20世紀後半の大部分、1945年から1989年までの44年間続いた東西冷戦。
その端緒と終結の地名を名乗る「ヤルタからマルタへ」シリーズは、ハンガリーが関与した「ヨーロッパ・ピクニック」事件の30周年から始めました。
1993/12/19に放送された
NHKスペシャルは、
ユーチューブで見ることもできます。
約90minの大作の前半には、当時のハンガリーやオットー・ハプスブルグの動きなど事前工作。
1989/8/12 ベルリンの東独政府内部では国民の逃亡問題対策を検討していたが(43min)、ホーネッカー議長はこれを無視。その後 持病悪化で入院し、独裁者不在状態になりました。
数百人がオーストリア側に出国した 1989/8/19当日の映像は 番組の中頃(45m)から始まり、出国の合法化作業(53m)へと続きます。ハンガリー政府からはネーメト・ミクローシュ首相【注】らが西独を訪れて首脳会談(62m)。
通告を受けた東独は 1989/10/7に建国40年を迎えましたが(70m)、ソ連に見捨てられたホーネッカー大統領は10/12辞任。ベルリンの壁崩壊は その翌月でした。
[98523]の年表参照。
Webを探った結果、時事通信社の地球コラムを知りました。
最初の3回がネーメト元首相訪問記です。
元首相と元難民が語る冷戦終結30年
1 国境開放を決めたハンガリー元首相
2 ゴルバチョフ氏との面会 > 汎(はん)ヨーロッパ・ピクニック、そして国境開放
3 新たに出現した「壁」 > メルケル氏に「多大な感謝」
4 ワルシャワ大使館の壁乗り越え「難民」に
5 「難民としての地位悪用は許せない」
第3回で紹介されている”新たに出現した「壁」”とは、ハンガリーの 現オルバン政権が建設したフェンス のことです。
このフェンスは、最近の NW9(2019/11/12)でも紹介されていました。
2015年に中東・北アフリカから欧州に100万人もの難民が殺到した際、難民の通過ルートにあたるセルビア、クロアチアとハンガリーとの国境を閉鎖しているものです。
高圧電流が流れる鉄条網付きのフェンスは、EU各国から批判されています。
現首相のオルバン・ビクトル【注】は、難民受け入れの態度をとるドイツのメルケル首相を激しく批判し、自国民に支持されているが、ネーメト氏は多大な感謝に値すると強調。
彼女は東独で育ち、難民がどういうものかを分かっていた。もし難民を受け入れなかったら、ここハンガリーで、人道的な危機が起きていた。(メルケル氏は)今度はドイツがハンガリーを助ける番だと考えたのだ。
【注】
ハンガリーの人名は東洋と同じ、姓名の順です。
EUの理念と対立しながら、EUマネーによる経済効果で GDP成長率 4%の恩恵を受けているハンガリー。
30年前の民主化運動の闘士が強権的な支配者に変節?
いや、変ったのは自分ではなく、内政に過度に介入するEUだと主張しているようです。
国境が開かれた結果、ハンガリーからも西を目指す人々が出て、人口は6%も減少。
移民によってこれを補うと、伝統的なキリスト教と 異なる価値観との衝突が発生。
そこで、国粋主義的、排他的になり、手厚い子育て支援により、元からのハンガリー人国家の維持を図る。
難民問題を「欧州の911」と呼び、自国を難民に乗っ取られる危険を断固拒否する。
イスラム圏に近い大陸国だけに、私達の島国では考えられない危機感があるようです。
かつて東欧の優等生と言われたハンガリー。
そこに”新たに出現した「壁」”が姿を現し、国民から支持されている現状。
ヨーロッパの歩む道も、なかなか平坦ではないようですが、他人事ではない。
一国主義という対外的な「壁」を取り除き、共生を可能にする国際規範は如何にあるべきか。
異なる価値観をもつ人々の存在を認める寛容さを持ち、包含性のある社会づくりに動きだす時。
それが到来しているのかもしれません。