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スナフキんさんの記事が20件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[39364]2005年4月4日
スナフキん
[39298]2005年4月2日
スナフキん
[39126]2005年3月30日
スナフキん
[39079]2005年3月29日
スナフキん
[39037]2005年3月28日
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[38874]2005年3月23日
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[38664]2005年3月17日
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[38522]2005年3月12日
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[38386]2005年3月7日
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[38380]2005年3月7日
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[38221]2005年3月2日
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[38137]2005年2月28日
スナフキん
[38116]2005年2月27日
スナフキん
[38081]2005年2月26日
スナフキん
[37946]2005年2月19日
スナフキん
[37862]2005年2月16日
スナフキん
[37859]2005年2月16日
スナフキん
[37811]2005年2月14日
スナフキん
[37742]2005年2月12日
スナフキん
[37632]2005年2月8日
スナフキん

[39364] 2005年 4月 4日(月)14:04:30スナフキん さん
上福岡について
…と申しましても、先頃話題を集めました駅の由来絡みの話題ではありません。私自身にもっと学があって、書き込む知識を身につけていればもっといろいろ論じることができたのでしょうが、残念ながらそういった書き込みをするだけの「何か」がなくて…本来ならもっとも議論に加われるはずの居住者でありながら話題に乗れないという悲しい状況です。下手に何か書こうとすると私の今の知識では「ガセ」になりかねないので、本話題に関しては私からの書き込みは控えておきます。

全然別件で、週末に市報が手元へ届きました。団地の旧住居跡地に移管公園として建設された中規模都市公園である「西中央公園」(この名称も何だかおかしな感じですが)のオープン記事が掲載されていましたが、それ以上に私の目に止まったのは同封されていた協議会だより。どうも年度末の3月31日をもって、全合併協議の終了を理由に法定合併協議会が解散になったようです。ただ、協議会だよりの奥付は4月1日ですが、内容の編集は事実上旧年度中に行われているはずで、各市町議会の承認の有無は確認できていません。記述の内容はあくまでも「協議会として解散を承認」というものでした。協議会のホームページも悠長なもので、その辺りに関する記述がちっとも更新されていません。もっとも、市町議会が協議会解散に反対するだけの正当な理由は見つからないので、恐らくは承認通り解散されたのだと思います。「円満解決」による解散って、新聞記事などメディアネタになりにくそうですね、裏付けが取りずらそうですが、でるでるさんにこの情報に関する取り扱いの判断はお任せします(無責任でスミマセン)。
[39298] 2005年 4月 2日(土)22:48:13スナフキん さん
私も年度変わりのデータ更新を…
肝心の4月1日は、某駅で19時間の過酷な調査(汗)に明け暮れていましたが、明けて本日、関連するデータの更新をすべて終えて、先ほど自分のページにアップしました。年度の変わり目を契機に、ページタイトルまでいじってしまいましたが。あぁ、週明けには勤務先の楽しい楽しいデータ更新が待っています…(泣)

この3~4月にかけて、全駅データ9200余りのうち所在地情報に何らかの変更が発生した件数はおよそ450。全駅数のほぼ5%に相当します。もっともこの数字は実際に変更した数字であって、市町村合併はあったものの結果的に変更する必要のなかったレコードも含めると、もっと数字は大きくなるはずです。この5%という数字、データの内容やその変化した期間を考え合わせると、かなり大きな数字に私は思うのですが皆さんはどう捉えられるでしょうか。

それ以上に、今回の更新では駅そのもののデータが路線の廃止などに伴って、80件以上失われてしまいました。結果、全駅のレコード数は9200台を割り込んでしまうに至りました。今回の3路線はいずれも私鉄であり、しかも名鉄の各路線はどれも事実上の路面電車で駅数が相対的に多かったという事情が、レコードの欠損を多くさせてしまった一つの要因ではあるのです。しかし、路線別に失われた駅の数をカウントしていくと、のと鉄道能登線の30が大きく効いてきます。距離にしてもいっきに60kmほどが年度を越えずに消滅したことになり、地方における鉄道需要は落ち込んでいく一方なのかなと、データをメンテしていて悲しくなってきます。これほどごっそり路線がまるまるなくなるのは、北海道の深名線以来なのではないでしょうか(可部線は、ごく一部ですが残存しましたので除外しました)。来年のこの時期には、これを上回る距離を有する北海道ちほく高原鉄道が、事実上のギブアップ宣言をしています。地図上において、スミ色の注記に引っかかっていたスミ色の鉄道線をプツプツ切る作業、今後は少なくなっていくのかもしれません。きわめて面倒な作業ですが、いざなくなるとなると寂しい気がします。
[39126] 2005年 3月 30日(水)10:50:07スナフキん さん
雲州平田駅が誕生していた!
最近はどうも鉄道絡みの仕事が多いのですが、今朝になって(今更ですが)出雲市の合併に伴って一畑電気鉄道の平田市駅が、なんと雲州平田駅に改称していたことに気がついて大汗をかいています。合併ラッシュではどうしても合併することそのものに目がいってしまうので、市の名前を駅名に使っていた平田市駅の存在を目に留めることはほとんどありませんでした。ちょっとプロとしては恥ずかしいですが、伊賀市の時の上野市駅はあれほど気にしていたのに今回はいともあっさりスルーしてしまったのは、やはり自分に余裕がなかったのかなと反省したりしています。今月はたまたま市の代表駅を気にしてJTB時刻表を買っていたため、路線図の欄外注から情報を拾うことができましたが、JR時刻表の路線図では先月号から黙って何の注釈もなく突然変更されてしまいました。本文にはニュースとして載っていましたが、ちょっと不親切です。いや、他メディアのせいにするのは卑怯ですね、自分たちが気にしなかったのがすべていけないのですから…。多忙でどこかにしわ寄せがきちゃうという事態、なるべくならそうなってほしくなかったのですが…なってしまいました、何と地図屋の悲しきことよ(涙)。

それにしても、「雲州」を冠する駅名は、初ですね。「出雲」なら周りにいくらでも点在していますが、これにならって「出雲平田」では出雲市に吸収されたイメージがつくと忌み嫌われたのでしょうか。旧国名を「州」の字で表して駅名に付す手法は、直接旧国名を冠するものに比べると数の上ではずっと少数で、逆に新鮮な感じがします。
[39079] 2005年 3月 29日(火)13:29:58スナフキん さん
びっくりな地図と、岡本駅のこと
[39073]special-weekさんご指摘の地図、見てみてびっくりしました。書き込みを見ただけでは、単なるオフザケか架空の話かと思いきや、大まじめに高崎市の解説をしており、現実世界の説明地図と分かって2度びっくりです。びっくり、と言うよりも、がっかりでしょうか。地図が軽んじられているような印象を受けますね。解説本文がかっちりした文章なだけに、図版の校正はしっかりやったんだろうかと疑問を持ちたくもなります。

[39045]で白桃さんが疑問を持たれた阪急岡本駅の特急停車、震災復興が一段落した後の改正で突如、普通のみの停車から階級特進した模様です。阪急と神戸に詳しい(?)社内の人間に尋ねたところ、やはり突出した理由はなく、それが故に利用者からの評判はボコスコだったそうです(今はどうなのかな?)。[39065]でEMMさんがその理由ではないかと思われる事柄を列記して下さっていますが、あえてその中から相対的に理由としては大きかったろうというのを挙げるとやはり、1996年に開業したJR神戸線の「甲南山手」駅開業によって利用者がさらわれるのを恐れ、特急を停車させて沿線住民を囲い込もうとしたことと、甲南大学の学生を利用者として当て込んだことがあったようだ、とのことでした。特急停車には六甲がふさわしいようにも思いますが、三宮から近すぎる、ラッシュ時は10両編成を組むこともある特急を止めるにはホーム長さが不足している、緩急接続できるホーム構造ではないなどの理由で見送られてしまったのかもしれません。などと偉そうに講釈していますが、これらはすべて、社内にたまたまいた事情通からの受け売り。私自身は山側の阪急神戸線には一度も乗ったことはないのです。阪神間の移動で利用するのは大概青春18きっぷや周遊券・周遊きっぷなどで乗れるJR神戸線の新快速か、阪神電車(関西では私鉄のことを「電車」と言うのですよね?!)です。その阪神も、明石から尼崎までの移動で直通特急に色気を出して乗ったら、手持ちのスルっと関西が瞬殺されて懲りてしまって以降は乗っていません(汗)。
[39037] 2005年 3月 28日(月)09:24:12スナフキん さん
大井町長、リコール不成立?
不確定な情報で申し訳ありませんが、駅前で配っていた他人のチラシを横目で見たら、こんなタイトル(もちろん「?」はないですけど)が踊っていました。署名の数自体は有効数を満たしていたのはすでに書き込んだ通りですが、選挙管理委員会での審査の結果、何らかの不備が発覚したのかこのような結果になったようです。まあ、リコールが成立しようがしまいが、もはや県への合併届け出を済ませてしまった「上福岡+大井=ふじみ野」の枠組みが崩れることは、ほとんど考えられないのですが。

以上、盗み見(汗)した情報まで。プレスによる情報でも出ない限り、合併情報への反映はやめた方がいいと思います>でるでるさん
[38874] 2005年 3月 23日(水)13:11:25スナフキん さん
いろいろレスっぽいもの
昨日は、病欠により自宅でうなされてました。いやぁ、下る下る(食事時に、スミマセン)。本来ならこの連休を挟んで合併がわんさかあり、自分のデータも直さなきゃいけないのですが、抱えている路線図作成が滞っていて、手がつけられません、ひ~。

20日には何やら九州で規模の大きな地震があったようですね。この事実、実は駅で待ち合わせていた人のうわさ話から第一報を知りました。この日は一日中ずっと某駅でおバカなことをしてまして、寒さにやられて風邪っぴきになって、昨日の病欠に陥った次第です。自分で「おバカ」と分かっていて、体にも悪そうなことを承知の上でやっているのだから自業自得ですが…。自分の体をむしばんでまでやったことは、ほどなく自分のページでその成果を公開することになろうかと思います。ひまな「鉄」な方々はちょっと覗いてみると面白いかも。

コンビニのお話。今はもう遠ざかっていますが、一時期地図にしこたまコンビニを落とす仕事をしていたことがありました。その当時は、スパーが「カスミ」系(かすみさんとは関係ありませんで、茨城地盤の中堅マーケットです)でしたが、その後経営環境が思わしくなくなって今はどうなったんだか…。あのとき調べたら、スリーエフは確か「Fuji」系(これもテレビ局ではありませんで、神奈川県下に主に展開するマーケットです)ではなかったかな? 神奈川県の方々、フォローお願いします。ポプラの存在は、東日本に住まう者にとって斬新でしたね。ただ、ロゴがちと「スパー」に似ているのかな? と。名古屋~近畿地盤の「ココストア」「ココグルメ」はもっとビックリしました。看板地色がピンク色で「CoCo!」でしたし…。そう言えば、以前の住まいにほど近い場所に、どういう訳かセイコーマートが立地していました(今もあるはずです)。埼玉県在住でありながら、最寄りのコンビニが北海道最有力の「セイコーマート」なんでだろ~。サンクスとサークルKが提携したのも、この仕事を終えた後の話でした。その時は「サンクルK」(苦笑)とかに名前を変えるのかと思いきや、単なる業務提携だけで名称はそのままでした。サンエブリーとヤマザキデイリーを統合してしまったヤマザキグループのコンビニとは温度差を感じます。ampm、確か最近ジャパンエナジーの手を離れてしまったのですよね。それでフローズンとれたて弁当をやめたりしたらひんしゅくモノでしたが、継続してくれています。ただ、出店方針が微妙に変わってきているみたいですね>かすみさん

かように、コンビニを資本関係の切り口で突っ込んで調べてみるとなかなかそれはそれで面白いものです。石川県にセブンイレブンがないそうですが、アピタ・ユニーの息がかかったサンクス・サークルKが強いせいかな? だとすれば、商業的影響はやはり名古屋からもたらされているのか?! など、考え出すと止まりません。そう言う意味で、うちの近くにあったセイコーマートは余計に謎な訳です。

みなとみらい線の売店ですが、これは横浜高速鉄道KKが入札を行った結果、各駅の業者が異なってしまったというのが真相なのだそうですよ。その中には確かJRさんも入っていましたし、東急・京急・相鉄あたりが取り合いをしたらしいとか。売店の品揃えを見ると、業者が自然と分かるみたいです。如実なのはパスネットの柄揃えでしょうかね?

病み上がりで支離滅裂な文章になってしまいました、ゴメンナサイ。
[38664] 2005年 3月 17日(木)09:48:07【1】スナフキん さん
踏切の話
[38634]special-weekさん
西新井の工場踏切
ここ、今ではどうなったでしょうね? と言うのも、東武の西新井工場は昨年2004年春に閉鎖されて機能が停止したはずなのです。で、今までやっていた仕事は、より郊外(西新井を「郊外」と見る向きもあるようなので、あえてこの表現にしました)の南栗橋(一部機能は館林)に移転してしまったようです。いつだかこの脇を通りかかった際、今までの大きな建物が重機のご馳走(?)になっているのを見てショックを受けた記憶があり、現時点では工場跡地は更地になっているものと思われます。当然引き込んでいた線路も剥がされているはずで、踏切の存在自体がアヤしいです…。

[38644]N-Hさん
子供の頃、父につれられて踏切見物に行くのが私のレジャーだったそうです。記憶にないほど小さい頃ですけど。
私も全く同じ生い立ちを経た一人です(汗)。ただ、連れられていたのが祖父(すでに他界して20年以上になります)だったこと、踏切の場所は私の育った場所ではなく生まれた場所であり、年に何度も行く場所ではなかったことが違っていますけど。船川に帰省する楽しみの一つが、船川港貨物駅での石油貨物列車の入れ換えを見ることだったようです。ちょうど列車の進行方向が変わる場所に踏切がありまして、入れ換え中は事実上開かずの踏切となり市民からは不評(それでも、都心近辺での状況に比べれば全然大したことはないです)だったみたいですが、私はその間が楽しくて仕方がなかったみたいです。だから、今でも貨物列車や機関車を見るとゾクゾクしたりします。一方、慣れ親しんだ船川港駅は小坂駅からの濃硫酸輸送・脇本からの申川油田原油輸送が自動車に切り替わったこと、大荷主であった船川日鉱(→ジャパンエナジー船川事業所)が閉鎖を決めたことから取扱量が激減し、数年前に貨物駅としての機能が停止され、今では踏切は撤去、道路が拡幅されて踏切の景観は過去のものとなりました。

[38659]まかいのさん
高架化事業されていないのは伊勢崎線の竹ノ塚あたりだけですね。やはり構造的に難しいのでしょうかね。
となりに超地元の同僚がいるので話を聞いてみると、どうも地元の反対、それも商店街の反対があったようです。構造上線路が4本もあるという事情以外にも、南側には当時の営団が東武から譲り受けた竹ノ塚の車両基地があり、ここへ出入りする列車が極度の徐行運転を強いられること、外側の線路を走る列車(=準急・区間準急等)は草加または越谷でそれより上の優等列車に道を譲るダイヤを余儀なくされているため、下り列車は逃げ、上り列車は追いかけの格好になって、必然的に前後が直線の竹ノ塚付近はどの通過列車も軒並みトップスピードで駆け抜けざるをえない、などの事情が複雑に絡み合って、以前から竹ノ塚前後の踏切はその危険性が指摘されていたはずなのですが…。その指摘が活きなかったことになります。

ちなみに、西新井駅も高架化されていません(橋上駅舎ではありますが)。ただ、西新井の前後は逆に交差する側の道路を徹底的に立体構造にした結果踏切は全廃となっており、北千住~北越谷の私鉄最長の複々線区間で踏切があるのはこの竹ノ塚前後の2ヶ所のみであることには違いありません。
[38522] 2005年 3月 12日(土)21:07:49スナフキん さん
霧と強風と高速バスと…(汗)
[38508]白桃さん
今の安芸高田市近辺の小盆地群の朝霧も有名なようですが、
私がよく知っているのは、安芸高田市と言うより、三次市です。確か駅の跨線橋に「霧と鵜飼いのまち」とかなんとか書いてあったように記憶しています。私も何度か訪れたうちの1度、モーレツな濃霧に見舞われたことがあります。広島行の急行「たいしゃく」がちゃんと動くのか気を揉む私をよそに、ユースホステルのオーナーはのんきなもので、「霧が濃ければ濃いほどその日はよく晴れる」ってな趣旨の言葉を広島弁で語っていました。そしてその日は本当にその通りの上天気になり、原爆ドーム~平和記念館~三段峡と巡る間、ほとんど雲一つありませんでした。そしてその晩、先日長い歴史にピリオドを打った「あさかぜ」のA個室寝台に乗ったのでありました…。

昨日の霧は埼玉でもひどかったようで、私が帰宅した直後から電車のダイヤが乱れ始めたようですし、その影響は今朝にまで引きずった模様です。方や今日日中はと言えば、折から吹き始めた強風で遠景はセピア色になってしまう有様。それでも、午前中は見えていなかった北関東の山々、筑波山や日光男体山、上州赤城山などは強風が雲を飛ばしてくれて、見え始めました。明日はもっと、近くでよく見えればいいなと思いながら…両毛人さん、私信で申し訳ないですが明日はいろいろ厄介になります、よろしくお願いします。

全然話題は別件ですが…
[38519]EMMさん
今回は日本中央バスの金沢-さいたま・東京便に乗ってみました。
うわぁ、あまりのタイムリーぶりに仰天。実はその、霧が濃くなった金曜の夜、帰宅する際に勤務先近くでこのバスの逆便、金沢行を目撃しました。日本中央バスが群馬の会社である予備知識はあったので、東京と金沢を結ぶのに、どうして日本中央なの? と至極当たり前の疑問が沸いたまま、地下鉄に乗り込んだのですが…
東京の板橋に東京営業所があるから
だったのですね、納得です。

それにしても日本中央だなんて、随分「大きな」名前ですよねぇ。私はつい最近まで、日本交通と日の丸自動車、日本中央バス、さらにはそれに輪をかけて日本急行バスとも区別がなかなかつかなくて困っていました(大汗)。今でも日本交通・日の丸という何だかちょっと仰々しさを感じる名前のバス会社が、どうして鳥取・島根に路線網を持っているのか分からないでいます。周りのバス好きの知り合いに感化される形で、最近はバスにも興味を持ち始めており、その知り合いとはこの夏までに、絶対にメガライナーに乗ってやる!宣言をしたりしています。つくばエクスプレス開業後はどうなるか分からない、なんて言われてますからね、あのマンモスバス。
[38386] 2005年 3月 7日(月)15:34:37スナフキん さん
Re: 奥出雲町
3時のコーヒーブレイクです。まだおてんとう様は輝いているのに、どういうわけかキンキラパッケージの「真夜中のお菓子」を食べてます(大汗)。

[38376]M.K.さんほか、みなさま(はしょっちゃった方々、すみません)
奥出雲町の急展開、私もビックリです。週明け早々、書き足さねばならなくなった原本類が多くて汗をかきました。私もここに至るまでの協議状況から察するに、合併期日の延期は必至だろうと思い込んでいたクチです。町の名称や事務所位置などでかなりもめていたのが伝わってきており、それがまさかこの1ヶ月足らずの間にゴーするとは…。「拙速」と言われぬよう、手続きはきちっと踏んでもらいたいです。もちろん今回のケースは直前告示となることが確実なので、私どもでは大いに「フライング」しなければならないのは言うまでもないのですが、作業者としての立場から言えば、もう少し余裕が欲しかったです。
[38380] 2005年 3月 7日(月)09:38:10スナフキん さん
自分で地図を描くということ
皆さんの話を伺っていて、そう言えば自分も子供の頃、画用紙に地図まがいのものを書いていたこともあったなと思い出しました。ただ、書いたもののほとんどはやはり主人公が鉄道。線路を描いて、その上を電車が走っているのです。当時はまだ地理的興味よりも圧倒的に鉄道への興味が強かった何よりの証拠で、その後高校の頃まではずっと鉄道業に従事したい夢を持ち続けることとなりました。私が地理・地図学的方向へ開眼するようになったのは、本当にごく最近。その導入を助けたのは、やっぱり鉄道、汽車旅であったろうなと今でも思います。

ネットで知り合った人に、普段はドリフネタやタイムボカンネタで大笑いする車掌さんがいます。そんな人でも、いざ乗務に立ち会ってみると「かっこいい」んですよね。自分が子供の頃から長いことあこがれていた仕事を活き活きとやっている姿が、私にはそう映るのかも知れません。好きで仕事している人の姿って、あこがれている人にとってはどんな仕事であっても「かっこいい」ものなのでしょう。自分の姿を鏡写しにしてみて、他人から多分そうは思われていないんだろうなぁ、なんて考えたりもします。あまりプロ意識とかなしに日頃の仕事をこなしてますし、書店に自社の地図が出ていて、うわ、これ自分がやったんだ、いかんいかんなどと思っているくらいですから…学生の皆さん、こんな自覚のない社会人はダメですよ(大汗)。

思い返してみると、仕事で地図を作るのは当たり前で、毎日接するのも当然なのですが、自分の手で、ハンドメイドの地図を描くという作業は、実はと~んとご無沙汰しています。それだけデジタル編集が幅を利かせているということなのですが、たまには自分の思うがままにペンを走らせて紙に図を起こすこともしたいものです。そういう勘が鈍ってしまいそうなのが怖いので…。
[38221] 2005年 3月 2日(水)09:49:10スナフキん さん
社会科のこと
[38144]ゆうさん
学校で学ぶことのうち、社会生活を送るために「必須」である事柄ってそんなに多くはないと思うんです。
そうですよね、よくよく考えたら社会に限らず、学校での教科のほとんどがそういう側面を持っています。ただ、「本人次第」に甘えると、結局何もそれ以上しなくたっていいじゃないかで終わってしまい、そこから何かが膨らんでいくということがなくなってしまいます。たぶん、昨今叫ばれている各教科における「学力低下」も、根底にこのあたりの事情が絡んできそうに思えますが…。

私は、高校時代に地理科からは冷遇されていました。1年次は政治経済、2年次は世界史、3年次は日本史必修で地理選択がようやくできたという状況でした。3年になるまでは地理専属教員がゼロだったことがもろに響いた格好で、3年次に地理を履修する機会がなければ独学で受験に望まざるを得なくなるところでした。逆にこの極端な冷遇ぶりが、地理学科への向学意欲をかき立てたのかもしれませんが。

地理が身近になるには、やっぱり小さい頃からの興味が重要だと考えます。私などは親の田舎である秋田へ車で帰省する際(当時は盛岡ICから延々下道を通り、仙岩峠~角館~協和を経て秋田入りしたものです)、「馬車軌道」があった小岩井農場が楽しみで、まだかまだかと騒ぐ自分を今はここだと親が地図で指し示して、あとこのくらいなんだ…こんなことから地図・地理への接触が始まったように記憶しています。親が大の飛行機好きで、羽田空港に車で行く際にも何度も引っ付いて、それこそ車載の道路地図を親が道が不案内だから見せろというまで、自分で見ながら首都高速を走った思い出もあります。だから、たぶん幼稚園の頃から「三宅坂」が読めて周りを驚かせたのだろうなと(笑)。母親は山登りの経験がありましたが、たぶん両親共にまさか自分がこんな地理ヲタになるとは当時は思っていなかったでしょうね。そんなことを考えると、小さい子供が見ても楽しい地図の存在がもっとあっていいのかもしれません。私のように既存の道路地図を見て楽しめる子供の方がむしろ奇特なわけでして(大汗)、初めて地図に接する子供にも触れやすいものって意外に日本には少ないように思います。手前味噌というか宣伝になってしまいますけど、この春に我が社が協力して、子どものための地図絵本が刊行されます。学力低下を危惧する世論から、この本がどんな評価をされるのかちょっと気になったりもします。

もっとも、現在の地理教育にも問題点はいくつもあります。文理に極端に分化した研究が増えたことは以前に少し書きましたが、言葉は悪いですけど「バカの一つ覚え」的な教育方針が相変わらずいっこうに改まらない部分もあります。その最たるものが「地形図学習」でしょうね。もちろん、地形図が地理学にとってきわめて重要なのは否定しません。けど、「そういうものだ」と教える手法がどうもよろしくない。例えば、地図記号を覚えさせるとか図式を頭に入れさせる、なんていうのは受験には必要であっても、地理学を修めるにあたってはほとんど必要のない知識です。だって、地形図の脇には絶対凡例があるわけで、分からないときはそれを参照すればよろしい。地形図から学ぶことは、記号や図式だけではなくもっといろんなことが読み解けるはずなのに、そこにまで学習が至っているとは思えない…。

こんな実話があります。ある地図制作の依頼を受けて、北が少し右へ傾いた図取りを作って提出したことがあります。クライアントが要求してきた記載内容が、最大縮尺でなるべく大きく見えるようにと方位を振る、これはごく普通の感覚だと思っていたら、クライアントから正方位(上が北)にしてくれとの要望が…。なるべく見やすく、大きく表示できるようにと主張したって聞き入れてくれません。「上が北じゃないとマズイでしょう…」その一点張りです。かくして、注記は引き出しせざるを得ない不細工な図になってしまったのでした。

こんなこともあります。同業他社からやはり制作依頼を受けたところ、記号が地形図と違うようだがという信じられない問い合わせが。地図記号なんてその図に対して決めればいいのであって、地形図の記号が絶対ではないはず、ましてや、相手は地図会社であるというのにこの有様です。

この2例がすべて地形図教育がもたらした弊害だとは言い切れないかもしれません。もっと他にいろんな事情があったかもしれない…けれど、どうも学校で教わった地形図の概念・記憶があまりにも強すぎて、このような(私からすれば)硬直化した発想が生まれている、そんな気がしてなりません。もしそうだとすれば、愚の骨頂と言わざるを得ないですね。教育改革と言葉で言うのは簡単ですが、個々の事例を見ていくとその道のりは決して平坦ではないようです。
[38137] 2005年 2月 28日(月)09:37:15スナフキん さん
大井町長リコールのその後
以前、埼玉県大井町において町長のリコール署名活動の結果、12773名分の署名が集まった旨はすでに書きました。その後、自宅にはさらに詳細を記したビラが入ってきました。私がもっと関連法律に明るければこれをかみ砕いて記すことができるのですが、残念ながらそこまで学はないので(無責任ですが)ビラの中にあった「今後の流れ」を原文のまま抜粋します。恐らくこのビラは多くの市民に事実を知らしめるためのものだと思うので、問題はないものと思います。

●2月22日 リコール署名提出(済み)
●同日から20日間以内で署名の審査終了(3月14日終了予定)
●3月15日から21日まで7日間、署名の縦覧
●3月22日 リコール本請求
●同日から60日以内に、解職投票の実施
(予想される実施日 5月15日より早い日曜日)
●町長解職の場合、解職投票日から50日以内に町長選挙
(予想される投票日 6月24日より早い日曜日)

だそうです。これが、「ふじみ野市」成立へ向けた諸手続にどれほど影響を及ぼし、また日程的に絡んでくるのかは未知数ですが、法定合併協議会の一号委員でもある人物にリコールが突きつけられているのは事実で、異常な事態には違いないと思います。

余談ですが、同日実施された埼玉県朝霞市の市長選挙は投票率がなんと20%台前半。上福岡市長選の38%でも低いと感じましたが、さらにそれを下回る数字を叩き出しています。これをみてふと、歴史から学んだことを無駄にしている人が多いなと感じました。選挙権って、先人たちが血のにじむような苦労をして勝ち得た努力のたまものであり、当然それは日本史でほとんどの学生が教えられているはずです。それをまあ、現代の人は「一定の歳になれば与えられる当然の権利」程度にしか思っていないんでしょうね。無関心を装うことは、自分たちの将来はどうなってもいいという意思表明をしているとも捉えられかねません。極端な話、選挙によって選ばれた首長から無理難題を突きつけられても、文句を言う権利はないわけです、行使すべき権利を先に放棄してしまっているのですから…。
[38116] 2005年 2月 27日(日)23:06:08スナフキん さん
上福岡市長選挙速報
市のホームページによりますと、23:00現在、開票率97.35%で

現職:9500票
新人:7200票

で、ほぼ現職候補の当選が確実な情勢です。それにしても、投票率が30%台は随分ひどい数字です。あまり関心がないのでしょうかね。投票率が低いほど、組織票を有する現職有利になる展開がそのまま開票結果に出ています。

以上、取り急ぎ速報まで。
[38081] 2005年 2月 26日(土)00:34:02スナフキん さん
ふじみ野市、合併関連情報
学問としての社会科に関して、「地図屋」のスタンスからも言いたいことはあるのですが、夜も更けてきたのでこのことは別の機会に。

日曜日は上福岡市の市長選挙投票日です。選挙運動のドサクサで、どうやら大井町で進められていた現大井町長に対するリコール運動が成立の見込み、との情報が飛び込んできました。市長選挙候補者のビラの中で紹介されていたものなので、公式な発表ではなくどれほど信用がおけるのか不明な点もあるので、合併情報に盛り込むか否かは(無責任ではありますが)でるでるさんに判断をお任せします。

ビラの内容を抜粋(一部原文改変)すると
774人の署名受任者が立ち上がり、2月19日に署名運動が締切られた時点で、成立要件である有権者の3分の1以上にあたる、1万2773名分の署名が集まり、リコールがほぼ確定の見込み
とあります。人数を一の位まで正確に記しているので、それなりの説得力がある情報ではあります。もともと、大井町では2市2町合併の際に実施された住民投票においても、成立条件だった投票率こそクリアできなかったものの、投票総数に占める反対票の割合が高かったことから伺えるように、「規模の大きい方へ吸われるような印象のある合併」には慎重な空気が世論にあったのは事実で、今回のリコール署名でも住民投票の直接請求を突っぱねた現町長へ、厳しい町民の審判が下ったと言えそうです。これで、上福岡市長選挙の結果がどう出るものか…。
[37946] 2005年 2月 19日(土)22:41:40スナフキん さん
久々の「授業」を聴講して
本日は悪天候の中、母校大学の学科創立75周年記念式典に行ってきました。こう言うと大学や学科には申し訳ないのですが、本当の目的は式典の次に行われた、今年度で定年退官される恩師の事実上の「最終講義」を聴くことにありまして、記念式典はあくまでも「ついで参加」でした。

当の先生が、一卒業生でしかない私をどれほど記憶し気にかけているかは分かりませんが、逆に私にしてみれば2年次にこの先生の実習授業を受けていなければ、今の上司に出会うことも、その上司に作図力と読図力を認められてアルバイトに誘われることも、そしてそのまま正社員として勤務することもなかったはずです。私が今現在、「地図屋」の看板を掲げられているのも、この先生との関係があってこそでした。その先生が「最後の授業」で取り上げたタイトルは「地図からの発想」…重いです、このテーマは。ことに、それをクリエイトすることを本職としている者にとっては。

講義の中で、先生は繰り返しました。「地図を見て、考えて、物事を理解することこそ、地理学なのだ」と。「地図を使わない地理学などありえない」と。当落書き帳に出入りしている皆さんは生粋の地理好きであるはずですし、ヤフーの地図に物申すほどの知識(汗)を有した方も数多いので、この点において心配することは全然ないのですが、どうしてもこのワンフレーズを皆さんに言っておきたくて、今ここでこんな文章を書いています。それが、先生の教えを受けて、地図を作るようになった自分としての最低限の役割なんじゃないかと思えました。

私は直接4年次演習(いわゆる卒論指導です)をこの先生から受けることはありませんでしたが、私が卒業して以降、先生は卒論のテーマを絞って面倒見ることをやめました。人文とか、自然とか、そういう垣根を自分自身で取り払ったのです。その代わり、担当になった学生にはある課題を必修で課しました。それは、卒論の中に絶対に地図を自分で描いて入れること。地理学専攻で、地図を描けないような人の卒論は受け付けない、というスタンスをとったのです。私はこれを聞いて思いました。先生は退官直前、地理学の究極に近づく一歩手前まで来ていたのではないか、と。もともと、地理学には分野としての人文・自然はあっても、研究テーマをこれらに縛られることは本来あってはおかしいはずでした。様々な地表での事象を多角的に研究するのに、時として専門分化は弊害となることもあるのです。しかし研究の実際は指導する教員側の指導力に左右されて、結局どちらかに片寄って結論を出してしまうきらいがあったのですが、先生はそれを地図というツールでもって融合させようとしたのではないか。それこそ、地理学研究の真髄なのではないか、と。

先生の心中を勝手に想像するならば、恐らく「道半ば」の思いがしているのではないかと思います。それを実践し、花開かせることはその指導を受けた我々次世代に手渡された宿題なのかな…そんな思いを抱き、田園都市線の新型電車に乗り込み、帰宅しました。

随分と私的な書き込みになってしまいましたが、名誉の退官なので実名を出してもいいでしょう。5月に古今書院から刊行される「地図からの発想」、一執筆者として楽しみにしています。大学ではゴタゴタしていて面と向かって話もできませんでしたが、長い間、お疲れさまでした。そして、ありがとうございました、中村和郎先生。
[37862] 2005年 2月 16日(水)16:28:52スナフキん さん
確かに鉄道の話題はほどほど…
[37861]N-Hさん
確かにおっしゃるとおりで、私も少し反省せねばなりません。ただ、前段の機関車の話はともかく、私は周遊券制度って実は、地理的知識を身につけるのにかなり寄与していたんじゃないかと考えているクチです。ワイド・ミニ周遊券のようにレディーメイドタイプのものは、如何に効率よくエリアを回るかで時刻表や索引地図と睨めっこすることが多かったでしょうし、いわゆるオーダーメイドタイプ、一般・グリーン周遊券にはパズル的な要素もあるのですが、これを使いこなすには周遊指定地を2ヶ所以上巡って一定の条件を満たすプランニングを組む能力が身に付いていなければならず、当然運賃計算もある程度できないと話になりません。地理のみならず、微細ながら数学的能力も要求されたわけです。若いうちはそうやって技量を鍛えていたものですが…今や時代は変わりましたね。航空運賃が信じられないほど値下がりし、えきねっと割引など他の割引方法が多様化し、周遊券制度はそれに埋没するように消滅していきました。旅行代理店店頭を見ると「安さ」をウリにした企画商品のパンフレットが目白押しです。何も頭を使わなくても、旅を安く上げることができる時代になったのでしょう。これを昨今叫ばれる学力低下に結びつけるのは早計が過ぎるとは思いますが、あれこれ考え、思いを巡らさずとも旅ができるようになったのは事実だと思います。ちょっと寂しいですけどね。ブルートレインの衰退も、恐らくその一連と結びつけて考えることはできると思います。

手前味噌になりますが、恐らく私の世代が、周遊券を使って旅をする楽しみを知っている最後の世代ではないかと思います。私よりも若い、20代前半の旅人に周遊券の話をしても知らない人がほとんどでしょうね。時の流れは何でもかんでも変えていってしまいます、物質的な者もさることながら、形のない漠然としたものまでも…何だか、少し前にも同じことを書いたような…。
[37859] 2005年 2月 16日(水)09:19:35スナフキん さん
ちょっとレス
[37832]猫使いさん
フォロー感謝です。どうもご指摘の通りのようです。人知れず(はちょいと大げさですが)、シークレットルートを建設しているのですね、扱いとしては有楽町線桜田門から千代田線へと伸びる回送線路と同等と考えています。地図上の扱いもこの考えで取り扱うつもりでいますが、他社はどう表現するでしょうね? 風の噂ではこの機関車、2両一組なのだとか。そう言われると、東北本線を我が物顔に走る「金太郎」ロゴの巨大機関車を思い出しますが、当然図体は大江戸線サイズでしょうからあんなにごっつくはならないのでしょう。

かなり乗り遅れのレスですが…
[37591]YASUさん
「さくら」のお名残乗車をされたのですね。両毛人さんのフィールドワークといい、メンバーの方々の行動力には脱帽です。私の週末は、せいぜい団地を巡って、撮影して、画像の調整をして、htmlいじって…何と不健全な(汗) もともと私は夏生まれで寒さに弱く、冬場はここ数年行動力が低下する傾向にありました。昨年登山靴を買って山登りを再開したものの、秋~冬にかけてこの高価な靴が活躍することは、このままではどうもなさそうです。

以下は知人のメールに書いたこととほぼ同文ですが、私は「あさかぜ」の方に物凄く強烈な思い出があります。私にとって「あさかぜ」号は、生まれて初めてA寝台を利用した列車でした。当時の記録をほじくってみたら、仰天の事実がいくつも出てきました。何と寝台券のみならず、ルーム・カードキーとシャワー利用券まで、完全な形で保存してありました。しかも、両方とも「あさかぜ」オリジナル柄です。さらに思い当たる部分を別に探してみると…うッ、洗面道具一式が手付かずで残ってるぅ~ さすがにこちらには「あさかぜ」ロゴやヘッドマークはありませんが。これらグッズ、よくも捨てずにとっておいたものだと我ながら思いました。

もっとびっくりだったのは寝台券。出てきたきっぷは何と一般周遊券綴りの最後の券片として綴じられていました。しかもこの周遊券が「東京都区内→三段峡」…周遊券制度のなくなった今では券自体どころか、同様の片道きっぷさえも作れない区間有効の券片で、当時は旅していたのです。綴りをぺらぺらしてみると…まぁ現存しない列車がワンサカ。冒頭の「瀬戸・B寝台」(サンライズではない)に始まって、「砂丘2号・グリーン券」「三次→広島・自由席急行券」(列車名はないですが、この時乗ったのは「たいしゃく」でした)、そして「あさかぜ・A個室」の広島→東京(実際は品川)…私はまるで、数年後に全部の列車が姿を消すことが分かっていたかのような列車選びをしていました。そして、すべての券片に打たれた日付を見て、やっと思い出したのはこの旅が、JR完乗に事実上リーチをかけに行った旅だったことでした。その締めくくりを私は、「あさかぜ」に託していたんですね。そこで機関車故障を食らって、羽沢貨物線を回されるオマケがついて…そして1年後、備後落合で金字塔の達成にこぎ着けたわけです、思い出に残らないはずがありません(涙)

いま、手元にこれらのきっぷとグッズ一式があります。当日28日私は、このひと綴りの券片と、オリジナルカード2枚を握りしめて、東京駅ホームに立っているでしょう。人だかりができるだろう先頭に寄り付くつもりはありません。どこでもいい、けど、ホームのどこかで、静かに、出発を見守りたいと思います。
[37811] 2005年 2月 14日(月)15:34:04スナフキん さん
白地図に地名を落とすということ
3時、コーヒータイムです。

白地図に全市名を引き出しして入れる作業をしています。北から始めて、関東地方をやっと通り抜けました。市ぐらいは、全部参照物なしで書けるだろうと思っていましたが…自惚れでした、やっぱり「塩竈市」が書けない…(泣)。それと、プロットがことのほか難しくて作業の進みはよくありません。何せホントの白図でして、海岸線と都道府県境しか描かれていないので、お互いの位置関係を見ながらポイントプロットをしていくことになり、神経を使います。それさえできれば市名を引き出して入れるだけなのですが、それでも埼玉県は密度が濃いのと市の数が多いのとで、何か参照しないと全部入れることはできませんでした。千葉県や神奈川県はちゃっちゃと入れられたのですが…(と、一応強がってみます)。ひょっとしたらこれって、地図屋として恥ずかしいことかも? いや、そんなことないですよね…。そう簡単に市名をそらんじて入れることなんて、できないですよね? でも、落書き帳の常連さんは次元が全然違うので、かなりの確率でできてしまいそうですが。

そう言えば週末に、都営地下鉄が機関車まがいの車を導入する、なんて話を風の噂で聞きました。鉄道に明るい方、ことに地下鉄にお強い般若堂そんぴんさんならすでにご存じでしょうか?
[37742] 2005年 2月 12日(土)00:48:57スナフキん さん
久々に3連休、初日を終えて
昨日は(日付が変わりました)久々に、線路の向こう側にある大型商業施設に買い物へ出かけました。多忙な毎日が続いており、ここしばらくは近所のマーケットで買い物を済ませていたのですが、着るものに少し不便するようになってほぼ半年ぶりに出かけてびっくり。上福岡市の人口増を支え続けてきたもう1つの大規模団地、上野台団地の建替え事業がとっくに本格化しており、昔の建物が一部を残してごっそりなくなったばかりか、すでに建替えられる新しい建物の基礎工事に着手している状態にまで工事が進んでいました。もともと東武東上線が全体的に平面交差・地平走行部が多く立体化の遅れた路線である認識はあったのですが、これほどまでに線路を挟んでも同じ市内の出来事が、自分の意識の中からすっぽり抜けていたとは…。自分では無意識のうちに、線路がバリアになっていたんだなぁと思い知らされました。自分のホームページにもちょっと書いたことですが、物ごとを作り上げ、育むのに要する時間に比べて、それを壊し、消滅させる時間の何と短いことかと、更地を見ながら思います。「物ごと」は何も物質的なものに限らず、漠然とした形のないものについても言えますね。友情とか、信頼とか、人間関係という語句に置き換えても成り立つ命題です…なんて、格好いいことを考えたりもします、やっぱり連日連夜の残業で疲れ気味なのかもしれません(汗)。

スクランブル交差点で信号待ちをしていたら、今月下旬に行われる市長選挙の立候補予定者が演説していました。彼は大型公共事業の抑制や合併反対論者なのですが、その脇で税金を垂れ流して商店街を分断する都市計画道路(計画自体はハチャメチャなプランニングですが)の築造工事が始まっているのが何とも皮肉。「合併はまだ正式には決まっていません」を連呼していましたが、確か今までの事例を見ていくと市町村議会を通った合併の枠組みで、頓挫したケースってないのですよね。正式決定は言うまでもなく「官報告示」に他ならないのですが、ここで市長が交代し、大井町長がリコールで引きずり下ろされて、凍結…なんてことになったら、果たして初の事例と評価されるか、それとも見下されるか、はたまた枠組みを変えても合併に失敗したと嘲笑されるか…。もうこの段になったら、合併しようがしまいが、どっちに転んでも世間から冷たい目で見られる運命以外に残っていないのではと感じます、まったく市民として恥ずかしい限りです。

最近、結局はグチとなってしまう書き込みばかりで、落書き帳を随分汚しているような気がします。時には自分の気持ちを表に出してばかりでなく、グッと心の奥底にしまっておくことも必要かな…。
[37632] 2005年 2月 8日(火)15:55:39スナフキん さん
ふじみ野市関連1市1町、議案可決
立て続けの書き込みですが。
先ほど朝日新聞地方版webを確認したところ、上福岡市・大井町両臨時議会は8日、今年10月1日に合併して「ふじみ野市」となるための合併関連議案を可決したそうです。

あ~あ、という感じです。資料室長が信濃毎日のカコミ記事を見せてくれましたが、マスコミからも相当叩かれてます。論調としては「こんな紛らわしい自治体名称でいいのか」というものですが、フツーの人の受け止めようは、やはりこんなふうなのでしょうね。あぁ、住所を書くのが面倒になります…。


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