[21611] 牛山牛太郎 さん
「慈悲尾」…「悲」の字だけ見ると確かに何ですが、「慈悲」で一つの単語ですので、そういうことかと。
「淋」…淋の字は元々は水がそそぐ、水がしたたるという意味らしいので、泉か沢があるのかもしれません。
「焔魔堂町」「閻魔前町」…えんま大王がご本尊の焔魔堂(焔魔=閻魔)があるのでついた名では?
「木賊」「木賊洞」…木賊は「とくさ」と読みます。植物の名前です。
関係ありませんが、海にいるイカは漢字で書くと「烏賊」ですね。
ほかのものも、何らかの由来があり、今に残っているのでしょうね。
由来自体があまりにもな場合、それこそもう消えているのではないかと思うのです。
金沢市の北部に金腐川(かなくさりがわ)という川があります。
現在、この川の一番上流には市のゴミ埋め立て場があるため、
「ゴミ処理場から出た水が流れてるから金腐川なんじゃないの?」
なんてことを言う口の悪い人もいますが、当然ゴミ埋め立て地ができる遙か前から金腐川でした。
この名についてはこんな言い伝えがあります。
昔、南北朝時代、加賀国司の二条師基が加賀平野の北部に屋敷を構えていた。
南北朝の争乱のまっただ中であり、多くの武器を屋敷に備えていた。
やがて、争乱も終わり、師基が加賀を離れることとなった。
だが、多量の武器を従え都に戻ると反乱の意思ありととられてしまう。
そこで、屋敷の裏山に埋めてゆくこととした。
武器を埋めた塚は八つにもなったという。
やがて時代が下り、塚のある山の下を流れる川に金気を含んだ赤茶けた水が流れるようになった。
人々は、二条氏が埋めていった武器が長年のうちに錆びて流れ出したのだ、と考えた。
そのため、その川は金腐川と呼ばれるようになった。
ちなみに、二条氏の屋敷のあったところが現在の金沢市御所町とされています。
また、武器を埋めていったとされる山は八塚山と呼ばれています。
武器の件はあくまでも言い伝えで、八塚山に実際に塚はありますが、墳墓であることがわかっています。
(しかも調べてみたら九つあったそうで)
しかし、金腐川は現在でも雨が降るごとに上流の土砂が流れ出て赤茶色に濁る川で、しかも昔はよく洪水を起こした暴れ川だったそうです。
(金気については、現在の様子ではそんなに無いような気がしますが…)
その様子に二条氏の伝説が結びついて名前が付いたのでしょう。
牛山さんがあげた地名にも、それぞれ何らかの言い伝えや伝説があるのかもしれません。
…と書くのに時間がかかっている間に、「木賊」の件だけ般若堂そんぴんさんとだぶってしまいました(^^;