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[39364] 2005年 4月 4日(月)14:04:30スナフキん さん
上福岡について
…と申しましても、先頃話題を集めました駅の由来絡みの話題ではありません。私自身にもっと学があって、書き込む知識を身につけていればもっといろいろ論じることができたのでしょうが、残念ながらそういった書き込みをするだけの「何か」がなくて…本来ならもっとも議論に加われるはずの居住者でありながら話題に乗れないという悲しい状況です。下手に何か書こうとすると私の今の知識では「ガセ」になりかねないので、本話題に関しては私からの書き込みは控えておきます。

全然別件で、週末に市報が手元へ届きました。団地の旧住居跡地に移管公園として建設された中規模都市公園である「西中央公園」(この名称も何だかおかしな感じですが)のオープン記事が掲載されていましたが、それ以上に私の目に止まったのは同封されていた協議会だより。どうも年度末の3月31日をもって、全合併協議の終了を理由に法定合併協議会が解散になったようです。ただ、協議会だよりの奥付は4月1日ですが、内容の編集は事実上旧年度中に行われているはずで、各市町議会の承認の有無は確認できていません。記述の内容はあくまでも「協議会として解散を承認」というものでした。協議会のホームページも悠長なもので、その辺りに関する記述がちっとも更新されていません。もっとも、市町議会が協議会解散に反対するだけの正当な理由は見つからないので、恐らくは承認通り解散されたのだと思います。「円満解決」による解散って、新聞記事などメディアネタになりにくそうですね、裏付けが取りずらそうですが、でるでるさんにこの情報に関する取り扱いの判断はお任せします(無責任でスミマセン)。
[39298] 2005年 4月 2日(土)22:48:13スナフキん さん
私も年度変わりのデータ更新を…
肝心の4月1日は、某駅で19時間の過酷な調査(汗)に明け暮れていましたが、明けて本日、関連するデータの更新をすべて終えて、先ほど自分のページにアップしました。年度の変わり目を契機に、ページタイトルまでいじってしまいましたが。あぁ、週明けには勤務先の楽しい楽しいデータ更新が待っています…(泣)

この3~4月にかけて、全駅データ9200余りのうち所在地情報に何らかの変更が発生した件数はおよそ450。全駅数のほぼ5%に相当します。もっともこの数字は実際に変更した数字であって、市町村合併はあったものの結果的に変更する必要のなかったレコードも含めると、もっと数字は大きくなるはずです。この5%という数字、データの内容やその変化した期間を考え合わせると、かなり大きな数字に私は思うのですが皆さんはどう捉えられるでしょうか。

それ以上に、今回の更新では駅そのもののデータが路線の廃止などに伴って、80件以上失われてしまいました。結果、全駅のレコード数は9200台を割り込んでしまうに至りました。今回の3路線はいずれも私鉄であり、しかも名鉄の各路線はどれも事実上の路面電車で駅数が相対的に多かったという事情が、レコードの欠損を多くさせてしまった一つの要因ではあるのです。しかし、路線別に失われた駅の数をカウントしていくと、のと鉄道能登線の30が大きく効いてきます。距離にしてもいっきに60kmほどが年度を越えずに消滅したことになり、地方における鉄道需要は落ち込んでいく一方なのかなと、データをメンテしていて悲しくなってきます。これほどごっそり路線がまるまるなくなるのは、北海道の深名線以来なのではないでしょうか(可部線は、ごく一部ですが残存しましたので除外しました)。来年のこの時期には、これを上回る距離を有する北海道ちほく高原鉄道が、事実上のギブアップ宣言をしています。地図上において、スミ色の注記に引っかかっていたスミ色の鉄道線をプツプツ切る作業、今後は少なくなっていくのかもしれません。きわめて面倒な作業ですが、いざなくなるとなると寂しい気がします。
[39126] 2005年 3月 30日(水)10:50:07スナフキん さん
雲州平田駅が誕生していた!
最近はどうも鉄道絡みの仕事が多いのですが、今朝になって(今更ですが)出雲市の合併に伴って一畑電気鉄道の平田市駅が、なんと雲州平田駅に改称していたことに気がついて大汗をかいています。合併ラッシュではどうしても合併することそのものに目がいってしまうので、市の名前を駅名に使っていた平田市駅の存在を目に留めることはほとんどありませんでした。ちょっとプロとしては恥ずかしいですが、伊賀市の時の上野市駅はあれほど気にしていたのに今回はいともあっさりスルーしてしまったのは、やはり自分に余裕がなかったのかなと反省したりしています。今月はたまたま市の代表駅を気にしてJTB時刻表を買っていたため、路線図の欄外注から情報を拾うことができましたが、JR時刻表の路線図では先月号から黙って何の注釈もなく突然変更されてしまいました。本文にはニュースとして載っていましたが、ちょっと不親切です。いや、他メディアのせいにするのは卑怯ですね、自分たちが気にしなかったのがすべていけないのですから…。多忙でどこかにしわ寄せがきちゃうという事態、なるべくならそうなってほしくなかったのですが…なってしまいました、何と地図屋の悲しきことよ(涙)。

それにしても、「雲州」を冠する駅名は、初ですね。「出雲」なら周りにいくらでも点在していますが、これにならって「出雲平田」では出雲市に吸収されたイメージがつくと忌み嫌われたのでしょうか。旧国名を「州」の字で表して駅名に付す手法は、直接旧国名を冠するものに比べると数の上ではずっと少数で、逆に新鮮な感じがします。
[39079] 2005年 3月 29日(火)13:29:58スナフキん さん
びっくりな地図と、岡本駅のこと
[39073]special-weekさんご指摘の地図、見てみてびっくりしました。書き込みを見ただけでは、単なるオフザケか架空の話かと思いきや、大まじめに高崎市の解説をしており、現実世界の説明地図と分かって2度びっくりです。びっくり、と言うよりも、がっかりでしょうか。地図が軽んじられているような印象を受けますね。解説本文がかっちりした文章なだけに、図版の校正はしっかりやったんだろうかと疑問を持ちたくもなります。

[39045]で白桃さんが疑問を持たれた阪急岡本駅の特急停車、震災復興が一段落した後の改正で突如、普通のみの停車から階級特進した模様です。阪急と神戸に詳しい(?)社内の人間に尋ねたところ、やはり突出した理由はなく、それが故に利用者からの評判はボコスコだったそうです(今はどうなのかな?)。[39065]でEMMさんがその理由ではないかと思われる事柄を列記して下さっていますが、あえてその中から相対的に理由としては大きかったろうというのを挙げるとやはり、1996年に開業したJR神戸線の「甲南山手」駅開業によって利用者がさらわれるのを恐れ、特急を停車させて沿線住民を囲い込もうとしたことと、甲南大学の学生を利用者として当て込んだことがあったようだ、とのことでした。特急停車には六甲がふさわしいようにも思いますが、三宮から近すぎる、ラッシュ時は10両編成を組むこともある特急を止めるにはホーム長さが不足している、緩急接続できるホーム構造ではないなどの理由で見送られてしまったのかもしれません。などと偉そうに講釈していますが、これらはすべて、社内にたまたまいた事情通からの受け売り。私自身は山側の阪急神戸線には一度も乗ったことはないのです。阪神間の移動で利用するのは大概青春18きっぷや周遊券・周遊きっぷなどで乗れるJR神戸線の新快速か、阪神電車(関西では私鉄のことを「電車」と言うのですよね?!)です。その阪神も、明石から尼崎までの移動で直通特急に色気を出して乗ったら、手持ちのスルっと関西が瞬殺されて懲りてしまって以降は乗っていません(汗)。
[39037] 2005年 3月 28日(月)09:24:12スナフキん さん
大井町長、リコール不成立?
不確定な情報で申し訳ありませんが、駅前で配っていた他人のチラシを横目で見たら、こんなタイトル(もちろん「?」はないですけど)が踊っていました。署名の数自体は有効数を満たしていたのはすでに書き込んだ通りですが、選挙管理委員会での審査の結果、何らかの不備が発覚したのかこのような結果になったようです。まあ、リコールが成立しようがしまいが、もはや県への合併届け出を済ませてしまった「上福岡+大井=ふじみ野」の枠組みが崩れることは、ほとんど考えられないのですが。

以上、盗み見(汗)した情報まで。プレスによる情報でも出ない限り、合併情報への反映はやめた方がいいと思います>でるでるさん
[38874] 2005年 3月 23日(水)13:11:25スナフキん さん
いろいろレスっぽいもの
昨日は、病欠により自宅でうなされてました。いやぁ、下る下る(食事時に、スミマセン)。本来ならこの連休を挟んで合併がわんさかあり、自分のデータも直さなきゃいけないのですが、抱えている路線図作成が滞っていて、手がつけられません、ひ~。

20日には何やら九州で規模の大きな地震があったようですね。この事実、実は駅で待ち合わせていた人のうわさ話から第一報を知りました。この日は一日中ずっと某駅でおバカなことをしてまして、寒さにやられて風邪っぴきになって、昨日の病欠に陥った次第です。自分で「おバカ」と分かっていて、体にも悪そうなことを承知の上でやっているのだから自業自得ですが…。自分の体をむしばんでまでやったことは、ほどなく自分のページでその成果を公開することになろうかと思います。ひまな「鉄」な方々はちょっと覗いてみると面白いかも。

コンビニのお話。今はもう遠ざかっていますが、一時期地図にしこたまコンビニを落とす仕事をしていたことがありました。その当時は、スパーが「カスミ」系(かすみさんとは関係ありませんで、茨城地盤の中堅マーケットです)でしたが、その後経営環境が思わしくなくなって今はどうなったんだか…。あのとき調べたら、スリーエフは確か「Fuji」系(これもテレビ局ではありませんで、神奈川県下に主に展開するマーケットです)ではなかったかな? 神奈川県の方々、フォローお願いします。ポプラの存在は、東日本に住まう者にとって斬新でしたね。ただ、ロゴがちと「スパー」に似ているのかな? と。名古屋~近畿地盤の「ココストア」「ココグルメ」はもっとビックリしました。看板地色がピンク色で「CoCo!」でしたし…。そう言えば、以前の住まいにほど近い場所に、どういう訳かセイコーマートが立地していました(今もあるはずです)。埼玉県在住でありながら、最寄りのコンビニが北海道最有力の「セイコーマート」なんでだろ~。サンクスとサークルKが提携したのも、この仕事を終えた後の話でした。その時は「サンクルK」(苦笑)とかに名前を変えるのかと思いきや、単なる業務提携だけで名称はそのままでした。サンエブリーとヤマザキデイリーを統合してしまったヤマザキグループのコンビニとは温度差を感じます。ampm、確か最近ジャパンエナジーの手を離れてしまったのですよね。それでフローズンとれたて弁当をやめたりしたらひんしゅくモノでしたが、継続してくれています。ただ、出店方針が微妙に変わってきているみたいですね>かすみさん

かように、コンビニを資本関係の切り口で突っ込んで調べてみるとなかなかそれはそれで面白いものです。石川県にセブンイレブンがないそうですが、アピタ・ユニーの息がかかったサンクス・サークルKが強いせいかな? だとすれば、商業的影響はやはり名古屋からもたらされているのか?! など、考え出すと止まりません。そう言う意味で、うちの近くにあったセイコーマートは余計に謎な訳です。

みなとみらい線の売店ですが、これは横浜高速鉄道KKが入札を行った結果、各駅の業者が異なってしまったというのが真相なのだそうですよ。その中には確かJRさんも入っていましたし、東急・京急・相鉄あたりが取り合いをしたらしいとか。売店の品揃えを見ると、業者が自然と分かるみたいです。如実なのはパスネットの柄揃えでしょうかね?

病み上がりで支離滅裂な文章になってしまいました、ゴメンナサイ。
[38664] 2005年 3月 17日(木)09:48:07【1】スナフキん さん
踏切の話
[38634]special-weekさん
西新井の工場踏切
ここ、今ではどうなったでしょうね? と言うのも、東武の西新井工場は昨年2004年春に閉鎖されて機能が停止したはずなのです。で、今までやっていた仕事は、より郊外(西新井を「郊外」と見る向きもあるようなので、あえてこの表現にしました)の南栗橋(一部機能は館林)に移転してしまったようです。いつだかこの脇を通りかかった際、今までの大きな建物が重機のご馳走(?)になっているのを見てショックを受けた記憶があり、現時点では工場跡地は更地になっているものと思われます。当然引き込んでいた線路も剥がされているはずで、踏切の存在自体がアヤしいです…。

[38644]N-Hさん
子供の頃、父につれられて踏切見物に行くのが私のレジャーだったそうです。記憶にないほど小さい頃ですけど。
私も全く同じ生い立ちを経た一人です(汗)。ただ、連れられていたのが祖父(すでに他界して20年以上になります)だったこと、踏切の場所は私の育った場所ではなく生まれた場所であり、年に何度も行く場所ではなかったことが違っていますけど。船川に帰省する楽しみの一つが、船川港貨物駅での石油貨物列車の入れ換えを見ることだったようです。ちょうど列車の進行方向が変わる場所に踏切がありまして、入れ換え中は事実上開かずの踏切となり市民からは不評(それでも、都心近辺での状況に比べれば全然大したことはないです)だったみたいですが、私はその間が楽しくて仕方がなかったみたいです。だから、今でも貨物列車や機関車を見るとゾクゾクしたりします。一方、慣れ親しんだ船川港駅は小坂駅からの濃硫酸輸送・脇本からの申川油田原油輸送が自動車に切り替わったこと、大荷主であった船川日鉱(→ジャパンエナジー船川事業所)が閉鎖を決めたことから取扱量が激減し、数年前に貨物駅としての機能が停止され、今では踏切は撤去、道路が拡幅されて踏切の景観は過去のものとなりました。

[38659]まかいのさん
高架化事業されていないのは伊勢崎線の竹ノ塚あたりだけですね。やはり構造的に難しいのでしょうかね。
となりに超地元の同僚がいるので話を聞いてみると、どうも地元の反対、それも商店街の反対があったようです。構造上線路が4本もあるという事情以外にも、南側には当時の営団が東武から譲り受けた竹ノ塚の車両基地があり、ここへ出入りする列車が極度の徐行運転を強いられること、外側の線路を走る列車(=準急・区間準急等)は草加または越谷でそれより上の優等列車に道を譲るダイヤを余儀なくされているため、下り列車は逃げ、上り列車は追いかけの格好になって、必然的に前後が直線の竹ノ塚付近はどの通過列車も軒並みトップスピードで駆け抜けざるをえない、などの事情が複雑に絡み合って、以前から竹ノ塚前後の踏切はその危険性が指摘されていたはずなのですが…。その指摘が活きなかったことになります。

ちなみに、西新井駅も高架化されていません(橋上駅舎ではありますが)。ただ、西新井の前後は逆に交差する側の道路を徹底的に立体構造にした結果踏切は全廃となっており、北千住~北越谷の私鉄最長の複々線区間で踏切があるのはこの竹ノ塚前後の2ヶ所のみであることには違いありません。
[38522] 2005年 3月 12日(土)21:07:49スナフキん さん
霧と強風と高速バスと…(汗)
[38508]白桃さん
今の安芸高田市近辺の小盆地群の朝霧も有名なようですが、
私がよく知っているのは、安芸高田市と言うより、三次市です。確か駅の跨線橋に「霧と鵜飼いのまち」とかなんとか書いてあったように記憶しています。私も何度か訪れたうちの1度、モーレツな濃霧に見舞われたことがあります。広島行の急行「たいしゃく」がちゃんと動くのか気を揉む私をよそに、ユースホステルのオーナーはのんきなもので、「霧が濃ければ濃いほどその日はよく晴れる」ってな趣旨の言葉を広島弁で語っていました。そしてその日は本当にその通りの上天気になり、原爆ドーム~平和記念館~三段峡と巡る間、ほとんど雲一つありませんでした。そしてその晩、先日長い歴史にピリオドを打った「あさかぜ」のA個室寝台に乗ったのでありました…。

昨日の霧は埼玉でもひどかったようで、私が帰宅した直後から電車のダイヤが乱れ始めたようですし、その影響は今朝にまで引きずった模様です。方や今日日中はと言えば、折から吹き始めた強風で遠景はセピア色になってしまう有様。それでも、午前中は見えていなかった北関東の山々、筑波山や日光男体山、上州赤城山などは強風が雲を飛ばしてくれて、見え始めました。明日はもっと、近くでよく見えればいいなと思いながら…両毛人さん、私信で申し訳ないですが明日はいろいろ厄介になります、よろしくお願いします。

全然話題は別件ですが…
[38519]EMMさん
今回は日本中央バスの金沢-さいたま・東京便に乗ってみました。
うわぁ、あまりのタイムリーぶりに仰天。実はその、霧が濃くなった金曜の夜、帰宅する際に勤務先近くでこのバスの逆便、金沢行を目撃しました。日本中央バスが群馬の会社である予備知識はあったので、東京と金沢を結ぶのに、どうして日本中央なの? と至極当たり前の疑問が沸いたまま、地下鉄に乗り込んだのですが…
東京の板橋に東京営業所があるから
だったのですね、納得です。

それにしても日本中央だなんて、随分「大きな」名前ですよねぇ。私はつい最近まで、日本交通と日の丸自動車、日本中央バス、さらにはそれに輪をかけて日本急行バスとも区別がなかなかつかなくて困っていました(大汗)。今でも日本交通・日の丸という何だかちょっと仰々しさを感じる名前のバス会社が、どうして鳥取・島根に路線網を持っているのか分からないでいます。周りのバス好きの知り合いに感化される形で、最近はバスにも興味を持ち始めており、その知り合いとはこの夏までに、絶対にメガライナーに乗ってやる!宣言をしたりしています。つくばエクスプレス開業後はどうなるか分からない、なんて言われてますからね、あのマンモスバス。
[38386] 2005年 3月 7日(月)15:34:37スナフキん さん
Re: 奥出雲町
3時のコーヒーブレイクです。まだおてんとう様は輝いているのに、どういうわけかキンキラパッケージの「真夜中のお菓子」を食べてます(大汗)。

[38376]M.K.さんほか、みなさま(はしょっちゃった方々、すみません)
奥出雲町の急展開、私もビックリです。週明け早々、書き足さねばならなくなった原本類が多くて汗をかきました。私もここに至るまでの協議状況から察するに、合併期日の延期は必至だろうと思い込んでいたクチです。町の名称や事務所位置などでかなりもめていたのが伝わってきており、それがまさかこの1ヶ月足らずの間にゴーするとは…。「拙速」と言われぬよう、手続きはきちっと踏んでもらいたいです。もちろん今回のケースは直前告示となることが確実なので、私どもでは大いに「フライング」しなければならないのは言うまでもないのですが、作業者としての立場から言えば、もう少し余裕が欲しかったです。
[38380] 2005年 3月 7日(月)09:38:10スナフキん さん
自分で地図を描くということ
皆さんの話を伺っていて、そう言えば自分も子供の頃、画用紙に地図まがいのものを書いていたこともあったなと思い出しました。ただ、書いたもののほとんどはやはり主人公が鉄道。線路を描いて、その上を電車が走っているのです。当時はまだ地理的興味よりも圧倒的に鉄道への興味が強かった何よりの証拠で、その後高校の頃まではずっと鉄道業に従事したい夢を持ち続けることとなりました。私が地理・地図学的方向へ開眼するようになったのは、本当にごく最近。その導入を助けたのは、やっぱり鉄道、汽車旅であったろうなと今でも思います。

ネットで知り合った人に、普段はドリフネタやタイムボカンネタで大笑いする車掌さんがいます。そんな人でも、いざ乗務に立ち会ってみると「かっこいい」んですよね。自分が子供の頃から長いことあこがれていた仕事を活き活きとやっている姿が、私にはそう映るのかも知れません。好きで仕事している人の姿って、あこがれている人にとってはどんな仕事であっても「かっこいい」ものなのでしょう。自分の姿を鏡写しにしてみて、他人から多分そうは思われていないんだろうなぁ、なんて考えたりもします。あまりプロ意識とかなしに日頃の仕事をこなしてますし、書店に自社の地図が出ていて、うわ、これ自分がやったんだ、いかんいかんなどと思っているくらいですから…学生の皆さん、こんな自覚のない社会人はダメですよ(大汗)。

思い返してみると、仕事で地図を作るのは当たり前で、毎日接するのも当然なのですが、自分の手で、ハンドメイドの地図を描くという作業は、実はと~んとご無沙汰しています。それだけデジタル編集が幅を利かせているということなのですが、たまには自分の思うがままにペンを走らせて紙に図を起こすこともしたいものです。そういう勘が鈍ってしまいそうなのが怖いので…。
[38221] 2005年 3月 2日(水)09:49:10スナフキん さん
社会科のこと
[38144]ゆうさん
学校で学ぶことのうち、社会生活を送るために「必須」である事柄ってそんなに多くはないと思うんです。
そうですよね、よくよく考えたら社会に限らず、学校での教科のほとんどがそういう側面を持っています。ただ、「本人次第」に甘えると、結局何もそれ以上しなくたっていいじゃないかで終わってしまい、そこから何かが膨らんでいくということがなくなってしまいます。たぶん、昨今叫ばれている各教科における「学力低下」も、根底にこのあたりの事情が絡んできそうに思えますが…。

私は、高校時代に地理科からは冷遇されていました。1年次は政治経済、2年次は世界史、3年次は日本史必修で地理選択がようやくできたという状況でした。3年になるまでは地理専属教員がゼロだったことがもろに響いた格好で、3年次に地理を履修する機会がなければ独学で受験に望まざるを得なくなるところでした。逆にこの極端な冷遇ぶりが、地理学科への向学意欲をかき立てたのかもしれませんが。

地理が身近になるには、やっぱり小さい頃からの興味が重要だと考えます。私などは親の田舎である秋田へ車で帰省する際(当時は盛岡ICから延々下道を通り、仙岩峠~角館~協和を経て秋田入りしたものです)、「馬車軌道」があった小岩井農場が楽しみで、まだかまだかと騒ぐ自分を今はここだと親が地図で指し示して、あとこのくらいなんだ…こんなことから地図・地理への接触が始まったように記憶しています。親が大の飛行機好きで、羽田空港に車で行く際にも何度も引っ付いて、それこそ車載の道路地図を親が道が不案内だから見せろというまで、自分で見ながら首都高速を走った思い出もあります。だから、たぶん幼稚園の頃から「三宅坂」が読めて周りを驚かせたのだろうなと(笑)。母親は山登りの経験がありましたが、たぶん両親共にまさか自分がこんな地理ヲタになるとは当時は思っていなかったでしょうね。そんなことを考えると、小さい子供が見ても楽しい地図の存在がもっとあっていいのかもしれません。私のように既存の道路地図を見て楽しめる子供の方がむしろ奇特なわけでして(大汗)、初めて地図に接する子供にも触れやすいものって意外に日本には少ないように思います。手前味噌というか宣伝になってしまいますけど、この春に我が社が協力して、子どものための地図絵本が刊行されます。学力低下を危惧する世論から、この本がどんな評価をされるのかちょっと気になったりもします。

もっとも、現在の地理教育にも問題点はいくつもあります。文理に極端に分化した研究が増えたことは以前に少し書きましたが、言葉は悪いですけど「バカの一つ覚え」的な教育方針が相変わらずいっこうに改まらない部分もあります。その最たるものが「地形図学習」でしょうね。もちろん、地形図が地理学にとってきわめて重要なのは否定しません。けど、「そういうものだ」と教える手法がどうもよろしくない。例えば、地図記号を覚えさせるとか図式を頭に入れさせる、なんていうのは受験には必要であっても、地理学を修めるにあたってはほとんど必要のない知識です。だって、地形図の脇には絶対凡例があるわけで、分からないときはそれを参照すればよろしい。地形図から学ぶことは、記号や図式だけではなくもっといろんなことが読み解けるはずなのに、そこにまで学習が至っているとは思えない…。

こんな実話があります。ある地図制作の依頼を受けて、北が少し右へ傾いた図取りを作って提出したことがあります。クライアントが要求してきた記載内容が、最大縮尺でなるべく大きく見えるようにと方位を振る、これはごく普通の感覚だと思っていたら、クライアントから正方位(上が北)にしてくれとの要望が…。なるべく見やすく、大きく表示できるようにと主張したって聞き入れてくれません。「上が北じゃないとマズイでしょう…」その一点張りです。かくして、注記は引き出しせざるを得ない不細工な図になってしまったのでした。

こんなこともあります。同業他社からやはり制作依頼を受けたところ、記号が地形図と違うようだがという信じられない問い合わせが。地図記号なんてその図に対して決めればいいのであって、地形図の記号が絶対ではないはず、ましてや、相手は地図会社であるというのにこの有様です。

この2例がすべて地形図教育がもたらした弊害だとは言い切れないかもしれません。もっと他にいろんな事情があったかもしれない…けれど、どうも学校で教わった地形図の概念・記憶があまりにも強すぎて、このような(私からすれば)硬直化した発想が生まれている、そんな気がしてなりません。もしそうだとすれば、愚の骨頂と言わざるを得ないですね。教育改革と言葉で言うのは簡単ですが、個々の事例を見ていくとその道のりは決して平坦ではないようです。
[38137] 2005年 2月 28日(月)09:37:15スナフキん さん
大井町長リコールのその後
以前、埼玉県大井町において町長のリコール署名活動の結果、12773名分の署名が集まった旨はすでに書きました。その後、自宅にはさらに詳細を記したビラが入ってきました。私がもっと関連法律に明るければこれをかみ砕いて記すことができるのですが、残念ながらそこまで学はないので(無責任ですが)ビラの中にあった「今後の流れ」を原文のまま抜粋します。恐らくこのビラは多くの市民に事実を知らしめるためのものだと思うので、問題はないものと思います。

●2月22日 リコール署名提出(済み)
●同日から20日間以内で署名の審査終了(3月14日終了予定)
●3月15日から21日まで7日間、署名の縦覧
●3月22日 リコール本請求
●同日から60日以内に、解職投票の実施
(予想される実施日 5月15日より早い日曜日)
●町長解職の場合、解職投票日から50日以内に町長選挙
(予想される投票日 6月24日より早い日曜日)

だそうです。これが、「ふじみ野市」成立へ向けた諸手続にどれほど影響を及ぼし、また日程的に絡んでくるのかは未知数ですが、法定合併協議会の一号委員でもある人物にリコールが突きつけられているのは事実で、異常な事態には違いないと思います。

余談ですが、同日実施された埼玉県朝霞市の市長選挙は投票率がなんと20%台前半。上福岡市長選の38%でも低いと感じましたが、さらにそれを下回る数字を叩き出しています。これをみてふと、歴史から学んだことを無駄にしている人が多いなと感じました。選挙権って、先人たちが血のにじむような苦労をして勝ち得た努力のたまものであり、当然それは日本史でほとんどの学生が教えられているはずです。それをまあ、現代の人は「一定の歳になれば与えられる当然の権利」程度にしか思っていないんでしょうね。無関心を装うことは、自分たちの将来はどうなってもいいという意思表明をしているとも捉えられかねません。極端な話、選挙によって選ばれた首長から無理難題を突きつけられても、文句を言う権利はないわけです、行使すべき権利を先に放棄してしまっているのですから…。
[38116] 2005年 2月 27日(日)23:06:08スナフキん さん
上福岡市長選挙速報
市のホームページによりますと、23:00現在、開票率97.35%で

現職:9500票
新人:7200票

で、ほぼ現職候補の当選が確実な情勢です。それにしても、投票率が30%台は随分ひどい数字です。あまり関心がないのでしょうかね。投票率が低いほど、組織票を有する現職有利になる展開がそのまま開票結果に出ています。

以上、取り急ぎ速報まで。
[38081] 2005年 2月 26日(土)00:34:02スナフキん さん
ふじみ野市、合併関連情報
学問としての社会科に関して、「地図屋」のスタンスからも言いたいことはあるのですが、夜も更けてきたのでこのことは別の機会に。

日曜日は上福岡市の市長選挙投票日です。選挙運動のドサクサで、どうやら大井町で進められていた現大井町長に対するリコール運動が成立の見込み、との情報が飛び込んできました。市長選挙候補者のビラの中で紹介されていたものなので、公式な発表ではなくどれほど信用がおけるのか不明な点もあるので、合併情報に盛り込むか否かは(無責任ではありますが)でるでるさんに判断をお任せします。

ビラの内容を抜粋(一部原文改変)すると
774人の署名受任者が立ち上がり、2月19日に署名運動が締切られた時点で、成立要件である有権者の3分の1以上にあたる、1万2773名分の署名が集まり、リコールがほぼ確定の見込み
とあります。人数を一の位まで正確に記しているので、それなりの説得力がある情報ではあります。もともと、大井町では2市2町合併の際に実施された住民投票においても、成立条件だった投票率こそクリアできなかったものの、投票総数に占める反対票の割合が高かったことから伺えるように、「規模の大きい方へ吸われるような印象のある合併」には慎重な空気が世論にあったのは事実で、今回のリコール署名でも住民投票の直接請求を突っぱねた現町長へ、厳しい町民の審判が下ったと言えそうです。これで、上福岡市長選挙の結果がどう出るものか…。
[37946] 2005年 2月 19日(土)22:41:40スナフキん さん
久々の「授業」を聴講して
本日は悪天候の中、母校大学の学科創立75周年記念式典に行ってきました。こう言うと大学や学科には申し訳ないのですが、本当の目的は式典の次に行われた、今年度で定年退官される恩師の事実上の「最終講義」を聴くことにありまして、記念式典はあくまでも「ついで参加」でした。

当の先生が、一卒業生でしかない私をどれほど記憶し気にかけているかは分かりませんが、逆に私にしてみれば2年次にこの先生の実習授業を受けていなければ、今の上司に出会うことも、その上司に作図力と読図力を認められてアルバイトに誘われることも、そしてそのまま正社員として勤務することもなかったはずです。私が今現在、「地図屋」の看板を掲げられているのも、この先生との関係があってこそでした。その先生が「最後の授業」で取り上げたタイトルは「地図からの発想」…重いです、このテーマは。ことに、それをクリエイトすることを本職としている者にとっては。

講義の中で、先生は繰り返しました。「地図を見て、考えて、物事を理解することこそ、地理学なのだ」と。「地図を使わない地理学などありえない」と。当落書き帳に出入りしている皆さんは生粋の地理好きであるはずですし、ヤフーの地図に物申すほどの知識(汗)を有した方も数多いので、この点において心配することは全然ないのですが、どうしてもこのワンフレーズを皆さんに言っておきたくて、今ここでこんな文章を書いています。それが、先生の教えを受けて、地図を作るようになった自分としての最低限の役割なんじゃないかと思えました。

私は直接4年次演習(いわゆる卒論指導です)をこの先生から受けることはありませんでしたが、私が卒業して以降、先生は卒論のテーマを絞って面倒見ることをやめました。人文とか、自然とか、そういう垣根を自分自身で取り払ったのです。その代わり、担当になった学生にはある課題を必修で課しました。それは、卒論の中に絶対に地図を自分で描いて入れること。地理学専攻で、地図を描けないような人の卒論は受け付けない、というスタンスをとったのです。私はこれを聞いて思いました。先生は退官直前、地理学の究極に近づく一歩手前まで来ていたのではないか、と。もともと、地理学には分野としての人文・自然はあっても、研究テーマをこれらに縛られることは本来あってはおかしいはずでした。様々な地表での事象を多角的に研究するのに、時として専門分化は弊害となることもあるのです。しかし研究の実際は指導する教員側の指導力に左右されて、結局どちらかに片寄って結論を出してしまうきらいがあったのですが、先生はそれを地図というツールでもって融合させようとしたのではないか。それこそ、地理学研究の真髄なのではないか、と。

先生の心中を勝手に想像するならば、恐らく「道半ば」の思いがしているのではないかと思います。それを実践し、花開かせることはその指導を受けた我々次世代に手渡された宿題なのかな…そんな思いを抱き、田園都市線の新型電車に乗り込み、帰宅しました。

随分と私的な書き込みになってしまいましたが、名誉の退官なので実名を出してもいいでしょう。5月に古今書院から刊行される「地図からの発想」、一執筆者として楽しみにしています。大学ではゴタゴタしていて面と向かって話もできませんでしたが、長い間、お疲れさまでした。そして、ありがとうございました、中村和郎先生。
[37862] 2005年 2月 16日(水)16:28:52スナフキん さん
確かに鉄道の話題はほどほど…
[37861]N-Hさん
確かにおっしゃるとおりで、私も少し反省せねばなりません。ただ、前段の機関車の話はともかく、私は周遊券制度って実は、地理的知識を身につけるのにかなり寄与していたんじゃないかと考えているクチです。ワイド・ミニ周遊券のようにレディーメイドタイプのものは、如何に効率よくエリアを回るかで時刻表や索引地図と睨めっこすることが多かったでしょうし、いわゆるオーダーメイドタイプ、一般・グリーン周遊券にはパズル的な要素もあるのですが、これを使いこなすには周遊指定地を2ヶ所以上巡って一定の条件を満たすプランニングを組む能力が身に付いていなければならず、当然運賃計算もある程度できないと話になりません。地理のみならず、微細ながら数学的能力も要求されたわけです。若いうちはそうやって技量を鍛えていたものですが…今や時代は変わりましたね。航空運賃が信じられないほど値下がりし、えきねっと割引など他の割引方法が多様化し、周遊券制度はそれに埋没するように消滅していきました。旅行代理店店頭を見ると「安さ」をウリにした企画商品のパンフレットが目白押しです。何も頭を使わなくても、旅を安く上げることができる時代になったのでしょう。これを昨今叫ばれる学力低下に結びつけるのは早計が過ぎるとは思いますが、あれこれ考え、思いを巡らさずとも旅ができるようになったのは事実だと思います。ちょっと寂しいですけどね。ブルートレインの衰退も、恐らくその一連と結びつけて考えることはできると思います。

手前味噌になりますが、恐らく私の世代が、周遊券を使って旅をする楽しみを知っている最後の世代ではないかと思います。私よりも若い、20代前半の旅人に周遊券の話をしても知らない人がほとんどでしょうね。時の流れは何でもかんでも変えていってしまいます、物質的な者もさることながら、形のない漠然としたものまでも…何だか、少し前にも同じことを書いたような…。
[37859] 2005年 2月 16日(水)09:19:35スナフキん さん
ちょっとレス
[37832]猫使いさん
フォロー感謝です。どうもご指摘の通りのようです。人知れず(はちょいと大げさですが)、シークレットルートを建設しているのですね、扱いとしては有楽町線桜田門から千代田線へと伸びる回送線路と同等と考えています。地図上の扱いもこの考えで取り扱うつもりでいますが、他社はどう表現するでしょうね? 風の噂ではこの機関車、2両一組なのだとか。そう言われると、東北本線を我が物顔に走る「金太郎」ロゴの巨大機関車を思い出しますが、当然図体は大江戸線サイズでしょうからあんなにごっつくはならないのでしょう。

かなり乗り遅れのレスですが…
[37591]YASUさん
「さくら」のお名残乗車をされたのですね。両毛人さんのフィールドワークといい、メンバーの方々の行動力には脱帽です。私の週末は、せいぜい団地を巡って、撮影して、画像の調整をして、htmlいじって…何と不健全な(汗) もともと私は夏生まれで寒さに弱く、冬場はここ数年行動力が低下する傾向にありました。昨年登山靴を買って山登りを再開したものの、秋~冬にかけてこの高価な靴が活躍することは、このままではどうもなさそうです。

以下は知人のメールに書いたこととほぼ同文ですが、私は「あさかぜ」の方に物凄く強烈な思い出があります。私にとって「あさかぜ」号は、生まれて初めてA寝台を利用した列車でした。当時の記録をほじくってみたら、仰天の事実がいくつも出てきました。何と寝台券のみならず、ルーム・カードキーとシャワー利用券まで、完全な形で保存してありました。しかも、両方とも「あさかぜ」オリジナル柄です。さらに思い当たる部分を別に探してみると…うッ、洗面道具一式が手付かずで残ってるぅ~ さすがにこちらには「あさかぜ」ロゴやヘッドマークはありませんが。これらグッズ、よくも捨てずにとっておいたものだと我ながら思いました。

もっとびっくりだったのは寝台券。出てきたきっぷは何と一般周遊券綴りの最後の券片として綴じられていました。しかもこの周遊券が「東京都区内→三段峡」…周遊券制度のなくなった今では券自体どころか、同様の片道きっぷさえも作れない区間有効の券片で、当時は旅していたのです。綴りをぺらぺらしてみると…まぁ現存しない列車がワンサカ。冒頭の「瀬戸・B寝台」(サンライズではない)に始まって、「砂丘2号・グリーン券」「三次→広島・自由席急行券」(列車名はないですが、この時乗ったのは「たいしゃく」でした)、そして「あさかぜ・A個室」の広島→東京(実際は品川)…私はまるで、数年後に全部の列車が姿を消すことが分かっていたかのような列車選びをしていました。そして、すべての券片に打たれた日付を見て、やっと思い出したのはこの旅が、JR完乗に事実上リーチをかけに行った旅だったことでした。その締めくくりを私は、「あさかぜ」に託していたんですね。そこで機関車故障を食らって、羽沢貨物線を回されるオマケがついて…そして1年後、備後落合で金字塔の達成にこぎ着けたわけです、思い出に残らないはずがありません(涙)

いま、手元にこれらのきっぷとグッズ一式があります。当日28日私は、このひと綴りの券片と、オリジナルカード2枚を握りしめて、東京駅ホームに立っているでしょう。人だかりができるだろう先頭に寄り付くつもりはありません。どこでもいい、けど、ホームのどこかで、静かに、出発を見守りたいと思います。
[37811] 2005年 2月 14日(月)15:34:04スナフキん さん
白地図に地名を落とすということ
3時、コーヒータイムです。

白地図に全市名を引き出しして入れる作業をしています。北から始めて、関東地方をやっと通り抜けました。市ぐらいは、全部参照物なしで書けるだろうと思っていましたが…自惚れでした、やっぱり「塩竈市」が書けない…(泣)。それと、プロットがことのほか難しくて作業の進みはよくありません。何せホントの白図でして、海岸線と都道府県境しか描かれていないので、お互いの位置関係を見ながらポイントプロットをしていくことになり、神経を使います。それさえできれば市名を引き出して入れるだけなのですが、それでも埼玉県は密度が濃いのと市の数が多いのとで、何か参照しないと全部入れることはできませんでした。千葉県や神奈川県はちゃっちゃと入れられたのですが…(と、一応強がってみます)。ひょっとしたらこれって、地図屋として恥ずかしいことかも? いや、そんなことないですよね…。そう簡単に市名をそらんじて入れることなんて、できないですよね? でも、落書き帳の常連さんは次元が全然違うので、かなりの確率でできてしまいそうですが。

そう言えば週末に、都営地下鉄が機関車まがいの車を導入する、なんて話を風の噂で聞きました。鉄道に明るい方、ことに地下鉄にお強い般若堂そんぴんさんならすでにご存じでしょうか?
[37742] 2005年 2月 12日(土)00:48:57スナフキん さん
久々に3連休、初日を終えて
昨日は(日付が変わりました)久々に、線路の向こう側にある大型商業施設に買い物へ出かけました。多忙な毎日が続いており、ここしばらくは近所のマーケットで買い物を済ませていたのですが、着るものに少し不便するようになってほぼ半年ぶりに出かけてびっくり。上福岡市の人口増を支え続けてきたもう1つの大規模団地、上野台団地の建替え事業がとっくに本格化しており、昔の建物が一部を残してごっそりなくなったばかりか、すでに建替えられる新しい建物の基礎工事に着手している状態にまで工事が進んでいました。もともと東武東上線が全体的に平面交差・地平走行部が多く立体化の遅れた路線である認識はあったのですが、これほどまでに線路を挟んでも同じ市内の出来事が、自分の意識の中からすっぽり抜けていたとは…。自分では無意識のうちに、線路がバリアになっていたんだなぁと思い知らされました。自分のホームページにもちょっと書いたことですが、物ごとを作り上げ、育むのに要する時間に比べて、それを壊し、消滅させる時間の何と短いことかと、更地を見ながら思います。「物ごと」は何も物質的なものに限らず、漠然とした形のないものについても言えますね。友情とか、信頼とか、人間関係という語句に置き換えても成り立つ命題です…なんて、格好いいことを考えたりもします、やっぱり連日連夜の残業で疲れ気味なのかもしれません(汗)。

スクランブル交差点で信号待ちをしていたら、今月下旬に行われる市長選挙の立候補予定者が演説していました。彼は大型公共事業の抑制や合併反対論者なのですが、その脇で税金を垂れ流して商店街を分断する都市計画道路(計画自体はハチャメチャなプランニングですが)の築造工事が始まっているのが何とも皮肉。「合併はまだ正式には決まっていません」を連呼していましたが、確か今までの事例を見ていくと市町村議会を通った合併の枠組みで、頓挫したケースってないのですよね。正式決定は言うまでもなく「官報告示」に他ならないのですが、ここで市長が交代し、大井町長がリコールで引きずり下ろされて、凍結…なんてことになったら、果たして初の事例と評価されるか、それとも見下されるか、はたまた枠組みを変えても合併に失敗したと嘲笑されるか…。もうこの段になったら、合併しようがしまいが、どっちに転んでも世間から冷たい目で見られる運命以外に残っていないのではと感じます、まったく市民として恥ずかしい限りです。

最近、結局はグチとなってしまう書き込みばかりで、落書き帳を随分汚しているような気がします。時には自分の気持ちを表に出してばかりでなく、グッと心の奥底にしまっておくことも必要かな…。
[37632] 2005年 2月 8日(火)15:55:39スナフキん さん
ふじみ野市関連1市1町、議案可決
立て続けの書き込みですが。
先ほど朝日新聞地方版webを確認したところ、上福岡市・大井町両臨時議会は8日、今年10月1日に合併して「ふじみ野市」となるための合併関連議案を可決したそうです。

あ~あ、という感じです。資料室長が信濃毎日のカコミ記事を見せてくれましたが、マスコミからも相当叩かれてます。論調としては「こんな紛らわしい自治体名称でいいのか」というものですが、フツーの人の受け止めようは、やはりこんなふうなのでしょうね。あぁ、住所を書くのが面倒になります…。
[37630] 2005年 2月 8日(火)15:36:36スナフキん さん
「まるあーる」のこと
3時のコーヒータイムです。プティーゴーフル食べてます(笑)

これを世に送り出している神戸<風>月堂ですが(ふうの字は、出せません)、この独特の文字を使うことで知られている一方、包装紙にはGAUFRESの末尾に「まるあーる」が。これ、商標登録されているのですね。でも、同じ包装紙に書かれている他の商品には、「まるあーる」がついていたり、いなかったり。そもそも、中箱には「神戸<風>月堂」って会社名がしっかり書いてあるのに、包装紙にはなぜか「<風>月堂」だけ…??? 結構、奥の深い会社なのかな。

この、ワインレッドの包装紙、デザイン的にも優れていますね。神戸ならではの挿し絵が随所に描かれていて、ハイセンスさを醸し出してます。その割に、店舗のイラストもいくつか入っている茶目っ気もあって、結構気に入りました~
[37535] 2005年 2月 5日(土)23:17:12スナフキん さん
データ更新をしていて気付いたトリビアネタ
と言っても、勤務先で維持している合併データのメンテではなく、自分とこで管理している全駅データの方でした(汗)。とは言え、地理とは多少なりとも関係のある話題なのでチョロッと書いておきます。

この3日に、福岡市で2本目の地下鉄(一応3号線ですが、1・2号線はともにつながっているので、「1つ」とみなしました)が開業しました。まとめて15もの駅データを追加する「どっこいしょ」作業を久々にやりましたが、今回開業する駅名は結構、オリジナルモノが少なくてびっくりします。つまり、全国に同じ駅名があって重複するケースが半分くらいありました。中でも、完全一致でこそないものの、「福大前」と名のつく駅が日本に2つ生じることになったのが目を引きます。全然地域は別なのでそれほど問題にはならないでしょうが、ありえないけど東北本線金谷川駅が金谷川福大前とかになったら、さすがに混乱するでしょうね。以前も落書き帳では大学の略称についての話題が出たことがありますが、それに絡む話が駅名でも出てくるとは…。

ちなみに、福岡市営地下鉄は正式名称と通称名の通用度が結構拮抗しているように感じるのですが、実際はどうなんでしょうか。今回の開通路線は「七隈線」を前面に押し出していますが、既存地下鉄路線は空港線・箱崎線(だったかな?)以外にもナンバーで路線名を記したネタをよく目にします。こういうケースが、地図編集ではもっとも厄介なんですよね。どちらかに表記を統一しにくい、並記の必要性を感じる…線状注記はそれなりに場所をとるもので。
[37460] 2005年 2月 4日(金)11:31:08スナフキん さん
皆さんのフォロー感謝です
マピオン図面の断層に関してフォローして下さった方々、どうもありがとうございます。

何だか私のじゃごたろさんへのお答えはあまり的を射ていなかったみたいですね。(自分にはプロ意識とか全然ないですが、それでもそういう仕事で飯食っているという意味での)プロとしては、自信たっぷりに答えておいて周りから助け船を出されるのですから、面目ないです…。連日連夜の残業で疲れている(脳ミソがとろけて薄くなっているかも?!)ところへ、無理に勤務先から即答しようとしたのが失敗でした。以後気をつけねば…。
[37424] 2005年 2月 3日(木)15:50:16スナフキん さん
3時のたわごと
3時を回りました。淡水魚さんに対抗するわけではないですが…近所で買ってきたどら焼き食べてます(笑)

教育用地図帳をメンテしているのですが、場所によっては随分文字密度が薄くなってしまっている県があります。パッと見では、広島県がいちばんすごいかも。もともと教育用アトラスは自治体名称に比重を置く傾向があるので、合併によって自治体が次々になくなっていくとあからさまに文字がすいてきてしまいます。基準があるとは思うのですが、字名として残す名称が少なくないことも分かる気がします。しかしそれにしても、表現上はランクが落ちる上にすべての旧自治体名を残すわけにはいかないので、結局注記量は減る一方です。広島県で言うならば、ちょうど真ん中あたりに今まで自治体名に囲まれて目立っていなかった「まつたけ」とそのイラストがポツ~ンと取り残され、寂しそうです(笑) 地図というのは悲しい宿命で、文字が少なくてがら~んとしていると「何もない」イメージが思い起こされてしまうので、教育用としての質を今後どんなふうに維持していくのかが問題になりそうな気がしています。

以上、どら焼きをほおばりながら、地図を眺めながらの、地図屋の雑感でした。
[37418] 2005年 2月 3日(木)13:30:32スナフキん さん
地図のこと、いくつか
南セントレア市に関して、個人的にはちょっと安直かなという印象です。まあ、自分が住まう地域の「ふじみ野市」を恥ずかしく思うくらいの人間が抱く感想ですから…。本職の切り口から言わせてもらえば、以前と同様「長い自治体名はちと困るなぁ…」ってなことくらいですか。かすみがうら市は何とか霞ヶ浦にドボンできて事なきを得たのですが、南セントレア市は…あ、伊勢湾にドボンできるか(笑) でも、市名になると書体や文字サイズは必然的に強く大きくなるので、あまり長い名称に図上で威張られるは考え物です。あんまりひどいと、長体にしちゃうぞぉ~!

[37414]じゃごたろさん
ご指摘の場所、想像の通りだと思います。元ネタの縮尺レベルの不整合が表面化していると考えられます。その左右へとスクロールすると、水平にズレの筋が認められます。さらに1層上の縮尺レベルにおいても同様の食い違いが見えていますね。これは、北側が詳細図から、南側が広域図からそれぞれデータを寄せ集めて接合した際によく起きる現象です。一見縮尺は逆にも思えますが、広域図のデータは往々にして、河川や道路幅などを一律に大縮尺側に合わせ太らせて加工するので、結果的に元の縮尺レベルとは正反対の接合結果になってしまいます。ここの場合は食い違いが明白に出てしまっていますが、図の作り方がこんな感じだとご指摘の場所は、実は日本全体で見たら氷山の一角かも?
[37385] 2005年 2月 2日(水)13:23:46スナフキん さん
ホームページと、空港と…
[37270]で、私が
いまだにベンリなホームページ作成ソフトの世話にほとんどなっていないので、リンク先を変更するのにもわざわざエディタの文字列置き換えを利用してhtmlソースコードをいじるという、とんでもないローテク(ホムペ管理者にはこの苦労がわかってもらえるでしょうか…?)を駆使したりするのですが…
と書いたら、その後の書き込みでそんなふうにしてホームページを立ち上げている方が意外といたので、自分が異端児でないことを知って少し安心しています。もっとも、私は完全に作成ソフトを使っていないわけではなく、Win98にぶらさがってきた「Frontpage Express」を使ってはいるのですが、機能としては本当に最小限度のものでしかなく、少し色気を出そうと思うとやっぱり勤務先にあるhtmlタグ辞典のお世話になるしかありません。その分、クリッカブルマップをhtml記述によって動作させられたときの喜びは大きかったです。その後、地図図面を多用するきっかけにもなりました。

特例市告示のお話がHiro(&TOKO)さんから出ていますが、この他地理的話題としては今日の官報告示で、中部国際空港(いま物議を醸しだしている「セントレア」ですね)開港後の現・名古屋空港が、正式に「名古屋飛行場」となることが掲載されています。「愛知県営空港」とかになるのかと思っていたのですが、あまりひねらない「直球な」(?)名称に落ち着きました。しかし、基本的に定期航空路が飛ばなくなるようなランクへと急落するために、地図上での取り扱いは無視できない存在であることに変わりはありません。
[37270] 2005年 1月 30日(日)23:44:53スナフキん さん
週末のこと、合併のこと…
今日は、自分とこのホームページサーバの引っ越しをしてました。私はいまだにベンリなホームページ作成ソフトの世話にほとんどなっていないので、リンク先を変更するのにもわざわざエディタの文字列置き換えを利用してhtmlソースコードをいじるという、とんでもないローテク(ホムペ管理者にはこの苦労がわかってもらえるでしょうか…?)を駆使したりするのですが…これに費やした時間よりも、100以上のファイルを転送する時間のほうがはるかに短くて約1/10…光ケーブルバンザイ?!

他にも、団地の景観を撮影しに出たりしましたが、とにかく今日の強風はこたえました。14階まで上がると、眺めの良さに比例して風の強さも半端じゃありません。体をしこたま揺すられて、ピントがぶれることぶれること。隣で建設中の民間マンションは3月中旬入居予定を前に、今晩初となる通電試験をやってたみたいで、あちこちの部屋から照明が漏れていました…。本格的に入居が始まる頃には、少しは暖かくなって、そしてふじみ野市になることも決まっているのかなぁ…なんて。

昨日は、大井町にある行き付けの喫茶店にランチを食べに行ったら、合併がらみの話を少し聞くことができました。以下はあくまでもウワサの域を出ない話なので、合併情報への反映はしないほうがいいと思います>でるでるさん

隣の大井町では、町長のリコール運動が思いのほか盛り上がりを見せているようで、このままの勢いだとリコールが成立してしまいそうだとか。かたや、こちら上福岡市では2月下旬に市長の任期が切れるため選挙が予定されています。でるでるさんの情報によれば両議会は2月上旬に、合併関連議案を審議するとあります。つまり大井町でリコールが成立するにせよ、上福岡市で市長が交代するにせよ、議案通過には間に合わない公算が大きく、この辺りのスケジュールが非常に微妙になっているようです。合併推進の市長や、推進派の多い議会は当然さっさと決定させてしまいたいはずですが、もし合併慎重派の市長がこの後誕生した場合、市政はいったいどうなってしまうんでしょうか、ちょっと不安になります。もっとも、ここで市長が交代して論調が変わるとなったら混乱は必至なので、市議会でも全面的に現在の市長を推すことになるのでしょうけれど。

もう一つ、これもウワサの域を出ないのですが、新市名「ふじみ野市」に反発する富士見市内で、こともあろうにこの名称をぶんどってしまおうという動きがあるのだとか。つまり、富士見市をふじみ野市へと先に改称してしまえ、というものです。あぁ、もうここまで話がこじれると訳わかりませんね。白神市の名称に他県からチャチャ入れがあったのも、他人事ではなくなってしまいます。

そう言えば以前、hmtさんが[36903]
「ふじみ野駅」はふじみ野市内にない。これも、新座市所在の「志木駅」のようによくあること。
とおっしゃっていましたが、この喫茶店のオーナーはやっぱり分かりにくいし、ややこしいとこぼしていました。たとえ我々のように多少の知識がある人間にとっては「よくあること」であっても、一般人の認識からすればやはり異常な事態であり、こういう事例を増やすことに加担しちゃうのって、どうなんだろうなと…。

なお、この週末には協議会だより2月号も手元に届きました。それによると、法律上の本庁舎(議会等管理機能保有)は確かに現在の上福岡市役所なのですが、実態は「総合支所方式」となるようです。「両庁舎は同格として位置付け、それぞれ上福岡庁舎・大井庁舎と呼称し、駅西口の出張所は今まで通り出張所として機能させる」と明確に記してありました。これに関しては合併情報への反映判断はでるでるさんにお任せします。
[37122] 2005年 1月 27日(木)12:52:57【2】スナフキん さん
ひと文字地名
[37115]いっちゃんさん
コレクション化なるか?
とのことなので、私からも1つ。

長野県東筑摩郡麻績村「麻」<お>
長野県東筑摩郡麻績村「日」<ひ>

ここは強烈すぎるのでよく覚えています。麻績村の大字名はこの2つだけという凄いインパクトぶり。村内の大字名がいずれも漢字・よみがな両方一文字なんて…。

※後からよみがなを追加、一部訂正
[37094] 2005年 1月 26日(水)13:31:52スナフキん さん
地図検索の実際…と言えるのかどうか。
さて、[37021]でグリグリさんから話題を振られたので、私の経験と知識の範囲内で偉そうに講釈します(汗)。

普段から地図には当たり前に接しているので、逆にネットの地図検索サービスはちっとも使わない身であり、男女群島が検索にひっかからないというのは正直、私も驚きました。が、考えられなくもないかなと思います。ネットの検索サービスは当然のことながら、その目的第一位にあるのは「場所を探す」ということ。しかし、普段の生活をよ~く振り返ってみましょう。自然地名を探すという行為、あまり頻繁には起こらないと思いませんか? 生活の上で必要となる目的地は、そのほとんどが「居住地域」ないしは「居住地名」に限定されることが多いのではないかと思います。名の通った自然地名ならともかく、男女群島はもちろん人の住まない無人島、つまりは非居住地域なので、サービスを提供する側にしてみればこういった離島を図取りに含め、どれほど利用されるかも分からない検索にかかるロジックをいちいち組んで、余計なサーバスペースを確保するのは得策でない…などと判断された可能性はあるのではないかと思ったのです。

この考え方は住宅地図や基本図など、超詳細図などでも見受けられます。試しにお住まいの地域の住宅地図があればちょっと開いてみるといいでしょう。よっぽど地域全体が市街化しているのでもない限り、必ずしも図取りが区域全体を覆っているというわけではないことが多々あります。住宅地図の目的は住宅そのものにスポットを当てることにあり、山林や田畑までを図取りでくまなく覆うことには必ずしもないわけです。地図には目的にかなった作り方、組み方をすることも多くあり、これが極まると今回のようなケースも当然出てきてしまいます。まあ、無人とは言え男女群島は日本の領土には違いありませんから、少なくとも検索でどこかの縮尺には引っ掛かるような「しかけ」は欲しいところです。地名の通用度はいつ何時、どのような形で高まるか分かりません。万が一、「男女群島近海で中国当局に日本国籍の漁船がだ捕」などという縁起でもない報道があった場合、誰もが「男女群島ってどこじゃい?」と思って探したくなるでしょうから…(汗)。

地図記載の地名の索引化というのは大変なんでしょうかねぇ。
経験則から言えば、デジタルで完結する(例えばネット上での地図検索や、CD-ROM掲載の地図検索など)索引の取得自体はそう難しくないと思います。コンピュータ上の地図図面に文字をプロットするだけで座標の割り振りは簡単にできますし、例えこれが地図図面上での仮想座標であったとしても、それをリアル座標(いわゆる日本測地系・世界測地系による経緯度情報)に置き換えるプログラムも存在しますから。中には、これに図法(UTM図法とか、モルワイデ図法とかいう、アレです)をかませて自在に文字位置をシフトさせることのできるスゴウデプログラムも…。むしろ、地名に読み情報を付加させることの方が難物ではないかと思われます。プロット時の変換前文字列を読みとして自動登録させることは理論上できても、このオペレータが地名の知識ゼロだとどんな読みで変換されるか分かりません(大汗)から、読み情報の自動取得は結局は現実的でないのです。もっともデジタルにおける検索の概念は、従来冊子体における「読みが分かっていないと地名が探せない」というものとは異なり、「変換を用いて漢字かなカナ表記を文字列として一致させれば探せる」というものへと格段に進化しているのですが、それでも読みから探すことができないのは不便ですし、候補一覧では基本はあいうえお順になりますから、やはり読み情報は不要というわけにはいかないと思います。

上記はあくまでもデジタルワールドでのお話。いくら製作がデジタル化しても、結局は冊子となる地図だとこうはいきません。冊子の地図では仮想座標や経緯度情報は全くと言っていいほど、地名を探す役には立たないからです。グリッドを引いて、インデックスをふって、どのグリッドに地名があるかを結局は手作業で調べて索引化するのが最良となります。ある程度経緯度情報からの自動化は図れますけど、図取りが各見開きによって異なるために、この経緯度情報から「P125A5」などというインデックスへ翻訳するプログラムは、事実上ページの数だけ必要になってしまい能率が良くありません。他社がどうしているかまでは存じ上げませんが、少なくとも我が社においては冊子の索引作業は汗かき作業、人力による昔ながらの手法が今でも脈々と行われています。

地図自体には地名が入っていても検索対象となっていないケース、また、その逆のケースが頻繁にあります。
まず後者、地名が図上にないのに検索できる地名ですが、これにはサブネーム(氷ノ山に対する須賀ノ山、内浦湾に対する噴火湾のようなもの)や総称名(大雪山・八ヶ岳・富士山など)、正式名以上に通用する通称名(甲斐駒ヶ岳など)が考えられます。もちろんプログラム上はこういった地名に対してある場所を指し示させることは可能です。ただ、地名を探すということの性格を考えると、検索先に探す文字列が表示されていないというのはあまり親切とは言えません。検索ウィンドウでそこのところを翻訳してくれたりすれば、分かりやすく使い勝手もいいですね。

で、前者の掲載地名が検索に引っかからないケース、これは実は星の数ほどあります。スポットを指し示さない地名(面状注記・線状注記)、例えば淀川であるとか、東海道新幹線であるとか、日本海であるとか、こういった地名は広がりを持つものを指し示すことになるので、必ずしも図の中(あるいはその検索システムが扱う範囲内とも言い換えられます)にあるのは1コだけとは限りません。しかし検索でいくつも同一地物が引っかかってはおかしいので、結局は「検索時に表示させる場所」以外の文字はすべて地図に載っているだけのダミー扱いとなります。実際に日本海を検索してみて、地図表示させたら新潟市街地図のすぐ沖が出てきた、というのはちょっとおかしいですね。普通に考えると、日本海ほど面的な広がりを持つものなら、日本全図クラスの地図を表示させてしまってもいいくらいです。モノによって表示させるべき地図レベルが当然あるわけで、その辺りの選択判断はある程度のセンスが必要になるでしょう。

これとは別に、デジタルの地図には「階層構造」という独特の特徴があります。検索をすると、表示縮尺を変えることができるしかけがありますが、あれのことです。これはすなわち、同じエリアを覆う地図が層の数だけあることになり、縮尺の大小はあっても当然同じ場所ですから、同一地名が個別の層ごとに重複掲載されている可能性も十分あります。この場合にも、上と同様に検索した時にどの層の注記を表示させるかを特定しておく必要があり、それに漏れたその他層の文字は全部ダミーになりますね。これを加えると表示しかされない地名の数は相当な数に上ります。

書きたいことを機関銃のようにズダズダ書き連ねてしまいました。何だか至極当たり前のことを、さも難しいことのように解説してしまった感がありますが、これで知りたいことが少しでも伝わったでしょうか…?
[37050] 2005年 1月 24日(月)10:52:02スナフキん さん
今日の告示をメンテしていて…
告示のあった朝恒例の、データメンテ作業を一通り終えたところです。

今回の告示分には、ちょっと「?」な部分が。鹿児島県の分はなぜか「錦江町」の告示のみ。県議会を同時に通ったはずの「湧水町」と「南大隅町」はどこへ行ってしまったのでしょう? 議会の通過が同時なのに、知事の届け出にタイムラグが生じたのか…。でも、「錦江町」と「湧水町」、合併期日は一緒なんですよね、「湧水町」を後送りにした意味がよく分かりません。あるいは、単なる手続きのワスレなのか…。でもこれって、地方の議会にしてみれば随分と失礼な話ですよね。さて真相はいかに?!

何やらグリグリさんから話題を振られたようですが、勤務中にちゃっちゃと書くには重い話題になりそうなので、別の機会に。
[36959] 2005年 1月 21日(金)10:05:13スナフキん さん
ふじみ野市、さらに混沌…
[36903]hmtさん
書き込みを見させていただいて、なるほどなあと思いました。ただ残念ながらスナフキんには学と知識とが十分に備わっておらず、それらを培うだけの人生経験もまだ浅いがために、
「地名」と「自治体名」とは、関連はあるが、別のものです。
「ふじみ野」という地名には、現在のふじみ野駅周辺だけでなく、広域化した使われ方が加わるでしょう。
というように達観できないでいます。恐らく「ふじみ野市」がこのままゴーサインとなったとしても、私自身がそれを受け入れ、慣れるまでには相当の時間を要するかと思います。今、上福岡市福岡にある市役所がふじみ野市役所になるというのが、どうも違和感ありありでして…。若さ故の未熟さ(苦笑)でしょうか。

などと勝手に私は「ふじみ野市」を一人歩きさせていますが、昨日も合併協議会側が富士見市長の要望を事実上突っぱねたこと、市長は要望を出し続けることなどが報道されていたようです。さすがに、この地域で作る広域事務のあり方を見直すまでごねるような大人げない事態にはならないと思いますが、仮に「ふじみ野市」が成立したとしても、協定項目には広域事務の取扱について、新市は合併施行日において事務組合に加盟するとあります。組合の事業執行に支障が生じることはなくとも、ことをこじらせてしっくりこない関係が生じるのは、市民として何とはなしに不安を感じたりもする次第です。同時に、合併って、元あった地域間の共存関係をここまでギクシャクさせてまでやるものなのかどうなのか、疑問も感じてしまいます。自治体という大きな組織を統合するということが、いかに大変なのかを痛感しますね。
[36793] 2005年 1月 16日(日)01:41:56スナフキん さん
私はふじみ野市民になるのだろうか…
やっと落ち着いて書き込みできる時間が作れました。来週にもまた、バタバタと告示ラッシュがくるようですね。私の生まれ故郷も晴れて告示による決定がなされそうです。ところで、お相手の若美町には名誉町民として中日ドラゴンズの落合博満監督がいらっしゃいます。今回の合併によって同郷の人となるのですが、ではこの「名誉町民」はどうなってしまうのでしょうね。よく、合併協議項目では「慣行の取扱い」として新市に引き継ぐとか、新市において決定するとかありますけど、このことに関してはかなり微妙だと思います。やめてしまうとなれば、何だか名誉をはく奪されたみたいで嫌ですし、逆に新たに名誉市民になったとしても、本人にしてみれば隣の自治体から名誉号を送られても…という気分になりそうですし。出身地など、合併に時間軸が絡んでくる話題は、取扱いが面倒ですね。


さて、我が居住地の合併話も今週は大きな進展がありました。ご承知のように協議会で新市名が「ふじみ野市」と決定されています。しかし一方で、2市2町の時は枠組みに加わっていた隣の富士見市長はこの決定に不快感をあらわにしています、これも以前速報に書いた通りです。

1市1町の枠組みにおいて、事務所位置は上福岡市の、自治体名は町名に「ふじみ野」をすでに有していた大井町の顔を立てた恰好になりました。市の名前は応募の多かったものから選んだ民意とも言えますが、どちらにしても事前の富士見市長による要望は、完全に無視された形での決定となりました。その意味においては富士見市長の対応も、全く理解できないわけではありません。

しかし、市民であるhmtさんには耳の痛い話になりますが、どうも富士見市長の一連の対応は大人気なく思えます。ふじみ野を市名に採用しないよう要望した理由をいろいろ挙げていますが、「ふじみ野市は2市2町における市の名称であるから」などは苦しい言い訳にしか聞こえず、結局はネームバリューを持っていかれたくないだけのような気がしてなりません。[36714]で白桃さんが書かれていることも、正論だと私は思います。

それ以前に私にとっては、そもそも「ふじみ野」という地名自体に、あからさまに地名争奪戦を繰り広げるほどの価値があるのだろうかという疑念が沸きます。ふじみ野という駅ができ、地名が事実上日の目を見るようになって10年ちょっと。確かに不動産物件名や駅名による地名の浸透は、歴史の浅い地名にしては早かったとは思います。新興住宅地としてのイメージもほぼ定着したように感じられます。しかし、周囲の「勝瀬」「苗間」といった地名に比べれば使われだしてからの年数はまだわずか。それをやれこっちのものだとか、その地名はこっちによこせだとか…。そういうことをするほど成熟した地名には私には思えないのです。だから周りにこのことを説明するのも、ちょっと恥ずかしいです。私が仕事柄、毎日各地の地名に接しているからこういう考えになるのかもしれないですが、何と言うのでしょう、次元が低いというか、地名文化の低さを露呈しているというか…。

ですから、1市1町の枠組み側の肩をもつ気にもならないのです。協議会の会長である上福岡市長も、住民投票の実施を尋ねられて「合併の是非を問うのに住民投票はそぐわない、私がやらないと言っているのだからやらない」など、到底理解しがたい答弁をしたりもしています。住民投票がそぐわないのなら、何故2市2町の時には実施したんでしょうか、全然答えになっていません。私がやらない~のクダリは、市民は黙っていろ、事情をすべて飲み込んでいるでもないのに議論をかき回すな、に聞こえます。自治体という大きな組織の合併という話に、小市民の意見を反映させるのはやはり難しいんでしょうか。
[36706] 2005年 1月 12日(水)21:04:53スナフキん さん
新市名はふじみ野市
埼玉新聞webによりますと、上福岡市・大井町合併後の新市名称は、本日の合併協議会において「ふじみ野市」に決定したそうです。折しも、富士見市が「ふじみ野市」はやめてほしいとの要望を出した矢先での決定だけに、この地域での不協和音が生じる心配が出てきました。

以上、速報まで。
[36599] 2005年 1月 9日(日)23:38:41スナフキん さん
再び、我が市の合併を思う…
久々にそれらしい話題での書き込みかもしれません。

すでに合併情報では反映されていますが、上福岡市・大井町の合併協議会では新市の名称について、ふじみ野、栄(さかえ)、大福(だいふく)の3点に絞って選定する方向性を出してきました。これに先だって新市の事務所に関しては上福岡市役所で調整方針が固まっているようです。

今回の新市名の公募に関しても、私は応募資格を有していたのですが、とうとう応募はしませんでした。いや、する気が起きませんでしたと言うほうが適当でしょう。どうして一回転覆している枠組みの中からさらに合併を進めようとするのか、合併以前に財政の健全化に向けた取り組み・努力が上福岡市はあまりにも足りないのではないか、合併を前提とした予算編成は大概にしたほうがいいのではないか…など、数多くの疑問を感じたのが最大の理由ですが、どう知恵を絞ってもふさわしい名称が思い浮かばなかったこともあります(代わりに、駅前再開発の愛称募集には応募しましたけど…)。冗談半分で「大福」にでもなったれ!とか思っていましたが、本当に最終候補に残ってしまうとは。おめぇんとこの市、なかなかうまそうな名前じゃねーん、とか周りからつつかれそうな名前です。この枠組みで「ふじみ野」が最大の得票だったというのも、かなり意外でした。ふじみ野駅は富士見市にあるんですが…「ふじみ野」で話が進めば、また複雑なケースが一つ増えてしまいます。「栄」かぁ…何だか独自色も地域色もない、ちょっと覚えてもらいにくそうな名前です。住所を書くのは格段に楽になりますが(大汗)。

新市事務所の位置を現上福岡市役所とすることで、大井町側がどのような反応を示すのかが注目です。前回も住民投票こそ成立はしなかったものの、投票分だけで見れば反対票が上回った大井町。市の名称はいずれも差し障りのない(=大井町が気分を害さない)名称ですが、すでに町内では町長リコールに向けた署名の話も涌き出ているそうで、このまま順風満帆で話が進むとは思えず、予断を許しません。

前回、住民投票で合併の枠組みが転覆してしまったためか、協議会側は完全に「住民投票恐怖症」みたいになってしまっているようで、市名の公募も突然降って湧いて出てきた話でした。当初は民意を全く聞かずにごり押しするつもりだったのでしょうかね? そんなこんなで、今回の協議会にはあまり好印象は持てないスナフキんです。
[36425] 2005年 1月 5日(水)22:45:35スナフキん さん
雪のフォローを少し…
[36404]じゃごたろさん
それは小山~白河間のポイントの異常ということらしいです。
私も、東北新幹線が止まったというのがどうも信じられなくて、その後ニュースをあさっていましたらどこぞやの新聞web上にて「埼玉県久喜市でポイント故障」という文言を見ることができました(でるでるさんのご近所です)。ところがご承知のように、久喜市内に新幹線の駅はないです。一見誤報のようにも見えますが、実は本当に久喜市内に新幹線のポイントレールだけはあるのです。地形図にも掲載されているはずですが、新幹線の線路保守基地がJR宇都宮線の東鷲宮駅隣接地に設けられています。しかしこの駅は新幹線の線路から少し距離があり、このわずかな区間に高架線が新幹線本線から分岐して、在来線である宇都宮線の脇まで足を伸ばしてきているのです(従ってこの部分は新幹線電車が走行しないため、架線など電気設備のないのっぺらぼうな単線高架が新幹線の高架へと吸い込まれています)。この分岐部分に、上下線を渡るような格好で(常設ではないようですが)ポイントレールがあるのですが、恐らくこの隙間部分に雪が詰まったりしたのでしょうか。新幹線のレールには信号電流が流れていますから、何らかの不具合が起きたのかもしれません。

特に「こまち」は遅れ易いみたいですね。
こまちはどうもいけませんね。田沢湖線がオール単線であることが事態をまずくさせています。それどころか、一見複線に見える奥羽線部分(大曲~秋田間)も実は大半が単線。臨時列車を走らせようとすると、何本もの上下定期列車が数分ずつ時刻を変更させられてしまいます、遅れに強いはずがありません。この時は乱暴にも、「東北新幹線との直通運転を中止しています」というアナウンスも流れていました。帰省で混雑中に随分ひどい仕打ちをするものだと思いましたが、連結相手のはやてを遅らせると影響は北海道にまで及んでしまうためやむを得なかったのでしょう。その点、山形新幹線は山形までは一部を除いて複線が確保されており、連結相手もほとんどが仙台やまびこですからあんまりひどい話は聞きません。それでも、板谷峠越えは仙岩峠以上の標高・積雪を伴うはずで、険しい線路に違いはありませんが。

こうしてみると、「乗換えがないように、直通主体でより便利に」とのコンセプトで動いている部分が、今回の雪では大ダメージを食らっていました。八高線・川越線も直通していればそれなりに便利なのですが、今回もトラブルによって高麗川分断。湘南新宿ラインは頑張って通そうとしたがためにベタベタな遅れ…。以前にもちらっと書いたのですが、鉄道ネットワークの拡充は、こういった非常時の対応如何では諸刃の剣にもなってきます。利便性の追求と危機管理は常に両立させなければなりません。鉄道会社も大変です…。
[36300] 2005年 1月 1日(土)15:58:16スナフキん さん
年が明けました
年がすっかり明けきってしまいました。みなさま本年もよろしくお願いいたします。それにしても、日付が変わる前後の書き込み争奪戦(?)はすごかったようですね、結構分刻み、秒刻みで皆さんの書き込みが連なっています。私はベッドでラジオを聞きながら、ここ数年では久しぶりの自宅越年となりました。ギリギリになって、愛媛県中島町からの中継がありました。松山市となる話、そして四国で初の50万都市となる旨の放送が耳に入ってきました…しまった、地図帳の記号を直すの、忘れてた(泣)。他にも中継を聞いていると合併や人口絡みの話がいろいろ出てきました。北海道幌加内町では帰省してきた人で年末年始は人口が膨らんで、普段の倍になるのだとか。島根県仁摩町・サンドミュージアムでの一年計砂時計の回転は、「仁摩町」として実施するのが今回最後だとか(来年の今ごろは大田市となっているはず)。年の瀬、年明けも結局市町村合併の話題から逃れることはできませんでした…。

昨日は昨日で、せっかく都合をつけて大学地理学科の面々で久々に会おうと大晦日に宴会を設定したのに、電車が止まりそうになるほどのドカ雪。野田市の一人は出る直前まで駅にたどり着けなそうな雰囲気だったし、一人は小田急線の車両トラブルで散々な目に逢ったみたいだし。幸い夕方には全般的に雨となったこともあって全員が集まれたのですが、年に何度とないこういうチャンスの時に、こんな天気になるとは…痛恨の雪でした。一人は元バスの運転士、一人はそのバスを納入する側のメーカー営業担当、そしてもう一人は測量地図屋さん…何とも地理学科OBらしい面子でありました(笑)。

昨日の雪は新幹線や高速道路にもかなりの影響を及ぼしたようです。雪には本来強いはずの東北新幹線も一時、まさかとは思ったのですが運転見合わせしていたようですし、湘南新宿ラインはダイヤがズタズタ、各地の高速道路や自動車専用道路も軒並み通行止めになっていたようです。両親は年越しを日光霧降で迎えるために出かけていったようですが、高速道路を使えたのは加須~羽生のたった1区間のみ(苦笑)。その後も日光宇都宮道路が全滅していて、川越~日光が自動車で8時間かかったそうです。皆さんの年越しはいかがだったでしょうか、今年も皆さんに、そして当落書き帳に有意義な都市、いえ年でありますように!
[36195] 2004年 12月 29日(水)12:09:31スナフキん さん
都心でも雪が…
昨日が仕事納めだったはずなのに、勤務先から書き込みしている悲しい年末のスナフキんです。

今朝からの雨が8時頃から雪に変わった埼玉県中南部ですが、都心に出勤してきても止むどころか、雨に変わる気配もありません。仕事に集中していてふと窓の外を眺めると、山手通りは歩道が白くなっています。目の前を通る国際興業バスは屋根まで真っ白で本来の屋根色である緑色が全く見えません。そもそも降りしきる雪でかなり視界が悪くなっていますが、年の瀬も押し迫った幹線道路はふだんと変わらないスピードで車が行き来しています、ある意味ちょっと怖いかも…。初雪ってちょろっと舞って、あとはすぐに雨に変わっちゃう程度のデリケートなものだという意識が働いて今日は出勤したのですが、意外に降り方は結構凄いです。着雪とかで電車が止まったり、帰省ラッシュのさなかに羽田が滑走路閉鎖になったりして大混乱するのが心配です。

でるでるさん、お帰りなさい(って、変な言いっぷりですが)。休眠中はしばらく自分のデータメンテを見合わせていましたが、トラブルが復旧したとのこと。一気の取り返しは相当にしんどいでしょうから、じっくりのんびり取り組んでください。

雪が降るのって子供心に帰ったようでウキウキするのですが、仕事に差し障るのは困るなあと複雑な心境のスナフキんでした。
[36042] 2004年 12月 25日(土)00:40:31スナフキん さん
フォローなど
今晩はクリスマス・イヴ。駅前の再開発で今週になってから築造された常設タワークレーンに、ささやかながらもチカチカするイルミネーションライトが灯り、クリスマスモードになっていました。
[36009]EMMさん
男鹿市五里合付近の「より謎な」ルート取りも同じ理由なのでしょうか?
実は私、五里合の方には行った記憶がほとんどありません。男鹿生まれなのにとは思うのですが、所詮男鹿は母親の腹から出てきただけの場所。退院後ほどなくして板橋区高島平に戻ったのですから、純粋に生まれ故郷とまで胸を張れないのが本当のところです。その後の行き来は何度かあったはずですが、もちろん物心つく前の話なのでチンプンカンプン。とは言え、電話口で秋田方面からの会話を親の口から聞く機会は多かったため、今でもズーズー弁は聞きとり・話しかけともに可です。

話が脱線しました。上記の通りご指摘の場所に関しては私も知識がゼロです。ただ、周囲の状況を見る限り茶臼のように「港湾道路」絡みではまずないと思われます。五里合には漁港があるはずですが、もちろん船川港に比べればその重要度ははるかに低く、そのために立派な港湾道路を整備するとも思えません。むしろここの場合、同じような省庁縦割りを想像するなら短絡道路を「農道」ではないかと仮定するとうまく説明がつきそうですが、実際のところはハッキリしません。農水省が予算計上して築造した道路が、建設省の管轄である国道に指定替えされたという話はほとんど聞いたことがありません。道路を作っている省庁は幾つかあるのですが、その範疇を越えるような指定替えはあまり例がないのではと思います。もっとも、農道が主要地方道など県道レベルの道路として指定され直すことはしばしば起きています。有名なものとしては「浅間サンライン」が挙げられるでしょうか。同じ男鹿市内では、突端の入道崎への最短ルートとして開かれたなまはげラインも実は広域農道扱いであり、未だに道路地図には色フセがされず白ヌキ表現にとどまっているのもそのためです。ただ、距離はあるものの平行して男鹿半島一周県道も通じており、県管理道路に指定替えされる可能性もゼロではありません。が、国道になる可能性はほぼないと思います。ちなみに五里合は<いりあい>と読みます。入会地と何らかの関係がありそうにも思えますが、そうでない気もします。きちっと調べれば答えは出るのでしょうが…脈絡のない文になってしまいました。

[36027]では、じゃごたろさんに逆にフォローをいただきました、感謝です。ぶりこは私、好んでは食べませんが出されたら、結構強がって食べてしまうほうです。おろしじょうゆにまぶして食べると一気に食べられますが、どうしても口の中にぶ厚い皮が残ってしまうことが多くて、それは日本酒で流し込みます(大汗)。今回ハタハタは塩焼きでいただきましたが、お酒があればハタハタずしもよいです…でもこちらも、人によっては好みがハッキリ分かれる食材ですね。言ってしまえば発酵食品ですから、相当に生臭い。琵琶湖のなれずしを目の前に出されたとき、思わず連想してしまいました。あとは、秋田ではきりたんぽと並ぶ鍋料理として、しょっつる鍋もおいしい季節になりました。魚醤を使っているのでこちらも生臭いと言えばそれまでですが、秋田の海の幸がふんだんに味わえるこの時期は、日本酒もぐいぐい飲めてしまう時期でもあります、気をつけなければ。
[36006] 2004年 12月 23日(木)23:38:45スナフキん さん
国道や、秋田のことなど
今日は、最寄駅から5駅ほど北上して(なのにドアツードアで1時間弱かかる)、実家に戻って郷土料理を食し、戻ってきました。ハタハタは今年、豊漁なんだそうです。きりたんぽって秋田では、フツーに鍋料理のことを指すので「きりたんぽ鍋」とは誰も言わないのだとか。で、米をすりつぶしてロール状にしたあの食材は、ただ「たんぽ」って呼ぶんだそうです…トリビアのムダ知識がまた増えました。親が勝手にそう思っているだけかもしれませんけど、

へぇ~

で、[35945]でPUFFさんが投げかけていた疑問をそれとなく、両親ともに秋田県出身なので探ってみたのですが、確かに移ってくる天気は秋田県にないのは納得してましたが、それを気にしていた様子はなかったです、要は無頓着でした。もっとも、それは親がまだ子供の頃秋田にいた時代の話であり、当時はそれほど天気図とにらめっこしてどうこう…は周りもそれほど意識していなかったのではないでしょうか(いまはどうだか、分かりませんけど)。冬は当たり前に雪が降るし、夏は当たり前に暑くて時々夕立があったり…昔はその程度で済んでいた話なのかもしれません。冬場に風雪注意報が出たりするとわくわくしたとか。子供心って、時代が変化しても変わらない部分があるんだなあとちょっと感心したりもしましたけどね。

[35947]でEMMさんご指摘の国道101号は、もろに私の生まれ故郷を通ります。
海岸沿いの整備された県道をよけるかのように集落内の細い道や峠越えの曲がりくねった道が国道になっています。
の辺りは、まさに帰郷の際に絶対避けて通れない箇所。もちろんそうなった事情も(私の特殊な立場もあって)よく存じております。国道が海岸を避けて山間に入っていく道は、通称茶臼越え。もともと男鹿市街地から秋田市方面へのルートはこの1本だけでしたが、岬の突端(すいません、名前は忘れました)にトンネルが通ってメインルートが海沿いに移ったのです、20年ほど前でしょうか。確かこのトンネルが通った当初は男鹿市へ国道101号は、まだ伸びてきていなかったと記憶します。

ところが、国道を指定する際に問題が生じました。「省庁間の縦割り」です。本来なら名実ともにメインとなった海沿いを国道指定するのがスジですが、実はこの道路の一部が重要港湾の位置付けである船川港の港湾道路として(そちらの予算執行で)整備されたようなのです。当時港湾は運輸省、国道は建設省ですからそこで火花を散らすことになり、結果的に港湾の重要度が勝って今のルートどりになった、というのが大雑把ではありますが真相です。二田から脇本まで、海沿いにバイパス化された道路がすんなり国道指定されたのとは対照的に、男鹿市街地を目前にして突然クランクして山中にルートが迷い込むのはこのためです。

今年の台風の影響で、この海沿いの道が一部がけ崩れでやられた際は一時的に旧来ルートがメインとして復活したそうですが、海沿いの快適なルートに比べ、大した高低差はないもののヘアピンカーブが連続する峠越えでは結構余計に時間がかかったのだとか。それでも、すでに予算はついていて岬突端のトンネルをもう1本掘りぬいて、秋田港~船川港まで延々片側2車線(計4車線)道路となる日もそれほど遠くないようです、危うし、男鹿線(汗)。茶臼しかなかった時代は、特に冬場の路面凍結が顕著で、大型車がよく立ち往生して交通障害になっていたと言いますから、その頃に比べれば隔世の感があります。
[35895] 2004年 12月 20日(月)09:41:41スナフキん さん
道路の通称
[35889]彩時記さん
ところで,県道をその正式名称の略称で呼ぶのって珍しいような気がします.
どうでしょうか、探してみると結構出てきそうです。役所が決めた名前ですから、時として呼びにくいこともありますし…。

同じ埼玉になりますけど、今は国道463号になった道路も私の周りの人間はみな「うらとこ」で通ります。道路交通情報で耳にする機会が増えたので最近はそれほどでもないですが、それでも463よりははるかに通用する感じがしています。そう言えば実家近くを通っていた、川越市大仙波(国道16号)から川越大師喜多院脇など川越市街を貫通し、あとはひたすらJR川越線に沿って日高市高麗川を経て、巾着田の「絞り」部分を通って日高市久保(国道299号)に至る主要地方道も、「日高県道<ひだかけんどう>」ってみんな呼んでいました(日高に入ってどうよんでいたかはちょっと分からないですが)。広告のチラシでさえそう表現しているものもあるくらいですから、かなり市民権を得た通称と言えるかと。

逆に定着があまり進まない通称もありますね。先に少し触れた国道16号の「東京環状」は、看板あれどもあまり耳にする名称ではありません。私の勤務先すぐ脇の道路などはもはや「山手通り」であり、いったい「環六<かんろく>」はどこへ行ってしまったのでしょうか(まれに施設名に冠して見られることはありますけど…)。環七・環八は別にしても、その内側の東京を取り巻く環状道路は、別な通称が浸透し、環状線番号はほとんど分からなくなっています。ちなみに環一は内堀通り、環二は外堀通りです。それ以降三・四・五は対になっていませんが環六で再び山手通りとイコールになり、環七環八と続きます。なお、環二は実は全通していませんが、それを知る人は意外に少ないようです。港区内でいまも細々と用地買収は行われています。
[35806] 2004年 12月 16日(木)18:06:24スナフキん さん
貸切列車と八ヶ岳
[35759]かすみさん
八ヶ岳山ろくを走る貸切列車は楽しかったようですね。遠くへ出かける列車はそれだけで非日常空間を作り出してくれるのでワクワクするのですが、貸切列車というのは「自分たちだけの列車」意識が強く働いて、いきおいそれ以上にテンションが高くなるみたいです。私もこの1年は貸切列車づいてまして、夏には2度も貸切納涼ビール列車に各方面で乗車する機会に恵まれましたが、やっぱりその楽しさは格別でした(ピッチも普段に比べると早かったです…)。実は明日も年忘れ・お座敷ビール列車に乗る予定になっていまして、首都圏内の、それはそれは怪しいルートを走ってもらう予定になっています。品川を出て大崎に戻ってくるだけなのですが、折り返しはなぜか外房線誉田駅、しかも帰路は同じルートをほとんど通りません…ふふふ。

小海線は単線ですが、夏場のピークをしのぐために確か各駅で行き違いができるようにしてあったと思います。シーズンオフには過剰設備になってしまうこれらの設備を有効に活用する意味でも、クリスマストレインは面白い企画ですね。しかも新鋭車両に置き換わっていますからデコレーションしても見栄えがすることでしょう。以前の車は力はあっても車体が重たいためにノソノソ小淵沢を出発していったものですが、いまの車は足取りも軽快です。ただ、夏のさわやかな風を窓全開で車内へとりいれる贅沢が失われたこと、あまりにもスタスタ登ってしまって八ヶ岳・奥秩父・南アルプスの贅沢な山岳景観があっという間に過ぎ去り、高原の森林地帯へ突入してしまうことが、乗ってみて少し惜しいなと思うスナフキんです。ちなみに、シーズンオフの清里は私、大好きです。夏場の喧噪とは対照的に、冷たく張りつめたような空気、そして神々しいまでの威容を見せつける真っ白の八ヶ岳に心打たれました。ここ数年は毎年冬場、青春18きっぷを使って泊まりがけで出かけていますが、今年はどうしようか…八ヶ岳山中でアルバイト経験のあるスナフキんは、久々に「旅ごころ」がうづいてきました。
[35724] 2004年 12月 13日(月)13:36:35スナフキん さん
アルプス社が民事再生法適用だそうで…
どなたも書かれていないようなので、同業他社から話が出るのも何ですが私から。

名古屋市に本社を置くアルプス社が、10日(金)に民事再生法の適用申請を名古屋地裁に出したそうです。私は翌日の鉄仲間同士での忘年会に浮かれてこの事実を知らず、昨日になって知り合いの測量地図屋さんから電話で聞かされて驚いた次第です。

メディア各社で背景についての簡単な解説も行われていますが、私なりにこれはやはり…と思い当たる節があります。メディアで流されている情報と微妙に違っていますけど、一言で言ってしまうなら「業務拡張の失敗」だったのではないかと。

民事再生法の適用ですから、営業は続けていく方針のようですが、当然現在の体制のまま維持することにはならないはずで、不採算部門の切り離しなどがどう行われるかなど、気になる点がいくつもあります。さしあたっては、管理を一手に引き受けていた「マピオン」の維持をどうするのかが関心事ですが。

久々の投稿が沈んだ内容で、失礼しました。
[35201] 2004年 11月 20日(土)18:50:32スナフキん さん
天気の良い土曜日でした
今日は大変天気の良い日でしたね。朝から各方面への高速道路はかなり混雑していたようですし、駅の掲示によれば10時40分から、早くもディズニーランドは入場制限が始まっていたようです。それなのに私ときたら、今まだ休日出勤の職場にいるしまつ。サイクリングしたり山登りしたり、アウトドアには絶好の日和だったはずの一日は、私にとって地図索引の作成で終わってしまおうとしています。よく「好きな仕事ならいくらやってもいいじゃない」と周りから無責任な話をされることもありますけど、やっぱり休日出勤は体が休まらないので、しんどいのは普通の人と変わりません。私もスーパーマンじゃありませんからねぇ(苦笑)。しかも索引とりは文字の羅列に向かってひたすらインデックスをふり続ける、非常に地味な仕事。地図は参照物として見るだけで、いきおい単調でドライな仕事になりがちです。かえって、大元の索引データのちょんぼが次々に発覚して恥ずかしいやら、イライラするやら…。地図制作や編集の仕事とは、ずいぶん異質な作業でもあります。

明日は、知り合いの計らいで昼間、今尾恵介先生とお会いできることになりました。オフの際に明らかになった、kenさんが仲間であるところのオーケストラ練習前にご対面の予定です。我が社と関係の深い財団法人発行の情報紙面上で、再三にわたって上司の執筆と隣り合わせになったりしているのですが、お互いに全く面識はないそう。どんな話ができるのかちょっと楽しみだったりします。

最後になりましたが、熊虎さんがさしあたっての職が見つかったとのことで、ちょっとほっとしました。いつぞや、地図業界の内情を明かそうとメールを送ったもののあまりポジティブな内容にならず、帰国後の身の振りようが決まらないのはあのメールがまずかったんじゃなかろうかと少し気になっていたので、安心しました。
[35102] 2004年 11月 15日(月)09:48:28スナフキん さん
地震の影響を長野で思う
週末は社員旅行の野沢温泉に絡め、北信越のあちこちをうろついてきました。

県境にほど近いとは言え震源からは相当に距離のあるはずの野沢温泉ですが、やはり地震や台風による被害が不安をかき立てるのか、団体を中心にすさまじいキャンセルの嵐だそうです。個人客はともかく、団体の場合は一部からでも不安の声が挙がれば強行するわけにいかずに全キャンセルとなるケースが多いらしく、しかも受け入れる旅館とすればそれは大口顧客の逸走を意味するわけで、団体旅客については半ばキャンセル恐怖症に陥っているとか。どうもその被害は予想以上に深刻なようです。その後宿泊した木島平村のユースでは、ほとんど被害がなく普段通りに紅葉狩りができたはずの秋山郷が、野沢を上回る閑散ぶりで嘆いていたとの話ももたらされました。今年は甲信越、台風に地震に火山噴火に、厳しい試練の年となってしまったようで胸が痛みます。

このユースでは小千谷の話も聞くことができました。被害の深刻な地域の一つである小千谷にも、最近オープンしたばかりの新しいユースがあったのですが、もちろん今回の地震で被災。知り合いのユース経営者が様子を見に行った話を又聞きしたところ、地域内でのきずなの深さも一長一短だという話。報道では主にきずなの深さを好意的に捉えているようですが、地元の人の受け止め方は必ずしもそうではないようです。ここで書くと問題になりそうですがあえてこういう側面もあると言うことで書いてしまいますと、要は「抜け駆けができない」のだそう。同じ区の中では、とにかく区長さんが全てを取り仕切る仕組みができあがっているので、個人の希望で「あれが欲しい、これが欲しい」と発言するのはなかなか難しいようです。小千谷のユースに関しては、いわば地域に新たに住まうようになった新参者であって、その気になればできるはずの親戚を頼った遠方疎開もきずなの深さがひっかかって踏ん切りがつかないジレンマがあるそうです。きずなの深さは時として、こういうことにもなるのだなと、外部の人間の無責任な感想とは言え、複雑な思いがしたのでした。翌日は長野駅で、中越地震に伴う新潟からの臨時直通快速を目撃しましたが、相当の長距離を走るためか車両が不足しているようで、列車によって車両がまちまちでした。私が見たのは、現在も運転ができずに余っている特急「北越」用の車両。グリーン車も連結していますが、完全に指定席または自由席として解放しているようです。しかし、行先の表示には急遽作ったとおぼしき新潟-長野(越後線経由)の張り紙がしてあり、先頭部も赤い字の「快速」が貼られているのみ。裏の電照表示を見たら、長野行設定がないらしく「回送」になっていました。新潟の車が、長野という来慣れない地で東海の車両と並ぶ姿は、やはり普段の姿ではありません。そのことの興味以上に、この非常事態は一体いつまで続いてしまうのか、そちらにむしろ胸が締め付けられるような思いがするのです。

台風の爪痕は今でも至る所に残っています。千曲川の河川敷はいまだにゴミだらけですし、飯山線も信濃浅野~蓮間で、線路に直接の影響がなかったものも含めるとブルーシートで覆われた崖が7ヶ所見受けられました。そのうち1ヶ所は路盤や線路がごっそりえぐられた跡が生々しく残り、時速35キロの最徐行規制がかけられています。豊田村の温泉施設「もみじ荘」はこともあろうに改装工事着手(11/1~)直前に表側ののり面が台風でえぐられており、本当に12/3に再オープンできるのか心配です。そして、最近は落ち着いていますねとユースで話した浅間山、まさか自分が通過した7時間後に再び噴くとは思いもしませんでした。今考えてみれば、ユースでは何と不謹慎な話をしたことか…ちょっと後悔しています。

思えば、長野電鉄木島線が廃止されて実質初めての訪問となったこの地域ですが、代替バスは貧弱な並行道路の通過を余儀なくされています。木島平村からのローカルバスでは停留所自動放送で今だに、木島駅が近づくと「鉄道線はお乗り換えです」と吹き込まれたまま。片や路盤の一部は北陸新幹線の高架用地に転用されて跡形もなくなっています。日本の将来って、本当にこんなのでいいのか…そんな思いがこみ上げてきます。

とにかく、いろいろなことを考えさせられた社員&個人旅行でした。
[34864] 2004年 11月 6日(土)00:43:25スナフキん さん
地図屋にとって大事なこと
[34853]佐賀県さん
佐賀県内の合併後の地名
情報ありがとうございました。地図屋にとってとても重要なことで、大変助かります。合併した場合、削除した旧自治体名の跡はポッカリ空白になって残ってしまいます。これを埋めるべくいろいろ考えるのですが…。唐津市のように、いわゆる「広域大字」スタイルですと旧自治体名から「町」「村」など外してそのまま配置すればいいので、修正指示は面倒ですが見てくれは記号が少なくなったなとか、境界線がなくなってスッキリしたな程度の違いで済むのです。ところが旧白石町のように、役場事務所は別になるし、元あったところがスカッと抜けてしまうところは文字密度が薄くなり、ちょっとみっともなくなります。しかもこの場所は佐賀平野の一角であり、地形レリーフの描画がなく低地色一色のエリアだったため、境界線を撤去したらイメージよりもはるかに寂しくなってしまって正直困っています。

駅のお話ですが、今回の一連の合併でも例えば北会津村など鉄道は通っていないから、私の管理している全駅データもメンテの際にわざわざ検索かける必要もなかろうとたかをくくっていて、念のためと思ったら何と只見線の会津本郷駅は会津本郷町になくて北会津村だったことが発覚し、併せてわずかな区間ではありますが只見線が北会津村域内を通過しているのも判明して、自分で入力したデータでありながらびっくり仰天したこともありました。意外な落とし穴は、意外に自分の近く、自分が普段接しているものから出てきたりもするのですね、やれやれでした。

余談ですが、その合併後の「うめくさ」探しに資料室長があちこちの合併協議会の公式サイトをサーフィンしていたところ、かつて[25282]でキュッキュさんが、[25288]でかすみさんが紹介して下さった連続字を見つけてしまい、うなっていました。「南あわじ市市市」だそうです。淡路島のこの辺り、テーマ図で何度も出てきてしまいます、うへ、どう表現しようか…。
[34620] 2004年 10月 30日(土)23:24:20スナフキん さん
ある出版物の事前打ち合わせに行ってきました
とても久々に書き込む気がします。オフの時に少し明かしました、受け持ちの地図帳がなかなか難物でして、余裕があまりありません。

今日はそんな中、休日出勤で上司のお手伝いをした後に出版構想のある書物の事前打ち合わせにその上司共々参加してきました。本当は今日、東武東上線でリバイバルカラー復活記念列車の運転と撮影会実施日でしたが、抽選に漏れたためにこれらを切り捨て、打ち合わせ場所の都内は世田谷区まで遠征してきました(雨の中の撮影会はご免で、当選していなくてかえって正解でした)。この出版物、オフの際話題になったものとは全く別件でして、大学時代にお世話になった教授の退官記念出版として予定されているものです。通例、このような企画ですと執筆者からの寄稿はせいぜい10人程度なのだそうですが、今日の打ち合わせに出てみてビックリ、各々が持ち寄ったテーマ数だけでも39もあるとか。周りの反応を見る限り、「この先生の記念なら、ぜひ書かせてください」という返事が多いとのこと。人とのつながり、人望ってこういう時にものを言うというか、大事になるんだなあと考えさせられました。かく言う私も執筆者の一人に名を連ねているのですが、とにかく他の執筆者の方々が「大きい」。高校や中学の先生、大学教授、挙げ句には名誉教授までが名を連ねています。超のつく零細企業の一平社員みたいな小さい人間が、何を書けば同じ土俵に立つことができるのでしょうか。仕方なく、今構想を練っている素案を発表こそしましたが、執筆者一覧でも書物のタイトルからも名前負けしそうで、掲載予定の図をもっと練らないといかんなと悩んでいるところです。

で、そこで小耳に挟んだハミダシ情報をグリグリさんへ。最近は書物のタイトルに、内容にかかわらず「地図」と入っていると売れたりする傾向があるようです。もしオフの際の話、具現化するようでしたら書物のタイトルをまず考えて、そこからいろいろ考えを発展させていくのも一つの手かと…。
[34390] 2004年 10月 22日(金)09:35:54スナフキん さん
台風やら市名やら…
今朝の通勤時、列車や駅のホームに遠足とおぼしき小学生の団体がいくつも見られました。昨今続く長雨の影響でのびのびになっていた行事が、特定の1日に集中してしまったようです。しかし最近の遠足は我々の頃のものよりもずっと「遠」になっているようです。今日乗り合わせた小学生はどうも、新木場からりんかい線に乗るような話をしていました。埼玉県は中南部から東京臨海部まで、考えてみたら地下鉄直通列車でほぼ1本とは言え、所要時間及び距離は随分なものです。

飯山野沢温泉市、協議会で決定されたようですね。今年の社員旅行が野沢温泉に内定していた手前、少し前から新市名を気にしていたのですが、最多得票で予想されていた結果とは言え随分長い名前になりました。この得票も、投じた一人一人が恐らく「記入する住所が長くなる」という懸念をそもそも念頭に置いていなかった結果ではないかと思います。たぶん、そこまで考えて市名募集に一票を投じる人は少ないのではないでしょうか。どっちの地名も捨てがたい、という心理が働けば多かれ少なかれこのような合成で生まれた長い地名が生じる傾向が強いのは、今までの歴史が示してくれている通りです(大網白里とか、天津小湊とか、大湊田名部とか…)。縁のない地域の人間が外野からブーブー言うのもあまり感じいいものではありませんけど、地図編集の観点でだけ言わせてもらうと、漢字による長い行政地名はスペースの関係で結構困ります。「かすみがうら市」のようにひらがなですと、ある程度のスペースを捻出できれば、「カナツメ」の荒技で無理矢理にでも入れられないことはないのですが、漢字ですとそれができないために余地のない場合、やむを得ず長体をかけてしのぐことになります。行政地名自体が、ほとんどの地図の場合採用必須地名になるので、表現上縮小することになる長体はよほどの注記混雑地以外では避けたいところですが…。

やっと、喉につかえていた鳥取市、告示が実施され本決まりになりました。しかし約1週間前の告示では地図に反映できっこありませんし、言い訳できたとしても苦しいものになってしまいます。よって今回は一部仕事において、「あ~あ」と思いつつも見切り発車してしまったものもあり、今になってほっとしています。まあ、「欄外注」など不必要な情報は消してもらわないといけませんけど。
[34298] 2004年 10月 18日(月)17:27:52スナフキん さん
そうか、野田線の改正は明日でしたね
[34278]熊虎さん
そんな臨時列車があったのですね。私はもう、なくなることを随分前から知っており、ことあるごとに旧型車両を待ち伏せして乗車を果たしていたので、思い残すことはもうなく、今回の情報もスルーしていました。

この書き込みを済ませる頃には、大宮発最終の「東岩槻行」列車が発車していることでしょう。明日からは今まで東岩槻の折り返しで使っていた線路がそのまま本線となり、一部列車が岩槻止で残存するほかは、かなりの列車が春日部まで走るようになります。春日部及び沿線にとって、野田線の大宮行本数が増えることで通勤動態にどの程度変化をもたらすのかが少し気になります。伊勢崎線の都心側ターミナルが、地下鉄とのパイプを2本有するとは言え中途半端な感じが否めない上、池袋・新宿という2大ターミナルには乗り換えなしで寄りつくことすらできない現状があります。大宮での乗り換えがしんどいですが、ここで埼京線や増発なった湘南新宿ラインへシフトするのも対抗馬として十分競争力があるルートに思えます、どうなるんでしょうか。
[33854] 2004年 10月 6日(水)09:24:14スナフキん さん
タワーのこと
[33848]KMKZさん
正式名は「神戸ポートタワー」らしいですが、「神戸タワー」で通じますよね。>関西の方
関西の方ではないのですが、関西出身の資料室長に言われて出てきました。

正式名は「ポートタワー」だそうです。神戸は付きません(これは恐らく横浜にある「マリンタワー」にも言えることかと思いますが)。さらに、神戸タワーは湊川新開地にあった別物(現存せず)であって、「神戸タワー」の呼称では混同されて通じることはないそうです。

取り急ぎご報告まで。
[33591] 2004年 9月 30日(木)10:01:08スナフキん さん
どうやら旅先ではニアミスだったようで…
[33400]ありがたきさん
どうやら能登半島ではニアミスと言うか、入れ替わりだったようで…。私は翌25日、1本だけ和倉まで延長する「はくたか」で能登入りし、この日は九十九湾内にある網元のユースに1泊していました。さらに[33560]ではkenさんが書かれているように、ちょうど2ヶ月後に私と全く同じ目的でほぼ同じコースをたどるようです(もちろん私は一般定期列車に乗ったのですが)。メンバーのうち3人が、ほぼ似たような時期に同じ方向を向いて旅をするってすごい偶然ですね…。本当ならもっと廃止直前に行くと逆に廃止前の気運が高まっている様子が見られたりするのでしょうが、その時期に能登まで遠征するのはまず不可能なので(雪や寒さ以前に、合併祭りで抜けたりすれば仕事がタイヘン…)、まだ半年近くあるこの時期に私はお別れを済ませてきました。

[33562]でありがたきさん自身が書いておられますが、地元の人には不謹慎な話になりますけど、あちこちの鉄道にやたらに乗っている経験と照らすと、私も乗りっぷりがこの程度では正直経営として成り立たないなあと感じました。特に、行きの列車は最混雑区間が七尾~和倉、のと鉄道としてはもっともうまみの少ない状況です。「はくたか」の遅れを引きずってしまい、気丈に回復運転を敢行する女性運転士にちょっと気の毒なくらい、乗車率はよくなかったです。首都圏から直接入ってくる特急列車からの接続があってもなお、半島奥地へと利用者を導くことができない鉄道会社の経営は、苦しいのだろうと言わざるを得ません。

能登空港アクセスの話も出ていましたが、開港後まだ1年ちょっとにもかかわらず能登空港の先行きがきわめて不透明な現状からすると、相当に勇気のいる投資になってしまいます。そもそも現段階で1日の離着陸がたったの2回、それも羽田線のみ、機材も737-400という小型機である現状では鉄道アクセスが必要、またはそうすることで需要が掘り起こせる地域規模とも思えません。その、決して恵まれているとは言えない現状でさえ、ユースの方の話では「搭乗率7割を切った場合は不足座席数を県が全面的に負担して補てんすることを条件に何とか2便飛ばしてもらっている」「本来は伊丹または関空線も飛ばす構想があったが、航空会社側との折り合いが全くつかずに実現せず」という話を聞くにつけ、先行きは不透明なのだろうと感じます。また、開港を契機に道路が便利になったと言われる割に、鉄道沿いの海岸には開港による活性化の波が押し寄せているようには見えなかったのも大いに気になります。つまり、海べりの道路は従来からほとんど改良されないまま残っているように見えるのです。丘の上では空港が道の駅になる日本初のケース、などとうたい文句が出ているのですが、海沿いを行く今回の旅では利便性向上を肌で感じることは、ついにできませんでした。

存続を求める運動の痕跡も見られましたが、能都町で見られた駅の啓蒙看板、常に列車の方ばかりを向いていたのがとても気になりました。列車を利用することすら考えない、ホームの外にいる人たちに向けて発しなければならない標語が、列車に向けられてもそれは内に対する意識を高揚するだけであって、地域全体での鉄道を守る運動には繋がらないような気がしたのです。看板の片隅にはまだ、「Y」字に描かれたのと鉄道のルートを示す赤ケイが描かれていました。来春からは「Y」どころか「I」、それも寸詰まりの「I」になってしまうことを考えると、やりきれない思いがします。不便になるからやめてくれと、声をあげたい人々は往々にして交通弱者、イコール社会での発言力がそれほど高くない人たちです。彼らがそう思って声をあげても、社会の歯車は勝手に回って鉄道がなくなる方向へとどんどん進んでいくのは、免許を持つ私から見てもどうも理不尽な気がするのですがどうなのでしょう。

便数・利用者数がきわめて限られている能登空港では、逆に方面別乗合タクシー制度がよく機能していました。空港連絡バスよりも使い勝手が良くて値段も割安なことが多く、そこそこ浸透しているようです。中にはちょっとあこぎな使い方をしている人もいるようですが(汗)。
[33226] 2004年 9月 22日(水)10:19:47スナフキん さん
境界線のよもやま話
[33059]で、グリグリさんからお尋ねがあった件です。

正直、ご指摘の場所を見てう~んと唸ってしまいました。普段から仕事で地図に接しているのでどうしてもドライな接し方が多くて、情熱的かつ局所的に地物類を眺めて疑問を感じたりすることはあまりなく、言われて初めてここの境界はいびつな形状をしているのに気づいた次第です(汗)。

私の知識の範囲内で一つずつお話しします。
複数の地図を見ても、名古屋市と十四山村の間の日光川の内水面の境界線の形状が統一されている
これは、逆に各図ばらばらの方が大問題ですね(汗)。各社がめいめいの基準で判断して勝手に境界線を引いていては正しい境界線が分からなくなってしまいます。大前提として、こと境界線に関しては市町村の面積や課税の話などシビアな問題に発展することがあるので、編集地図においては国土地理院の地形図に記載の境界線形状をそのまま採用することがほとんどです。汚らしい言い方をするならば、こうしておけばやれここがちょっと違うだの、やれここの出入りはもっと複雑だのと指摘を受けても、それは国土地理院(すなわち、国の機関と言い換えられます)が記載している境界線なので…と言い訳ができるのです。ですから、各社の境界線形状が一緒なのはある意味当然とも言えます。

ご指摘の日光川の場合、幅のある地物に対しての境界線ですが、例えば地形図上できわめて細いケイ(破線徒歩道や一条の灌漑用水路など)に境界線が沿ってしまう場合、地形図は判読可能なように総描して意図的に境界線の位置を微妙にずらして表現する場合があります(すでにご存じの方もいらっしゃるでしょう)。このように地形図が意図して境界をずらしているのが明らかな場合、編集地図では各社、微妙に表現が異なってくる可能性はあり得ます。地図の制作目的に合わせて、境界線を総描した位置から正位置と思われる位置へとずらす操作をした方がいい場合もあるからです。

これが住宅地図など超大縮尺クラスの図になると、道路や河川のどの辺りを境界が走っているのかがシビアになったりもするのでしょうが、残念ながら私の会社では大縮尺地図はあまり手がけることはないので、そこまで突っ込んだ考えに及んだことはなく、この方面に関してはお答えのしようがないのが実状です、すみません。

何らかの確定したルールか定義
ここの表現が微妙なので、ちょっと答えにくいですね。ルールか定義というのが、地図の表現上での話なのか、それとも境界線決定における話なのかが前後の文章からも類推ができません。地図表現上の大まかなルールみたいなものは、上記の通り地形図に準ずるということがはっきり言えます。ただ、内水面における境界線決定のルールみたいなもの…となると、これは明確なものはないように思います。もっと言うなら、隣接している自治体間で協議して決める、ということに尽きると思います。ですから、最初に[30587]でグリグリさんがおっしゃっている
名古屋市とは日光川の水面挟んで対峙しているように見えますが、川面に蟹江町が入り込んでいます。
というようないびつな境界形状の理由も、「そうやって取り決めたから」という以外にははっきりしません。ただ私の口から一つ言えることは、旧版地形図を遡っても、ここの境界線形状は長いこと現状維持でずっときているようだということです。昭和20年代後半から、ずっとこんな形のままです。この周辺は地名を見ても分かるように新田開発地域ですから、恐らくはその頃に遡って、当時の自治体またはそれに類する組織間で境界線を取り決めたのではないでしょうか。

結局大した答えになっていませんが、一応お尋ねがあったので…。
[33175] 2004年 9月 21日(火)10:53:57スナフキん さん
北海道のトトロのこと
取り急ぎレスです。

[33170]KMKZさん
北海道にもトトロがありましたか。やはり、アイヌ語由来の地名ですかね。
この場所に何度も足を運んでいる私から、ちょっと横レスです。結論から申しますと、アイヌ語とは何の関係もないはずです。もともとこの場所は峠でも何でもない登り坂の途中なのですが、深川市の青年会議所の有志だったかが、ここから見える夜景を売り込もうと尽力し、周辺整備にまでこぎつけたのだそう。最近では駐車スペースも出来たりしていますが、もともとは街灯も何もなく、星を眺めるにも夜景を眺めるにも、夏には遠くの花火を見るのにも最高のロケーションでした。しかし駐車スペースを設けた際に明るい街灯が設置され、夜のビューポイントとしては少し格が落ちた感じがします。

で、「トトロ」のいわれですが、もともとこの場所は裏手が畑でして、この畑のためと思われる倉庫代用としてバスの廃車体が置かれていました。ただ、夜景を見に来るのにバスの廃車体の放置はあんまりだろうと思ったのか、このバスは「ネコ」に塗られていました。ここから「トトロとうげ」としての整備が始まったわけですが、要はいわれはそういうことです、「ネコバス」からきているようですよ。
[32914] 2004年 9月 15日(水)11:54:16【1】スナフキん さん
路面電車、もう少し
せっかく[32902]で猫使いさんがきれいにまとめて下さったので、もう少し完璧な表にしようと項目を加筆してみました。なおここでは、全区間が道路との併用で誰がどう見ても「路面電車」であるものについては、煩雑になるので省略しています。また、えちぜん鉄道に関しては全く路面電車との区分を迷う要素が見当たらず、明白に「鉄道」と考えられるのでこれも挙げていません。○印が該当すると思われるもの、△印が部分的にそうであると認められるもの、×印がそうでないものです。猫使いさんが入れて下さった注釈は外したほか、駅すぱあとの分類は所詮他者の区分なのでこの項目は取り上げていません。
事業者根拠法併用区間の有無路面電車形状車の運行
都電荒川線軌道法×
東急世田谷線軌道法×
江ノ島電鉄鉄道法×
名鉄岐阜市内線軌道法
万葉線鉄軌両
福鉄福武線鉄軌両×
京阪大津線軌道法×
京福電鉄軌道法
阪堺電軌軌道法
広電宮島線鉄道法×
伊予鉄市内線鉄軌両
土佐電鉄軌道法
筑豊電鉄鉄道法×
熊本電鉄鉄道法×
△項目にも大小の差があるので一概には言えませんが、比較対照するのには便利かなと思います。こうして表にしてみると改めて、車両の形状が路面電車イメージを大きく左右しているなと感じます。逆に、法律でくくると結構おかしな結果になるのも見えてきますね(批判するつもりはないのですが、結果的にそうなってしまいました、すみません猫使いさん)。都電と東急世田谷線がなかなか同一視できなくても、こうして表を作ってみると同じものだという説得力が出てきます…。

※抜け落ちていた阪堺電軌を追加
[32894] 2004年 9月 14日(火)21:52:44スナフキん さん
路面電車の補足
[32884]special-weekさんへ
書き込み直後に[32886]YASUさんがフォローして下さったような事情が、筑豊電鉄にはありました。西鉄北九州線廃止後、今度は黒崎駅前~熊西間が「第二種」・「第三種」鉄道事業の混用区間となり、鉄道・軌道を論ずる以外にも複雑な要素を持ち合わせるようになっています。

で、[32882]で私が書いたような「フィーリング」では説得力がないので、一応補足しておきます。大部分はやはりYASUさんが書いて下さっていますが、筑豊電鉄を普通鉄道のカテゴリにありながらあえて路面電車と区分した理由は幾つかあります。最大の理由はYASUさんご指摘の、過去に路面電車との乗り入れを実施していた実績があり、運行車両を誰がどう見ても路面電車に他ならない形態であること。これを、黒崎~直方間で併走する福北ゆたか線と法律上は同じ範疇だといくら理屈をこねても、多分誰も納得しないに違いありません。いくら自己満足で作った資料とは言え、現実とかけ離れたデータにはしたくないとの思惑が働きました。2次的理由として、類似例と比較するとここを「鉄道」として扱うのは無理があるなと感じたこと。その類似例は「広電宮島線」です。こちらも法律上は鉄道の看板を掲げていますが、ご存知のように車両は広島駅前から路面電車区間を経て堂々と直通してきます。したがって運行車両も全部路面電車スタイル、こここそ併走するJR山陽本線と同じ仲間であるとは、ほとんど思われていないことでしょう。宮島線を「路面電車」にするのが(○)であるなら、筑豊電鉄もしかりだな、と判断しました。
[32882] 2004年 9月 14日(火)13:40:38スナフキん さん
浦島太郎(汗)なレス
週末は実家に、「蟹が届くから」の誘い文句に乗せられ自転車で戻ったのですが…翌日日曜日は彩の国まごころ国体・ゴルフ競技(実家から自転車で10分ほどのゴルフ場が会場でした)を秋篠宮ご夫妻がご観覧になるとのことで周辺は大騒ぎ。とにかく警備の凄いことといったらありません。思えば皇族がこんなにも間近にいらっしゃるのは初体験でしたが、白バイやパトカー、捜査車両がニュータウンの小道に至るまでウロウロしまくり、主だった交差点という交差点には必ず「警備」腕章を付けた人もしくは警察官が最低でも1人は張り付き、それこそ自転車で怪しくうろつこうものなら即職務質問されそうなピリピリ感。皇族の方々も、そして周辺の方々も、いろんな意味で大変ですねぇ…。

さて、[32666]で私が
あとで自分の手持ち全駅データをちょっと解析してみます。
とか書いてから1週間が経ってしまいました。結果、[32612]でspecial-weekさんが挙げられた路線以外に私のデータでは、以下の路線が「路面電車定義」されていました。

筑豊電気鉄道

逆に、以下の路線は「普通鉄道」扱いしていました。

江ノ島電鉄、えちぜん鉄道

もちろん、上記区分は私が勝手に仕訳したものであり、特段明確なものさしをもって線引きしたわけではありません、あくまでも「フィーリング」です。


もう1点。もっと昔に六合村談義がありましたが、[32486]で私が
関東高等学校登山大会に参加したときの資料が残っているはずなので、帰ったら見てみようとは思います
と書いてから、もう2週間ぐらいになってしまいました。一応皆さまからそれらしい答えが導かれたようなのでもうやめてもいいのですが、参考までに当時頂いた「六合村の自然と暮らし」(第35回関東高等学校登山大会配布資料・群馬県高等学校体育連盟登山専門部編)には以下のようなくだりがあります。

1.六合村のこと
明治33(1900)年に入山・生須・小雨・太子・赤岩・日影の各村をもって草津村から分かれて六合村となり、現在に至っている。

6.六合村の歴史
明治・大正期
明治22(1889)年の市町村制の施行まで、赤岩村・生須村・日影村・太子村・小雨村・入山村の各村が独立していた。これらの村と現在の草津町が合併し草津村が生まれたが、温泉をかかえる草津と山村の生活をおくる六合では様々な齟齬が生まれて来るのはいたしかたないことであった。このため明治33年に草津地区と分離して、現在の六合村が生まれたのである。

高校生向けに作られたはずの資料ですが、今の私でも(語彙が少なすぎて)字引を引かねば分からない「齟齬」などという難解な単語を使うなどあまり好感は持てませんけど、暗に「ケンカ別れした」ことが記されていますね。完全に乗り遅れレスですが、参考までに。
[32666] 2004年 9月 7日(火)09:36:33スナフキん さん
つまみ食いレス
[32619]EMMさん
何をどうしてもどうしようもないことはわかっているのですが、でも何とかならないか、ああすればどうだろうと考えてしまう。
微妙な心理状態はお察しください。
よく分かります。地域に愛着があればあるほど、こういうふうにどうしても思ってしまうのですよね。
私も自分の書き込みの中で、男鹿半島で枯れるに任せている樹木は何とかならないものかと考えるくらいですから。

何でもかんでも自然の猛威に為す術がないとあきらめていては、時として人間としての営みが成り立たなくなることもあります。「何とかしたい」との思いは大事だなということもあるのですね。その最も顕著な例だと思われる場所に、今月末に行くことになりました。100年近くの長きに渡り、富山平野を自然現象の猛威による壊滅から縁の下で、いや山の上で守り続けてきた場所です。人間が自然現象と真正面から対峙しようとすると、どうしてもかなりの危険を伴います。ですからこの場所は作業従事者ならびに関係者以外の立ち入りは原則として認めていません。従ってこの場ではあえてこのエリアの詳細を明かすことはしませんけど、上記記述から地理好きな方であれば大概想像はつくかと思います、私が訪れる場所のことを。変な話ですが、危険度は同じくらいであるはずの北アルプス槍ヶ岳へ登山するときよりも、何だか緊張感を伴います。この緊張感はどこからくるのでしょうか…自分でもよく分からないでいます。

行程では奇しくもこの前日、話題の千里浜脇を通る予定でもあります。ただ今回の能登遠征はどちらかと言うと、廃止が約半年後に迫っているのと鉄道を末端まで乗っておこうというのが主目的なので、肝心の千里浜は通り過ぎるだけ、それも七尾線からは確かあまり(と言うか、ほとんど…)海岸は見えなかったような気がするのでホントに「触る」程度の訪問ですが、今回の一連のやりとりを頭の隅にでも置いて行ってみようかと思います。

直接害を与えているのは酸性雨ではなく、松食い虫(マツノザイセンチュウ)の場合が多いです。
(中略)
酸性雨の影響は薄く広く出ていますが、浜よりもむしろ山林のほうが大きいです。
よ~く考えたら、その通りですね。知識がない以前に、きちっと事を考えないでもののはずみで書き込んでしまう私の悪い癖が出ました、反省。

[32556]でるでるさん
わざわざ情報を書き込んで下さって、ありがとうございます。ただ今、あまり合併とは縁のない地図の仕事がかなり多忙でして、一時期のように合併データをこまめにチェックすることはできないでいますので助かりました。島原市・有明町は当時の情勢で11月合併は限りなく不可能に近かろうとの判断で、図中における修正を見合わせ当社初(大げさですが)の欄外注にて対処していたことが、結果的に吉になりました。ただ、今回の延期決定により欄外注の文言「11月1日合併予定」もウソンコになってしまいましたが、さすがにこれを反映させるには決定が遅すぎ、手遅れでした。今頃印刷所ではすでに欄外注そのままの状態で輪転機が回っていることでしょう…(涙)。地図では時としてこういう微妙なタイミングで載せられない、悔しい情報があったりします。

路面電車も気になりますが…あとで自分の手持ち全駅データをちょっと解析してみます。
[32489] 2004年 9月 3日(金)13:15:39スナフキん さん
続・草津村のこと
以前の書き込みのあと、資料室長が1967年の六合村村勢要覧を持ってきてくれました。この冊子中、沿革の項に興味深いことが書いてあります。

明治33年7月1日草津村を廃し、大字草津村・前口村を以つて草津町、大字入山村・小雨村・太子村・日影村・赤岩村・生須村の6大字を以つて六合村と称し現在に至る。
(原文ママ、但し一部句読点を置換)

と、明確に「草津村がなくなった」ことが記述してありました。[32458]で烏川碧碧さんが紹介して下さったものの古いタイプとも言え、数十年にも渡って表現が変えられていないようです。以前にも書いたように、編集担当にどれほどの知識があったのかどうかが推し量れないのでイマイチ正確性には欠けますけど、それでも当事者であるところの六合村が発行する、限りなく公的文書に近い存在の村勢要覧での記述です。しかも、言い回しに何とも官報からそのまま抜粋、みたいな雰囲気があり、一つの参考資料にはなるかと思います。他方、草津町の要覧も手元にあるのですが、こちらは核心部分の表現が玉虫色になっていてはっきりしないので、あえてここで抜粋はしません。Issieさんご指摘の例もあるように、明治時代はひょっとすると昨今の情勢とは異なり、自治体の分割が行われること自体がちっとも不思議でなかったのかも知れませんね。今なら例えば、上九一色村の例を出すまでもなく、限りなく不可能に近いとは思いますが…。

角川の地名辞典には、分離の理由として
地域が広すぎること、温泉と農林業では生活習慣も違うこと
を挙げています。穏やかな表現に見えますけど、両町村はどうも「ケンカ別れ」的に分離したようにも見えます。ひょっとしたら再びそのケンカの火種になるのを恐れて、何だかよく分からないグレーな表現ばかりが見えているのでは…とか勘ぐってみたくもなります。

ちなみにこの村勢要覧の沿革下、「部落を行く国鉄長野原線(長野原~太子間)」なるタイトル付きの写真が掲載され、1両のディーゼルカーがポツンと走っています…うわ、萌え(汗)。

結局のところ、やっぱり分からないままなのですが(大汗)。
[32486] 2004年 9月 3日(金)09:22:41スナフキん さん
草津村のこと
ちょっと気になるので調べてみましたが…分かりません(大汗)。

もともと、書物の編集者が当落書き帳参加者の皆さんのように法律上の文言や言い回しに長けていて、理解度も高い人ばかりではないですから、どうしてもあやふやな表現になるのは仕方がないのですが、歴史地名体系・群馬県の地名を見ても、角川の地名辞典・群馬県を見ても、記述のニュアンスは一緒でして、

「草津村→草津町+六合村」

としか読み解けません。草津村が残されてどうこう、とまで読み進められる記述にはなっていないのです。確か、自宅には10年以上前に六合村で行われた関東高等学校登山大会に参加したときの資料が残っているはずなので、帰ったら見てみようとは思いますが…これとて、高校生向けに作られた教本でありますし、そもそも六合村の制作担当者がこの分割劇に関してどれほど関心を示し、どれほど突っ込んで調べたかは未知数であり、あまり過度の期待はできませんけど…。

ただ一つ言えるのは、この大会参加時に、六合村の担当者はかなり草津町にコンプレックスを抱いているなというのが、高校生だった時分の私でも感じ取ることができました。どうしても、メジャーになりすぎた観光地から切り離された六合村、のイメージがついて回るせいかもしれません。
[32367] 2004年 8月 31日(火)15:32:27スナフキん さん
また少しレス
勤務中なので控えめに…(汗)。

[32312]YASUさん
そうでしたか…。今回のとりまとめ役も廃バスを追って駆け回っている方ですし、お気持ちは分かります。私も目の前の幹線道路を新しい型の路線バスが走っていると気になりますし、空港近くでボーイング747-400が空を横切ったりすると血が騒ぎます。これは親の遺伝子のせいかと思いきや、弟は大学在学中にバイクにハマって北海道中を走り回ったとか。やっぱり男は「乗り物が好き」なんでしょうか。

鉄から進化(退化?)しました。
う~む、鉄もバスも同類並列に思えますから、「転化」ではないでしょうかねぇ…?

また、静岡県方面にも遊びに来てくださいね。
実は今回、二俣線(汗)沿線は初訪問でした。新幹線や東海道線など、静岡県も浜名湖の南側、海沿いはもうイヤと言うほど通過しているのですが、視点を変えてみると今回のルート、とっても新鮮でした。時間さえあれば、森の町や掛川城だけでなく二俣の町、天竜川下り、姫街道も歩いてみたい衝動に駆られます。さすがに東海道筋は通い過ぎて少々食傷気味(?)なので、こんな感想が出てくるのかも知れません。

[32331]稲生さん
森町の合併協離脱がもたらす杞憂
上記の通りこの地域に初めて足を踏み入れた者が言う話ではないかも知れませんが、森町で立ちこめた暗雲が浜松地域にまで広がっていくかどうかはさすがに分からないとしても、これだけ肥大化する市を1枚岩にするのは並大抵の努力ではうまくいかないのでは、と思ってしまいます。今回の静岡行は仲間何人かと連れ立って行きましたが、「佐久間レールパークが浜松市になるのは、どうも妙だ」との私の感想に誰も異議を唱えませんでした。こうして、既成の地理的概念は崩れて新しい概念に置き換わっていくのかなと、あまりネガティブには捉えないようにしていますが…。三ヶ日へ向かうトロッコ車窓から、対岸にある「パルパル」が見えました。思えば浜松市中心部はさらに向こうなのですよね、三ヶ日の人は浜名湖を挟んで、どれほど浜松市の方に熱い視線を送るのでしょうか。決して多くはなかった天浜線の利用者ですが、大半の人は新所原から豊橋行電車に移ったようです。サーッと通り過ぎただけの旅人感ではありますが、浜松市の政令指定都市への道のりは平坦ではなさそうだなあと感じました。

[32340]花笠カセ鳥さん
能代市と山本郡6町村の名称が「白神市」に決定しました。
合併が実現した暁には、「バスケットボールのまち白神」となるのですね。(腕組みをして)う~む…やはり既成概念は崩れるためにあるのかも(激謎)。
[32313] 2004年 8月 30日(月)09:51:05スナフキん さん
ちょっとレス
[32308]淡水魚さん・[32290]はやいち@大内裏さん
森町、やはり合併慎重論が強かったのですね。先日通った場所なので、少し事態の推移に注目していましたが、このままですと調印式を済ませた後の転覆になってしまいそうで、残された袋井・浅羽の立場が宙に浮いてしまいます、どうするのでしょうね。先日は天浜線の長い停車時間に、素朴な木造駅舎に惚れ込んでしまい何度もシャッターを切った遠州森駅ですが、駅名板がどうも妙にきれいだと思っていたら、ここは3セク転換時に「遠江森」から改称したのでした。「森の石松」で知名度の高い森町は、やはり「森」の地名が霞んでしまう合併に抵抗があったのかも知れません。ちなみに、山川出版の静岡県歴史散歩には「北遠の小京都」と紹介されています。地図を見ると、太田川沿いに密集地が細長く広がっています。奥行きがそれほどない分、歩きやすそうな町ですね。途中下車する余裕が行程にあればよかったのですが、先日の旅は乗り継ぎに次ぐ乗り継ぎで、掛川城すら拝めない有様…。

[32287]EMMさん
紹介された画像、気になるので私も参照しました。
地元の方、あるいは地元出身の方には少々冷たい表現になってしまいますけど、自然の力強さをまざまざと見せつけられ、人間がその大きな力を止めることは難しいのだなということを痛感させられる画像だと思いました。波による侵食では、同様にショックだったのは静岡市・焼津市間の大崩海岸。波が岩盤を砕いた結果、東海道線の古いトンネルが海岸にゴトンと落とし込まれている写真を見たときのショックはそれは大きなものでした。今回の台風もそうなのですが、自然の大きな力に対して人間ができることはどれも「対処療法」。力によって起きる現象に予防線を張る程度のことであって、力そのものをねじ伏せることは人間にはできません。大きなビルを造れても、高い鉄塔が建てられても、人間はやっぱり小さな存在だということを心の片隅に置いて、謙虚に自然と接することができればいいのですが…。

話が少しずれますが、日本海側では同じ自然から受ける影響の一つに、「酸性雨」があるという話を聞いたことがあります。確かに、山陰線を西進すると出雲市より先の防風林は枝だけ残してボロボロの樹木が目立っていました。今夏は鈍行での秋田行道中、鳥海山を過ぎてから仁賀保・象潟・本荘・岩城付近の防風林がやはりボロボロになっていて、かなりショックを受けました。それ以上に、生まれ故郷の男鹿半島は元大桟橋有料道路沿いの樹木でさえ、立ち枯れ状態になった気が散見されました。一説には、中国で大気中に放出された汚染物質が偏西風に乗り、日本海側で酸性雨となって大地に降り注ぐと言われていますが、日本の東北地方にまでその影響範囲が広がっているのでしょうか。地球規模での大気循環はもはや人間の手が及ぶ範疇では到底なさそうですが、そうなると要をなさなくなった防風林に、今まで守られていた地域の風害が心配になってきます。海沿いの地域の憂いは、いつの時代にも止むことはないのかも知れません。
[32250] 2004年 8月 29日(日)00:48:53スナフキん さん
きわめて私的なレスですが…
[32179]YASUさん
8月21日でしたら、私も乗車していました。行きは展望車、帰りは旧型客車に乗っていました。
えぇ~っ?! 私も乗っていたの、その日ですよ。行きは展望車定員からあふれて座敷車両、途中で旧型客車の存在に気づいて、帰りの途中、笹間渡の鉄橋前後に展望車で絶叫した以外は(元)横岡仮駅付近までほとんど旧型客車の中にいたはずです。確か旧型客車内で集合写真を撮ろうとして、ぶれがひどくて未遂になったのが私なんですが…もっとプライベートになって恐縮ですが、ひょっとするとYASUさんは「MR」のメンバーの方なのかな? それともバス方面の方だったのか…確か展望車は車両貸切になっていたはずですから、いずれにしても同じ人を介してビール列車に乗ったのは間違いなさそうですね。いやはや、世の中って狭いものです…。

全然余談ですが、大井川鐵道は神尾の崩落地点が復旧してまもなく半年が経とうとしていますが、線路際の狸の置き物は健在でした。あるいは、崩落復旧後に並べ直したのかもしれませんけど、何だかみていてほんわかしてきて、よかったです。

今年は心なしか台風の上陸及び襲来、多い気がします。おとといから知り合いが乗り鉄をしに九州に行っている筈ですが、九州の鉄道も四国のそれに勝るとも劣らぬ険しい地点が幾つもあり、心配です。台風の進路にあたっている方々にはくれぐれもご注意くださいますように。
[32172] 2004年 8月 27日(金)13:06:57スナフキん さん
乗り遅れてしまった甲子園
話題はとっくに彼方へと過ぎ去ってしまいましたが、たぶん皆さんの誰よりも今大会の優勝校には近い存在だった私は、その熱戦の途中経過を名古屋市内・栄にあるオアシス21のSharpショーウィンドーにて少うしだけ観戦、結果を知ったのはその日の夜、ホテルサンルート長野に投宿してからでした。

「近い存在」というのも実はかなり大げさでして、ただ単に自分はその系列の大学を出た、そして自分はレンタカーを回してわざわざこの学校を見に行った、ただそれだけなんです。道新の翌日付朝刊を見て、フィーバーぶりに改めて驚いてしまいました。表裏全部使って優勝を取り上げる、テレビ欄はそっちのけ…北海道初ですから、このオーバーとも取れる紙面割も理解できます。確かに津軽海峡を深紅の優勝旗が越えた事実は喜びに値しますけど、これを機に全国から学生を集めたりはして欲しくないなというのが率直な気持ちです。今回の優勝は、「どさんこ」だけで勝ち取ったことに本当の意義があると私は思っていますから、それ以上の背伸びをする必要は全くない、はずです。そんなことまでして常勝校になって欲しいとは思いません。北海道の力で、持てるエネルギーを全部出し切って勝ち取った優勝は、オリンピックの金メダルに引けを取らない、いやそれ以上の輝きを持った最高の思い出となったことでしょう。選手の皆さん、おつかれさま。そしておめでとう。

翌日、飯山線の旧型客車に乗る前にチェックアウトした際、ロビーには信毎の号外が野口みずき選手の金メダルを伝えていました。2泊3日で、大井川鐵道ビール列車や天浜線トロッコ、飯山線旧型客車、高崎線無料グリーン車を乗り継いで中部地方を縦断した長旅も、最終日は嬉しいニュースがいくつも耳に飛び込んできて、疲れも吹き飛びました。さらに翌日には、前日通ってきた十日町市に合宿をはった女子レスリングがメダルラッシュ。ニュースを聞いてふと、駅前で3~4切れも食べたスイカの甘い味が、口の中でしたような気がしました。

と、ここまで書いていたら資料室長が何やらコピーを回してきました。日経の記事に「合併特需」鮮度が命、とあります。我々地図会社の苦労を書いているようですが…15~20%増の合併特需なんて、地図制作の現業に携わっていても、実際にそんな地図がバカ売れするとはとても思えないのですが。
[32101] 2004年 8月 24日(火)19:56:11スナフキん さん
合併関連情報
先ほど、オリンピックの野球が気になってテレビを見たところ、関東のニュースで岩槻市とさいたま市が合併協定書に調印した映像が流れました。予定通り調印式が行われたようです。

しかし一方で、加須市と騎西町はグレーゾーンと化したようです。どうも埼玉県は合併があまりうまくいかない土壌なのでしょうか、合併が結実するよりもお釈迦になるケースがやたらに目立ちます。春日部しかり、ふじみ野しかり、和光市周辺しかり、比企郡周辺しかり、そしてこだま市しかり。県も旗振りをしているのでしょうが、今のところ順調に合併手続きが進んでいるように見えるのは合併を果たしたさいたま市と、飯能市、秩父市くらいなもの。協議途上の合併協議会は多数あるものの、今後どれだけ実現するんでしょうか…。
[31920] 2004年 8月 19日(木)09:39:30スナフキん さん
「超」のつく広域合併はどうなるのだろう…
[31891]淡水魚さん
津市など三重県内10市町村で構成する津地区合併協議会は、今月31日に予定していた合併調印式を急遽中止することに決めました。
ここは、新潟や鳥取・松江と同様に、県庁所在地が絡む「超」のつく広域合併のケースですが、他の地域が順調に合併への道を歩んでいるのとは対照的に、暗雲が立ちこめてきたようです。三重県に少しつながりのある資料室長によれば、津と久居の不仲は今に始まったことではないようです。以前も合併話が持ち上がったことはあるらしいのですが、結局は現状維持でここまできています。確かに久居市も城下町ですし、自衛隊が駐屯するなど津を上回る拠点性もないわけではないので、いくら「新設」をうたってもやはり津に飲み込まれる印象の強い今回の合併には、慎重論が根強いのかも知れません。

ただ一方で、それでは久居市を外して合併協議を継続できるのかというと、それもまた微妙です。久居市が仮に枠組みから外れたとしても、新設市はかろうじて香良洲・三雲間で市域は連続しますけど、もろに久居市を「コ」の字状に囲うきわめて不自然な行政区画になり、それこそ周南市の二の舞、あるいはそれ以上のおかしな事態だとのそしりを免れません。西から伊賀市、他3方向から「新」津市に囲われることになる久居市が、今の態度をそのまま続けていくことが本当に得策であるのかも微妙で、今後再び何らかの大きな動きがあるかも知れませんね。
[31889] 2004年 8月 18日(水)09:47:58スナフキん さん
次の告示、これからの告示など
[31873]月の輪熊さん
県議会の可決が最も遅く、今月に入ってからですから、合併決定書の交付、総務省への届け出を考慮すると、今月下旬になりますかねぇ。
今までの県議会通過→官報告示のタイミングを統計的に見ると、おおむね1ヶ月弱またはそれ以上のスパンがあるようです。例外もいくつかあるのですが、湖南市がこの例外に当てはまるかどうかは微妙なところです。確かに合併まであと1ヶ月余りと迫っている事情がありますけど、これをさし迫っていると見るか、まだ日程的に余裕があると見るか…担当者次第かもしれません。私が普段からまとめているあんちょこによれば、湖南は8/3、飯能は8/2にそれぞれ県議会を通過したことになっています。仮に両者が同時に8/20告示だとすれば2週間余りで手続きが完了したことになり、かなりのスピード告示ですね。年明け合併予定の飯能は特段急ぐ必然性を感じませんが、湖南と県議会通過がほぼ同時ですから、素人考えでは告示も同時の方が別々に告示するよりも手間がかからない気がします。このあたりも次の告示でどう出るか、ですね。

関係市町村議会で合併関連議案が可決されたところが現時点で73件、そのほとんどが県への合併申請が済み、9月県議会で審議ということになりますが、それが終わる10月~11月には来年度分もかなり告示されることになりますね。
まとめているあんちょこからもそれはうかがえ、告示が多くて大汗をかいた7月と並ぶ、あるいはそれ以上の事態になることは必至でしょう。9月県議会においてどのようなタイミングで通過していくかでも微妙に時期がずれてくるとは思いますが、いずれ10月からの約1ヶ月間は、新しい自治体の誕生を見守る暇もなく、新たに決まっていくこれから生まれる自治体のことを次々と処理しなければならなくなり、秋から冬にかけて落ち着かない日々が続きそうです。逆に、いまこの時期は秋の合併決定が一段落つき、つかの間の穏やかな時期でもあります。嵐の前の静けさ、とも言いますけど…(大汗)。
[31866] 2004年 8月 17日(火)10:05:44スナフキん さん
本日の官報告示
秋田から戻ってきて、しょっぱなの今日に合併に伴う官報告示がありました。

徳島県美馬郡半田町・貞光町・一宇村→つるぎ町(2005/03/01)
徳島県板野郡吉野町・土成町、阿波郡市場町・阿波町→阿波市(2005/04/01)

とうとう来年度分まで告示が行われるようになってきましたね。阿波市の告示は今までの合併告示の中で最も先のものとなります。

あぁ、休み明けなのに仕事が増えてしまった…。
[31765] 2004年 8月 13日(金)13:29:22スナフキん さん
告示などなど…
[31747]グリグリさん
まぁ、スナフキんさんの悩みから比べたら可愛いもんでしょうが。
そうやって理解していただけると、こちらとしても「ようし、なにくそ!」とやる気が出てきますね、ありがたいことです。私の場合は極端な話、この修正で得たお金で生活しているわけでして、量が多いからと言って「ああぁ~」と頭を抱えたって何も解決しません。チェックリストを頼りに、全国を総なめしながら一つずつ潰していくしかないですね。が、そうは言っても気を抜けばたちまち「モレ」が出てしまいます。まさか尾瀬の拡大図に六日町・湯之谷村両方が、左上隅に小さく顔を出しているとは…京阪神近郊図の下隅に當麻町が少うしだけ出ているとは…してやられました。

そういうことを総合的に考えると[31761]でmikiさんが指摘されている
・高知県本川村、伊野町、吾北村→いの町(10/1)
は、痛みが最小限で済んでほっとしています。10月1日合併予定なのにいつまでも告示・確定できずにやきもきしていたエリアのうちの一つですが、いざ直しをしてみるとラッキーなことに重複して出てくる場所は当該県の高知以外にはなく、合併後も旧自治体名は全く残らず広域大字スタイルにもならないことから単純削除が可能で、指示は簡単なものでした。強いて挙げるなら、左に振ってあった郡境を右へ振り直したのが「どっこいしょ」だったかな、程度のものです。これで、残る10月1日予定のオジャマムシ(汗)は石部+甲西→湖南のみとなりました。やっとここまできたかなという印象です。今のところの情勢ですと、恐らく島原+有明→島原はそのまま11月1日の予定通り事が運ぶとは到底思えないので、11月末で切っても鳥取が絡んでくるのみ。ただこの鳥取は超のつく広域合併なので、それなりの手直しを伴います。先ほど、それを見越して索引中から鳥取市に編入される自治体名をすべて洗い出し、つぶす作業を終えたところです。告示が出次第、入力業者に指示書を送りつければいいという状態にしておかないと、諸々の物量を考えるとあとが怖くて…(汗)。

量が多いから…という言い訳は、一応これでもプロですからしたくないのですが、この秋の合併劇でヒーヒーしてたら来春はどうなっちゃうんだろうと、自分のことながらもさすがに心配になります。せめて告示して確定している分だけでも先手を打ってしまおうかと考えているのですが、重版のタイミングが微妙なのであまり先走るわけにもいきません、この辺りは地図屋ならではの悩みと言えるのでしょうね。
[31729] 2004年 8月 12日(木)11:36:38スナフキん さん
「上野市」は駅名を変えないそうで…
先ほど、地図の修正をする上でどうしても気になるので、近鉄本社に直接問い合わせをしてみました。近鉄としては、「上野市」の駅名を変更する予定は今のところないとのこと。ある程度定着しており、(近鉄が覆う)エリアが広くて変更に伴う手間がかかることもあり…と説明していました。しかしですねぇ、「上野市」はどう見たって行政名由来の駅名であり、その母体が変わってしまっても知らぬ存ぜぬを、鉄道会社が通せるものかどうか…。確かに、カバーエリアが広大な近鉄にあって、上野市というたった一つの駅名を変更するということ、さらには今後増えるであろう沿線の合併に伴っていちいち駅名の変更を検討することは、バカらしいし変更にかかる費用もとんでもない額に膨れ上がるのは必至でしょうから、このスタンスも分からないではないですけど…。合併後、風向きが大きく変わって方針転換、駅名を変更することにした、なんてことになる可能性もゼロではないような、そんな気がします。そうなった暁には、「上野」じゃだめですから(汗)、近鉄上野とか、伊賀市とかにするのでしょうね、たぶん。いずれにしても、今後が見ものです。
[31514] 2004年 8月 7日(土)17:01:09スナフキん さん
本日は地元で七夕祭り
タイトルの通り、上福岡は今日、明日と恒例の七夕祭りです。仙台のものに比べると規模は全然大したことはありませんが、それでも今年は50周年。[31431]で般若堂そんぴんさんが
「花笠祭り」がはじまったようです.この祭り,今年で42回目だそうで,伝統ある祭りとは言い難いのですね
と書いていらっしゃる花笠よりも、単純に回を重ねていることになります。今年はそれ以外にも、駅前西口再開発道路の開通こけら落とし的意味合いも含んでおり、つながった舗装道路部分がそのまま西口会場として利用されています。残念ながら舗装自体はまだ簡易の状態で歩道なども一部未整備のまま。七夕が終わって以降も道路の前後部分に白線が引かれていないことから一般供用はされず、当面再開発事業に伴う工事用車両の通路としての利用に止まるようですが、それでも駅前への都市計画道路の舗装がつながったことは事業全体から見れば大きな進展と言えるのでしょう。

他方、上福岡はすでに1度、合併ご破算を経験しています。再度、大井町との間で任意協を立ち上げているのは周知の通りですが、ここでは住民投票をしないまま議論を進めることが事実上明言されています(恐らく、住民投票にかかる手続きを考えれば、リミットまでに間に合わないとの思惑があるのでしょう)。今日も両市町を自転車で走りましたが、街宣カーが走ったり反対の貼り紙がしてあったり、このことへの反発は決して小さくないようです。政治的にはモヤモヤを抱えながらの、50周年記念祭りとなりました。

お祭りのメインは七夕飾りコンテスト。今年は折しもアテネ五輪の年、さらに上福岡市出身の柔道・高松正裕選手が出場するとあってオリンピック由来の飾りが数多く見られました。また、今年は彩の国まごころ国体の年でもあり、そこかしこにマスコット「コバトン」の絵も。ただ、先ほど私が合間を縫って床屋に行った頃から雷交じりの夕立となってしまいました。中には、自重300kg、竹へのククリ付けでは折れてしまい、鋼材へ連結させた上に東京電力から特別給電を受けて電気仕掛けで動く「トンデモ」な飾り物もあったのですが、雨でも大丈夫なんでしょうか…。

50周年といえば、生まれ故郷男鹿市も今年が市制施行50周年。去年から始まった男鹿日本海花火も今年は記念(合併後の新市名称決定記念?)イベントとして打ち上げ数を大増量、実に1万発を上げる予定の大規模な大会となるようで、これに釣られて18きっぷが2回分余っている30周年の(?)スナフキんは来週、お盆の真っ最中に鈍行主体で往復する秋田・男鹿行を敢行予定です。花火に間に合わないので村上~酒田間と、帰りが遅くなるので新庄~山形間は特急の世話になりますけど…。1万発と言えば、秋田を代表する大曲花火競技大会、秋田市の雄物川花火などには及びませんが、それでもその次をいくくらいの規模となり、花火サイトをあちこち見ても東北地方でも屈指の打ち上げ数となるみたいですね。逆に大都市近辺で1万発は結構当たり前になっちゃっていますが…。
[31456] 2004年 8月 6日(金)10:18:54スナフキん さん
グリーン車、もう少し
今朝の朝日新聞朝刊にも関連記事があったので、グリーン車の話をもう少し。

ことさらに宇都宮・高崎線にグリーン車が新設されることだけが情報として一人歩きをしているように見えますが、実はこれ、東海道線の湘南電車(ミカン色と緑色のツートンカラーの電車)を全部置き換えることから起きる結果でしかないのですよね(と、私は知り合いの事情通から聞きました)。結局、東海道線に新型車両を入れれば、当然今や直通が当たり前に行われている湘南新宿ラインの車両とも共通に使える方がよく、かといっていたずらに車両を融通し合ったりするとすでに宇都宮・高崎線で使用している新型車両にグリーン車がなく、東海道線においてグリーン車があったりなかったりする事態が発生する恐れがあって、それならいっそ全部にグリーン車を突っ込んでおけば融通が利く、という結論に達したというのが真相だそう。この話の裏には、将来現在の東北新幹線の直上を高架で結び、上野~東京間をスルーする中距離電車を復活させる構想につなげる狙いもあるのだとか。そうなった暁には、現在の湘南新宿ラインの位置づけをどうするとか、そこまでのビジョンがまだJRは描けていないようです。線区ごとの運転形態の枠を外すことは利便性を向上することに繋がるように思えますが、他方運転距離が際限なく伸びていくことによるリスクも背負わねばならず、鉄道会社は難しい判断をどこかでしなければならなくなります。

JRのようにテリトリの広い鉄道会社においても、共通の車両を使用することでコスト削減や車両の使い勝手を良くすることは最近、特によく行われるようになってきています。秋田地区で使われていた電車が、山形~新庄間の標準軌間延伸に伴って余剰になり、仙台地区に回され、常磐線を何食わぬ顔で在来車と混在していることも、結局は同じ型の電車を導入しておいたからこそできた融通であったのですよね。趣味的には同じ表情をした電車があちこちを走るようになり、そこもかしこも銀色電車、面白みには欠けますけど…。こんなことまでしてコスト削減を迫られるほど、日本の社会は世知辛くなっちゃったんでしょうか。

ちなみに、やはり沿線からはグリーン車の連結、必ずしも好意的に受け取られてばかりではないようです。一般車両を2両も減じてまで特別車両を連結したら、ラッシュ時は今以上の混雑になるに決まっている、というのが反発の最大の理由だそう。確かに、グリーン車利用へのシフトがどのくらいになるのかは今のところ全くの未知数で、利用者はそこに不安を感じるのでしょうね。グリーン車を連結して17両編成になるなら誰もが納得するのかも知れませんが。

[31443]みかちゅうさん
そこの工場ではグリーン車ばかりつながっているのを見たような気がしますが幻だったのでしょうか。
たぶん、幻ではないと思います。で、グリーン車ばかりをズラーリとつなげて、それを大宮の工場へ一斉に持っていって今走っている新型車両に次々突っ込んで、余った車を東海道線の置き換え車両の一部に回している、のだそうですよ。私は大宮にズラッと並んだグリーン車群を何度も見かけています。

あの工場の傍を通ると新車が見られるので「鉄」にとってはお得です。
新車ばかりではないですよね。「廃車」もそうですけど、今は確か、小田急線の在来車両がヒミツの改造(超大げさ)で金沢文庫に行っているはずです。

あぁ、久々に鉄分大放出してしまいました。なるべく一般的な話題も盛り込んだつもりですが…すみません。
[31418] 2004年 8月 5日(木)09:23:31スナフキん さん
無料お試しキャンペーン(汗)のこと
グリーン車の話で少し。

実は、8月下旬に知り合いの車掌さんと練り歩く、静岡~愛知~岐阜~長野~新潟~群馬の2泊3日旅行(!)のラストランをこいつにしようと画策中です。金沢文庫で納車前から公道を走りたくて壁を4枚突き破ったすごい仲間もいたらしい(大汗)ですが、それでも順調に製作は進んでいるようで、7月下旬の時点ではすでに10本が宇都宮・高崎線用に運用されているとのことでした。最初のうちは物珍しさも手伝って、「多分ヲタイパーイだろうからしばらく置いときましょう」とその彼とは申し合わせていたのですが、さすがに8月も下旬になれば稼働数も増え、前橋からの平日夕方上りとラッシュの逆方向なのとで、ねらい打ちを敢行することに。ただ、人身事故や落雷による停電、降水量の規制値超過などの諸原因によって当日の運用がメタメタになることも少なくなく、成功するかどうか…。

この旅では、大井川鐵道ビール列車を皮切りに、天竜浜名湖鉄道トロッコ、松本~長野間を1日1往復だけ走る特急型車両使用の快速列車、飯山線を走る旧型客車列車など、久々に鉄分100%補給可能(?)な濃い内容の旅になりそうです。皆さんのこの夏のご予定はどうなんでしょうね…ことに中国・四国地方にあっては度重なる大雨で、関東にあっては連日連夜の猛暑でご苦労も多いことかと思いますが、こういう時こそたまにリフレッシュしないと、体力的にも精神的にもボロボロになってしまいます。ご自愛のほどを。
[31378] 2004年 8月 4日(水)13:25:59スナフキん さん
ただ今、頭から湯気噴出中…
先頃、今度改訂される我が社の地図帳の奥付が11月末と決まりました。これを受けていま、改訂作業をしています。9月分まではやってあったのですが、残る10・11月分の合併すべてを各都道府県図に反映させていると、頭の中が沸騰し、湯気が出てきてしまいそうです(汗)。各図といっても当該都道府県以外の部分も出ていますから、結局1つの合併市町村が必ず1回だけ出てくるとは限りません。中でも、山梨県は各図からのハミダシで表示される部分が多く、「北杜市」や「笛吹市」は3~4度も出てきて、同じ訂正内容を4度も繰り返し書いていると自分でも何を書いているのか訳分からなくなってきます。殊に、郡界の変更を伴う合併は境界線の種類変更や引き直しをも伴い、ホントにこの指示書でオペレータがちゃんと直してくれるのか、不安になります…。また、告示されて確定していない合併(湖南市・鳥取市・いの町・島原市の4市町)に関してはやってしまうわけにいかず、図中は保留としながらも、我が社としてはひょっとすると初の試みかもしれない「欄外注」を試験的に指示出ししてあります、さてどうなることやら。

M.K.さんの塗り分け地図も時折拝見しています。これくらい気楽にやれるのが一番いいなあと思うのですが、「地図屋」という身分だとどうしても、地図が直っていて、あるいは地図の直しができて当たり前、の世界なのでそれなりのプレッシャーがかかってきて、今回くらいの物量になるとしんどさが出てきます。まあそれで私はメシ食っているわけで、つべこべ言わずに黙々と赤イレしないといけないのですけど、ついつい分かってもらえそうなこういう場ではグチが先行してしまいます…すみません。

この作業が一段落したと思いきや、今後は索引の赤入れが投げ込まれて、頭は沸騰しっ放しです。合併して消える自治体の扱いは、特に居住地名として残るか残らないかで対応差が出てくるので、地図図面以上の神経を使うこともしばしばです。私は担当しない見込みですけど、市町村要覧の赤入れは電卓との2人3脚必至で、全部を1人でなど到底考えられません。少し前まではほとんどの直しを1人体制でできていたのですが、デジタル化なったにもかかわらずこの合併ラッシュで大変さは前以上になっている感じです。


[31057]で白桃さんからは四国遍路地図のくだらない書き込みの際、あたたかいレスを頂戴しまして、すっかり遅くなってしまいましたがお礼申し上げます。実は、上記すったもんだで制作が棚上げ状態になってしまっていますが、K版1C、つまりはモノクロ図で地物類はもちろん地形レリーフまで入れようという、表現の上ではなかなかの冒険企画でして、自分でもうまくいくのか自信があまりありません。K版は濃くなればなるほどアミのパーセント差が分かりにくくなるので、それこそ10パーセントの差を付けつつ道路や河川、遍路のコースなどを書き分ける必要があり、これらと地形レリーフの色みが混ざってしまわないようにするともっと大変です。これ以降の作業は他の担当者に引き継いでしまうかもしれませんが、レリーフ入りモノクロ地図がきれいにできると、ある意味カラーレリーフを用いた図よりも見栄えがすることがあり、うまくできればいいなと思っています。
[31117] 2004年 7月 28日(水)09:31:57スナフキん さん
「ちかてつ」も「レールバス」も定義は難しい…
[31099]で稲生さんが紹介して下さったページにある記述で、一応レールバスについての一通りの説明はされているかと思います。ただ、第3セクター鉄道においては車両製造コストを下げるため、バス部品を多用したバスチックな車体を持ちながらも、走行距離の関係で乗り心地を勘案せざるを得ず、ボギー台車(つまり、左右一対の車輪が2本セットになった、鉄道車両における標準的な台車構造)を採用したケースがかなりの数に上りますから、線引きはきわめて難しいところです。極論すれば、JRにおいても九州の久大線や唐津線で使用している黄色一色の車両を始め、西日本のローカル各線(福塩線・木次線・姫新線など)、東日本における非電化各線(磐越東線・磐越西線・八高線・北上線・大船渡線・釜石線・大湊線など)で活躍している車両も、装備をかなりの部分、バス由来の部品でまかなっていますから…。

紹介されているページで「2軸」とあるのは、左右一対の車輪が前に1本、後ろに1本しかない構造のこと。したがって、鉄道における通常の走行音(レールの継ぎ目をたたく音)とは全く異質の走行音がするのが最大の特徴です。普通は「タタン、タタン」なのですが、前後一対ずつの車輪だと「タン、タン」という何とも淡泊な走行音です(余談ですが、過去には「タタタン、タタタン」もいたらしいです、現在でも日本に数両、走ることができるものは残っているらしいですが)。車輪の数が少ないので当然バランスも悪く、私が「くりでん」で奇跡的に1両編成として乗ることができた時には、普段走っている一般車両のダイヤに遅れをとるまいと必死に走るのですが、速度が上がると独特の不快な揺れを生じ(いわゆる、線路方向を軸としてグルグル回る、ローリング現象)、立っているのがしんどくなりました。乗務員さんいわく、普段は通学時の大量輸送専用で必ず2両1セットで走らせ、日中はある程度速度が出せる一般車両を使うとのこと。この日は日中大団体輸送で一般車両全部をかき集めたため定期列車に充てる車両がなくなってしまい、同じ速度で走れないのを承知でレールバスを日中1両で運転させたらしく、運がよかったのか、悪かったのか…。実際に乗ってみると安全性云々以前に、やはりレースの上を走る構造の車両としては限界があるなと感じました。

もっとも、最近の流れとしては、北海道でバスに車輪を付けてレール上を走らせる珍実験が繰り返されているらしいですが、これはまた「レールバス」の別な話題と位置づけられそうです。
[31054] 2004年 7月 26日(月)22:47:39スナフキん さん
遍路地図を編集しながら…
いま(と言っても、この書き込みは自宅からしていますが)、とある仕事の依頼で四国八十八ヶ所霊場の遍路地図を編集しています。山という自然どっぷりの地図から一転、いわば巡礼の一種というきわめて人間臭い(表現がヘンですけど)地図制作への転身で、とっかかりはかなり戸惑いがあって、仕事の進みも良くありませんでした。ただ、2点3点とおおまかにでも仕上がっていくと、徐々にペースがつかめて周りに目を配る余裕が出てきます。

思えば私にとって、認県度でもさらけ出したように四国地方は日本全国を見ても相当に手薄な地域です。宿泊回数もさることながら、足を運んだ回数、町を訪ね歩いた回数…きちっと計算はしていませんけど、恐らくどの数字も他の地域より低い数値が出てきてしまいそうです。ましてや、お遍路という文化、霊場を訪ね歩くという行為には全く縁のない生活・旅のスタイルを貫いてきた私です。今回の遍路地図制作を少しずつ進めていくと、こんなにもたくさん、遍路にまつわる施設や逸話があちこちに転がっているんだとちょっと驚いたりもします。至る所に「庵」の字がつく施設が点在していますし、そこかしこにあるお堂や道しるべを、遍路さんが自身の手で、あるいは周囲の遍路さんと協働で修復・再興したりなどの話を見ていると、四国における「遍路文化」あるいは「接待文化」みたいなものが地物を通して見えてくるような、そんな気がしてきます。

本当は、こういう気持ちを自分の中で終わらせるのではなく、自分が自分自身の手で制作した地図の上に表現でき、そして望むらくは成果物をみて下さる方々にその気持ちを伝えることができればベストなのですが、こればかりは自分で客観的に見ることができないのがもどかしいです…。
[30853] 2004年 7月 21日(水)23:32:23スナフキん さん
告示ニュース、今回は遅かったですね
[30838]はやいち@大内裏さん
明日にもまた官報告示があるようです
ああっ、やっぱり…(泣)
実は今日、いや~な予感がしていたのです。仕事に少し余裕があったこともあり、定時後の帰宅直前までネットニュースを注視していたのですが、17時半を回っても音沙汰なしだったので少し安心して帰宅してしまったのでした。で、落ち着いてコーヒー飲みながら落書き帳に目を通していて、コーヒーを吹き出しそうになるぐらいショックでした。ちょっと21時では、仮に残業していてもフォローできる時間帯ではありません。以前のリリースのタイミングを信じ切っていた自分が、ちょっと甘かったです…。

ラインナップを見ると、出るべくして出てきたところばかりなので心構えだけはできていて、明日の作業は気持ちスムーズに行きそうです。ただ、新潟を2度に分けたのは、ちょっと意表をつかれました。
[30829] 2004年 7月 21日(水)15:49:23【1】スナフキん さん
官報告示にまつわるちょっとした話
告示ラッシュの7月ということで、告示にまつわる小話を。

告示の内容をファイリングしていると、ちょっとしたことに気づきました。新設される町村名に関して、意外に「郡名」の取り扱いがファジーなのです。例えば、今年4月12日の内容を見てみると、「世羅郡世羅町」と「神石郡神石高原町」というふうに2件については郡名を送っています。ところが、あとの2件はいきなり「みなべ町」「周防大島町」と郡名をものの見事に省略しています。1郡1自治体だと略すのかと思いきや、世羅町も周防大島町も1郡1自治体で、扱いに統一性がありません。みなべ町はその逆で、日高郡にはまだ多くの町村が含まれています。さらにいろいろ調べてみると、パターンはどうもこれだけではないようで、例えば7月14日分には「同郡飯南町」「同郡美郷町」などの表現が見えます。お堅い、何とも官僚的な表現で知られる官報の内容ですが、過去の事例までほじくり返すと意外に統一のとれていない内容もあるものですねぇ。でも、超公的出版物で誤植はないとされる(ホントかな、資料室長はそう言っていましたが)官報がこんなのでいいのかな、という思いも抱きますが…たぶんいいんでしょうね(汗)。どなたか、指摘されたことがあったでしょうか、検索してもヒットしなかったので書き込んでみました。

その影響かどうか分かりませんが、でるでるさんデータの対抗馬最有力(?)とされる国土地理協会のデータページでは、新設自治体も町であるのに勝手に「同郡消滅」のちょんぼをやらかしているケースが目につきます。広島県世羅郡とか、山口県大島郡とか…後者はともかく、広島県世羅郡は官報にも新設自治体名称に郡名を送った丁寧なケースだったにもかかわらず、国土地理協会は消滅させています(汗)。実はクライアントから、合併に関わる基本的なデータは「公的なものの方が安心」みたいな話があったらしく、私はしぶしぶ国土地理協会由来のデータと、従来から愛用(?)しているでるでるさん資料由来のデータと2通りのデータを作成し、メンテし、いわば「二刀流で合併を斬る」(汗)大技を駆使しているのですが…お互いのデータをなるべく似せるようにしているとは言え、書式や掲載項目・掲載基準などに微妙な違いがあり、知識が増すどころかかえって頭の中が大混乱してしまい、本末転倒に陥っています。う~む、悩ましい。

以上、告示ラッシュに戸惑う地図屋のざれごとでした。

*指摘を受けて、岡山県→広島県と修正。はは、上記の通り「頭の中が大混乱」を自分の文章で証明してしまいました。バカもいいところですね、国土地理協会のちゃちゃ入れしてる場合じゃありません(大汗)。
[30722] 2004年 7月 19日(月)15:22:14【1】スナフキん さん
熊谷に近いところへ行ってきたので…
本日は、話題になっている激暑の熊谷にほど近い寄居まで、特別列車の撮影をしに行ってきた(汗)縁もあるので、書き込みしますね。

[30687]タイガーさんの書き込みに関して、何だかちょっとつれない回答をしている人もいるみたいなのですが、種明かししてしまってもいいですよね?

まず、[30706]でN-Hさんもご指摘のように、熊谷という都市は盆地にあるということはないと考えていいでしょう。盆地の定義もなかなか難しいのは、過去に盆地コレクションで「?」なものが出てきたりしたことからもうかがえますが、ひねくれないでまっとうな見方をするならば、最低でも2方向は山またはそれに準ずる標高の高まりの地域に囲まれていることが前提となろうかと思います。熊谷付近の地形図や地勢図を眺めても、そのような「高まりに囲まれている」立地であるとは言えません。したがって、熊谷がこうまで暑いのは、[30695]で花笠カセ鳥さんがおっしゃっている「風の通りが少ないため熱が逃げにくい」という原因ではないということになります。

で、私が「熊谷が暑い理由」として、高校時代に山岳部に所属していた際に地学専門だった顧問から聞かされたのは次のような理由からです。私はそれを聞いて納得しましたが、もっと気象学的に突き詰めると間違っているかもしれません。

それは「2方向からの熱流を、ちょうどまともに受ける立地だから」だそうです。具体的に示しますと、熱源は、秩父盆地が1つ。これが荒川が刻む谷を流れ下って、熊谷に達します。一方の熱源は越後山脈および近隣に広がる森林地帯。ここから利根川沿いに熱風が下ってきます。利根川と荒川の谷が空気の通り道になり、熊谷付近で熱風が合流して高温になる、これが種明かしだと私は教えられました。したがって、[30717]で愛比売命さんが書かれている「フェーン現象」にかなり近い気象現象によるところが大きいようです。ただ、熱源に秩父盆地が含まれているため、熊谷自体は盆地でないとは言え、熊谷の猛暑に盆地性の気候が全く関係していないわけでもありません。

えらそうに書きましたが、私も理系地理学専門ではないので、間違った点もあろうかと思います。フォローをお願いします。

今日に関して言えば、うす雲が広がっていたせいで特別列車の撮影は、確かに暑いものでしたがそれこそぶっ倒れてしまうほどではありませんでした。帽子を忘れていって大いに心配しましたが、助かりました…。

*変換ミスを修正
[30662] 2004年 7月 18日(日)00:13:36スナフキん さん
最近の合併告示に関して思うに…
[30573]なおさん
最近は告示がかなり多くなってきているようですね。
7月に入ってからの告示ペースは、ここ数年で最も頻度が高くなっていると言えるようです。なおさんが指摘されている以外にも7月1日に幾つか告示されていますし、間接的には自治体コードの告示を含めるともう1回あった計算で、結果的に現段階で市町村合併がらみの告示は7月だけでも5回を数えています。私は仕事での必要から、でるでるさんの合併情報を頼りに必要な部分を抜き出してリスト化しているのですが(毎度の更新、感謝です>でるでるさん)、県議会を通ったタイミングから考えると7月中、あともう1~2度の告示がありそうなので、新記録となるのはほぼ確実かも?

さしあたっての悩みの種は、10月中に合併予定でありながら告示の見通しが全く立たない海津市と島原市。地図の場合は奥付を示し、その日付までの確定事項は先読みしてでも修正するのですが、この両市に関しては市町議会どころか協定書の調印式すら実施されていないようで、やすやすと新しい自治体を入れるわけにはいきません。あまりにも不確定過ぎて、最悪合併期日の延期を食らって奥付との整合性がとれなくなる恐れがあるためですが、ホントに困ったものです。今のところ、地図の奥付として入れることのできるもっとも遅い日付は、合併に関しては「9月末日現在」ということになりましょうか。

[30589]グリグリさん
ところで、最近の流れを見ていると、編入なのに改称も同時に行うケースが散見されますね。まるで新設みたいな編入です。
もう告示されて決定してしまったので、今さらぶつくさ言っても仕方ない(汗)ですが、常陸大宮市に関しては私、今だに「どうして編入の道を選んだのか」がよく分からないでいます。「常陸」を冠して名称が変わるのならば、法律上の扱いは「新設・市制」としてもよかったように、はたから見れば思うのです。編入扱いにしておいたほうが、何か都合のいいことでもあったんでしょうか(例えば特例債の額が違ってくるとか、議員定数で有利だとか…)。それとも、やっぱり単なる編入による市制での「大宮市」では(いくら、もう存在しない自治体名とは言え…)まずかろうという、特例的措置だったと見るべきでしょうか。過去の事例をほじくりかえすと、鹿島でも同じような意味合い(そのまま編入・市制だと既存自治体名とカブる)で「鹿嶋市」への変更履歴がありますね、やっぱり後者の見方が正しいのでしょうね。
[30515] 2004年 7月 14日(水)00:05:46【1】スナフキん さん
もうひとつの官報告示
恐らくどなたも書き込んでいないようなので、私から。

本日付け(7/13)の官報において、7月1日までの市町村廃置分合告示のうちまだ公表されていなかった自治体コード(とここでは便宜的に呼ぶことにします、正式名称をふりかざそうとすると長ったらしくなるので)が、一挙に告示されました。やはり皆さんが関心を示されるのはダントツで廃置分合の告示ですが、仕事柄私などは意外にこちらの自治体コードの決定も重要視しているクチです。なぜなら、市町村を表形式などで序列させる場合において、どんな場面においてももっとも適切な順序として有効なのが、この自治体コードだからです。とは言え、今まで幾つも合併絡みでのコード改正告示が出ているので、ある程度類推はできてしまうのですが…。

愛媛県西条市や富山県砺波市などは旧自治体名称を残す新設合併でしたが、今までの類例通りコード番号は既存自治体のものを流用する形でおさまっています。前例としては石川県七尾市・広島県三次市などがありましたが、いずれも新設合併をうたっていながらコードの順送りはされていません。別にこのことについてどうこう言うつもりはありませんが、リストにおける並び順を合併前と合併後で比較しただけでは、普通の感覚ならこういう合併例は法律上いくら「新設」をうたっていても「編入」に見えてしまいます。

以前にも少し書きましたが、あと地図屋が気にする官報告示は「記念物類および重要文化財の指定告示」と「住居表示整備の告示」でしょうか。いずれも、小出しになったりいっき出ししたりとその時々で物量がまちまちなので、ぼやっとしているとスルーしてしまいます。他にも、公社化前には郵便局の改廃もいちいち気にしていましたが、さすがにもう掲載されることは永遠にないかもしれません。今回の選挙結果の後始末如何では、もたつくかもしれませんけどね、民営化。

最近は書き込むペースが激減しています。別に体調を崩したのでもなく、多忙なのでもないのですが…一応、生存報告(大汗)とちょっとの話題提供まで。

*意味が通じない部分に語句を挿入、訂補。
[29840] 2004年 6月 28日(月)20:55:35スナフキん さん
地図屋さんが困っている漢字など
こういう内部告発気味の書き込みは地雷を踏みそうで怖いと言えば怖いのですが(大汗)。

[29830]であんどれさんによる詳しい解説があり、私自身もかなりすっきりとした思いがしたのですが、さて実際はどうかということで、ここでは「普通に変換しても、パソコンに搭載されているJISコードをつついても」正確に記述できない文字の例を示しておきます。地域的作字を取り上げているときりがないので、かなり普遍的なもの、全国的に分布の認められるもの、特殊なケースでも知名度がきわめて高いものに絞っていますが。「<>」でくくられた文字が、パソコンで正しく記述できない字を示します。すぐ後には使用例を付加しました。
<騨>・飛騨
<葛>・葛飾、葛温泉
<樽>・小樽、樽前山
<楢>・楢葉、楢川
<媛>・愛媛
<櫛>・櫛形、櫛引
<瀞>・長瀞、瀞峡
<鯖>・鯖江
<摺>・足摺岬、摺沢
<薩>・薩摩、大菩薩峠
<甑>・甑島列島
<厩>・三厩
<繋>・小繋、繋温泉
<屏>・屏風山
<芦>・芦別、芦屋
<迦>・釈迦岳
<蓬>・蓬莱山
<莱>・蓬莱山
ぱっと思いつくのはこんなところでしょうか、参考までに。
これをアタリにして、地図会社へ突っ込んだ問い合わせをするとか、イジワルはやめてくださいね(苦笑)。
[29789] 2004年 6月 27日(日)18:48:39スナフキん さん
ショートレス
[29769]白桃さん
「八郎潟か八郎湖か」というお話ですが、秋田県生まれの私にはどうも「八郎湖」という呼び方がしっくりきません。ちょうど、この付近を最近になって秋田自動車道が通るようになりましたが、ここで設置されたパーキングエリアは「八郎湖PA」。正直、字を間違えたのかと思ったくらいにこの命名にはびっくりしました。八郎潟そのものが行政名になっていますし、以前少し触れた干拓地に設置された新行政名も大「潟」村とされたいきさつがあるので、潟の方がしっくりくるのはこのあたりに要因がありそうです。他方、潟の字は教育的視点で見ると、記述するのにきわめてバランスのとりにくい字であることも事実で、「湖東」の命名にはそのあたりの配慮がにじんでいるのかもしれません。もっとも、これは私の想像でしかありませんし、秋田県に在住しているわけでもないので見方が微妙に「ヘン」でしょうが。

ようこそ、お帰りなさい。(日本語になってないか?)
どうでしょうね? 私も国語学を専攻していたわけではないので裏づけはとれませんが、「ようこそ、おかえり」の看板は、とある場所でたくさん見たことがあります。さて、どこでしょう?(大ヒントは、奈良県です)
[29721] 2004年 6月 26日(土)00:36:11スナフキん さん
駅名と自治体名、読みの相違
[29699]稲生さん
こういった駅名と行政地名の相違する場所って、かなりありますよね。
「かなり」というほどではないですが、そこそこあるかと思います。過去に私が[26461]で思い付く範囲内で紹介していますので参考までに。もちろん、これは私がざーっと日本地図を思い巡らせてすぐに浮かんできた場所ばかりですから、実際にはこれだけとは限りません、もう少しあるかと思います。
[29658] 2004年 6月 24日(木)10:24:28スナフキん さん
大潟村のことと、お祝いひとこと
何だかすごく久しぶりに書き込む気がします。最近は忙しいわけではないのですが、話題になかなかついていけないです…。
[29636]般若堂そんぴんさん
八郎潟干拓も,現在だったらかなりの批判があったのでは?
現在だったらと仮定を伴わずとも、現況を見れば、完遂した八郎潟干拓事業がすべてにおいて成功だったとは必ずしも言い切れないと考えます。あれだけの農耕地を、巨額を投じて創生しておきながら一方での減反政策…諫早湾における干拓事業でも、この点が一つの争点になっていますね。減反せねばならないほど米の収穫量が十分確保できているのなら、何もこの段階になって新たに広大な農地を生み出す必要はそれほどないのではないか、費用対効果で見れば、かかった事業費に見合うだけの見返りは期待できないのではないか、ということだったと思います。この辺りに、「ヒト」という動物の身勝手さがちらついて見えたりもするのですが…。

私事で恐縮ですが、私は幾度か祖父に八郎潟(干拓地)を望める寒風山に連れていってもらったことがあります。まだ祖父はもちろん健在で、自分は逆にまだそれほど理解を示さない小学生の時分だったのですが、遠い目で干拓地を眺めながら、事情もよく分からない小学生の私に、あの辺りは前は凄く大きな池があったんだよと、秋田弁でもって教えてくれたことをはっきりと覚えています。祖父は生涯を林業一筋で生きてきた生粋の木材屋さん。美林と賞される秋田杉を擁する県にあって、ある意味最も秋田県人らしい生業だったと言えるかもしれません。どっぷり第一次産業浸りだった祖父が、農林業の行く末をどう捉えていたか、八郎潟干拓を同じ第一次産業従事者としてどう考えていたのか…。寒風山から遠い目で見るその視線には、誇りが込められていたのでしょうか、それとも憂いが込められていたのでしょうか…祖父が他界した今となってはもう、知る由もありません。今は背伸びをしても、飛び跳ねても八郎潟を望むことができない天徳寺平和公園で眠る祖父は、私に何を言いたくて寒風山に何度か連れていったのでしょうか。それだけは聞いておきたかったと今になって後悔しています。

その大潟村も、我が男鹿市との合併協議のテーブルから離れてすでに、4ヶ月になろうとしています。もともと自立できる農業経営を目指してスタートした大潟村への入植。その後の減反政策や、未利用農耕地のメロン畑への転換、そして世界的にも知名度の上がってきたソーラーカーレースの開催など、取り巻く環境は激変しましたが、根本にある「自立精神」は合併によって自治体基盤を強化する必要に迫られている昨今の情勢があっても崩れなかったのでしょう。このことに関しては私も、協議会離脱を知ったときはやはり…との感想を持ちました。…偉そうに持論を述べた私も、ここのところはしばらく大潟村へ足を踏み入れていません。秋田市内から船川に向かうと、どうしても大潟村は遠回りになってしまうので…。

最後になりましたが、いっちゃんさん、お子さまがお生まれのようで、おめでとうございます。ふたり目でしょうか、成長が楽しみですね。ふたり目は勝手が分かって楽に子育てできるケースと、逆に第一子よりも全然聞き分けが良くなくて物凄く苦労するケースと、2分するようですがどちらになるでしょう…。ちなみに私の弟の場合は前者だったようです。が、家族揃ってかなり病弱でして、ことあるごとに親子揃って通院したなどという話を耳にします。暑い時期は何かと体調が崩れがち、多少勝手分かって楽になるとは言え心労が重なると思いますが(私の隣席の人も、1歳になる子供が昼夜逆転続きで毎晩眠れないとこぼしています…)健康が何より、お体に気を付けられますよう。
[29294] 2004年 6月 14日(月)16:47:45スナフキん さん
名古屋地下鉄本山駅での矛盾を考えて…
過去に類似の書き込みはないようなので…。

先月分の新聞記事スクラップを整理していて、ちょっと気になるものを見つけました。先頃、将来は環状の「名城線」となる路線が延伸を果たしたばかりの名古屋市千種区にある「本山」でのちょっとしたもめごとの話題です。この延伸時に出入口を増設するために改めて出口案内表記を調べ直したところ、本山町は正式には「ほんやまちょう」だったのが発覚し、全部直してしまったのだそう。もちろん駅名を直していてはとんでもないことになるので、駅はそのまま。地元でも「もとやま」が定着しており、いきなり前触れもなく「ほんやま」にされてはかなわないとの声が紹介されていました。ほぉ、と思って国土地理協会の行政区画総覧を繰ってみると、確かに「ほんやまちょう」と記されています。が、そのすぐ脇に付随するようにして「通称 本山<もとやま>」の併記も見え、なかなかもって苦しい表現です。過去においても「もとやま」が正式とされたことはないようですが、読みやすい「もとやま」が本来は誤った読みのはずなのに定着したケース、という郷土史家の見方も紹介されていました。

ここでの最大の問題はやはり「正式名称」を理屈抜きで通してしまったことにあるようです。地名というのは人々の必要に応じて派生するものであって、その必要の範囲内においてある程度揺れ動いたりすることは往々にしてあるはずなのですが、それをどこかで受け止めようとするフレキシブルさがないとこういう問題を生んでしまいます。ここの場合、愛知万博に向けた外国人向けの案内をどうするかという差し迫った問題もあってババッと変えてしまったような雰囲気も感じられますが、処置を施すには性急すぎたかなという印象を受けました。例示として適当でないかもしれませんけど、池袋~赤羽間のJR線に「赤羽線」と記したらクレームが来そうなのと似ているような気もします。地名において、「正式」という名の旗印を振りかざすのも、時と場合によっては何の意味をなさないこともあるわけで…地名とはつくづく懐の深い事柄だと、記事を見てちょっと考えました…。
[29104] 2004年 6月 8日(火)14:36:10スナフキん さん
現存の丁目、補足
すっかり遅きに失したフォローですが…

いま、とあるプロダクションから日本のおもしろ地名を日本地図にプロットする作業を依頼されています。どういう基準で選択したのか定かでないですが、リストアップされた地名の中には「うわっ!」と思うような訳の分からない地名が時折出てきます(中には全然フツーに思える地名も…)。いちいち明かすとプロダクションに怒られるのでやめますが、山形県は庄内地方にある「無音」、これは文字通り読めませんね…。栃木県は塩原温泉近くにある「接骨木」も…。その他、皆さんが過去に書き込んで下さった難しい地名もかなり含まれています(月出里、東汗、千両…最後のはあったかな?)。こんな仕事ばっかりだと楽しいのですが(苦笑)。

で、本題です。その過程で見つけた、[15049]でyamadaさんがまとめて下さった現存丁目への追加です。

郡山市日和田町八丁目

一見、フツーの住居表示のようですが、「日和田町」が広域大字名であり、現存丁目として見落とす可能性が高いところです。それが証拠に、日和田町には他の数字を振った「丁目」が1つもありません。なぜか、「八丁目」だけなのです。花巻市にある「○○万丁目」に似ていますね。もっと気になるのが、ほど近い場所にこんなものもあるのです。

郡山市西田町三町目

「ちょう」の字違いですが、これも広域大字名に振られた現存丁目の類似品と思われます。ただ、「三」と「八」の間の因果関係ははっきりしません、何とも不思議です。

どうもこの辺り、見覚えがあるなと思ったら…もう10年近く前、猛吹雪&地吹雪の中路上教習(合宿免許です)に挑んだエリアがこの辺りだったりします。あの時は隣に教官がいたにもかかわらず、生きて帰れないかも、とまで思いました(笑)。苦くも懐かしい思い出です。
[29100] 2004年 6月 8日(火)09:27:54スナフキん さん
英字略称は「UR」だそうで…
私の住まう団地住戸の隣棟が、今週に入って入居募集を始めました。モデルルームもオープンし、今まで明かり一つ灯らなかった建物に明るさが出てきました。この募集が、当団地では「都市基盤整備公団」としての最終募集となるようです。冷やかし半分で募集パンフレットだけ失敬してきましたが、別刷りペラの改組案内パンフが入っています。新組織は正式名称「独立行政法人都市再生機構」、英字略称は「UR」(Urban Renaissance Agency)だそうです…ルネッサンスですか、別な方面に思考が働いてしまう私は発想が貧しいのかもしれません。私も長年、公団とは決して無関係でない立場でしたが、確かに字引で「Renaissance」を調べると「再興、復興」というニュアンスは出てきますけど、ちょっと「?」な感じがしないでもありません。

こと我が団地について言うなら、改組に関係なく建て替え事業は継続して進められます。先月中頃からは古い住居の除去作業が本格化し、低層棟から中層棟にまで重機の爪が及び、現在では旧建物のうち低層棟は7割方、中層棟も残っていた10棟のうち8棟までが完全に解体され、完成当初東洋一のマンモス団地ともてはやされた昔の景観は完全に過去のものとなりました…。この「東洋一」というものさし自体、なんだかマユツバですが何を基準にしたのでしょうね?(汗)。
[28867] 2004年 6月 1日(火)09:19:38スナフキん さん
津駅の電略
あまり場をかき回しても仕方ないのですが…。

勤務先にあった小学館刊行の「日本鉄道名所6」には電略が可能な限り路線縦断図内に記載されていますが、「津駅」は「ツ」であると記されています。「ツツ」で思い当たる節があったのでそちらも調べてみましたら案の定、同じ冊子内の北陸線の項に「筒石=ツツ」とありました。筒石とはかの有名な、頸城トンネルの中にあるもぐら駅のことです。もちろん、電略が重複してはならないわけではないですし、ましてや両者は鉄道管理局上も全く異なるテリトリにあったわけで、これを根拠に「津=ツ」が絶対とは言い切れませんが。

鉄分が濃くなり過ぎるのも問題なのでこの辺にします。最後に一言、毎日利用している鉄道にようやく、8年ぶりに新型車両が秋にもデビューとか。でも完成予想図を見たら西武新宿線の新型車両とうり二つ。各社ともどんどん「没個性」的車が増えていきます、喜びも半減…。
[28767] 2004年 5月 30日(日)11:28:00スナフキん さん
リンクの見やすさは千差万別…
タイトルの通りで、どれが適当というのは人それぞれ使い勝手が違うはずなので一概に言えないのですが、なるべく一般論で。

[28720]グリグリさん
ご指摘の仕様変更の件、
(1)と(2)の仕様が不統一なこと(同じウィンドウと新しいウィンドウ)、別ウィンドウで開くとどんどんウィンドウが増えてしまうこと、新しいウィンドウへの表示はブラウザの機能(Winの場合は右クリック、Macの場合はプレス)で実現できることから、次のように仕様変更したいと考えます
まず、個人的意見ということで言わせてもらいますと、仕様が不統一なことに関してはそれほど気になりません。常に、新規ウィンドウはトップページの参照であることの認識が自分の中で出来ているからだろうと思います。リンクの開き方も、普通に記事を読んでいく過程では「どんどん」というほどウィンドウ数が増えていくことは考えにくいのでは? 一記事においてリンク記事番号が膨大にある書き込みはそんなにないようですし、必要な部分は書き手が引用機能で補ってくれていることが多いですから。何より、あちこちを参照しながら親記事を読むよりも、ある部分を読み終えたらその参照記事も閉じて次のセンテンスへ…という読み方が、私は自然だと感じます。

ただ、初めて訪れた方や、訪れ始めて間もない方、そもそもブラウズの操作やパソコン自体の操作に不慣れな方からすれば「?」な動作と思われる可能性もありますね。初心者には一律で動作統一した方がわかりやすいということも考えられます。一方、同ウィンドウ表示仕様で次の記事を読もうとして参照先記事から戻る場合、タイミングによってはブラウザの戻るボタンを押してもページがなかなか表示されないことがあるのも事実です。当落書き帳の本質なのですが、1ページあたりのhtmlファイルサイズが大きいため、読み込みまでに少々の時間を要してしまうのですね。例えキャッシュとして一時ファイル内に該当するhtmlが格納されていたとしても、若干のタイムラグは生じてしまうようです。ましてや、トップページへの戻りだった場合は、新たな書き込みがある可能性から恐らく「リロード」扱いになっていると思うので、回線の混雑時や非ブロードバンド回線ですとストレスを感じる恐れも。もっとも、これはインターネットエクスプローラ以外のブラウザを使用していない私の感覚なので、他のブラウザでは快適に表示されているかもしれませんけど…。

私のページのように、大きな地図からある場所をクローズアップしてリンク参照する場合には、文句なしで新規ウィンドウ作成のタグを入れるのが適当となると思うのですが、文字情報におけるリンクの場合は人によって見方がさまざまなこともあり、正直なところ「オーナーがこのほうがいいのではないかと思ってこうしますから、ご協力お願いします」という方向が望ましいと思います。人の見方は千差万別で、変なところで主張がぶつかったりしても面倒が増えてしまいますから、やや乱暴な言い方ですが、バッサリ割り切ってしまうというのも「アリ」ではないかと…。
[28685] 2004年 5月 27日(木)22:45:46スナフキん さん
ダイダラボッチの話など…
最近は書き込むきっかけがなかなかつかめません。しょうゆの話も、知り合いのバス運転士が野田在住ですけど、全然本人がしょうゆにこだわりを持っておらず、「コイツ本当に野田市民か」というくらいまともに受け答えしてくれません。関宿との合併も「そんなこともあったねぇ」てな感じ。現業勤務とは言え、地理学科出身の自覚を少しくらいは持ってほしいものだと…そうか、1日の滞在時間では春日部市の方が長いのか…(苦笑)。

さて、雑談はこのくらいにして。
[28652]今川焼さん
全国各地に同じような言い伝えがあることがわかります。
密度的にはどうなんでしょうか。私自身も調べていませんけど、身の回りにはかなりこの「巨人伝説」にまつわる地名がごろごろしています。かつて書き込んだかもしれませんけど、外秩父の主峰である「堂平山(どうだいらさん)」の語源はダイダラが転化したものという説が有力ですし、お隣の別名乳房山こと「笠山」や、長瀞にある別名美の山こと「蓑山」も、ダイダラボッチの持ち物(カサやミノ)だったという説があるほど。ミクロな視点で見ると、小字名の由来にも例えば「ダイダラボッチがひざを突いた窪地」「ダイダラボッチの足跡」など、それこそ枚挙に暇がありません。でも、こういうのってミステリアスで個人的には何だか楽しいのですね。以前にも青森県新郷村にある「キリストの墓」でも似たような書き込みをしましたけど…。

最後にオマケみたいなレスですが。
[28616]両毛人さん
地元であれ、それ以外の地域であれ、地域に対する愛着に差はありません。すべての地域は、私の恋人です。
こういう言葉を発することができるって、すごいなぁと思いました。私の価値観では、どうしてもあるエリアを深く知ろうとすればするほど、本当なら知らなくてもいいドロドロしたところまで見えてきてしまって少し嫌気が差し始め、妥協してどこかで線引きし、サジを投げてしまうのです。あるいはその逆で、興味のわく部分には首っ丈、他の部分は知らん振りという「えこひいき」にも近いスタンスをとったりもしがちで、地理学から学んだ「ものの見方」が全然生かせていないなと感じることもあるのです。それができるって、素敵なことですね。
[28556] 2004年 5月 24日(月)00:17:48スナフキん さん
電力の話など
電力周波数の話が出ていました。それで少し思い当たる節があって、自宅の書棚をあさってみました…。やはり! 昨年オフにお持ちした「鉄道省編集 日本案内記・中部編」に、周波数の図ではありませんでしたが、「主要水力発電所」なる主題図が、中部地方概説の締めくくりの図として入れられていました。今では教育用地図帳などでもなかなかお目にかからない電力網図ですが、昭和6年頃は旅行ガイドにすら入れられるほど重いテーマだったことがうかがえますね。

しかしまあ、この時代の電力会社の乱立ぶりには驚かされます。合同電気や東京電燈などは鉄道会社とかかわりがあった関係で名前は知っていましたが、それ以外に東京発電とか、大同電力とか、結構似通った名称の会社が存在していたのですねぇ…ローカルな電力会社では例えば、東京湾電気とか、水窪川水力、天龍川水力、矢作水力、揖斐川電気、白山水力…水力発電所だけで会社が成り立っていたのでしょうか、少し疑問ですが。発電能力も記号で記されていますが、中部周辺で最大の発電所は、前橋の北側に位置する「佐久」・ちょうど現在の細入村近く、猪谷付近の「蟹寺」となっています。いずれも全然知らない発電所です、今でもあるのか、それすら定かでありません。次点として、木曽川沿いの「大井」「読書」が掲載されています。それにしても、すごい図です。思いっきり「東京府」と右から左へ書いてあるし(汗)。

ソフトクリームネタですが、「イカ墨ソフト」は知りませんでした。近いどころなのでチャレンジできそうですが、頭の中でイメージを作ると尻込みしてしまいます…。もち米ソフトですが、伊勢神宮内宮の門前、おかげ横町(だったかな?)でたまたま売られていたのを食したものです。アイスに「雪見だいふく」というのがありますが、あれにかなり近い味です。

海外の話、落書き帳以外にも直接メールで意見を頂戴したケースもあり、反応が結構多かったのにはちょっと驚きました。ちなみに、その3ケ所はとうとう、教諭が授業時間中に明かすことをしませんでした、自分達で考えなさいということだったのでしょう。

ホームページ欄が消されましたが、自分のページはメインテーマがネタ切れ近く、今まで溜まる一方だった我が団地の変化を捉えた写真を、ポイントごとに時系列で並べる「団地の変貌記録ページ」を作ってしまいました。今後こちらに比重を置くことになれば、ホームページタイトルも変えないとなぁ…と漠然と考えています。こういうテーマって難しいんです、取り壊される建物の姿を見て人それぞれいろんな感想を持つ可能性があるので、なるべく当たり障りのない内容にしないとかつて住んでいた人の感情を逆なですることにもなりかねません。新しく設けたディレクトリは「kasumi」です、別に他意はありません(大汗)、我が団地の愛称はみな「霞団地」と呼んでいるのです。狭い狭い市の中に、2ケ所の大規模住宅団地があるのでどうしても区別する時に略してしまうのですね…あまり気にしないでください>かすみさんへ
[28424] 2004年 5月 19日(水)09:25:27スナフキん さん
ちょっとレス
[28371]でみやこさんから指摘があったのですが、確かにスナフキんはここのところ疲れ気味かもしれません。最近は親会社絡みで百科事典の項目修正作業をしているのですが、新東京国際空港→成田国際空港を直すのでも、単に「新東京国際空港」を加筆訂正すればそれでよい、というものではないのでかなりしんどいです。正直、「東京都中央区」の項目でも訂正の必要に迫られるとは…(なぜでしょうか? ちょっと考えてみてください)。デジタル上での文字検索は人の目以上に厳格かつ正確なのでありがたいと思う面がある一方、とんでもない場所に文字列が埋め込まれていたりするとグッタリしてしまいます。本来知識の泉であるところの百科事典はいまやインターネットがその代役を果たすまでになって衰退の一途ですが、こうして実作業に携わってみると改訂の必要がある項目が、いかに多いことかを思い知らされます。人口・面積は言うに及ばず、合併絡みの話や特産品の生産量・出荷額ランキングなども不変でないですし、放っておくと知識の泉は「泥水しか湧かないけがれた泉」(苦笑)になってしまいますし…知の集積物は、本当に扱いが厄介です。

しょうゆの話題が沸騰中ですが、しょうゆソフトは知りませんでした。私、実はご当地ソフトクリームの愛好家でして(笑)、各地の面白ソフトクリームをいくつも味わっているのですが…ある意味「わさびソフト」や「もち米ソフト」よりビミョーな味が楽しめそうですね、今度トライしてみたいです。
[28364] 2004年 5月 17日(月)16:24:08スナフキん さん
山登りのすすめ
新年度から山登りに再挑戦しているのですが(実は高校卒業以来…)、土曜日は買い直した靴の履き慣らしにと小川町(※注・埼玉県です)にある、低山ながら眺望良好で知られる金勝山・官ノ倉山に登ってきました。5月は紫外線が強いと分かっていたのですが、この日も暑さは感じなかったのに、帰ったら腕が赤っぽくなっていてギョッとしました。木陰が少ない山頂で食事のため40分ほど居座ったのが効いたようです。外へ出かけるのはいいけれど、皆さんお肌の焼きすぎには気をつけましょうね(汗)。

どちらも登頂経験はあったのですが、金勝山は小学5年の遠足以来、官ノ倉山も小学4年の東武ハイキング大会と6年の家族登山以来、実にほぼ20年ぶりの訪問でした。この間、自分が大きく成長しただけでなく、郊外には国道254号のバイパスが出来、東武竹沢駅舎は半地下化し、八高線に新型車両が走り、逆に貨物は走ってこなくなるなど劇的に周辺の環境は変わったのですが、官ノ倉山の登山道は以前、弟が30cm近くあるオバケミミズを拾って「ビヨ~ン」と伸ばして遊んだ(そんな弟ももう2児の父…)あの頃と変わらない、ややじめっとした沢筋の樹林帯で、懐かしさがこみ上げてきます。山は、天災などで地形そのものが大変わりしなければ環境の変化(景観の変化となるとまた別ですけど)って、都市に比べれば本当に小さいのですよね、ちょっとホッとします。金勝山は残念ながら遠足とは逆ルートの上、記憶は官ノ倉山以上に曖昧で懐古の感はほとんどなかったのですが、それでも遠足で登り出した登山口に下り立つと、当時「せんせぇ~、山まだなのぉ、普通の道はもう飽きたぁ」と愚痴をこぼしながら歩いた悪ガキの頃の自分が少し思い出されたりするのです。いいですね、山登りって。

官ノ倉山は2度来ているはずですが、これほど眺めに恵まれていた山だったかなぁ…というくらい満足な眺望です。双耳峰と言うにはちょっと大げさで、「ラクダの2コブ」なんて形容される山頂ですが、西峰である官ノ倉山は外秩父の山々、東峰の石尊山は小川盆地から関東平野の眺めに非常に奥行きが感じられ、ちょっとの息上がり程度でこの眺めはうれしいところ。食事した石尊山では小グループが「よぅし、これから小川の酒蔵へ行くぞぉ」と意気込んでいたり、アンテナ持参の無線愛好家が(久喜と!)交信していたり、ワンちゃん連れの初老の男性が愛犬をたしなめながらラーメン作っていたり。なんと個性的な方々なんでしょう、いいですね、山登りって。

5月にもなると空がどうしても霞がちなので、実際それほど視野の広がりはなかったのですが、冬場の空気が澄んだ時期の眺めを思うとこの山は魅力的です。霞んでいるとは言え小川町の中心集落が盆地にすっぽりおさまっている様子は手に取るように分かりますし、同時に、駅至近にはベッドタウン化を象徴する高層マンションの林立ぶりが、さらに駅から離れた丘陵上には、敷地面積をウリにした一戸建の住宅群分布が見て取れるのです。高い所から町を俯瞰し、町全体を捉える…この行為は苦労して汗をかきかき高度を稼いだ登山者だけが堪能できる特権です。決して超高層ビルから町を見下ろしたのでは得られない満足感があります。吹き上がってくるさわやかな風、樹林帯や草木の香り、そして何より自然に抱かれているという感覚で自分が癒される気がしました。いいですね、山登りって。

地理に興味をお持ちの方には、登山はぜひおすすめです。標高の高さなんて関係ありません、眺めさえ良ければ気分は爽快です。もちろん、地形図を片手に登っていただきたいですね。自分のいる場所はどこなのか、いまここから見ることができるものは何であるのか、描かれている登山道がどこで間違っているか(汗)まで、地図を「読む」ことでおおまかに掴むことができます。人によって見方はいろいろでしょうが、ある意味自分が町中のどの道路を通っているか、どこにいるのかを把握することよりも楽しいですよ。机上で地形図の読図訓練をしていることすら、馬鹿らしいくらい夢中になれると思います。私はそうして、地図を描く、地図を表現するということを学んでこれたような気が、今もしています。私の描画力はひょっとしたら、自分が会得したのではなく、山に育ててもらった技術なのかもしれません…。

今年の夏に、もし避暑地に行くことがあったなら、地図を片手にちょっと野山を歩いてみませんか。町を歩くのとはまた違った、別の魅力が必ず待っているはずです…最近の書き込みはどうも長駄文が多くて恐縮です。
[28148] 2004年 5月 11日(火)13:22:36スナフキん さん
海外旅行することって…
ゴールデンウィークに実家に帰ったら、親父からまた決まり文句が発せられました。「お前は海外へは行かないのか」と。で、私もこれまた決まり文句で、「ああ、行かない」と答えるのです。親父も妹も海外旅行の経験があるのですが、家族でもっとも旅慣れているはずの自分は、ただの1度も日本国外へ出たことはありません。周囲の人間からも、日本国内を縦横無尽に歩き回る私のような人間が内弁慶のごとく海外への渡航経験がない話をすると、大概驚かれて嘘だろうと言われますが、本当なんです。大学の地理学科仲間はじめ、サークルの仲間からも同じことを言われました。地理を修め、地図を作る仕事をしていながらどうして外国に行かないの? 行きたくないの?と逆に問い詰められたこともあります。この落書き帳を訪れる皆さんは地理に造詣の深い方々が多いようですが、大半の方がパスポートを所持して海外渡航経験をお持ちなのでしょうか。

学生時代に比べれば資金に余裕が出てきた今時分でもなお、私が海外へ出ようとしない最大の理由は、言葉が通じないことによる恐怖感です。小心者で臆病、ノミの心臓の持ち主である私は、現地でまともにコミュニケーションがとれないのがひどく怖いのです。ある仲間からは「それは津軽へ行って、全然会話が聞き取れないのと同じだ」と笑って言われたこともありますが、自分はそれはまた違うなと感じるのです。かつてアメリカでは、ほんのわずかな英単語のニュアンスが通じなかったが為に、日本人がハロウィンの時期銃殺される痛ましい事件がありました。あれは特殊な事情あってのことだと信じたいのですが、事実として起きたことには違いなく、私が海外へ一歩踏み出すのを躊躇させる遠い要因になっています。「行きたくないんなら、それでいいんじゃない」と声をかけてくれる人は、少なくとも私の周りにはいないのが、何だか孤立感を助長させて自分自身でも時折迷うことがあります。皆、口を揃えて「行ってきた方がいいよ」と言うのです。海外へ出かける人って、そのあたりどうやって「思い切る」んでしょうね。

実は、渡航しないもう1つの理由があります。高校2年の終わり、それこそ1年後は入試で受験勉強突入寸前に世界史の先生が我々に発した言葉が、脳裏を離れないのです。一字一句一緒ではありませんが、以下のようなニュアンスの話を世界史の最後の授業でしてくれました。

これからはますますグローバルな時代になり、いやがおうにも海外へ出かける機会は諸君らにも増えるだろう。私の価値観を押しつけるのは好ましくないが、日本が過去に世界に向けてしてきたこと、世界へ発したメッセージを諸君ら自身の目でしかと見届け、それを熟慮できるまでは、私は海外へ行くことを積極的には勧めない。日本国内の少なくとも3ヶ所で、諸君らの若い目と心で、過去の事実を真摯に受け止めてからでも、海外に出るのは決して遅くはない…

皆さんには、国内の「少なくとも3ヶ所」がどこだか、あらかたお分かりかと思います。私は瞬時にそれがどこなのか理解し、恥ずかしながら先生の話を聞きながら、ちょっと涙ぐんでしまいました。そして今でも、その3ヶ所のうち1ヶ所は訪れていません。この地を踏みしめるまでは、私は自分の信念に従って海外へ出るつもりはありません。親にその話を、海外へ行かない理由だと説明したら、頑固だなとバカにしたような顔で吐き捨てられました…私の考え方はやはりおかしいですかねぇ? スナフキんが海外へ渡るようになる日はいつになるのでしょう…。妹が身内だけででも海外ウェディングしようかなどと言い出したりするもので、つい戯れ言を書き込んでしまいます。
[28097] 2004年 5月 9日(日)22:50:16スナフキん さん
大前と、草軽電鉄などなど…
不思議な大前の存在という話が出てきて、おやおや、これと似たケースがどこぞやにあったような…と時刻表の索引地図を見て思い出しました。背景や駅間距離、現在の路線状況などに差はありますが、鬼怒川温泉界隈のすったもんだに状況がよく似ています。太子へ伸びていた長野原線の一部を廃止した事情は一致しませんけど、線路を伸ばしたもののバスとの結節点は相変わらず手前の駅であるあたりに共通点が見出せます。そして、各駅で列車が折り返すという事情も共通していますね。鬼怒川温泉界隈の場合はこれが連続した駅繋がりとなっていて、吾妻線以上に知らない人には理解しずらいです。鬼怒川温泉はともかく、鬼怒川公園にも折り返し可能な設備があり、さらに新藤原でも折り返す列車が存在する…本数は決して多くないのに、始発・終着駅がばらばらというのはどうもしっくりきません。吾妻線と決定的に違うのは、終点から先へと鉄路が伸びていったことでしょうか。開通当初は会津へのバイパスルートと大いにもてはやされましたが、皮肉なことに会津田島まで電気が通ったあたりから利用率が落ち始め、今では足の長さが自慢だった東武線の快速も、日中は半数ほどが野岩鉄道への直通をせずに新藤原での乗換えを強いるようになっています、時代は変わるものです…。

草軽電鉄も、今となっては復活は完全に無理でしょうね。私も軽井沢から三笠・鶴溜・小瀬温泉を経て長日向まで線路跡を歩いた経験がありますが、正直言って今の常識では考えられないルートどりをしていたため、嵯峨野観光鉄道のような再利用ですらも非現実的だと思いました。旧鶴溜駅付近の雰囲気はそれはそれは高原らしく素敵なもので、このままカブトムシばりのけったい機関車が林の向こうからやってきたらどんなに楽しいだろうと、歩いていたときは思ったりもしました。でも、長日向から鉄道代替となった草軽交通バスに乗って軽井沢に戻り、旧軽井沢が近くなって道路がミッチリ動かなくなって、ふだんは使わない細い裏道を駆使して乗りつけた駅前で、どこを見ても人、人、人の軽井沢におとぎ列車のいられる空間や余地はないのだろうなあと、現実に引き戻されてしまったのを覚えています。この時行きに乗った列車が「ホリデー快速碓氷峠号」(碓氷峠越え最後の年だけ、列車名が「軽井沢」から変更されていました)、帰りは長野色した3両の電車がお客を満載して峠を下るのに便乗しました。そしてつい先日、「ホリデー快速」として使われていた車両もお役ご免となって、工場で解体され鉄くずになったのを知りました。やはり時代は変わるものです。その時代に必要とされる方向へと、自然な形で地上の地物もまた、変わってゆくのですね…そうでなければ、私の仕事は世の中から必要とされることもないのでしょうけど(苦笑)。

何だか、過去に自分のページでエッセーとして記述した内容に、そっくりになってしまいました…。
[27916] 2004年 5月 4日(火)23:19:43スナフキん さん
「かじまち」のこと
[27906]地名好きさん
「鍛冶町」・「鍛治町」が日本各地にありますが、どちらも間違いではないのですかね?
これはどうも、誤記がそのまま定着した典型例、という場所がほとんどのようです。もちろん使い方としては「鍛冶」とにすいの字を使うほうが自然であり、由来から考えても妥当だと思うのですが、かと言って「鍛治」を全面否定できるわけでもありません。公的資料と捉えて差し支えない「国土行政区画総覧」においても、この両表記は揺れていて統一できていません。どちらにも「正しい」という公のお墨付きがついてしまっているのです。この両者に関してどちらかが明らかな誤り、と判断を下すには、誤記と思しき例があまりにも増えすぎていて、この表記の揺れを是と認めざるを得ない、というのが地図編集の立場からの言い分ですねぇ。

連休中は川越の実家に帰っており、甥っ子のお守りをしたりもして疲労困憊モードです。溜め込んだ分全部を読み直してはいませんが、取り急ぎレスまで。
[27751] 2004年 4月 28日(水)09:39:41スナフキん さん
合併話、ふたたび
本題の前に。
[27734]なおさん
地形図は昨年習いました。
そうですか。私も中学時代にすでに国土地理院の地形図は存在を認識しており、確か教科書や地図帳にも一部記載されていたと記憶していたので、てっきり今では学習指導要領が変わって中学では扱わなくなったのかと思いました。そうだとすれば、中学の知識は大学にまで進むと抜け落ちちゃうものですかねぇ…。地理専攻を志すのなら、頭の片隅でもいいから残っていて欲しいと思うのですが。


さて、本題です。合併情報にも記載がありますが、先々週自宅に投げ込まれた市議会某会派の議会レポートに結構凄いことが書かれていました。市長が合併に関して、「例え賛成が1%であっても、大井町との合併を推し進める」旨の発言をした、というものです。

私の考えを述べると合併賛成・推進派は気分を害するかもしれませんが、「ズイブンな発言だな」と思いました。住民の意志が反対多数でもそれを無視して合併を進める、ととれる内容であり、市民軽視だと反論されても仕方のない発言だと感じたのです。合併に向き合う姿勢をはっきりさせたい意図があったのかも知れませんけど、それでも一自治体の長としてする発言にしてはあまりにも軽率、思慮を欠く発言であきれてしまいます。

合併情報には大井町議会も合併協議を検討中とのことですが、もともと2市2町で協議が進められていた段階で大井町長は、協議が不調に終わった場合は単独市制を目指す旨の発言をして大波がたった事実があり、とてもスンナリいくとは思えません。そもそも、大井町も以前の枠組みにおいては住民投票で、要件こそ満たさなかったものの反対多数だったわけですし。

富士見市もラブコールを送ってきているらしいですけど、1度住民投票で転覆しているものを、枠組みを変えてまで合併に固執するのは何だかあまりいい感じではありません。そりゃあうちの市は全国で4番目に小さい市ですけど、それにコンプレックスを抱くのではなくて、限られた規模の中で市政運営をどう進め、健全化していくかに知恵を絞るのも今を生きるやり方の選択肢の一つとしてやぶさかじゃないんではないかと思うのですが、私の考えがヌルいですかねぇ…。
[27704] 2004年 4月 26日(月)09:20:27スナフキん さん
学問ネタで少し…
遅きに失した感じがしますけど、先週金曜日に常務が毎年恒例の(と言っても教授が今年定年なので、今年が最後になるみたいですが)招へい講師として大学へ講義に行ったら、何と地理学科にもかかわらず「地形図」を知らない学生がいて話が進まなかったそう。もちろん国土地理院なんて機関を知るはずもなく、これから各種自然系主題図の実習をするのに、先が思いやられるとグッタリ顔で帰ってきました。こういう下地のできていない学生に、水系図や切峰面図、路線縦断図などを描かせることができるのでしょうかねぇ…。

かく言う私も、いまこの夏の実地調査(?)に向けてある地域の水系図ならびに切峰面図をデジタルで書き起こし中です。行く可能性があるかな、程度のまだ未確定なプランですが、もし行けるとなるとフツーの人は絶対に立ち入ることのできない地域だけに、それなりの下準備をしていこうかなぁと漠然と考えたのと、多分に軒下提灯さんの力作を眺めて刺激を受けたというのがあります。とは言え、学生時代に身につけたはずの知識はほとんど抜け落ちており、奇跡的に残っていた、講義で配布の製作マニュアルやあんちょこを頼りにコツコツ作業を進めていますが、さて果たしてどんな図ができることやら(恥ずかしい図になったら、面子丸つぶれですねぇ・大汗)。
[27627] 2004年 4月 23日(金)09:26:11スナフキん さん
「定義」のていぎ
仕事柄、どうしても地名の読みは気になるので、調べてみました。

ルビのあるものとしてはかなり信頼のおける、山川の各県歴史散歩には定義如来の上に「じょうぎ」、親字の下には「(じょうげ)」と記されています。この書き方を素直に受け取れば、「じょうぎ」の読みが一般的とも思えますが、私自身もここの温泉はずっと「じょうげおんせん」だと信じ切っていました。それよりも、この所在地の方がちょっと気になります。「仙台市青葉区大倉字上下」とあるのですが、どうもこの「上下」が「定義」と何か微妙な関係がありそうです。どっちが本家なのかまでは分かりませんが、どちらかの表記が転化した可能性もありますね。当然ですが、上下は「じょうげ」と読みますし、これは加除出版の行政区画便覧にも掲載されている正確なものと見てほぼ間違いないですから。あるいは、「じょうげ」の読みが「上下」から派生してそのうち「定義」にも定着するようになってしまったのかもしれません。日本各地では地名における「誤記・誤読の定着」もあるみたいですから…。

仙台近辺ネタでもう一つ。仙台南道路の本線バリア、この3月に撤去されたようですね。これにより東北道仙台南インターから直接仙台南道路に乗り入れても立ち止まることなく進めることになるそうです。そうか、浦和とか加須からの通行券を出して、長町とかで下りられるのか…と思うと結構画期的な気もします。まあ仙台自体は東部道路や北部道路始め、有料道路ネットワークが伸び続けていることもありますし、ある意味必然だったと言えるかもしれません。
[27529] 2004年 4月 19日(月)13:26:26スナフキん さん
土日はおでかけ日和
先にちょっとほのめかしましたけど、この週末は土曜日にハイキング、日曜日にサイクリングとあちこちうろついてばかりでした。サイクリングの帰りには、とうとう既存建物がすべて除去され完全な更地と化した、上福岡南口駅前の再開発地域を14階から眺めたり。私は高いところがダメなので、身を乗り出しての撮影はできませんでした…そんな人間が山登りするなんて、命知らずな…(汗)。

ハイキングは標高400mにも満たない低山、寄居町にある鐘撞堂山へ。歩行時間は2時間ほどで、それこそハイキングと言うより、散歩に近い距離感…。山には鉢形城に敵の急襲を知らせるための鐘があったといういわれの通り、標高が低い割には関東平野が一望できる絶好のロケーション。ただ、どうしても春は空気が澱んで景色が霞みがち、本来なら距離的にも見えておかしくない熊谷市街地さえ、晴れていたのに見ることができませんでした。その独特の円錐形から、乳房山とも呼ばれる笠山は、裏から見ると全然その名を現していないのですねぇ。東京方面から見ると、秩父連山の一番北側に美しい円錐形が見えます、これが笠山ですね。反対からでも形は変わらないのでしょうが、周りの山々に埋もれてしまって独特の円錐形が目立ちません。この山名は、つくづく東京側から命名されたのだなと感じました。このテの話はよく、逆からは別の名前で愛称されていたりするのですが、笠山に関してはそういう話は聞きませんね…。いずれは登ることになるであろう山に、少し思いを馳せたりして。

期待していた山から望むSLの煙も、事前のリサーチによれば今年は部品に重大な欠損が見つかり、いまだに運転できないとのこと。代わりに芝桜臨時列車が来るらしいので、これをカメラにおさめてから登った次第です。引っ張るのがSLではなく電気機関車に化けたとは言え、民鉄で電気機関車が客車を引っ張る芸当はほとんど行われておらず、運転初日にもかかわらずカメラ抱えた方々がちらほら。片やSLの方はゴールデンウィークの運転もほぼ絶望の掲示があり、貨物列車の減少で収益力が落ちている秩父鉄道の収支にも直接影を落としそうな雰囲気です。今年の運転計画すら立っていない状況で、尾を引かねばいいが…と気を揉むと同時に、古いものを維持し続けるのはとっても大変なことなのだなぁと実感させられました。帰りは1駅だけ、冷房のない車両に乗り合わせました。この陽気のため窓は全開、「JNR」マークの扇風機が天井でブンブン回転中…(正真正銘、大汗)。冷房のない電車に乗ったの、何年ぶりでしょ? 大井川鐵道でさえ、冷房がついていたのに…。行程が短く、少し消化不良な感じだったハイキングでしたが、ほぼ10年ぶりに再開した登山なので、少しずつ体を慣らして本格的縦走もできるくらいまで、体力を戻したいと考えています。

翌日日曜日も陽気に誘われて、三富地域まで軽くサイクリング。もっと遠いという印象でしたが、テレテレ走っても30分かかりませんでした。ずっと行きたいと思っていた多福寺、多聞院、島田家住宅はいずれも訪問を果たせました。多福寺はまさに雑木林の中の寺で静かなたたずまい、江戸の開拓時代の名残をそこかしこに残した、想像通りの素敵な寺院でした。多聞院ではボタン祭りがもう間もなく…いくつか早咲きのものがすでに大輪を開いています。島田家住宅では見学していたら狭山茶を出していただき、人なつっこいネコちゃんともじゃれあったりして、癒しの時間が過ごせました。ダイオキシンで騒がれても、大きな工場や倉庫が立地するようになっても、大型車の通行が増えて道路状況が悪くなっても、やっぱりこの新田開発の景観が私の大のお気に入りであることには変わりありません。この景観がずっと、後生に引き継がれていって欲しいと願うばかりです。そして、産業廃棄物処理施設やダイオキシンのような暗いイメージがついたとしても、いつまでも地元民として胸を張ることのできる景観であって欲しいとつくづく思いました。

最後になって恐縮ですが…
[27418]両毛人さん
もちろん私だけに宛てられたものではないのですが、応援メッセージありがとうございました。私の口からは「がんばります!」くらいしか発することのできる言葉がないのがちょっと悲しいですが。

[27510]みかちゅうさん
道路名、IC・JCT・SA・PAの名称と読みがな、所在地、開通日、区間距離
道路名が、まず難しいですよ。私のデータではいちばん、このカテゴリが悩ましいです。例えば東京外環自動車道に、どうやって「東北縦貫自動車道」と「常磐自動車道」の文字をつじつまが合うように表現するか、かなり悩みました。開通日は正直、それ以上に高いハードルかもしれません。IC・JCTなどは道路開通日からある程度たぐり寄せることは可能ですが(後から増設されたものも何らかの情報が残ることがほとんどです)、SA・PAは一般に外部との出入りが可能な構造になっていない閉鎖的施設であるために、相当難物です。私などはもう分からない部分は空欄にしてサジ投げてますね(汗)、そこまで正確かつ厳格なデータにしようという気ははなからないので。

まだ付けるべきレスはあるのですが…勤務時間が(大汗)。
[27500] 2004年 4月 18日(日)22:31:21スナフキん さん
ちょっとレスだけ…
この週末はハイキングにサイクリングと出かけてばかりでした。まあその話は置いといて。

[27483]白桃さん
アドバルーンを見たければ、栃木県へとりあえずは行って見てください。すごいですよ、ちょっとした街の中心でもアドバルーンが上がっていたりします。栃木県を訪れたり、通過したりするたびにいつも思うのですが、栃木県はアドバルーンの何か、奨励でもしているんじゃあんめ~な?(事実は不明ですが)と思うくらいたくさんあがってますよ。何でなんでしょうね?

[27459]みかちゅうさん
その、一覧表はもうできてしまったでしょうか? 実は私のページでそろそろアップしようかな~と考えていたデータがあるのです。随分前から構想はあり、データもほぼできていたのですが、ご指摘の「高速道路の範疇」を自分の中で練り直したりしていたら訳の分からない事例がポツリポツリと開通して出没してしまい、ずっと放ったらかしになっていたんです。このほど、前年度開通予定分の年度オーバー分が出揃うことになるので、それを機に…と考えていました。その頃でよければ私のページからデータを引っ張るのは一向に差し支えありません。特急でどうしてもすぐ所望でしたら、メールでデータをお流しすることもできなくはありませんので、お知らせください。ただ、ちょっとクセのあるデータであることだけは申し沿えておきます(汗)。

[27453]両毛人さん
おぉ、完全封鎖ですか。それにかわるほどしっかりした代替道路は周辺にあったでしょうか、半年もの長期に渡る国道の通行止は異例かもしれません。確かに、道路交通は太田市内で混乱が予想されますね。

駅の統廃合に関して、意見を寄せてくださった方々、ありがとうございました。挙げて下さったのに何ですけど、ほとんどは自分の認識の中に残っていたものでした。ただ、全駅のデータ管理としてはそんなに昔から記録をつけているわけではないので、記憶を掘り起こす意味で助けになりました、感謝です。


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