[20690] 両毛人 さん
85名の薩摩義士がまつられている「治水神社」があるそうです。
http://homepage1.nifty.com/fuufuyuuyuu/sub5/4tisuiginsya.htm
に
「宝暦治水」の工事責任者の薩摩藩家老の平田靱負正輔を祭神とした治水神社。
とありますが、「お千代保稲荷」のある平田町って、この「宝暦治水」の工事遅延の責任を取って、工事現場で自刃した薩摩藩家老の平田靱負の名を顕彰して名付けられたものなんですよね。
ま、その平田の名も、「ひらなみ」になろうとしているわけで・・・
家老の名も「ヒラ並み」に、という皮肉なことですが。
例の楠原佑介氏は、人名地名も良くないとして、この平田町も悪例としてあげていますが、楠原理論に立てば、南濃町も方角+旧国で悪地名、海津町も、そもそも郡名が合成で悪地名の上に、広域名称僭称で、悪地名。
この3つの悪名を三段重ねに合成した平南海は、最悪地名で、さらにそれを平仮名「ひらなみ」市にしようというのだから、さしずめ「楠原」理論によれば、極悪非道地名ということになるんでしょうね。
ちなみに、幸いなことに、楠原氏の「こんな市名はもういらない」書中では、人名地名の悪例として、平田町が挙げられているだけで、「ひらなみ」市については言及かありませんので、追求を免れてますが。
ちなみに楠原理論では、「主たる邑があれば、常に主邑の名を用うべし」ですから、平田町は「今尾」とすべきだった、と書いてますので、その伝で行けば、ひらなみ市の場合は、郡域と一致する場合は郡名が良い、とはしているものの、その郡名が合成なので、おそらく気に食わず、海津市ではなく「高須市」を推すのだろうと、推察されます。
ついでに、同書の「新市名べからず集」では、東海市、東海村、東洋町、西海町などとともに、南国市も批判されているわけですが、その中で、
「南国土佐を後にして」の歌は、市名決定の前だったか後か記憶が曖昧だが、
と、調べれば、30秒ほどで解ることを、「記憶が曖昧」で、片付けていて、ずいぶん乱暴だなあ、と、感情的に書き飛ばしている感が随所にあります。
ちなみに、私が30秒で調べた範囲では、ペギー葉山による「南国土佐を後にして」のヒットは、1959年のことで、レコードの発売年月日までは、わかりませんでしたが、歌のヒットを受けて、この歌を主題歌にして作られた映画「南国土佐を後にして」が1959年8月に製作。
南国市の市制施行が、1959.10.1ですから、まあ、楠原氏が、「記憶が曖昧」で済ませてしまってくれたのは、「南国市」にとっては、幸いだったかも知れませんね。
前後関係を承知していたら、更に酷評されていたことは必定でしょうから(苦笑)。
楠原氏は「後免」市とすべきだった、としてます。