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らるふさんの記事が5件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[41684]2005年5月28日
らるふ
[41636]2005年5月26日
らるふ
[41613]2005年5月25日
らるふ
[41573]2005年5月24日
らるふ
[41378]2005年5月19日
らるふ

[41684] 2005年 5月 28日(土)13:17:22らるふ さん
通勤時間
[41669]でfutsunoおじさんが紹介されているリンク先には、通勤のストレスについても書かれていますね。
私は兵庫県三田市から大阪市北区まで通勤するのに、JR福知山線をずーっと快速に乗って行けば80~85分で通勤できたのですが、篠山口方面からの快速は混雑してストレスを感じるので、宝塚まで普通に乗って宝塚駅で折り返しの東西線経由の快速に乗り継いでいました。これなら比較的すいていて確実に座って行けます。(大阪まで普通に乗って行ってもいいのですが、普通に乗り続けるとその7分後に宝塚駅を出発する「折り返し快速」を川西池田で待たなければならないのが不条理に感じるので・・・)
それで通勤時間は100分程になってしまいますが、ロングモードのMDや本のお時間として生活の一部となっています。

福知山線の尼崎~宝塚間が不通の現在は、宝塚から阪急今津線・神戸線を乗り継いで、通勤時間は110分くらい。
西宮北口行きの今津線は最後部に乗ると結構すいているので、混雑を我慢するのは阪急神戸線の十数分だけで済みます。

[41641] 今川焼 さん
古くから開けた阪急沿線は高齢化が進んで、その分通勤客が減少しているというような傾向もあるのかもしれません。
最近利用するようになった「阪急今津線」は、お年寄りが多く利用されている印象を受けます。また、1~2駅間の利用で乗り降りされる方も多く見られ「地域に根付いた市民の足」と感じています。

***

文頭でふれたfutsunoおじさんのリンク先記事の最後はこう締めくくられています。
「通勤地獄」に疲れたら、より人間らしい生き方を見つける一つの手段として、地方で働くことを検討してもよいかもしれない。
まったくまったく。
[41636] 2005年 5月 26日(木)19:09:32らるふ さん
多少不便な方が実は便利だったりして・・・(深い意味なし)
[41618] 今川焼 さん
三田市は大阪から30~40km圏にありながら六甲山地が障害となって人口3万あまりの小都市にとどまっていましたが、これを契機にニュータウン開発が進み、翌1987年から1996年まで10年連続で人口増加率日本一を続け10万都市へと飛躍しました。
三田市も人口10万人を達成した1996年までは絶好調でしたが、1997年から人口増加率が低下しはじめ、昨年10月の推計人口では(29年ぶりに)対前年「人口減」となってしまいました。地価が下がって都心や近郊のマンションに手が届く時代になって、わざわざ郊外に家を買おうという人も少なくなってきているのでしょう。
私は交通便利で騒々しい所で育ちましたから、通勤時間は少々かかっても静かな郊外で暮らしたいと思い、1994年から三田に移住しています。もうあんまり人口増加はしなくてもいいかな。
JRの伸びは大きいですが、それでも全体のパイが大きくなっているので阪急も乗客を減らしているわけではなく、むしろ三田方面から阪急沿線へ向かう乗客を受けて宝塚駅の利用客を増やしておりJRと共存関係にあるようにも見えます。
近畿運輸局HPの京阪神交通圏における鉄道旅客輸送量の推移を見ると、京阪神では1985年度(S60)から1995年度(H7)までの10年でJR(国鉄時代含む)は30%近く増加し、私鉄はほぼ増減なし。1995年度から2000年度(H12)の5年では私鉄が約12%減少し、JRはほぼ現状維持となっています。
1987年の国鉄民営化と1995年の兵庫県南部地震後におけるJRの早期復興あたりがポイントなのでしょうが、90年代半ばからは鉄道旅客数全体が減少していて鉄道会社同士の競合が激化している中、スピードで勝るJRがシェアを伸ばすことで旅客数を維持しているように思います。(もっと最近のデータがあればいいのですが)

[41625] たもっち さん
僕の「阪急の中山駅のほうがはるかに便利だったので、国鉄に乗ることはほとんどありませんでした。」という文
JR中山寺駅は国鉄時代というより、もっと最近まで不便そうな(実際に利用する機会が少ないので)駅だったという印象ですね。
国土地理院の航空写真、これは1995年に撮影されたものですが、この中で最も建物が少なく田畑や溜池に囲まれたところにあるのが中山寺駅。たった10年前ですが今とは全然違う駅前の姿です。現在の中山寺駅周辺の地図ではこんな感じ。
あっ、たもっちさんの意図と違う捉え方をしてしまった。(笑・・・ワザとらしいかな)
[41613] 2005年 5月 25日(水)23:55:10らるふ さん
ローカルネタなど
[41595] たもっち さん
ローカルなネタが通じると嬉しくなってしまいます(笑)。
阪神間のローカルな仲間が増えて、私も嬉しいです。
「花のじゅうたん」
ここは住所で言うと永沢寺「えいたくじ」と読みますが、そこにあるお寺は永沢寺(正確には永澤寺)を「ようたくじ」と読むんですよね。

[41606] ケン(地理好き) さん
1970年代の印象で言うと、昔の福知山線は山陰線を長距離で走る特急・急行があり、普通列車までもが米子行きや出雲市行き(行き先はうろ覚えですが)の長距離列車だったので、昔の八高線や相模線や川越線とはちょっと違うかなと思います。
米原発直江津行きなんかの普通列車の走っていた「昔の湖北の北陸本線」あたりの方が、私としては感覚的に近いかな。
[41573] 2005年 5月 24日(火)12:52:41らるふ さん
福知山線
[41427] 今川焼 さん
田舎に住んでいると今やどこに行くにも自動車ですが、大阪方面だけはクルマより便利かつ安全だと思いJR福知山線を利用していた身としてみれば今回の事故は本当に残念です。
私の住む三田市は10万都市とは言え、田舎とニュータウンが同居した街なので、私も通勤などで大阪や三宮方面へ行く以外はほとんどどこへ行くにも自動車です。
例えば、三田と伊丹・尼崎あたりの間を通勤する人は、今回の事故で暫定的に電車から自動車通勤に切り替えて、その後もそのまま「鉄道離れ」してしまう人が多少いるかも知れません。
勤務地が大阪である私は宝塚から振替代行輸送で阪急電車を日々利用しています。宝塚線は非常に混雑が激しいので、西宮北口経由で今津線と神戸線を乗り継いでいます。やはり路線によって客層が少々違うのでそれなりに興味深いところもありますが・・・・。

[41460] たもっち さん
東側の踏切は、僕が高校時代によく通っていた所でした。
JR宝塚駅の東側の踏切には、私にも思い出があります。今から30年ほど前(まだ電化されていなかった頃)、ディーゼル機関車が客車を引っ張る普通列車(福知山方面行き)の最後尾に乗ってまもなく発車というときです。東側の踏切からおじさんが「ちょっと待って」などと言いながら走ってきて、動き出した客車に飛び乗ってきました。まあ、のどかな田舎の駅といった光景でした。近年の福知山線では考えられませんが。
[41378] 2005年 5月 19日(木)19:09:09らるふ さん
このごろのJR宝塚駅
JR福知山線の「事故」から、20日以上経過しました。(まだまだ、悲しみやJR西日本への怒りは治まりませんが・・・)

JR宝塚駅は現在こんな感じになっています。
1番線のレールの上に仮設のホームを拡張して、跨線橋を越えることなく改札を出られるようになりました。この駅は2番線しか折り返し運転ができず、国鉄スタイルの「駅舎改札のある1番ホーム~跨線橋~島型ホーム2線」という構造になっているため、事故後約2週間は「1ヶ所しかない跨線橋」と「1ヶ所しかない改札」が混雑し、とっても大変でした。
(三田・篠山方面からの乗客が阪急への乗り換えが不便であり続けるように、JR西日本はわざと宝塚駅を改良してこなかったと個人的には思います。逆に川西池田駅の改良時に設置された最強のペデストリアンデッキには「能勢電鉄や阪急バスのお客さん、ようこそJRへ」という香りがします。)

それにしても、JR宝塚駅の東にある踏切は不通区間なのに遮断機が下りるなんて違和感を感じずにはいられません。
本当に、警報機が鳴って、遮断機が下りて、人や車は踏切を待って、何も線路を通らずに、遮断機が上がり、人や車は踏切を横断するのです。悪い夢でも見てるようで何だか気持ちが悪い。本当に。


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