[28521] 稲生 さん
長野県の木曽地域ですが、西端の山口村は岐阜県中津川地域と合併し、東端の楢川村は塩尻市と合併することが確定的ですが、残りの9町村は今のところ2つの合併協に分かれております。これが一つにまとまって木曽市にならないのでしょうか?
[29550] 稲生 さん
木祖村を除いた6町村での合併はないのでしょうか?
岐阜県内のケースにならって、木曽は一つにはなれないわけですね。田中県政の影響でしょうか?
木曽の合併について簡単に説明します。
01年10月,木曽郡11町村による合併の調査研究を進めることを決定。
02年4月,木曽郡合併合同事務局が開設。木曽市に向けて本格的に動き始める。
02年5月頃,各町村で合併に関する住民アンケートを実施。
そのアンケート結果を受け,楢川・大桑・南木曽・山口は木曽市構想から離脱し(楢川は塩尻と,山口は中津川との合併を検討,大桑は当時は自立を目指していた),7月10日に合併合同事務局は解散。
残った7町村はやむ終えず,同日,木曽町任意合併協議会設立準備会を設立。
02年8月,木曽町任意合併協議会設立。
02年11月,木曽町任意協は大桑・南木曽に参加の是非を確認,両町村とも参加を断る。
02年の冬頃,上松町の住民から「大桑・南木曽との合併検討を」との声が上がり始める。
02年12月,大桑村の方針転換,上松・南木曽に合併申し入れ
03年1月,上松・南木曽・大桑の事務レベルでの話し合い。上松はアンケート結果が出るまで態度を保留。
03年2月,上松町のでアンケート結果「大桑・南木曽との合併」が多数を占める。上松町は木曽町を選択。
03年3月~4月,木曽町を目指す7町村で法定協設置案が議決される
03年5月,木曽町合併協議会設立。上松町では大桑・南木曽との法定協設立の住民発議。
03年6月,木曽南部任意合併協議会設立(南木曽・大桑)
03年9月,上松町の住民発議による法定協設立案,上松・南木曽で否決。(大桑は可決)
04年5月,木曽南部合併協議会設立
木曽市構想が破綻したのは,面積が広すぎるのと,生活圏が異なるというのが大きな理由でした。(楢川は塩尻に,山口は中津川にかなり依存しています)
残った町村で木曽町構想が出てきました。木曽市がよければ木曽町も大丈夫だろうという考えが行政側にあったのでしょう。(木曽町設立に関しては住民の意見を聞くことはありませんでした)
行政と住民の考えの違いが現れたのが上松町のアンケート結果でした。木曽市はYESだったのに,木曽町はNOでした。
町長の「自治体は大きい方がいい」という考えで,上松町は木曽町構想に参加することになりました。(→その後の住民発議につながります)
途中,スキー場の問題等がありましたが,順調に協議が進んでいました。
そして,調印を目前にした木祖村の意向調査,村民は自立を選択しました。
木曽町の周辺部になるという不安や,協議が町中心部の木曽福島や上松の都合のいいように進められていったのが原因だと思います。
ここで残った6町村で協議を再開すると,また同じような事態に陥るかもしれません。各町村慎重になっています。
アンケートの予定がなかった村でも,アンケートの必要性を考え始めています。
2度も失敗している木曽の合併協議,今まで通りの方法で進めていったらまたどこかで破綻するかもしれません。
最後に,田中知事の影響はないと思います。長くなってしまいすいません。