[91511] デスクトップ鉄 さん
「大事典」によると、「なかっぺ」から「ちゅうぶ」への改称は、三信鉄道買収時(1943/08/01)となっています(鉄道省告示204号)。
(中略)
#鉄道省告示204号は、国会図書館のデジタルアーカイブで読めます。
官報(昭和18年7月26日)のコマ番号3からの記事で、買収した飯田線の営業開始の告示です。中部天龍にちゆうぶてんりうとフリガナを振っています。ここでまた新たな疑問が。「大事典」も中部天竜としていますが、天龍が天竜に変わったのはいつなのか。
昭和18年7月26日鉄道省告示第204号により、私鉄買収【飯田線関係4社、千歳線関係1社】と昭和18年8月1日からの運輸営業開始が告示され、飯田線の中部天龍(ちゅうぶてんりゅう)駅が 4/15コマに記載されていることを確認しました。
これにて、
[43937]で記した 三信鉄道の中部天龍(なかっぺてんりゅう)→鉄道省線の中部天龍(ちゅうぶてんりゅう)という変化を 公式文書で確認することができました。感謝。
さて、天龍→天竜については、『時刻表名探偵』(石野哲 1979)p.240-【字体の話】にあるように、昭和29年(1954年)の当用漢字補正資料に基いて国鉄が字体を変更した結果であると思われます。
少し長文ですが、石野さんの本を そのまま引用しておきます。
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「條」は「条」の旧字体である。四条畷駅と五条駅の開業したのは戦前だから、鉄道公報は当然「條」で出ている。戦後の昭和21年11月16日「当用漢字表」が告示されたが、これが新字体となるのは24年4月28日の「当用漢字字体表」の告示によってで、国鉄の駅名も、当用漢字にある漢字は、自動的に新字体に読み替えられた(公報を出し直してはいない)。四條畷、五條も、四条畷、五条となった。さて市名の方だが、五條市の市制は昭和32年、四條畷市は45年で、新字体以後のことである。従って、意識的に「條」の字で市名を決めたことになる。中條、東條という苗字もあるから、「條」と「条」を別字と意識する気持ちもわからないではない。
戦後の開業なのに、意識的に旧字体を使っているのは山陰本線餘部(あまるべ)(餘は余の旧字体)。同じ兵庫県の姫新線余部駅と区別するためで、例外中の例外である。(余部=昭和5年、餘部=昭和34年)。
「竜」は当用漢字ではないが、当用漢字補正資料(昭和29年3月15日)で、将来当用漢字に追加すべきものとされた字=通称「補正漢字」(告示までいかなかったので法律上の効力はない)の一つ。これによれば、「竜」の旧字体が「龍」となっている。国鉄ではこれにならい、戦前に開業した、天龍川、中部天龍、天龍峡、龍王、龍野、本龍野、龍田、肥前龍王、潜龍、龍田口、龍ケ水は、すべて龍の字を竜に読み替えた。戦後開業の「竜」のつく駅は三つあるが、これは鉄道公報を尊重して、龍岡城、龍ケ森、九頭竜湖と使い分ける。結局、「竜」12対「龍」2。
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前述のように、1934年三信鉄道開業時は佐久間駅で、所在する佐久間村からの命名です。なぜ、これを中部天竜に改称したのかも疑問です。中部(なかっぺ)村は、1989年3月の市町村制施行時に佐久間村を構成した旧村ですが、25000分の1地形図の 図幅名に使われるくらい著名な地名だったのでしょうか。
確かに、三信鉄道の駅が最初にできた地名は静岡県磐田郡佐久間村半場であり、初代佐久間駅は村名に基づくものだったでしょう。
しかし、鉄道は近々延伸され、第2の駅を佐久間にも作ることを考えると「佐久間」の駅名に固執することは賢明でない。
改称するとなると旧村名の「半場」か? 地形図を見ると 天竜川右岸の半場は大部分が山地で、平地は限られている。
駅のある半場の対岸・天竜川曲流部にある中部(なかっぺ)も広い平地とは言えないが、佐久間・浦川と結ぶ街道が通っており、拠点性がある。そんなことから駅名に選ばれたのではないでしょうか。
このようにして、1935年5月には早々と中部天龍駅への改称が実現。でも1936年11月の延伸時に佐久間に作られたのは佐久間水窪口停留場という名でした。これが1941年2月に貨物も扱う一般駅に昇格後、2代目佐久間駅を名乗るようになったのは、1941年11月でした。
混乱した過去記事整理の意味も含め、この駅と隣駅に関係する変化を年表に記し、まとめとします。
1934/11/11 三信鉄道延伸開業:三信三輪【現・東栄】- 佐久間【現・中部天竜】間 (11.1km)
1935/05/24 改称:【初代】佐久間→中部天龍(なかっぺてんりゅう)
1936/11/10 延伸開業:中部天竜-天龍山室【1955廃止】間(7.2km)
この時佐久間村佐久間に佐久間水窪口停留場開業
1937/08/20 大嵐-小和田間 (3.1km) を最後に三信鉄道全通。私鉄4社により豊橋-辰野間全通。
1941/11/15 改称:佐久間水窪口→【現】佐久間
1943/08/01 伊那電気鉄道・三信鉄道・鳳来寺鉄道・豊川鉄道を買収国有化。鉄道省飯田線
4/15コマ:中部天龍ちゅうぶてんりゅう、佐久間さくま
1949/04/28 当用漢字字体表【該当する文字は、これに基づく新字体に変更】
1953/04/16 電源開発【Jパワー】佐久間発電所着工
1954/03/15 当用漢字補正資料に基づく新字体への変更:中部天龍→中部天竜
1955/11/11 佐久間ダムで水没する 旧線・佐久間-天龍山室-大嵐間 (13.3km) を廃止
東側の水窪谷を遡り大原トンネルで戻る新線・佐久間-水窪-大嵐間 (17.3km) が開業
1956/04/23 佐久間発電所運用開始
1991/04/21 東海旅客鉄道が佐久間レールパーク開館
2009/11/01 佐久間レールパーク閉館