[42167] 笠津前浜 さん
なんだかたもっちさんとの間で行き違いがあるような気がしますので、さしでがましいようですが一言。
まず、笠津前浜は、
[42167]をお書きになるに際して、拙稿
[41670]を読んでいただけましたでしょうか?
これは、私なりにたもっちさんの
[41640]の仮説を再分析してみたものです。
[42181]でたもっちさんが言及されていますが、たもっちさんの元投稿のどこが問題を含んでおり、どこが数学的検証として意味があるかを申し上げたつもりです。
その上で、あえて
[42167]について以下に意見を述べます。
非公開理由の考察の必要性がよくわかりません.公開は任意なのですから,非公開の理由は判明しませんね.つまり,どのようにも,良くも悪くもとれるわけです.
そこを、あえて個別ではなく全体の傾向として推測してこそ意味があると考えます。
一般論としてはそうでしょうが,任意で公開するデータに対する分析において,非公開の理由に言及しても意味がないと考えますがいかがでしょうか.
いや、むしろ公開するか否かが任意であるから、すなわちそこに参加者の意思が含まれるからこそ、非公開の理由を考察する意味があるのだと考えます。
話を単純化するために、以下、具体的な架空の数字で説明しましょう。数字そのものは実態とはかけ離れています。
(1)日本の人口のうち、町村部の居住者は全体の20%である。
(2)落書き帳登録者数は100人である。
(3)落書き帳登録者のうち居住地公開者は50人である。
(4)上記居住地公開者のうち、町村部に居住する人数は0人である。
さて、上記のようなデータがあったとして、明らかにメンバーの中で公開者に占める町村部人口比率は全国平均を下回っています。
その理由をあれこれ考察するにあたり、
・落書き帳メンバー全体から傾向を考える
・居住地公開者から傾向を考える
をやってみたところで、実のところはたして真実に迫れるでしょうか?
実は、居住地を公開しない50人の中に町村部居住者が20人いたとしたらどうでしょう?
公開者の傾向を調べるのに、実はその反対部分である非公開者の傾向を調べてこそ、その「残り」である公開者の比率の数字がはじめて意味があるものとなるのではないでしょうか?
すなわち、「なぜ、公開者の中に町村居住者がひとりもいないのか」の真の理由は、公開者側の傾向にあるのではなく、「実は非公開者側に町村居住者が偏っていたから」なのですね。
あ、それともたもっちさんの「仮説3」を、対偶の表現で次のように書けば納得なさいますか。
【仮説3x】町よりも市のほうが相対的に都会である。都会の中には自分が都会に住んでいることに優越感を持っている人もいるわけで、居住地を明らかにしたがる傾向があるのかも。あるいは、都会の他人には無関心な社会の中に住んでいると、ちょっとしたことぐらいでは個人が特定されにくいため、居住地を明らかにしたがる傾向が……
なるほど、こう書けば「非公開者」に言及せずに、元の仮説と同じことが表現できますね。でも、結局は書き方の差であって、数学的に同じことを言っているにすぎません。
上記の仮説3xは、あたかも非公開者のことを詮索していないように見えながら、実はしっかりと詮索しているのです。
以上、ご理解いただけましたでしょうか。