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スナフキんさんの記事が10件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[39364]2005年4月4日
スナフキん
[39298]2005年4月2日
スナフキん
[39126]2005年3月30日
スナフキん
[39079]2005年3月29日
スナフキん
[39037]2005年3月28日
スナフキん
[38874]2005年3月23日
スナフキん
[38664]2005年3月17日
スナフキん
[38522]2005年3月12日
スナフキん
[38386]2005年3月7日
スナフキん
[38380]2005年3月7日
スナフキん

[39364] 2005年 4月 4日(月)14:04:30スナフキん さん
上福岡について
…と申しましても、先頃話題を集めました駅の由来絡みの話題ではありません。私自身にもっと学があって、書き込む知識を身につけていればもっといろいろ論じることができたのでしょうが、残念ながらそういった書き込みをするだけの「何か」がなくて…本来ならもっとも議論に加われるはずの居住者でありながら話題に乗れないという悲しい状況です。下手に何か書こうとすると私の今の知識では「ガセ」になりかねないので、本話題に関しては私からの書き込みは控えておきます。

全然別件で、週末に市報が手元へ届きました。団地の旧住居跡地に移管公園として建設された中規模都市公園である「西中央公園」(この名称も何だかおかしな感じですが)のオープン記事が掲載されていましたが、それ以上に私の目に止まったのは同封されていた協議会だより。どうも年度末の3月31日をもって、全合併協議の終了を理由に法定合併協議会が解散になったようです。ただ、協議会だよりの奥付は4月1日ですが、内容の編集は事実上旧年度中に行われているはずで、各市町議会の承認の有無は確認できていません。記述の内容はあくまでも「協議会として解散を承認」というものでした。協議会のホームページも悠長なもので、その辺りに関する記述がちっとも更新されていません。もっとも、市町議会が協議会解散に反対するだけの正当な理由は見つからないので、恐らくは承認通り解散されたのだと思います。「円満解決」による解散って、新聞記事などメディアネタになりにくそうですね、裏付けが取りずらそうですが、でるでるさんにこの情報に関する取り扱いの判断はお任せします(無責任でスミマセン)。
[39298] 2005年 4月 2日(土)22:48:13スナフキん さん
私も年度変わりのデータ更新を…
肝心の4月1日は、某駅で19時間の過酷な調査(汗)に明け暮れていましたが、明けて本日、関連するデータの更新をすべて終えて、先ほど自分のページにアップしました。年度の変わり目を契機に、ページタイトルまでいじってしまいましたが。あぁ、週明けには勤務先の楽しい楽しいデータ更新が待っています…(泣)

この3~4月にかけて、全駅データ9200余りのうち所在地情報に何らかの変更が発生した件数はおよそ450。全駅数のほぼ5%に相当します。もっともこの数字は実際に変更した数字であって、市町村合併はあったものの結果的に変更する必要のなかったレコードも含めると、もっと数字は大きくなるはずです。この5%という数字、データの内容やその変化した期間を考え合わせると、かなり大きな数字に私は思うのですが皆さんはどう捉えられるでしょうか。

それ以上に、今回の更新では駅そのもののデータが路線の廃止などに伴って、80件以上失われてしまいました。結果、全駅のレコード数は9200台を割り込んでしまうに至りました。今回の3路線はいずれも私鉄であり、しかも名鉄の各路線はどれも事実上の路面電車で駅数が相対的に多かったという事情が、レコードの欠損を多くさせてしまった一つの要因ではあるのです。しかし、路線別に失われた駅の数をカウントしていくと、のと鉄道能登線の30が大きく効いてきます。距離にしてもいっきに60kmほどが年度を越えずに消滅したことになり、地方における鉄道需要は落ち込んでいく一方なのかなと、データをメンテしていて悲しくなってきます。これほどごっそり路線がまるまるなくなるのは、北海道の深名線以来なのではないでしょうか(可部線は、ごく一部ですが残存しましたので除外しました)。来年のこの時期には、これを上回る距離を有する北海道ちほく高原鉄道が、事実上のギブアップ宣言をしています。地図上において、スミ色の注記に引っかかっていたスミ色の鉄道線をプツプツ切る作業、今後は少なくなっていくのかもしれません。きわめて面倒な作業ですが、いざなくなるとなると寂しい気がします。
[39126] 2005年 3月 30日(水)10:50:07スナフキん さん
雲州平田駅が誕生していた!
最近はどうも鉄道絡みの仕事が多いのですが、今朝になって(今更ですが)出雲市の合併に伴って一畑電気鉄道の平田市駅が、なんと雲州平田駅に改称していたことに気がついて大汗をかいています。合併ラッシュではどうしても合併することそのものに目がいってしまうので、市の名前を駅名に使っていた平田市駅の存在を目に留めることはほとんどありませんでした。ちょっとプロとしては恥ずかしいですが、伊賀市の時の上野市駅はあれほど気にしていたのに今回はいともあっさりスルーしてしまったのは、やはり自分に余裕がなかったのかなと反省したりしています。今月はたまたま市の代表駅を気にしてJTB時刻表を買っていたため、路線図の欄外注から情報を拾うことができましたが、JR時刻表の路線図では先月号から黙って何の注釈もなく突然変更されてしまいました。本文にはニュースとして載っていましたが、ちょっと不親切です。いや、他メディアのせいにするのは卑怯ですね、自分たちが気にしなかったのがすべていけないのですから…。多忙でどこかにしわ寄せがきちゃうという事態、なるべくならそうなってほしくなかったのですが…なってしまいました、何と地図屋の悲しきことよ(涙)。

それにしても、「雲州」を冠する駅名は、初ですね。「出雲」なら周りにいくらでも点在していますが、これにならって「出雲平田」では出雲市に吸収されたイメージがつくと忌み嫌われたのでしょうか。旧国名を「州」の字で表して駅名に付す手法は、直接旧国名を冠するものに比べると数の上ではずっと少数で、逆に新鮮な感じがします。
[39079] 2005年 3月 29日(火)13:29:58スナフキん さん
びっくりな地図と、岡本駅のこと
[39073]special-weekさんご指摘の地図、見てみてびっくりしました。書き込みを見ただけでは、単なるオフザケか架空の話かと思いきや、大まじめに高崎市の解説をしており、現実世界の説明地図と分かって2度びっくりです。びっくり、と言うよりも、がっかりでしょうか。地図が軽んじられているような印象を受けますね。解説本文がかっちりした文章なだけに、図版の校正はしっかりやったんだろうかと疑問を持ちたくもなります。

[39045]で白桃さんが疑問を持たれた阪急岡本駅の特急停車、震災復興が一段落した後の改正で突如、普通のみの停車から階級特進した模様です。阪急と神戸に詳しい(?)社内の人間に尋ねたところ、やはり突出した理由はなく、それが故に利用者からの評判はボコスコだったそうです(今はどうなのかな?)。[39065]でEMMさんがその理由ではないかと思われる事柄を列記して下さっていますが、あえてその中から相対的に理由としては大きかったろうというのを挙げるとやはり、1996年に開業したJR神戸線の「甲南山手」駅開業によって利用者がさらわれるのを恐れ、特急を停車させて沿線住民を囲い込もうとしたことと、甲南大学の学生を利用者として当て込んだことがあったようだ、とのことでした。特急停車には六甲がふさわしいようにも思いますが、三宮から近すぎる、ラッシュ時は10両編成を組むこともある特急を止めるにはホーム長さが不足している、緩急接続できるホーム構造ではないなどの理由で見送られてしまったのかもしれません。などと偉そうに講釈していますが、これらはすべて、社内にたまたまいた事情通からの受け売り。私自身は山側の阪急神戸線には一度も乗ったことはないのです。阪神間の移動で利用するのは大概青春18きっぷや周遊券・周遊きっぷなどで乗れるJR神戸線の新快速か、阪神電車(関西では私鉄のことを「電車」と言うのですよね?!)です。その阪神も、明石から尼崎までの移動で直通特急に色気を出して乗ったら、手持ちのスルっと関西が瞬殺されて懲りてしまって以降は乗っていません(汗)。
[39037] 2005年 3月 28日(月)09:24:12スナフキん さん
大井町長、リコール不成立?
不確定な情報で申し訳ありませんが、駅前で配っていた他人のチラシを横目で見たら、こんなタイトル(もちろん「?」はないですけど)が踊っていました。署名の数自体は有効数を満たしていたのはすでに書き込んだ通りですが、選挙管理委員会での審査の結果、何らかの不備が発覚したのかこのような結果になったようです。まあ、リコールが成立しようがしまいが、もはや県への合併届け出を済ませてしまった「上福岡+大井=ふじみ野」の枠組みが崩れることは、ほとんど考えられないのですが。

以上、盗み見(汗)した情報まで。プレスによる情報でも出ない限り、合併情報への反映はやめた方がいいと思います>でるでるさん
[38874] 2005年 3月 23日(水)13:11:25スナフキん さん
いろいろレスっぽいもの
昨日は、病欠により自宅でうなされてました。いやぁ、下る下る(食事時に、スミマセン)。本来ならこの連休を挟んで合併がわんさかあり、自分のデータも直さなきゃいけないのですが、抱えている路線図作成が滞っていて、手がつけられません、ひ~。

20日には何やら九州で規模の大きな地震があったようですね。この事実、実は駅で待ち合わせていた人のうわさ話から第一報を知りました。この日は一日中ずっと某駅でおバカなことをしてまして、寒さにやられて風邪っぴきになって、昨日の病欠に陥った次第です。自分で「おバカ」と分かっていて、体にも悪そうなことを承知の上でやっているのだから自業自得ですが…。自分の体をむしばんでまでやったことは、ほどなく自分のページでその成果を公開することになろうかと思います。ひまな「鉄」な方々はちょっと覗いてみると面白いかも。

コンビニのお話。今はもう遠ざかっていますが、一時期地図にしこたまコンビニを落とす仕事をしていたことがありました。その当時は、スパーが「カスミ」系(かすみさんとは関係ありませんで、茨城地盤の中堅マーケットです)でしたが、その後経営環境が思わしくなくなって今はどうなったんだか…。あのとき調べたら、スリーエフは確か「Fuji」系(これもテレビ局ではありませんで、神奈川県下に主に展開するマーケットです)ではなかったかな? 神奈川県の方々、フォローお願いします。ポプラの存在は、東日本に住まう者にとって斬新でしたね。ただ、ロゴがちと「スパー」に似ているのかな? と。名古屋~近畿地盤の「ココストア」「ココグルメ」はもっとビックリしました。看板地色がピンク色で「CoCo!」でしたし…。そう言えば、以前の住まいにほど近い場所に、どういう訳かセイコーマートが立地していました(今もあるはずです)。埼玉県在住でありながら、最寄りのコンビニが北海道最有力の「セイコーマート」なんでだろ~。サンクスとサークルKが提携したのも、この仕事を終えた後の話でした。その時は「サンクルK」(苦笑)とかに名前を変えるのかと思いきや、単なる業務提携だけで名称はそのままでした。サンエブリーとヤマザキデイリーを統合してしまったヤマザキグループのコンビニとは温度差を感じます。ampm、確か最近ジャパンエナジーの手を離れてしまったのですよね。それでフローズンとれたて弁当をやめたりしたらひんしゅくモノでしたが、継続してくれています。ただ、出店方針が微妙に変わってきているみたいですね>かすみさん

かように、コンビニを資本関係の切り口で突っ込んで調べてみるとなかなかそれはそれで面白いものです。石川県にセブンイレブンがないそうですが、アピタ・ユニーの息がかかったサンクス・サークルKが強いせいかな? だとすれば、商業的影響はやはり名古屋からもたらされているのか?! など、考え出すと止まりません。そう言う意味で、うちの近くにあったセイコーマートは余計に謎な訳です。

みなとみらい線の売店ですが、これは横浜高速鉄道KKが入札を行った結果、各駅の業者が異なってしまったというのが真相なのだそうですよ。その中には確かJRさんも入っていましたし、東急・京急・相鉄あたりが取り合いをしたらしいとか。売店の品揃えを見ると、業者が自然と分かるみたいです。如実なのはパスネットの柄揃えでしょうかね?

病み上がりで支離滅裂な文章になってしまいました、ゴメンナサイ。
[38664] 2005年 3月 17日(木)09:48:07【1】スナフキん さん
踏切の話
[38634]special-weekさん
西新井の工場踏切
ここ、今ではどうなったでしょうね? と言うのも、東武の西新井工場は昨年2004年春に閉鎖されて機能が停止したはずなのです。で、今までやっていた仕事は、より郊外(西新井を「郊外」と見る向きもあるようなので、あえてこの表現にしました)の南栗橋(一部機能は館林)に移転してしまったようです。いつだかこの脇を通りかかった際、今までの大きな建物が重機のご馳走(?)になっているのを見てショックを受けた記憶があり、現時点では工場跡地は更地になっているものと思われます。当然引き込んでいた線路も剥がされているはずで、踏切の存在自体がアヤしいです…。

[38644]N-Hさん
子供の頃、父につれられて踏切見物に行くのが私のレジャーだったそうです。記憶にないほど小さい頃ですけど。
私も全く同じ生い立ちを経た一人です(汗)。ただ、連れられていたのが祖父(すでに他界して20年以上になります)だったこと、踏切の場所は私の育った場所ではなく生まれた場所であり、年に何度も行く場所ではなかったことが違っていますけど。船川に帰省する楽しみの一つが、船川港貨物駅での石油貨物列車の入れ換えを見ることだったようです。ちょうど列車の進行方向が変わる場所に踏切がありまして、入れ換え中は事実上開かずの踏切となり市民からは不評(それでも、都心近辺での状況に比べれば全然大したことはないです)だったみたいですが、私はその間が楽しくて仕方がなかったみたいです。だから、今でも貨物列車や機関車を見るとゾクゾクしたりします。一方、慣れ親しんだ船川港駅は小坂駅からの濃硫酸輸送・脇本からの申川油田原油輸送が自動車に切り替わったこと、大荷主であった船川日鉱(→ジャパンエナジー船川事業所)が閉鎖を決めたことから取扱量が激減し、数年前に貨物駅としての機能が停止され、今では踏切は撤去、道路が拡幅されて踏切の景観は過去のものとなりました。

[38659]まかいのさん
高架化事業されていないのは伊勢崎線の竹ノ塚あたりだけですね。やはり構造的に難しいのでしょうかね。
となりに超地元の同僚がいるので話を聞いてみると、どうも地元の反対、それも商店街の反対があったようです。構造上線路が4本もあるという事情以外にも、南側には当時の営団が東武から譲り受けた竹ノ塚の車両基地があり、ここへ出入りする列車が極度の徐行運転を強いられること、外側の線路を走る列車(=準急・区間準急等)は草加または越谷でそれより上の優等列車に道を譲るダイヤを余儀なくされているため、下り列車は逃げ、上り列車は追いかけの格好になって、必然的に前後が直線の竹ノ塚付近はどの通過列車も軒並みトップスピードで駆け抜けざるをえない、などの事情が複雑に絡み合って、以前から竹ノ塚前後の踏切はその危険性が指摘されていたはずなのですが…。その指摘が活きなかったことになります。

ちなみに、西新井駅も高架化されていません(橋上駅舎ではありますが)。ただ、西新井の前後は逆に交差する側の道路を徹底的に立体構造にした結果踏切は全廃となっており、北千住~北越谷の私鉄最長の複々線区間で踏切があるのはこの竹ノ塚前後の2ヶ所のみであることには違いありません。
[38522] 2005年 3月 12日(土)21:07:49スナフキん さん
霧と強風と高速バスと…(汗)
[38508]白桃さん
今の安芸高田市近辺の小盆地群の朝霧も有名なようですが、
私がよく知っているのは、安芸高田市と言うより、三次市です。確か駅の跨線橋に「霧と鵜飼いのまち」とかなんとか書いてあったように記憶しています。私も何度か訪れたうちの1度、モーレツな濃霧に見舞われたことがあります。広島行の急行「たいしゃく」がちゃんと動くのか気を揉む私をよそに、ユースホステルのオーナーはのんきなもので、「霧が濃ければ濃いほどその日はよく晴れる」ってな趣旨の言葉を広島弁で語っていました。そしてその日は本当にその通りの上天気になり、原爆ドーム~平和記念館~三段峡と巡る間、ほとんど雲一つありませんでした。そしてその晩、先日長い歴史にピリオドを打った「あさかぜ」のA個室寝台に乗ったのでありました…。

昨日の霧は埼玉でもひどかったようで、私が帰宅した直後から電車のダイヤが乱れ始めたようですし、その影響は今朝にまで引きずった模様です。方や今日日中はと言えば、折から吹き始めた強風で遠景はセピア色になってしまう有様。それでも、午前中は見えていなかった北関東の山々、筑波山や日光男体山、上州赤城山などは強風が雲を飛ばしてくれて、見え始めました。明日はもっと、近くでよく見えればいいなと思いながら…両毛人さん、私信で申し訳ないですが明日はいろいろ厄介になります、よろしくお願いします。

全然話題は別件ですが…
[38519]EMMさん
今回は日本中央バスの金沢-さいたま・東京便に乗ってみました。
うわぁ、あまりのタイムリーぶりに仰天。実はその、霧が濃くなった金曜の夜、帰宅する際に勤務先近くでこのバスの逆便、金沢行を目撃しました。日本中央バスが群馬の会社である予備知識はあったので、東京と金沢を結ぶのに、どうして日本中央なの? と至極当たり前の疑問が沸いたまま、地下鉄に乗り込んだのですが…
東京の板橋に東京営業所があるから
だったのですね、納得です。

それにしても日本中央だなんて、随分「大きな」名前ですよねぇ。私はつい最近まで、日本交通と日の丸自動車、日本中央バス、さらにはそれに輪をかけて日本急行バスとも区別がなかなかつかなくて困っていました(大汗)。今でも日本交通・日の丸という何だかちょっと仰々しさを感じる名前のバス会社が、どうして鳥取・島根に路線網を持っているのか分からないでいます。周りのバス好きの知り合いに感化される形で、最近はバスにも興味を持ち始めており、その知り合いとはこの夏までに、絶対にメガライナーに乗ってやる!宣言をしたりしています。つくばエクスプレス開業後はどうなるか分からない、なんて言われてますからね、あのマンモスバス。
[38386] 2005年 3月 7日(月)15:34:37スナフキん さん
Re: 奥出雲町
3時のコーヒーブレイクです。まだおてんとう様は輝いているのに、どういうわけかキンキラパッケージの「真夜中のお菓子」を食べてます(大汗)。

[38376]M.K.さんほか、みなさま(はしょっちゃった方々、すみません)
奥出雲町の急展開、私もビックリです。週明け早々、書き足さねばならなくなった原本類が多くて汗をかきました。私もここに至るまでの協議状況から察するに、合併期日の延期は必至だろうと思い込んでいたクチです。町の名称や事務所位置などでかなりもめていたのが伝わってきており、それがまさかこの1ヶ月足らずの間にゴーするとは…。「拙速」と言われぬよう、手続きはきちっと踏んでもらいたいです。もちろん今回のケースは直前告示となることが確実なので、私どもでは大いに「フライング」しなければならないのは言うまでもないのですが、作業者としての立場から言えば、もう少し余裕が欲しかったです。
[38380] 2005年 3月 7日(月)09:38:10スナフキん さん
自分で地図を描くということ
皆さんの話を伺っていて、そう言えば自分も子供の頃、画用紙に地図まがいのものを書いていたこともあったなと思い出しました。ただ、書いたもののほとんどはやはり主人公が鉄道。線路を描いて、その上を電車が走っているのです。当時はまだ地理的興味よりも圧倒的に鉄道への興味が強かった何よりの証拠で、その後高校の頃まではずっと鉄道業に従事したい夢を持ち続けることとなりました。私が地理・地図学的方向へ開眼するようになったのは、本当にごく最近。その導入を助けたのは、やっぱり鉄道、汽車旅であったろうなと今でも思います。

ネットで知り合った人に、普段はドリフネタやタイムボカンネタで大笑いする車掌さんがいます。そんな人でも、いざ乗務に立ち会ってみると「かっこいい」んですよね。自分が子供の頃から長いことあこがれていた仕事を活き活きとやっている姿が、私にはそう映るのかも知れません。好きで仕事している人の姿って、あこがれている人にとってはどんな仕事であっても「かっこいい」ものなのでしょう。自分の姿を鏡写しにしてみて、他人から多分そうは思われていないんだろうなぁ、なんて考えたりもします。あまりプロ意識とかなしに日頃の仕事をこなしてますし、書店に自社の地図が出ていて、うわ、これ自分がやったんだ、いかんいかんなどと思っているくらいですから…学生の皆さん、こんな自覚のない社会人はダメですよ(大汗)。

思い返してみると、仕事で地図を作るのは当たり前で、毎日接するのも当然なのですが、自分の手で、ハンドメイドの地図を描くという作業は、実はと~んとご無沙汰しています。それだけデジタル編集が幅を利かせているということなのですが、たまには自分の思うがままにペンを走らせて紙に図を起こすこともしたいものです。そういう勘が鈍ってしまいそうなのが怖いので…。


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