[68767] hmt さん
田畑の地主により、行政区域が分かれる
以前,
[16469] でこんな総理府告示を紹介したことがあります。再掲しますね。
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昭和29年総理府告示第683号
市町の境界変更
地方自治法第7条第1項の規定により,昭和29年8月1日から,千葉県千葉郡津田沼町と千葉市の境界を次のとおり変更する旨,千葉県知事から届出があつた。
昭和29年7月31日 内閣総理大臣 吉田 茂
千葉郡津田沼町に編入する区域
千葉市大字実籾,愛宕,安生津,長作,天戸,馬加の内字屋敷台,蟹ケ沢,新田台,鳥ケ崎,起天堀,前田,前畑,外畑,内畑,吹上,台畑,米ノ内及び小谷津2430
但し,右区域を千葉市から津田沼町に編入する場合において,右区域外の住民が右区域内に所有する小作地を除き,右区域内の住民が右区域外に所有する小作地を加える。
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そこでの話をもう一度繰り返すと,
これはつまり,千葉県の 津田沼町 が千葉市(旧幕張町)の一部を編入して 習志野市 になる手続きの第一段階。
1:この告示(第683号)により,津田沼町が千葉市の一部を編入し,
2:次に 告示第684号 により,津田沼町が「習志野町」と改称し,
3:次の 告示第685号により,千葉郡習志野町を「習志野市」とする処分が行われ(ここまで1954(昭和29)年8月1日に施行),
4:最後に同年8月28日施行の 告示第712号 により,千葉市から編入した 長作・天戸 を再び千葉市に“返還”する,
…という手順で 習志野市 が発足したのでした。
その最初の告示の「但し書き」部分が,この話題に関連して少し気になる部分なのですね。
この「小作地」に関する但し書きがなくとも,特に元は1つの大字であった(さらに「近世村」までさかのぼれる)「大字馬加(まくわり/まくはり)」を“力技”で分割した 千葉市幕張町 と 習志野市花咲町および屋敷町 の間には,相互に多くの飛び地が発生していました(告示の中にある「小谷津2430」というのも,そうした飛び地の1つかもしれませんね)。1970年代末までには両市の間で“領地交換”が何度も行われて,現在では飛び地は解消しているようです(少なくとも,普通目にする地図の上では)。