お断り:経緯度関係の追記・一部修正で長くなったので、標準時関係は一旦削除。改めて別記事にします。
[73766] k-ace さん ポイントゼロ
[73793] オーナー グリグリ さん 交会点(第三回・十番勝負問四)
これらの記事から思い出したのが、約40年前に読んだ松本清張の「Dの複合」でした。
東経135度線や北緯35度線の上にある場所が次々に登場する作品で、「D」とは Longitude, Latitude, Degreeや、地球の半球の形を示唆しているようです。
東経135度からすぐに連想する場所と言えば、日本標準時の子午線が通る明石です。
もちろん、東経135度線上にある町は 明石だけではありません。
「Dの複合」の冒頭は、浦島伝説が残るといういう日本海側の京都府竹野郡網野町(現・京丹後市)でした。
日本海から明石までの間には西脇があります。ここは 北緯35度・東経135度の交会点で、
「日本のへそ」 を名乗っています。
調べていたら、東経135度
子午線の通る自治体の数は? というページがありました。
20世紀末には京都府3町、兵庫県5市8町(2町は淡路島)だったものが、2002年の世界測地系移行により地図上で約10秒東に移動した結果、京都府中郡峰山町・福知山市・和歌山市の3市町の西端をかすめることになり、合計19市町になったそうです。
子午線は、紀淡海峡の友ヶ島灯台付近を通過し、淡路島に代ってここが最南端の陸地になりました。
実は、「Dの複合」では、この友ヶ島付近の海上が事件現場だったのですが、それはさしあたり無関係のこと。
平成合併の結果、2006年までに12町はすべて消滅。東経135度子午線の通る自治体は12市に再編成されました。
このページの最後には、次のコメントがありました。
なお、市町村合併の情報は「都道府県市区町村」のサイトが詳しいです。
12の市に存在する
東経135度子午線標識一覧。なんと49件。
しかし、明石は 日本最初の標識を設けたことで、1世紀前から「子午線のまち」として全国に抜群の知名度を誇る存在です。
明治43年(1910)10月30日 兵庫県明石郡明石町に「大日本中央標準時子午線通過地識標」建設
その場所は、当時の日本測地系に基づく位置だったというから、神戸地裁明石支部付近でしょうか。
「当時の日本測地系」と断った理由は、その原点が1892年に陸地測量部が告示した日本経緯度原点
[70433]だったからです。
ところが、その後の再観測により原点経度が10秒4違っていたことがわかり、1918年に変更されました。古い地形図の図郭の経度に10秒4の端数がある理由がこれです。日本測地系の東経135度は、原点経度の変更に伴い 西に移動しました。これが1918年から2002年3月まで使われた日本測地系の子午線で、明石市役所を通ります。
現代の人々に「子午線のまち」を印象づけているものは、「JSTM」という文字が記された時計塔のある明石市立天文科学館です。
JSTMとは、日本標準時子午線Japan Standard Time Meridianの略ですから、誰でも東経135度はここを通っていると思います。
このことを地図により確認しようと、次の緯度経度を打ち込んでみると奇妙なことに気がつきます。
http://www.mapion.co.jp/m/34.646_135_8/
mapionを使ったのは、
[73793]グリグリさんが指摘されている“日本測地系のまま”であることを利用するためです。表示された 東経 135度地点は 神戸大付属小学校です。これは明石市役所の真北ですから、1918年に10秒4西に動いた子午線とは符合するのですが、戦後の1960年に日本標準時子午線上に建てられていると思われる天文科学館は、約 400mも東にあります。
“本当に天文科学館は子午線上に建ってるの?”という質問に対しては、天文科学館自身が
答えています。
天文科学館の子午線塔の位置は精密な天体観測によって決められた、天文経度の東経135度日本標準時子午線上に建てられています。
どうやら天文科学館という名の通り「天文」主導で作られた施設であり、天体観測による「天文経緯度」を使っているのですね。
天文経度は、観測地とグリニッジにおける天体の子午線通過時刻の差から求めますが、地球の形や地下構造のような局所的な違いの影響を受けます。
これに対して、地図で使う経度は、地表を回転楕円体に投影した値です。これまでに出てきた日本測地系と、2002年から使われている世界測地系とは、近似する回転楕円体の仕様や中心位置の違いこそありますが、いずれもモデル化した「測地経緯度」(地理学的経緯度)の仲間です。
天文学と地理学では異なる子午線があり、地理学的な経度も、1892年・1918年・2002年と変ってきた。このことを知らないと「さまよえる子午線」に翻弄されます。
なお、明石での最初の天文測量は1928年に行なわれ、その結果を受けて、1910年の「大日本中央標準時子午線通過地識標」石柱が、大蔵交番(子午線交番)前に移されたそうです。
天文科学館の位置は、空襲被害復旧のための再観測(1951)に基づく子午線上に定められました。
[5218] Issie さん
今年【2002年】の4月にその東経135度線自体が“日本の地図の上”では「移動」しました。
そんなわけで,これまでの東経135度線上に明石市などが立てている標準時関係のモニュメントは,いっぺんに意味を失ってしまったのですね。
という記事がありましたが、「天文経度の東経135度」だから、地理学的な経度が動いても影響を受けないのでした。
明石の経度が長くなりましたが、「Dの複合」に戻ります。
事件現場は 友ヶ島付近の海上であり、事件とは無関係だった 北緯35度ですが、小説には、京都の松尾大社や 三保の松原が登場します。
四条通がほぼ北緯35度線に沿う京都は、地図を見る時に便利な基準として以前から利用していました。同様に、よく知られた経度の基準線は、明石の135度を中心に、東は船橋の140度、西は長崎の130度(少し外れる)。
この記事を書くきっかけになった交会点も、経緯度の基準として役に立ちます。
第三回十番勝負問四の共通項にグリグリさんが添付した
参照HP には、多数の交会点が紹介されています。
その中から絞り込んで、私が特に注目しておきたい地点を挙げておきます。
東経140度・北緯40度 秋田県南秋田郡大潟村 八郎潟干拓地の真ん中。
[37037]
東経135度・北緯35度 兵庫県西脇市 「日本のへそ」
[5220][43111]
東経130度・北緯30度 トカラ列島
[56250] 口之島(鹿児島県鹿児島郡十島村)の少し東(海)。
おまけにもう一つ
東経145度・北緯45度 網走・知床沖のオホーツク海。
覚えやすい数字ですから、世界地図を見ながら、その位置・大きさを日本と比較する時の基準に役立つでしょう。