[66916] Issie さん
方角地名逆転・混線の発端
[66878]「ふじみ野西口」の住民です。
東西南北諸県郡
[66884]のうち「南」だけ宮崎県でないことには気がついたものの、コメントを躊躇している間に詳細な解説をいただき、ありがとうございます。
日向国諸県郡志布志周辺が大隅国になった時期。これが「南諸県郡」の消滅と同時の明治30年(1897/4/1)であることも確認したのですが、この件も既に
[66922]むっくんさんのレスがありました。
実は、この南諸県郡がらみの変更は、3年前
[47002]てへへさんの問いかけの2番に関係していました。
“不明点は以下の3点です。
1、旧美作国吉野郡石井村・江川村が兵庫県佐用郡に移管された県界変更と同時に、本当に播磨美作の国界が変わったのか?(法令的には痕跡がない?検索単語があまいせいか?)
2、明治29年の鹿児島県での変更はどこか?(旧日向国諸県郡のうち鹿児島県に移管された南諸県郡と関係があるか?それとも旧大隅国菱刈郡が薩摩国伊佐郡に併合したことと関係があるか)
3、明治35年の京都府での変更はどこか?(見当もつきません)”
そして、
[46981]にからめて書いた次の記載は、
[47002]てへへさんの不明3点に対する回答になっていました。
[59173]hmt
“(1)明治29年法律第56号 第1条 岡山県及兵庫県の境界を変更すること左の如し
岡山県美作国吉野郡石井村を兵庫県播磨国佐用郡に編入し岡山県美作国吉野郡讃甘村大字中山を兵庫県播磨国佐用郡江川村に編入す
(2)「鹿児島県下国界並郡界変更及郡廃置法律」 明治29年法律第55号
日向国南諸県郡が大隅国噌唹郡へ、大隅国北大隅郡(桜島)と菱刈郡とが薩摩国鹿児島郡と伊佐郡へと、いずれも郡の廃置分合と共に国界も変更されています。
【薩摩国川辺郡だったトカラ列島が大島郡への所属変えで大隅国になった変更もあるので補足しておきます。】
(3)明治35年法律第14号 京都府丹後国与謝郡雲原村を同府丹波国天田郡に編入す”
「国界変更」を最初に持ち出したのは
[36159]で、埼玉県下総国中葛飾郡が北葛飾郡に統合され武蔵国になった事例。
鹿児島県の場合に戻ると、郡の再編(1897/4/1)>郡制(1898/4/1)>府県制(1898/9/1)と少しずつ時期をずらせて旧制度を実施した後で、明治32年(1899/7/1)の(新)郡制と(新)府県制施行を迎えたことが、
[62662]88さんのリストからわかります。
ついでに誤記?の指摘
なお,「南諸県郡」は当初, 垂水郷 の大隅郡役所の管轄とされ,1880(明治13)年の鹿児島県による大隅地域の郡再編後は東噌唹郡とともに 岩川郷(現曾於市)の郡役所の管轄となりました。
南諸県郡になったのが明治16年だから、その後の郡役所の管轄変更が明治13年ということはないですね。
鉄道と町名に関連して
東急東横線に乗っていて「白楽駅」の1つ横浜寄りに「東白楽駅」があるというのが,何となく飲み込めません。
現在は「東白楽」という町名がありませんが、昭和4年測図・昭和18年仮修正の
横浜市復興局三千分一地形図 を見ると、東白楽という地名があります。白楽駅付近には「西白楽」も。現在の横浜市神奈川区白楽は、両者を統合したものと思われます。