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[68716] 2009年 2月 28日(土)23:47:42オーナー グリグリ
練馬区大泉町の飛び地について
私のふぉろ~不足も一因だと思いますが、今月の記事数がとうとう200を切りそうでとても残念です。前回も書きましたが昨今の社会情勢にはずいぶん痛めつけられており、皆さんの中にもご苦労されている方も多いと思います。ここはみんなで踏ん張っていかなければと思います。

さて、本日はハードディスクのトラブルに見舞われましてあたふたしておりました。いろいろふぉろ~したり、片付けたりしなければいけないこともあるのですが、一つ皆さんにお願いがあります。

先日メールにて某新聞社の方から問い合わせが入りました。練馬区大泉町にある飛び地について、この飛び地の面白さや他の飛び地と比べての特徴などを聞かれています。他にも、飛び地を歩く面白さや最近の飛び地事情などがあれば教えて欲しいとも言われています。

私自身では十分答ららないので、皆さんにぜひ書き込んでいただければ幸いです。いかがでしょうか。
[68737] 2009年 3月 2日(月)16:29:10hmt さん
「飛び地」の魅力 (1)序論、北山村
[68716] オーナー グリグリ さん
練馬区大泉町にある飛び地について、この飛び地の面白さや他の飛び地と比べての特徴などを聞かれています。

「飛び地」の定義も、その魅力も、人によりまちまちなようですが、私が第一に挙げたいのは「もの珍しさ」です。

最初に、第1次兵庫県の県域 をご覧ください。
赤(緑と重なった茶色を含む)の区域が慶応4年(明治元年・1868)5月に兵庫津周辺の幕府領などを管地として設置された最初の兵庫県域です。そして緑の区域は、廃藩置県の少し前、明治4年4月の兵庫県域。
飛び地がいっぱいあります…というより県域そのものが飛び地で構成されていると言ってよいくらいです。

この図を見れば、県や市町村の領域に関する現代の常識は、いわゆる府藩県三治体制の明治初期には通用しなかったことがわかります。
3府72県にまとまった現在に近い領域を持つようになるのは、廃藩置県と第一次府県統合を経た明治4年11月でした。
飛び地が珍しい存在になり、本体と飛び地との関係が生まれたのは、これ以後ということになります。

現代の様子を確認すると、「自治体の飛び地」コレクション に見るように、都道府県境をまたがる飛び地は極めて少数です。
お題として示された 東京都練馬区西大泉町の飛び地 は、この少数例の中に入っているというだけでなく、更に大都市の住宅地、つまりそれを身近な土地であると感じる人々が多い点を併せ持つことに特徴があると思います。

せっかくの機会なので、都道府県境をまたがる飛び地が、どのようなものかを概観します。

北山川の瀞峡。現在は吉野熊野国立公園内の観光地にもなっていますが、右岸の和歌山県東牟婁郡北山村は、「全体が飛び地の村」として現在は他に類がなく、48km2もの面積もその有名度も 飛び地の世界では別格の存在です。
産出する杉の良材を輸送する筏師は新宮の木材業者との関係が深く、江戸時代から紀伊国でした。

明治になって北山川左岸が三重県になった時、右岸は地続きの奈良県に編入されそうになりましたが、住民の願いにより、和歌山県の飛び地として新宮との関係を維持することができました。このことは、[57904] 役チャン さんの役場訪問記にも記されていました。

更に過去ログを遡ると、2003年に行なわれた意向確認調査でも、住民の新宮への志向が明確に現れており[9717]、一旦は 合併協議会 に参加しました。
しかし、2004年7月には合併協議会から離脱し「飛び地の村」を続けることになりました。
人口538人の小さな村が合併しない理由は、合併すると救急車が80分かかるようになるため(役場の患者搬送車なら40分)とか[44075]eiji_t さん。

北山村 特産の柑橘類「じゃばら」には、アレルギー抑制効果のある成分が多く含まれるという学会発表があり、インターネット通販を中心に、花粉症でお悩みの方に人気とか。北山村応援団員募集中。

北山村の下流、和歌山県本体との間にあった玉置口村も同様な飛び地の村でしたが、昭和合併で熊野川町の一部になりました。

瀞八丁でも知られる和歌山県の飛び地2件は、観光地としてだけでなく飛び地としても有名なだけに意外性は不足。
この落書き帳での盛り上がりも、2003年に北山村で行なわれた合併先意向調査が、三重県への越県合併を拒否した時だけでした。
しかしここは「飛び地」の魅力を語るには欠かせない存在であり、第一の事例として取り上げました。
[68738] 2009年 3月 2日(月)22:42:36太白 さん
Re: 練馬区大泉町の飛び地について
ご無沙汰しています。ほとんど幽霊部員の太白です。

[68716] グリグリさん
先日メールにて某新聞社の方から問い合わせが入りました。練馬区大泉町にある飛び地について、この飛び地の面白さや他の飛び地と比べての特徴などを聞かれています。他にも、飛び地を歩く面白さや最近の飛び地事情などがあれば教えて欲しいとも言われています。
本件、グリグリさんの推薦(?)があったのか、私あてに直接、メールにて問い合わせがありました。

期せずして、[68737] hmtさんと似たような回答ラインとなりました。

メールでの回答内容を転載します。


=========

練馬区「西」大泉町の飛び地については、練馬区の公式見解として、「なぜ飛地になったかは不明」とあります。

ただ、歴史的にみれば、荘園領主や守護大名などが、遠く離れた土地に領地をもつことは珍しくありませんでした。(江戸時代であっても、たとえば佐渡は幕府直轄地だったわけです)
 
明治維新後、そうした複雑な領土を整理する中で、この部分が東京都の一部として残って、いまに至っていると思われます。上記の練馬区の見解でも、「新座市に編入したい」と考えているわけですが、地元住民は「東京都」というブランドがよいのか、埼玉県民になることに反対していることが窺えます。

全国には、飛び地は300程度ありますが、西大泉町の飛び地は、全国に10程度しかない、「都道府県をまたぐ飛び地」であることでは珍しさがあると思います。
(一番スケールが大きい?のは、村全体が和歌山県の飛び地になっている、和歌山県北山村だと思いますが、西大泉町は、首都圏にあることもあり、相対的には知られているのではないかと)

で、西大泉町に限らず、全国にある飛び地については、それがなぜ飛び地になったのか、その歴史的経緯がいろいろあります。

たとえば、上に書いた、和歌山県北山村ですが、ここは、古くから木材の産地で、熊野川を通じて木材の集散地である新宮市とのつながりが強かったため、三重ではなく、和歌山県に属しています。

また、これは必ずしも「飛び地」というわけではないですが、町田市~相模原市付近の境界をみると、川と境界が一致していません。川の対岸に、町田市、相模原市の土地が「飛地的」に残ってしまっている状態です。これは、「昔の川は蛇行していたんだけど、治水対策などのために河川をまっすぐに付け替えたんだな」ということが予測できます。

さらに、これは日本の例ではないんですが、政治的に(国際条約の結果)飛地が設定されたものもあります。

このように、飛地の面白さは、ビジュアル的に興味をひかれるから、というのはありますが、それだけではなく、なぜ、ここが飛び地になったのか、その歴史的経緯に思いを巡らせ(調べ)ながら、地図を見るのが楽しいからかなぁと思います。

最近の「飛び地事情」としては、いわゆる平成の大合併により、「飛び地合併」が行われた例があり、新たに飛び地ができたりしています。たとえば、青森県の五所川原市、中泊町、外ケ浜町などは、合併の枠組みの議論の結果、飛び地合併がすごいことになっています。

逆に、合併によって飛び地が消滅していく例もあります。全体としては、合併により市町村の数が減ってきた中で、飛び地が解消される例のほうが多いです。

以上、ご参考まで。
(参考記事)
[68741] 2009年 3月 2日(月)23:32:41【2】Issie さん
Re^2: 練馬区大泉町の飛び地について
[68738] 太白 さん
明治維新後、そうした複雑な領土を整理する中で、この部分が東京都の一部として残って、いまに至っていると思われます。

地元住民は「東京都」というブランドがよいのか、埼玉県民になることに反対していることが窺えます。

ここは元々「東京府(都)」ではなくて「埼玉県」なんですけどね。
この飛び地が1889年の町村制施行,1878年の郡区町村編制法,さらには江戸時代の「近世村」のどこまでさかのぼるのかわからないのですが,「西大泉町」を含めたこのあたり(練馬区西大泉)一帯は1891(明治24)年に 東京府北豊島郡 の 上土支田村 と合併して 同郡大泉村 となるまでは「埼玉県新座郡榑橋(くれはし)村」でした(長久保地区は 新座郡新倉村)。「榑橋村」というのは1889年の町村制施行以前の「小榑村」と「橋戸村」の“合成地名”で,問題の 西大泉町 は 小榑村 に属していたのかな。
つまり,1891年に 大泉村 の一部となるまでここは「埼玉県」であったわけで,それまでは「都道府県をまたぐ飛び地」であったわけではない。そして,その飛び地が「近世村」の時代までさかのぼるのであれば,そこをとりまく 片山村(現新座市) もまた 新座郡 の村ですから,ここは同一郡内の村にある飛び地。これは江戸時代には珍しいものでは(たぶん)ありませんね。そして同一自治体内であれば,そのような近世村を引き継いだ“大字の飛び地”は現在でも多く残されています。

結局,片山村 と 小榑村 が1889年に別々の自治体となり,さらに 榑橋村 が合併で「東京府」になってしまったために,結果として「都道府県をまたぐ飛び地」になってしまった。それがなければ,それほど珍しい飛び地にはならなかったのではないかと思います。
今現在,問題の飛び地に住んでいる方も,そこが元々「埼玉県」であったことはご存じないのかもしれませんね。
[68748] 2009年 3月 3日(火)23:15:14オーナー グリグリ
Re: 練馬区大泉町の飛び地について
[68737] 2009 年 3 月 2 日 (月) 16:29:10 hmt さん
[68738] 2009 年 3 月 2 日 (月) 22:42:36 太白 さん
[68741] 2009 年 3 月 2 日 (月) 23:32:41【2】 Issie さん

皆さん、さっそくの書き込みをありがとうございます。
問い合わせのあった某新聞社の方にはこれらの記事を紹介いたしました。
ご協力ありがとうございました。

[68737] 2009 年 3 月 2 日 (月) 16:29:10 hmt さん
「飛び地」の魅力 (1)序論、北山村
序論ですね。ということで、次回以降も期待しています。
いつもありがとうございます。

[68738] 2009 年 3 月 2 日 (月) 22:42:36 太白 さん
本件、グリグリさんの推薦(?)があったのか、私あてに直接、メールにて問い合わせがありました。
太白さん、お久しぶりです。
推薦というか飛び地コレクションのことを紹介しました。また、太白さんのHPを紹介しましたのでそちらから問い合わせられたのでしょう。事前にご連絡せずに申し訳ありませんでした。
#ところで、もう一つ別の新聞社の方からのリクエストの件、いかがでしょうか。
[68760] 2009年 3月 4日(水)22:57:18hmt さん
「飛び地」の魅力 (2)西大泉付近・昔の府県境
[68741] Issie さん
「西大泉町」を含めたこのあたり(練馬区西大泉)一帯は1891(明治24)年に 東京府北豊島郡 の 上土支田村 と合併して 同郡大泉村 となるまでは「埼玉県新座郡榑橋(くれはし)村」でした。…つまり…「都道府県をまたぐ飛び地」であったわけではない。

説明していただいたように、現在「練馬区西大泉町」になっている地が、「府県境をまたぐ飛び地」になったのは、町村制施行(明治22年)の2年後のことでした。
白子川右岸の東京府上土支田村と、左岸の埼玉県榑橋村とが、小学校を統合して経費を節約するために合併して 大泉村 [62334] になったことにより、ごく小さな領域が、北に移動した府県境の埼玉県側に取り残されてしまったのでした。

大泉村ができる前、明治22年(1889)当時の府県境を確認しておくと、荒川から白子川を遡り、水源 の「大きな泉」から更に南西・富士見池の西へと進みます。埼玉県側が新座郡保谷村になり青梅街道を越えた先で、千川上水に出ます。ここは神奈川県北多摩郡武蔵野村との3府県境界点(東京府は北豊島郡石神井村)になります。現在の西東京市・武蔵野市・練馬区の境界点。

ここから先は埼玉・神奈川県境になりますが、保谷村と武蔵野村・田無村との境界に沿って少し西に行った後で約10kmも北上します。
つまり、埼玉県新座郡は、東京府北豊島郡(現・練馬区)と神奈川県北多摩郡(田無・久留米・清瀬)との間に半島状に食い込んでおり、話題の主の飛び地は、その「新座半島」の真ん中あたりにあったわけです。

[4111] ken さん
今は亡き保谷市の部分に、埼玉県がぐいっと入り込んでいたら、やはり変ですよね。
[4113] TN さん
私は、以前その地図を見たことがあります。(浦和の公文書館だったか?)
とにかく、その凄さといったら大変なものです。
なにしろ、3本の棒が西側にピョン、ピョン、ピョンとでているのですから。

「新座半島」の概略の姿としては、神奈川県の中に食い込んでいる「町田半島」を想像してください。
「3本の棒」とは、“約10km北上”と記した「半島」西側の線から岬状に突起した埼玉県の領域です。半島の付け根に近い野火止用水沿いの「棒」は現存。保谷村に属した半島先端(千川上水沿い)と、半島の中間(現在のひばりが丘団地)の「棒」は、保谷村の所属がが明治40年(1907)北多摩郡(明治26年から東京府)になったために消滅しました。

TN さん言及の地図と思われる 明治二十二年四月改正「埼玉県菅内全図」[37601] を見ると、野火止用水沿いの「棒」の北の神奈川県内(清瀬村)に、埼玉県の「飛び地」(話題の発端の西大泉より大きい)があります。八王子道(志木街道)沿いの中清戸の集落と思われます。更に中間の「棒」の先端にも2つの「飛び地」。
後者はもちろん、前者も現在は東京都になっており、“そうした複雑な領土を整理する”([68738] 太白 さん)作業も行なわれたことを裏付けています。
[68767] 2009年 3月 5日(木)15:46:24hmt さん
「飛び地」の魅力 (3)転用された農地の残影? 大阪国際空港
埼玉県の中に取り残された東京都の小さな飛び地・練馬区西大泉町。
[68716] オーナー グリグリ さんの問いかけをきっかけに、「飛び地」の魅力を探っています。

[68737]では、県境を隔てた飛び地 が全国でも10例ほどしかない「もの珍しさ」を第一に挙げて、その代表例・和歌山県東牟婁郡北山村を語りました。自分が所属する和歌山県の市町村と接することなく、他の2県(三重県・奈良県)との境界線を持つ全国唯一の飛び地の村は、木材の搬出先として深いかかわりを持ち続けた新宮との関係から生まれたものでした。

「飛び地」の魅力を語る第3弾は、外見上とりたてて特徴のない都市近郊住宅地の西大泉町、秘境とも言える紀伊山地の北山村とは様変わりして、旅行客が行き交う伊丹の大阪国際空港に行きましょう。

ヘーェ、小さな飛び地 が、大阪府豊中市・同池田市・兵庫県伊丹市の3市境界付近にたくさんあるのね。
国土地理院の地形図では詳細がわかりませんが、「自治体の飛び地」コレクション に集録された兵庫県伊丹市小阪田のリンクにより、Yahoo!地図 を開きます。

“豊中市>螢池西町3丁目の周辺地図”と表示されていますが、ポインタの位置をよく見れば、モノレール大阪空港駅のある豊中市と、その西及び南にかかる3つ羽根状の池田市飛び地とに挟まれた、250m2ほどの小さな小さな三角は県境で囲まれており、兵庫県(伊丹市)の飛び地であることがわかります。
北ターミナルビルのある伊丹市本体とを隔てる大阪府の距離は、僅かに数mですね。

この「県境を隔てた飛び地」の他にも、豊中市の中の池田市の飛び地が多数あるし、その中の一つには豊中市の二重飛び地があるという具合で、複雑の極致を示す境界関係は驚異でした。実のところ、リンクされた地図を見ながらも、完全に理解できたかどうか自信を持てないくらいです。

大都市の空港という有名地。広い敷地の中に入り乱れる多数の飛び地がある意外性も十分。そして複雑の極致を示す境界関係と、三拍子揃ったこの事例は、飛び地の世界でのスターと思われます。

これだけ複雑な事例を示されると、なぜこんな境界線ができたのだろうかと、当然の疑問がわきます。

これは、空港になる前の農地時代の境界線を引きずっているもので、田畑の地主により、行政区域が分かれる理由 という説明(2002/4/18)がなされていました。
農業政策として、それなりの必要性はあるようにも思えるのですが、自治体の境界変更はそんなに簡単にできるものなのでしょうか?

また、そのような事情で飛び地ができたものとすると、新たな疑問が2つ。【自問に対する自答】
耕作地でなくなった現在も、入り乱れた境界を保持しているのは何故か。【改める実益がない。】
同様の事例が、日本全国に多くあるはず。【個別の当事者が知っていれば十分で、日本全国のデータを集積する必要などない。】

こりゃ、何かの機会に複雑な飛び地が陽の目を見て、スーパーマップル関西道路地図 [19852] に紹介された大阪国際空港は、氷山の一角にすぎないのかもしれませんね。
[68778] 2009年 3月 8日(日)01:15:07EMM さん
飛び地関係レス
[68776] k-aceさん
徳島市、板野郡藍住町に隣接している板野郡北島町高房です。
徳島北高校を含む土地が徳島市で、北島町の一部が飛び地になっているようなのですが、なんだか徳島北高校は徳島市にあるんだと主張しているような市町境ですね。
試しに他の地図サイトで同じ辺りを見てみたら、MapFanではちょっと違う表現で書かれていました。
こちらだと、むしろ徳島北高校の校舎付近が徳島市の飛び地である…と見てとれます。
地図サイトだけではどっちが飛び地でどっちが飛び地でないのかの判断が難しい物件のようですね。


[68767] hmtさん
耕作地でなくなった現在も、入り乱れた境界を保持しているのは何故か。【改める実益がない。】
同様の事例が、日本全国に多くあるはず。【個別の当事者が知っていれば十分で、日本全国のデータを集積する必要などない。】
こりゃ、何かの機会に複雑な飛び地が陽の目を見て、スーパーマップル関西道路地図 [19852] に紹介された大阪国際空港は、氷山の一角にすぎないのかもしれませんね。
実際の所、「隠れ飛び地」は予想を遥かに越えて存在している可能性があります。
北陸を中心に営業を行っている刊広社と言う地図会社の住宅地図には地籍版と言うのがあるんですが、それの金沢市のものを見ていたら、自分の住んでいる町のとんでもない所に隣町の飛び地が出てるんです。
その一帯は住宅地で、そこにある家の住所は通常は「自分の住んでいる町の名+地番」な訳ですが、どこかの段階(登記簿上?)では「隣町の名+地番」に化ける、と言う事らしいのです。
仕事上でもそう言う事例にぶつかった事があります。
土地の所有者がわかりやすい平場の土地でさえこんな事がありますから、所有者の名義がかなりカオスな場合が多々ある山林部はどうなっているか分かったものではありません。
とてつも無い所にとてつもない飛び地が隠れている可能性が…
MapFanの金沢市の住所一覧を見るとその片鱗?を見て取る事ができます。
主に山ぎわや山中にある町の小字で、「○○町元××」という小字が散見されるんです。
このシリーズの小字、他の地図サイトの住所一覧では出てこないものなので多分ほとんどが山林部の小字だと思われます。
(一部山林のない所にも同様の小字があるところがありますが、その「元××」という小字は河原にあるではないかと思われます)
××の部分は○○町の隣町の名が入っているものもありますが、結構離れた所の地名の組み合わせ(その場合、××の方は平地の町の名が多い)もあります。
これは多分入会山の名残だと思います。
「元」が冠されているので現在は「所在している所の町」の一部…と言う事で良いんだろうと思いますが、うちの町内の例もあるんで、そう言ったものの中にも「どこかの場面では昔の町名に化け、飛び地となる」所があるかもしれません。
そんな中には「大額町元野々市」や「清瀬町元野々市」なんてのもあります。
「元」が付かない状態のままであれば、金沢市の中の野々市町の飛び地…と言う事になってたのでしょう。

#「××」の部分には「昔の名前で出ています」状態のものもぽつぽつ見られます。
弥勒縄手(現・弥勒町)、牛坂(現・旭町)、北森下(現・北森本町)、南森下(現・南森本町)、野々市新(現・久安)等々。
[68783] 2009年 3月 8日(日)12:39:10【1】Issie さん
温故知新(飛地の生成)
[68767] hmt さん
田畑の地主により、行政区域が分かれる

以前,[16469] でこんな総理府告示を紹介したことがあります。再掲しますね。

--------------------------------------------------------------------------------
昭和29年総理府告示第683号
   市町の境界変更
地方自治法第7条第1項の規定により,昭和29年8月1日から,千葉県千葉郡津田沼町と千葉市の境界を次のとおり変更する旨,千葉県知事から届出があつた。
   昭和29年7月31日 内閣総理大臣 吉田 茂

千葉郡津田沼町に編入する区域
千葉市大字実籾,愛宕,安生津,長作,天戸,馬加の内字屋敷台,蟹ケ沢,新田台,鳥ケ崎,起天堀,前田,前畑,外畑,内畑,吹上,台畑,米ノ内及び小谷津2430

但し,右区域を千葉市から津田沼町に編入する場合において,右区域外の住民が右区域内に所有する小作地を除き,右区域内の住民が右区域外に所有する小作地を加える。
---------------------------------------------------------------------------------

そこでの話をもう一度繰り返すと,
これはつまり,千葉県の 津田沼町 が千葉市(旧幕張町)の一部を編入して 習志野市 になる手続きの第一段階。
 1:この告示(第683号)により,津田沼町が千葉市の一部を編入し,
 2:次に 告示第684号 により,津田沼町が「習志野町」と改称し,
 3:次の 告示第685号により,千葉郡習志野町を「習志野市」とする処分が行われ(ここまで1954(昭和29)年8月1日に施行),
 4:最後に同年8月28日施行の 告示第712号 により,千葉市から編入した 長作・天戸 を再び千葉市に“返還”する,
…という手順で 習志野市 が発足したのでした。
その最初の告示の「但し書き」部分が,この話題に関連して少し気になる部分なのですね。

この「小作地」に関する但し書きがなくとも,特に元は1つの大字であった(さらに「近世村」までさかのぼれる)「大字馬加(まくわり/まくはり)」を“力技”で分割した 千葉市幕張町 と 習志野市花咲町および屋敷町 の間には,相互に多くの飛び地が発生していました(告示の中にある「小谷津2430」というのも,そうした飛び地の1つかもしれませんね)。1970年代末までには両市の間で“領地交換”が何度も行われて,現在では飛び地は解消しているようです(少なくとも,普通目にする地図の上では)。
[68788] 2009年 3月 8日(日)22:18:55hmt さん
「飛び地」の魅力 (4)大阪空港の補足と関西国際空港
[68767]で大阪国際空港の飛び地を語りました。
お金を拾って交番に届けたら、その場所が「兵庫県警」と「大阪府警」とどちらの管内だったかを問われた[62888] という リトルさん の経験は、まことに貴重なものでしたが、空港に出入りする大多数の人にとっては、この空港がどの府県にあるのかという意識さえもないことでしょう。

伊丹空港と通称しているから兵庫県かもしれないと考える人は、かなり地元に明るい人で、普通には、“国際便の姿はみかけないが、大阪国際空港という名だから大阪府に決まっているんじゃないの”という程度と思われます。

公共施設として空港の機能を利用する一般人は、飛び地の存在を意識する必要はなく、その動機もありません。
スーパーマップル関西道路地図のような、一般人の利用する地図に飛び地がこと細かに掲載されたのは、たまたまその情報を知り得た地図屋さんのこだわりと、サービス精神からでしょう。
インターネットの時代になり、その情報がウェブ地図にまでも反映されたのは、ファンにとっては有り難いことですが、正直言って、知らなくてもよい過剰な情報の洪水を助長しているのかもしれません。

拾得金の処理にしても、県境があるという情報を知った以上は、それを重んじるお役所仕事では、2つの交番が必要になるわけです。
でも行政の効率化を目指すなら、どちらかの県警で処理する協定を結んでおけば一人で済むような気がしますが…

空港ついでに、関西国際空港。
これは、「都道府県境をまたがる」どころか「市町村境をまたがる飛び地」でもないわけですが、泉南市泉州空港南 という土地について。

泉南市の本体からここに行くには、泉佐野市と田尻町とを経由する必要があります。
それが飛び地と認定されていないのは、本体と空港が共に海に面しており、海を渡って行ける「島」であり、他の市町村を通らないと行けない陸続きの「飛び地」と、一線が画されているという建前のためと考えられます。
しかし、国際貨物地区 であるこの地は、たとえ舟をチャーターしても、“海を渡って行ける”場所ではありません。

一般人立入禁止地区である点を考慮外としても、関西国際空港島と空港連絡橋とは一体となって、陸続きの「半島」として最初から設計され、機能しています。
関西国際空港島の泉南市や田尻町部分は、岬の突端の「準飛び地」 と同様の地位を認めてよいのではないかと思われますが、いかがでしょうか。

北九州市小倉南区空港北町も同様。
[68789] 2009年 3月 8日(日)22:33:01hmt さん
「飛び地」の魅力 (5)隠れた飛び地
[68767]の末尾で、“大阪国際空港は、氷山の一角にすぎないのかもしれない”と書いたら、早速水面下に隠れた飛び地の実例に関するレスがありました。

[68778] EMMさん からは、金沢市の住宅地図地籍版の実例などにより、予想を越えて存在している「隠れ飛び地」の可能性を示していただきました。

[68783] Issie さんからは、習志野市誕生の直前に行なわれた総理府告示の但し書きにより、農地の所有関係から生じた飛び地の実例を示していただきました。
# 実は、“…所有する小作地”が如何なるものなのかを、農地法第2条第2項の定義(「小作地」とは、耕作の事業を行う者が所有権以外の権原に基いてその事業に供している農地をいう)にてらして理解することが、私にはよくできないのですが。

1970年代末までには両市の間で“領地交換”が何度も行われて,

習志野市例規集 行政区域の変更 にある 10件の境界変更告示のうち最初のものは千葉市への長作・天戸の“返還”。これと船橋市との境界に関する2件を除く7件(うち交換3件)が千葉市との間の飛び地処理でしょう。昭和46年が最後となっていますが、これで飛び地が解消したのかな?

水面下の飛び地を示唆する未確認情報が、5年前の落書き帳にもありました。
[23945] みやこ♂ さん
今度合併して佐野市になる葛生町,それの飛び地が「栃木市の向こう」にあるわけですが,これの中に実は栃木市の飛び地があって,さらにその中に一筆,葛生町があったような記憶があります。

出流山満願寺が下都賀郡(現・栃木市)ということで、その参道[39952]1本によって安蘇郡葛生町仙波(現・佐野市)の本体から切り離された飛び地。その中に二重・三重の飛び地があるという情報です。

然るべき役所へ行けば確認することができるでしょうが、このように、普通に流布している地図で公表されていない飛び地が、各地に存在する可能性はたしかにあります。

隠れた飛び地を詮索し始めたら、きりがないのかな?


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