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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[87207]2015年1月25日
伊豆之国
[87248]2015年2月1日
伊豆之国
[87251]2015年2月2日
ぺとぺと
[87263]2015年2月8日
伊豆之国
[87266]2015年2月8日
ぺとぺと

[87207] 2015年 1月 25日(日)20:09:25伊豆之国 さん
City Station~第40回十番勝負・問六について(vol.1)
今回の十番勝負では、もう一つ「駅名問題」がありました。問六、市名と同じ「○○市」駅がある市、という共通項です。この共通項に関連して、これまでも私がしばしば引用している「時刻表名探偵」(石野哲氏著・昭和54年(1979)3月10日初刊)に、その「市のつく駅名」というページがありましたので、今回はそれと照らし合わせながら書き進めて行こうと思います。
現在、全国にある、市名と同じ名の「○○市」という駅がある市は、JRとそれ以外にある駅とを合わせると、ちょうど40市。これに対し、36年前に出版された「名探偵」にあるリストに載っているのは、国鉄に13駅(市)、私鉄に26駅(正式には南海電鉄の所属であるため([75010])重複掲載されている和歌山市駅と、市名の一部が駅名になっている高田市駅(大和高田市)を含んでいるため、実際にはこの2市を除いた24市)。合わせて37市ということになっていました。この「名探偵」に載っているそれぞれのリストを基に、その後の駅名・市名の消長による変動と合わせて、下記の表にまとめてみました。なお、「名探偵」には、国鉄の駅のみ「市制」と「駅名改称」の年月日が書かれていますが、この「市制年月日」は「市の誕生日」になっていて「市名誕生日」にはなっていない(伊勢市は「市の誕生日」である「旧・宇治山田市の市制期日」になっている)ため、今回の表ではJR以外の分も合わせて「市名誕生日」を載せることとします。また、この表で「駅名誕生日」とは、元の駅名から「○○市」駅に改称した場合はその日、開業当初から「○○市」を名乗っていた駅(この場合は「旧駅名」が空欄)はその開業期日を示します。

【JRの「○○市」駅】
番号駅名=市名路線名駅名誕生日旧駅名市名誕生日備考
1和歌山市紀勢本線1903.3.211889.4.1「戸籍上」は南海電鉄所属
2伊那市飯田線1954.11.10伊那町1954.4.1
3出雲市山陰本線1957.4.1出雲今市1941.11.3
4伊予市予讃線1957.4.1南郡中1955.1.1
5伊勢市参宮線1959.7.15山田1955.1.1市の誕生日は1906.9.1(宇治山田市)
6熊野市紀勢本線1959.7.15紀伊木本1954.11.3
7山梨市中央本線1962.1.15日下部1954.7.1
8長門市山陰本線1962.11.1正明市(しょうみょういち)1954.3.31
9日向市日豊本線1963.5.25富高1951.4.1
10堺市阪和線1965.3.1金岡1889.4.1阪和電鉄として開業時(1932.2.2)に「堺市」を名乗っていたことがある(wikiより)
11土岐市中央本線1965.7.1土岐津1955.2.1
12大田市山陰本線1971.2.1石見大田1954.1.1
13西脇市加古川線1990.4.1野村1952.4.1鍛冶屋線廃止による「西脇」駅消滅と同日に改称

【JR以外の「○○市」駅】
番号駅名=市名路線名駅名誕生日旧駅名市名誕生日備考
1佐野市東武佐野線1943.4.1佐野町1943.4.1
2足利市東武伊勢崎線1924.8.25足利町1921.1.1
3野田市東武野田線1950.5.3野田町1950.5.3
4川越市東武東上線1922.12.1川越町1922.12.1
5和光市東武東上線1970.10.31大和町1970.10.31
6行田市秩父鉄道1966.6.1行田1949.5.3高崎線「行田」駅開業に伴いその1ヶ月前に改称
7入間市西武池袋線1967.4.1豊岡町1966.11.1
8都留市富士急1965.3.1谷村横町1954.4.29
9豊田市名鉄三河線1959.10.1挙母1959.1.1市の誕生日は1951.3.1(挙母市)
10刈谷市名鉄三河線1952.3.1刈谷町1950.4.1
11鈴鹿市近鉄鈴鹿線1965.7.1伊勢神戸(かんべ)1942.12.1
12八幡市京阪本線1977.11.1八幡町1977.11.1
13枚方市京阪本線1949.10.1枚方東口1947.8.1現「枚方公園」駅が旧「枚方」駅(同日改称)
14交野市京阪交野線1977.11.1交野1971.11.3
15寝屋川市京阪本線1951.8.20寝屋川1951.4.1
16門真市京阪本線1975.3.23新門真1963.8.1
17守口市京阪本線1971.6.20守口1946.11.1
18高槻市阪急京都線1943.1.1高槻町1943.1.1
19茨木市阪急京都線1948.1.1茨木町1948.1.1
20倉敷市水島臨海鉄道1970.-.-社倉敷1928.4.1
21松山市伊予鉄道1927.3.1松山1899.12.15[82932][82963] ペーロケ さん,[82961]
22狭山市西武新宿線1979.3.25入間川1954.7.1
23東大和市西武拝島線1979.3.25青梅橋1970.10.1
24美濃市長良川鉄道1954.11.10美濃町1954.4.11986.12.11に旧国鉄より長良川鉄道に転換
25瀬戸市愛知環状鉄道1988.1.311929.10.1
26大阪狭山市南海高野線1990.4.1狭山遊園前1987.10.1
27摂津市阪急京都線2010.3.141966.11.1

【消滅した(該当しなくなった)○○市駅】
番号駅名=市名路線名該当しなくなった日理由備考
1十和田市十和田観光電鉄2012.4.1路線廃止[79425][79485] 山野 さん
2上野市伊賀鉄道2004.11.1新設合併で伊賀市に市名消滅後も駅名は変更なし。2007.9.30以前は近鉄伊賀線
3平田市一畑電車2005.3.22出雲市との合併で市名消滅同日に元の駅名「雲州平田」(1970.9.30まで名乗っていた)に戻る。旧平田市の「市の誕生日&市名誕生日」は1955.1.1

…「平成の大合併」時期以降に消滅あるいは該当しなくなった「○○市」駅は、上記の3駅ですが、「名探偵」には、過去に存在した「○○市駅」の「元祖」として、現在の津山線の前身「中国鉄道」が1898年(明治31年)12月21日に開業した「岡山市駅」のことが書かれています。この「岡山市」駅は、中国鉄道が岡山から津山(現在の津山口駅)まで開業した際、山陽線(当時は山陽鉄道)岡山駅への乗り入れ工事が間に合わず、「仮の駅」として岡山駅の西方約500mの位置に設けられた駅で、岡山駅への乗り入れが完成した6年後の1904年11月15日に廃止された、とあります。また、「国鉄編」の欄外記事として、天理駅(1965.9.1現駅名に改称)が一時期「天理市」駅を名乗った(1963.5.25に「丹波市(たんばいち)」より改称)ことが書かれています。この「天理駅」は、現在のJR天理駅が「奈良鉄道」の「丹波市駅」として開業(1898.5.11)の17年後、現在の近鉄天理線の前身にあたる「天理軽便鉄道」が1915年(大正4年)2月7日の開業当初から「天理」駅を名乗っていて、1965年の国鉄駅との統合により、国鉄の「天理市」駅も近鉄にあわせて「天理」駅に統一されています。余談になりますが、「天理軽便」は現在の近鉄奈良線などの前身「大阪電気軌道」への合併後に東側の平端-天理間が1435mmゲージに拡幅・電化され、橿原線との直通も行われるようになって現在に至っていますが、「軽便」・非電化のまま取り残された西側の新法隆寺-平端間は、戦時中に運休となり、そのまま廃線となっています(こちら)。
このほか、伯陽電鉄(→日の丸自動車法勝寺線)に「米子市」駅(1967.5.15廃止)がありました。

♯「○○市駅への改称時期」「○○駅と○○市駅の関係」等々、まだまだ書きたいことがいろいろとありますが、長くなりましたので次回に書き込むことにします。
この記事を作成するに当たっては、デスクトップ鉄 さんのこちらのサイトも参照させていただきました。それと重複する内容も多いとは思いますが、デスクトップ鉄 さんには、ここに改めて感謝を申し上げます。
[87248] 2015年 2月 1日(日)23:22:57伊豆之国 さん
City Station~第40回十番勝負・問六について(vol.2)
今日は、前回[87207]の書き込みで約束した続編、まず「○○市駅への改称時期」と「改称前の旧駅名との関係」について書き込むことにします。
前回のリストを見ると、開業当初から「○○市」という駅は3駅だけ(ほかに開業時に「仮の駅」のような形で短期間存在した「岡山市」駅と、やはり開業当初の短い時期だけ現駅名と同じ駅名を名乗っていた「堺市」を加えると5駅)で、市名誕生と同時かそれ以降に改称した駅がほとんどです。そしてその中でも「市名誕生日」と同日に駅名を「○○市」に変えた、というのは意外に少なく、「市名誕生日」より後れて駅名を改称したケースが圧倒的に多くなっています。特に国鉄・JRには皆無(長良川鉄道に転換された越美南線の美濃市駅を含む)で、「即日改称」組は全て私鉄の駅です。
その「○○市」に改称した現存37駅について、それ以前の駅名がどのような名称だったかを見てみると、次のようになります。

タイプ旧駅名総数市名
A)「○○」5行田、交野、寝屋川、守口、松山
B)「○○町」10伊那、佐野、足利、野田、川越、刈谷、八幡、高槻、茨木、美濃
C)その他で現市名(またはその一部)を含む名称6土岐、大田、枚方、門真、倉敷、大阪狭山
D)全く違う名称16出雲(※)、伊予、伊勢、熊野、山梨、長門、日向、堺、西脇、和光、入間、都留、豊田、鈴鹿、狭山、東大和

この表の中で(※)印を付した、「出雲今市」から改称した「出雲市」は、形式的には「C」ですが、実質的には「D」タイプと思われるのでこちらに計上することとしました。「松山市」([82932][82963] ペーロケ さん,[82961])と「行田市」は、いずれもずっと後れて開業した国鉄が、それまであった私鉄の「○○」駅の名を「強奪」したため、やむなく「○○市」駅と改称されたケースです(この2市については、後で詳述します)。また、「○○」駅から「○○市」駅に改称した駅は、その「特殊事情」がある「松山市」と「行田市」以外は全て京阪電鉄にあり、ある意味で「京阪独特のポリシー」があるのでしょうか。
また、「市名誕生日」から「○○市」駅への改称までの「時間差」を調べると、次のようになりました(前記の「特殊事情」2市は除外)。

タイプ駅名改称までの日数総数市名
A)即日7佐野、野田、川越、和光、八幡、高槻、茨木
B)1年以内5伊那、入間、豊田、寝屋川、美濃
C)1年超~3年以内4伊予、刈谷、枚方、大阪狭山
D)3年超~10年以内7伊勢、熊野、山梨、長門、足利、交野、東大和
E)10年超~12出雲、日向、堺、土岐、大田、西脇、都留、鈴鹿、門真、守口、倉敷、狭山

こうして見ると、市名誕生日から10年以上を経過してようやく「○○市」駅になった、という駅が意外に多く、その中には市名と直接関係ない従前の駅名から市名に合わせて「○○市」駅に改称したものが6例(出雲市を含む)もあり、やはり「それまでなじんできた駅名を変える、ということには抵抗も多い」ということも読み取れそうです。「○○町」から「○○市」になっても駅名をすぐに「○○市」に変えず、しばらくの間「○○町」駅のままだった、というのも4市ありました。一方、「野村」から駅名を変えた「西脇市」駅は、同日に「西脇」駅があった鍛冶屋線が廃線となって、新たに市の玄関となった駅を市名に合わせて改称したということでしょうか(この辺の事情は、ご当地の近所の方が詳しいかもしれませんが…)。

♯前回書き忘れましたが、「消滅した○○市駅」には、名古屋市との合併で消滅した「先代・守山市」にあった、名鉄瀬戸線の「守山市」という駅もありました。昭和21年(1946)にそれまでの「二十軒家」駅から「守山町」駅となり、29年6月1日の市制の翌年2月に「守山市」駅となって、38年(1963)年2月の名古屋市への編入後もしばらく「守山市」の駅名はそのままでしたが、市名消滅から3年余りも経った41年3月になって現在の「守山自衛隊前」に改称されています。現駅名の由来である守山駐屯地は、戦前の陸軍歩兵33連隊がその前身に当たります。守山区内には、JR中央本線の「新守山」駅(名古屋市編入の翌年、昭和39年4月に開業)、「鉄道とは認められない」と思われる名古屋ガイドウェイバス([80185],[85670],[87169])には「守山」という停留所?(平成13(2001)年開業)もあります。なお、滋賀県の「二代目」守山市にあるJR東海道本線の「守山」駅は、明治45(1912)年の開業で、当初から現在まで駅名は変わっていません。

…まだまだ長くなりそうなので、その続きは次回に書き込むことにしました。
[87251] 2015年 2月 2日(月)22:14:55ぺとぺと さん
おけいはん
[87248]伊豆之国さん
また、「○○」駅から「○○市」駅に改称した駅は、その「特殊事情」がある「松山市」と「行田市」以外は全て京阪電鉄にあり、ある意味で「京阪独特のポリシー」があるのでしょうか。
京阪で最初に「○○市」駅に改称したのは枚方市駅だと思いますが、この改称は現在の枚方公園駅が当時は枚方駅を名乗っていたため、混同を避けるための措置だったと何かで読んだ記憶があります。(枚方東口→枚方市、枚方→枚方公園に同日改称)
これが先鞭をつける形でその後の改称につながっていったのではないでしょうか。

京阪電車で通った母校(高校)がふと懐かしくなりました。
[87263] 2015年 2月 8日(日)14:57:18【2】伊豆之国 さん
City Station~第40回十番勝負・問六について(vol.3)
ところで、市名と同じ「○○」駅と「○○市」が共に存在している市が、次の14市あります。この各市について、「どちらが市の『代表駅(中心駅)』にふさわしいか?」ということを、比較してみました。なお、乗車客数は原則として最新(年度、wikiより)の数値とし、★印は乗降客数(乗車客数は単純にその半数と見て差し支えないものとみなします)を示します。今回は、この乗客数の値を基にして、その中からいくつかの市について比較・考察をしてみることにしました。

○○駅乗車客数○○市駅乗車客数備考
和歌山(JR)19,179('12)和歌山市(JR)3,088('11)★
(和歌山電鉄)5,016('11)★(南海)17,569('13)★
16,924('12)堺市11,851('12)市内で乗客数最多の駅は「堺東」駅(29,202人('12))
<[82931]の数値は乗降客数だったため、訂正>
佐野(JR)3,542('13)佐野市764('12)★
(東武)1,495('11)
足利3,471('13)足利市6,810('12)★
川越(JR)37,754('13)川越市34,702('10)★本川越駅(西武):47,138('11)★
(東武)60,739('11)
行田6,962('13)行田市898('13)
刈谷(JR)29,915('12)刈谷市4,895('07)★
(名鉄)22,635('12)★
鈴鹿220('10)鈴鹿市1,799('12)市内で乗客数最多の駅は「白子」駅(7,510人('12))
守口8,019('13)守口市22,106('11)
高槻63,289('13)高槻市33,961('12)
茨木45,194('13)茨木市34,936('12)
倉敷18,478('12)倉敷市2,089('09)
松山7,373('13)松山市27,175('10)[82932] ペーロケ さん
摂津2,252('12)摂津市4,636('12)市内で乗客数最多の駅は「千里丘」駅(18,410人('12))

「○○」駅と「○○市」駅が並存している市の中には、駅名の変遷その他に複雑な経緯があるものがいくつかあります。[82961]で書き込んでいた松山市は、その代表例ですが、その松山市と同様、「お上の威光」で半ば強引に駅名を変えさせられた私鉄の駅に、「行田市」駅があります。「行田市」駅は、大正10年(1921)に「北武鉄道」の「行田」駅として、当時の「忍町」内に開業。駅名が「行田」になったのは、当時足袋の産地として知られていた「行田」の名を採用したのでしょうか([5052] でるでる さん)。「北武鉄道」はその翌年に秩父鉄道に合併し、現在に至っています。一方、国鉄高崎線は、合併で広くなった市域の、まさに「端っこを掠めて通る」形になったことから、この部分に駅を設置しようという地元の要望を受けて、昭和41年に新駅が開業したのですが、この駅がそれまでの秩父鉄道の駅名を「強奪」して「行田」駅を名乗り、それまでの「行田」駅はその1ヶ月前に現在の「行田市」駅となったのです([27175] むじながいり さん)。現在の両駅の利用状況を比較して見ると、市域の端っこにあって市街の中心から遠い「行田」駅のほうが、「忍城跡」や市街地の中心に近い「行田市」駅の8倍近い利用者数があり、これは私にもやや予想外でした。私は、その行田市を一昨年の夏に訪れたのですが([84083])、行田市の駅前は意外なほど閑散としており、駅前には土産物店もなく商店街にも思ったほど活気が見られず、市内を走るバスの本数も少なく稲荷山古墳の資料館まで猛暑の中を歩かされるなど、隣の熊谷駅から1両だけのディーゼル車が走っていたあの超ローカル線「東武熊谷線」([84083])に沿ったルートを通っている妻沼方面へのバスが予想以上に繁盛していたのと比べると、その落差に驚いたものでした。「行田」駅と「行田市」駅の大差は、通勤通学客の利用が多い幹線と、ローカル私鉄との差もやはり大きいのでしょうが、「行田市の玄関としてふさわしい駅(代表駅・中心駅)はどちらがふさわしいか?」と言った場合、利用者数で圧倒的に大差をつけているとはいえ、文字通り半島のように突き出した市域の端っこにあって、駅前には電器メーカーの大工場が広い敷地を構え、どちらにも少し歩けばそれぞれ熊谷市と鴻巣市の市域に入り、その両市の住民の利用もかなりの数に上ると見られる「行田」駅を、果たして「行田市の代表駅」としてよいのか、という疑問が沸いてきそうな気がしますが、かといって中心市街に近い「行田市」駅にしても、現状を見ると「代表駅」とするにはいささか心もとないように思えます。

同じ埼玉県の、最古参の市である川越市の場合は、かなり複雑な経緯をたどっています。(川越町→)川越市の中心部で最も古く開業したのは、現在の西武新宿線の「本川越」駅で、明治28年(1895)に「川越鉄道」の「川越」駅として誕生しています。その次に古いのが、大宮との間を結んでいた「川越電気鉄道」という名の路面電車の終点として、明治39年(1906)に開業した「川越久保町」(この辺り…wikiより)という駅です。この「川越電鉄」は、後に「(旧)西武鉄道」の路線となって「西武大宮線」と呼ばれていましたが、昭和15年(1940)の国鉄川越線の開業でまともに影響を受け、翌年に廃線となっています([61836] hmt さん)。一方、東武東上線の「川越市」駅が、「東上鉄道」の「川越町」駅として開業したのが大正3年(1914)の5月。そして、意外にも最も遅く開業したのが、現在の「川越」駅。同じ路線の「川越町」駅に遅れること1年弱、翌4年の4月に「川越西町」駅として開業しています。国鉄川越線の開業はさらに遅く、既に戦時体制に入ってきていた昭和15年。東北線と東海道線を、都心を通らずに迂回する路線として急遽建設が決まったとされ、沿線に航空士官学校(現在の自衛隊入間基地)ができたこともあって、軍事路線として重要な意味があったとされているようです。現在の「川越駅」は、その川越線が東上線と交わる位置にあった「川越西町」駅に同居する形で開業し、東上線の駅名も同時に「川越」と改称、それまであった西武新宿線の「”元祖”川越」駅は、その駅名を取り上げられ、現在の駅名「本川越」に改称させられています。したがって、「市」駅のほうではありませんが、川越の場合も、松山や行田と同様、「お上の権勢」によって「それまでの私鉄の駅名を国鉄が強奪した」と言えるのでしょう([41513] hmt さん)。

西武大宮線の廃線跡歩き(平成14年)
旧川越久保町駅の廃屋(昭和42年。その後ほどなくして取り壊されたようです)
昭和31年の川越駅・川越線etc

埼京線の開通と同時に、ようやく全線電化された川越線は、このときに事実上川越駅を境に運転系統が東西に分断され、東側の大宮~川越間は埼京線、さらには現在では「りんかい線」とも直通運行され、西武新宿線、東武東上線に続く、「大江戸」と「小江戸」を結ぶ「第三のルート」が出来上がりました。この埼京線の直通運転も加わって、川越駅の利便性はさらに高まり、現在では川越駅が、乗り換え客数を考慮に入れても、利用者数で他の2駅を圧倒し、名実ともに川越市の中心駅(代表駅)の地位を確立したと言えそうです。これに対し、西側の川越~高麗川間は、八高線の南側との直通運転に変わり、現在に至っています。士官学校の最寄り駅であり、皇族方のために貴賓室が設けられていた武蔵高萩駅の駅舎も、改築により惜しくも取り壊されてしまいました([70706] スナフキん さん)。川越・川越市・本川越の3駅は、徒歩でもそれぞれせいぜい十数分という距離にあり、以前から駅の統合の話が浮かんでは消える、というようですが、おそらく商店街の反対なども根強く、実現の可能性は低そうです。
川越には、私もこれまで何回か訪れていますが([81983])、川越の象徴とも言える「土蔵の町並み」を初め、中心市街や川越城跡・喜多院などにもいずれもその「元祖・川越駅」である西武本川越駅のほうがずっと近く、現在の「川越」駅はかつて「場末」であったことが読み取れるようです。ところで、現・川越駅がかつて名乗っていた「川越西町」という駅名。この駅は「川越市」「本川越」の両駅のいずれから見ても経度ではわずかに東にあり(地図)、「品川駅の南にある北品川駅」に似た状況になっていました。現在、川越駅の近くに「西町」という町名はなく、その後の住居表示などによる町名の整理統合により消滅したと思われます。その「川越西町」の駅名の消滅と同時に、国鉄川越線に「西川越」という駅が開業して、現在も同じ駅名で営業しています。
なお蛇足ですが、伊勢電鉄(現在の近鉄名古屋線の前身→記事集)にも、かつて「川越」という駅がありました。当時の三重郡川越村(現・川越町)内で、昭和4年の四日市~桑名間の延長開通と同時に開業しましたが、戦時中に隣の「富洲原」駅との統合により廃駅、現在はその「富洲原」駅が移転・改築して「川越富洲原」駅になっています。駅の開業時には既に西武線に「川越」駅がありましたが、私鉄同士でお互いに遠方であり、混乱の恐れも少ないため問題にされなかったのでしょう。

守口市の場合も複雑です。京阪「守口市」駅は、明治43年(1910)の路線開業と同時に「守口」駅として開業し、市制(昭和21年)から25年後に現在の「守口市」駅に改称し、現在に至っています。一方、大阪市営地下鉄谷町線の「守口」駅は、路線の延伸によって昭和52年(1977)に開業した駅ですが、実はかつて大阪市電に「守口」という駅(停留所)がありました。昭和6年(1931)に都島方面から延長開業して市外に「越境」し、当初は「守口町」と名乗り、戦時中に「町」を取って「守口」と改称していますが、京阪の「守口市」駅もまだ「守口」駅で、場所はすぐ近くですが、それぞれ別の場所に同名の「守口」駅があった形になっていて、これは今でも関西ではよくあるケースになっていたのでした。「守口」駅があった市電の路線は、昭和44年3月末限りで廃線となったのですが、これは市電で最後まで残っていた路線の一つでした。その2年後に京阪の「守口」駅が「守口市」と改称し、「守口」という駅名が消えていたのですが、さらにその6年後になって今度は地下鉄の駅として駅名が復活したのでした。現在、駅の利用者数は、「守口市」駅が「守口」駅の3倍近くに達しており、それぞれの路線の現状、経緯やその性格から見ても、「守口市」駅が市の玄関としてふさわしい(代表駅、中心駅)ことには異論はないと思われます。

鈴鹿市の場合も、「鈴鹿」の駅名は、「初代」は現在の関西本線「河曲」駅が名乗っており、現在の「伊勢鉄道」の鈴鹿駅は、駅名も社名もともに「二代目」ですが、どちらも利用客数は少なく「市の玄関」としての役目を果たしておらず、市役所もある神戸地区にある近鉄「鈴鹿市」駅が一応「市の代表駅」と言うことになっているようですが、関西線のルートから外れ、「初代・伊勢鉄道」→伊勢電鉄でも支線の駅に甘んじることになった([86355])こともあり、現在では鈴鹿サーキットの最寄り駅として特急も多数停車する、近鉄名古屋線の本線上にある「白子」駅が市内で利用者の多い駅となっています。
足利市は、JR「足利」駅のほうが、足利学校や鑁阿寺などがある市街の中心に近いのですが、渡良瀬川の対岸にある東武伊勢崎線の「足利市」駅が、東武の特急で浅草から一本で行けるので、利用者数では互角になっています。ただ、「市の代表駅」としては、やはり市街に近い「足利」駅のほうが適切でしょうか。松山市については、[82963] のペーロケ さんの認識がまさにその通りでしょう。和歌山駅・和歌山市駅と駅名・路線の変遷に関しては、[75010]で書き込み、その記事で過去の記事にもレスしているので、ここでは割愛することとします。

…ということで、「○○」駅と「○○市」駅の両方がある14市において、「どちらが市の代表駅(中心駅)」としてふさわしいか、と言うことを私なりに判断すると、次のようになると思われます。

「○○」駅和歌山、足利、佐野、川越、刈谷、高槻、茨木、倉敷
「○○市」駅守口、松山
どちらでもない堺(堺東駅)、鈴鹿(白子駅)、摂津(千里丘駅)
行田市については、文中に書いた理由により、判断が難しかったのでとりあえず保留としました。

こうして見ると、「○○」駅のほうが中心駅として優位に立っている駅のほうが多いというのは、やはり「○○市」駅のほうが後発である(国鉄の駅と区別するために「○○町」と名づけた駅が、市制施行により「○○市」駅に改称するなど)ことが多く、国鉄の駅のほうが(開業当時は市街の外れであっても)幹線にあることなどで既に「市の玄関」としての地位を確保していた市が多かったことからでしょうか。

かつて「○○」駅と「○○市」駅が共にあった市には、「美濃市」もありました([27173] 実那川蒼 さん])。
1999年に廃止された、名鉄美濃町線の終点は「美濃駅」でした。それに隣接する長良川鉄道(旧・国鉄越美南線)の駅は「美濃市駅」ですが、美濃市の市制施行前はそれぞれ「新美濃町駅」と「美濃町駅」でした。なぜか、名鉄美濃町線の線名は美濃市が市制施行し、一部廃止になって美濃市に行かなくなってもそのまま残されています。
その美濃町線も、当時まだ残っていた区間も含めて全て廃線となった今は、「美濃市」駅が名実共に市の代表駅となったということでしょうか。

♯以上、ここまで長々と書きましたが、とりあえず今回のシリーズはこれで締めくくりとします。
何かありましたら、文章の訂正・追加、あるいは新たに記事を書き込むことにします。
[87266] 2015年 2月 8日(日)22:05:43【1】ぺとぺと さん
白子
[87263]伊豆之国さん
市役所もある神戸地区にある近鉄「鈴鹿市」駅が一応「市の代表駅」と言うことになっているようですが、関西線のルートから外れ、「初代・伊勢鉄道」→伊勢電鉄でも支線の駅に甘んじることになった([86355])こともあり、現在では鈴鹿サーキットの最寄り駅として特急も多数停車する、近鉄名古屋線の本線上にある「白子」駅が市内で利用者の多い駅となっています。


どちらでもない 堺(堺東駅)、鈴鹿(白子駅)、摂津(千里丘駅)


あくまでも一つの見方に過ぎませんが、相続税路線価を見ると白子駅前周辺の最高路線価が105,000円(白子ストーリアホテル前)なのに対し、鈴鹿市駅前周辺の最高路線価は52,000円(駅前ロータリー)と半分にも満たない状況です。

鈴鹿市の「中心市街地活性化基本計画(平成14年3月)」(PDF)においても、鈴鹿市の玄関駅=白子駅、活性化すべき中心市街地=白子地区としています。(基本計画の策定年度が少し古いですが、現在も鈴鹿市ホームページの各種計画の中に掲載されているので、継続しているものと思われます。)


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