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[22474]2003年12月2日
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[85789]2014年7月1日
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[85842]2014年7月19日
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[88191]2015年7月19日
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[89132]2015年11月22日
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[89540]2016年1月9日
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[91823]2016年10月23日
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[100700]2020年10月22日
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[22474] 2003年 12月 2日(火)23:51:14EMM さん
硬派銀次郎の兄にあらず
[22470] hmt さん

「銀バス」とか 車体の色を付けた呼び名は各地にあると思います。

先の書き込みで書こうと思って書かなかったものを1つ。

新潟交通のバスの公式の愛称が「銀太郎」でした。
新潟交通のホームページの中の、会社沿革の中にちらっと出てきます。
15年ほど前、初めて新潟に行ったとき、新交バスの銀地・銀屋根に青ラインのバスの鼻っ面にすべからく「銀太郎」と言うプレートが取り付けてあるのを見て、どこかの居酒屋の広告かと思ってしまいました。
バスの愛称が「銀太郎」だと知るまでには半年ほどかかったです。
ところが、愛称だとわかってからしばらくして新型のバスで赤屋根のものが登場し始め、この頃から「銀太郎」のプレートを見なくなってしまいました。
そのため、この愛称が新潟交通としては現在進行形のものなのか、すでに過去のものなのかはよくわかりません。

ただ、この愛称に今でも愛着がある人もいらっしゃるようで、「新潟交通 銀太郎」でHP検索をかけてみると幾つかのHPが引っかかってきます。
そのうち、次のHPの中には「銀太郎」のプレートの付いたバスの写真が1枚出ています。
いすゞ編の中にあります。

http://takashikasamaki.hp.infoseek.co.jp/

写真を見ていると思うのは、赤屋根になってからは銀色よりも赤屋根の方が目に付くんですよね。
「銀太郎」のプレートをはずしたのはそこら辺が理由なのかもしれません。


余談ですが、銀太郎について検索をかけているうちに、新潟県内に「銀太郎山」があるのを見つけてしまいました。
村松町の南の方にあります。
近くには「銀次郎山」もあるようです。
ただ、村松町はバス会社としては蒲原鉄道のエリアになるので、新潟交通の「銀太郎」のネーミングに「銀太郎山」と何か関連があるかどうかは謎です。
[24396] 2004年 2月 2日(月)02:16:12【3】EMM さん
5桁地番…調べたら過去形だった
[24386] Firo さん
[24367] くは さん
[24366] hmt さん

新潟市五十嵐三の町には13000番台の地番がありました。
itu-mo Guideの検索では13353番地まで表示されます。
…が、その場所の地図を表示させてみると、地図上に記載されている地番は「五十嵐3の町南5」。
平成13年8月に住居表示変更されてしまったようです。

参考:
http://www.city.niigata.niigata.jp/sihou/2000/000806/index.html

現在、五十嵐三の町で生き残っているのは9000番台までの模様。残念。

ちなみに、五十嵐一の町~三の町で通し番号になっているものだと思いこんでいましたが、調べてみるとどうもそうではなかったようです。
一の町と二の町では7000番台、二の町と三の町では9000番台がだぶっていました。
また、各町とも次のように地番がガバッと飛んでいます。

一の町:1番地→600番台→4000番台→6000~7000番台
二の町:3000番台→7000~9000番台
三の町(住居表示変更前):1000番台→9000~11000番台→13000番台

飛んでいる地番の中には、過去の住居表示変更で消えた部分もあるようですが、五十嵐一の町1番地が6000番台のど真ん中、五十嵐二の町の3000番台が8000番台のど真ん中にあるようなので、単純な話ではないようです。
元々はどうなっていたんだろう?

余談ですが、この新潟市五十嵐の4桁地番に初めて触れたとき、なんだか新鮮な感じがしました。
金沢市では、元々の大字が「カタカナ字名」で細分化されているためか、郊外でも4桁地番はほとんどお目にかかれませんので。
(4桁まで行っているところが無いわけではない。八田町東には2500番台まである)

※誤字訂正、一部内容を訂正
[34126] 2004年 10月 12日(火)23:42:30EMM さん
秋葉原と秋葉神社
[34120] hmtさん

秋葉神社は全国各地で見られますが、すべて火に関する神社…特に防火の神様としてまつられています。
本宮は静岡県にあります。公式サイト

さて、「秋葉之原」と「秋葉神社」の関係ですが、このページに書かれておりました。
鎮火神社自体が明治2年にできた比較的新しい神社なのだそうです。
ちなみに秋葉神社はその後台東区松が谷に移転して今に至っています。
調べてみたら明治21年に秋葉原駅建設のため松が谷に移転したとのこと。
秋葉原の地名の由来となった秋葉神社ですが、秋葉原の地での歴史は極めて短いものだったようです。
[34216] 2004年 10月 15日(金)02:34:52EMM さん
秋葉原と秋葉神社・補遺
[34159] hmtさん

IRIYAあさがおROAD」というホームページ内に松が谷の秋葉神社のことが書かれているのですが、鎮火神社の由来が「宮城内の紅葉山より鎮火三神を奉遷し」となっており、先日ご紹介した「秋葉原の歴史」に書かれた内容と微妙に異なっています。
おそらく「IRIYAあさがおROAD」の方が松が谷の秋葉神社に現在伝わっている由来ではないかと思われます。
(ただ、秋葉神社は無人社なので、もし境内に由来書きの看板等がなければ、祭礼や正月・節分などをねらっていかないと確認ができないかも)
歴史的には比較的新しい神社なのに最初の鎮座地と現在の鎮座地で由来の伝が異なってしまっているのは、短期間で移転させられてしまったことが原因のように思われます。

ちなみに、秋葉原と秋葉神社の縁が切れてしまっている訳ではなく、秋葉原駅に隣接するラジオセンターの2階に分社があるそうです。秋葉原駅の駅長室にもあるとか?



※秋葉原商店街自体は神田明神の氏子です。
そのため、神田明神にはIT情報安全お守りが売っています。
(EMMは先日のオフ会の日に神田明神に立ち寄りこのお守りを授かってまいりました。まだコンピューターには張っていませんが…)
[34244] 2004年 10月 16日(土)01:11:06EMM さん
ミニミニ権現
[34231] hmtさん

ラジオセンター2階に見当たりません。どこかの店内でしょうか。

改めてあちこち調べてみたところ、どうやら階段の途中にあるとのこと。
となると、どう考えても神棚サイズではないかと思われます。

私が秋葉原に初めて遊びに行ったのは15年前で、以来何度も足を運んでいる(先日のオフ会の日にも行ってます)のですが、実はラジオセンターの中には1回しか入った覚えがありません。
それも何か見に入ったのではなく、ほぼただ通り抜けただけ。
2階にはのぼったこともありません。
今度秋葉原に行ったらどんな感じで鎮座しているのか見てくることとしましょう。
[35664] 2004年 12月 10日(金)23:42:06EMM さん
荏原いろいろ
ああっ!晩飯喰ってる間に話が進んでるっ!

[35649] じゃごたろさん
[35650] N-Hさん
[35654] hmtさん
[35656] まがみさん

じゃごたろさんの記事を見て、私もすぐにエバラ食品のHPを見に行ったのですが、会社案内を開いたら沿革が書いてないためすぐに諦めていました。
まさかそんなところに由来が書いてあろうとは。

話が変わりますが、荏原製作所の社名は「株式会社荏原製作所」で、通称が「荏原(EBARA)」となっています。
ところが紛らわしいことに、「株式会社荏原」という会社もあったりします。
荏原製作所とは直接関係ないようです。
(書いてても紛らわしいのでこれ以降は(株)荏原のほうは商標のEBACで示します。)
EBACは所在地が目黒区なんですが、沿革を見ると途中で所在地が移転しています。
移転前の所在地は書いてないですが、設立当初の社名が「荏原設備」ですので、地名から来てそうな感じがします。
でも現在位置からは地名の荏原と結びつかないような気がしていたのですが、hmtさんの記事に書かれたエリアを見ると問題は無いような。

参考までに、荏原製作所はポンプ屋さんですが、EBACは冷凍機屋さん。
この会社の存在を知ったのは、現在いる部署で超低温のフリーザーを買うことになり、取り扱っている会社を調べていたら行き当たりました。
見つけてしばらくは荏原製作所と勘違いしており、全然関係ない別の会社だと気づいたのは半日後でした。
[36505] 2005年 1月 7日(金)17:27:17EMM さん
点で話になった
[36504] hmtさん

東洋・西洋の文字体系混用

hmtさんご紹介のHP中にも出てきますが、全国展開している例としてDDIポケットのH゛(エッジ)がありますね。
最初見たときは何のこっちゃ分かりませんでした。
今やPHSでは一人勝ちですが。
[39172] 2005年 3月 31日(木)03:04:58【1】EMM さん
日本のほぼ真裏の島…から無線絡みの話
えーと、[39135]は昼休みが終わる寸前で十分調べ切れないままに書き込んだのですが、あとで調べねば、と思っていたことは[39147]hmtさんが書いて下さいました。
また、[39139]でN-Hさんにより過去に[10520][10526]太白さんと[10521]N-Hさんがブーベ島のことについて触れられていたことも明らかになりました。
(やはり、過去ログにはいろんな話題が眠っています。落書き帳って話題豊富)
で、とりあえず直接の案件で書くことが無くなってしまったのですが(^^;、どういうところからブーベ島に行き当たったか、と言う話をちょろっと。

実は[39120]笠津前浜さんの疑問を読んで、かなり昔(10数年前)に「CQ ham radio」と言うアマチュア無線の雑誌の中で、どこかあのあたりの島が「他の陸地から最も離れた島」として紹介されていたのを思い出したのです。
今から思うと有人島、と言うことでトリスタン・ダ・クーニャの紹介記事だったような気がするのですが、昼の時点では島の名前が思い出せず、ネット検索したり職場の図書室にあった世界地図を見たりしてトリスタン・ダ・クーニャかブーベ島かどちらかだろう、と言うところにまで到達しました。
しかし、距離の確認など細かい詰めをする前に昼休みが残り5分になってしまったので、あわてて書き込みを行う羽目になってしまったのでした。

ちなみに、海外との交信を主として行っているアマチュア無線家にとって、ブーベ島は昔から「交信することは難しいが是非とも交信したい地域」の一つに挙げられています。
(私は国内交信専門でしたのでそれほど気を引く対象ではなかったですが、それでも雑誌などで目にする地名でした)
アメリカのアマチュア無線連盟(ARRL)が世界の異なる国・地域(むかしはカントリーと呼んでいましたが、いつの間にかエンティティという呼び方になっていました)100カ所以上と交信した無線局に対してDXCCというアワード(認定証がもらえる賞みたいな制度)を発行しています。
ここでの国・地域の分け方が、少しでも区域分けを多くしたかったためか、独立国はもちろんのこと、海外領などでも単独で国際アマチュア無線連盟国際電気通信連合国際連合のいずれかに加盟していたり、一定以上の面積がある島で本土と他の国で遮られていたり他の陸地から一定距離離れていたりなどの場合には独立したエンティティとして扱われています。
エンティティの区分は時期によってルールが変わっており増えたり減ったりしていますが、現在の区分はこのページを参照してください。
さて、全世界に(当然日本にも)DXCCの完全制覇(全エンティティとの交信)を目指している方が多数いらっしゃるのですが、中には極めて政情不安であるとか国内の統制が厳しいとか(何かのドサクサでないと電波が発信されない)、あるいは人口が少なく常駐のアマチュア無線局のいない島や無人島(観測隊や軍隊に在籍するアマチュア無線家からの発信、あるいは有志のアマチュア無線家の遠征などが行われた時のみ交信可能)など交信することが非常に難しいところがあり、こういったところを珍カントリー(今は珍エンティティになるのか…)などと言っていました。
また、それぞれの国から見てほぼ地球の真裏あたりの地域には電波が届きにくく、例えば日本からは南米の南の方~アフリカの南の方は交信が難しい地域になります。
ブーベ島は周囲が絶壁で上陸が困難な孤島で、しかも地球のほぼ真裏であることから、日本からの交信の困難さではトップクラスの島なのです。
そのため、ブーベ島にアマチュア無線家が上陸する、と言う話題が流れるとアマチュア無線の雑誌ではトップで扱われたりします。
日本のアマチュア無線家もお一方上陸を果たしており、こちらのページにその時の行程が紹介されています。

他にどういうところが交信困難な国・地域なのかはこのページが参考になると思います。
1976年頃と2000年の珍しさ加減の変化も書かれています。

参考としてリンクしたページにはアマチュア無線の専門用語が飛び交っていてわかりにくいかもしれませんが、地図や地名だけを追って頂いてもよろしいかと思います。


#DXCCのルール上では小笠原諸島と南鳥島が日本本土とは別エンティティに設定されています。
かつて一時期沖ノ鳥島が独立エンティティとして扱われていたことがありましたが、ルール変更によって認められなくなってしまいました。

#日本国内でも様々なアワードが発行されており、その中には異なる100市以上と交信するともらえるJCC、異なる100郡以上と交信するともらえるJCG(いずれも日本アマチュア無線連盟発行)というのもあります。
でも、日に日に合併が進行しているここ最近は、申請する側も審査する側も混乱してそう…。

##こんなに書いたらちょろっとじゃ無いやろが、自分。
[40448] 2005年 5月 1日(日)08:07:07EMM さん
小ネタレスれす
[40408] sutekinaおじさん
「C2H5OH」([40380])は「EtOH」とも表現しますが、未成年の方は知らなくてもいいです。
はっはっは、そこにリンクしますか。
高校まで行けば化学の授業でご縁が出ますが、やはり体内に入れるのは二十歳になってから、と言うことで。



[40421] hmtさん
N の悲劇?
昭和50年代にNHKで放送されていたプリンプリン物語と言う人形劇がありました。
赤ん坊の頃に王冠の入った箱に乗って漂流していたところを漁師に拾われたプリンセスプリンプリンが、15才になった時自分の祖国を探すため友人とともにあちこちの国を訪問する、と言う物語でした。
出てきた国々はもちろん架空の国(例外としてニューヨークが出てきた)ですが、その中に「オサラムームー王国」という国がありました。
この国、南の海にある島国で、特産のオサラ芋とオサラ椰子が豊富に自生しており、しかも簡単に取れる(「腹減った」というと目の前に芋が飛び出たり、椰子の実が落ちてきたりする)ため、国民は何もせずゴロゴロしている、と言う国でした。
プリンプリン一行が訪問してからは、3人の王子の王位継承問題に関するエピソードが展開します。
ところが、ある日突然オサラ芋もオサラ椰子も穫れなくなってしまい、何も仕事をせずに生活することができなくなってしまい、王位を巡って争っている場合ではない…という展開になったところでプリンプリン一行は次の国に旅立っています。

ナウルの話を見て、もしかしたら脚本家はナウルをモデルにしてオサラムームー王国を作り出したのではないか?とふと思ってしまいました。
プリンプリン物語が放送されていた頃はリン鉱石がガンガン採掘できた頃なので、実際のところモデルだったのかどうかはわからないのですが…



[40441] 白桃さん
醸造酒学部(夜間)
「作り方」ならある程度フォローできそうですが、醸造酒学部の講義内容は「飲み方」ですよね?



[40447] たまねぎさん
7つ葉のクローバーって知ってますか
世界記録は18枚葉のクローバーだそうです。
[41972] 2005年 6月 5日(日)23:36:31【1】EMM さん
希少コレ・松原コレ関連レス&EMMの地名コレクション編集メモ・第28号
[41964] 今川焼さん

さて、希少地形名コレクションを見ていてふと気がついたのですが、いくつか以前あったのになくなっているモノがあるようです。
あれ、そうだっけ、と言うことで確認したら…ほんとだ、消えてますね。
私が引き継いだ直後にデータ整理した時の弾みかもしれません。
ご指摘ありがとうございます。復活させておきます。
(そもそも、大タテガビンと小又の投稿主っちゃワッシゃがいね…我がで気ぃつかんでどうしる…)

それから、2件の新規情報提供ありがとうございました。
いずれも地元での使用例がありますし、採用させていただきます。

それと、「口・奥」コレクションに手を挙げていただき、ありがとうございます。
さっそく登録しておきますので、よろしくお願いいたします。


---------------------------------------------


今川焼さんの投稿とは直接関係ありませんが、[41960]で書いた過去の希少コレへの投稿で見逃されているものがないか探してみたところ、[33919]讃岐の民さん、[34061]futsunoおじさん、[34213]笠津前浜さん、[35418]牛山牛太郎さん、[35585]かすみさん、[36426]山登りのネタ探し人さんの6件の投稿に関して検証されないままになっていました。
本来なら私が編集を引き継いだ際に直ちに関連記事がないか探さなければならなかったのに、完全に失念しておりました。
申し訳ありませんでした。


で、遅ればせながら検証させていただきます。

讃岐の民さんの小富士山は、ウオッちずで検索すると「こふじさん」と読み仮名が振ってありました。
「こふんつぁん」は「こふじさん」の方言的発音なのかもしれませんが、100%「こふんつぁん」で通っているようでも無さそうですし、申し訳ありませんが見送らさせてください。

futsunoおじさんの投稿されたものは、すべて採用させていただきたいと思います。草履塚は塚コレクション行きと言うことで。
別口で追加したものについては、関連記事リンクを追加させていただきます。
(ところで草履塚のあるところの県境が何だか凄いことになってるなぁとおもったら、[24072]みやこ♂さんと[31628]hmtさんが言及されてました。気になった事柄については、とにもかくにも過去に触れられてないか検索する必要がありますね。)

笠津前浜さんの投稿されたもののうち、丸嶽の「嶽」は「岳」の旧字体なので、これは見送らさせてください。
後のものは採用させていただきますが、こちらも別口で追加したものについては関連記事リンクを追加する、と言うことでよろしくお願いします。

牛山牛太郎さんの「作右衛門」は採用させていただきます。

かすみさんの「牛の首」ですが、実は別途島根県を調査した時に見つけて、どうするか大いに悩んだあげく、とりあえずパスした経緯があります。
と言うのは「牛の首」「牛ノ首」「牛ヶ首」「牛首」「牛ヶ頸」「丑首」など微妙に形を変えてあっちこっちにぽつんぽつんと点在していたりしたからです。
崎・岬系が多いのですが、峠など他の自然地形や、字名・町名にも見られます。
「牛首○」も含めるとそれなりに数があるので、それこそ「牛首」コレクションにできるんじゃないか、と思ったりもしました。
そう言うこともあり、ちょっと考えさせてください。

[36426]山登りのネタ探し人さん(現在落書き帳を覗いてくださっているか凄く不安ですが)の投稿された2件は大変おもしろそうなのですが、投稿内容だけでは岐阜県内のどの辺にあるかがわかりません。
探してみて、どの辺かわかったら採用したいと思います。


以上のような方向で行きたいと思いますのでご了承下さい。
なお、編集作業は今週中ぐらいにはやってしまおうと思っています。


※誤字訂正
[42032] 2005年 6月 7日(火)12:50:33EMM さん
レスれす
[42029] YASUさん
この方が遠州地方出身なら湖西市、新居町あたり(浜名湖周辺)?
出身は榛原郡方面でした。
そっちの方ではそう言わないのであれば、たとえば親が浜名湖周辺出身という可能性もありますが、そこまではわかりませんです。


[42030] hmtさん
同音異字連続の住所、石川県内では郡名≒市町村名はありませんが、市町村名≒中心大字・町名なら2カ所思い当たりました。
が、いずれも市町村合併により該当しなくなってしまってます…
旧宇ノ気町宇野気(うのけまちうのけ)と旧志雄町子浦(しおまちしお)です。
宇野気は駅名でもあるので過去に話題にのぼっていました。検索結果
志雄町子浦は話題にあがったことがないようです。子浦は知らないと読めませんね。
また、旧志雄町内には町営?の「志乎・桜の里温泉古墳の湯」という施設があります。
この「志乎」も「しお」。古文書からとった表記だ、という話でした。
今でもやってると思いますが、経営がそのまま宝達志水町に引き継がれているかは不明…
[42532] 2005年 6月 23日(木)07:22:51【1】EMM さん
Google Maps利用上の注意点??
[42523][42524] hmtさん ほか

Google Maps、見ていると楽しいですね。
ただ、見ていて気づいたのですが、写真自体はちょっと前のもののようなので、写真にあっても現在無くなっていたり、写真ではまだ無いけど新たにできていたりするものがある、と言うことは頭に入れておいた方が良いようです。

全区域が同じ時期の写真なのかは分かりませんが、少なくともこの場所については2002年頃の写真だと推定します。

#ちなみに上記で図示したのは東京都江東区有明の東京ビッグサイト周辺。
中央に写っているS字状の道路の、西側にある駐車場の真ん中でアスファルトが剥がされて工事が行われていますが、この場所は工事が終了し現在癌研有明病院になっています。
また、S字状の道路自体が道路東側の駐車場の南~東(駐車場の外周に沿って、薄汚れた感じになっているのが当時の工事現場)に付け替わっています。
まぁ、この場所に限って言えば各種地図サイトでもダメダメな状態で、癌研有明病院が書かれているのはMap-Fanだけ、道路が付け替わっているのはits-mo Guideだけで、ウオッちずマピオンでは病院・道路とも反映されてません…
Yahoo!地図も地図上の表記はマピオンと同じだが、地図アイコンでは癌研有明病院が表示される)



[42534]烏川碧碧さんの
ドラッグ操作で自在に動くではないですか。
の情報を元に、上記Google Mapsのの表示位置をドラッグ操作で微調整して、リンクを張り直ししました。
[42684] 2005年 6月 30日(木)01:23:17EMM さん
Google Maps&Google Earthあれこれ
[42654] じゃごたろさん
私の場合は、自分の住む家が見えるかどうか、ですね。多分、多くの人が一度は同じことをしているのでは? しかし残念ながら解像度が低く、そこまで判別できませんでした。
Google Mapsで最初に探したのは、私もおんなじで自分の家の周辺でした。
しかし解像度が低くて判別出来なかった、っちゅうのは我がとこも同じでして…(涙)。


[42656] 烏川碧碧さん
Google Maps 以上に詳細な衛星画像が表示できるというソフトウェア Google Earth が公開されたそうです(Windows 2000 / XP 対応)。
[42664] hmtさん
さっそく、Google Earth Homeからダウンロードして、試してみました。
私も試してみました。
「Kanazawa japan」と入力すると、金沢まで画像が飛んでいった…のですが、点が打ってあるのがなぜか犀川の南側。
だいたいこのへんなのですが、なぜ?
ほかには輪島もとんでもないところに表示されています。
かろうじて輪島市内ではあるのですが…
ちなみに石川県内で表示される市町村名は金沢、小松、七尾、珠洲、輪島、羽咋、松任、加賀、津幡、内灘、野々市、鶴来。
う~ん、能登の方が寂しい…せめて穴水は採用して欲しかった…
あと、自然地名でも微妙なところを発見。
干拓で消滅してしまった今江潟がなぜか表示されるのです。
一方で全く干拓されていない木場潟は表示されない。なぜぢゃ?

そう言えば、新潟市周辺を表示したら「Yaketori-gata」なる自然地形名が表示されるのですが、これ、何なんだろう??
新手の「潟」???


[42658] hmtさん
42524](2005/6/23追記)hmt で、イェテボリの東の郊外、寧辺(Yongbyon)付近、四日市が大縮尺画像であることに触れております。
これは失礼しました。
どなたか書いていた記憶はあったのですが、検索で探しても見つからなかったもので…
都心部のように、車が一台一台認識できる程の解像度ならよかったのに。
と思ったのですが、衛星から監視されていると思うと、単純に大縮尺画像地域を羨むこともできないようです。
この国が周辺の他の国と比べてやたらと大縮尺地域が多い、と言うのを考えると、hmtさんと同じ事を思ったりもします。
実際にはもっと詳細に見える衛星が浮かんでるわけで……


[42663] 音無鈴鹿さん
さらに西側(所沢~藤沢)の方が2001年の夏頃までということです。
では、新宿より西側の部分の撮影時期はいかに?…(中略)…写真は97年の夏のある日、となりそうです。
詳細な検討ありがとうございます。
そうかぁ、結構前の写真も使われているんですねぇ。
ちなみに、Google Earthの方では新宿~江戸川間の写真がGoogle Mapsより古いようです。
なぜならば、東京ビッグサイト周辺の建物が少ないのです。
TFTビル有明コロシアムフジテレビなどはありますが、東京ベイ有明ワシントンホテルが工事が始まったばかりで、パナソニックセンター東京ヴィーナスフォートZepp Tokyoアクアシティお台場などはまだ空き地or駐車場となっています。
ワシントンホテルの工事開始時期がちょっと調べ切れませんでしたが、おそらくこちらも1997年夏頃の写真ではないでしょうか。


[42665] じゃごたろさん
この区間の開通が2000年9月30日ですから、その年の春当たりではないかと推測できます。
詳細な検討ありがとうございます。
あとは1999年内に完成した構築物が何か確認出来れば、2000年春頃の写真ということで確定出来そうですね。


[42680] まかいのさん
やはり撮影時期は4月中旬~5月上旬のようですね。
となると、石川の田んぼの様子と合わせて勘案すると季節的には4月中下旬でほぼ確定のようです。
あとは、何年頃か考えてみましょう。
ここまである程度確定出来た写真は1997年~2002年と幅があります。
私の近所で考えると、この辺りに工事をしていたものとして新・石川県庁がありまして、これが見えれば分かりやすかったんですが、残念ながら判別出来るほど拡大出来ないので、ほかのものを探さなければなりませんでした。
あと石川県内で何か無いかと探すと、国道8号線小松バイパスの能美市(当時は寺井町)大長野~小松市八幡町間がありました。
この区間は2003年3月に開通しているのですが、写真では梯川の橋が繋がっていないので、少なくとも2002年より前であろう、と推定されました。
でもこれだけではすっきりしませんので、こうなったら石川から離れてとにかく写真が繋がっているところで何か良いところを探した方が良いだろう、と言うことで探したら…ありました。
それがここ、中部国際空港です。
護岸はできていますが、埋立はまだ始まっていなさそうです。
次に、中部国際空港の工事の進捗状況が比較できるところがないか探したところ、愛知県庁HP内に中部国際空港の建設に向けた足跡とページがありました。
ここのページにある年表によると、護岸を工事していた期間は平成12年8月~平成13年3月だそうです。
となれば、富山以西の写真は2001年4月中下旬に撮影されたもの、と推定して良さそうです。

なお、愛知周辺の田んぼを見ると黒い田んぼも多少ありますが、微妙に緑がかった黄土色の田んぼがほとんどです。
これは、代かき前の田んぼに雑草が生えているためにこのような色に見えるのだと思います。
アーカイブス田植えの時期に見る地域性を見ていただければ分かりますが、愛知の田植え時期は北陸よりも遅いので、田んぼの様子からすると北陸と愛知周辺は時期的には変わらない、と考えて良いと思います。

#そう言えば富山以西と新潟以東の写真の境目が新潟-富山県境付近だ、と拙稿[42643]で書きましたが、Google Earthを見ていたら境目のある位置は旧能生町付近であったことが判明。
大変失礼いたしました。
[42842] 2005年 7月 6日(水)00:10:19EMM さん
ちなみに「湾」コレには未掲載でした
[42835] hmtさん

それにしても、1920年に「潟」の実態がなくなっているのに、Google Earthでは、水色の「水系自然地名」として残っているのは、どういうことでしょうか?
駅名に使われているように、地名自体は比較的近年まで存在したのかもしれませんが。
もしかしたら、Google Earthを制作したKeyhole社が使用した日本の自然地形名の資料が古いものだから、と言うことではないかと思うのですが、いかがでしょうか??
気になる地名の例としてはほかに、「tokyo japan」と入力して東京の写真が拡大されていく際に海岸線に張り付いている「Sinagawa Wan」なんかもあるのですが、品川湾という名称はいつ頃まで使われていたのでしょうか???
[42979] 2005年 7月 12日(火)23:36:15【3】EMM さん
実は陸地系と水面系の仁義なき争い…か???
[42945][42976] hmtさん
[42973] 愛比売命さん

国交省の国道事務所、河川事務所、港湾事務所を直接所管しているのはそれぞれ地方整備局の道路部、河川部、港湾空港部で、その各部のさらに親玉は本省の道路局、河川局、港湾局(+空港は航空局)でしょうから、各事務所の地方別の区域わけの違いは本省の各局間の見解の相違、と言うことになるのでしょうね。
気になるのが、何でこんな風になったんだろう、と言うこと。
各地方整備局の所管出先の担当区域の重なりを調べていくと、
・1県まるまる道路関係の事務所がA地方整備局所管で河川関係の事務所がB地方整備局所管、と言うところは無かった。
・1県まるまる道路関係&河川関係の事務所がA地方整備局所管、港湾事務所がB地方整備局所管と言うところはある。(福井県)
・国道河川事務所、港湾空港事務所はあるが、国道港湾事務所や河川港湾事務所は全く無い。
と言う点が何か気になります。

また、地方整備局の設置に関する法律等について電子政府の総合窓口で調べてみると、「地方整備局組織規則(平成十三年一月六日国土交通省令第二十一号)」が引っかかってきまして、それによると地方整備局の河川部の事務分掌の中には海岸保全に関することも入っているものの港湾部だけが除外されており、そちらは港湾空港部の所管となっていました。

ここまでで、港湾関係だけが特に独立した形になっているような気がしてきました。

さらに過去の歴史を調べてみると、例えば京浜河川事務所の前身は大正8年、その近隣にある京浜港湾事務所の前身は大正10年には発足しています。
本当は福井県内の港湾事務所や河川事務所の歴史が分かればなお良かったのですが、とりあえず戦前にすでに現在の港湾事務所や河川事務所などの前身に当たる組織はあった訳です。

と、以上のことを並べていった時、ふと頭に浮かんだのが「戦前なら港湾関係は海軍、道路や河川関係は陸軍の影響下にあったんじゃないの?」と言うこと。
で、その関係で戦後の建設省の中でも港湾局とその他の局の管轄区域が違ってきたのでは、と言う気がしてきました。
(道路と河川の担当区域は元々同じ範囲だったのが、愛比売命さんが[42973]でおっしゃっている理由で河川の方がずれてきたのではないかと思っています)
これはあくまで想像にすぎません。裏は取れてません。
逆に国交省北陸地方整備局の港湾関係の管轄区域(福井県~新潟県)と海上保安庁第九管区海上保安本部の管轄区域(石川県~新潟県)がずれており、思いついたものの自信はあんまり無かったりします………



#ただ、旧陸軍と旧海軍間では様々な事に関して見解や体制の相違があり、あちこちで張り合っていたのは事実です。
また、その見解の相違が思わぬところで生き残っていてびっくりさせられることがあります。
例えば、同じある地形名に地形図と海図とで違う漢字が使われており、それが陸軍と海軍の見解の相違に起因しているらしいのです。
海上保安庁海洋情報部のサイト内に「海の相談室」というコーナーがあり、その中のFAQ集に関連したページがあります。
………これを見つけたが為に崎コレで「崎」と「埼」を分けるのをやめたがです………



※タイトル微修正、てにをはの修正
[43842] 2005年 8月 3日(水)00:24:00【1】EMM さん
小ネタレスれす
[43834] hmtさん
人の名前を「音読み」するのは敬意や親愛の気持ちから
私の職場にも、普段は名前が音読みで通っている人が何人かいます。
割と上の方の年代の人が多いのですが、いずれも若い頃のあだ名?が今でも通用しているもののようです。
これもある種の「敬愛の念」を示している…のかなぁ。
ちなみに私は普段音読みで名前が呼ばれることはないのですが、前の前にいた部署の事務方の上司が家に電話をかけてきた時に名前の音読みで「○○君いますか?」とやったらしいのです。
(ただ単に読み方が分かってなかっただけらしい…)
その電話を受けた親父(寝起きで半寝ぼけ)の返事は…
「○○(音読み)?ほんなもんはおらん。●●(訓読み)や」
それ以来、その上司がうちに電話をかけてくることはありませんでしたとさ。


[43836] 中島悟さん
EMMさんは行ったのかな?
私は翌日の仕事の予定の関係で行くのを断念しました…行きたかったのにぃ(TT)
(事務所内の組織替えの絡みで部屋の引っ越し予定だった。ところが開始したとたんに上の方から中止の指示が来たが、すでにある程度ものを運んだあとだったので強行してしまった…前の週に指示出してくれれば絶対行ってた…)
まなちゃんさんが行ってらっしゃる見たいですよ。
3月のは5年ぐらいおきに開催されてますが、年度末と言うことで毎回仕事との折り合いが付かず、縁がありません…
…ところで、横浜から何でその話に繋がったのでせう?
もしや…パシフィコ横浜?

#盆暮れのは、東京ビッグサイトの敷地の中に最大で高岡市(佐賀市でも可)の人口と同じくらいの人間がかっ詰まってしまうイベント…あな恐ろしや恐ろしや。
[43910] 2005年 8月 6日(土)22:31:01EMM さん
野暮なれど敢えて
[43909] mikiさん

姐さん、一度ウオッちずで確認してから投稿すべきでした。
突っ込むべきはhmtさんではなく国土地理院でっせ。
…と言うと本当にツッコミを入れそうで一応追記しておきますが、ウオッちずは合併後しばらく経つと新自治体に書き換わるのだけど、本体地図が修正されてから検索の方が修正されるまでの間がちょっと空いてしまいます。
データ量が多いですからね…
[43918] 2005年 8月 7日(日)00:22:21【3】EMM さん
ツッコミ返し
[43911] mikiさん

だ~から~ぁ、ちゃんと読んでから突っ込んでくださいよ、姐さん。
「地図上と検索の訂正のタイミングが違う」んですよ。
試しに波崎で検索してください
検索結果一覧では旧波崎町関係のものは所在地が波崎町になってますよ。
実際の地図上にはでっかく「神栖市」ってかいてありましたけどね…

※以下追加
そう言えば「検索の方だ」って書いてませんでしたっけ。
ウオッちずでは地図上の市町村名の訂正は即日~1週間内ぐらいに終えてしまうのですが、検索結果一覧で示される所在地の市町村名の訂正は1~数ヶ月かかるのです。
他にも、地図中には記載されていても検索ではなぜか引っかからない地名はかなりの数に上ります。
[43908]hmtさんの文中で、白馬岳がウオッちずで「情報なし」になっているので、地図上ではなく検索結果からの引用で間違いないです。
(地図上には白馬岳は記載されている)
ウオッちずは「試験公開」と言う扱いのためか分かりませんが、予想以上に不備があります。
市町村合併にかかる訂正の遅れなど問題にならないほどの間違いもあっちこっちに隠れています。
誤りの指摘は受け付けているようですので、探されてみてはいかがでしょう?
検索情報ので合併前の市町村名のまま出てくるのは誤りではなく作業の遅れですから、もっと作業を早めてもらうよう要望を出すぐらいしかないんじゃないでしょうか。
[47322] 2005年 12月 11日(日)23:26:51【1】EMM さん
栄町?
[47319] hmtさん
「金沢市栄町」
はて?金沢にそんな町あったっけ?と思って調べたら確かに旧町名としては存在しました。
が、角川日本地名大事典によれば、明治4年に下堤町横町と深見小路の2町が合併してできた比較的新しい町名でした。
その後、昭和45年の住居表示にかかる町名変更で武蔵町の一部となっています。

ちなみに同事典では県内の他の栄町についても記載されていましたが、小松市のは昭和4年~現在、七尾市のは昭和40年~現在、旧山中町のは昭和30年~現在といずれも比較的新しい町名でした。
また、由来は金沢市のものも含め瑞祥的なもののようです。

他の市の栄町についても、堺と関係あるのかどうかについては検証が必要かもしれません。

それでも、[46954]EMMさんのように“A市「金沢町」探し”を試みた方もあります。
地名を探すこと自体は地名コレクションで慣れてますからそんなに難しくありませんでした。
と言うか、まんま地名コレクションの地名探しのテクニックでもって探してます。
難しい話ではありません。マピオンの住所検索を使用しました。
ただし、一文字の地名の場合は余計な地名も引っかかってくるのでちょっち難しい(と言うか面倒くさい)ですが…
[49253] 2006年 2月 17日(金)00:11:35【1】EMM さん
あーやっちゃった?
[49243] hmtさん

内幸町の件、以前ラジオ番組(三重かどこかに出張した際に名古屋あたりで聞いた記憶があるのでおそらくCBCか東海ラジオの昼の番組?)で思いっきりあのように言っていたので信じ切っていました。
確か6~8年くらい前の話だったのですが…違ったのか。


※え゛っ、この記事900件目?
[49628] 2006年 3月 4日(土)16:55:10【1】EMM さん
湖水の島コレ情報提供
連投すいません。

>みかちゅうさん
いくつか「湖水の島」に該当しそうなものを見つけましたのでご案内します。
もしかしたらすでにご存じでその上で落としたものが含まれているかも知れませんが、その際はご容赦下さい。



1件目:
実は昨月東京に行く用がありまして、そのついでに千葉の方に行ってきたのですが、その際にどこに行こうか決めようと地図を見ていてふとそれらしいものを発見しました。
その場所は以前[44701]hmtさんが「ゾウリムシのお化け」としてご紹介されていた宮内庁新浜鴨場に隣接して整備されている市川市野鳥の楽園
ところが、地図サイトによっては「UFO島」が川の堤防とくっついて書かれていたり、「南極島」が書かれていなかったりと千差万別で、どれが本当なんだい?と思ってしまうような状態。
そこで空中写真で現地確認してみると、次のような状況でした。

昭和49年
昭和54年
昭和59年
平成元年

昭和49年の写真では干潟中の洲、と言う感じですが、年代が下るごとに干潟の土砂が流亡して深さが増す一方で洲の部分は植物が生えて土砂の流亡が免れ、より島っぽくなっていってる…と言う感じのようです。
何より地図中に名前付きで出てくるのが目にとまった最大のポイントです。
調べてみるとここには流入する川はなく、水は土中からしみ出しているらしいとの事でしたので川の中州とは違うと思いますし、海と繋がっていますが「湾」でもない。
と言う事でどうかなぁ、と思ったのですが、どんなもんでしょうか?



2件目:
別のコレクションの候補を探していて偶然見つけたのですが、富山県小矢部市の山中にある子撫川ダムのダム湖中に島があるのを発見しました。
この島、ウオッちずでも確認する事が出来ます。
名前は無さそうです。

#この時探していた「別のコレクションの候補」とはループ橋。
石川・福井にあるのに、富山には本当に無いのだろうか?と思って探していたのですが、本題は玉砕。
ヘアピン状なら有るんだけどなぁ。



3件目:
これはちず丸で天狗コレ関係のものを探していた時に見つけました。
金沢市東蚊爪町にあるこなん水辺公園の野鳥観察池中に島があります。
この野鳥観察池は、公園整備時に元々ここにあった沼を利用して作られたようです。
(ウオッちずで同じ所を見ると荒れ地として書かれていますが、沼と島はしっかり書かれている)
ここは現地確認が必要かなぁ。

#と言うか、この公園中を東西によぎっている道、週に必ず何回か通る場所だったりします。
でも島があるのは気づいてなかった…
[51804] 2006年 6月 17日(土)23:59:51EMM さん
経県値4点UP
本日午後7時半頃に旅行先から無事帰宅いたしました。
(そのまま家の手伝いをしていたのでこんな時間に書き込んでますが)

さて、どこに行っていたかですが、実は…沖縄に行ってきました。
[50872][50898][51102]で6月に旅行に行くのどうの書いた時にはすでにバースデー割引で飛行機のチケットを手配してあったのでした。
(逆にそれが為に時期が6月に限定された訳で…)

3日間の行程は次の通りでした。

1日目:小松空港→那覇空港→(レンタカー借りる)→那覇市・波上宮→那覇市・識名宮→
金武町・金武観音寺および金武鍾乳洞→本部町・美ら海水族館→名護市泊

2日目:ホテル→名護市・ひんぷんガジュマル→名護市・オリオンビール名護工場→恩納村・万座毛
→嘉手納町・嘉手納ロータリー→宜野湾市・普天間宮→糸満市・平和祈念公園→糸満市・喜屋武岬園地
→糸満市・白銀堂および糸満ロータリー→(レンタカー返す)→那覇市・国際通り→那覇市泊

3日目:(全て那覇市内)ホテル→首里城→安里八幡宮→奥武山公園(沖宮および護国神社)→
泉崎ロータリー→那覇空港→小松空港

と言うことで、主な立ち回り先はロータリーと神社仏閣…普通の人に話したら何だそりゃと言われそうですが、良いんです!
そもそもが「沖縄に行くこと」自体が目的だった訳ですし。
実際に見てきたことについてはおいおいと書いていきます。



[51792] たもっちさん
こりゃ楽しみです。一体どこへ行かれたのでしょう。
上記の通り、ロータリーコレクションに収録されている沖縄県の4つのロータリーすべて写真に撮ってきました。
写真の整理ができ次第レポートにまとめます。


余談:
[51789]は国際通りの居酒屋からの書き込みでした。
[51790]hmtさんと[51793]88さん、宇高連絡船に関するレスありがとうございました。
[51912] 2006年 6月 29日(木)17:43:52EMM さん
Re:[51901]
[51901] かつさん

どーも、EMMです。(全角文字ですのでよろしくお願いいたします)
[51896]で書いた牛山牛太郎さんの記事はお探しの記事ではなかったようですね。
地名を変えるのなんのってそんな話題だったかも…
と言うことで行けば、hmtさんの示された記事の方が近いのかも。

ところで、さらに調べてみると[18738]じゃごたろさんの「死」「殺」などの文字を含む地名の記事、[21535]牛山牛太郎さんの「墓」の字を含む地名の記事を見つけました。
[21611][21683]はこれら2つの記事の増補版、と言うことですね。
お二方とも町名字名から調べた結果をまとめられていらっしゃいまして、地形名まで手を広げればまだまだたくさん出てきます。
[54549] 2006年 10月 23日(月)02:12:44【1】EMM さん
地名コレクション関連レス
前回の書き込み[54404]は出張先のホテルからだったのですが、その時の出張の道中で風邪をもらってしまったらしく、帰宅後まもなく高熱が出てしまい、先週末は数日寝込む羽目になってしまいました。
その後もしばらく体調の微妙な状態が続いてまして…今月は先月色々と忙しかったのの反動が出てるかも??
(ちなみに出張先は東京とつくば。TXにも乗りましたが、用務地の最寄り駅がつくば駅でなかったため、バスの便で往生こきました…)

と言うことで、レスをするにはだいぶ間が開いてしまったものもあるのですが…とりあえず地名コレクション関係から。


[54457] k-aceさん
・ 大阪市大正区は「自治体名」なのか「町名」なのか?(一応、町名に入れてみましたが)
その2択で行くとすると、私は「自治体名」の方にしてます(寺町コレ参照)。正確を期すなら「行政区名」とするのが一番良いのでしょうけれども。
[51271]についての質問なのですが、「長久(ちょうきゅう)」の読み方違い「長久保(ながくぼ)」は「長+久保」なのか「長久保」なのか? また、「元和(げんな)」の読み方違い「元和田(もとわだ)」は「元+和田」なのか「元和田」なのか?
「長久保」については[54537]hmtさんも触れていらっしゃいますが「長+久保」ですね。「久保」=「窪」=「凹」でくぼんだ地形(小さな谷であること多し)を指します。
また、「元和田」2件のうち山形県のものは隣に「上和田」「下和田」という大字がありますので「元」+「和田」でしょう。伊東市の方はちょっと分かりませんが、多分同様では?
部分一致でも採用するか否かについては、[51271]でも書いた通りお任せ致しますのでよろしくお願い致します。

#余談ですが、鹿沼市の文化橋町は間接的に年号の「文化」に関連しているようです。
文化2年より工事が始められた「文化用水」に架けられた橋が「文化橋」で、その橋のあった付近が「文化橋町」になったとのこと(参考)。
あと、山梨県富士河口湖町の「文化洞」は「文化トンネル」が開削される前に供用されていた旧トンネルの名前のようです。(参考


※追記
トップページの件を忘れてました。トップページの協力者の部分はグリグリさんしか編集することができませんので、今しばらくお待ちください。
グリグリさん、地名コレクション編集スタッフの欄へのk-aceさんの追加をよろしくお願いいたします。それと、ペーロケさんのニックネーム変更がまだ反映されていませんので、そちらも対応方よろしくお願いいたします。


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[54544] たもっちさん
あ、そうそう、この機会に、EMMさんの沖縄のロータリー訪問記へのリンクも追加しておりますので、ご確認ください。>EMMさん
確認致しました。どうもありがとうございます。
沖縄ではあと1件、那覇市の泉崎ロータリーのレポートが未完成なままなのですが…頑張ります(汗)。


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あとは自分の話。
私の担当のコレクションで10月1日の市町村合併関連の修正が1件(天狗コレ)ありまして、ついでに地図リンクの修正も行ってみました。
その際に気が付いたことなのですが、Yahoo!地図の表示位置のずれは縮尺に関係なく発生しています。
むしろ重要なのはリンクした時のURLで、「スポット名などで検索して、表示された地図をそのままリンクしてある」場合はずれは起きないようですが、それ以外の方法で位置を確定したURLだとずれが生じるようです。

あと、マピオンについても問題が。
リンクを張った時期によってはそのURLが無効になっている場合がある(表示されない)様です。
また、マピオンの現在のリンク用URLですが、ベーシック地図を使った場合にはURL中に「,(コンマ)」が含まれる場合があるようでして、私の行っている「表計算ソフトでデータ管理していて、csvファイルから「,」や「"」を削除して貼り付け用のテキストファイルを作る」という手段ではURL中のコンマまで消してしまう危険性があることに気付いてしまいました。
これは「タブ区切りのファイル」から「タブ」を削除する方法に変更して何とかしましたが、過去に気付かずにうっかり消しちゃっているデータがある模様…

いずれにせよ、私の場合残り全てのコレクションについても全データチェックする必要があるっぽく………そうすると残り約4,500件………笑うしかありません。
少なくとも11月いっぱいはかかるかな…下手すると年越しそう…
[56445] 2007年 1月 27日(土)01:13:46EMM さん
「地名調書」ですか
[56419] hmtさん

地名調書のお話ありがとうございます。
まさに私の知りたい中身でした。
私の身近な地域(石川県内とか、新潟市とか)ってのは「1大字=1集落」であることが一般的なため、広い範囲が1大字でその中に小集落がたーくさんあるようなところに書かれている地名の基準がどうなっているのかことさら不思議に思えたのでした。
果たして一定した基準があるのか否か、がよく分からないところがあったので。
改めてウオッちずの石川県内を見返してみると、少数派の「複数の集落からなっている大字・町」や「町域が超広い町」の集落毎の地名の書かれ方が自治体単位で様子が違う事に気づきました。
たとえば加賀市は[55462][55463][55477][55478]で触れられている行政組織(大同町とか、山城温泉の○○区とか)が書かれていますし、かと思えば川北町では拙稿[51948]で触れた小集落名(地元の人たちは小字名的に使ってますが、事実上は行政区名らしい)は一切書かれておらず大字名のみの記載となっている。
事情を知らなければ「何でこんなバラバラなんじゃい?」ということになりますが、各自治体が返してきた内容が一定でない結果である、ということで納得です。

#長崎県の旧有明町付近の大字名が現行の「大三東戊」等でなく「大野名」等になっているのも、地名調書を記入した旧有明町の担当者(現在の島原市の担当者も?)が「○○名」の方が適当であるとした結果、と考えてよいのでしょうか。

##地名コレクションでそういう「集落名」を採用する際の地名の分類も考えた方がいいのかなぁ…でも各自治体の個別の事情はつかみにくいところがあるし、すでに拾ってあるのもいっぱいあるし…「便宜的にこういう分類にしました」ということにとりあえずしておこう。
[56536] 2007年 1月 30日(火)03:14:18【2】EMM さん
温州みかんの北限の移動についての考察
[56491] hmtさん
[56514] 音無鈴鹿さん
[56526] むっくんさん

果樹の話題は野菜ほど得手ではありませんが、「みかんの北限」についてちょっと興味が出てきたので調べてみました。

[56532]右左府さんも書かれている通り「何を以って北限とするのかが微妙」なのですが、とりあえずYahoo!の「みかん 北限」での検索結果を10ページほど掘り返してみて、北限として紹介されている(自ら謳っているところも含む)温州みかんの商業的栽培を行っているところ(神奈川県より北のところ)を拾って見たところ、次のようなところがありました。

福井県敦賀市
福井県福井市
埼玉県寄居町
埼玉県東秩父村
茨城県桜川市
茨城県日立市
茨城県北茨城市
群馬県藤岡市
栃木県那須烏山市
福島県広野町
(各地区に関して、検索記事を読み進めていく中で一番最初に出てくる記事をリンクしてみました。広野町のは、別途検索してみると本格的な商業栽培ではなくて行政による試験的な栽培ではないか、と思われました。なお、家の庭に温州みかんが生っている、と言う記事の最北は岩手県大船渡市のものでした)

たぶん、各地区ともある瞬間には「商業栽培としてはおおむね最北」だったことがあるのでしょう。
上記の市町村にあるみかん園の特徴として「主にみかん狩りを行う観光農園として経営されている」事が挙げられると思います。
農林水産省の統計ページ内のみかんの出荷の統計を見ていくと上記の県はひっくるめてその他扱いされており、市場出荷を行っていたとしても微々たるものであると考えられます。
おそらく、「市場に出荷しようとすると収穫量や収穫時の品質で栽培適地の産地のものには太刀打ちできないが、それでも少々北の方でも何とかお客さんが金を払って食べてくれるレベルの温州みかんは作れるようになった」…と言うことなのでしょう。
寄居町風布にみかんが持ち込まれたのは戦国時代、北条氏の手によるもの…とされているようですし(参考サイト)、上に挙げた産地の中には明治時代や大正時代に栽培が始まったところもあるようです。
そうすると、平均気温の上昇の影響も有るには有るのでしょうが、少なくとも上に示した範囲内での温州みかんの栽培地域の北への拡大は、米などと同様に栽培技術の改良や品種改良が進められた結果と考えた方が良いような気がします。
ただし、気になるポイントはあるにはあります。
太平洋側は「最北の地」が徐々に移動して歩いている形跡がありますが、日本海側は福井県まで。
家の庭レベルだと佐渡や秋田で温州みかんが生っているところがあるらしいのですが、商業栽培は福井県内が日本海側ので最北のようです。
(石川県内で温州みかんを商業的に栽培したい人がいる、と言う話を以前聞いたことがあるのですが、その後の話を耳にしないため、結局頓挫したらしく…)
太平洋側の「北限」産地は雪がほとんど降らないところだと思いますが、日本海側はどうしても雪の影響が出るため、福井から北になかなか北上できない…と言うことでしょうか。
温州みかんのみに注目する場合、日本海側でもみかんの商業的生産地の北上が始まったとしたら、その時がまさに「地球温暖化の影響」と言えるのではないでしょうか。
今年のような冬が今後何年も続けば起こりえない話ではないと思います。

あと、「温暖化の影響がどこまで出ているか」を考えていく上で重要と思われるもう一つのポイントが[56526]むっくんさんが引用している地球環境研究センターニュースの中に隠れています。
それは温州みかんの栽培適温には下限だけでなく上限もあると言う事。
植物を栽培する場合、栽培環境の温度を上げることは比較的容易な場合が多いですが、温度を下げることはなかなか難しいので、地球温暖化の影響は「北限の北上」よりもむしろ「南限の北上」という形で現れやすいものと考えます。

##なお、上記の温州みかんに関する考察はあくまで人が手を加えている「植物栽培」について当てはまってくる話と考えます。
自然に動いて歩くもの…自生植物の北限南限とか、海の魚の分布とか、昆虫の分布とか…が北に動いている事例は多数有りますので、地球温暖化について切り込むにはそう言う方向から入っていくのが良いのかも。

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[56526] むっくんさん
ミバエを根絶させたように、カンキツグリーニング病の予防が出来ればいいのですが。。。
カンキツグリーニング病は細菌が原因の病気だそうです。
植物の病害のうち、細菌が原因の病気に対する農薬というのは予防的な効果のものしか無く、しかも植物の体内に取り込まれて効果を発するような薬剤がないために「植物の外側に細菌が付着して感染するもの」でないと効果がありません。
(カビの仲間が原因の植物病害の場合、菌の種類にもよりますがいろいろな効果の農薬があります。一方でウイルスが原因の植物病害は植物に散布して予防や治療ができる様な薬剤はなく、ウイルスが植物に触れないようにする…中間宿主の防除、土壌の消毒、作業する道具の消毒等々…しか予防法が有りません)

カンキツグリーニング病の菌は中間宿主であるミカンキジラミがみかんの汁を吸った際に直接木の中に潜り込んでしまうため、薬剤での防除が困難な病害と言うことになります。
そうなると病原菌を運ぶミカンキジラミをどうにかすることが重要である訳ですが、根絶という方法は要は「一定区域内にいるその生物の繁殖を人為的におさえて絶滅させてしまう」と言うことなので、「必ず有性生殖で繁殖すること」「世代交代の期間が極端に短くないこと」「自力で隣の島まで移動できないこと」「不妊虫を作る技術が開発されている」「容易な人工飼育法が開発されている」などの条件がそろわないと実施が困難です。
現在ミカンキジラミの生態の解明が急ピッチで進められているようですので、それ次第で根絶を目指すのか、現在に引き続きこれ以上の北上を押さえる形になるのかが決まってくると思います。

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余談。
隣県に住まうものとして富山の鱒ずしの話題も気になっているのですが、さすがにこれから書いていくと徹夜になってしまいそうなので明晩以降に…(書ければいいなぁ…)



※誤字の訂正、記事リンクの追加など
[57079] 2007年 2月 28日(水)00:47:55【2】EMM さん
半鐘…と言うか火の見櫓の話
[57033] faithさん
[57047] 油天神山さん
[57065] hmtさん
[57075] faithさん
[57076] YSKさん

金沢市では消防団の分団の車庫の近くに火の見櫓が建っていて、上に半鐘がぶら下がっています。
自分の校下にある火の見櫓(小学校のすぐ近くにあった)以外は、あんまり意識して見ていないので「多分ほかの分団のところにもあったはず」程度の記憶しかなかったりしますが…
ただ、ジャンとなる機会はほとんど(全く?)無いみたいですね。うちの校下の火の見櫓は、分団の人たちが消火に出動したあとのホースの干し場になってます(^^;

さて、半鐘の歴史はhmtさんが詳しく書かれていらっしゃいますが、こと明治以降においては半鐘は消防、特に自治消防組織(集落や地区ごとの消防団)の整備と切っても切れない関係にあるようです。
ウィキペディアの火の見櫓によりますと、昭和初期には全国に火の見櫓が整備されており、自治消防組織の体制が現在でも引き継がれているところでは現在でも火の見櫓が比較的残っているようですが、自治消防組織が自治体の消防本部や消防署に集約されてしまったところでは撤去されてしまったところが多い…と言うことが書かれており、これからすると現存する火の見櫓が多いか少ないかに地域的な差があっても不思議でない、と言えるようです。
faithさんのお住まいの地域は自治消防組織が集約されてしまったところなのかな…と想像していますが、「回りが立て込んできて実用的でなくなり、代替の設備も整備されたので撤去した」地域もあるとのことなのでそっちなのかもしれません。

あと、ところによっては火の見櫓が「集落のランドマーク」となっているところがあるようです。
例えば、以前茨城県に出張に行く際にいばらき路線バス案内所と言うサイトで行き先のバス路線を調べたことがあるのですが、その時にポツポツと「○○火の見下」というバス停が見受けられたんですね。
あと、実際に茨城に行った時に交差点名でも同様のものがあった記憶があります。
石川ではあまりそう言う事例を見かけないので記憶に残っていたのですが、これからすると茨城県では火の見櫓が身近な存在である地区が多い、と言うことになるのではないでしょうか。
そう言えば、盗難被害が多発したのも茨城県でしたっけ…


※てにおはの訂正など
[57134] 2007年 3月 3日(土)14:50:26EMM さん
橋&空港レス
[57107] geoさん
【新潟県】○親不知IC付近(糸魚川市)の北陸自動車道(反則?)
親不知IC付近の北陸自動車道は2本の海上橋からなっています。
地図
このうち親不知海岸高架橋はおおむね「ギリギリ波打ち際」なのですが、下り車線の親不知ICのランプ橋は海の上となるようです。
もう一つの歌高架橋は完全に海の上。
参考サイト


[57123] hmtさん
その大部分は自衛隊との共用飛行場(空港整備法附則)であり、皆さんの利用経験が最も多いのは「小松飛行場」のようです。
航空自衛隊小松基地と民間との共用ですが、現実には「小松空港」という呼び方の方が普通のようですね。過去1年以内の記事を検索すると、「小松空港」が9件(7人)あるのに「小松飛行場」はゼロ。
石川に於いても空港としては「小松空港」、自衛隊基地としては「小松基地」と呼び分けられており、「小松飛行場」と呼ばれることはほぼ皆無と言えそうです。
多分、「法制上正式名称で書く必要がある公文書」ぐらいでしか使われて無いんじゃないかと思います。
石川県庁HPでもこうですし。


おまけ。
[57133] らるふさん
今度は下の方ですね。
アクセスランキング設置当初から眺めている身としては、未だに「現状のアクセス数は一番下だけが自然な数なのでは??」と思ってます。
以前は2日頭1ケタ台のものが何件もあったり、数字の度数分布に変動があったりしてたのですが、
今そうなってないんですよ。
アクセス数が増えた賜物、と思いたいところなのですが、自然にアクセス数が増えてるんなら、一番下だけ固定でポツン…なんてことは起きえないはずなんです。
そうなると、そこから上に意図的なアクセスがあるんぢゃないか、と勘ぐってしまいます。
某私立大学の受験の時に数学を「数学I」+「確率統計」で選択した身としてはどうにも不思議でなりません。
[57370] 2007年 3月 21日(水)00:44:41【2】EMM さん
いろいろレスれす
[57361] hmtさん
人工水路の深谷水道で形成された旧・志摩町のような地域は、「水で囲まれた陸地」であっても独立の「島」とは扱わないのが普通のようですね。
なるほど。
そうなると[57092]で挙げた金沢市の大野埠頭(仮称)なり、内灘なりはやっぱりダメ、っちゅう事ですね。
とはいえ、大野埠頭(仮称)のように本来あった川の部分より新たに開削された水面の方がはるかに幅が広い、と言うのはわたし的にはちょいと気を引く存在ではあります。
とは言っても開削された部分も「大野川」として扱われてるはずですが。



[57364] いっちゃんさん
市ーサイド
トップにはなり得ない事例だとは思いますが、例えば糸魚川市-上越市-柏崎市とか、佐渡市単独とか、リアス式海岸の多い対馬市のどちらか一方とか…なんかも千葉ラインや秋田ライン辺りと比較すると意外や侮れないような気はします。
でもやっぱり測る術無し。

#新潟県って東西に長いので連続ものは一見有利っぽそうなのですが、市ーサイドで出雲崎町、鉄道だと信越本線で田上町・上越新幹線で川口町、道路類だと北陸自動車道で刈羽村…がそれぞれ関所のように立ちはだかり、今市パッとした結果になりません。嗚呼。



[57367] YSKさん
例えば、「もってのほか」という作物があるのですが、何のことだか分かりますか?
その筋?では有名な種類なので知ってます。
私としては「柿の素」の方がなじみ深かったり…と書くともう少し分かる人が出てくるかも。
それぞれ地方品種ですし、その野菜?自体が食べる地方と食べない地方がはっきり分かれているので、ちょっと分かりにくいかも…写真だと一発なんでしょうけれども。
[63908] 2008年 3月 3日(月)00:13:37【1】EMM さん
EMMの地名コレクション編集メモ・第149号
予想通り、相変わらず忙しいです。
特に先週は思っていたよりも仕事が詰まってしまいました。
今週は先週よりちょっとマシかな、と思っていたらどうもそうはいかなそうな状況ですし、このまま来週ぐらいまではモタモタしそうです。
なので、もうしばらくは書き込みが飛び飛びになってしまうと思われます。
今回も溜めてしまっている案件に関する書き込みです。

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[63814] 日本人さん
○○コレクションの中からでも、編集画面直前にいけるようにしていただきたいと思います。(○○とは、コレクションの名前)
もし実現しようとするとグリグリさんにお願いせねばならない案件ですが、編集長的には現行のままで問題なしと考えます。
「最初にデータをUPする前に、編集データの再確認・推敲を十分行う」「1つ間違いを見つけたら、他にも間違いがないか周りを見渡す」と言うことを励行していただければそんなに頻繁に編集画面を開く必要はなくなると思います。
日本人さんご自身の編集作業の仕方の見直し、改善を図っていただくべきと考えます。
ご理解のほどよろしくお願いいたします。
(これは、新規コレクションの担当にゴーサインを出すかどうかにも大きく影響します)

それと、書いてらっしゃる内容からすると「○万」コレクションのデータは編集画面への直打ちのみで管理されてらっしゃいますね?
拙稿[60253]にて
なお、念のため元データをご自分のパソコンにコピーし(形式はテキストファイルでもwordファイルでも、ご自分の分かりやすい形式でよいです)、通常はパソコン上にあるデータを編集し、それをコピーして地名コレクション編集ページに貼り付けるようにするのがよいと思います。
と言うことを書きました。
何で上記の方法が良いかというと、編集画面上だけでデータ管理していると503エラーやキー操作ミスなど入力していたデータが吹っ飛ぶことが有ること、登録された「サーバ中のデータ」にトラブルが起きたことが有ること、編集画面のテキストボックスは大きいデータの操作には向いていないこと…などが有り、データを自分のパソコンに移して作業した方が安全性が上がるからです。
「○万」コレクションぐらいのボリュームならまだ良いですが、コレクションのサイズが大きくなればなるほど編集画面上のみでのデータ管理では作業の煩雑化やミスの誘発・見落としにつながってしまいます。
前回は助言のような形で「よいと思います」書いてますが、今回は編集長として強くお願いさせていただきます。
データをご自分のパソコンに落として編集作業を行う事について、ご検討よろしくお願いいたします。
なお、何のソフトを使ってデータ管理するか、についてはテキストファイルを編集できるソフトであれば使い慣れたもので有れば何でも良いです。
過去に何人かの方から地名コレクションのデータ作成方法を紹介する投稿がありましたが、みやこ♂さんは一太郎[45952]、かすみさんはメモ帳[45988]、たもっちさんはエクセル[46145]、私はロータス123[46139]と、使っているソフトはバラバラだったりします。書かれている内容を参考にしていただいても良いですし、それ以外でご自分のやりやすい方法を考えていただいても良いです。

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[63816] 日本人さん
こっちの方が本題ですね。
先に「○万」コレクションについて確認させていただきましたが、見落としている地名の増強をがんばっていただいたものの、残念ながらまだ「見つけやすい地名の見落とし」がありました。
上で触れている修正作業の件もありますし、「「○万」コレよりさらに規模が大きく、しかもゼロからの立ち上げになるコレクションを2ついっぺんにお任せする」事に対する不安は残念ながら解消しきれていない、と言うのが正直なところです。
「さしあたりどちらか1つのみを登録し、そのコレクションが十分な内容で完成した時点で(これはご自身の判断でなく、他人が見て内容的に十分と判断できるかどうかと言うこと)次のコレクションを登録するかどうか判断する」と言う形が良いだろう、と考えます。
それで良ければ次のコレクションを登録させていただきますので、ご検討よろしくお願いいたします。
(どちらのコレクションを先に登録するか、は日本人さんの方で決めてください。できれば数が少ないと思われる方を先にするのがよいと思いますので、数的な面でも検討してください)


なお、「○万」コレクションの「見つけやすい地名の見落とし」はマピオンのシンプル地図への書き換え作業を行っている中で必ず目に入っているはずのものです。
具体的に言うと、「一万」のところで松山市道後一万・中一万町に隣接する西一万町東一万町を見落としています。
先に登録されていた道後一万と中一万町は当初ウオッちずのリンクが張って有りましたので、ウオッちずで検索を掛けて見つけたものだと判断していました。
そして、ウオッちずには西一万町・東一万町は記載されていません。
以前拙稿[62327]にて
###詳しく書くと長くなるのでここでは書きませんが、各地図サイトの性格も把握しておく必要があります。
1点だけ指摘しておくと、ウオッちずはあくまで「地形図」なので、町名字名を調べるための資料としては必ずしも適しているとは言えません。
ということを書きましたが、実はこの案件を念頭に書いたものでした。
(逆に、ウオッちずでは検索できるがYahoo!ちずやマピオンでは地図中に書かれるものの検索では出てこないもの…集落や地域の「通称名」もあります。[56419]hmtさんや[56445]EMMの投稿をご参照ください)
それから、細かい話になりますが、「○万」コレの地図リンクでちず丸1件?・ウオッちず5件?・リンク無し2件が残っています。
意図して残してあるのなら良いのですが、
先ほどの更新で全105件をマピオンシンプル地図に、かえました。
と書かれていらっしゃるのを見ると、見落としなのでは?ともとれるのですが…???

そのほかに、これは中~上級的な内容になるのかもしれませんが、地名の種類ももう少し精査して書くようにした方がよいと思います。
さしあたり気になっているものを2点あげておきます。
・「観光地」という分類は適当ではないと思います。どんなところでも観光地になりうるからです。どんな地形か(あるいはどんな構築物か)を調べて詳しく書くべきでしょう。逆に、調べてもどんなところかよく分からない場合は「?」も有りだと思います。
・高知県高岡郡梼原町に有る2つの「四万川」は、集落の横などではない中途半端なところに書いてあるので、小字名ではないでしょう。おそらく、旧村名由来の地区名(の通称名)であり2つとも同じものを指していると思われます。ウオッちず上では似たような事例を時々見かけますので要注意ですが、ちょっと判断が難しいかも…
[63919] 2008年 3月 4日(火)00:10:03【1】EMM さん
Re:町と村 その他(石川県関係)
[63912] okiさん

町村制施行直後の町と村の人口を示すデータ、興味深く見させていただいてますが、石川県のところで
「あれ?大聖寺って村だった事ってあったんだっけ?城下町だったからそのまま町で続いてたんじゃないの?」
と言うことが気になりました。
行政区画変遷一覧表では明治の大合併以前から「大聖寺町」となっていますし、[63735]hmtさんがまとめられた「有史以前」の人口統計・データ編(2)の石川県の図表を追っていくとやはりいずれの統計表でも「大聖寺町」になっています。
多分、明治24年の徴発物件一覧表が間違っているのではないでしょうか。
似たような事例はhmtさんがまとめた歴代の統計資料中にもありまして、明治22年・41年の表で「鳳至郡宇出津町」になっているものが、明治31年の表では「鳳至郡宇出津村」になっていました。
おそらく、他にも同じような事例は有るのではないでしょうか。

ちなみに、明治22年の表から石川県内の4000人以上の人口を抱える「村」を拾い出してみたところ、次のとおりでした。

河北郡七塚村5217
鹿島郡鳥屋村5203
鹿島郡徳田村5162
石川郡犀川村4521
鹿島郡越路村4457
河北郡高松村4431
鹿島郡滝尾村4222
河北郡内灘村4210
能美郡西尾村4028

2年たってれば若干変動はあると思いますが、それでも5000人台の人口を有する上位3つの村の内のいずれかが明治24年の「人口最大村」になるでしょう。

以下余談になりますが、上記の村々の中で気になる存在は犀川村。
金沢市内を流れる犀川のもっとも上流に位置するところにあった村で、山中の村が県内4位の人口を抱えていたというのは最初見たときすごく意外でした。
しかしながら、犀川村は明治の大合併の際に24ヶ村が合併して成立していまして、それを考えれば決して不思議ではない数字と言うことになります。
(合併前の1村あたりの平均人口を計算すると約190人)
能美郡西尾村も山の中の村ですが、こちらは11ヶ村が合併して成立しており、旧村1村あたりの平均人口は犀川村の倍ほどと言うことになります。
おそらく、村内に尾小屋鉱山があったことが影響しているのでしょう。
あと、中心集落の様子などから考えると、上記の村の中では河北郡高松村が一番「町」に近い状態であったのではないかと思います。
とは言っても明治の大合併前から町だった訳ではない(3ヶ村の合併により成立)のですが、この時点で河北郡内唯一の町であった津幡も明治の大合併時に4ヶ村が合併してできている(しかも高松より人口は少ない)事を考えると、やはり高松は「何かが一歩及ばなかった」と言うことになるのでしょう。


#書いていたら結構時間を食ってしまい、その間にムチャクチャ眠くなってしまいました。
地名コレクション関連のレスは明晩以降と言うことでご了承ください<(_ _)>
[64197] 2008年 4月 2日(水)01:08:14【3】EMM さん
明けて4月2日であります…ネタばらし編
まぁ、3年続けてしでかしてますし、唐突な記事を3つ間髪入れずに投稿しているのを見て「EMMまたやってるな」と思った方も多いかと思いますが…はい、今年も行かせていただきました。
「エイプリルフール用記事と、書き方は怪しげだが本当のことを書いた記事を続けて投入する」「妙な区切り方をしてある段落の頭文字をつなげるとキーワードになる」と言う、おととしと同じパターンでした。
で、エイプリルフール用記事だったのは[64183]
石川県に伝わる昔話「白山のわらじ」について研究されている先生の講演を聴いたと言う点、並びにその講演の内容に関する部分が嘘でした。
ただし、立山や富士山の方の昔話については、原稿を書く直前に見つけたこのサイトこのサイトを参考にしています。
また、
考えてみれば、富士山の方でも立山の方でも、背くらべの相手はいずれも白山なんですよね。
(中略)
それを考えると、「勢いのある白山信仰集団」と「東国や北国の在来の信仰集団」との間に起きた何らかの出来事が、それぞれの昔話の共通の由来なのかもしれません。
と書いた部分と、それぞれの昔話の中での白山と立山・富士山との高さの関係が興味深いという点については、3つの昔話の内容を見比べて自分が抱いた感想と言うことになります。
(3つの昔話とも「一方の当事者が白山」「山頂に樋を渡し、水を流して高さをくらべる」「樋の下にわらじを挟む」という点が共通しているのが非常に興味深いです)
「白山のわらじ」を元に記事を作ろうというのはだいぶ前(それこそ昨年のエイプリルフールの直後ぐらい)から構想を温めていたのですが、直前になって上記2サイトの話を加味したため、ちょっと練り足りない文章になった様な気がします。
なお、妙な区切り方の各段落の頭文字を下からつなげると「本めい」…本命となるのでした。

あとの2つはカムフラージュ用記事。
[64182]は「一部とぼけているところがあるが、本当」。
実際に先週見かけたとある掲示版のうわさ話的な書き込みで知ったのですが、きちんとセブンイレブンのHPで内容を確認した上で書いています。
具体的なところはこちら(注・pdfファイルです)をご参照ください。
[64184]は「一部記憶が怪しくなっている所はあるが、本当」。
旧根上町役場の方の話は実際に聞いたものです。
また、新聞記事の方は、3~4年前ぐらいに確か北陸中日新聞(ちょっと記憶が怪しいが…)に掲載された記事の記憶を元に書いたものです。
新聞記事が「それ本当の話?」と思ってしまう中身だったため何回か落書き帳にその内容を投稿しようと思ったことがあったのですが、毎回タイミングを逸していました。
で、[64148]hmtさんと[64167]熊虎さんの書き込みを見たときにまたまた思い出し、すぐ投稿しようと思ったのですが、ふと「これカムフラージュ記事に使えるかも」と思い立ち、書き込みを1日半遅らせたのです。
某市が実際に何市なのかは…やっぱりオフ会の時にこっそり教えると言うことで(爆)、と言うかその先にその記事をもう一回探す方が先かも…その新聞保存しておけば良かった。
なお、各記事の不自然な段落の頭文字をつなげると、[64182]は「ぶらふ」、[64184]は「だうと」となっていました。

本当なら数日前から準備をするつもりだったのに、用事が重なって時間がとれず、結局31日の夜9時頃から書き始めることになったので、練り込む時間が余り無かったのがちょっと心残り。
多分、来年も何か投入するに違いないが、もっと練り込んで考えてみたい…でも年度末なので、結局バタバタっと書くことになっちゃいそう。
[65261] 2008年 5月 26日(月)18:16:05【1】EMM さん
足し算のような掛け算のような
[65257] hmtさん
編集長は“文中に例示されたものはすべて収録”としていますが、合成数地名コレクションには見当たりません。
大変失礼しました。十四山村は確かに見逃しでした。
とりあえず原文は自ら晒し上げということで(汗)

ところで、ある意味足し算的というか掛け算的というかなものなら「合併数地名」コレの中にあるんですよね。
それは旧・熊本県玉名郡六栄村(現・玉名郡長洲町)。
この村は1889年に3村が合併して成立しているのですが、三栄村ではなく六栄村なのは合併前の3村(永塩村・折崎村・宮野村)がいずれも2集落名からの合成地名であったことが元のようでして、村名の成り立ち的には一番足し算(2+2+2)or掛け算(2×3)に近いものと考えて良いのではないかと…ちょっち苦しいかな?
[65462] 2008年 6月 8日(日)23:41:32【4】EMM さん
謎の「貯金のチ」
[65461] hmtさん
昭和46年初刊というと、既にアマチュア無線が行なわれていた時代の本ですね。
アマチュア無線自体は、日本で開始されたのは大正末期だそうです。(当時は「私設無線電信無線電話実験局」)
その後太平洋戦争の勃発と共に禁止され、戦後数年経った1952年(昭和27年)に再開されています。

それよりも、[65413]でリンクした無線局運用規則が一番最初に定められたのは1950年(昭和25年)の話ですし、この規則はアマチュア無線の運用だけを規定しているわけでは無く、テレビやラジオなどの放送局を含む「免許が必要な無線局」全般の運用を規定しています。
(通話表の関係してくるのは無線電話通信ですが)
そして、電子政府の法令データ提供システムで検索をした中では、戦後制定された法律や省令などの中で和文通話表のたぐいが出てくるものはこの無線局運用規則しかないようです。
戦後の話である限り、法的根拠を持つ「和文通話表」は1種類しかない訳で、「ちどりのチ」には法的根拠があり、「貯金のチ」には法的根拠はない、と言うことになるようです。

ただし、電報や電話は元々有線で運用されていますし、無線局運用規則の適応範囲外でしょうからこれを守る必要はないと思います。
一方、「電報の文面を電話で送信する際にはこの様に伝えよ」と言った内容の法律や省令は今のところ見つけられていません。
可能性として「戦前から慣用的に使われていたものをそのまま使用していた」「郵便局員の中に、自己流で適当にアレンジして使っていた者がいた」のどちらかではないかと思うのですが、詳細は全く不明です。
何せ、郵便局側の「法的根拠」が見つかりませんし、和文通話表自体は戦前からあったようなのですがこれも成立に関する歴史が分かりません。
かなり謎が深そうです。

あと、試しに「"貯金のチ"」「"貯金のち"」「"ちょきんのち"」でネット検索してみたところ、通話表的な話題で引っかかってくるのは落書き帳のhmtさんの記事だけでした。
あとは「家計が厳しくて貯金の「ち」の字も無いや」みたいな記事が多数…。
hmtさんが引用されている記事は検索サイトのボットのクロール前なのか、それともクロールされたデータが消えているのか???)
一方、郵便局で電報を頼んだら「ちどりのチ」と言っていた、みたいな記事もあるようです。
[65474] 2008年 6月 10日(火)02:51:07【2】EMM さん
手こずりながらも調査続行予定
[65471] hmtさん
それは電話が次第に津々浦々まで普及していった(大正から)昭和前期にかけての時代に、自然発生的に行なわれた伝え方であると推測します。

そして、最初はバラバラだった符丁が、ある時期に統一されたことが推測されるのですが、それは郵便局内部の「作業手順」の制定で済むことです。
逓信省令で公式化する必要はなかったものと思われます。
これらに関しては、2つの観点から異議があります。
1つ目は、自然発生的な生じ方が全くないとは言いませんが、拙稿[65404]でも書いている通り、こういった符丁は双方が理解していないとかえって混乱を生じる危険性が大です。
(電話での実体験が何回かあります)
よって、「あちらとこちらで同じ符丁を使用」していないと話にならない訳で、バラバラのものをあちこちで使っていたとは考えにくいのです。
そのような符丁が使われ出してあまり間もない頃に、あるいは最初から全国統一されていたと考える方が自然です。
2つめは、郵便局の一番偉い人は誰?と言うことです。
郵便局長…ではなく、さらにその上。
ほんのちょっと前までは、郵便局の一番偉い人は「郵政大臣」でした。国の出先機関だったんですよね。戦前までさかのぼれば逓信大臣。
先日の「横書きの文書では,と。を使う」などもそうですが、役所ってのは「何でそんな細かいところまで」と思うようなところまで規則として明文化してあるものです。
郵便局も逓信省/郵政省の出先機関であった訳ですから(特定郵便局という、かなり特殊な形態の「出先」もありますが)、郵便局内部の作業手順を制定すると言うことはイコール逓信省/郵政省の出先機関の規則の制定な訳で、当然「省令」として出されなければならないはず。
(電信電話もかつては逓信省→電気通信省という「役所」の業務であり、その後も長らくは郵政省所管の国営事業であった訳ですから、やはり同じようなことになるでしょう。)
以上の2点から、電報の通信業務で使う通話表についての「明文化された規則」が残っていてしかるべきですし、それが逓信省(あるいは郵政省・電気通信省)の省令である可能性も高いと考えるのです。

とはいえ、それが文書となって出てくる年代は「ネット上での調査がしにくい」大正~昭和初期である可能性は高そうです。
実は近代デジタルライブラリーで電信や電報に関する明治時代の文献を片っ端から見てみたのですが、確かに出てくるのはモールス符号ばかり。(例:逓信法令提要(明治34年)
それ以降の資料だと国会図書館にでも行かないと調べるのは難しいか?と思っていたら、金沢市図書館に1936~37年に出された電信電話法令集があるようです。
この年代のものなら望みがありそうなので、今週末にでも見に行ってみようと思います。

ちなみに、拙稿[65404]でリンクしたwikipediaのNATOフォネティックの項を見ていくと、初めて作られたアルファベットのフォネティックコードのたぐいは1927年に国際電気通信連合(ITU…ただし年代からすると、厳密にはその前身の万国電信連合と思われる)が制定したもので、無線での音声通信の際に共通信号が必要となったことから作られた、とあります。
日本の電気通信のルールと言うのはある年代までは海外のものをそんぐりコピーしたものが多いので、和文通信表もITUのフォネティックコードに習って無線電話用として作られた可能性は大いにあると思っています。
「郵便局での電報の通信に、電信ではなく電話が使われるようになった」のがいつ頃なのか、と言うのも気になるところです。

#海外の通信法をコピーする際、本来のものは色々工夫されて使われていたのに、その点を全く考慮せずにただ当てはめてしまったもの、と言うものが色々あります。そのために使いにくくなったと言われているのが和文のモールス信号(英文は出現頻度が考慮されているが、和文は全く考慮無し)、使う意味が無くなってしまっているのが「本日は晴天なり」(マイクで拾いにくい音を含むのでマイクテストに使われていた「It's fine today.」をそのまま和訳しただけ)。

##和文通信表のルーツとして帝国陸軍or海軍というのも考えたのですが、そうだったとすると研究資料が色々出てきそうな気がしますから、ネット上にこうも戦前の資料がないと言うことは多分軍関係は違うだろうと思ってます。
[65879] 2008年 7月 28日(月)00:57:27EMM さん
今は島じゃないところと、今でも島なところと
[65874] hmtさん
曲名は「中の島ブルース」。地名表記は、燃えて花咲くアカシアの札幌が「中の島」、泣いて別れた淀屋橋の大阪が「中之島」。
ところで、小雨そぼ降る石畳の長崎市内に「中の島」があるのかしら?
wikipediaの「中の島ブルース」の中に、3題目(金沢弁で多謝)の中の島とはここ…と言うことが書かれていたのですが、

・歌が作られた当時は長崎市ではなかった。
・そもそも、長崎市内の石畳のあるようなところからは香焼島や高島が邪魔で見えないのでは?

…と言うことで「多分誤りだろう」と思われました。
そこで、さらに色々調べたところ、長崎の市街地に少なくとも2か所「中の島」と言う場所がある事が分かりました。
1か所目はこのあたり長崎観光映像化支援センターHP中の記事 (「愛八が愛した相撲と土俵入り」という項の中)など、いくつかのサイトで確認できます。
埋め立て地とのことで、元々は浦上川の河口にあった中州だったのでしょう。
2か所目はここ長崎県長崎南バイパス建設事務所HP中の記事中に「常磐の中の島」として紹介されています。
リンクした航空写真ではなにやら工事中で対岸と繋がっちゃってますが、長崎南バイパス建設事務所のHPの方では繋がっている部分の整備が終わった?写真が出ています。

長崎駅と常磐の「中の島」のどっちが本命か、ですが、私は長崎駅の方ではないかと考えています。
長崎駅の「中の島埋立地」の方は相撲巡業などいろいろなイベント会場として使われているようなので人が集まる場所と言って良さそうなこと、長崎駅の横なので県外から来た人の目にとまりやすいこと、もう一方の方がわざわざ「常磐の」と付けていること…などからの推定です。

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以下完全に別件。

[65871] オーナー グリグリ様
第二十回全国の市十番勝負は8月10日~17日あたりで開催を検討しています。確定次第あらためてご案内いたします。
今までは十番勝負のスタート時期と遠方に出かける用事(県外出張or個人的な旅行)がかちあたることがなかったのですが、今回は開始日次第では最悪開始から丸々3日間参加できないかもしれません。
個人的には10日か17日がありがたいところですが…ちょうどこの間はお盆休みで帰省される方も多そうですし、それを考えると17日がよいのではないでしょうか。
勝手な意見ではありますが、ご検討頂ければ幸いです。
[66021] 2008年 8月 13日(水)00:38:56【3】EMM さん
「和文通話表」多方面調査結果(1)戦前・電報編「明石の…?」
忙しかったり夏バテ気味だったりでなかなか長文に手を付けられなかったため長いこと間を開けてしまいましたが、私とhmtさんとの間でやりとりのあった「和文通話表」に関する話について、これまでに調査して分かった内容をまとめておきたいと思います。
元々のやりとりが2ヶ月以上前の話なので、再度まとめるとこのようなやりとりでありました。
私のスタンスは「送受信者双方がきちんと通話表を理解している必要があるため、絶対何か文書で残っているはず」と言うことで、無線運用規則にある和文通話表とは異なる内容の和文通話表が出てくる文書や資料を探したのですが、、詰めていくと主なターゲットが大正末期~終戦頃らしい…と言うことで、調査はなかなか難しい状態でした。
それでも、戦前に作られた公式な「和文通話表」を2点見つけました。
全部いっぺんに書くとすごく長くなるので、調べていった順を追っていくつかに分けて書きたいと思います。

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正直なところ、ネットで単純に検索してもなかなか埒があきませんでした。
それなら紙媒体だ!と思い、まず身近なところで金沢市の図書館の蔵書検索をあたってみました。
そうすると、気になるタイトルの本が引っかかってきたのです。
それは「電信電話法令集 1(逓信省電務局・編 1936.12)」と「電信電話法令集 2(逓信省電務局・編 1937.3)」。
昭和11~12年頃の法令集、これは望みがあるかも…と思い、図書館まで見に行きました。(ここまでは拙稿[65474]で触れた通り)
内容的には法令集1が日本国内、法令集2が海外との電信電話通信に関するものでした。
いずれも電信法、無線電信法が最初に記載され、それ以降に関連する法令・省令・告示などが記載されています。
海外向けの法令は細かいところは国内間の通信に準ずるように書かれていたので、主な調査対象は法令集1です。

その法令集1ですが、電報関連の法令としては次のようなものが記載されていました。
省令に続いて、その省令に関連する告示を段を下げて記載します。
また、旧字体は適宜新字体に直してあります。
電報規則M33.1.9 省令第46号 T14.8.22 省令第47号改正
  電信局所の電報取扱時間 T12.2.24 告示第331号
  郵便電信の発受に関し一般公衆に特に注意スヘキ事項 M41.5.30 告示第582号
  託送電報発受心得 T14.10.30 告示第1622号
無線電報規則 M41.4.8 省令第18号 T14.8.22 省令第51号改正
  固定局間伝送ヲ要スル無線電報ノ取扱制限及び無線電信上ノ特定料金(ページ欠損のため年代不明)
日満電報規則 S8.8.31省令第35号
日満無線電報規則 S8.8.31 省令第36号
船舶通報規則 M40.9.26 省令第44号
気象通知電報規則 M42.3.6 省令第7号
写真電報規則 S5.8.8 省令第34号
  写真電報ノ取扱電信官署、取扱時間、直配達区域及特使配達区域の枠 S5.8.8 告示第1919号
慶弔電報規則 S11.10.15 省令第52号
  慶弔電報第一条第一号ニ依ル文例ノ件 S11.10.15 告示第2707号

このうちの、「託送電報発受心得」を見たところ、
四 電話機ニ依リ託送電報ヲ発受スルトキハ左ノ通話表ニ依リ通話スヘシ但シ所轄逓信局ニ於テ別ニ定ムル場合ハ其ノ定ムルところニ依ルヘシ
とあり、その後に和文通話表が出てきました。
ただ、内容が現行の無線局運用規則にある和文通話表とは似ても似付かないのです。
それは以下の通り。

明石のア岩手のイ上野のウ江ノ島のエ大津のオ
神田のカ北見のキ久留米のク京城のケ小倉のコ
佐世保のサ信濃のシ隅田のス摂津のセ宗谷のソ
高田のタ筑後のチ敦賀のツ天満のテ富山のト
名古屋のナ日本のニ沼津のヌ根室のネ能代のノ
箱根のハ姫路のヒ福井のフ平和のヘ伯耆のホ
舞子のマ三島のミ武蔵のム目白のメ門司のモ
大和のヤ夕張のユ吉野のヨ
羅南のラ陸前のリ留萌のル蓮華のレ羅馬のロ
若狭のワ井戸のヰ恵比須のヱ尾張のヲ
雲南のン
(濁点・数字等は省略)

一部に現行の和文通話表と重なっているところもありますが、ほとんどが異なっています…と言うか見事に地名だらけ。
「羅南」とはどこじゃ?と思って調べたらここのようですね。
これだけ地名だらけにしたのなら、「ヘ」「レ」「ヰ」も地名にすれば良かったような気がします。
まぁそれはともかく、よくよく条文を読むと各地の逓信局の中に独自に和文通話表のたぐいを作っていたところがある可能性があるような文面ですし、それ以前にこの告示は「電報を申し込んだ人とその電報を受け取る人」に向けた内容だったので、この託送電報発受心得にある和文通話表は現行の無線局運用規則に直接繋がっていないものだろうと考えられます。
ならまだ何かあるはず、と思って調べたら…さらにもう1件の「戦前の和文通話表が出てくる文書」を見つけました。
それについては稿を改めます。

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以下余談。
「託送電報発受心得」には、実は和文通話表に続けて欧文通話表も出てくるんです。
これもイギリス式などとは異なる独自のものでした。

asiaのAbombayのBchinaのCdenmarkのD
englandのEfranceのFglasgowのGhongkongのH
indiaのIjavaのJkingのKlondonのL
mexicoのMnewyorkのNosakaのOpekingのP
queenのQroumaniaのRspainのStokioのT
unionのUvictoriaのVwestのWx-rayのX
yapのYzoroのZ
(記号・数字等は省略)

これまた地名がやたらと多い。
国際的に使用する事を考えた場合、Pはpekingではよろしくないのかな?だって今やっているオリンピックは「Beijing2008」だし…それとも大正末期では世界的に「peking」で通じたのでしょうか?まぁこの通話表はそもそも対外国向けでは無いのでそこまで考える必要はなかったのかもしれません。
yapは通信状況が悪い場合に聞き取りにくそう。

あと、上記の通話表では省略した数字の部分についてなんですが、この「託送電報発受心得」においては2が「数字のフタ」、4が「数字のヨン」でした。
あと目に付いた点と言えば、9が「数字のキウ」だったことでしょうか。

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さらに余談。
17日、帰宅は夜11時頃の予定…どうか十番勝負で売り切れが出ませんように出ませんように出ませんように(、と四方八方を拝んでみる)
[66541] 2008年 8月 31日(日)14:20:34【3】EMM さん
全国の市十番勝負(第二十回)の感想文
[65871]でグリグリさんから開催時期のアナウンスを見て頭を抱えました。
なぜなら、遥か前から8月15~17日に東京に行くことが決まっていたからです。
結局、私の提案を元に17日開始になった訳ですが、「9時開始では当日の予定を考えると帰宅してからじゃないと取り組めなかろう」と、「売り切れが出ないことを点に祈る」半ばあきらめ状態でした。
その後開始時間が2時間前倒しされました。
最初は「開始時間が早まる分売り切れの危険性が高まる」と思ったんですが、むしろ「開始直後に少しでも考える時間ができた」(参加しているイベントの日程上、9時では考えている余裕がなくなっている)ことから完答への原動力となりました。
また、今回のお題と相まって、当初「完答は難しいだろう」と考えていたのが、最終的に「完答」「銅メダル3つ」「ノーミス」と出来過ぎと言っていい状態で終えることができました。
これは、「石川・長野にちなんだ出題内容」「開始時間の前倒し」「先に出ていた正答が大きなヒントとなった」事が原動力と考えています。
[66262]
ノーミスは、先に地ならししていただいたぺとぺとさんと桜トンネルさんのおかげかも。
いや、それよりもグリグリさんの設問設定のおかげかも…(ここら辺は感想文にて)。
はそう言うことでした。
正直なところ、出題時から自宅で構えていられれば、今回の内容であればメダルはもっと取れたのかもしれません。
しかし、ノーミスは無理だった可能性があります。事実、問一は途中までは違うことを考えていて、ミスしていた可能性が高いからです(詳細は後述)
災い転じて福となす、と申しましょうか?ほんとに今回はできすぎでした。

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では、各問についてのあれやこれやを例によって正答順に。

問十:高山市([66086] 8/17 08:51:51、5位)
すでにイベント会場に着いていて、入場行列に並んでいる間に考えました。
携帯で出題内容を確認してすべてをメモし、他の方の問三の解答はすべて無視し、一番想定解の少ない問十に専念して考えていたところ、星野彼方さんの「静岡市」と言う解答が出てきました。
とりあえずお題の市をwikipediaで調べてみよう、と言うことでまず上越市を確認したところ、この時点では「隣県の村に接するとか?」と思ってました。
しかし、次に高崎市について確認した時点で「隣県の村」ではないことが分かり、と同時にとある歌が頭の中に降って湧いてきました。
「♪しっなっの~のく~に~は~、じっしゅ~う~に~…」
ああそう言うことか!と閃いた時点で解答状況を確認すると、星野彼方さんに引き続いて桜トンネルさん、ぺとぺとさん、かぱぷうさんが「らしい」解答をされている。
これは誰かとダブるかも!と言うことで、思いついた高山市をあわてて解答。
普段なら必ず何か一言申し添えているのにこの解にはそれがないのは、そんな余裕がなかったから。
(しかし、寸前まで飛騨市と迷っていた私がありました。飛騨市にしないで良かった…)
そして、この書き込みをした時点で、なんと携帯の充電レベルが3から1に。
私がいたイベント会場は人手がきわめて多く、携帯も多くの方が使用しているために電波状況がよくありませんでした。
そう言う場所では、携帯って接続できる回線を一生懸命探すため、普段よりも電池を多く消耗するんですね。
携帯が電池切れしてはまずいので、イベント会場から離れるまで十番勝負は中断。

問二:大野市([66131]8/17 21:19:33、6位)
東京駅で携帯の充電器は買ったものの、続きは金沢に帰ってから…と思っていたのですが、越後湯沢駅あたりでちょいと腹具合がおかしくなり、はくたかの中で寝るつもりが寝られなくなったのでメモを引っ張り出して十番勝負の再開。
そのうちに第1回採点があり、その際にグリグリさんから
残念ながら解答できなかった方も、問十の共通項を確認しておくことをお奨めします。
とアナウンスがありました。
これと、問二の解答群を見て「ああ、長野に関連した問題が出ているのか」とひらめき、問二を解答しよう…と思ったらちょうど親不知付近で、トンネルに邪魔されてなかなか書き込みができず参りました。
この時点ではまだ「石川関連問題」には気づいておらず、そのまま行っていたら誤答を書き込んでいた可能性があったのですが、富山に入ってから充電器の電池も切れてしまい(十番勝負に関して調べ物をするためのiモードの使いすぎ…と言いたいところですが、たにがわに乗っている時にしばらくワンセグを見ていたのが直接の原因)、帰宅後までお預けと言うことに。

問六:能美市([66161]8/17 23:16:05、5位)
これもはくたかの中である程度のところにはたどり着いていました。
[66133]桜トンネルさんの書き込みを元に下関市・津市・吹田市について調べたところ、いずれにも「長野」の付く町名字名があるのは確認できましたから。
ただ、本当に字名町名なのか、それともそこにある施設名(学校とか、郵便局とか)なのかがはくたかの中では確認できなかったため、帰宅後一番に確認したところ、「町名大字名では数は合わないものの、お題・既解答は該当している」と言うことで、はくたかの中で「解答するならここだ」 と考えていた能美市を投入。

問一:滑川市([66162]8/17 23:18:13、10位)
実はお題の5市には「な」「が」「の」のいずれかが含まれているんですよね。
そのため、はくたか車中の時点ではそう言う問題だと考えていました。
ただ、問二と合わせて考えると、想定解数がおかしい…と考えた時点で電池切れ。
その後に解答ラッシュが起こっており、それを見て問一の共通項&今回のお題の傾向が判明したのでした。
電池切れしてなかったら、ここで間違いをしていた可能性大。

問九:福井市([66165]8/17 23:34:30、銅メダル)
問一解答時点で「奇数問は石川、偶数問は長野に関連した問題」と確信し、そう言う目で上から下まで眺めたところ、問九にさも私に「解け」と言わんばかりのお題が並んでいるのを見て愕然。
なんせ、以前あった「全国の市一本勝負」で分殺(共通項にたどり着いただけなら秒殺)で金メダルを取ってますので…。
イベント会場では無理だったにせよ、せめてたにがわかはくたかの中で気づきたかったところです。
それはともかく、桜トンネルさんの「中央市」は最初金沢市中央通町か?と思ったのですが、すぐに羽咋市に中央町があったのを思い出して「共通項はおそらく完全一致だろう」と軌道修正。
あとは、相生市×の意味を「ダブりがあると×なのか?」とか考えたりしたのですが、メダルがかかっているので細かく詰めている事はせず、高浜市の確認で志賀町の大字名一覧を見ていて目に付いた福井市(北陸解であり、ダブりもない)を解答。
この問に関しては色々調べてありますので、別稿で改めて触れます。

[66534] 今川焼さん
ところでこの問題、石川県関係者の方には多少なりともアドバンテージがあった…かな?
少なくとも私に関しては「あった」と言えましょう。
朝イチから自宅で構えていられたら、1つめの解答は多分問十ではなく問九だったはず。


問三:南砺市([66170]8/18 00:06:23、4位)
問九解答後風呂に入り、さっぱりしたところで再開。
問三は開始直後の解答ラッシュがあった訳ですが、「金沢市×なんだから高校野球問題は絶対あり得ない!!!」の信念の元に開始時点からしばらくの間無視を決め込んだら予想通りすべて×。
そんな中で高校野球にのっとらない解が○だった、と言うことで考えてみて、最初思いついたのがJRつながり。
でもそれだと本巣市が変。「なんだい本巣市って?」としばらく悩んでいたら、ふと「酷道」157号線のことを思い出し(実は先に参加していたイベントで、酷道157号線に関する自費出版本を見ていた)、大まかに数えてみて間違いなさそうだったので身近なところから南砺市を投入。
でも身近さ加減ならむしろ小矢部市か砺波市の方が良かった、と気が付いたのはもう二寝入りしてから…(関連記事[64056] )。ついでに言うと、最初は「金沢市から」だと思っていたのですが、結果オーライ。

問八:氷見市([66173]8/18 00:24:00、7位)
この問題はよく覚えていないんですが、確かいくつかの市を見ていて姉妹都市のところに長野県の市があるのが目に付いたんだったと思います。
磐田市×から「友好都市は×?」と言うのは何となく分かったんですが、境目が分からない場合がよくあるので、間違いなく姉妹都市と判別できるところから氷見市を探し当てました。

問五:四国中央市([66174]8/18 00:42:51、銅メダル)
ここまで解答を重ねてみて、問一と問二がセット問題であったことから、グリグリさんのことだしまだセット問題があるはず、と言うのが頭をよぎりました。
そして、ここまで解答した問題の共通項から、セットである可能性のあるのは問三と問四、問五と問六では?と推定し(問八・問十は石川県に当てはめにくい共通項なのでは、これらはセットではないと推定)、そう言う頭で見始めました。
そうすると、問五はそれっぽいのですが、悩んだのが一関市。
町名・大字名に「石川」の文字がない。
しばらく悩んだところで、問六の自分の数えた結果と想定解に差があることから、「もしかして小字も?」と思い至ったのですが、小字名は見る資料によって出てくる数が異なってきます。
なので、それは有りかどうか悩んだのですが、グリグリさんがよく利用されているBIGLOBE地図で「石川」で検索して数えてみたところ、小字の部分まで数えるとピッタリ。
でもまだどこかすっきりしないところがあったのですが、それを逆手にとって小字で該当している四国中央市を投入してみました。
滅多に選ばない四国の市であることも相まって、迷彩になるか…と思ったら、採点時に○がもらえず焦りました…結局採点ミスで、○でよかったです。
ところで、問五と問六の共通項には「BIGLOBE地図で検索した結果」という記述が必須だと思うのですが、いかがでしょうか?>グリグリさん。
あと念のため…[66536]MasAkaさん、小字名の根拠とするのにウオッちずは不適です。[56419]hmtさんの書き込みを参照して頂きたいのですが、国土地理院の地図には大字名・小字名のほかに集落の通称名が多数使われており、その区別は国土地理院の地図のみでは不可能です。

問四:岐阜市([66180]8/18 03:05:17、5位)
ここまで来れば問三と問四もセットなのは間違いない!と言うことで長野県を通る国道の、長野県以外の通過市を数えてみたら、なぜか54止まり。
おかしいなぁ…と思った矢先に想定解数が54から66に増えているのを思い出し、さらに注意深く数えてみたところ66市あることが確認できました。
この差はなぜ出てきたのか?私の方の原因はwikipediaの長野県の項に、国道の記載漏れがあったためです。
抜けているのはR256、R292、R299、R361、R462…でしょうか。
特にR256とR299は通過市の多い大物で、これらのおかげで想定解の大幅な違いが生じました。
グリグリさんの想定解数追加もこれが原因かな、と思っているのですが。

問七:小矢部市([66202]8/18 09:51:20、銅メダル)
問四を解答した時点でさすがに眠くて寝てしまいました。
月曜も休みを取っていたのでゆっくり寝るつもりでしたが、目覚ましをそのままにしていたので7時過ぎに目が覚めてしまいました。
そこで朝飯食べて、ゴミを出してきて…さて、と思いパソコンをのぞいたらぺとぺとさんが「苫小牧市」と解答している。
苫小牧とお題をつなぐラインを考えて…ふとあるものが閃き頭を抱えました。
それは、問三で一度考えた「JR」。
しかも、昨日は共通項に直結する行動をしていた(はくたかへの乗車…その旨書き込みまでしちゃって)訳で、その2点が「頭を抱えた」所以であります。
これに関しては以前数えていたので([54194]参照)、その資料を引っ張り出して再確認後、小矢部市で投了。

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と言うことで、出題後16時間もお出かけ(しかも東京にいて、イベント参加のため途中の接続が厳しい状態)していたにもかかわらず、最終的にはノーミスで3抜け、しかもメダル3つ…と出来過ぎも良いところの結果でした。
もしお出かけでなかったら、多分2大バケモノの間に割って入ってメダルをもう少し取れていた自信もありますが…それはあとから見ての結果論。
ここは「この状態でも出来過ぎ」であることを素直に喜ぶべきでしょう。
次は、こんなに素直に行かないだろうなぁ。
[66561] 2008年 9月 1日(月)01:01:20EMM さん
Re:[66559]
[66559] 牛山牛太郎さん

牛山牛太郎さんが行き当たった「長野」と同様の地名は、ウオッちず上には実は大量に記載されています。
拙稿[66541]の繰り返しになりますが、[56419]hmtさんの書き込み中で触れられている「集落の通称名」に該当するものと思われます。
もしかしたらかつては小字名であったのかもしれませんが、現行では周囲の様子からおそらく自治会名として生き残っているのではないか、と推定されます。

アルプス社系の地図は、絵ーさまの方は国土地理院の地図を元にしているためこの「集落通称名」も書かれているのですが、検索用のデータベースはこれとは別のものを元にしているようで、そのためYahoo!地図やMapionで「地図上に書かれているのに検索では出てこない」小字名風の通称地名は数え切れないほど存在しています。
このグループまで対象にすると、設問のカオス度が一気に上昇してしまうと思われます。

#Mapionで「長野」と書かれているののすぐ横にあるジョイフルというホームセンター(正式にはジョイフル山新)の住所、調べてみると「笠間市旭町484」となっておりました。
ちなみにこの近辺、実はEMMは行ったことがあったりします…ジョイフルには入っていませんが、近くのスーパーとか書店には入ってるんだよなぁ…地図を見てふと思い出してしまいました。
[66778] 2008年 9月 16日(火)03:32:32【2】EMM さん
本末転倒…
[66773] hmtさん
總持寺祖院のある輪島市門前町・西本願寺のある京都市下京区本願寺門前町[48971]と同類の本末転倒町名だからでしょう。
神社でもっと強烈な事例を知っています。
対象は町名ではなく駅名なのと、駅ができる前から神社がそう呼ばれていた可能性が高いので、同列に扱って良いのかどうか分かりませんが。
阪堺電気軌道阪堺線に天神ノ森と言う駅があります。
この駅の由来である天神様は駅のすぐ近くにある(地図中では駅名のすぐ上に書かれている)のですが、この天神様、天神ノ森天満宮と言うんです。
「天下茶屋天満宮」「子安石天満宮」「紹鴎森天満宮」という別名もあるようですし、宗教法人としての登録名は「天満宮」なのだそうですが、境内にあった由来書きもご朱印の墨書きも「天神ノ森天満宮」となってました。
(朱印中の神社名は「天満宮」)
「天神ノ森」と言うのはこの天神様の社叢の事でしょうから、「門前町」のように本来隣接区域であったはずのものが範囲が広がった…と言うのではなくまさにそのものズバリが冠されている訳で、こう呼ばれるようになった所以を想像しようとすると頭の中で無限循環を起こしてしまいそうです。

[66742]スナフキんさんや[66747]小松原ラガーさんへのレスも考えていましたが、長くなりそうなのともう一回眠くなってきたのとで、また改めて…
[67213] 2008年 11月 7日(金)00:11:20【1】EMM さん
EMMの地名コレクション編集メモ・第160号
ちょいと遅れレスですが。

[67135] hmtさん
「四十島」は、以前[30000]記念の記事で、思い出すままにいくつか挙げた「数字のつく島」からは洩れていました。
[30120] オーナー グリグリさんのコメント
地名コレクションにはし辛いですが。(中略)何と言っても数が少ないなぁ。
もありましたが、地図をこまめに探せば、地名コレクションになる数が集まるかもしれません。

「四十島」だけでも、上記の松山市高浜沖の岩礁の他に、愛媛県大三島沖(広島県大久野島との間)と広島県因島沖とにあります。どなたか集めてみては?

四十島は3件とも「数字地形名」コレに収録済みだったりします。
ですが、すでに「数字地形名」コレに対しては「四十八滝」コレがありますし、「数字地形名」コレでは一桁台の数字は対象外となっているので、「島の名に特化する」事で並立させても良いんじゃないかと思います。
むしろ気にしたいところは「島群」にこだわるか、数字さえついてれば可とするか…でしょうか。
それによって適した名前も変わってきそうな気がします。島群だったら「nつ島」とか、何でも有りなら「数字の島」とか…とりあえずこのあたりでコレクション案に登録しておこうと思います。
[67298] 2008年 11月 18日(火)00:13:35【2】EMM さん
「和文通話表」多方面調査結果(2)防空通信編「才ノオ」
「和文通話表」の調査結果に関する投稿の(1)を旧盆前の[66021]で書いて以降なかなか次に手を付けられないでいたのですが、できればオフ会前には書き上げたい…と言うことで3ヶ月ぶりに続きを書いてます。
この件について調べ物をした経緯などについては前稿をご参照ください。

さて、戦前の和文通話表に関する資料として見つけたもののうち1つは金沢市の玉川図書館にあった「電信電話法令集」でしたが、もう1つはネット検索によって見つけました。
それは、広島市HPにある「広島原爆戦災誌 第五巻資料編(昭和46年12月8日刊行)」のpdfファイルです。
この中に収録されている「広島市永年防空計画」に和文通話表について触れた部分がありました。
この計画、作られた時期がはっきりとは分かりませんが、条文中に出てくる法律などの日付を見る限り昭和14~15年頃に作られたものではないかと考えられます。
で、本文中の「第四章 防空通信 第一節 通則」の中で次のように触れられています。
(前稿に引き続き、旧字体は適宜新字体に変換)

第四十六条 防空通信ノ通話ノ際意味通セサルトキ、別紙第四号和文通話表ニ依ルモノトス

そして、その別紙第四号に、現在の無線運用規則にある和文通話表のルーツと思われる通話表がでていました。
内容的には8割方現在のものと同じで、一部が[65418]hmtさんが触れているものであった…と言うことなのですが、漢字とひらがなの違いなんかも見られるので、こちらも抜粋しておきたいと思います。

朝日ノ アイロハノ イ上野ノ ウ英語ノ エ才ノ オ◎
為替ノ カ切手ノ キ車ノ ク◎景色ノ ケ子供ノ コ
桜ノ サ新聞ノ シ雀ノ ス●世界ノ セ算盤ノ ソ●
煙草ノ タ千鳥ノ チ●鶴亀ノ ツ●手紙ノ テ富山ノ ト◎
名古屋ノ ナ日本ノ ニ沼津ノ ヌ鼠ノ ネ●野原ノ ノ
葉書ノ ハ●飛行機ノ ヒ富士山ノ フ平和ノ ヘ保険ノ ホ
燐寸ノ マ●蜜柑ノ ミ◎無線ノ ム明治ノ メ紅葉ノ モ●
大和ノ ヤ弓矢ノ ユ吉野ノ ノ
ラヂオノ ラ林檎ノ リ●留守居ノ ル●蓮華ノ レ●ローマノ ロ
蕨ノ ワ●井戸ノ ヰ●鉤ノアル ヱ●尾張ノ ヲ
オ終ノ ン●

◎は無線運用規則と内容が異なるもの、●は無線運用規則ではかな書きになっているものです。
現在と内容が異なるのはお・く・と・みの4つ。
それ以外は(漢字とかな書きの差はあるとはいえ)一致していますから、やはり[66021]で挙げた託送電報発受心得の和文通話表ではなく、こちらの方が無線運用規則の和文通話表との関連性が高いと考えて良いのではないでしょうか。
ただ、この広島市永年防空計画が上記和文表の大元、と言うことではないと思います。
この計画自体が広島県防空計画を元にして作ったもののようですし、そこここに「関係法令に基づいて」みたいなことが書かれてますし。
「第四章 防空通信 第一節 通則」の中にもこういう条文があります。
第四十条 防空通信トハ防空ノ実施ニ直接必要ナル通信ニシテ関係陸海軍官憲、関係官公署及之等ノ命ヲ受ケ防空ノ実施ニ従事スル若相互間ニ発受スルモノヲ謂フ
第四十一条 防空通信ヲ分チ左ノ三種トス
一 警報
二 情報
三 指揮連絡報
第四十二条 防空通信ハ通信電話(電報)ニ依ル場合ハ防空通信規則(昭和十三年一月二十八日通信省令第九号別紙第六号参照)及防空通信取扱規程(昭和十三年一月二十九日公達第百二十五号)警察電話ニ依ル場合ハ広島県警察電話防空通信取扱規程(昭和十三年二月十五日訓防第一○八号別紙第七号参照)鉄道電話又ハ其ノ他ノ電話ニ依ル場合ハ其の定ムル所ニ依ルモノトス。
四十二条に出てくるいくつかの規則・規程がどうも怪しそうです。
この中で、防空通信規則は官報で調べる事ができます。
で、その「昭和13年1月28日の官報」を石川県立図書館に行って見てきたのですが(初めてマイクロフィルムを使いました)………防空通信規則の本文はでているのですが、肝心の「別紙」が無かったのです(滝涙)。
前後の日付を見渡してみましたが別紙はやっぱり無かったです。当時は別紙は残さなかったのかもしれません。
で、この線の金沢での調査の糸はとぎれてしまったのですが、どうも四十二条を読む限り防空通信規則か防空通信取扱規程が上記の和文通話表の出所であるのではないか、と考えています。
ただし、さらにほかの法令や告示などが出所である可能性がありまして…防空通信規則の本文中には関連する法令・規則として電信法・無線電信法・官庁用電信電話規程・官庁用無線電信電話規則の名が登場します。
このうち電信法・無線電信法には通話表が出てこないことは確認済ですが、残る2つの官庁間の通信を定めたもの…こいつらも臭そうな気がします。
そう思う理由としては、上記の和文通話表のうち、地名を使っている部分に関しては託送電報発受心得ときれいに一致している、と言うことです。
これはあくまで私の仮説ですが、戦時下で官庁間の連絡手段を統一する必要が出てきたため、それまで各省庁(あるいは省庁内の各部署)で使われていた別々の通話表の中からそれぞれいくつかの用語を抜粋してつなぎ合わせてできたのが上記の和文通話表であり、その元となったものの1つに託送電報発受心得があるのでは…と言うことを考えています。
本当にそうなのかどうかは分かりませんが、とにかく上記の和文通話表の元々の出所を探るには「防空通信規則の別紙」「防空通信取扱規程」「官庁間電信電話規程」「官庁間無線電信電話規則」についての調査が必須のようです。
でも金沢にいる限り、このラインではここまででお手上げ…。ここから先に進むとすると…についてはさらに次稿で。

#ちなみに、ネット検索で戦前の和文通話表を見つけたのは広島市HPのものだけでしたが、それ以外に国立公文書館のデジタルアーカイブシステムを検索したら1件だけ同じ和文通話表が引っかかってきました。
それがこちら
これが収められている簿冊は「公文書>警察庁>内務省警保局文書>種村氏警察参考資料第68集」となっており、おそらく戦前に警察官だった方が持っていた当時の文書・資料を寄付したものではないかと思われます。
肝心の通話表はそれだけを印刷したものか、あるいは何かの冊子・書面からその部分だけはぎ取ったもののようで、年代が分かりません。
ついでに関連しそうなキーワードについてデジタルアーカイブシステムで検索してみたのですが、これと言ったものが出てこないか、何となく気になるものが出てきてもデジタルデータ化されてないか…でした。

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ついでにもう1件、実は電話帳についても調査を行いました。
とは言っても大げさな話ではありませんで、金沢市立玉川図書館にあった一番古い電話帳を見せてもらったのです。
昭和55年の金沢版でした。(あれ?53年だったかな?)
が、このころの電話帳って住所氏名電話番号しか出てないんですよね。
現在のハローページの冒頭にある電話に関する各種案内とか電報の出し方とかいったものは別冊の電信電話ガイドと言うのに載ってたんですよね。そう言えば何となくそんなのもあった覚えがあります。
で、そっちは昭和54年のものがあったので当然見てきました。
結論から言うと、「この年代の電話帳には和文通話表は出ていなかった」。
念のため能登版も見せてもらいましたが同様でした。
とりあえず「この電話帳」ではなく「この時代の電話帳」と言い切ってしまいます。
本当に言い切るには他の地方の同年代の電話帳を見る必要がありますが…もしかしたら地方によって電話帳の構成が違ったのでは?と言う可能性もありますが、当時は「国の機関」であったわけですから紙面の構成にそんなに差が出るとは思えないので、多分そうなんだろうと思う訳でして。
ただ、これ以上の情報を集めようとするとやはり金沢ではここまでな訳です。
ここからより深いところに進めるか否か…についても次稿で触れたいと思うのですが、この線からもっと深いところにつっこもうと考えた場合には条件を絞った上で進める必要があると思うのです。何せ資料が「名簿」なもんですから。
(玉川図書館では「調べたい内容」をきちんと伝えた上で見せてもらいました)
[65471]hmtさんや[65476]inakanomozartさんから「昔の電話帳に通話表が出ていた」と言う書き込みがあった訳ですが、少なくとも「約30年前の、石川県関係の電話帳」には出ていなかった。
そうなると、「より具体的な年代」か「その電話帳を見た地域」が必要になってくるかな、と思うのです。
[67312] 2008年 11月 20日(木)06:58:16EMM さん
「和文通話表」多方面調査結果(3)今後の展望「私をていぱーくに連れてって」
[66021][67298]の続きでありますが、その先に。

[67302] hmtさん
誤字のご指摘ありがとうございました。
広島市永年防空計画の通話表をそのままコピペしたためやってしまいました。
また、種村文書の解説もありがとうございました。
貴重な資料のようですね。
本格的に米英との戦争に突入する直前で、「兵士のヘ」がふさわしい時代すが、「平和のヘ」「英語のエ」なんですね。
加えて「特徴的なグループ」にまとめられる用語が何種類かあることが「複数の通話表をくっつけたものではないか?」と疑っている理由です。
でも本当にそうなのかは元になっていそうな他の通話表を見つけられないと何とも言えないのですが、調べるのはかなり難しそう。
昔の電話帳に通話表が出ていた時代の件、確かな記憶ではありませんが、1950年代、東京又は大阪付近かな?
うーん、そうなると調査の難易度が上がりますね。
詳細は後述。

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では本文。
金沢+ネット上での「戦前の和文通話表」に関する調査は前稿までの内容が限度のようです。
では、もしさらに深く調査するとしたらどうすればいいか?
まず考えられる事は「国立国会図書館に行くこと」です。
HPで調べましたが、まず官報は全部そろっているようです。
(「別紙」まで全部きちんと残っているかどうかが焦点ですが、その点は不明)
また、蔵書の方でも電電公社の例規集のようなものもありますし、より広範囲の調査ができるでしょう。
なお、一部地域の電話帳も蔵書としてありますが、昭和43年頃のものが最古のようです。
また、蔵書の内容が出版当時は問題なくても現行の法制度では何らかの問題がある場合は閲覧不可…と言う事があるようで、それを考えると「名簿」である電話帳は個人情報保護法のことを考えると見せてもらえない可能性もあるかも。
その場合は「電報電話ガイド」的なものから攻めれば何とかなるかもしれませんが。

ただ、「使えそうな資料」に関して調べていても、まだ何か決定打が足りないような気がする。
官報に出てこないような、公達とかを調べる手段はないのか?
思い悩んでいる内に、ふと「各省庁の公報もあるんじゃないの?」と思い、調べてみたら「逓信公報」というのがでていたことが分かりました。
ところが、国立国会図書館には明治後半の限定された時期のものしか無いようなのです。
自分が見たいのは昭和10年代、「やっぱりダメか…」と思いつつまだ何か手段がないか調べていたら、各省庁の図書館が国立国会図書館の支部となっていることが分かりました。
で、「逓信公報」が収められていそうなところを探したところ、 こんなページを見つけました。
郵政事業庁図書館には逓信公報が全部ある、とあります。
でもその下りを続けて見ていくと、
公社化に伴い、郵政事業庁図書館も昭和23年8月以来の支部図書館としての役割を終えますが、今後も中央館、各支部図書館とは協定を締結し、協力関係を維持していきたいと考えています。
とある。
しかも、現在は郵政民営化済み。じゃあ、図書館の資料はどうなったの?????
実は、郵便事業株式会社お客様サービス相談センターにメールで問い合わせをしてみました。
すると、帰ってきた返事は次のとおり。
お問い合わせの「逓信広報:大正~昭和」につきましては、
東京都千代田区大手町にございます、
「ていぱーく」(逓信総合博物館)にてご確認いただけます。
郵政事業庁図書館の蔵書の内、資料類はここに来ているようです。
なんだ、結局逓信総合博物館が一番重要な場所だったんじゃないの!…と言うのが今回の結論。
(ちなみに、金沢市立玉川図書館や石川県立図書館で蔵書検索をしている時に「電電公社図書館」というのもあったことが分かりました。ここの資料もていぱーくに来ているんじゃないかと思います。電話帳の古いのもあるかもしれません)
これは是非行ってこねば!と思ったのですが…利用上の問題が。
メールの後半にはこんな事が書かれてました。
・図書閲覧室のご利用について(逓信公報は、こちらでご確認いただけます)
火~金曜日
(土・日・月曜日、祝日、休館日のご利用はできません)
9:00~12:00・13:00~16:00
※貴重書の閲覧は、特別閲覧の申請が必要になります。
なにぃ~、土日利用不可だと!
これでは、仕事を抱えた身で金沢から調べ物に行くのはかなり困難…と言うことで、この件に関しての私の調査はここが打ち止め、残念。
情報収集のための地理的障壁を感じた瞬間でありました。

でも落書き帳にこうして書いておけば、「和文通話表の歴史」に興味を持った人が検索で見つけてくれれば大きなヒントになるかもしれません。
そう言う意味でこの(3)まで書いておく意味はあるだろう、と思ってます。

#今年に入ってから書いた書き込みで、「(1)」だけ書いてそのままになっているのが多分もう1件あります。
そっちについては、年内に続きを何とかする、と言う事で(汗)…
[67593] 2008年 12月 14日(日)14:08:47【3】EMM さん
スイッチバック・自己フォローなど
[67574]は昼休みの短い時間の間でまとめたものですが、時間がなかっただけにせっかく見つけた参考サイトを生かし切れてません。
具体的には、桑ノ原信号場・羽尾信号場・旧関山駅に関する部分についてI love Switch Backを参考にしているのですが、反映しきれなかった部分がしっかりありました。昼休みがもう10分あれば…

[67575]Issieさん
二本木駅の貨物取扱に関する話は参考サイト中にもありました。そこまで読むことができたのは半日後…。
篠ノ井線乗車に関する話は、[67574]を書き出した時点では特急乗車の時の話だけで書いていたのですが、途中で「あれ?そう言えば鈍行に乗っていた時に特急をやり過ごしてなかったっけ?」というのが頭に浮かんできて、どっちが真の初体験だったか分からなくなったので併記して書いてあります。
いずれにしても、篠ノ井線を通った時まで3のグループのような運用をするスイッチバックが存在することを知らなかった、と言うことです。
子供向けの鉄道の本ではスイッチバックは「急勾配をクリアする為の方法」として紹介されていることは多いですが、「斜面にフラットな形で駅・行き違い施設を作るための方法」として取り上げられている事はあんまり無かったような気がします。
その事と、大学受験まで鉄道になる機会が皆無と言っていいぐらい無かったことが篠ノ井線での経験に繋がっております。

[67578] hmtさん
普通の鉄道ではありませんが、立山砂防工事専用軌道。落書き帳の過去記事 [3277][18054] 深海魚さん他 にも登場するのですが、なぜかスイッチバックには言及されていません。
高低差約200mを一気に登る 樺平の連続 18段 を含め、戦後に整備された部分を含めて全部で 38段(文化庁の資料では42段)のスイッチバックとか。
[67574]を書いている時に初めて存在を知りました。隣県にこんなすごいものがあったとわ。
ちなみに、[3277]深海魚[雑魚]さんの記事中で
隣接の資料館見学を前提に、抽選に
当ると、工事見学ツアーの名目で乗車が認められる場合もあるそうで、是非試して見たいところ。
とありましたが、wikipedhiaによると2006年までは抽選の応募要項に「富山県在住者に限る」という非情な項目があったようです。
2007年からこの制限は撤廃されたようですが、2006年で抽選の倍率は約2倍~5倍であり、応募の制限撤廃により抽選倍率が上がっている可能性がありそうです。
しかも、荒天中止。やはりハードルは高いようで。
興味のある方は立山カルデラ砂防博物館HPをご参照ください。
せっかく近いんだから、来年に応募してみようかな…

[67584] YASUさん
今年7月5日に「スイッチバック街道惜別羽尾号」という列車が運転されました。
その翌日、羽尾信号場は廃止されたようです。現在では線路は残っていますが、架線は撤去されてしまいました。
[67574]を書いた際には参考サイトやその他の検索で出てきたサイトの記述が入り乱れていたので「休止?廃止?」と書きましたが、wikipediaに架線撤去の話が書かれていました。
記念列車運行が今年7月、架線撤去が9月と言うことで、関係サイトでもまだ十二分に反映され切れていないようです。

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クイズの正解発表でもあるオフ会レポートを下書きしたところ、4泊5日でしかもかなり欲張った日程であった事から恐ろしく長大なものになってしまいました。
なので、文章を圧縮するかどうか思案中。でも、文章を圧縮しようとするとまた時間がかかるし…
ああ、そう言えば写真もまだ整理できて無い。


※追記
本稿を書くにあたり参考にしたwikipediaの記事は、立山砂防工事専用軌道見学の応募の条件緩和に関する記述が十分でなかったようです。
詳細は[67605]みのるさんの記事をご参照ください。
[67621] 2008年 12月 18日(木)00:26:13EMM さん
オフ会&東北旅行レポート(2)オフ会当日編
続いて中編として、オフ会当日の23日のレポートです。

4.23日(日)
ホテル~(徒歩)~大館駅~(路線バス、徒歩)~大館神明社~(徒歩、路線バス)~大館八幡神社~(徒歩)~大館八幡神社~(徒歩)~遍照院~(徒歩)~秋北バスターミナル~(路線バス、徒歩)~鷹巣神社~(徒歩)~鷹ノ巣駅~(JR奥羽線・普通)~大館駅(駅前の喫茶店で昼食)~(JR花輪線・普通)~湯瀬温泉駅~(徒歩)~湯瀬ホテル

前日と比べると行動はややマイルドです。
6時に起きようと思っていましたが、起きたら7時を過ぎていたためにこうなった…のが正直なところでした。
大館市内の寺社めぐりは予定通り。
鷹巣は、早起きできていれば大館能代空港まで行ってくるつもりでした(目的はネイガーグッズの確保…)が、寝坊したので鷹巣神社の参拝のみにしました。で、大館から鷹巣まで路線バスで行ったのですが…乗ったバスは合併前の旧大館市域では340円止まりだったので気楽に見ていたら、旧田代町に入って最初のバス停でいきなり100円も上がり、以降はちょこちょこ上がっていって、結局810円になりやがりました。このあたりから先はずっと私1人しか客がいなかったのですが、奥羽線に乗った場合の運賃と併せて考えると「バス、邪魔ねぇんか?」と思ってしまいました。
鷹巣神社は、着いたらちょうど七五三のお払いの真っ最中で、前日の黒石神社と同様少々待つ羽目に。大館に戻る電車には間に合いましたが、昼食も鷹巣で食べるつもりだったのが時間が無くてパス。大館で花輪線までの待ち合わせが40分ほど合ったので昼飯抜きにはなりませんでしたが。(駅の近所の喫茶店でカレーライスをかき込んだ)
大館駅では熊虎さん、敷守ほむらさん、MasAkaさんと遭遇。あと、我々が改札をくぐるより前にスナフキんさんも目的の電車(の隣の車両)に乗り込んでいたようです。さらに東大館駅で白桃さん、十和田南駅で88さんが乗り込んできて、湯瀬温泉駅には午後2時58分に総勢7名で降り立つこととなりました。
ホテルに着いたら本日の団体名の中に「落書帳オフ会御一行様」の字が。早速どなたかから「き」の送りがなが無い、とツッコミが入っていました。ロビーに入っていくとグリグリさんといっちゃんさんが受付をされていたので早速会費を払い、部屋割り。部屋割りは基本的に到着順+その間に幹事団が挟まる格好で、私はMasAkaさん、敷守ほむらさん、88さん、そしてグリグリさんと同部屋でした。
部屋に入ったらまずはお風呂に…は行かずにスナフキんさんの企画や、さらにグリグリさんの企画の写真撮影地当てクイズの話になっちゃいました。そのうちに撮影地当てにほぼ没頭状態となり、完全な当てずっぽう1件も含めて12枚全部の解を記入したら5時ちょっと前だったので急いでお風呂へ。湯瀬ホテルはお風呂が2か所にあるのですが、両方をはしごしてしまいました。風呂から上がってしばらく雑談していたら1次会の開始時間が近づいてきたので宴会場へ。
1次会の座席はくじ引きで決定。JOUTOUさんと小松原ラガーさんの間でした。
hmtさんの乾杯に続いてまずはスナフキんさんの逆認市度最高地点当てクイズ。実は部屋に入った時点で「1位大館、2位盛岡」で山を張っていました。ヒントを兼ねたスナフキんさんの質問で「1位は盛岡かも」と思ったのですが、初志貫徹した結果…見事外れ。まぁ、解答を変えていたとしても「1位盛岡、2位大館」にしていたでしょうから得失点差判定にしか引っかからなかったでしょうが。(2位がまさかあの市だとは…。あと、自宅から湯瀬までの行程で黒石市と五所川原市に行ったのは私だけだったというのも判明)
これでようやく「湯瀬に来るまでにどこで、何をしてきたか」が話せるようになり、どこここへ行ったと言う話を中心にしていたと思います…すいません、アルコールが入っていたためか何を話していたかうろ覚えです。
しばらくすると今度はグリグリさんの「写真の撮影地を当てるクイズ」。こっちではやってしまいまして、12問中11問正解で1位。結局今回も商品をせしめてしまいました(汗)。ちなみに、Tシャツと、副賞として千葉のお菓子を頂いています。なお、今回は私からも金沢のあずま園茶舗さんの加賀棒ほうじ茶を商品として提供させて頂きました。
なきらさんによる中締めのあとは2次会部屋に移動、なのですがちょっとインターバルが設けられました。
これは飲食物の準備と、1次会の最後にいっちゃんさんから寝部屋別対抗で「市名市ンギス間」なるものが出題されてそれを考える時間が設けられたから。
4人で考えて、13市見つかりました。いっちゃんさんに報告に行ったのは私たちの部屋が一番だったらしい…
で、2次会も全員参加で開始。これまた、アルコールが入っているのとあっち行きこっち行きしながら話をしていたのとで、どんな話をしていたのか記憶があやふやです。
2次会では各地のお酒も供されました。私も石川の地酒の1升パックを提供させて頂いています。この酒、白桃さんが半分以上飲んでいたような気がします…
あと、千本桜さんから「大河原銘菓」萩の月のご提供もありました。私、たくさん頂いたような気が(^^;;;
夜も更けて11時頃になるといつの間にか少しずつ人数が減っていき、12時頃に2次会は一応の散会。
で、私・敷守ほむらさん・MasAkaさんは寝部屋に戻り、しばらく「コンテンツ産業による地域興し」…平たく言えば超神ネイガーの話やらご当地アニメ・ゆるキャラの話やらをしていました(笑)。
やがてお二人は寝てしまったものの、私はなかなか寝付けなかったので2次会部屋に戻ったらちょうど十番勝負の話の最中で、その輪に交ざったらやがて地名コレクションの話隣、さらにまた十番勝負の話と進んでいったのは[67370]グリグリさんも書かれている通り。(話の内容の何割かは当事者が私)
このグリグリさんの書き込みの時点では2次会部屋にいたのは7人でしたが、これまた徐々に人数が減っていき、最終的に残ったのは私、88さん、そして白桃さんの3人。3時頃に白桃さんがお開き宣言をしてそのまま2次会部屋で布団ひっかぶって寝てしまったので、私と88さんも寝部屋に戻って寝ることとし、長い1日は終わったのでありました。
[67373]は寝部屋の布団の中で携帯から書き込んでいます)

アフターオフ会編に続きます。
[68778] 2009年 3月 8日(日)01:15:07EMM さん
飛び地関係レス
[68776] k-aceさん
徳島市、板野郡藍住町に隣接している板野郡北島町高房です。
徳島北高校を含む土地が徳島市で、北島町の一部が飛び地になっているようなのですが、なんだか徳島北高校は徳島市にあるんだと主張しているような市町境ですね。
試しに他の地図サイトで同じ辺りを見てみたら、MapFanではちょっと違う表現で書かれていました。
こちらだと、むしろ徳島北高校の校舎付近が徳島市の飛び地である…と見てとれます。
地図サイトだけではどっちが飛び地でどっちが飛び地でないのかの判断が難しい物件のようですね。


[68767] hmtさん
耕作地でなくなった現在も、入り乱れた境界を保持しているのは何故か。【改める実益がない。】
同様の事例が、日本全国に多くあるはず。【個別の当事者が知っていれば十分で、日本全国のデータを集積する必要などない。】
こりゃ、何かの機会に複雑な飛び地が陽の目を見て、スーパーマップル関西道路地図 [19852] に紹介された大阪国際空港は、氷山の一角にすぎないのかもしれませんね。
実際の所、「隠れ飛び地」は予想を遥かに越えて存在している可能性があります。
北陸を中心に営業を行っている刊広社と言う地図会社の住宅地図には地籍版と言うのがあるんですが、それの金沢市のものを見ていたら、自分の住んでいる町のとんでもない所に隣町の飛び地が出てるんです。
その一帯は住宅地で、そこにある家の住所は通常は「自分の住んでいる町の名+地番」な訳ですが、どこかの段階(登記簿上?)では「隣町の名+地番」に化ける、と言う事らしいのです。
仕事上でもそう言う事例にぶつかった事があります。
土地の所有者がわかりやすい平場の土地でさえこんな事がありますから、所有者の名義がかなりカオスな場合が多々ある山林部はどうなっているか分かったものではありません。
とてつも無い所にとてつもない飛び地が隠れている可能性が…
MapFanの金沢市の住所一覧を見るとその片鱗?を見て取る事ができます。
主に山ぎわや山中にある町の小字で、「○○町元××」という小字が散見されるんです。
このシリーズの小字、他の地図サイトの住所一覧では出てこないものなので多分ほとんどが山林部の小字だと思われます。
(一部山林のない所にも同様の小字があるところがありますが、その「元××」という小字は河原にあるではないかと思われます)
××の部分は○○町の隣町の名が入っているものもありますが、結構離れた所の地名の組み合わせ(その場合、××の方は平地の町の名が多い)もあります。
これは多分入会山の名残だと思います。
「元」が冠されているので現在は「所在している所の町」の一部…と言う事で良いんだろうと思いますが、うちの町内の例もあるんで、そう言ったものの中にも「どこかの場面では昔の町名に化け、飛び地となる」所があるかもしれません。
そんな中には「大額町元野々市」や「清瀬町元野々市」なんてのもあります。
「元」が付かない状態のままであれば、金沢市の中の野々市町の飛び地…と言う事になってたのでしょう。

#「××」の部分には「昔の名前で出ています」状態のものもぽつぽつ見られます。
弥勒縄手(現・弥勒町)、牛坂(現・旭町)、北森下(現・北森本町)、南森下(現・南森本町)、野々市新(現・久安)等々。
[69272] 2009年 4月 18日(土)01:40:31EMM さん
酔っぱらっておりますので、手短な話だけ
本日…もう昨晩ですね、職場の飲み会でした。
まだ酒が残ってて長文が書けるような状態ではありませんので、とりあえず1件だけ。

[69246] Issieさん

リンクされた私の記事は「男はつらいよのロケ地」に関する記事ですよ。
正しくは[69245]hmtさんへのレスですよね。
書き換え訂正はギリギリ間に合わないかも…もうちょっと早く書き込めれば良かったんですが。
[70844] 2009年 7月 17日(金)00:26:52【2】EMM さん
富来考イントロダクションその2・富来湾(+「湾」コレ情報提供)
[70841] 千本桜さん
まったく想定外でした。風無・風戸に西海ではなく富来をもってくるとは石川県農林水産部もなかなか大胆(笑)。
[70843] hmtさん
この時に、当時の自治体名に由来する「とぎ」を漁協の名に選んだのはともかく、領家漁港や七海漁港をさしおいて、「富来漁港」 を名乗ったのだとしたら、たしかに大胆(笑)。
前夜の書き込みがあんな時間でしたし当然今は超眠たい訳でして、寝る寸前だったのですがちょっとだけ。
富来漁港については西海漁港富来新港とも呼ばれるようです。
であれば富来漁港と呼ばれるようになったのは最近?と思いきや、こちらを見る限りでは昭和30年代には富来漁港という呼び名があった模様。
(水産庁HP内で検索して出てきたPDFファイルからすると、昭和26年に富来漁港という名で第4種漁港の指定を受けた可能性有り)
「なぜ西海地区の漁港が富来を冠することになったか」は西海地区の漁港が富来地区内でも水揚げ高の面でトップクラスだったからなのでは…と言うことも考えられるでしょうが、付近の地形(注:1920×1080でちょうどよく見えるようになっているはずなので、風無から領家町まで全域画面にはいるように適宜調整してください)を見るに、「近現代の土木技術を以て町の中心となる新たな港を作るに辺り、町内で唯一東向きの海岸であり面積も確保できる風戸付近が選ばれた」と言うことなんじゃないでしょうか。
それにしても、風無や風戸って、港のあるところの名前として考えると何か示唆的ですよね。
港で名前が示唆的と言えば…以降は本編の、多分5章目ぐらいに続く…

#ちなみに「西海漁協+西浦漁協→石川とぎ漁協→石川県漁協とぎ支所→石川県漁協西海支所」な訳ですが、湾の反対側の領家港の付近は「富来湾漁協→石川県漁協富来湾支所」なんですな(参考)。
あれ?富来湾って「湾」コレクションには未収録だ。
と言うことで石川県の「富来湾」、ひとついかがでしょうか?>SANUKI-Impactさん

##あと、領家港って名前は領家港ですが所在地はどう見ても地頭町、と思ったらYahoo!地図の縮尺によってはこのように地頭町と表示されながら色分けは領家町と同じになってたりする。おや?
[74169] 2010年 2月 16日(火)22:57:00【2】EMM さん
EMMの地名コレクション編集メモ・番外
年度末に向けて仕事の方が何かと気ぜわしいのですが、先週一山越えたら昨日今日と疲れが一気に出てきているような感じです。もーへろへろ。
外は雪も積もってきているようなので早く寝た方が良さそうなのですが、ちょっとだけ。


[74163] hmtさん
[74168] 星野彼方さん

地名コレクションへの海外地名の情報提供は久しぶりなので、念のため。
以前三山コレで海外・地球外情報の提供があった際、[49639]にてグリグリさんよりコレクション登録に対しての見解を頂いております。
基本的にはそれに沿って頂ければOK、っちゅう事で。
バンクーバーだと「オリンピック開催記念で番外篇として登録した」と言ったようなことを注釈にそれと分かることを書いといて頂ければ良いだろうと思います。
[75004] 2010年 4月 21日(水)01:34:18EMM さん
「[74962]へのレス」あてレス2題(含「盆地コレ」情報提供)
[75001]らるふさん

レスありがとうございました。提供した情報の当落については担当者の方のご判断にお任せすることにしていますので(その分、情報提供の投稿の際に可能な限り関連情報を載せるよう心がけてます)、今回投稿したものについてもらるふさんのご判断どおりでかまいません。
まぁ、正直なところを言ってしまうと、自分的にも利賀盆地はちょっと無理があるかなぁ…と言うところを持ったまま投稿してしまいました。
消えてしまったサイトも引用したサイトが出所だと思われましたし、もうちょっと違う切り口の用例がもう1つ2つあれば良かったのですが。
ちなみに、私の方で保留している1事例(石川県内です)も「1つの文献のみ」のため保留しています。
具体的には「ネット検索結果の件数は二ケタ台あるが、すべて「1つの文献のタイトル」の引用であったため、具体的な内容が分からない」というものです。
具体的な指し示す範囲が示されているかどうか、図書館まで行って確認してくる必要があるので、今しばらくお待ちください。
それとは別に、新たな未収録の「盆地」地名を見つけました。
それは、新潟県の「妻有盆地」。
Yahoo!での検索結果はこの通りでして、十日町市役所HP内のこのページ(注:実際にはこのページの一部)によると、読みは「つまりぼんち」。
場所的には十日町市から津南町にかけての盆地のことを指すようです…と言うことは収録されている「十日町盆地」の別名であるようです。
妻有というのは十日町市・津南町付近の古くからの地名「妻有郷」に由来しているとのことなので、盆地の名称として中心集落名/中心自治体名を冠する場合と旧来からの広域地名を冠する場合があると言うことのようです。
ネット上での使用事例は十日町盆地の圧勝(検索結果)なのですが、妻有盆地が出てくるサイトは十日町市役所を始め十日町市や津南町の個人・団体関連のところが多く、地元ではそれなりに使われることがあると考えられるので、十日町盆地に妻有盆地を併記しても良いような気がします。
いかがでしょうか?

あと、「盆地」コレクションからはちょっと離れますが…
一方、伊豆の国市の市役所近辺、伊豆長岡温泉界隈は○○盆地という呼び方が見つからないので少し残念です。
これと似たような「地形的にはその地形で間違いないのに、なぜか地名として出てこない」事例は私も長年追い続けているものがありまして…「砂丘」コレクションを集める中で、なぜか四国のみ「○○砂丘」という呼び方/書き方をされている例が見つからないのです。
高知県とか香川県とか、あっても良さそうなのですが…

-----

[74963] hmtさん
地名コレクションとは無関係の反応ですが、リンクされた「利賀川ダム」の Yahoo!地図。その表記は「水無ダム」。
ダム便覧 によると、“利賀川(とががわ)ダム [別名] 水無ダム”とあるので、これでよいのですが、ダム名が「水無」でよいのか? と余計な心配。
本題の「盆地」からは外れていきますが、私の琴線に触れる話題なので反応します。
実は「水無」という地名に興味を引かれ、ちょっと調べたことがあります。
そうすると、確かに水の無さそうなところにある「水無」地名もあるのですが、川のすぐ近くとか田んぼのど真ん中とかどう考えても「水がたくさんある」ところなのに「水無」というところも結構あるんですね。
字面からすると非常に不思議な訳ですが、地元の方としても気になる事のようで、「地元の水無という地名にはこういう由来が伝わっている」と言う事が書かれているサイトをいくつか見かけました。
もう一度探し出してリンクすれば良いのですが、とりあえず記憶にあるところを思い出してみると、

・水が無い
・水はあるものの水質が悪く、使える水があまり無い
・水が豊富で豊かな土地であることに由来する「水成し(みずなし)」から転じた
・低湿地の中にあって比較的水気が少なく、耕作や居住に適したところであった
・みずみずしい実がたくさんなる梨の木があったことに由来する「水梨」から転じた

…等々ありまして、必ずしも「水が無くてガラガラなところ」を指す訳ではなく、何らかの形で水があるから付けられたらしいところも結構あるようです。
確かに、「水無山」「水無沢」ならともかく、集落名として考えた場合は水が全く無いところだと生活の拠点とはなり得ないはずですし。

そのほか、「越中の水無村」からそう遠くないところに水無の親分筋とも言える飛騨一ノ宮水無神社もあります。
水無神社は「みなしじんじゃ」で、何らかの形で水に関連した名前であるという説と、水の有る無しとは関係ない別の言葉から転じたものという説があるようですが、具体的なところははっきりしていない模様です。
もしかしたらこちらと関連ある地名の可能性もあるのかもしれませんが…地名辞典を探ってみたほうが良いかもしれませんね。

ちなみに…なぜ「いろいろ調べた」事があるのかというと、将来的に地名コレクションとすべく下調べしていた…と言うことであります。
実は「ぜひ自分で手がけたいので、腹の中であっためていた」案の1つでした。
(同様に自分の心の中で留め置いている素案は両手では足りないぐらいあります)
現在中途になっているコレクションがある程度目途が付いたら次取りかかろうと思ってたのが「水無」コレクションだったんですが、話題として出たことからこれを気に登録だけでもしてしまおうと思います。
[75428] 2010年 7月 2日(金)00:09:17EMM さん
金沢の夏、能登の夏
さーて、今年も氷室饅頭をかじりながら何か投稿を………と思って落書き帳を開いたら、[75427]hmtさんの
この記事に敬意を払い、hmtマガジンに「季節行事」というテーマを立ち上げ、その第1号特集 「夏の行事」 の冒頭に [42735]を収録しました。
を見てびっくり。なんせ、京都の祇園祭や博多祇園山笠を差し置いて、金沢の氷室饅頭がトップなので。
金沢では7月1日の氷室→7月の新盆→8月の旧盆…と夏の行事が続きますが、能登の夏と言えばあちこちの集落でそれこそ日替わりで毎日のように行われる「キリコ祭り」。
その中でもトップバッターにあたる宇出津のあばれ祭り…今年は7月2~3日…が夏到来を告げる行事となっています。
この祭り、御輿を川や海に放り込んだり神社の石段から転げ落としたりしながら暴れまくるのが一番の特徴。
(キリコ=奉灯はそこまで暴れない、はず…)
リンクしたサイトの紹介文を読むと、京都の祇園祭と関連のあるお祭りでした。
EMMは「湯涌温泉の氷室開き→7月1日の氷室饅頭」と「7月頭の宇出津のあばれ祭り」のニュースが流れると「石川ももう夏かいね」と感じると言うことであります。

#EMMは以前はあばれ祭りは特にそれほど気にしてなかったんですが、しばらく前に宇出津の方と仕事でご縁があり、その方があばれ祭りの時期は祭りが済むまで仕事の話はそっちのけだったもんで印象が深くなりました。そういえば南加賀方面では「この行事が来ると夏」ってのは何かあったかしら…小松に勤務していた頃はあまり意識することがなかったような…

##氷室饅頭食ったらお茶がほしくなりました…
[75433] 2010年 7月 2日(金)19:33:27EMM さん
田舎の祭りは「過去の日程変更の歴史」に要注意
[75432] hmtさん
ここには、疫病対策で祇園社から牛頭天王を勧請という由来が記されており、日付も「七日」ではありません。
えっとですね、「今年は」って書いたところにちょっとポイントがあるのですが。
過去記事でも地方のいろんなお祭りが参加者や見物客を集める都合で日程が「○月○日」から「○月第○土・日曜日」に変更された事例が出てきているかと思いますが(たとえば、私の投稿したのでは美川のおかえり祭り・金沢の百万石まつり[65454])、このあばれ祭りも実は「日程が変更された祭り」です。
こちらによると、もともと7月7・8日開催だったものが、平成16年から7月第1金・土曜日に変更されています。
[76823] 2010年 11月 20日(土)07:16:51EMM さん
両白山地は最西
おはようございます。
現在は小山市内のホテルにおります。
以下は昨日の朝に書き込むつもりでタイムアップになった話。

[76804] k-aceさん
[76805] futsunoおじさん
[76807] hmtさん

本筋とはちょっと離れますが。
両白山地って2000m以上の地点としては日本でもっとも西に当たるんですよね。
過去記事にありそうな気がしましたが、「両白山地」を含む過去記事には無いですね…「白山」では探しにくいなぁ…。
イメージ的に大野市が最西…と言いたいのですが、どうやら白山市内のこの付近の模様。
市域全体ではどっちがより西かは微妙な関係…画面のちっこいウルトラモバイルPCでは確認しにくい…
旧白峰村・尾口村域と大野市域なら大野市域のほうが西、ってことになりそうですが。
[77585] 2011年 2月 3日(木)22:33:06【1】EMM さん
えーほーながや
[77583] hmtさん
しかし、[8672] YSK さんが“5年くらい前から【仙台で】知っていた”と証言しており、一部では拡散し始めていたのでしょう。
その背景を拙稿[68571]で考察しております。
セブンイレブンがかなり早いうちから「特に告知も打たず細々と」恵方巻を全チェーン展開していたそうでして、[68573]YSKさんからも
[68571]EMMさんのお話を拝見して興味深いなと思ったのですが、私が恵方巻に初めて初めて接したのは大学時代、仙台のセブンイレブンでのことでした。当時はCMなどでも宣伝されておらず、売り場にひっそりと売られていたのを興味本位で買って食べていたのですが、その時期がちょうど
セブンイレブンが恵方巻きを全国展開したのは1998年だそうですが
というお話に符合しています(私の在仙期間は93年~99年)。
とレスを頂いております。
[78218] 2011年 5月 11日(水)03:23:13EMM さん
EMMの地名コレクション編集メモ・第178号
[78193] 美濃織部さん
そこで突然なんですが、どなたか編集者を変わっていただけないでしょうか?
編集に時間をとることができないのに、ダム湖コレの編集者として名が残っているのが申し訳ないので…
お返事遅くなり申し訳ありません。
本音を言えば「思い出した時に編集」でもかまわないので編集者を続けて頂ければ有難いのですが、無理にお願いするべきではないとも考えます。
と言う事で、地名コレクショントップページの説明文中の「新規編集者募集」の所に「ダム湖」コレクションを記載しておきました。
後任の担当者が決まるまでの情報提供への対応はどのようにされますか?
情報提供については私が対応しても良いですが、ご希望をお伝えください。

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[77878] k-aceさん
[77884] オーナー グリグリ様
[78207] hmtさん

しんちゃんさんへのアドバイスのレスありがとうございました。
良いタイミングで書き込みできなかった日が多かったのもありますが、どういう風にお願いをすべきか、お願いをして聞いて頂ける相手なのかを見極めるため様子見していたのもありました。
その間に考えていた事ですが、「各地名コレクションへの情報提供に関してのお願い」[41496]が投稿してから6年が経過しており、現在のネット環境からするとそぐわない面も出てきている事から改定版を書く方向で考えています。
内容は思案中なのですが、hmtさんが指摘されているウオッちずの仕様変更にかかる部分は私も同様に考えておりました。
(「直リン不可、緯度経度情報のみ表示される」→「緯度経度情報を元にURLを手入力する事で直リン可」→「緯度経度とともに直リン用のURLが表示される」)
編集者としてもできれば手間のかからない例示が有難いのもありますので、「緯度経度による位置情報の提示は基本的に謝絶」としたいと考えています。
その他のhmtさんのご提案についても加味させて頂きたいと考えています。
ほかにも何かご意見ご提案がありましたらよろしくお願いいたします。

ここからは[78207]hmtさん宛で編集者としてのレスになりますが…
「巌」は「岩」と同義・同音の文字と思われるので、「獅子の霊巌」は、“その地形としては特殊な地名”つまり“岩なのに岩っぽくない名前”には該当しない。
これが私の判定です。編集者のご意見は?
私も同様に考えます。故に採用はしない方向で考えてます。
ただ、そうすると希少地名3コレクションの中には「近しいレベルなのでは?」と思われる地名も採録されているのですが、それらは私が担当を引き継ぐ前にすでに収録されていたものがほとんどですので、過去の経緯を尊重してそのまま採録しています。
(とは言っても、これまでにいくつか削除した地名はありますし、今後大幅に見直しをする可能性もありますが)
そのあたりも私の主観と言えば主観ですね。
編集者としてのEMMは最初に線引きのラインをある程度決めてしまって、その線引きの範囲内と客観的に説明できるものであればとことん集める…と言うようなスタイルをとっております。
それからすると、希少地名3コレクションはどうしても主観が入り込む余地が大きく、本音を言えば対応がやや悩ましい存在ではあります。
じゃあ何で担当してんだ、と言う事になりますが、「コレクションとして成立させるためにはいろいろ考えなければならない面が多く、難易度高レベルである」「いざ拾ってみると同様の地形名がいくつも出て来る事があり、新たなコレクションの元となる場合がある」と言う点から編集長が担当をすべきであろうと考え、今にいたっております。

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以下、独り言…とは言っても触れようか触れるまいか悩ましいところなのですが…[78200]とよく似た文面の、違うハンドルネームの方の行った投稿が過去にあったんですよね。
そちらの方は「とある理由」から、グリグリさんと協議した上で私からは特に告知をせずに無対応としたのですが…その「理由」をつまびらかにしておいた方が良かったのかも、と考えなくもない。
[78705] 2011年 7月 3日(日)23:51:26【3】EMM さん
牛頭天王様のために暴れて暴れて暴れまくるぜ~!!!
さて、[78672]の続き、ようやくまとまりました。。
昨年、拙稿[75428]で「能登半島の夏の始まりを告げる行事」として宇出津のあばれ祭りを紹介しました。
その際に、
リンクしたサイトの紹介文を読むと、京都の祇園祭と関連のあるお祭りでした。
と言う事を書いたところ、[75432]hmtさんより、祭りの内容の違いから関連性はあまり高く無いのではいかと言う旨の投稿がありました。
一部にについては拙稿[75433]で反論しましたが、実はそこで触れていない部分についても調べていまして、その結果「あばれ祭りは祇園祭の重要な部分をきちんと受け継いでいる」と言えそうだ、と言う事が分かりました。
ところが、調べるのに時間がかかってしまった結果、秋風が吹き始める頃になってしまっており、「夏祭り」の投稿としては時期を外してしまいました。
調べた内容の具体的なところは昨年の筑波山オフ会の際にhmtさんに直接お話しさせて頂いているのですが、せっかくなら文章としてまとめたいという気持ちも持っておりまして、どうせ投稿するならあばれ祭りの時期に合わせて投稿したい…と言う事でこの時期まで待っておりました。
ポイント毎にまとめます。
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1.疫病対策で祇園社から牛頭天王を勧請したことがあばれ祭りの由来とあるが、八坂神社の祭神との関連性は高くないのでは?
wikipediaなどで京都八坂神社の歴史を紐解いてみると、江戸時代には延暦寺の支配下にあり、牛頭天王やその妻・息子達を祭神(本尊?)とする神仏習合色の強い社であったようです。
牛頭天王はその起源は明確ではないようですが、祇園精舎の守護神とされることから牛頭天王を祀る社が祇園社と呼ばれたようです。京都八坂神社は感神院祇園社。
また、牛頭天王は時代とともに素戔嗚尊と同一視されるようになりましたが、明治時代に神仏分離令が発せられると感神院祇園社の祭神は牛頭天王から素戔嗚尊に置き換えられてしまい、さらに仏教用語である「祇園」の名も忌避され八坂神社と改められ、今に至っています。
(なお、先にリンクしたwikipediaを読むと祇園社の名が先にあったととれる記述もある。また、牛頭天王→素戔嗚尊を祀る神社のうち、愛知の津島神社や東京の素戔嗚神社などは祇園社ではなく天王社と称しており、八坂系とは別系統とされる。さらに、関東に数多くある氷川神社の祭神も素戔嗚尊だが牛頭天王信仰とは関係がない。以上参考まで。)
さて、宇出津に祇園社から牛頭天王が勧請されたのは江戸時代です(参考)。
(桜井源五という人物が勧請したとされていますが、前述のHPによると桜井家が引越十村として宇出津に移ってきた1664年から百姓一揆の責を問われ珠洲郡松波へと移った1756年までの間に3人の桜井源五がおり、実際に勧請したのがどの桜井源五なのかは分かっていないとの事。ただ、いずれにしても江戸時代なのは間違いない)
であればその頃の京都の感神院祇園社の主祭神は牛頭天王であり、「祇園社に関係ある何かにあやかった」とか言うレベルではなく直系の分社であると言う事です。
そして、勧請の際に祇園祭にあやかった祭礼が行われるようになり、それが後のあばれ祭りと言う事になります。
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2.祭りが行われる日が7日ではない
これは[75433]で触れていますが、あばれ祭りの開催日は元々7月7~8日だったものが7月第1金・土曜日に変更されています。
あばれ祭りの場合、「地域の住民がこぞって参加する」「遠方に在住している宇出津出身者が帰省してきて祭りに参加する」「能登の夏祭りの先駆け、天下の奇祭と言う事で観光客も多数訪れる」と開催日をずらす方に働く要因が全てそろっています。

また、これは特にあばれ祭りに関して言われていることではないのですが、能登ではこんな都市伝説が広く語られています。
「ある集落に夏祭りの時期になると毎年何日も会社を休む男がいた。ある年、例年のように祭りの時期に合わせて休みを申請したところ、『以後出社に及ばず』と申し渡されてしまった(つまり、クビになった)」
この「ある集落」がはっきりしていないところが都市伝説っぽい。
これは元々は「それだけ能登の男衆は祭りに熱中する」というような意味合いで語られていたらしいのですが、近年は「景気の低迷の影響で休みが取りづらくなった」「他地区から能登に流入した企業の中に、地域の祭礼にあまり理解を示さないところがあるらしい」等々でこれが洒落にならなくなってきてる…と言う感じに話が変わってきています。
こういう話が出てくるぐらい、平日開催では人手が集まらなくなってしまった地区があるようです。

なお、輪島大祭のように今でも昔ながらの開催日で執り行われている能登の夏祭りもあります。
(輪島大祭は輪島の町場にある4つの神社の大祭が連続して行われるものですが、そのうち海士町の祭りである奥津比め神社(「め」はしらやまさんの「め」の字と同じで、JIS第2水準まででは表示不能)の期間は舳倉島がほぼ空になってしまい、航路も休止になります。もし夏場に舳倉島に行きたいと考えている方がいた場合は要注意)
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3.キリコ(奉灯)の出るあばれ祭りは、東北の巨大祭り灯籠と同じく七夕祭りの灯籠流しが変形した祭りなのではないか。
京都の祇園祭のメインイベントと言えるのは宵山です。
しかし、祇園祭のwikipediaの宵山の項を見ると、
祇園祭のハイライト。元々は付け祭りだったが、こちらの方がはるかに大規模になった。
とあります。じゃあ祭礼の一番重要なところはどこか?と言う事でさらに読み進めて行くと、
神幸祭・還幸祭(神輿渡御) [編集]こちらが本来の神社の中心行事。神幸祭は山鉾巡行で浄められた四条寺町にある御旅所へ、八坂神社から中御座神輿(なかござみこし)・東御座神輿(ひがしござみこし)・西御座神輿(にしござみこし)の大神輿3基に召した神々が各氏子町を通って渡る神事。この夜から7日間滞在する。974年(天延2年)に御旅所(現在と所在地は異なる)を朝廷より賜り、行われるようになった。また子供神輿である東若御座神輿も参加する。
とあります。さらに、
神幸祭は朝の雅やかな山鉾巡行とは打って変わって、夕刻より行われる神輿渡御は勇壮豪快で荒々しいのが特徴である。3基の大神輿を総勢1000人以上もの勇猛な男達により担ぎ揉まれて神輿が暴れ狂う様は圧巻である。いわゆる暴れ神輿というものである。
と書かれている。神幸祭だけでなく、還幸祭でもやはり御輿が暴れ回るとのこと。
なぜ御輿が暴れるのか?なのですが、牛頭天王は元々「疫病を引き起こす祟り神」とされており、その牛頭天王を分霊した御輿を暴れ回らせて満足させることにより疫病を引き起こさせないようにした…と言うのが暴れ御輿の由来のようです。
そして、その「牛頭天王を分霊した御輿」の通り道を清めるために奉納されたのが山鉾。

一方、あばれ祭りの方はと言うと、「能登のキリコ祭りの先駆け」と言った風に紹介されることもあるのでどうしてもキリコに目が行きがちです。
しかしながら、こちらもキリコは宇出津の町衆が奉納するもので、実際に祭りの中心となるのはあばれ御輿。
あばれ祭りはきちんと祇園祭の本来の形(「牛頭天王(→素戔嗚尊)を分霊し暴れまくるあばれ御輿」+「あばれ御輿の通り道を清めるための付け祭り」)を踏襲している、と言えます。
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おまけ.じゃあなぜ祭りの名前が「祇園祭」じゃないのか?
実は、本稿をどうしても落書き帳に投稿したかった一番のポイント。
宇出津のあばれ祭りが祇園祭を踏襲した祭りだとすれば、なぜ祭礼の名前が「祇園祭」ではないのだろう?
これはhmtさんからの指摘には触れられておらず、いろいろ調べているうちに自分が疑問に思ったことです。
そしてこの疑問の解決法、すぐに思いつきました。
「祇園祭の神事としての一番重要な部分があばれ御輿であることからすると、あばれ祭りが「あばれ祭り」となったのはそのあばれ方に起因しているのではないか?それならば、見比べてみれば良いのではないか?」
今は便利な世の中で、インターネットを探すといろんな祭りのビデオを見ることが可能です。
YouTubeで「祇園祭の神幸祭」と「あばれ祭り」のあばれ御輿の「あばれ方」を見比べてみましょう。

まずは祇園祭の神幸祭のビデオ。(その他、「祇園祭 神幸祭」での検索結果はこちら
確かに山鉾巡行とは趣を異にしますね。勇壮です。

では、あばれ祭りはというと…2の12の22の3(その他、「あばれ祭り」での検索結果はこちら
祇園祭の神幸祭と比べるとあばれ方が尋常じゃない。
御輿を道や壁に叩きつけ、海や川に放り込み、とどめに火の中に放り込んで破壊の限りを尽くす。
このように「御輿がとんでもない暴れ方をする」事から祇園祭ではなくあばれ祭りと呼ばれるようになったものと推測しています。
この暴れ方の凄さは宇出津が漁師町であることの影響もありそうですが、2つの御輿が奉納されることからお互いが暴れ方を競っているうちに「御輿を破壊しまくる祭り」になっちゃったのかなぁ、とも推測します。
実は「あばれ祭りが今の形に固まるまでの経緯」を記した資料や古文書はあまり残っていないようで、ある程度推測を挟まざるを得ないところはありますが、「あばれ御輿が暴れまくる祭りだからあばれ祭り」なのは間違いないでしょう。

あ、もし「来年以降にあばれ祭りを見に行ってみよう」と思っていらっしゃる方がもしいたら気をつけてほしいのですが、特にクライマックスの「カンノジ参り」ではあばれ御輿に近づいてはいけません。
まず間違いなくケガします。
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#以下余談。
いろいろ調べているうちに、あばれ祭りよりもさらにトンでもねぇあばれ御輿があるのを見つけました。
あばれ祭りでは御輿の土台は再利用するので、破壊すると言ってもある程度御輿の形は残った状態で神社に戻ってきます。
ところが、長野県上伊那郡宮田村にある津島神社のみやだ祇園祭のあばれ御輿は神社の階段から何度も投げ落とされて完全に破壊されてしまいます。(ビデオ
これは想像を絶するとしか言いようがない。
それから、ちょっと変わった「御輿」が暴れまくるところもありました。
群馬県前橋市の「大胡祇園まつり」では獅子頭が、京都祇園祭の山鉾の一つである南観音山を抱える百足屋町では宵山の夜に観音様がそれぞれ男衆に担がれて暴れまくってます。
(南観音山のあばれ観音についてはこちらもご参照ください)

※ビデオのリンクを増やし、それに合わせて本文も修正
[78706] 2011年 7月 4日(月)01:08:08EMM さん
レス2題
[78704] hmtさん
この記事の内容は、すんなりと受け入れることができたのですが、今回の記事を見て、少し混乱してきました。
金沢の食文化と対比される加賀の食文化。
“金沢って「加賀」ではなかったのか?”というのが、よそ者の偽らざる感想です。
これですが、もし私が書くとしたら、加賀市のことを指す場合は「加賀市」、小松市や加賀市をまとめて言うのであれば「南加賀」となります。
「加賀市」は「大聖寺」とする手も考えられますが、加賀市は大聖寺だけでなく動橋・山代・橋立などいろんなカラーの町が合併してできた市ですので、その内容が明確に大聖寺に関連する話だと言えない場合は「加賀市」を「大聖寺」には置き換えづらいところがあります。
「南加賀」は、かつては手取川から南はすべて江沼郡だったから江沼でも…と言いたいところなのですが、江沼郡・加賀郡の話は地元でもよほど歴史に詳しい人でないと知らないのが実情です。
江沼郡自体消滅してしまった事もあり、これを手取以南の総称とするのはかなり苦しい。
「小松加賀」と言った表現も目にしますが、県庁の出先機関や地区の広域事務組合などの名称で「南加賀」が使われているので、さしあたり使うとすれば「南加賀」が無難なのかな…と考えておる次第です。
正直なところ、「加賀」の用法は石川県内でもかなり入り乱れているのが実情です。
加賀国の範囲を指す場合、河北郡・かほく市以南を指す場合(現在「加賀地方」という場合に指し示しているのはほぼこの範囲。津幡町やかほく市にはかつて羽咋郡、則ち能登国だったところが含まれる)、加賀市を指す場合、加賀地方の金沢市以外を指す場合、加賀地方の金沢市より南を指す場合、手取川以南を指す場合、金沢市のみを指す場合。
情況や文脈でどれを指してるのか判断しなければならないので非常に悩ましいです。

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[78703] 伊豆之国さん
非常に細かい話で恐縮なのですが…
ネット上ではよく文末に(汗)とか(涙)とか付ける人が良くいる(私もよくやる)のですが、これはその文を書いている時の自分の心境や情況を表しているものです。
また大先輩に叱られてしまいました(怒)‥。
は多分「私に怒られた」と言う事で「(怒)」と付けたかなぁと思ったのですが、普通に読むと伊豆之国さんが怒っているものととられるので用法は注意した方がよいです。
それとも実際に怒っていらっしゃる?
やはりこれらの地域以外の人にとっては、普段馴染みのない食材なのでしょうか。
実は私も数年前に知ったのですが、佐渡島でも伝統的にフグの卵巣の粕漬けが食べられています。
ただし、佐渡で現在フグの卵巣の粕漬けを製造販売しているのは1社だけのようです(参考)。
[81291] 2012年 8月 10日(金)21:53:34EMM さん
まとめレスれす
このあとお出かけ予定なので手短に。

[81286] オーナー グリグリ様
効果的な殺虫剤がなさそうで、木を揺すって直接捕獲するのが一番と聞いたのですが、どなたか退治する良い方法があればご教示ください。
調べてみたところ庭木に使用して良い殺虫剤も有るのですが、残効性がそれほどでも無さそうな剤が中心でした。
コガネムシの成虫は後から後から飛んでくるので、殺虫剤だけでは一時的な効果しか望めなさそうです。
コガネムシを捕らえるトラップが市販されていますが、誘引物質がコガネムシの種類によって違うためきちんと選ばないと効果が無く、効果があっても1ヶ所ぽつんと設置しただけでは却って虫寄せになる事もあるのでやはり難しい。
近くに電灯がありませんか?自宅のものなら早めに消灯するとか、逆に付けっぱなしにして下に水入れたバケツを仕掛けておくとかすると若干違いが出るかもしれませんが、焼け石に水かも…やはり地道に揺すって落として捕殺するのが確実かもしれません。

[81284] hmtさん
[81283] 白桃さん
トボケ
角川地名大辞典にある明治初期の小字一覧では「戸保家」になってました。
漢字表記には揺れがあるようです。
地租改正時に公式の小字としては過去帳入りしてしまったようですが、今でも集落通称名としては生き残っているっぽいです。

[81266] 白桃さん
今更ながらの補足で恐縮ですが、伏木だけでなく六渡寺・放生津も高岡の外港として機能していたようです。
同様に、金沢の外港としては宮腰(→金石)だけでなく、大野や粟崎もその機能を持っていましたが、宮腰は加賀藩の御用港で有ったのに対し、大野や粟崎は河北潟に連なる川からの水運が中心でした。
ただ、その川の中には浅野川があり、浅野川の中流には江戸時代の金沢の商業の中心地であった尾張町がある…と言う事を考えると、大野・粟崎は民需中心だったのかもしれません。
それから、これまで挙がっていないところでは、大聖寺の外港は塩屋・瀬越・橋立で、その中でも一番有力だったのが橋立だったようです。
あと、安宅が小松の外港として機能していたのではないかと思われるのですが、江戸時代には安宅にはあまり有力な商人がいなかった模様。

[81275] hmtさん
金沢の外港・金石(かないわ)も [81263]にあります。金石町は戦時合併[80427]で金沢市に編入(1943)。
拙稿[78880]で触れていますが、1880年当時の金石町は宮腰と大野が合併していた時代にあたります。
その後に上金石町と下金石町が分離し、後に上金石町は金石町に名が変わっています。
(下金石町は後に大野町)
よってお、1880年の金石と、戦時合併で金沢市に合併した金石町は全くのイコールではありません。

hmtさんの文中では触れられていませんが、1880年当時の新湊も伏木を含んでいた状態で、後の新湊町→新湊市とは範囲が異なります。
[84465] 2013年 11月 23日(土)20:30:40EMM さん
オフ会一次会終了
hmtさんの音頭で万歳三唱で締めました。
二次会は九時からでーす。
書き込み係EMM
[84548] 2013年 12月 19日(木)02:42:32EMM さん
Re:Re:御母衣・分水界・美濃馬場
[84546] hmtさん
[84547] オーナー グリグリ様
岐阜オフ会の際の国道156号線沿いの写真へのフォローありがとうございました。
157はもちろん間違いです…オフ会で持っていったミニチュア看板(同人誌即売会にて購入したものです、念のため…)のみならず、現在は仕事で白山ろくの方によく行くので国道157号線ってすっごい身近なんですが、何で間違えたんだろう?
(なお、写真の説明文の中にもいくつか誤字がありました…あかんわこりゃ)
落書き帳には ご本人の旅行記がなく、昨年のメーリングリストにも あまり記されていなかった ようです。
実はツイッターでは現場でその都度なにがしかつぶやいていたのですが、旅行記は…確かに書き損ねました。
ここ数年は12月から3月初旬にかけてムチャクチャ忙しかったために、何だかんだで書きそびれてしまうんですよね…確認したら岡山オフ会以降書いてません。
今いる職場は前の所よりは12月が若干マイルドではあるのですが…今年はまとめておきたいとは思っているのですが、今週末の連休になりそう。

なお、岐阜オフ会の写真2組目は、各写真の説明文ができ次第送付します。
松江オフ会の写真(ほとんどが前後の日程で依ったところのものですが)も併せて送付しますのでお納め下さい。
これも、今週末になりそう…

#ここ数日、やたらと早く眠くなるわ、中途半端なところで目が覚めるわの繰り返しで睡眠のリズムが微妙にモタモタです。
しかし、今日は半端なところで目が覚めたのでは無く、このコンサートを鑑賞してきた余韻が残っていてまだ起きてました。
とは言えそろそろ寝ないと明日に響くので…オヤスミナサイ。
[85782] 2014年 6月 30日(月)23:32:45EMM さん
「向こう」→「神子」?
[85746] Mengeさん
[85774] グリグリさん
[85776][85778] 伊豆之国さん
[85781] hmtさん

先週から気ぜわしい状態がつづいており、気になっていつつも書き込みができませんでした。
昨日は時間が取れそうだったんですが、書き込もうとする前に疲れて寝てしまいました。
今日は今日でパソコンがネット接続できず、スマホから何とか書き込んでいます。
(何か、最近スマホのコピー&ペースト機能の機嫌がよろしくなく、色々とやりにくい)

さて、「神子」地名で他の言葉が「神子」に転じた可能性がある地名の事例を一つ。
石川県には二つの「神子」地名がありますが、角川地名大辞典で調べたところ、そのうちの白山市神子清水町には由来について二つの伝があるようです。
一つは、「この地に清水が湧いており、その傍らに神子が住んでいた」。
もう一つは「相滝村の川向こうに会ったから」。
そして、説明文の最後には神子清水村は相滝村の出村として成立したと伝えられる旨が書かれていました。
二つの伝のどちらが有力か、と言う事には直接触れられていませんが、出村の件と併せて考えると川向こう説(向清水→神子清水)の方がなんとなく可能性が高そうな気がします。
このように、別の言葉が「神子」に転じた可能性がある地名が少なくとも一つはあることからすると、他の「神子」地名も可能な限り由来にまつわる伝を調べた方が良いのでは無いか、といEMM的には思うものであります。
とは言え、必ずしも由来にたどり着けるとも限らないのでして…石川県のもう一つの「神子」地名、羽咋市神子原町については角川地名大辞典にはその由来は書かれていませんでした。

おまけ。
何でこの一週間ほど気ぜわしかったのかというと…都道府県市区町村HP中のどこかにその理由がわかるところがあるかも?

おまけその2。
[85781]hmtさん
伊豆之国さんの記事番号が1文字誤削除されてます。
[85789] 2014年 7月 1日(火)23:36:16EMM さん
今日は何の日 ふっふ~
[85783] オーナー グリグリ様
実はこっそり書き換えて、戻ったらまたこっそり書き換えようかな…と考えていたのですが、つい触れてしまいました。
長期出張することになりまして、今日から宿のネットが使えるようになりました。

[85784] hmtさん
本来、氷室はそんなに気ぜわしい行事ではありません。
せいぜいが「どこの店のまんじゅうを買うか」程度の場合がほとんどかと。
(どこかに送るとなると、店を選んで予約して…という人もいるようで、人気の店は早めに予約しないと締め切られるところもあるようです)

今年は上記の理由で7月1日に氷室饅頭を食べることができなさそう…と思っていたら、親父が配慮してくれて28日に氷室饅頭を買ってきてくれました。
(いつもなら近所の和菓子屋のを買ってくるのですが、今年はめいてつエムザに出かけた際に見かけたのを買ってきた模様)

余談ながら…
”氷室饅頭”でネット検索するとこのように店によって微妙に色や形、焼き印など外観が異なることがわかりますが、味の方も店によって違います。
店によっては外側の色の違いに併せて中のあんこの種類も変えてあるところもあるのですが、今年食べたものは外側の色にかかわらず同じあんこでした。
酒饅頭で、そこそこ麹の香りが漂っていました。
[85842] 2014年 7月 19日(土)23:50:26EMM さん
いろいろレスレス
[85783] オーナー グリグリ様
長期出張のため居住地を書き換えてから早3週間。
自宅にいるときよりは暇ができるかなー、と思っていましたがそうは問屋が卸しません。
大学以来の一人暮らしで、掃除から洗濯からすべて自分でやらねばならないので意外と暇な時間が少ないのが現実でした。
(学生時代なら無理矢理時間がひねり出せましたが…)
加えて、せっかく遠くに来ているので、土日はあちこち行きたいなぁ…と言う思いもあるので、とりあえず近場からうろうろしてます…故にさらに時間が取られる。
先週・先々週は土曜が福島市外、日曜が福島市内をうろついてきました。
(第1週は川俣町、第2週は伊達市に行っています)
今週は十番勝負とも重なるので、できれば今日遠出して明日明後日は近場に納めたかったところですが…今日は天気は悪いし二度寝で昼まで寝てしまうしで結局市内散策に切り替えました。
日程的に遠出するなら明日がチャンスなのですが…明日も雨っぽいし悩ましいところ。
そして、どうも月曜だけがこの連休中で唯一福島県に晴れマークの天気予報が出ているという…

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[85805] じゃごたろさん
[85810] hmtさん   ほか
どなたかが書き込みされるかな、と思いましたが書き込みがありませんでしたので。
福島県の浜通りのうち、いわき市を除くエリアが相双地域と呼ばれていますが、これも「相馬市と双葉郡」では無くて「相馬郡と双葉郡」の郡名を合わせた地名になりますね。
落書き帳でも何回か登場します(こちら
福島県の出先機関としては相双地方振興局相双保健福祉事務所相双農林事務所相双建設事務所相双教育事務所がありますが、いずれも所在地は相馬市では無く南相馬市原町区。
この相双と言う名称は広く使われているようで、ネット検索するとかなりいろいろなところで使われているのがわかります。こちら

ちなみに、いろんな都道府県で出先事務所の統合が進められていまして、統合のされ方次第では「今まで特定の総称が無かったエリア」が一本化されることがあり、そうすると今まで耳なじみが無い「地域名」が登場することがあります。
たとえば、石川県では金沢と津幡の農林総合事務所・土木事務所が統合されていますが、統合後の名称は県央農林総合事務所県央土木総合事務所となっています。
正直なところ石川県で「県央」というされ方をしているのはこれ以前に耳にしたことがありません。
「石川県 県央」で検索してみても上記2事務所関連のページ以外は石川県以外の関連のサイトばかり引っかかってきます。(こちらの2ページ目以降をご覧ください)

さらに補足ですが…
近年の都道府県の出先機関の統合では、統合されるエリア内の1事務所が統合後の事務所の本所、その他の事務所が統合後の事務所のさらに「出先」という形になる場合が多いようです。
この場合、「主の事務所」と「出先の事務所」で名称を変える場合が多いようです。
[85805]じゃごたろさんの示された茨城県の「土木事務所」と「工事事務所」は[85806] にまんさんが示されたとおり「主」と「出先」の名称な訳です。
先に示した石川県の統合事例でも同様でして、「農林総合事務所」-「農林事務所」、「土木総合事務所」-「土木事務所」となっています。

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[85831][85837] かぱぷうさん
[85834] オーナー グリグリ様
どうも昭和30~40年代には「夜行高速バス」ならぬ「夜行急行バス」の路線が思わぬところにあったようですね。
石川のバス路線情報でいろいろとお世話になっているサイトもりさけてんの情報に寄りますと、かぱぷうさんの挙げられた広浜線よりは運行開始が遅めですが、石川県には昭和30年から49年まで金沢~珠洲間を結ぶ国鉄バス夜間急行「のと号」が走っていたとのこと。
石川でも60歳代以上の方の中には印象に残っている方がいるようで、「金沢から能登に行く夜行バスがあった」という話は何回か聞いた記憶があります。
こういう「その県の人で無いとわからない、歴史的な夜行バス」があちこちにある…と言うことなんでしょう。
[88191] 2015年 7月 19日(日)23:04:41【1】EMM さん
ラジオブレイク(ずっとブレイク中?)
夜んべは2時半頃に寝て、11時前ぐらいに起きて、昼飯喰ってブラタモリ見たらそのまま寝てしまって、17時頃まで寝ていたという…

[88176] hmtさん
富山県での開催は新幹線から自然の成り行きと理解できますが、氷見が選ばれた理由は何だったのかな?
若干うろ覚えな部分を含みますが…
石和の2次会でグリグリさんが富山県を今年の候補地としたい、と提示された時、確か最初に名前が挙がったのは宇奈月温泉だったと思います。
で、「富山県って宇奈月以外に大きな温泉場って無いねぇ」みたいな意見が出たので、私が「温泉場っぽく無くても良ければ、氷見にもホテルや旅館がある程度の数あります」と言う旨のことを言ったんですわ。
そうしたら「氷見良いねぇ、雨晴海岸も近いし」みたいな方向に話が行きまして、それで氷見が第一候補になった…と言う感じだったと思います。
氷見以外に五箇山方面とか立山登山口方面とかも提示しようと思っていましたが、利用できそうな宿がかなり分散しているのでそっち方面はちょっと難しかったかも。
[89132] 2015年 11月 22日(日)20:29:27EMM さん
落書き帳オフ会inひみのはな一次会終了
デスクトップ鉄さんご発声の一本締めで一次会お開きとなりました。
その後に集合写真撮影をしましたので、今回のは顔の赤い方か多数写ってます。

書き忘れてましたが、乾杯のご発声はhmtさんでした。

書き込み係・EMM
[89540] 2016年 1月 9日(土)02:45:19EMM さん
新湊とはもともとは港の名前に非ず、多分。
十番勝負は残り2問が大絶賛行き詰まり中。
なので、リアルタイムに反応できなかった遅れレスを。

[89249] hmtさん
要するに「新湊」というのは、庄川と小矢部川とが合流していた時代、古代から左岸にあった伏木港に対して右岸に作られた「新しい湊」を意味するのでしょう。
実はこの件について過去に調べておりまして、「新湊」は単独の港を示しておらず、複数の港町を統合するために明治初期に新造された瑞祥地名と言えるものであることを確認しております。
詳しくは拙稿[78880]「歴史上、越中国に「新湊」なる港は存在したことが無い、らしい」をお読みいただきたいのですが、中世以来のライバル関係にあった伏木と放生津(に加えて間にあった六渡寺や周辺の村々)が明治4年に加賀藩によって合併させられた際に新しく作られた地名が「新湊」なのです。
伏木も明治4年から19年までは「新湊伏木町」でしたが、結局単独で分離して伏木町に戻っています。
[91823] 2016年 10月 23日(日)20:25:40EMM さん
EMMの地名コレクション編集メモ・第198号
レスの前に1案件。
私からはちょっと触れ損ねた話題ですが、[91579]倉田昆布さんよりご案内のあった「Yahoo!地図のシンプル地図終了の件。
実は、地名コレクションの中にはシンプル地図を使っているコレクションがけっこう多く、これはけっこう影響大きいかも…と思っていましたが、シンプル地図の公開終了後はそのままのURLでスクロール地図が表示されるようになっていたので、とりあえず当面は問題が無いようです。
過去にあった通称「六本木ヒルズ現象の後、Yahoo!地図ではURLの仕様変更があってもそれ以前のURLでも当該位置が表示されるようになっている場合が多いので当面は安心だとは思うのですが、そうは言っても長期的にはどうなるか分からないので、当該データのある方は適宜修正をご検討された方が良いと思います。
(量があるので編集画面内の「地図リンクの修正」での対応をグリグリさんにお願いした方が良いのかもしれませんが、シンプル地図も時期によってURLが何種類か変わってるのでちょっと大変かも)

#自分の担当コレクションの富谷市対応も上記の関係で作業が遅れています。

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以下、レスです。

[91800] オーナー グリグリ様
杖突峠の地名を見て、先日の杖立温泉オフ会との関連で「杖」地名のコレクションを思い立ちました。
(中略)
EMM編集長、コレクション追加をお願いします。さくっと編集してみたいと思います。
「杖」コレクション、登録しておきました。
ご確認をお願いいたします。

[91563] hmtさん
遅れレスですが…
地名コレクションの対象にはならないと思いますが、「ヶ里」地名の変遷情報検索結果です。
いやいやいやいや、これは十分に地名コレクションの候補になります。
[91673]中島悟さんの情報にある「ヶ里」から転化した地名を含めるとなお良いかも。
とりあえず地名コレクション案に入れておきました。
[100700] 2020年 10月 22日(木)02:15:12EMM さん
「三国境」を境界点の通称と見るか、山の頂の名と見るか
[100684] hmtさん

拙稿[100650]を書き込んだ直後に作業してしまえば良かったのですが月曜はいろいろ重なって手が付けられず、火曜に回したら残業で帰宅が凄く遅くなり、水曜まで作業がずれ込んでしまいました。
「希少地名」3コレクションの採用基準、紹介文に書いてある内容で行くと
希少地名コレクションは、崖なのに崖っぽくない名前だったり、川なのに川っぽくない名前だったり、山なのに山っぽくない名前だったり、と「その地形としては特殊な地名」を集めたコレクションです。
となります。
もうちょっと突っ込んで書くと、例えば山の名なら典型的な地形名と言える「山」「岳」「峰・峯・嶺」「丘・岡」「ヌプリ」、あるいは典型的な地形名と言う感じは無かったが探してみると数が合ったので独立コレクション化した「森」「丸」 「城」「頭」「塚」以外の名は対象になり得る、と言うスタンスです。
三国地名としては「三国境」は最もストレートな地名と言って良いでしょうが、山の頂の名としてみると「三国境」は「三国山」や「三国岳」と違い「山を示す典型的な地形名には当てはまっていない地名」と言うことになると考えます。
じゃあなんで今まで収録されてなかったのか、と言うと自分も含めて「希少地名(山)」コレの歴代編集者がなぜか見落としているから、と言う事になるのですが、加えて「今まで誰からも『希少地名コレクションの基準に合致するのではないか』という問い合わせや提案がなかった」というのもあります。
(参考…「三国境」での落書き帳検索結果
そして、今回初めて「これは希少地名(山)コレクションに該当するのではないか」と投稿を頂いた訳です。
提案・問い合わせを頂けば検討します。
そして検討した結果、「三国境」をネット検索すると「山の頂の地形名」として捉えていると判断される記事が少なからずありましたし、地形名としては希少地名3コレの採用基準に合致していると判断しました。
「山のてっぺんにあるもの」が山の名前に転化する際、「山」とか「岳」とか付かずにその「山のてっぺんにあるもの」の名前だけが地形名的に通用していると思われるところ…が「希少地名(山)」コレに既にいくつも収録してあり、それと近い用例…と考えます。

…と言うようなことを[100650]にもうちょっと書いておけば良かったのかもしれません。


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