司市145,027久留米市155,041
8久留米市100,997久留米市138,804門司市152,081
9若松市89,574佐賀市126,432佐賀市129,888
10田川市88,418田川市100,071戸畑市108,708
この期はさほど大きな合併が無かったということもあり順位変動も激しくありません。
とはいえ、1955年(第8回)には那珂、香椎、多々良の3町他2村を合併した福岡が50万人を突破、着々と首位固めに走ります。ところで、香椎と言えば松本清張の「点と線」を思い出しますが、小説に描かれた時代はちょうどこの頃でしょうか。若松に代わって1町10村編入と踏んばった佐賀が9位に再ランクイン。
1960年(第9回)には斜陽一途の田川に代わり、戸畑が再ランクイン。実は、ランク外の若松も含め北九州5市すべてが10万人を超えたのは後にも先にもこれ一回だけなのです。さらに言いますと、八幡と小倉が順調に人口を伸ばしているのに対して門司、戸畑、若松が足踏み状態、夜明け前に二極分化は進んでいたのです。

(第4期)高度経済成長期
順位---1960年---1965年---1970年---1975年
1福岡市647,122北九州市1,042,388北九州市1,042,321北九州市1,058,058
2長崎市344,153福岡市749,808福岡市853,270福岡市1,002,201
3八幡市332,163長崎市405,479長崎市421,114長崎市450,194
4小倉市286,474佐世保市247,069佐世保市247,898佐世保市250,729
5佐世保市262,484大牟田市193,875久留米市194,178久留米市204,474
6大牟田市205,766久留米市158,974大牟田市175,143大牟田市165,969
7久留米市155,041佐賀市134,575佐賀市143,454佐賀市152,258
8門司市152,081飯塚市82,033飯塚市75,643飯塚市75,417
9佐賀市129,888田川市74,063唐津市74,233唐津市75,224
10戸畑市108,708唐津市73,999諫早市65,261諫早市73,341
この期のトピックスはなんと言っても、空前絶後、史上最大規模の合併で北九州市が成立したことであります。この件については、かぱぷうさんが[88737]にて詳細を気合十分に書き込まれています。必読です。
1965年(第10回)には北九州市が成立したことにより、幸袋、二瀬の2町他を合併した飯塚と唐津が新登場。でも、再ランクインの田川を含めこの3市は、ホント、繰上げ当選って感じです。また、第9回にピークを迎えた佐世保、大牟田が人口減少となり、特に大牟田はこの後、高度経済成長を尻目に下り坂を転げ落ちていきます。
1970年(第11回)に、北九州は若干人口を減少させます。この回に大牟田に代わって2町を編入した久留米が5位に上昇しますが、この久留米って“生まれながらの市”にも拘わらず、地味ダナ~と感じるのは私だけでしょうか。この回に新登場するのが、いやはや、ではなく諫早です。
1975年(第12回)には福岡が100万人を突破し、事実上の「西海チャンピョン」になります。一方、長崎が人口ピークを迎えます。早い話、このブロックで「高度経済成長期」に飛躍したのは、福岡だけ、と言うことになります
[88939] 2015年 10月 27日(火)23:14:59白桃 さん
国勢調査における「西海ブロック」人口トップ10の推移(その3)
このシリーズ、前回からかなり間隔が開きましたが・・・
(第5期)ポスト高度経済成長期
-1975-1980-1985-1990-1995-2000
1北九州1,058,058福岡1,088,588福岡1,160,440福岡1,237,062福岡1,284,795福岡1,341,470
2福岡1,002,201北九州1,065,078北九州1,056,402北九州1,026,455北九州1,019,598北九州1,011,471
3長崎450,194長崎447,091長崎449,382長崎444,599長崎438,635長崎423,167
4佐世保250,729佐世保251,187佐世保250,633佐世保244,677佐世保244,909 佐世保240,838
5久留米204,474久留米216,972久留米222,847久留米228,347久留米234,433久留米236,543
6大牟田165,969佐賀163,765佐賀168,252佐賀169,963佐賀171,231佐賀167,955
7佐賀152,258大牟田163,000大牟田159,424大牟田150,453大牟田145,085大牟田138,629
8飯塚75,417諫早83,723諫早88,376諫早90,683春日99,206春日105,219
9唐津75,224飯塚80,288飯塚81,868春日88,699諫早93,058諫早95,182
10諫早73,341唐津77,710唐津78,744飯塚83,131飯塚83,411筑紫野93,049
1980年(第13回)に北九州を抜き首位に返り咲いた福岡は、この後、名実ともにこのブロック、いや西南日本随一の都市として驀進して行くのです。その一方で、北九州はこの回をピークに下り坂を転げ落ちていきます。この回に新たにランクインする都市はありませんが、諫早がランクを上げ、佐賀と大牟田の順位が入れ替わります。
1985年(第14回)は前回とまったく変動がありませんが、1990年(第15回)になると唐津に代わって春日がランクイン。このブロックにおいて衛星都市として初めてランクインを果たした春日は、1995年(第16回)には諫早を抜き8位まで順位を上げます。
2000年(第17回)には飯塚に代わって筑紫野がランクインしますが、これにより、この時点で福岡市の衛星都市が二席を占めることになります。

(第6期)「平成の大合併」期
順位-----2000年----- 2005年-----2010年
1福岡市1,341,470福岡市1,401,279福岡市1,463,743
2北九州市1,011,471北九州市993,525北九州市976,846
3長崎市423,167長崎市442,699長崎市443,766
4佐世保市240,838久留米市306,434久留米市302,402
5久留米市236,543佐世保市248,041佐世保市261,101
6佐賀市167,955佐賀市206,967佐賀市237,506
7大牟田市138,629諫早市144,034諫早市140,752
8春日市105,219大牟田市131,090飯塚市131,492
9諫早市95,182唐津市128,564唐津市126,926
10筑紫野市93,049春日市108,402大牟田市123,638
2005年(第18回)になると、ついに北九州が100万人をきってしまいます。また、この回は近隣中堅4町を編入した久留米が、零細?2町編入に終わった佐世保を抜き4位に躍り出ます。そして、5町と合併を行った諫早が、合併の無かった大牟田を追い落とし、6町1村と合併をした唐津が、「ランクインは20年早いよ!」と言わんばかりに新進気鋭の筑紫野を突き飛ばしてしまいます。
このような、古参都市の新興都市に対するいじめ?、というか逆襲は2010年(第19回)にも見られ、4町と合併した飯塚が春日をランク外に追い出してしまいます。気がつけば、トップ10の顔ぶれが40年前と同じになってしまったのです。ま、老舗の地力というか強引さを見るにつけ、最近のインスタントラーメンもなかなか美味しくなったとは言え、昔ながらの中華ソバもいいんじゃないか、と感じる次第です。(突然、何を言い出しているのでしょうかね?)
[89085] 2015年 11月 15日(日)06:59:23白桃 さん
国勢調査における「南海ブロック」人口トップ10の推移(その1)
本人は忘れていないのですが、皆様が忘れた頃にこのシリーズは再開します。さて、今回のこのブロック名についても3分間ぐらい悩んだのですが、「西海」があるのなら「南海」もあるさ、てな具合で決定しました。「南海」といっても、律令制時代の南海道とは関係なく、南海電車、南海ホークスとも親戚関係はありません。ましてや、南海キャンディーズとは何の縁もゆかりもありません。敢えて言えば、♪銀のクロスを胸にかけ~あの「南海の美少年」のイメージ、ついでに言えば、「美少年」は熊本県菊池市のお酒で結構おいしいです。
相当脱線いたしましたが、南九州と沖縄の人口推移を同じブロックに置いて眺める、というのはドダイ無茶な話なんですね。でも、頴娃出身の高田みづえをお嫁さんにもらった種子島出身の若島津は「南海の黒ヒョウ」と呼ばれていましたので・・・とにかくこのブロックはびっくりする名前が登場します。

(第1期)大正/昭和戦前
順位---1920年---1925年---1930年---1935年
1鹿児島市103,180熊本市147,174熊本市164,460熊本市187,382
2熊本市70,388鹿児島市124,734鹿児島市137,236鹿児島市181,736
3那覇区53,882那覇市54,643那覇市60,535那覇市65,208
4大分市43,150大分市53,352大分市57,294宮崎市64,726
5別府町28,647宮崎市42,945宮崎市54,600別府市62,345
6頴娃村27,092別府市37,529別府市43,074大分市61,732
7谷山村25,986都城市30,421都城市35,512延岡市56,421
8名瀬村25,816頴娃村28,653川内町32,066都城市36,575
9都城町25,741谷山町26,903頴娃村31,123川内町33,354
10東南方村23,577小林町25,392延岡町30,897頴娃村31,759
1920年(第1回)に顔を出す都市?名をみると、なんとも言えない満足感が。この回限りですが、10万人超えの鹿児島が熊本を押さえ堂々のトップ。同県から頴娃(高田みづえ出身)、谷山(西郷輝彦出身)、名瀬、東南方の4村がトップ10にランクイン。後に谷山市(現:鹿児島市)、名瀬市(現:奄美市)、枕崎市となった3村がランクインしていたというのは何となく納得できるのですが、頴娃だけは今もってわかりません。
1925年(第2回)には1町11村を編入した熊本がトップに立ちます。この当時、熊本と鹿児島は他を寄せ付けない二大都市であったことは間違いありません。名瀬と東南方に代わって、大淀町・大宮村と合併で市となった宮崎と小林町がランクイン。余談ですが、ランク外となった東南方は枕崎と改名するも、昭和でも平成でも合併しなかったという全国でも珍しい市です。それから、小林って本当に名前も人口推移も地味~な市だと思いませんか?
1930年(第3回)には谷山、小林に代わって川内、延岡がランクイン。両町とも周辺を合併して人口を拡大したのですが、特に延岡の場合は、この頃に日本窒素肥料系の工場が次々と出来ており、合併は企業の要請でもあったようです。
1935年(第4回)に工業都市延岡は人口を純増させ7位にランクアップします。また西日本を代表する温泉観光都市である別府が亀川町他を合併し大分市を抜き去り県内一の人口となります。

(第2期)戦中/戦後復興期
順位---1935年---1940年---1947年---1950年
1熊本市187,382熊本市194,139熊本市245,841熊本市267,506
2鹿児島市181,736鹿児島市190,257鹿児島市170,416鹿児島市229,462
3那覇市65,208延岡市79,426別府市96,685宮崎市103,443
4宮崎市64,726大分市76,985宮崎市92,144大分市94,455
5別府市62,345宮崎市66,497大分市86,570別府市93,033
6大分市61,732那覇市65,765延岡市73,742延岡市88,117
7延岡市56,421別府市64,724都城市71,621都城市75,114
8都城市36,575都城市58,819鹿屋市62,497鹿屋市63,506
9川内町33,354川内市34,289中津市51,976荒尾市64,207
10頴娃村31,759八代市33,586荒尾市51,448中津市51,410
1940年(第5回)になると東海村他を編入した延岡がなんと3位に上昇します。シブトク残っていた頴娃に代わって、大田郷町他と合併し市制施行の八代(当然、八代亜紀出身)がランクインします。
1947年(第6回)には、那覇、川内、八代がランク外となりますが、那覇の場合は、1947年に国勢調査に相当する人口調査が行われなかったことによるものですが、仮に行われていたとしても、空襲と沖縄戦によって市街地が破壊されており、激減した人口では間違いなくランクインしていなかったと推測いたします。3市に代わりランクインしたのが「戦時合併」で市となった鹿屋と荒尾、そして合併で人口を増加させた中津です。戦災に遭わなかった別府は人口が急増、再び大分を押さえ、このブロック3位まで上昇します。またこの回、川尻町他を合併した熊本は20万人を突破します。
1950年(第7回)には伊敷村他を編入した鹿児島も20万人を突破し、宮崎も10万人を超え、別府を再逆転した大分ともども県庁所在地としての面目を保ちます。
[89208] 2015年 11月 28日(土)07:49:54白桃 さん
国勢調査における「南海ブロック」人口トップ10の推移(その2)
(第3期)「昭和の大合併」期
順位-----1950年-----1955年-----1960年
1熊本市267,506熊本市332,493 熊本市373,922
2鹿児島市229,462鹿児島市274,340鹿児島市296,003
3宮崎市103,443宮崎市140,782 那覇市223,047
4大分市94,455延岡市116,762宮崎市158,328
5別府市93,033大分市112,429大分市124,807
6延岡市88,117那覇市110,740延岡市122,527
7都城市75,114別府市102,330別府市107,734
8鹿屋市63,506八代市90,303八代市100,566
9荒尾市64,207都城市81,203都城市92,230
10中津市51,410鹿屋市75,488鹿屋市72,498
「昭和の大合併期」ではありますが、鹿児島と大分はこの期に合併はありませんでした。その他の都市もびっくりするほどの合併はなく、唯一の例外は那覇でありました。
もっとも、米軍統治下にあった当時の沖縄を「内地」の合併と同等に扱っていいものかどうか私にはわかりませんが、合併前の那覇が相当な「過密」状態にあり、それを打破するためにも合併の機運が高まっていたことは事実です。首里市と小禄村を編入した那覇は、1955年(第8回)に、いきなり6位となってトップ10に復活します(合併時、首里地区は飛び地状態でした)。那覇とともに復活したのが、日奈久町他5村を編入した八代です。
1960年(第9回)には、真和志市を編入した那覇は20万を超え3位に浮上し、飛び地状態も解消されるのです。これ以降、沖縄を含めた五県の県庁所在地がトップ5を固めることになるのです。

(第4期)高度経済成長期
順位---1960年---1965年---1970年---1975年
1熊本市373,922熊本市407,052 熊本市440,020 熊本市488,166
2鹿児島市296,003鹿児島市328,446鹿児島市403,340鹿児島市456,827
3那覇市223,047那覇市257,177那覇市276,380大分市320,237
4宮崎市158,328大分市226,417大分市260,584那覇市295,006
5大分市124,807宮崎市182,870宮崎市202,862宮崎市234,347
6延岡市122,527延岡市124,000延岡市128,292延岡市134,521
7別府市107,734別府市118,938別府市123,786別府市133,894
8八代市100,566都城市108,220都城市114,802都城市118,289
9都城市92,230八代市102,511八代市101,866八代市103,691
10鹿屋市72,498鹿屋市70,519鹿屋市66,995沖縄市91,347
1965年(第10回)に、大分が鶴崎市、坂ノ市町など1市3町1村との合併により20万人を突破し、宮崎を抜いて4位になります。この合併は、「新産業都市」に指定された都市に課せられた「国策合併」であると言って良いでしょう。この後、大分は水島(倉敷市)とともに「新産都の優等生」と呼ばれているように、順調に人口を伸ばしていきます。
1970年(第11回)には谷山市と合併した鹿児島が40万人を突破し、熊本に再接近します。因みにこの谷山ですが、現在は16万人超となっているようで(参考記事[6420]TNさん)、西郷さん(と言っても輝彦)もビックリぽんでしょう。
1975年(第12回)にこの期唯一の入れ替わりがあります。鹿屋に代わって登場するのは、コザ市と美里村の合併により出来た沖縄市です。
[89246] 2015年 12月 5日(土)12:40:31白桃 さん
国勢調査における「南海ブロック」人口トップ10の推移(その3)
(第5期)ポスト高度経済成長期
-1975-1980-1985-1990-1995-2000
1熊本488,166熊本525,662熊本555,719熊本579,306熊本650,341熊本662,012
2鹿児456,827鹿児505,360鹿児530,502鹿児536,752鹿児546,282鹿児552,098
3大分320,237大分360,478大分390,096大分408,501大分426,979大分436,470
4那覇295,006那覇295,778那覇303,674那覇304,836那覇301,890宮崎305,755
5宮崎234,347宮崎264,855宮崎279,114宮崎287,352宮崎300,068那覇301,032
6延岡134,521延岡136,598延岡136,381延岡130,624都城132,714都城131,922
7別府133,894別府136,485別府134,775別府130,334別府128,255別府126,523
8都城118,289都城129,009都城132,098都城130,153延岡126,629延岡124,761
9八代103,691八代108,194八代108,790八代108,135沖縄115,336沖縄119,686
10沖縄91,347沖縄94,851沖縄101,210沖縄105,845八代107,709八代106,141
※鹿児は鹿児島市
この期は、トップ10の入れ替えが全く無く、さしたる順位変動もありません。1980年(第13回)はその典型で前回と全く同じ順位で推移しており、特に言うならば熊本と鹿児島が50万人を超えたということです。
1985年(第14回)も全く順位の変動はありません。那覇が30万人、沖縄が10万人を突破しますが、延岡と別府が早くも減少を示すようになります。
1990年(第15回)も全く順位変動がありません。大分が40万人を突破しますが、都城と八代も減少を始めます。
1995年(第16回)には周辺4町を編入した熊本が65万人を超え、比較的順調な増加を続けている宮崎が30万人を突破します。一方で那覇までもが減少を示すようになるのですが、対照的に沖縄が約1万人の増加を示し、八代を抜き9位に上がります。また、増加に転じた都城は6位に上昇し、その代わりと言うわけではないのですが、同県の延岡が8位に落ちます。
2000年(第17回)は、宮崎と那覇の順位が入れ替わります。この期全体で言えば、「順調」であったのが、熊本、鹿児島、大分、宮崎、沖縄であり、「健闘」と言ってよいのが都城。「横ばい」が那覇、八代であり、別府、延岡が「低迷」というより「下降」と言って良いでしょう。

(第6期)「平成の大合併」期
順位-----2000年-----2005年 -----2010年
1熊本市662,012熊本市669,603熊本市734,474
2鹿児島市552,098鹿児島市604,367鹿児島市605,846
3大分市436,470大分市462,317大分市474,094
4宮崎市305,755那覇市312,393宮崎市400,583
5那覇市301,032宮崎市310,123那覇市315,954
6都城市131,922八代市136,886都城市169,602
7別府市126,523都城市133,062八代市132,266
8延岡市124,761別府市126,959延岡市131,182
9沖縄市119,686沖縄市126,400 沖縄市130,249
10八代市106,141延岡市121,635霧島市127,487
2005年(第18回)には、5町を編入した鹿児島が60万人を超え、停滞気味であった那覇も増加に転じ、宮崎を抜き4位に戻ります。2町3村との合併で人口を膨張させた八代は、10位から一気に6位となります。
2010年(第19回)になると、富合、城南、植木の3町を編入した熊本が70万人を超え、政令指定都市仲間入りの準備を完了します。この回に揃って合併した宮崎県勢について述べると、宮崎が再び那覇を抜き4位に返り咲き、都城が6位、延岡が8位とそれぞれ順位を上げます。1市6町の合併で成立した霧島がトップ10の仲間入りする一方で、合併もせず、ずっとお湯に浸かっていた(ワケでもないが)別府がついにトップ10から消えてしまいます。
[89955] 2016年 2月 7日(日)03:27:53白桃 さん
国勢調査における「東中四ブロック」人口トップ10の推移(その1)
桃栗三年柿八年、もとい、白桃が足掛け三年書きこんでいるこのシリーズ伊予伊予、最終章を迎えています。と言ってもこの「東中四ブロック」に愛媛県(伊予)は入っておりません。エリアは兵庫県のうち、明石市を除く播磨地域、淡路地域、鳥取県、岡山県、徳島県、香川県、高知県です。なんと中途半端!、と言うか、残り物を寄せ集めて無理やり作ったブロック。いやいやそうではありません。白桃が長年あたためてきた、白桃の、白桃による、白桃のためのブロックなのであります。
(第1期)大正/昭和戦前
順位---1920年---1925年---1930年---1935年
1岡山市94,585岡山市124,521岡山市139,222岡山市166,144
2徳島市68,457徳島市74,545高知市96,988高知市103,405
3高知市49,329高松市71,897徳島市90,634徳島市97,021
4高松市46,550高知市65,723高松市79,906姫路市91,375
5姫路市45,750姫路市55,713姫路市62,171高松市86,840
6鳥取市29,274鳥取市35,120鳥取市37,189鳥取市45,335
7丸亀市24,480丸亀市27,971津山市34,159米子市36,635
8米子町22,411米子町26,736米子市33,632津山市36,092
9洲本町22,166洲本町25,074倉敷市30,112倉敷市34,716
10玉島町20,916玉島町20,105丸亀市28,837洲本町31,565
1920年(第1回)を見ますと、岡山が頭ひとつ抜けて、かつての大都市徳島がこれに続き、高知、高松、姫路が僅差で争う。そして、鳥取、丸亀の三万未満の市が入線。米子、洲本を含め、層の薄いこのブロック、ま、順当といえば順当でしょうか?。順当でないとすれば、倉敷でも津山でもない玉島が10位になっていること?
1925年(第2回)には岡山が10万を突破しますが、順位的には高松と高知が入れ替わったぐらいでさほどの変動はありません。瀬戸内の隠れた港町・玉島もちゃんと10位を死守しています。
1930年(第3回)になると、1町2村を編入した高知が2位に躍り出ます。洲本、玉島に代わって市制施行となった津山と倉敷がトップ10入りします。
1935年(第4回)に、丸亀に代わって洲本が復活。ここで注目したいのは、播磨の姫路、淡路の洲本、因幡の鳥取、伯耆の米子、備前の岡山、備中の倉敷、美作の津山、阿波の徳島、讃岐の三本松じゃなくて高松、土佐の高知、と旧国単位で一つずつ入っているのです。まことにお行儀が良いですね。

(第2期)戦中/戦後復興期
順位---1935年---1940年---1947年---1950年
1岡山市166,144岡山市163,552 姫路市197,299姫路市212,100
2高知市103,405徳島市119,581 高知市147,120 岡山市162,904
3徳島市97,021高松市111,207岡山市140,631高知市161,640
4姫路市91,375高知市106,644徳島市103,320高松市124,545
5高松市86,840姫路市104,259高松市101,403徳島市121,416
6鳥取市45,335鳥取市49,261鳥取市57,218鳥取市61,721
7米子市36,635米子市47,051米子市55,836 米子市58,661
8津山市36,092玉野市35,467津山市51,642倉敷市53,301
9倉敷市34,716津山市35,111倉敷市48,133津山市51,645
10洲本町31,565飾磨市35,061鳴門市43,020加古川市49,832
1940年(第5回)には2町1村を編入した徳島が2位に返り咲き、屋島町他4村編入の高松も3位に順位を上げます。また、日比・宇野の両町が合併して出来た造船の町・玉野と製鋼、マッチのマチ・飾磨が新たにトップ10入りします。このあたり、戦時色が濃くなってきたようです。
1947年(第6回)には大きな順位変動があります。戦後すぐに飾磨市他3町3村と合併した姫路がトップになり、空襲被害の大きかった岡山は、長浜町他9村を編入した高知にも抜かれ3位に転落します。余談ですが、高知が編入した9村の中に、浦戸、御畳瀬(みませ)という♪よさこい節に登場する村があります。またこの回には、玉野に代わって倉敷が復帰、飾磨が抜けた跡に撫養改め鳴南市改め鳴門市がちょっくら顔をのぞかせます。
1950年(第7回)にはトップの 姫路が20万を超え、戦災に遭った岡山、高松、徳島も戦前のレベルまで人口を戻します。また、鳴門に代わって市制施行の加古川が流れ込んできます。
[90078] 2016年 3月 17日(木)09:58:06【2】白桃 さん
国勢調査における「東中四ブロック」人口トップ10の推移(その2)
(第3期)「昭和の大合併」期
順位-----1950年-----1955年-----1960年
1姫路市212,100姫路市252,315姫路市328,689
2岡山市162,904岡山市235,754岡山市260,773
3高知市161,640高知市180,146高松市228,172
4高松市124,545徳島市171,419高知市196,288
5徳島市121,416高松市144,812徳島市182,782
6鳥取市61,721倉敷市123,714倉敷市125,097
7米子市58,661鳥取市104,880鳥取市104,833
8倉敷市53,301米子市90,024米子市94,808
9津山市51,645津山市80,883加古川市89,539
10加古川市49,832加古川市71,517津山市78,549
このブロックにおいては、高知を除く各都市がそれ相応の合併を行った結果、取り立てて言うほどの順位変動がありませんでした。
強いてあげれば、1955年(第8回)に、連島町など4町3村プラスアルファを合併した倉敷が、鳥取(16村合併)と米子(10村合併)を抜いて上昇したこと、1町5村合併の徳島が、この期間に合併の無かった高松の上になったことです。岡山もこの期間に1町13村プラスアルファを編入していますが、編入された村のひとつに大野村があります。全くどうでも良いことですが、ここには後年、白桃が宿直のアルバイトをしていた大野小学校がありました。また、この期に加古川に吸収された別府町は鮎川哲也の「黒いトランク」に登場します。(書くことがないと、関係の無いことを書いてしまいます。ごめんなさい。)
1960年(第9回)には、仏生山、香西の2町他13村を編入した高松が20万人を突破、順位を二つ上げます。

(第4期)高度経済成長期
順位---1960年---1965年---1970年---1975年
1姫路市328,689姫路市367,807姫路市408,353岡山市513,471
2岡山市260,773岡山市291,825岡山市375,106姫路市436,086
3高松市228,172高松市243,444倉敷市339,799倉敷市392,755
4高知市196,288高知市217,889高松市274,367高松市298,999
5徳島市182,782徳島市193,233高知市240,481高知市280,962
6倉敷市125,097倉敷市144,461徳島市223,451徳島市239,281
7鳥取市104,833鳥取市108,860加古川市127,112加古川市169,293
8米子市94,808加古川市101,841鳥取市113,151鳥取市122,312
9加古川市89,539米子市99,484米子市109,096米子市118,332
10津山市78,549児島市77,420津山市76,368津山市79,907
この期のハイライトはなんと言っても、岡山と倉敷の“合併競争”です。
その前に・・・1965年(第10回)には加古川が米子を抜き8位に上がりますが、この後の加古川の人口純増は注目に値します。また、人口停滞の津山に代わり学生服の街、児島が10位に入ってきます。
1970年(第11回)に、新産業都市に指定されている倉敷に大きな変化があります。倉敷、児島、玉島の3市合併による「新倉敷市」の誕生です。この合併で6位から3位に上昇する倉敷ですが、西大寺市と合併する前の岡山の人口を(一瞬ですが)上回っていた記憶があります。
この倉敷の勢い対抗し、山陽新幹線の延伸を控えた岡山が県都の面目と桃太郎の名にかけて、意地?の合併を繰り広げます。津高、一宮、上道、妹尾、吉備、高松、足守の7町ほか3村を編入し、1975年(第12回)には50万人を突破、ついには姫路から王座を奪還するのです。あゝ青春の城下町、岡山の思い出・・・。
[90179] 2016年 4月 8日(金)09:54:12白桃 さん
国勢調査における「東中四ブロック」人口トップ10の推移(その3)
(第5期)ポスト高度経済成長期
-1975-1980-1985-1990-1995-2000
1岡山513,471岡山545,765岡山572,479岡山593,730岡山615,757岡山626,642
2姫路436,086姫路446,256姫路452,917姫路454,360姫路470,986姫路478,309
3倉敷392,755倉敷403,785倉敷413,632倉敷414,693倉敷422,836倉敷430,291
4高松298,999高松316,661高松326,999高松329,684高松331,004高松332,865
5高知280,962高知300,822高知312,241高知317,069高知321,999高知330,654
6徳島239,281徳島249,343徳島257,884徳島263,356徳島268,706徳島268,218
7加古169,293加古212,233加古227,311加古239,803加古260,567加古266,170
8鳥取122,312鳥取131,060鳥取137,060鳥取142,467鳥取146,330鳥取150,439
9米子118,332米子127,374米子131,792米子131,453米子134,762米子138,756
10津山79,907高砂85,463高砂91,434高砂93,273高砂97,632高砂96,020
※加古は加古川市
他ブロックにおいても、この期は激しい順位変動がみられないのですが、東中四では、10位の津山が1980年に高砂と交替しただけで、あとは「動かざること山の如し」?で、書くことが無く困ってしまいます。
とは言いつつ、細かく見ていきますと、1980年(第13回)には加古川が大きく人口を伸ばしています。これは、志方町を吸収したことも一因なのですが、加古川はこの期の人口の実質伸び率もダントツなのです。この期に合併をしたのは加古川だけなのですが、残りの9市の中にも人口異動を伴う境界変更があったところもありますので、2000年の境域に組み替えた人口で1975年~2000年の伸び率をみますと、
加古川(45.23%)高砂(24.57%)鳥取(23.00%)岡山(22.08%)高知(17.69%)
米子(17.26%)徳島(12.09%)高松(11.33%)姫路(9.68%)倉敷(9.56%)
となっており、高松、姫路、倉敷の3市は、減少を記録した時期もあった米子や徳島よりも低くなっております。高松の低さは、瀬戸大橋の開通によって「四国の玄関」の照明にかげりをみせたことにも関係あるのでしょうが、姫路と倉敷は意外と言えば意外です。(この期は県庁所在都市が健闘した時代なので、両市の低空飛行は県庁所在地ではなかったことにあるかも?)

(第6期)「平成の大合併」期
順位-----2000年-----2005年-----2010年
1岡山市626,642岡山市674,746岡山市709,584
2姫路市478,309姫路市482,304姫路市536,270
3倉敷市430,291倉敷市469,377倉敷市475,513
4高松市332,865高松市337,902高松市419,429
5高知市330,654高知市333,484高知市343,393
6徳島市268,218徳島市267,833加古川市266,937
7加古川市266,170加古川市267,100徳島市264,548
8鳥取市150,439鳥取市201,740鳥取市197,449
9米子市138,756米子市149,584米子市148,271
10高砂市96,020津山市110,569丸亀市110,473
この期に合併をしなかったのは徳島、加古川、高砂の3市ですが、結果的には、合併の有無が順位変動にそれほどの影響をもたらしてはいません。
「表面的」な人口推移をみますと、2005年(第18回)には、6町2村を併合した鳥取市が夢?の山陰初の20万都市に、3町1村との合併で津山が10位に復活。
2010年(第19回)には岡山が70万を突破、政令指定都市の仲間入り。4町と合併の姫路も50万人を超え、負けじと5町を合併した高松も40万人に達します。一方で加古川は、既に減少傾向にあった徳島を抜き順位を上げるも、鳥取、米子とともに減少を記録します。実にシブイのが明治生まれの市・丸亀で、津山を押さえ80年ぶりのトップ10返り咲きを果たします。
では、再び、2000年の境域に組み替えた人口でトップ10に顔を出す12市の2000年~2010年の伸び率をみましょう。
岡山(5.76%)倉敷(3.66%)丸亀(2.71%)姫路(1.61%)高松(1.43%)鳥取(1.08%)
加古川(0.29%)米子(0.19%)徳島(-1.37%)高知(-1.65%)高砂(-2.21%)津山(-2.64%)
第5期と第6期ではすっかり様相が異なっています。貫禄の岡山、善戦の丸亀が印象的です。

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