[38634]special-weekさん
西新井の工場踏切
ここ、今ではどうなったでしょうね? と言うのも、東武の西新井工場は昨年2004年春に閉鎖されて機能が停止したはずなのです。で、今までやっていた仕事は、より郊外(西新井を「郊外」と見る向きもあるようなので、あえてこの表現にしました)の南栗橋(一部機能は館林)に移転してしまったようです。いつだかこの脇を通りかかった際、今までの大きな建物が重機のご馳走(?)になっているのを見てショックを受けた記憶があり、現時点では工場跡地は更地になっているものと思われます。当然引き込んでいた線路も剥がされているはずで、踏切の存在自体がアヤしいです…。
[38644]N-Hさん
子供の頃、父につれられて踏切見物に行くのが私のレジャーだったそうです。記憶にないほど小さい頃ですけど。
私も全く同じ生い立ちを経た一人です(汗)。ただ、連れられていたのが祖父(すでに他界して20年以上になります)だったこと、踏切の場所は私の育った場所ではなく生まれた場所であり、年に何度も行く場所ではなかったことが違っていますけど。船川に帰省する楽しみの一つが、船川港貨物駅での石油貨物列車の入れ換えを見ることだったようです。ちょうど列車の進行方向が変わる場所に踏切がありまして、入れ換え中は事実上開かずの踏切となり市民からは不評(それでも、都心近辺での状況に比べれば全然大したことはないです)だったみたいですが、私はその間が楽しくて仕方がなかったみたいです。だから、今でも貨物列車や機関車を見るとゾクゾクしたりします。一方、慣れ親しんだ船川港駅は小坂駅からの濃硫酸輸送・脇本からの申川油田原油輸送が自動車に切り替わったこと、大荷主であった船川日鉱(→ジャパンエナジー船川事業所)が閉鎖を決めたことから取扱量が激減し、数年前に貨物駅としての機能が停止され、今では踏切は撤去、道路が拡幅されて踏切の景観は過去のものとなりました。
[38659]まかいのさん
高架化事業されていないのは伊勢崎線の竹ノ塚あたりだけですね。やはり構造的に難しいのでしょうかね。
となりに超地元の同僚がいるので話を聞いてみると、どうも地元の反対、それも商店街の反対があったようです。構造上線路が4本もあるという事情以外にも、南側には当時の営団が東武から譲り受けた竹ノ塚の車両基地があり、ここへ出入りする列車が極度の徐行運転を強いられること、外側の線路を走る列車(=準急・区間準急等)は草加または越谷でそれより上の優等列車に道を譲るダイヤを余儀なくされているため、下り列車は逃げ、上り列車は追いかけの格好になって、必然的に前後が直線の竹ノ塚付近はどの通過列車も軒並みトップスピードで駆け抜けざるをえない、などの事情が複雑に絡み合って、以前から竹ノ塚前後の踏切はその危険性が指摘されていたはずなのですが…。その指摘が活きなかったことになります。
ちなみに、西新井駅も高架化されていません(橋上駅舎ではありますが)。ただ、西新井の前後は逆に交差する側の道路を徹底的に立体構造にした結果踏切は全廃となっており、北千住~北越谷の私鉄最長の複々線区間で踏切があるのはこの竹ノ塚前後の2ヶ所のみであることには違いありません。