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落書き帳

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[46981]2005年11月29日
hmt
[46937]2005年11月27日
今川焼
[5301]2002年11月24日
ニジェガロージェッツ
[47002]2005年11月30日
てへへ
[47106]2005年12月3日
hmt

[46981] 2005年 11月 29日(火)16:59:37hmt さん
地勢図で「県界変更史跡」めぐり
[46937]今川焼 さん
現佐用町の北部(旧石井村・旧江川村)は明治29年までは旧美作国(岡山県吉野郡)でした。

これは知りませんでした。
早速、20万分の一地勢図「姫路」で現状を確認してみたところ、兵庫・岡山の県界と、播磨・美作の国界とは一致していました。

この県界変更が行なわれた明治29年(1896)は、明治23年に公布された「郡制」が全国的に施行の時期を迎えた時代です。
兵庫県についての直接の資料は持っていませんが、埼玉県では同じ明治29年に、中葛飾郡(最近春日部市と合併した旧・庄和町など)が北葛飾郡に併合されました。

実はこの地域は、もともと利根川が太日川として東京湾に注いでいた時代の川筋(庄内古川、現在は中川の一部)の左岸(つまり下総側)でしたが、17世紀に江戸川の開削によって下総台地の本体から切り離されました。しかし、ずっと下総国の一部であり、明治8年に千葉県から埼玉県に移管されて中葛飾郡という名が付いてからも相変わらず下総国でした。
ところが、明治29年になると、わざわざ「埼玉県下国界変更及び郡廃置法律」によって、武蔵と下総の国界を庄内古川から江戸川に移し、埼玉県全体は武蔵国の一部になりました。
このような「国界変更」が行なわれことは、旧国が実質的な地域名称として機能していたことを示しています[36159]

旧美作国吉野郡石井村・江川村が兵庫県佐用郡に移管されたのは、これと同じ明治29年です。県界変更と同時に播磨・美作の国界も変更され、県界との一致を保ったものと思われます。

つまり、兵庫県内には「美作国」の地域はなく、1896年の時点では、摂津(一部)・播磨・但馬・丹波(一部)・淡路の五ヶ国でした。1963年に日生(ひなせ)町の一部(旧・福浦村)編入により備前の一部が加わった後は六ヶ国となり、首位の座を固めています。

旧国が既に実質的な地域名称として機能を失った戦後の県界変更になると、それに伴なって国界を変更して一致させる必要性はなくなりました。
そのために、20万分の一地勢図上ので県界と国界との不一致として「県界変更史跡」が残されることになりました。

“備前国で兵庫県”の備前福河[46914]は地勢図「姫路」で、“丹波国で大阪府”の旧・京都府樫田村[31152]は地勢図「京都及大阪」で県界変更の跡を見ることができます。
“越前国で岐阜県”になった旧・福井県大野郡石徹白(いとしろ)村[31291]は、「岐阜」と「金沢」にまたがっています。手持ちの昭和43年発行の地勢図「岐阜」を見ると、石徹白付近に“白鳥町”の注記はあるものの、13年も前にできた筈の岐阜・福井県境が描かれていません。

同じく1955年に愛知県に越境合併した旧・岐阜県三濃村の一部の「県界変更史跡」は、地勢図「豊橋」にあります。この付近を中心として、北の現県界、東の明智川、南の矢作川、西の国界(表示なし)に囲まれた範囲が“美濃で愛知県”です。

有力メンバーの多い栃木・群馬県界の変更については、さすがにこの落書き帳に多数の記事があります。
地勢図は「宇都宮」で、手持ちの昭和34年版と平成10年版とを比較してみます。
昭和34年版でも桐生市街の対岸にある旧栃木県菱村[14592]は、明瞭な「県界変更史跡」を見せています。この“下野国で群馬県”の地域が、平成10年版になると、北方に更に拡大しています。これが1968年に桐生市に編入された栃木県飛駒村の一部[31165]ですね。

逆に“上野国で栃木県”になったのは、旧・群馬県矢場川村の一部[14616] です。昭和34年版は足利市編入の前年ですから、当然ながら県界=国界であった矢場川の南はすべて群馬県でした。矢場川は、渡良瀬川の旧河道[4618]で、その名も両毛橋が架けられています[25139]。平成10年の地勢図では、栃木・群馬県界が矢場川の少し南に移っているのは良いのですが、矢場川の位置に残るべき国界が消されています。
YSK[両毛人]さんのご指摘[17073] により、国土地理院は昭和56年からの編集ミスを認め、昨年発行の図から訂正されて、「県界変更史跡」が復活したようです。

最後に、“信濃国で岐阜県”の地域。地勢図は「飯田」です。
手持ちの昭和35年発行図を見たら、恵那山の北方に“中津川市”と記され、昭和33年に長野県西筑摩郡神坂(みさか)村の一部が越県合併した時に生れた新県界が、信濃・美濃国界から離れて北東へと描かれているのですが、ほんの一部だけで途切れ、東と北の県界は描かれていません。要するに「県界変更史跡」は未完成状態。
今年の2月に、長野県木曽郡山口村の岐阜県中津川市への編入が実現しました。“信濃国で岐阜県”の地域は、更に拡大したわけです。

“岐阜県でも信濃国”ですから、この地域の馬籠宿で生まれた島崎藤村は、[37786] 北の住人 さんのおっしゃるように、「信濃国出身」と書くことができます。たしかに「岐阜県出身」よりは数等「まし」な言い方です。
しかし、藤村本人の意識としては、彼の生まれた馬籠宿は、「筑摩県」でも「長野県」でも「信州」でもなく、「木曾」だったのだと思います。[37785]参照。
「信濃国」や「長野県」、「岐阜県」のような広域であり、かつ行政の都合で変化してしまう地名を「出身地」に使うことは、誤りではないにしても、「ふるさと」という感覚からはあまり適切でないケースがあるように感じます。

# 実は、県境の話題とは関係ないことなのですが、来年の3月になったら、メンバー紹介記事の「出身地」をどのように記すべきかと悩んでいるのです。
[46937] 2005年 11月 27日(日)14:41:20今川焼 さん
兵庫県は七ヶ国
[46891] デスクトップ鉄 さん
・ 赤穂線の兵庫・岡山県境は、備前福河・寒河間にある。兵庫県は、摂津・播磨・丹波・但馬・淡路の5カ国だけでなく、備前国も含んでいたのですね。
すみません重箱レスです。
[5301] でニジェガロージェッツ さんも触れておられますように、現佐用町の北部(旧石井村・旧江川村)は明治29年までは旧美作国(岡山県吉野郡)でした。(参考第三次兵庫県の県域
リンク先の地図で比べると、面積では赤穂市の福浦地区より数倍広いですが、100年以上も前のことですし、「備前福河駅」のようなわかりやすい物的証拠もないので案外見過ごされています。

ところで、その佐用町の北部に第三セクターの智頭急行石井駅があります。この路線はもともと旧国鉄の路線として計画されていたものですが、もし国鉄時代の早い時期に開通していれば、徳島県石井町の徳島線に石井駅がすでにありましたから、こちらの石井駅は「美作石井駅」になっていた可能性もあります。(まぁ、あくまで「可能性」です。この駅の計画段階の仮称は大字名の「下石井」でした。)
[5301] 2002年 11月 24日(日)02:12:26【1】ニジェガロージェッツ さん
勤労に感謝して、昨日は仕事をしてました
真夜中の2時ガロージェッツです。

[5212]般若堂そんびんさん
レスありがとうございます。御書き込みを拝見しドクターペッパーのあの独特の芳香が脳裏に甦り、また飲みたくなりました。初めて耳にする「ミスター・ピブ」という飲料、大変興味をそそられます。
今日テレビで京都と神戸をロケーションにしたドラマがありました。神戸に関しては少々地理的に無理な設定もありましたが、だいたい街並みの雰囲気は出ていると思いました。
しかしいつもながら「神戸ロケ」で出てくるのは「神戸大橋」「三宮・異人館」「六甲山」(このロケでは摩耶山)と相場が決まっており、残念ながら「長田」などはまず出て来ません。出て来たとしたら震災絡みです。

[5265]NSKさん
自治体の分割の話題の続きですが、兵庫県赤穂市は昭和38年8月に岡山県和気郡日生町のうち福浦地区を越境編入しています。いまでも赤穂市福浦にあるJR赤穂線の駅名は「備前福河」です。
また古い所では、佐用郡佐用町石井地区は明治中頃までは岡山県・旧美作国に属していました。
このレベルのお話になると全国各地にあることでしょうけどね。

それと郵便番号の話題が続いていますが、すこし飛躍して外国のお話。
日本では郵便番号の割り当てで1で始まるのは東京ですが、だいたい他国でも1は首都が多いのではないでしょうか。
例えば中国(6桁)の北京は100000で始まり、ロシア(6桁)でも100000はモスクワの中央郵便局です。
変わった所では米国(ZIP・5桁+4桁)では首都ワシントンDCは20001で始まっています。
で、ZIPサイトで10001を検索してみるとズバリ「ニューヨーク、エンパイア ステート」とか「マンハッタン」とか出てきました。

あとロシア滞在中にニジニノヴゴロド在住の日本人宛てに郷里のご両親が札幌の郵便局から小包を送ろうとしたそうでしたが、郵便番号603155を見て局員が頑に「この郵便番号は間違っています!」と言い続けたそうです。
私見ですが、この局員氏はロシア宛ての郵便物を札幌という場所がら頻繁に扱っているのか6で始まる郵便番号を見て勝手に「極東・シベリア地域の番号」と思い込んで(ユジノサハリンスク市693***、ユ市以外のサハリン州694***、ウラジオストク690***、ハバロフスク680***、イルクーツク664***、ノヴォシビルスク630***、等となっているので無理もないのだが)やや東よりながらロシア中央部に位置するニジニノヴゴロドはもっと若い番号になるはずと考えたのではなかろうか・・と推測します。
しかしロシアの郵便番号の最初の1桁目は「方向」を表し、東方向は6で始まる番号となり、600000はモスクワ州の東隣のヴラジーミル州の州都ヴラジーミル市の番号です。
因みに1は首都モスクワに始まり北方面、2は西方面(ソ連崩壊でかなり喪失)、3は南方面、4は南東、東南東方面(ヴォルゴグラード400000に始まり、ウラル以西のカザフスタン国境沿い一帯)となっています。もしかすると鉄道線に関係があるのかな?という気がするのですが。
番号の付け方一つにしてもお国柄が出ていて興味深いものがあります。
[47002] 2005年 11月 30日(水)13:10:43てへへ さん
国界変更、郡界変更、郡廃置
[46981]hmt さん
明治29年になると、わざわざ「埼玉県下国界変更及び郡廃置法律」によって、武蔵と下総の国界を庄内古川から江戸川に移し、埼玉県全体は武蔵国の一部になりました。
(中略)
旧美作国吉野郡石井村・江川村が兵庫県佐用郡に移管されたのは、これと同じ明治29年です。県界変更と同時に播磨・美作の国界も変更され、県界との一致を保ったものと思われます。
に関連して。1896年(明治29年)以降、国界変更とともに全国的に郡廃置や郡界変更の法律が施行されていましたが、1982年(昭和57年)7月23日にまとめて廃止されています。その法律の廃止対象の項が丁度この手の法律の一覧になっていましたので少し長いですが、衆議院のサイトの制定法律>昭和57年法律第69号より抜粋します。
法律第六十九号(昭五七・七・二三)
◎行政事務の簡素合理化に伴う関係法律の整理及び適用対象の消滅等による法律の廃止に関する法律
第二章 適用対象等の消滅及び行政目的達成等による法律の廃止(第三十七条―第四十九条)
(自治省関係法律の廃止)
第四十九条 次に掲げる法律は、廃止する。
 一 神奈川県下郡廃置法律(明治二十九年法律第十九号)
 二 長崎県下郡廃置法律(明治二十九年法律第二十号)
 三 新潟県下郡界変更及び郡廃置法律(明治二十九年法律第二十一号)
 四 山口県下郡廃置法律(明治二十九年法律第二十二号)
 五 和歌山県下郡廃置法律(明治二十九年法律第二十三号)
 六 福岡県下郡廃置法律(明治二十九年法律第二十四号)
 七 佐賀県下郡廃置法律(明治二十九年法律第二十五号)
 八 宮崎県下郡廃置法律(明治二十九年法律第二十六号)
 九 東京府下郡廃置法律(明治二十九年法律第三十七号)
 十 大阪府下郡廃置法律(明治二十九年法律第三十八号)
 十一 兵庫県下郡廃置及び郡界変更法律(明治二十九年法律第三十九号)
 十二 埼玉県下国界変更及び郡廃置法律(明治二十九年法律第四十号)
 十三 群馬県下郡廃置及び郡界変更法律(明治二十九年法律第四十一号)
 十四 千葉県下郡廃置法律(明治二十九年法律第四十二号)
 十五 茨城県下郡廃置及び郡界変更法律(明治二十九年法律第四十三号)
 十六 栃木県下郡廃置法律(明治二十九年法律第四十四号)
 十七 奈良県下郡廃置法律(明治二十九年法律第四十五号)
 十八 三重県下郡廃置法律(明治二十九年法律第四十六号)
 十九 静岡県下郡廃置法律(明治二十九年法律第四十七号)
 二十 滋賀県下郡界変更及び郡廃置法律(明治二十九年法律第四十八号)
 二十一 福島県下郡廃置法律(明治二十九年法律第四十九号)
 二十二 岩手県下郡廃置法律(明治二十九年法律第五十号)
 二十三 富山県下郡分離及び廃置法律(明治二十九年法律第五十一号)
 二十四 鳥取県下郡廃置法律(明治二十九年法律第五十二号)
 二十五 島根県下郡廃置法律(明治二十九年法律第五十三号)
 二十六 熊本県下郡廃置法律(明治二十九年法律第五十四号)
 二十七 鹿児島県下国界並びに郡界変更及び郡廃置法律(明治二十九年法律第五十五号)
 二十八 岐阜県下郡廃置及び郡界変更法律(明治二十九年法律第八十六号)
 二十九 愛媛県下郡廃置法律(明治二十九年法律第八十七号)
 三十 広島県下郡廃置法律(明治三十一年法律第八号)
 三十一 愛媛県下郡界変更法律(明治三十二年法律第二十二号)
 三十二 香川県下郡廃置法律(明治三十二年法律第四十一号)
 三十三 大分県下郡界変更法律(明治三十二年法律第四十二号)
 三十四 岡山県下郡廃置及び郡界変更法律(明治三十三年法律第二十八号)
 三十五 京都府下国界並びに郡界変更法律(明治三十五年法律第十四号)
 三十六 和歌山県下郡界変更法律(明治四十年法律第三十六号)
 三十七 愛知県下郡廃置法律(大正二年法律第五号)
 三十八 埼玉県下郡界変更に関する法律(大正十年法律第六十五号)
ここに出てこない都道府県は北海道、青森、宮城、秋田、山形、福島、石川、福井、山梨、長野、徳島、高知、沖縄です。北海道と沖縄は府県制郡制の対象外として、他の11県は郡廃置や郡界変更がなかったのでしょう。
さて本題の「国界」に言及しているのは埼玉県(12項)、鹿児島県(27項)、京都府(35項)であって、兵庫県(11項)には出てきません。

また国立国会図書館のサイトの日本法令索引 の制定法令検索にて「国界」で検索しても検索結果はこの3府県分だけです。国界変更施行日は埼玉県と鹿児島県が明治29年3月30日、京都府は明治35年3月11日となっており、埼玉県についてはhtmさんの指摘のとおり、中葛飾郡の北葛飾郡への併合と時期が一致しています。

 ここまでのおさらいしてみると、不明点は以下の3点です。
1、旧美作国吉野郡石井村・江川村が兵庫県佐用郡に移管された県界変更と同時に、本当に播磨美作の国界が変わったのか?(法令的には痕跡がない?検索単語があまいせいか?)
2、明治29年の鹿児島県での変更はどこか?(旧日向国諸県郡のうち鹿児島県に移管された南諸県郡と関係があるか?それとも旧大隅国菱刈郡が薩摩国伊佐郡に併合したことと関係があるか)
3、明治35年の京都府での変更はどこか?(見当もつきません)

ナゾが深まっています。私にはこのあたりで限界ですが、どなたかご存知の方はご教示ください。
[47106] 2005年 12月 3日(土)23:45:55hmt さん
明治の法律による府県界・国界変更
てへへ さんは[47002]日本法令索引 制定法令検索にて「国界」で検索して3件という結果を報告されていますが、[47041]の結果を参照して「界変更」「県境」「境界」で検索してみました。

ヒットした法律の中には、既に[47002]の「適用対象等の消滅…による法律の廃止」(昭和57年)で紹介された「郡廃置法律」(主として明治29年)の一部も含まれていますが、検索結果の中から、府県界、国界変更に関すると思われる明治の法律を年代順に列挙し、この落書き帳の 関係記事 をリンクさせておきます。やはり、明治29年とその前後が多いですね。

明治と言っても、「法律」の時代になってから以後に限られ、明治初期の「太政官布告」時代、例えば大規模な県の組み換えが行なわれた明治8~9年(1875-76)の県界変更は、当然のことながら含まれておりません。


東京府及神奈川県境域変更ニ関スル法律(明治26年3月6日法律第12号)
神奈川県だった三多摩(西多摩郡、北多摩郡、南多摩郡)の東京府への移管 [33692] [33700]

東京府埼玉県千葉県茨城県境界変更法(明治28年3月30日法律第24号)
法律を見ておらず境界変更地不明ですが、利根川水系の流路変更に伴なう部分的な修正でしょうか?

埼玉県下国界変更及郡廃置法律(|明治29年3月30日法律第40号)
明治8年に埼玉県に移管されていた下総国中葛飾郡を武蔵国北葛飾郡に編入 [755][36159][46981]

鹿児島県下国界並郡界変更及郡廃置法律(明治29年3月30日法律第55号)
日向国南諸県郡が大隅国噌唹郡に、大隅国北大隅郡(桜島)と菱刈郡が薩摩国鹿児島郡と伊佐郡に  [28373][47015]

岡山県兵庫県境界変更並福岡県大分県境界変更法律(明治29年3月30日法律第56号)
岡山県吉野郡石井村(美作国)が兵庫県佐用郡(播磨国)へ [5301][46937]
同時に県界が変って兵庫県佐用郡江川村になった部分は、旧岡山県吉野郡讃甘(さのも)村の一部で、江川村はもともと兵庫県でした。([46981]の訂正)
福岡県大分県の境界変更地は不明

千葉県茨城県境界変更法律(明治32年2月8日法律第4号)
利根川北岸の千葉県香取郡金江津村、十余島村、本新島村が茨城県稲敷郡に所属変更 [1639]
(この時も美作国→播磨国のケースと同様に、下総国→常陸国の変更があったと思われます。)

京都府下国界並郡界変更法律(明治35年3月11日法律第14号)
与謝郡(丹後国)雲原村が天田郡(丹波国)に所属変更 [47003]

東京府北多摩郡埼玉県北足立郡境界変更法律(明治40年3月18日法律第8号)
埼玉県北足立郡保谷村が東京府北多摩郡に所属変更 [4111][38467]。共に武蔵国なので国界は影響なし。

東京府神奈川県境界変更ニ関スル法律(明治45年3月28日法律第5号)
これも境界変更地不明ですが、多摩川または境川の流路変更に伴なう部分的な修正でしょうか?


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