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[94706] 2017年 12月 14日(木)20:14:48敷守ほむら さん
Stanford Geospatial Centerが公開している帝国陸軍測量5万分の1地形図(明治~昭和ごろ)
こんばんは。

過去ログを探して出てきていないみたいなのですが、以前にSNSで話題になっていた、Stanford Geospatial Center(スタンフォード地理空間情報センター:スタンフォード大学内の組織)が公開している、帝国陸軍によって明治から昭和にかけて測量された、5万分の1地形図が見れるサイトがあります。

ここ

自分の地元とかの昔の地図を眺めてニヤニヤできます(・∀・)ニヤニヤ。

そこで見つけた、今は無くなっている気になる地名があったのですが、次の記事で書きます。
[94708] 2017年 12月 15日(金)21:47:58Takashi さん
1934年7月30日発行50000分の1地形図「東京西南部」
[94706] 敷守ほむらさん
過去ログを探して出てきていないみたいなのですが、以前にSNSで話題になっていた、Stanford Geospatial Center(スタンフォード地理空間情報センター:スタンフォード大学内の組織)が公開している、帝国陸軍によって明治から昭和にかけて測量された、5万分の1地形図が見れるサイトがあります。

興味半分で自宅の周辺を含む50000分の1地形図「東京西南部」を見てみました。

東京西南部とは言っても半分以上を神奈川県の現川崎市のほぼ全域や現横浜市の北東部が占めており、かなり苦し紛れの命名と言えなくもない感じなのですが、(それはさておき)この地形図を見て「あれ?」ということに気づきました。

印刷日は1934年7月25日で、発行日は1934年7月30日なのですが、現在の東京都品川区、目黒区、大田区、世田谷区、渋谷区にあたる地域がまだ町あるいは村のままの状態で残っております。(ちなみにこの地域の町村が東京市に編入されたのは1932年10月1日)

測量は1909年で、第2回修正測量を1929年、さらに要部修正測量を1932年に行っているとあるのですが、上記の部分はそのまま残っているんですね。

この地図が発行されている頃には当然この地域は東京市の一部になっているわけですから実態を反映していないことになるですけど、当時の地形図というか測量を実施した帝国陸軍としてはそのあたりが実態を反映していなくても問題なかったものなのでしょうか?
(ちなみに川崎市の市制(1924年)や横浜市の区制施行(1927年)は反映されています)

ご存じの方がいらっしゃるかどうかはわかりませんが教えていただけると幸いです。
[94719] 2017年 12月 17日(日)18:09:00【1】hmt さん
Re:1934年7月30日発行50000分の1地形図「東京西南部」
[94708] Takashi さん
印刷日は1934年7月25日で、発行日は1934年7月30日なのですが、現在の東京都品川区、目黒区、大田区、世田谷区、渋谷区にあたる地域がまだ町あるいは村のままの状態で残っております。(ちなみにこの地域の町村が東京市に編入されたのは1932年10月1日)
(中略)この地図が発行されている頃には当然この地域は東京市の一部になっているわけですから実態を反映していないことになるですけど、当時の地形図というか測量を実施した帝国陸軍としてはそのあたりが実態を反映していなくても問題なかったものなのでしょうか?

先ず 5万地形図東京西南部の図歴を確認しました。 

1934年7月30日発行の図はリスト番号76-7-26という末尾になっており、リストへの追加は近年と推察します。
発行年月日の近い図を拾い出して、発行日順に並べると次の通りです。
リスト番号測量年更新履歴発行年月日備考
76-7-51929修正1931/6/30
76-7-261932要修1934/7/30Stanfordによる公開図
76-7-71932要修1946/9/30
76-7-81932要修1947/10/30
76-7-91948資修1948/10/30
76-7-101951資修1951/5/30
76-7-111952資修1952/6/30hmtの手元にあった図

Stanfordによる公開図は「戦前最後に発行された東京の地形図」という位置付けができますが、東京市35区体制発足(1932/10/1)から2年近くも後の発行であるにもかかわらず、行政区画変更が反映されていません。
しかも戦後の1946年まで次回の新版が発行されていません。

念のため、2.5万地形図【東京南部、東京国際空港、東京西南部、川崎】の図歴を見ると、戦前最後の発行は1932/10/30で、これも東京35区が反映されているとは思われません(未確認)。

1932年というと 日米戦争になるのは まだ9年も先のことです。東京市が35区になったことは、日本人にとっては知らぬ人はない公然たる情報なのですが、仮想敵国を抱える「その筋」としては、軍事情報の観点から地形図の更新や公開にまで気を使っていたようです。

もちろん世の中には「大東京35区」の地図が出回っているのですから、地形図だけに このような情報統制をしても実効は全くないと思うのですが、「防諜」という錦の御旗を掲げた「その筋」の圧力を感じることにより「地形図の更新や公開さえも ままならない」という状況が既に発生しかけていたのではないかと推測されます。
今年のニュースで忖度という言葉が話題になりました。
権力者の何気ない行動が あらぬ結果を招いてしまう。そのような気風は、戦前からのものでしょう。

それはさておき、地形図の更新履歴 用語説明を抜粋しておきます。
修正:修正測量の略。時代の変化に対応して、空中写真や現地調査を元に変化した部分を地図の全範囲について修正すること。
要修:要部修正の略。鉄道、道路、埋め立て地など、大きな変化ではあるが面積的には狭い範囲を修正すること。
資修:資料修正の略。市町村の合併や鉄道の新設など、比較的大きな変化のあった場合、その項目だけを官報や関係機関からの資料だけで修正すること。現地調査は行ってない場合が多く、特定の項目しか修正していない。

偶々hmtの手元に リスト番号76-7-11の図【地理調査所発行】があったので、図外左側に記載されていた更新履歴も確認しておきました。
明治42年測図 昭和4年第2回修正測図 同7年要部修正測図 同27年資料修正(行政区画 鉄道 主要道路)

民間の地図でなく、「国の作った地形図」において 東京35区が出現したのは何時からか?

日本図誌大系関東I(朝倉書店)p.48に掲載された地形図に「世田谷区」の表示を見つけました。
戦後になった1945年から早速に修正作業が行なわれ、1947年に発行された 2.5万地形図に至り、ようやく東京35区、…いや既に【22区を経て】23区か…の名が地形図に掲載されたのではないか?
私はこのように考えています。
[94720] 2017年 12月 17日(日)19:47:22【2】Takashi さん
Re: Re: 1934年7月30日発行50000分の1地形図「東京西南部」
[94708] Takashi
印刷日は1934年7月25日で、発行日は1934年7月30日なのですが、現在の東京都品川区、目黒区、大田区、世田谷区、渋谷区にあたる地域がまだ町あるいは村のままの状態で残っております。(ちなみにこの地域の町村が東京市に編入されたのは1932年10月1日)
(中略)
この地図が発行されている頃には当然この地域は東京市の一部になっているわけですから実態を反映していないことになるですけど、当時の地形図というか測量を実施した帝国陸軍としてはそのあたりが実態を反映していなくても問題なかったものなのでしょうか?

[94719] hmtさん
Stanfordによる公開図は「戦前最後に発行された東京の地形図」という位置付けができますが、東京市35区体制発足(1932/10/1)から2年近くも後の発行であるにもかかわらず、行政区画変更が反映されていません。
しかも戦後の1946年まで次回の新版が発行されていません。

念のため、2.5万地形図【東京南部、東京国際空港、東京西南部、川崎】の図歴を見ると、戦前最後の発行は1932/10/30で、これも東京35区が反映されているとは思われません(未確認)。

1932年というと 日米戦争になるのは まだ9年も先のことです。東京市が35区になったことは、日本人にとっては知らぬ人はない公然たる情報なのですが、仮想敵国を抱える「その筋」としては、軍事情報の観点から地形図の更新や公開にまで気を使っていたようです。

もちろん世の中には「大東京35区」の地図が出回っているのですから、地形図だけに このような情報統制をしても実効は全くないと思うのですが、「防諜」という錦の御旗を掲げた「その筋」の圧力を感じることにより「地形図の更新や公開さえも ままならない」という状況が既に発生しかけていたのではないかと推測されます。

なるほど、その可能性は十分に考えられますね。

仮想敵国を抱える「その筋」が地形図の更新や公開にある程度気を使うのはやむを得ないとしても、軍事機密の関連から軍事関連の施設に気を使うのならまだしも、行政区画の変更というそれほど情報統制の必要性を感じないところまで気を使うのはやはり疑問に感じてしまいます。実際問題としては市中に出回っている「大東京35区」の地図を見る人の方が多いのであまり問題になっていなかったのかもしれませんが。

民間の地図でなく、「国の作った地形図」において 東京35区が出現したのは何時からか?

日本図誌大系関東I(朝倉書店)p.48に掲載された地形図に「世田谷区」の表示を見つけました。
戦後になった1945年から早速に修正作業が行なわれ、1947年に発行された 2.5万地形図に至り、ようやく東京35区、…いや既に【22区を経て】23区か…の名が地形図に掲載されたのではないか?
私はこのように考えています。

5万地形図東京西南部の図歴から各時点での地形図を見ることができるので確認したのですが、76-7-8(1947年に発行)の段階まではまだ東京35区は出現していません。76-7-9(1948年に発行)の段階になると既に「大田区」の表示が出ておりますので、この5万地形図ではこの時点で(東京35区の時代を通り越して)東京23区が表示されるようになったのではないかと思います。

それにしても反映されるまでに結構時間がかかったものなのですね。

追記:2.5万地形図東京西南部の図歴から各時点での地形図を確認したところ76-7-1-5(1947年に発行)で「大田区」の表示を確認できました。
いずれにしても東京○区への反映は資料修正で行ったようですね。

追記2:2.5万地形図東京西南部の図歴から各時点での地形図を確認したところ76-7-1-3(1932年に発行)では新しく編入された地域の区並びに町の境界が赤で追記されていました。これはどの段階で追記されていたものかはわからないのですが、発行された地図にはこの境界の記載は反映させていた……のですかね?
[94723] 2017年 12月 18日(月)15:26:21hmt さん
新20区や町名などが赤で加刷された東京の地形図
[94720] Takashiさん
追記2:2.5万地形図東京西南部の図歴から各時点での地形図を確認したところ76-7-1-3(1932年に発行)では新しく編入された地域の区並びに町の境界が赤で追記されていました。これはどの段階で追記されていたものかはわからないのですが、発行された地図にはこの境界の記載は反映させていた……のですかね?

前回投稿後に思い出した昔の記事[38515]
「日本図誌大系」に収録されている2万5千分1「東京西部」(昭7要修)を見ると、郡部時代の地名に「大東京」になって付けられた町名が加筆されており、ゴチャゴチャしていますが、新旧の地名を一覧できます。

[94719]の末尾で引用した本のp.40に掲載されていた渋谷の2.5万地形図ですが、これがリスト番号:76-7-1-3の地図でした。本の引用図はモノクロであったので「ゴチャゴチャ」していましたが、新しい情報【区名・町名、道路など】が赤色で加筆されている状態が、画面によってよく分かります。

北に隣接する東京西部(76-6-2-3)も見ました。

上部左寄りに「板橋区」という赤文字が見えます。この付近は現在の練馬区ですが、35区時代には存在しなかった練馬区の表記がないのは当然です。
そのように考えて上部右隅を見ると「滝野川区」【現在は北区】もありました。これで、35区時代の区名による加刷であることが確定しました。

赤の加刷が行なわれ、欄外右肩に「仮製」の文字がある これらのカラー?地形図は市販されたのか?
市中に出回ったのならば、その時期・価格は? 
残念ながら拡大するとぼやけてしまうのですが、疑問解決の材料は示されていないようです。

2.5万地形図「東京西部」の戦後版は、測量年1945【昭20】と記されていますが 発行は1952/1/30と占領時代末期にずれ込んでいました 76-6-2-5
この地図では発見できなかったのですが、23番目の特別区として 1947/8/1に独立した練馬区[93763]が 地形図に現れた姿を探してみました。

赤羽図幅(76-6-1-5)の左端付近【成増飛行場跡[57136](光が丘)の東】にも描かれているようですが その画面は不鮮明でした。赤羽の西に隣接する地形図 志木76-6-3-4をリンクしておきます。

特色ある街路で目立つ大泉学園の南東に「練馬区」の文字を見ることができます。
この地形図で注目すべきは、測量年が練馬区誕生よりもずっと前の 1945(昭20)となっていることです。
そして、地形図発行年月日さえも 1947/7/30と練馬区誕生の前日でした。
戦争を挟んで十数年も更新がされなかった歴史と対比すると、驚くべきスピードで実現した地形図地名の更新履歴でした。
[94724] 2017年 12月 18日(月)20:57:39ekinenpyou さん
Re:Re:1934年7月30日発行50000分の1地形図「東京西南部」
[94719]hmtさん
[94720]Takashiさん
本件、補足コメントします。

民間の地図でなく、「国の作った地形図」において 東京35区が出現したのは何時からか?
地理院サイトでは見れませんが陸地測量部作成の1:10,000地図を外邦図デジタルアーカイブで閲覧できます。

→インデクス・マップ検索(左から2番目)→エリア(日本)&縮尺系統(1:10,000)で表示ボタンを押せば
リストが出てきます。(S7.10東京市編入区域はおおむね見れるはず)

例えば世田谷の地図(S12修正測量)はこちらです(拡大可能でかなり鮮明に見れます)
※S11.10の砧・千歳両村の世田谷区編入も反映済みの模様(二子の地図などを参照のこと)

軍事機密の関連から軍事関連の施設に気を使うのならまだしも、行政区画の変更というそれほど情報統制の必要性を感じないところまで気を使うのはやはり疑問に感じてしまいます。
これは当方も同感です、S12修正測量地図右上には「一般の需要に供する為め」と記載があり、
なおかつ二子の地図(左下)にはS14.5.30発行(定価金13銭)とあります。

例えば世田谷の地図右下(目黒区と書かれた)の広大な敷地に何が存在していたかを
具体的に示さないようにしている※のはS9.4.30発行の1:25,000地形図も同じため、
昭和一桁の後半から意図的な情報統制が行われたと考えられなくもないですが・・・

※詳しくは今昔マップなどでご確認ください、
S6.6.30発行の1:25,000地形図・東京西南部にはちゃんと書かれています。
[94730] 2017年 12月 19日(火)12:53:41hmt さん
陸地測量部1万分の1地形図 
[94724] ekinenpyouさん
『外邦図』に収録されている参謀本部>陸地測量部の地形図を紹介していただき、ありがとうございます。
正直なところ、戦前の国内地形図が『外邦図』というタイトルの下に収録されていることには驚きました。
たいへん有用な資料を教えていただき、感謝しております。

「世田谷」の地図には 「一般の需要に供する為め」 の記載があるものの、「秘」と記されており、発行日や価格の記載もないので、「当局」の内部資料段階であると判断しました。
しかし、その南西 「二子」の地図になると、「秘」の表記もなくなり、発行日・発行者・定価が記された市販地形図の体裁が整えられています。 
# 図外左上に記された「仮製版」という言葉は、更新履歴用語には収録されていませんが、括弧内の説明文に「一般の需要…」とあることはご指摘の通りです。

1936/10/1に 東京府北多摩郡千歳村と砧村とが 東京市世田谷区に編入されました。
この地について、翌年修正測量がなされた後、昭和14年(1939)には「国の作った市販地形図」の形で一般用に公開されたということですね。
それは[94719]の末尾に記した戦後の1947年よりも ずっと前(戦前)のことでした。
そのことを教えられました。

例えば世田谷の地図右下(目黒区と書かれた)の広大な敷地に何が存在していたか

駒沢練兵場跡地(目黒区側)には 戦後も地形図の元締・国土地理院がありました。[67221]
この名になったのは 1960年であり、1979年筑波研究学園都市に移転しました。
この付近の青葉台にある日本地図センターの売店は、参謀本部以来の「地図作りの聖地」を伝えているのでしょう。

参考までに、駒沢練兵場跡地の左側【世田谷区側】には、防衛省技術研究本部などが現存しています。
[94731] 2017年 12月 19日(火)20:54:00ekinenpyou さん
Re:陸地測量部1万分の1地形図
[94730]hmtさん
戦前の国内地形図が『外邦図』というタイトルの下に収録されている


[94724]拙稿で「地理院サイトでは見れません」と書きましたが、これは説明が不適切で
旧1万分1地形図を選ぶと画像はやや不鮮明ですが外邦図デジタルアーカイブと同じものなどが一応閲覧可能です。

昭和一桁後半から戦時中における陸地測量部作成の地図発行・発売状況などについては
より具体的に実態が解説された資料(PDF)がありますので、そちらの紹介などもかねて後日再度コメントします、
今しばらくお待ちください。


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