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[99889] 2020年 6月 8日(月)08:26:16ekinenpyou さん
Re:高知県長岡郡西本山村から本山村への改称など
[99887]MI さん
明治23年が幅を利かせてしまったようですが、改称日は 1891(M24).5.9 が正しいと判明しております。

その通りです、以前配布されていたファイル(ctv_total_pref.xlsx)に
18910509 +1村 -1村

とありましたのでご存知なのだと思いました、的確なフォローありがとうございます。

逓信公報(M24.8.27)82コマ(右上告知欄)・官報(M25.7.15)の記述からも
M23年実施は疑わしいことが確認できます。

思いのほか速やかな正解が示されましたので、1件追記しておきます。

射水市サイト内の射水市の名誉市民・牛塚虎太郎の詳細な功績を記したワードファイルに

岩手県知事時代には、県名を「巌手」から「岩手」に改め


という記載※がありますが、
このような変更手続は法的には行われていないという見解を多くの方がお持ちだと思います。
(高畑町→高畠町のように読みは同じで字が違うだけの変更ですが、何しろ県名という重要な名前なので
正式に変更となれば官報なり何らかで周知されるはず)

牛塚虎太郎 - Wikipediaにも同趣旨記載あり

過去ログでは

[35708]Issie さん
「巖」と「岩」とは“交換可能”な文字のペアーであったようで,特に明治期には県・郡ともに「巖手」という表記がよく見られます。

[50713]hmt さん
これらの名前は特別な変更手続なしに、「いつの間にか」現在の表記が定着するようになったようで、「巖手県」ではなく「岩手県」の形で現行法に引き継がれたと思います。


とありますが、この件が何故知事個人の功績として記されているかの詳細についてまでは
答えをうまく検索できなかったので、関連内容を後日投稿予定です。
(本件は既に詳細をご存知の方もいらっしゃると思うので、先行して示していただいても構いません)
[99890] 2020年 6月 8日(月)10:31:30【2】hmt さん
慣用されていた 巌手県 から 正式の 岩手県 に統一する手続
[99889] ekinenpyou さん
このような変更手続は法的には行われていないという見解を多くの方がお持ちだと思います。

レファレンス協同データベース に、大正12年発行の岩手県報彙報欄掲載の、「今後は「岩」の字に統一する」旨の記事が紹介されていました。

--------------
『岩手県報 第847号』(大正12年9月22日発行)
⇒p.3「縣名ノ文字ニ關スル件」
“従来本縣名ニハ巌又ハ岩ノ二様ノ文字使用セラレ今日ニ於テハ官記辭令等一般ニ巌ノ文字ヲ使用スルニ至レリ【中略】
今回内閣書記官長ノ諒解ヲ得テ爾今官記法令其ノ他公文書等ニハ總テ明治五年一月改稱ノ際太政官ヨリ通達有リタル通岩ノ文字ヲ使用スルコトトセリ。”
--------------

【2】追記
太政官布告(明治5年正月8日)
仙台県を宮城県 盛岡県を岩手県 と改称候事
[99894] 2020年 6月 9日(火)07:58:24MI さん
Re: 慣用されていた 巌手県 から 正式の 岩手県 に統一する手続
[99889] ekinenpyou さん
[99890] hmt さん

 岩手県では県報に掲載するだけではなく、各府県知事宛に次のような通報を1924(大13).2.1付で送っていました。
 大正十三年二月一日 岩手縣知事
○○縣知事殿
  縣名ノ文字ニ關スル件照會
本縣名ノ文字ハ明治五年一月改稱ノ際太政官ヨリ岩手縣ト達相成其ノ後改訂サレタルコトナキニ拘ラス今日ニ於テハ「巖」「岩」二樣ノ文字使用セラレ官記辭令其ノ他公文書ノ多クハ巖手縣ト記サルルニ至リ候之一見些末ノ事ニ屬スルカ如キモ此ノ如キハ事務簡捷ノ本旨ニ反シ各方面ニ影響ヲ及ホスコト尠カラサルノミナラス一般人ヲシテ其ノ孰カ眞ナルヤ疑惑ヲ抱カシムル所以ナルヲ以テ昨年九月内閣書記官長ノ諒解ヲ得テ官記法令其ノ他一切ノ公文書ニ改稱當初ノ太政官達通「岩」ノ文字ヲ使用スルコトト致候條御含ミ置相成度

 明治以降の県報がネット公開されている三重県の場合、1924(大13).2.8三重県告示第六十五号(2コマ目)で、
岩手縣ヨリ縣名の文字使用ニ關シ左記ノ通通報アリタリ
と三重県知事名で述べた後、上記の文面を掲載しております。

 hmt さんご紹介の岩手県報彙報欄の文面と内容的にはまず同じです。太政官布告当初の表記に統一した(戻した)のだから、「正式に変更」したわけではないということだと思われます。

#別件ですが、
[99893] サヌカイト さん
 ホントだ。確かに似ているようですが、だからといって全然問題があるわけではないですよね。お気になさらず、宜しくお願いします。
[99907] 2020年 6月 12日(金)19:19:12ekinenpyou さん
Re:慣用されていた 巌手県 から 正式の 岩手県 に統一する手続など
[99890]hmt さん、[99894]MI さん
正解です、お二人に示していただいた文面ですが
恐らくT12.9.10付で国側へ照会し了解を得た文書が元になっていると思われます。
県名ノ文字ニ関シ岩手県知事ヨリ照会ノ件(2コマ)

その後官報での表記はT10.8.27(左下)→T15.6.11(左中ほど)のように変化した箇所も多いですが、
(国側で告示などは無く)周知が徹底されていたとは言い難い状況だった?のか

[35710]Issie さん
衆議院議員の選挙区(いわゆる中選挙区制)についての「別表第1」で,岩手県の第1区にしっかりと「巖手郡」という表記が行われています(「小六法・昭和58年版」による)。


官報(号外)S25.4.15(左上)のような表記も残ったようですね。(上記例は郡名ですが・・・)

(いとも容易に謎が解かれてしまったので)次投稿までのつなぎとしてもう1問用意しておきます。

【その1】法規分類大全
【その2】諸県県印彫刻・九条(9コマ)

上の資料二点にM9.10.9岩手県届けによる印鑑の印影が示されていますが、明らかに違いがあるのは
どなたでもおわかりいただけるかと思います、どちらが(岩手県より)届け出た印影画像に近いものでしょうか?
(できれば証拠を示していただければ最善ですが、次回投稿で示すので・・・ひとまず投稿終了とします)
[99911] 2020年 6月 13日(土)13:35:09hmt さん
岩手県への表記統一
[99907] ekinenpyou さん

公文雑纂を示していただいた 県名の文字に関する件照会
日付は大正12年9月10日。100年近く前、関東大震災から間もない頃です。
この一次資料に接することで、当時の雰囲気を味わうことができました。

用紙枠には「巌手縣」と印刷されています。
「岩手縣知事 牛塚虎太郎」と記された冒頭の「岩」には、通常の邦文タイプ活字(明朝風字体)でなく、清朝風字体の活字が特別に使われています。そして、氏名の下の知事公印に記されていた文字は「岩手縣知事之印」。

[99907]では、テーマが「県名」から「県印」に変り、M9.10.9 岩手県届けによる印鑑の印影【その1】【その2】が提示されています。

【その1】は「当県印鑑欠損に付」と理由が記され、別紙の通相改 「岩手縣」
 上部欄外に明治5年正月5日 盛岡県>岩手県 を記載
【その2】も同じ理由が記されており「巌手縣」に改刻
 上部欄外の付箋は読み取れない 件名:諸県県印彫刻・九条とあるが、その内容は不詳

明治9年当時は 正式の「岩手縣」と慣用の「巌手縣」とが共に使われており、旧印鑑の欠損を機会に、慣用している「巌手縣」の印鑑も彫刻し、届出をしたのでしょうか? よくわかりません。

時代は進んで、大正12年に 名称を統一した知事。
牛塚虎太郎の名は初耳だったのですが、後の東京市長時代【1933-1937年】に、水源確保・し尿処理などの実績を残した大物官僚政治家でした。
[99889]で紹介していただいたように射水市の名誉市民になっているのですね。

余談
射水市の名誉市民には、読売新聞の 正力松太郎[35062] も 名を連ねていました。
戦後は、プロ野球や日本テレビに加え、原子力政策でも活躍した 記憶に残る人物です。
[99914] 2020年 6月 14日(日)17:43:32ekinenpyou さん
Re:岩手県への表記統一など
拙稿[99907]の続きもかねて投稿します。

[99911]hmt さん
明治9年当時は 正式の「岩手縣」と慣用の「巌手縣」とが共に使われており、旧印鑑の欠損を機会に、慣用している「巌手縣」の印鑑も彫刻し、届出をしたのでしょうか?


(欠損前の印鑑がどのような印影だったかは定かではありませんが)おおむねその通りだと思います、
以下に公文録に残されたM9.10.9届出当時の原本を示します。
岩手県県印改刻届

当時は岩手県・国側双方で「岩」が「巖」である程度なら特に気にしなかったというのが実情でしょうか。

※法規分類大全の印影「岩手縣」は同書がM24年刊行であり、
「巖」を「岩」に置き換えた可能性があると推測しております。
(複数改刻届があって、その印影を模写するなどした可能性もありますが・・・)

なお、府藩県印の印影については色々と興味深いものがあり
例えばこちらに関連した投稿も後日行うかもしれません。

牛塚虎太郎


統計局ホームページ-国勢調査100年のあゆみPDF(4コマ左中ほど)に記載があります。

※大正6年提出の意見書は下記より閲覧可能です。(先述PDFには書かれていませんが、実際はかなりのページ数)
国勢調査実施ニ関スル意見書牛塚統計局長ヨリ提出ノ件

要望実現のための文書作成などに長けた方だったようで、
同氏が「巖手縣」をお気に入りだった場合「岩」が「巖」になっていたかもしれませんね・・・
[99916] 2020年 6月 14日(日)19:25:18hmt さん
岩手県への表記統一(2)
[99914] ekinenpyou さん

複雑な謎解きの解説をいただき、ありがとうございます。

実は、[99914]を拝見する前に、[99907]で示された【その1】は改印届であることが明記されているが、
【その2】は単純な欠損改刻であることに気付き、[99911]の修正 or 別記事化【出直し】を検討していました。

公文録に残されたM9.10.9届出当時の原本を示します。

明治9年の改印届は「巌手縣」であったこと。そして

※法規分類大全の印影「岩手縣」は同書がM24年刊行であり、
「巖」を「岩」に置き換えた可能性があると推測しております。
という 落し穴 には全く気付いていませんでした。

…というわけで、[99907]の謎解きについては 完敗でした。


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