[65014]紅葉橋律乃介 さん
現在「大多府」だからと言って、必ずしも百数十年前の施行時もその表記だったかどうかは、分からないと思います。
あくまでも施行時の「原典」がどの表記なのか。仮に「大多布村」だったとすれば、あるいは「府」の誤記ではないか、との推測が出てくるわけです。単純に入力ミスかも知れませんが、併用(諸説あり)という厄介な例もないとは言い切れませんので、担当者様のご説明を待ちましょう。
本当に仰る通りだと思います。それに関連するのですが、私が普段から思っていたことを1つ。
当時の表記等を調べる資料として当時の出版物を参照することが皆さん多いかと思われますが、私はその資料が今一信頼出来ません。というのも、私は地元兵庫の自治体変遷を追うのに「兵庫県市町村名称区域及役所役場位置 福永惟精著(明治22年5月)」と「郡区町村一覧 内務省地理局(明治14年3月)」を参照していたのですが、誤植がどうも多い気がするのです。
前者は市制町村制に依り成立した市町村名とそれらを構成する郡区町村編成法下で存在した町村名、市制町村制下で各市町村の役所役場が所在した旧町村名が記載してあるのですが、たとえば、現在は川西市となっている川辺郡東谷村の項に於て、構成町村として「山下村」が記載されているにもかかわらず、役場所在地としては「元山下町」と記載されています。これを見て私は以下の三通りの可能性があると考えました。
1、郡区町村編成法施行時に山下村が発足し、市制町村制が施行されるまでの10年程の間に「町」となった(或いはその逆)
2、単純に地元では村とか町と呼ばれており、定まっていない
3、単なる誤植
一方で、後者「郡区町村一覧」では「山下村」と記載されていましたし、両書間で川辺郡に属す町村数の相違は見られませんでした(数え間違いがあるやもしれません)。
これらの事から、あくまでこれら資料を信頼した立場からは「尼崎」と「尼ヶ崎」の如く、「山下村」と「山下町」が少なくとも地元では公式非公式は分かりませんが併用されていたと考えるのが最も賢明で、2番目が事実かと考えるに至りました。
しかし、それだけならともかく、この兵庫県市町村名称区域及役所役場位置では、他にも現在の姫路市余部区(よべく)を構成していた揖西郡余部村を「あまるべ」と仮名を振っていたり、現在のJR姫新線余部駅(よべえき)周辺である飾西郡余部村も同様に「あまるべ」としています(「郡区町村一覧」でも同じような例がいくつも見られました)。勿論、現在の読みと当時の読みが同じとは言い切れませんが現在とは違い十分な通信環境なども整備されていなかった当時にその市町村から遠く離れた中央で編纂されたであろう書物ですから、単純な書き間違え、写し間違え、思い込み諸々の誤植と考えるほうが自然な気がするのです。
只、私の不勉強もあり、郡区町村編成法下での合併町制や単独町制の例は全く知らず、1の可能性も捨てきれませんし、そもそもこれらの書に記載されている町村名の時点すらもはっきり分かっておりませんので誤植とするのはいささか軽薄な感が否めませんが。
皆さんはこの点どう思われますか?
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話は変わりまして、市区町村変遷情報に誤りかと思われる箇所を発見しましたので報告します。
「市制町村制施行時の情報」の岡山県吉野郡讃甘村の項の「市制町村制施行前の町村名等」に「小田原村」とありますが、正しくは「小原田村」かと思われます。「
新旧対照市町村一覧 和泉橋警察署編(明治22年)」と
現在の地名両方から確認致しましたので信頼性は高いとは思います。
ご検討よろしくお願いします。